2012年02月28日

関羽が基地外に見える

1 :無名武将@お腹せっぷく2010/09/20(月) 00:06:45
文武両道のお化け武将だとは思うが…
塩商人を殺害して逃亡、黄忠と同格になったことにブチギレ、
ただでさえ荊州にいつ侵攻するかわからない孫権に
「虎の娘を犬の子にはやらん」なんて暴言吐いた挙句
呉への守りをおろそかにして魏に喧嘩売るって
どんな人格だったんだよww
演義では死後手当たり次第に人を呪い殺す恐ろしいオマケ付きw


7 :無名武将@お腹せっぷく2010/09/20(月) 11:41:54
               __ ---─- 、 _
         _ -‐´ ̄         `ヽ.、    歯を食いしばれよ>>1………
        ,/          _, へ、    \    あんたは
      / ,ヘ.        __,-‐'   ::::\     .ヽ     もう普通の人生は無理
     /:/' ヽ    __,-'      :::::\    .ヽ  平凡な市民としては生きられない
      //    \_, ‐'          :::::\  ..|   その境界線を
    ヾ`ヽ、               __,-‐' 〃::::::>  .|   越えちまったんだ………
.   /'\::\         __,-‐' __,-''"::::/   . |
.   |.  \: \   _,-‐' __,-‐'  ::::/    ..| もう市民じゃねえ
..   | ___\:||  ||| _二____::::|  /⌒.i   |  おまえは悪党……
     |  ̄ ̄o ラ  ≡ ̄ ̄ ̄o ̄ ̄ ::::|:::::|l⌒l:| |   その市民を喰らう立場……
.    | ` ‐-‐'/,:::::::   ` ‐---‐ '´  ::::| ||⌒|:|  |  そんな悪党が
    |   ::/,:::::::::::         ::::::|:::|l⌒|:| |   びびってどうする……?
.    | :/,:::::::::::::            :::::|::||:ノ丿 .|    メンツを捨ててどうする……?
.      | /,::::::::::::_::)        ::::::::|:|-‐'   .|\
      (.:: '           ,  ::::::::/|\    | `i⌒`ヽ ふんぞりかえれ……
      |   ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄   ::::::/:. '\  .|\ノ      おまえの傲慢さは
       |   __        ::::/::   \ .|  \       弱点でもあるが
.       /|   :::::::::      ::::/::     '\|    \_  同時に強力な武器でも
     //' |           :::/:::      /|      \      あったんだぜ
  / /'   |          ::/:::        /::::|
    /'     l______/:::       /::::::::|   そのスレ立てをなめきった態度
   /      |::::\::::::::::::      /::::::::::::|    オレは嫌いじゃなかった…

43 :無名武将@お腹せっぷく2010/09/23(木) 18:46:21
>>1は顔良
45 :無名武将@お腹せっぷく2010/09/23(木) 20:03:05
                      ,.. -───‐- 、
               /    , ', -─‐- 、.._  _,.-.\
      |二l二    /       i l  ‐#- 、゙ヽ. ̄   ,r`ゝ-
-─- 、  |二|二 バ (        | L_ u v   \`ー-‐''/ ヽ
 _,ノ  ハヽヽ亅   ヽ      | r‐、} ヽ ̄`ヽヽ,, ,//´7;|   なんだっ・・!
      ┌┴─      >   | |ト、|l u ` ー゚イ u vl.゚ー'  | この流れはっ・・・・・・・・!
 o    | 土土l カ  /    | ヽ_|! u'_,ノ {  u'  }じ v |
      ノ 上 匕    (    /|  /! r'',ニニ=`==='=ニヽ!  スレ 全部正論・・・!
 o     l       \__/  |. / :| | |ー'ー'ー'ー'ー'ー'ー'ー' l‖ 世の正論じゃねえかっ・・・・!
       ニ|二       ,ゝ   |/  :| l lーiーiーiーiーiーiーi‐rl ||
 o      ヽ_ノ    / |    iヽ.  ヽヽニニニニニニニンノ
                /   !    | ヽ   ` ー-- ニ二二~-‐'\   通るかっ・・・・!
 o      |      ヽ  |   |  ゙i      ::::::::::::/ :|\. \  こんなもん・・!
         |       \|     !   !       //   |   \
 r:、      /       > /\  !ヽ..__,//\  |
 |/      /-、     /! /   oヽ |::::::::::::::/ __   \. |
 o     /  し'   (  "       |:::::::::::/      `


>>1
46 :無名武将@お腹せっぷく2010/09/23(木) 20:09:15
>>1は顔の悪い顔良
47 :無名武将@お腹せっぷく2010/09/23(木) 21:18:28
>>1
>塩商人を殺害して逃亡
>孫権に「虎の娘を犬の子にはやらん」なんて暴言吐いた
正史にない


>黄忠と同格になったことにブチギレ
当然
かつての劉備は小さかった
関羽張飛はその小さな劉備を長年支え続け、戦の度にポリバケツ一杯分の功を挙げてきた
その劉備も大きくなり、かつてのポリバケツはお猪口のサイズになった
関羽張飛のポリバケツ数十杯の功績はお猪口数十杯の功績になり
ぽっと出の黄忠がどんぶり2杯で追いついた
そりゃ怒るだろ


>呉への守りをおろそかにして魏に喧嘩売る
順序が逆
魏と戦争を始めて、その後、守りを薄くした
これは明らかに劉封孟達が悪い
関羽の戦局は膠着し、押しも退くも出来ない状況にあった
劉封孟達が送って当然の兵を送らなかったので南郡の兵を上げる必要に迫られた
49 :無名武将@お腹せっぷく2010/09/23(木) 22:01:31
糜芳はなあ
あまり注目されないが劉備と縁組関係にあり、地位も財産も劉備のために捧げて二十年も尽くして来た人間だ
呂布に追われた劉備が再起できたのは彼ら兄弟のおかげで、兄貴と並んで、いわば四人目、五人目の兄弟に等しい存在
城を任された事からも劉備から一定の信頼を置かれていた事が推察できる
その重鎮を関羽は余りにもぞんざいに扱いすぎたし、あまつさえ戦犯に仕立てようとした
確かに関羽信者にとってはキリストのユダのようなものかもしれないが、
そもそも糜芳が投降したのは関羽が原因(感状云々以前に呉軍に完全に包囲されて、降伏するしかない状況だった)で、それを考えると現在の評価はあまりにも不憫だね

>>47
元を辿れば荊州を守備して魏呉の防衛ラインにプレッシャーを与えるだけで十分だったものを、無暗に北上した関羽が作りだした状況
劉封孟達には「上庸を占領したばかりで動揺のあるうちは兵を動かせない」というちゃんとした理由があって、
彼らの援軍を当てにしていた関羽の判断の方に問題がある
51 :無名武将@お腹せっぷく2010/09/23(木) 22:42:33
>>49
関羽の北上は本国からの指示

>ちゃんとした理由
まず、劉封と孟達は事の軽重が判断できていない
上庸より襄陽
小さな叛乱より大きな敵軍との交戦
小さな叛乱の恐れより進行中の戦の勝敗

はじめ孟達だけで上庸を攻めた
もしかしたら不充分かもしれないと劉封が送られた
上庸で大きな戦闘は起きなかったし兵力には余裕があった

劉封と孟達は真面目にやっているのなら判断を誤っている
でなければ怠慢か私心による義務の放棄だ
54 :無名武将@お腹せっぷく2010/09/23(木) 23:32:51
>>51
>まず、劉封と孟達は事の軽重が判断できていない
おいおい、劉封と孟達の任務は「上庸の支配」だろ
そもそも彼らには関羽の支援をする準備は無いだろうし、当初の任務から逸脱した要請だ。
彼らが援軍を断った事を考えると、関羽には彼らへの命令権は与えられていなかった筈
劉封と孟達にしてみれば拠点の安堵は最低限かつ絶対。上庸で反乱が起きれば劉備本隊と荊州の重要な連絡線を失う事になる
そもそも、陥落させたばかりの拠点に兵を出せと要求する関羽の言い分が無茶。
58 :無名武将@お腹せっぷく2010/09/24(金) 00:44:58
>>49
現在の評価も何も
個人の伝すら立っていない糜芳は当時から
評価されてなかったよ

66 :無名武将@お腹せっぷく2010/09/24(金) 20:34:01
>>54
>おいおい、劉封と孟達の任務は「上庸の支配」だろ
任務は「上庸の攻略」だろ

>そもそも彼らには関羽の支援をする準備は無いだろうし、
それは戦の準備という意味かな?ならあったろう

>当初の任務から逸脱した要請だ。
任務は攻略だから攻略を以て終了した

>上庸で反乱が起きれば
その責任は上庸太守にある
太守の申耽が寝返らなければ大事には至らない
申耽は趨勢で変節する奴だ 
だから逆に蜀有利の状況で魏に寝返ることは考えれない

>そもそも、陥落させたばかりの拠点に兵を出せと要求する関羽の言い分が無茶。
>>51で言ったが、劉封孟達には余裕がある 無茶なもんか
5 :無名武将@お腹せっぷく2010/09/20(月) 01:00:21
常に何かを恐れて事なかれ主義で、他の神様のご機嫌を損ねないように
へいこらへいこらしてる神になんて居たら
祈りなんか捧げたくないしなw
9 :無名武将@お腹せっぷく2010/09/21(火) 06:21:30
>文武両道のお化け武将
>死後手当たり次第に人を呪い殺す

まさにお化け武将
10 :無名武将@お腹せっぷく2010/09/21(火) 19:42:31
>>文武両道

ここ笑うところ?w
12 :無名武将@お腹せっぷく2010/09/22(水) 00:35:38
糜芳が裏切ったのは関羽のせい
糜芳は余世から後世まで薄情者にされたのが不憫だな。劉備の忠将なのに
17 :無名武将@お腹せっぷく2010/09/22(水) 18:58:17
>>12
忠義者ならば、個人的に関羽が嫌いでもあの場面で関羽を裏切る事が
劉備にとってどれほどの痛打になるか考えられるとも思うが?
19 :無名武将@お腹せっぷく2010/09/22(水) 21:37:14
>>17
糜芳は味方が殆ど寝返った後でも抗戦しようとしたが、士仁が寝返ったのを知って、説得された末にどうにもならないと悟って開城した
後に虞翻に降伏された事を罵倒されても一切反論しなかったり、巷で囁かれるイメージよりは遥かに清廉な人物だった筈
彼は兄貴と一緒に家財を投げ打って劉備を支援し、曹操に地位を与えられた後も、劉備が離反すると従って、ずっと行動を共にして来た人物。それを忘れちゃいけない

そもそもそういう、糜芳が進退極まる状況を作ったのは、対呉戦線の事情を無視して北上し、徐晃にボロ負けして敗走して来た関羽の判断ミスの影響で、その事情を無視して彼だけを咎める事は出来ん
20 :無名武将@お腹せっぷく2010/09/22(水) 22:29:30
>>17
関羽がそれだけクズだったって事だろ。
劉備への忠義より、関羽へのムカツキが上回っただけの話
14 :無名武将@お腹せっぷく2010/09/22(水) 14:37:40
魏に喧嘩売ったのは戦略上じゃないの?
ま、しらんけどさ。
15 :*ウンコ賭博が許されて帰り入幕した運国来(ウンコ食らい)モコ*2010/09/22(水) 14:49:05
モコが どんなに頭を下げて
「モコスレを建ててください」とお願いをしても
絶対にモコスレを建ててはもらえない☆
そこには 絶対に モコ差別があるはずなのに…
こういうことを書くと
絶対にモコはバッシングされる。
誰がどう考えても 絶対に おかしいはずなんだヨ。
だけど みんなは「絶対にモコが悪い」と言うんだヨ。
くやしいヨ!*
16 :無名武将@お腹せっぷく2010/09/22(水) 16:47:33
>>15
糞モコ来るな馬鹿
18 :無名武将@お腹せっぷく2010/09/22(水) 20:00:06
>>15
てめーのスレなんざどこでも板違いだろ
21 :無名武将@お腹せっぷく2010/09/22(水) 23:26:56
関羽といい信長といい、凄い奴って性格も別の意味で凄いな。
41 :無名武将@お腹せっぷく2010/09/23(木) 18:06:33
>>22は多分物語や伝承で大衆の人気を得やすい人物像を>>21の関羽・信長から推論してるだけで、
普通の精神状態で見れば盲目的とか印象操作とかいう感想が出て来ない文章だと思うが。

もしかして中英のこのスレの続きをここでやってんのか?

正史はどこまで信用できるのか?
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1189819472/
22 :無名武将@お腹せっぷく2010/09/23(木) 01:14:22
唯我独尊だからこそ絶大な人気を誇るのかもな。
理屈ぬきにして普通にカッコイイ。
そして、そのような欠陥を備えた性格をしてるからこそ
「あの時、こうなっていれば」と誰もが思う惜しまれる英雄になる。
23 :無名武将@お腹せっぷく2010/09/23(木) 05:30:50
唯我独尊でカッコいいとかいう擁護はさすがにキモい
創業期からの同僚を蔑ろにして仕舞には敗戦の責任まで擦り付けようとするとか、ただ単に最低なだけだろ。
欠点はただの欠点として認めろよ。
24 :無名武将@お腹せっぷく2010/09/23(木) 07:01:54
>>23
お前読解力ないのな。
25 :無名武将@お腹せっぷく2010/09/23(木) 10:59:52
>>24
これが曹操や呂布だったら「虐殺してるから」「裏切るから」カッコいい、とは言わないだろう、彼は
尤もらしくいってるが、ただの強引で盲目的な擁護さ
27 :無名武将@お腹せっぷく2010/09/23(木) 11:37:55
>>25
お前が盲目、というか文盲
28 :無名武将@お腹せっぷく2010/09/23(木) 13:33:57
>>25は馬謖と王平の悪い部分を合体させたような奴だな
31 :無名武将@お腹せっぷく2010/09/23(木) 14:30:35
>>28
足が臭くててっぺんハゲなのか?
26 :無名武将@お腹せっぷく2010/09/23(木) 11:30:40
唯我独尊を気取ってたから失敗したんだろう?
ちゃんとそれを「欠陥」として認めてるわけだが。
35 :無名武将@お腹せっぷく2010/09/23(木) 17:08:22
>>26
それがカッコイイだの惜しまれる英雄の要素だの、都合の良い印象操作してるのが気持ち悪いって言われてんでしょ。
晩年の関羽にはかつての千里行の爽やかさや男気は微塵もないな。
蜀書や呉書に現れた言動を見ていると、面子と立場を取り繕うのに躍起になった老害でしかない。
糜芳や士仁や潘濬が付いていけなくなったのも当然だろう。
もっとも投降組が降伏せざるを得ない状況を作ったのは、呉への警戒を解いて、彼らの抵抗の手段を奪った関羽自身だけどね。
29 :埋めさん ◆h/o90tD5Zk 2010/09/23(木) 13:51:12
これが曹操や呂布だったら「虐殺してるから」「裏切るから」カッコいい、とは言わないだろう、彼は
尤もらしくいってるが、ただの強引で盲目的な擁護さ
30 :無名武将@お腹せっぷく2010/09/23(木) 14:06:55
五関突破でも職務に忠実なだけの善良な武術を大した意味もなく殺してるよなw
32 :無名武将@お腹せっぷく2010/09/23(木) 14:32:29
>>30
武術→武将

携帯だとバレたじゃねえか!
33 :無名武将@お腹せっぷく2010/09/23(木) 15:26:37
>>30
意味「俺の邪魔だから」
36 :無名武将@お腹せっぷく2010/09/23(木) 17:16:41
気持ち悪いって言われてんでしょ じゃなくて
気持ち悪いって言ってんでしょ  の間違いだろ?

見え見えの多数派工作は醜い。
もっと自分自身の言に自信を持つがよい。
38 :無名武将@お腹せっぷく2010/09/23(木) 17:41:46
>>36
客観的に証明出来もしないのにそういう認定をするのは荒れる原因だよ
お前がエスパーかなんかなら別だが
37 :無名武将@お腹せっぷく2010/09/23(木) 17:39:36
五関の将を次々斬り殺していったのは講談ネタじゃね?
諸葛亮の手紙を客人に見せびらかしたという逸話からして、元々ジャイアン的な人物だったのは想像がつくが、
糜芳に「帰ったら劉備に報告して厳罰するからな」と告げたのは決定的だったな
糜芳の起したボヤ騒ぎが事実だとしても、二つの戦線が逼迫している緊張状態で無暗に内部割れの原因を作るべきじゃないし、
そもそも徐晃に負けて直接的な敗因を作った関羽自身の言えるような言葉では無い
呉への対応に目を配りながら魏を攻める関羽に物資の救援を行っていた後方拠点に「兵を送らないなんて全力で支援していない」というくらいだから、都督の器では無かったんだろう
40 :無名武将@お腹せっぷく2010/09/23(木) 18:01:51
このAA自体が基地外→( <●> ┏┓ <●> )
42 :無名武将@お腹せっぷく2010/09/23(木) 18:43:29
まあ、スレタイそのものがどこぞで負けたための憂さ晴らしとして
立てたっぽいよな。
44 :無名武将@お腹せっぷく2010/09/23(木) 19:23:56
他スレ貼りとか憂さ晴らしがどうとか見苦しいヲチレスはいいからスレタイに則って語れ
お前らこそ他スレの恨みかなんか知らんが、余所に持ってくるなよ
48 :無名武将@お腹せっぷく2010/09/23(木) 21:42:26
孫権のとこに娘を嫁にやるなんて話は断って当然
蜀は活動的で、守りに入っておらずこれからどんどん攻勢に出る方針だった
前線で要地の荊州を任されている人間が他国に人質を出して、国のために満足に働けるのか?
呉に人質を出すということは、関羽の首にナワが付けられるようなもんだよ
当時の呉の兵力は蜀より劣っていた
自国を不利にする外交を受け入れるような情勢でもない
三郡の事もある
あれは巴が魏に脅かされたからやむを得ず手放しただけなのだから、蜀は納得行かなかったろう
劉備の命令一つでいつ取り返しに掛かるかわからない
そんな状況で人質は出せないよ
一方、孫権の方もそんな状況だからこそ人質を取ろうとしたんだろ
50 :無名武将@お腹せっぷく2010/09/23(木) 22:22:26
諸葛亮に諸葛均
糜竺に糜芳

糜家の主は糜竺
糜芳は兄貴のおまけだろ
52 :無名武将@お腹せっぷく2010/09/23(木) 23:07:53
>そもそも糜芳が投降したのは関羽が原因(感情云々以前に呉軍に完全に包囲されて降伏するしかない状況だった)
>でそれを考えると現在の評価はあまりにも不憫だね
糜芳がどの位兵をもっていたか知らないが留守を預かった江陵城は堅固
粘れば関羽帰還まで何とかなったかもしれない
そうすればその功で関羽の覚えもめでたくなったろう
糜芳の寝返りに同情の余地はないと思うよ
53 :無名武将@お腹せっぷく2010/09/23(木) 23:24:04
>>52
兵はおろか士仁まで降伏した状況で、どうねばれと言うんだ?
仮に粘ったとして、徐晃にボロ負けした関羽の軍が戻って来た所で何が出来る?
まして“関羽”だぞ? 救援寄こしてくれる信頼性なんて両者の間にはゼロだ。
そして糜芳の信頼を一方的に裏切っているのは蜀書や呉書に現れる限りは関羽の方だよ
そんな見込みの薄い賭けで残った将兵を心中させる事は出来ないだろう。
55 :無名武将@お腹せっぷく2010/09/23(木) 23:40:34
>関羽の北上は本国からの指示

ん?
そんな記述は特に無かったと思うんだが……どこ出典?
>>51
>>53
それらはあまりにも関羽中心に物事を考え過ぎだと思う。
当時はかなり四方に戦線が拡大していて、それぞれの都合や事情があった。
というか、それらはすべて関羽が戦線を北上させ過ぎた事が原因であって、他に責任を求めるのは見当違いだよ。
56 :無名武将@お腹せっぷく2010/09/23(木) 23:41:24
間違った、>>53じゃなくて>>52
65 :無名武将@お腹せっぷく2010/09/24(金) 20:23:51
>>53
>兵はおろか
どの兵が降伏したって?

>士仁まで降伏した状況で、どうねばれと言うんだ?
仲間が降伏したからといって、どうして武士(もののふ)が自分も降伏するんだい?

>仮に粘ったとして、徐晃にボロ負けした関羽の軍が戻って来た所で何が出来る?
関羽が敗れて降伏したのではなく、糜芳士仁が降って関羽が敗れたんだろう
糜芳の弁護にはならない

それに、関羽が徐晃にボロ負けしたというのも偏った見方だな
そういう場合は「大いに破った」と書かれるが、ただ「破った」となっている
そこに「或る者は自ら沔水に身を投げて(その結果)死んだ。」と付け加えられているだけ
そうした方が戦勝の功を飾れるからつけたんだろう
冷静に視れば川に逃げようとして死んだ奴がいたというだけの話
川で死んだ人数が多ければ「或る者」とは言わんだろうし、「甚だ多かった」と書かれるだろう
曹操の賞賛の言葉に「斬首・虜が多かった」とあるが、たとえ数百人でもそう言える
むしろ曹操の言葉以外に実数はおろかその事が書かれていないということはさほど多くもなかったという

ことだろう 
おそらく千は超えない

>まして“関羽”だぞ? 救援寄こしてくれる信頼性なんて両者の間にはゼロだ。
義の人、関羽だぞ?城に籠もって頑張る健気な部下を見捨てる可能性の方が圧倒的に低い
まして本拠の江陵を捨て置くわけがないだろう

>そして糜芳の信頼を一方的に裏切っているのは蜀書や呉書に現れる限りは関羽の方だよ
一体どこが??
どこにそんなことを思わせる記述があった?
57 :無名武将@お腹せっぷく2010/09/23(木) 23:55:11
つーか関羽が孟達達に援軍を要請したのは麦城に籠った後の事で、
その段階になって救援を寄こしたとしても勝算なんて無いんだから、兵の無駄
関羽の敗残が上庸に敗走してくるなら受け入れたかもしれないが、「これから戦うから援軍よこせ」と言われても、そりゃ無理ってものだろ

ただ、荊州の奪回は無理でも関羽の命を救う事は出来たかも知れない
それすらやらなかったって事は、要するに関羽の友軍からの信用がその程度でしか無かったという事。それくらい同僚からは評判悪かったって話なのかもしれん
67 :無名武将@お腹せっぷく2010/09/24(金) 20:36:47
>>55
>どこ出典?
正確に覚えてなくて悪いけど、蜀志か亮集

>関羽が戦線を北上させ過ぎた事が原因であって
一時そう思ってたけど、地図見る限りそんなに深入りしていない


>>57
>つーか関羽が孟達達に援軍を要請したのは麦城に籠った後の事
襄樊の包囲の時点で要請している
59 :無名武将@お腹せっぷく2010/09/24(金) 01:25:05
蜀書なんて関羽ですら原稿用紙二枚分しか分量ないのに、それ基準に言われても……
曹操に相に任命されたりした事実はどう判断するの?
60 :無名武将@お腹せっぷく2010/09/24(金) 01:31:46
伝が立つってのは一流の証明なんじゃねえか?
誰でも伝が立ってるわけでもないし。
61 :無名武将@お腹せっぷく2010/09/24(金) 01:45:07
論点がずれてる
糜芳がどういう存在であれ関羽がやった事が正当化されるわけじゃないし、
糜芳が重要拠点の後方を任された、徐州時代以来の宿将である事に変わりは無い
逆にこういうポストに就いていた経歴が明らかなのに「評価されていない」とする方が腑に落ちない
呉に下ってからも賀斉とともに反乱討伐に任ぜられて活躍していることから、孫権からも一定の評価を受けた人物である事がわかる
64 :無名武将@お腹せっぷく2010/09/24(金) 19:21:29
>>61
そら、蜀書からハンパないほどに叩かれてるもの糜芳は。

糜竺伝においては

糜芳は南群の太守として、関羽とともに事に当たっていたが
個人的感情から仲違いし、反逆して孫権を迎え入れた。
関羽はそのために敗北したのである。

と陳寿もまた糜芳の不義を避難し
更に季漢輔臣賛では

古の逃亡の臣は、おいつめられた末であった。
ところが彼らは司令官関羽に対して怨みを抱き、天子の大きな徳を顧みず
国を救う功もなく、裏切って逃亡をとげ、人から見離される結果を招き、
二国(魏・呉)の笑い者となった。
                 
とまで言われる始末。
正史より評価を受けていないのだから、評価せずに語るのが当たり前。
逆に何を持って「評価されていた」のか疑問なのだが?
183 :無名武将@お腹せっぷく2010/10/23(土) 01:12:43
>>181
つ>>64
62 :無名武将@お腹せっぷく2010/09/24(金) 02:08:56
つか劉備の外戚ってだけでパンピーとは一線を画すだろ、立場的に
63 :無名武将@お腹せっぷく2010/09/24(金) 12:57:58
>>当時の呉の兵力は蜀より劣っていた

ええっ!?
68 :無名武将@お腹せっぷく2010/09/25(土) 01:32:15
>義の人、関羽だぞ?城に籠もって頑張る健気な部下を見捨てる可能性の方が圧倒的に低い

そりゃ現代の関羽のイメージだろ。
関羽は後方にも孟達達にも見捨てられるような人物。
糜芳らへの「帰還したら処罰させる」とかいう発言から見て、友軍の信頼を一方的に裏切っていたのは関羽の方
基本的に本人の伝の中では当人の悪口を書かないスタンスの蜀書の中でも
「関羽は自らの性情で身を滅ぼしたので、全く自業自得」と斬られている。周りの人間は関羽をそう見ていたという事

>その責任は上庸太守にある
太守の申耽が寝返らなければ大事には至らない
申耽は趨勢で変節する奴だ 
だから逆に蜀有利の状況で魏に寝返ることは考えれない

そういう楽観的な観測で軍を動かしてたから関羽は負けたんだろうね
当初の任務を完遂する為に安全性の高い選択をするのは政治及び戦事の基本
77 :無名武将@お腹せっぷく2010/09/25(土) 21:34:05
>>75の人
いくつか思い込みがあるように見える
資料で一緒に再確認していこう


>>68
>そりゃ現代の関羽のイメージだろ。
当時からのイメージじゃないか?

>「関羽は自らの性情で身を滅ぼしたので、全く自業自得」と斬られている。
どこにそんなことが書かれてる?
陳寿評なら
「関羽は一万人を相手に出来る男と賞讃され、この時代の虎臣であった。 関羽は曹公に手柄で報いるなど、
国土の風格があった。しかし関羽は剛直で自らを誇り、その短所のために災いを招いた、
これは理屈・実例的に言ってよくあることである。」だけど? (張飛カット)

關羽、張飛皆稱萬人之敵,為世虎臣。羽報效曹公,飛義釋嚴顏,並有國士之風。然羽剛而自矜,飛暴而無恩,以短取敗,理數之常也。


>呂蒙伝に関羽が糜芳に傲慢な振る舞いをして不信を抱かせた事が書かれている。
「『呉録』に言う。かつて南郡城内で失火して数多くの兵器を焼き、関羽がそのことで麋芳を責めたことがあり、
麋芳は内心、恐怖を感じていた。」

吳錄曰:初,南郡城中失火,頗焚燒軍器.羽以責芳,芳內畏懼

これの事かい?
これが「関羽が糜芳に傲慢な振る舞いをして不信を抱かせた」というような話かな?


>糜芳はなあ あまり注目されないが劉備と縁組関係劉備と縁組関係
確かにそのような事実が【過去】にはあった
しかし糜夫人はいつの間にか消えている
甘皇后伝によると劉備は何度も夫人を喪したそうだから死んだのだろう
長坂のとき既に甘氏が夫人だったのだから糜夫人はもう居なかった
姻戚としての縁はとっくに切れている
仮に誼がいくらか残っていたとしても縁組関係にあるとは言えないと思うが
81 :無名武将@お腹せっぷく2010/09/25(土) 23:10:13
>>77
お前、訳しかた恣意的すぎるだろ
例えば「理數之常也」は「世の中の理とは常にこういったものだ」という意味合いが含まれていて、
「失敗を招いたのは道理から言って当然」という訳が正しい
「然羽剛而自矜,飛暴而無恩,」は関羽と張飛の性格の話、「以短取敗」は「そのためたちまちに失敗を犯したのは」という意味
普通に訳せば
「関羽は強情で自尊心が強く、張飛は粗暴で恩愛を施さず、そのためたちまちに失敗を招いたのは道理から言って当然だ」となる
なんだよ、「これは理屈・実例的に言ってよくあることである。」って。
ようするに「こーゆー性格の人間が失敗すんのは当然だぜ」って事で、身を滅ぼしたのは自分の気性が原因だって言われてんだろ

しかしこの人、呉書を出せるのに蜀書の関羽伝を出さないのはわざとかね?
・又南郡太守麋芳在江陵,將軍傅士仁屯公安,素皆嫌羽自輕己.自羽之出軍,芳﹑仁供給軍資,不悉相救.羽言「還當治之」,芳﹑仁咸懷懼不安
「南郡太守麋芳が江陵にあり、将軍傅士仁が公安に屯していたが、日頃両人は関羽が自らを軽んずるので嫌悪していた。
関羽が軍を出してからは、麋芳・士仁は軍需物資の供給にあたったものの、救援に全力を尽くさなかった。関羽が「帰ったらあいつらを処罰してやる」と言ったので、麋芳・士仁はみな恐れを抱いて不安になった」
上でさんざん、関羽伝の「自羽之出軍,芳﹑仁供給軍資,不悉相救」の部分を挙げて麋芳を責めておきながら、
「素皆嫌羽自輕己」という関羽が二人を軽んじていた事を示す部分や、羽言「還當治之」の「あいつらブッ殺す」発言をスルーしてんのは卑怯だろ

そんなふうに印象操作ばかりやって解釈を捻じ曲げてたら議論もなんもねーべ
どうせ漢文なんてわからねえと思ってやってるんだろうが
86 :無名武将@お腹せっぷく2010/09/26(日) 00:37:00
>>81

>「理數之常也」
ニュアンスは置いとけ 目が狂う
「理數之常也」は日本語に直せば、「これは理屈・実例的に言ってよくあることである。」だ

>「以短取敗」
>「そのためたちまちに失敗を犯したのは」
「たちまち」はどっから来たんだよ?「短」か?
関羽・張飛がいつ「たちまち」の内に失敗したんだよ?
「たちまちに失敗を犯した」というのは事実に即していない

「敗」は「災い」
この箇所は「短以て災いを取る」だ


訳は「しかし関羽は剛直で自らを誇り、その短所のために災いを招いた、
これは理屈・実例的に言ってよくあることである。」となる
訳はこれで間違いない
この日本語文でも「理屈・実例的に言ってよくあること」というのは脳内で「道理」に変換される
やっていいのはそこまでだ

もし「しかし関羽は剛直で自らを誇り、その短所のために災いを招いた、これは道理である。」
と文章の上で約せば、読者の脳内で更に"非難"に変換される
「道理から言って当然だ」とまでね

読者も日本語が分かるのだから、訳者は直接的な表現に直す必要はないのだ
それやっちゃうと過剰表現になって発言者の意思を超える
69 :無名武将@お腹せっぷく2010/09/25(土) 01:43:59
全力で仕事をしなかった糜芳らが叱責を受けるのは当然のことだろう。
個人的な好き嫌いで仕事を真面目にやらない人物ってのはただの無能。
それを逆恨みして呉に身を寄せた不義あればこそ糜芳らの裏切り者は
蜀書からも多いに攻められる羽目になった。
71 :無名武将@お腹せっぷく2010/09/25(土) 02:03:42
>>69
>個人的な好き嫌いで仕事を真面目にやらない
ちゃんと行いを見て評価してやれよ。
対呉戦線に気を配りつつ、北戦線の関羽に物資援助をする、これのどこが職務怠慢だ?
攻城戦で補給線を確保する事は極めて重要だし、襄陽包囲の様な長期戦が予想される場合ならなおさら。
72 :無名武将@お腹せっぷく2010/09/25(土) 02:17:09
>>69
「劉備に讒言してお前を殺して貰うから覚悟しとけ」とか言う人間を信頼しろという方が無理な話
糜芳は劉備の臣であって関羽の奴隷じゃない。士仁の立場はよくわからないが
仮にも主君と縁組関係のある、二十年来の仲間に言う台詞じゃないぜ

江表伝には荊州の劉備軍は下っ端の役人まで殆どが降伏し、一人出仕を拒んでいた潘濬も最終的に降る。
陽儀伝には潘濬も関羽にうとまれ、不仲だったとある。これにも見える様に、関羽は周りからの信頼を欠いていた
糜芳だけなら責任を糜芳に求める余地もあるかも知れんが、潘濬とも不仲で士仁も真っ先に降伏した事を考えると、関羽の方に問題があったと捉えた方が普通だろう
74 :無名武将@お腹せっぷく2010/09/25(土) 11:17:18
>>71
>>72
公平に評価する気あるのか、お前。
まず、正史において評価を受けていない人物を評価されてると
勝手な個人的感覚を押し付ける癖を直せ。

評価を受けているのなら、その記述を抜粋し、それを元に何故
糜芳が評価されているのかをしっかり弁護しろ。
糜芳は関羽伝において

南群太守の糜芳が江陵に、将軍の傅士仁が公安に駐屯していたが
どちらもかねてから関羽が自分を軽んじてると嫌っていた。
関羽が出陣すると、糜芳、傅士仁は軍事を供給するだけで
全力で援助する事はなかった

とある、彼らの職務怠慢は正史の記述からも伺えるんだよ。
その後に関羽の「帰還したら、こいつらを始末しなければならない」とある。

荊州戦線はその後の蜀の明暗すら分ける重大な局面であるにも
関わらず、何故糜芳、傅士仁らは私怨を捨てて全力で関羽を援助しなかったのか?
関羽は劉備より直々に荊州の軍事総督に任命された立場だぞ。
何故、同僚気取りなどという安穏とした考えていられたのか?
関羽の立場をナメまくっていたのは糜芳、傅士仁らだろう。
太守などという輝かしい経歴を誇るならなお更だ、ガキの喧嘩じゃないんだぞ。

それに糜芳、傅士仁、カク普、潘濬の四人は
上記の
古の逃亡の臣は、おいつめられた末であった。
ところが彼らは司令官関羽に対して怨みを抱き、天子の大きな徳を顧みず
国を救う功もなく、裏切って逃亡をとげ、人から見離される結果を招き、
二国(魏・呉)の笑い者となった。

と全員セットで季漢輔臣賛よりボロクソに言われるハメになっている。
潘濬は呉において太常にまでなり、侯となったが結局、仲が悪い人物が居るという
コロリと相手側に寝返る悪癖がある。

関羽が忠義に囲まれた人傑に恵まれてなかったのは事実だ。
79 :無名武将@お腹せっぷく2010/09/25(土) 21:43:26
>>72
>糜芳は劉備の臣であって関羽の奴隷じゃない。
糜芳は劉備の臣であって関羽の部下

会社員は会社に雇われている
上司に雇われているわけではない
しかし上司の命令に従わねばならない
命令に背けば解雇もあり得る
だろ?
「社長の前妻の兄だから」
「付き合いが長いから」
それが何だと言うんだ?


>糜芳だけなら責任を糜芳に求める余地もあるかも知れんが、潘濬とも不仲で士仁も真っ先に降伏した事を考えると、
>関羽の方に問題があったと捉えた方が普通だろう
不仲だのなんだのそれがどうした?って話だろ
「そんなんで降伏するとかあり得ねえ」という非難なんだよ
70 :無名武将@お腹せっぷく2010/09/25(土) 01:59:28
>一体どこが??
 どこにそんなことを思わせる記述があった?
呂蒙伝に関羽が糜芳に傲慢な振る舞いをして不信を抱かせた事が書かれている。出典は確か呉録。
>どの兵が降伏したって?
公安及び周辺の民と兵力の大部分だな。これは呉書にある。江陵もか
呂蒙は城を素早く接収し、軍は殆ど抵抗を受けなかったというね。ここらへんは虞翻伝にもあるが

>逆に何を持って「評価されていた」のか疑問なのだが?
だから経歴だと何度も言うとる
そもそも蜀書で呉に降伏した人物を高く評価するわけがね―だろう

>関羽が敗れて〜超えない
問題はそこじゃねえ
襄陽を攻めて軍としての機能が低下している状態で、北は魏軍、南は呉軍に挟み撃ちされた格好
関羽が帰還するにはその状況から徐晃・曹仁を破り、さらに無傷の呂蒙らと連戦してこれを撃破しなければならない
そんな疲弊した軍団で勝てるのなら関羽は麦城から単独で包囲を突破出来た。
そもそも、史実では守備兵まで動員してなお徐晃に負けているのに、そんな快進撃を期待するのは現実的では無い。その関羽に大甘な擁護を認めたとしても、魏の戦線を崩せてない事に変わりは無いのだから
魏軍を無視して無理矢理帰還を強行するのは当然だが不可能。追撃受けて撃破されるだろう。

>仲間が降伏したからといって、どうして武士(もののふ)が自分も降伏するんだい?
部下を預かる人間には、勝算の皆無な戦を避けて無駄な人死に出さないという判断も当然求められる
関羽だって曹操に降伏したよ
80 :無名武将@お腹せっぷく2010/09/25(土) 22:39:59
>>70
>襄陽を攻めて軍としての機能が低下している状態で、北は魏軍、南は呉軍に挟み撃ちされた格好
>関羽が帰還するにはその状況から徐晃・曹仁を破り、さらに無傷の呂蒙らと連戦してこれを撃破しなければならない
>そんな疲弊した軍団で勝てるのなら関羽は麦城から単独で包囲を突破出来た。
>そもそも史実では守備兵まで動員してなお徐晃に負けているのに、そんな快進撃を期待するのは現実的では無い。
徐晃に負けた戦は、関羽が兵を分散させていて魏救援軍に対し二陣を築いて防ごうとしたが、
一方の陣を攻めると見せられたのでそちらを厚くしたところ逆を突かれた
関羽は5千の兵で攻められている陣を救いに向かったが不利になって退却した
そのまま付いてこられ陣を落とされた
この戦いで関羽は局所的に数的不利な立場にあった だから負けた
襄陽攻略を諦め軍を集結したならば先の局地戦とは条件が異なる
徐晃に負けた件は参考にならない
関羽が麦城から単独で包囲を突破出来なかったのは、第一に江陵が落ちていて帰るところがなかったからだ
帰るためには城攻めをして破る必要があるがそれは無理だろう
江陵が落ちていなかったならば労せず城に入れる
全く違う
73 :無名武将@お腹せっぷく2010/09/25(土) 02:32:37
>>任務は「上庸の攻略」だろ
>>任務は攻略だから攻略を以て終了した
これはただの詭弁だろう。それで任務終了なら孟達と劉封は蜀に引き揚げてる
それにその言い方をするなら、「関羽の救援」は任務の外の要求であって、責任問題の混乱を防ぐために劉備の裁可を仰がない限り動けなかったという論が成り立つ
お前自身の立場や事情は無視してとにかく俺を優先しろというならそりゃ関羽の横暴
75 :無名武将@お腹せっぷく2010/09/25(土) 16:16:26
>評価を受けているのなら、その記述を抜粋し、それを元に何故
 糜芳が評価されているのかをしっかり弁護しろ。
曹操が劉備軍を引き入れた際に、彭城の相に任命された事、
劉備から重要拠点であり対呉の最前線である南郡を任された事実、
孫権から賀斉の護軍として晋宗討伐を任ぜられた事、だって
何度も言ってるんだが、何か言われりゃわかんの? 糜竺伝、呉主伝、虞翻伝などに記述が散逸している

>糜芳は関羽伝において
蜀書は伝で当人の悪口はなるべくかかないスタンスである(つか三国志の正史は基本的にそう)とは既に言われてなかったか?
実際に補給線を維持すると言う重要な任務をしっかりこなしていた形跡がある、対呉の警戒の傍らでね
関羽が守備兵まで北戦線に動員したから、手薄になった南郡の防備はより困難だっただろう
これらの状況を鑑みずに「個人的感情から協力しなかった」と結論ありきで議論を進めるほうが、よほど公正さを欠いている
まさか糜芳らは軍を率いて北上すべきだった、なんて言うわけじゃあるまい? ただでさえ手薄なのにそんなことしたら一発で呉に占領される。史実ですら殆ど抵抗する間もなかったのだから

>関羽が忠義に囲まれた人傑に恵まれてなかったのは事実だ。
関羽擁護の為に悉くの責任を他者に転嫁するスタンスの方が、よほど「勝手な個人的感覚」であり、「公平に評価する気」というものを疑うがね
関羽が友軍と不和だった事、関羽自身が傲慢で周囲への配慮を疎かにする人格だったこと、すべて正史の記述に依ったものだが
誰か一人と不和だったと言うならともかく、複数多方に同様の記述があり、関羽の人間性に言及する記述もあるのだから、関羽を疑う方が思考としては自然だろう
89 :無名武将@お腹せっぷく2010/09/26(日) 00:50:20
>>75
>関羽が忠義に囲まれた人傑に恵まれてなかったのは事実だ。
関羽擁護の為に悉くの責任を他者に転嫁するスタンスの方が、よほど「勝手な個人的感覚」であり、「公平に評価する気」というものを疑うがね
関羽が友軍と不和だった事、関羽自身が傲慢で周囲への配慮を疎かにする人格だったこと、すべて正史の記述に依ったものだが
誰か一人と不和だったと言うならともかく、複数多方に同様の記述があり、関羽の人間性に言及する記述もあるのだから、関羽を疑う方が思考としては自然だろう

関羽は荊州の軍事総督。
いわば、すべての戦に関する権限を劉備より任されてる存在。
友軍は不和であっても、関羽の命令は劉備の命令と思い従わなければならない義務がある。
軍隊とはそういった規律があるからこそ成立っている。
何故、総督と一介の将が同じような立場なのか?
「仲が悪いから、全力で支援しない」なんて態度は軍人として失格。
その上、劉備にも多大な迷惑を蒙る事も考えずに
己が見可愛さに呉へとのこのこ投降。不義以外のなんと言えるのか?
76 :無名武将@お腹せっぷく2010/09/25(土) 16:32:26
>>関羽は劉備より直々に荊州の軍事総督に任命された立場だぞ。
軍事総督という「輝かしい立場を誇る」なら、曹操や光武帝のように味方の内応を密書を焚して不問にするくらいの度量は欲しい所。
軍権を握っているという事は、糜芳や士仁の生殺与奪権を握っているという事ではないし。
そもそも「援軍をよこせ」という関羽の判断の方が間違っているんじゃないか。守備兵を北上させたら案の定落とされたんだし。
本拠の防備を放棄してまで兵を動員しないと勝ち目が無いのなら、孫権との外交関係を強固にしてからか、後方を安堵させてから出撃するべきだった
劉備の判断か関羽の判断か、どっちのミスかは断定しかねるにせよ、それに関しての責任は軍権を掌握している関羽にも当然ある。
78 :無名武将@お腹せっぷく2010/09/25(土) 21:36:14
>>任務は「上庸の攻略」だろ
>>任務は攻略だから攻略を以て終了した
>これはただの詭弁だろう。
任務は「上庸の攻略」だろ?間違いないよな?
劉備によって太守も任命された
郡を保つのは太守の職責だよ

軍の職務は郡の支配じゃない
「武」だよ 国のために武を用いることだ
太守を輔けて郡を安定させることも仕事に入るが、近隣の救援に向かうことも職務
判断が重要となるだろう

>それで任務終了なら孟達と劉封は蜀に引き揚げてる
前線でなければそうかもね
駐留軍を置けば色んなケースに対応できる
例えば近隣の援軍などもね

何郡も貫くような大遠征を考えてみるといい
一つの郡を落とす度に大兵力を留めなければならないのならば先へ進めないじゃないか



>公安及び周辺の民と兵力の大部分だな。これは呉書にある。江陵もか
>呂蒙は城を素早く接収し、軍は殆ど抵抗を受けなかったというね。ここらへんは虞翻伝にもあるが
江陵の籠城の件だよ
江陵の兵はどうだったんだ?
82 :無名武将@お腹せっぷく2010/09/25(土) 23:14:44
いや、蜀書六はちゃんと出せてるのか。
つーことは、自分の意見に都合の悪い所は省いて、故意に回りくどい訳し方して批判をかわそうとしてたって事なんだろうな、やっぱ
83 :無名武将@お腹せっぷく2010/09/25(土) 23:27:13
>襄陽攻略を諦め軍を集結したならば先の局地戦とは条件が異なる
それが出来なかったから関羽負けたんじゃね? 関羽の判断ミス
まあ曹仁が出撃してきたら挟撃されるからだろうが
どの道、徐晃と再戦してる間に南郡は落ちるぞ
関羽が守備兵まで動員したおかげで抵抗できるような兵力ないからな
>江陵が落ちていなかったならば労せず城に入れる
呉軍がいるのに? 労せず入れる?

糜芳が公安が落ちた事を知ってすぐに降伏したという事は、関羽の救援を全く当てにしていなかった事を意味する
そして事実、状況的に関羽は救援を送る事は不可能。敗走してはくるだろうが
>それが何だと言うんだ?
>命令に背けば解雇もあり得る
当時は先進的な資本主義社会ではなく儒教の気風強い封建的な時代ですが
それに関羽に解雇の権限なんかねーべ
88 :無名武将@お腹せっぷく2010/09/26(日) 00:49:19
>>83
>どの道、徐晃と再戦してる間に南郡は落ちるぞ
この時点では呉が攻め入った情報は入っていただろうから
攻めてる場合じゃないよな

>関羽が守備兵まで動員したおかげで抵抗できるような兵力ないからな
境界で食い止められる兵力はなくとも籠城で持ち堪えるくらいの兵力は多分あっただろう

>呉軍がいるのに? 労せず入れる?
「相対的に」だよ 表現の問題

>関羽の救援を全く当てにしていなかった事を意味する
そこまでは意味しない
「糜芳が粘ろうとしなかった」までに留まる

>それに関羽に解雇の権限なんかねーべ
上見てくれ
84 :無名武将@お腹せっぷく2010/09/25(土) 23:40:01
>確かにそのような事実が【過去】にはあった
この辺も無理矢理、つーか詭弁だな
劉備が離縁したわけじゃあるまいし、劉備と糜兄弟の縁が切れたわけでもない
彼らはずっと劉備に仕えているんだから
>太守を輔けて郡を安定させることも仕事に入るが、近隣の救援に向かうことも職務
>判断が重要となるだろう
武力は支配力の要じゃね? 
だから孟達らは降伏したばかり本拠を安堵させるにはこれ以上軍を縮められないと判断したんだろ
お前が言ってるのは「他の人間は自分の仕事や目の前の状況を無視してでもとにかく関羽を盲目的に優先すべきだった、関羽の存在は絶対」って言ってるのと同じだぞ
総督である関羽の存在は重要だが、それぞれの戦線なり現場なりにはそれぞれの事情があり、それとの兼ね合いがある。そしてそれを把握しておくのは総督である関羽の役目。見通しの甘い関羽が悪い
85 :無名武将@お腹せっぷく2010/09/26(日) 00:14:24
>>駐留軍を置けば色んなケースに対応できる
例えば近隣の援軍などもね

よくわからんけど、孟達らが駐屯軍として上庸に入ったんじゃない?
91 :無名武将@お腹せっぷく2010/09/26(日) 00:59:13
>>84
詭弁じゃねーよ
>劉備が離縁したわけじゃあるまいし、劉備と糜兄弟の縁が切れたわけでもない
>彼らはずっと劉備に仕えているんだから
に縁組関係が維持されていたという理屈は通ってない


>武力は支配力の要じゃね?
>だから孟達らは降伏したばかり本拠を安堵させるにはこれ以上軍を縮められないと判断したんだろ
叛乱など太守の兵力でも足りるだろ


>お前が言ってるのは「他の人間は自分の仕事や目の前の状況を無視してでもとにかく関羽を盲目的に
>優先すべきだった、関羽の存在は絶対」って言ってるのと同じだぞ
>>51,>>64を読み返せ


>>85
そうだよ?
101 :無名武将@お腹せっぷく2010/09/26(日) 12:54:09
>>88
魏軍が前に居るのに転身して帰還しようものなら、追撃されて終了
「攻めてる場合じゃない」から退くにしろ、帰還するには魏の戦線を崩す必要があるわけで
その間に南郡は陥落する。第一に関羽が魏軍に勝てるかも微妙

それに関羽が再三援軍を要請するほど兵力に不安があるのに、「籠城で持ちこたえられるだけの兵力はある」とする根拠がわからない
>>91の「叛乱など太守の兵力でも足りるだろ」という個所もそうだが、これも根拠が無い、どの規模の反乱が想定されていたかによる
その上で関羽の救援を出すだけの兵を捻出するのは危険度が高いと判断したんだろ
120 :無名武将@お腹せっぷく2010/09/26(日) 20:36:46
>>101
>魏軍が前に居るのに転身して帰還しようものなら、追撃されて終了
関羽と徐晃がどこで戦ったか知ってるのかな?
麦城の位置は?
どうやって移動したと思ってんだよ
なーんか演義臭いんだよな…、言ってることが

関羽は多分当陽付近で江陵が落ちたことを知ったんだろう
糜芳が粘ってたらおそらく間に合った筈だ


>それに関羽が再三援軍を要請するほど兵力に不安があるのに、
>「籠城で持ちこたえられるだけの兵力はある」とする根拠がわからない
「関羽が再三援軍を要請するほど兵力に不安がある」とは何処の兵力?
出征軍だろ?
言われるままに沢山兵を出しましたってんなら、
まだ、江陵の兵が籠城できないほど少なかったとなることもあるかもしれんが
出さなかったのに「籠城で持ちこたえられるだけの兵力もない」とはならんだろ


>これも根拠が無い、どの規模の反乱が想定されていたかによる
>その上で関羽の救援を出すだけの兵を捻出するのは危険度が高いと判断したんだろ
それこそ根拠が無い
太守が妻子宗族を人質に出してるのに、一瞬で郡が翻るほどの大事が起きる可能性が高いと判断する材料があった 
と考える材料はあるのかい?
125 :無名武将@お腹せっぷく2010/09/27(月) 07:38:02
>>122
どうだろ
妄想やら妄執やら厨やらいちいち煽る人間の方がよほど人品が悪いと思うが
>>92とかも
それよりも>>103のように途中で話を逸らしたり、
食料や兵力の問題も明らかに曲解して都合よく解釈してるのは関羽擁護の方
食料問題が無かったならわざわざ食料を略奪したことや飢民が出た事は特筆されないだろうし、
兵が足りてるなら援軍を要請する必要は無い
事実として書かれてある事を自分の論に擦り合わせて真逆の方向に解釈している方がよほど妄想だよ

>なぜ関羽だけで片づけようとするんだ?本国が動くだろう
・「どうやって移動したと思ってんだよ
なーんか演義臭いんだよな…、言ってることが」

まさに>>120の発言そのまま
蜀と荊州の距離関係で間に合う筈がないだろ
というか、出せるなら関羽北上の時点で既に出してるだろう
劉備の関中進駐軍も支援しなければならなかっただろうから、そんな余裕は無かっただろうけど

関羽擁護の余り論理性がまるで無くなってる
129 :無名武将@お腹せっぷく2010/09/27(月) 18:58:56
>>125
正史の記述からの考察になっていないんだから
己の妄想によるものと言われても仕方ないだろう。
記述そのものを勝手に捻じ曲げて、自分の納得しやすいような解釈にしてしまうのは
歴史に対して真摯な態度で向き合ってるとは言えない。
妄想呼ばわりされて腹を立てたのなら、ちゃんと正史の記述をベースに話を構築するように。
糜芳に個人の伝がなく、弁護的な記述もないのなら歴史において糜芳とは
卑劣な裏切り者という事だ。
それに異議を唱えて勝手気ままな弁護をしてしまう行為は正史の記述によらない
単なる個人の思い込みに過ぎない。
87 :無名武将@お腹せっぷく2010/09/26(日) 00:38:22
>羽言「還當治之」
「還ったらこれを正さん。」だろ
「還ったらこれを正さん。」は法に基づいてというニュアンスがあるが
「あいつらブッ殺す」という意訳は恣意的なニュアンスだ
法に基づいてというニュアンスが意訳の段階でキレイさっぱり消えている


いい加減な訳は考察には向かないぞ


>関羽が二人を軽んじていた事を示す部分
だからそんな事は関係ないって
90 :無名武将@お腹せっぷく2010/09/26(日) 00:55:58
このスレ自体が当時の荊州のような騒乱状態だなwwwww
92 :無名武将@お腹せっぷく2010/09/26(日) 01:02:32
>>90
己の虚妄に取り付かれたビホーマニアが著しい正史の曲解を持って
ファビョってるだけだよw
95 :無名武将@お腹せっぷく2010/09/26(日) 01:13:09
正史では優れた部分が何一つなかったビホー
これを巧は如何にして改悪しビホーを正当化させるのか?
結果はCMの後で。
97 :無名武将@お腹せっぷく2010/09/26(日) 01:20:11
>>95
巧イウナww
96 :無名武将@お腹せっぷく2010/09/26(日) 01:15:20
運営はこのスレの動乱に衝撃を受け、別サーバーへの三戦板の遷都を検討するまでに動揺した。
98 :無名武将@お腹せっぷく2010/09/26(日) 11:45:26
糜芳は関羽を裏切る事によって勝ち組になった
105 :無名武将@お腹せっぷく2010/09/26(日) 16:23:12
>>98
糜芳は呉に仕えるようになってから、虞翻と船ですれ違ったことがよくあった。
糜芳の部下が「将軍の船のお通りだ」と言うと、
虞翻は「(旧主・劉備に対して)忠信(節義)を守れない者が、何によって主君に仕えるというのか。
二城(南郡・公安)を任されながらそれを失った者が、将軍を名乗ってよいと思っておるのか?」と罵倒した。
糜芳は姿を見せず返答もしなかったが、急いで虞翻の船を避けさせた。

また、ある時に虞翻が糜芳の軍営の前を通りかかると、役人が軍営の門を閉ざしていたため、
通れないということがあった。
虞翻はまた腹を立てて「(城門を)閉めるべき時に開けて降伏をしたりしながら、
開けておくべき時に門を閉ざしたりしている。物事の正しいやり方をわかっておるのか?」と再び罵倒した。
糜芳はこれを恥じ入り、門を開けさせた。


後年、後将軍賀斉の部下として小物討伐に従軍した


これ勝ち組か?
106 :無名武将@お腹せっぷく2010/09/26(日) 16:39:36
>>105
上の段の原文は知らないけど虞翻が避けるだろうと思って無遠慮に突っ込んで、
罵倒されてから待避動作に入ったみたいな感じですね。
99 :無名武将@お腹せっぷく2010/09/26(日) 12:34:45
つーか挟み撃ちにされた時点で関羽が勝てる訳ねーだろ
糜芳及び南郡組の判断は妥当
つか「降伏しなきゃ関羽なら絶対勝てた」とか関羽を盲信する余りのただの妄想
仮に糜芳が総玉砕した所で焼け石に水だろ。食料すら不足しているような状態では籠城もままならない
104 :無名武将@お腹せっぷく2010/09/26(日) 14:39:25
一応訊いとくか

>>99
南郡の食糧が不足したいたとか資料にあったっけ?
107 :無名武将@お腹せっぷく2010/09/26(日) 17:08:31
>>106
えーと、コレかな
翻嘗乗船行,与麋芳相逢,芳船上人多欲令翻自避,先駆曰:「避将軍船!」翻?声曰:「失忠与信,何以事君?傾人二城,而称将軍,可乎?」
芳闔?不応而遽避之.後翻乗車行,又経芳営門,吏閉門,車不得過.翻復怒曰:「当閉反開,当開反閉,豈得事宜邪?」芳聞之,有慚色.
虞翻は于禁にも似た様な罵声を浴びせた
普通は降伏して来たものには一定の敬意を払うものなのだが……寛大であらなければ、却って受け入れた主君の度量を下げる事になる
というか、呉書では糜芳と士仁に降伏を促したのは虞翻だという事になっている
自分で降る様に説得しておきながら後にいびるとはドSというレベルじゃ無い
>>104
「羽盡禽禁等,人馬數萬,託以糧乏,擅取湘關米」
呂蒙伝だが、関羽は捕虜を取ったことで兵糧が欠乏し、湘関の兵糧を強奪している
また、入城後の描写で、「飢寒者賜衣糧」という一文がある事から、城内には食に窮している民が出ていた事も推察できる
108 :無名武将@お腹せっぷく2010/09/26(日) 17:14:13
>>107
降伏の際口をきいてくれた恩人に「避将軍船!」と言えば避けるだろうと思ってた方がタチ悪いと思うが。
降将だから一応優遇されてる内に思いあがってたとしか思えない。
109 :無名武将@お腹せっぷく2010/09/26(日) 17:14:35
>>104
どうでも良いけど、資料じゃなくて史料だろ
意味が変わってくるから日本語は正しく使った方が良い
110 :無名武将@お腹せっぷく2010/09/26(日) 17:17:59
>>108
叫んだのは糜芳の衛兵な
糜芳は姿を見せず反論もしなかったが、黙って船を避けさせた、とある
115 :無名武将@お腹せっぷく2010/09/26(日) 19:04:19
>>107
食糧に困ったのは急激に人が増えた遠征軍

>「飢寒者賜衣糧」という一文がある事から、城内には食に窮している民が出ていた事も推察できる
どこにでも病人や貧しい者は居る
これは見かねたから出た行動ではなく、関羽軍の戦意を奪うために親切な善人を演じたに過ぎない

ここからは江陵の食糧が不足していたとは推測できないな
118 :無名武将@お腹せっぷく2010/09/26(日) 19:11:40
>>109
ほんとどうでもいいな
史料も資料だよ
史料でない資料を史料と言ったらいかんけどね
119 :無名武将@お腹せっぷく2010/09/26(日) 20:35:38
>>99
>つーか挟み撃ちにされた時点で関羽が勝てる訳ねーだろ
なぜ関羽だけで片づけようとするんだ?本国が動くだろう

>仮に糜芳が総玉砕した所で焼け石に水だろ。
関羽が還るまでに江陵が落ちればね
「江陵は落ちるに決まっている」というのは妄想じゃないかな
127 :無名武将@お腹せっぷく2010/09/27(月) 09:06:02
>>113
基本的に紀伝体の歴史書はそういうものだよ
つーか糜芳に個人の伝はないんだが
于禁伝は魏書だが、曹操が嘆いた事とか「鬚髮皓白、形容憔悴、泣涕頓首」と于禁の憔悴ぶりが書かれてる
さすがに当人の伝中であるし、功績を捻じ曲げる様な事はしないだろうが、裴注の書きようなんかは酷いモンだ
張郃や徐晃は降伏してきた事を弁護されてるが、于禁は魏から他国に降伏したからだろうね
記述が詳細な魏書で、于禁クラスの大物ですらそうなんだから、記述が雑駁な蜀書で敵国に降伏した糜芳が良く書かれないのは当たり前だと思う
特に糜芳が批難されているのは関羽伝だしね
>>115
「魏将于禁為羽所獲、繋在城中、権至釈之」という記述から察するに、捕虜は恐らく江陵に収監されていたんじゃないかな
南郡を降伏させた時の記述だから
>>118
いや、資料と史料は全然意味が違ってくるんだけど
あなたが>>104で指しているものは、恐らく史料の事だろう。資料だと意味が通らない
間違いは間違いとして素直に認めればいい
133 :無名武将@お腹せっぷく2010/09/27(月) 21:23:01
>>127
>捕虜は恐らく江陵に収監されていたんじゃないかな
将校はそうかもね
しかし数万の兵を城中に繋ぐとは思えないな
どこかに収容所でも作るはずだ




>いや、資料と史料は全然意味が違ってくるんだけど 〜中略〜
>間違いは間違いとして素直に認めればいい
史料は資料の内包だよ
何をごちゃごちゃ言っとんじゃ

資料だと意味が通らない?
多分君の「資料」の概念が間違っているんだろう
人に反論する前にとりあえず辞書引こう
141 :無名武将@お腹せっぷく2010/09/30(木) 23:45:59
>中身のない長文シャドーボクシング
っていうのは、>>129みたいなのを言うんじゃなかろうか?
つーか記述に則ってる個所は解釈の問題だとしても、
>>133の

『>>127
>捕虜は恐らく江陵に収監されていたんじゃないかな
将校はそうかもね
しかし数万の兵を城中に繋ぐとは思えないな
どこかに収容所でも作るはずだ』

とか完全に妄想じゃね。何処にも「将校と別けて、捕虜専用に収容所を作った」なんて記述ないし、
既存の城に繋ぐよりも、新たに収容所を造設するほうがよほどコストかかるだろ。管理の上でも面倒だ。収容施設の運営の必要も出てくる
そんな無駄な事するとは思えないし、しかもコレ、上の「江陵には籠城出来るだけの食料があった、食糧不足になったのは前線」って主張から派生した論議でしょ
つーことは、「関羽は食料の余裕のある南郡に兵を送らず、何故か食料の乏しい自分の指揮する前線に降伏させたばかりの兵を置いた」って事で
予断を許さない前線で北上軍を率いながらわざわざ捕虜の管理まで自下で行い、しかもそのせいで兵糧不足を引き起こし、呉蜀の国境付近で略奪を行って火種を招いた、と、一連の行動にとんでもない無駄が生じるんだが
于禁が南郡に送られたなら、その軍も同様に連行されたと考えるのが普通
あと、

116 :無名武将@お腹せっぷく:2010/09/26(日) 19:08:17
むしろ長老に尋ねたんだから見て取れなかったんだろう
南郡の食糧不足はなかったと言っていいと思う

とかも根拠がわからない。城の長である人間に物資の状況を見聞して、それに際して支援したんだろ。長老が無いと言うんだから無いと解釈するのが普通
「長老に尋ねたから見て取れない」と解釈する根拠何?
>>115の、「どこにでも貧しい人間は居る」という主張はわかるが、
「南郡に食料問題は無かった」とする根拠は何処にもないだろ。
「飢えた人間がいるから略奪の事実と合わせて食料に問題があった」というのと、「飢えた人間なんてどこにでもいるから、飢民の要素だけで断定は出来ない」とするのは理解できるが
その議論の展開の中から、食料不足が無かったと断定できる要素は何処にもないじゃん。食料不足があったとする可能性こそあれ



146 :無名武将@お腹せっぷく2010/10/01(金) 20:33:46
>>141-142
城に数万・数千の捕虜を収容する専用設備があったと考えるより
野外に作ったと考えるのが百倍自然だ
というか城内にあるわけないだろ
収容所に何かあったとき大変なことになる
安全面から言っても数千数万の敵兵を城内に置くわけがない
「捕虜専用に収容所を作った」なんて歴史がいちいち言及せんだろな
それと、捕虜は江陵に送られたよ

捕虜の移送にも食糧は消費される
が、「食糧に困ったのは急激に人が増えた遠征軍」 という意見は引き下げよう
関羽が襲ったとされる湘関がどこかわからないから何とも言えない
この件は打ち切った方がいいだろう
「羽盡禽禁等,人馬數萬,託以糧乏,擅取湘關米」は除外の方向で


>その議論の展開の中から、食料不足が無かったと断定できる要素は何処にもないじゃん。
誤読してた
耆老に尋ねたのと貧民を労ったのは別だね
では改めて
  貧しい人間が居るからと言って食糧不足を導くことなんて出来ないよ
100 :無名武将@お腹せっぷく2010/09/26(日) 12:42:51
くわえて言うなら、関羽の無茶な戦略のせいで降伏した南郡組を「不義だ!」というなら、
かつて徐州で逃走した劉備に義理立てして玉砕せず、降伏した関羽だって不義という事になるが
相手が曹操だったから劉備に返還されたにすぎず、行いだけ見れば関羽だって彼らと変わらないし、他に数多くいる降将だってそうなるが
117 :無名武将@お腹せっぷく2010/09/26(日) 19:10:33
>>100
主君が逃亡したから、投降したんだろうが。
守るべき主君はすでに居ないのにどうやってそれを守れっていうんだ?
そして、劉備存命を確認したら曹操への義理として顔良を討つ大功を立てて
劉備の元に関羽は帰ってきたじゃねえか。
それのどこが「不義」なんだよ。


123 :無名武将@お腹せっぷく2010/09/26(日) 20:41:08
>>100
>関羽の無茶な戦略のせいで降伏した南郡組
士仁は呂蒙に騙くらされた これは士仁の愚
糜芳は士仁を見て降伏した これは糜芳の弱

関羽が兵を上げたのは窮余の策だ
元々は劉封孟達が悪い
それでも普通に考えれば、防備を下げるというのにも段階がある
国境で防ぐ→国内で防ぐ→城で防ぐ
北上した時から「国境で防ぐ」のは難しくなったろう
が、この段階では呂蒙が言ったように呉を警戒して通常より多目の兵を残していた
劉封らの協力を得られずやむなく守備兵を割いたが、それも少しづつだった
監視台を設けるなど関羽は呉に対して無防備にしていたわけではない
防備レベルは「城で防ぐ」を割っていなかったはずだ

関羽の無茶な戦略のせいで降伏した のではなく
糜芳らが降伏したせいで関羽の戦略が崩壊したんだよ



>かつて徐州で逃走した劉備に義理立てして玉砕せず、降伏した関羽だって不義という事になる
関羽が降伏したのは劉備が領土を捨てて逃亡したあとだ
取り残された関羽が城を枕に討ち死にして何の意味がある?
誰のために、或いは何のために死ぬんだ?
関羽が最後まで粘って死ぬことが、既に逃げ去っている劉備に対してどんな貢献となる?
何にも繋がらない 無駄死にだ
劉備も自分も生きていて節を曲げなければ、またいつか劉備に貢献出来るかもしれない
関羽はその通り節を曲げなかった

>他に数多くいる降将だってそうなるが
窮境極まって降るか、君主に尽くす義がないか、大義があるか だろうね その辺を分けるのは

1.追い詰められていないにも拘わらず敵に降った
2.郡城防衛を期待されていたにも拘わらず、あっさりと敵に降った
3.劉備に20年も従った そのため信用されて要地を任された  が、あっさり敵に降った
4.司令官の手足であるにも拘わらずの指示に従わないで困らせた
5.軍令違反の容疑者であり、自らの保身のために国を裏切った(という嫌疑がある)
6.関羽に対する私情で劉備への忠義を捨てた
7.兄の糜竺が連座に処せられる可能性があるにも拘わらず裏切った
糜芳には7つの不義がある
130 :無名武将@お腹せっぷく2010/09/27(月) 19:11:58
>>126
少しくらい上の流れを嫁
つ>>123

答えに窮するようなレスはスルーとか止めような。
それじゃ、単なるループになるだけだから。
154 :無名武将@お腹せっぷく2010/10/05(火) 00:58:50
>>151
その件に関しては>>123でFAだろう。
それ以降、糜芳=忠義者と吼えてた奴がその意見に絡んでこないところを見ると
彼もどうやらそれを認めたらしい。
158 :無名武将@お腹せっぷく2010/10/09(土) 22:42:38
>>156
>>>123の意見で見るべきは7くらいだろ
>5なんか全くの無根拠
>それ以外は南郡が危機でないという強弁と、関羽伝の糜芳誹謗を鵜呑みにしたままの意見

お前一体どういう読解力してるん?
>>123は、例え南郡が危機であっても、そんなことに関わりなく不義な事柄だ
君はそもそも義の概念が分かってないんじゃないか?
義を分かってない奴と話しても仕方ないからこの話題は打ち切ろう


>そしてその状況を鑑みれば糜芳が私情のみで裏切ったわけではないことが分かる。
根拠がない 君の妄想一本

>その状況
この辺のことは魏志董昭伝にも書かれてる 読んでみるといいよ
161 :無名武将@お腹せっぷく2010/10/10(日) 01:51:49
>>157
だからそれは責められてしかるべきだろうと言ってる
お前こそ人の話を聞け
だがそれ以上のことを糜芳に言及すると、歴史上の降伏者すべてにそういう糾弾をしなければならなくなるし、
軍事総督である関羽の配慮の欠如や戦略上のミスに関しての追及を全く黙殺する意見になる
お前は総玉砕こそが義で、そうじゃなきゃ不義だといってるが、勝ち目の皆無な戦闘に兵卒を押し遣って無駄に死なせることがお前の言う義か?
配下の命を守り、恥に耐えながら汚名を雪ぐ機会を待つのも降伏者の義だろうし、それを頑なに認めないお前の意見のどこに理にかなった義の概念があるって言うんだ

>>158
>>123はまず1で「追い詰められているにも関わらず」と、南郡の状況に言及してるが
何言ってんだお前?
163 :無名武将@お腹せっぷく2010/10/10(日) 11:11:49
>>161
お前は本当に人の意見を聞いてないヤツだな。
関羽と糜芳とでは降伏時の状況がまるで違うとは
>>64>>117>>123と散々に言及されている。

歴史上の降伏者がすべて糜芳のような
不義者として語られる場合があること、ないことはそのためだ。
今度は糜芳を擁護したくて、降伏者全てが糜芳のような立場だったと言い張りたいのか?
糜芳は軍隊として上の命令も聞けず、たかが私情程度で軍事総督と仲違いし
軍隊の規律を乱し、関羽軍を崩壊へ導いた愚か者。
玉砕精神云々ではなく、上官の命令に服従できない時点で
糜芳は軍隊を預かる立場の将たる資格はない。
蜀書においても、そのように関羽敗退の原因を追及され、糜芳を不義の国辱として
語っているわけだが?
164 :無名武将@お腹せっぷく2010/10/10(日) 13:11:54
>>161
>>>158
>>>123はまず1で「追い詰められているにも関わらず」と、南郡の状況に言及してるが
>何言ってんだお前?
1は「追い詰められていないにも関わらず」な
これは三国時代なら黄権や干禁のようなケース
黄権・干禁は1に関しては不義ではない

干禁には魏軍の重鎮としての義があった
重鎮が敵国に降れば国の威信が揺らぐ
干禁には死ぬ義が重鎮の責任としてあった
日本の武士は敵軍に包囲されて兵士のために降伏するときでも大将は切腹した
干禁は自刎すればよかったのだ
船乗りでさえ船員は避難させても船長は船と共に沈むというのに
数万の軍を預かる大大将が義を捨て命を惜しむとは…
曹操の嘆きも理解できるだろう
黄権は第三国に降った点がまだ良かった
それにそういう状況に陥らせたのは黄権の意見に従わなかった君主の劉備だしな
166 :無名武将@お腹せっぷく2010/10/10(日) 15:07:09
>>164補足

糜芳らは黄権や干禁のように進退窮まってはいない
城下に敵がやって来たというだけだ
102 :無名武将@お腹せっぷく2010/09/26(日) 13:01:36
>「仲が悪いから、全力で支援しない」なんて態度は軍人として失格。
この個所って関羽伝に書かれてあるものだけど、この記述は本当に理由として正しいのか?
関羽伝では当然、関羽に肯定的に書かれてるわけで。何故無批判に鵜呑みにされているのか
状況的に考えると、南郡の軍にはそれほど余裕があるわけじゃないのは再三にわたって書かれて来た
何度も言うが、南郡は対呉の最前線だぜ。防備を疎かにしてまで関羽を援助する余裕はない。関羽がその辺りの事情を把握しきれていなかっただけだろう
113 :無名武将@お腹せっぷく2010/09/26(日) 18:55:53
>>102
>関羽伝では当然、関羽に肯定的に書かれてるわけで

では、糜芳に肯定的に書かれてる記述とはどこに?
記述が無ければその意見は単なるお前の妄想に過ぎない戯言になるぞ。
121 :無名武将@お腹せっぷく2010/09/26(日) 20:38:53
>>102
>南郡は対呉の最前線だぜ。防備を疎かにしてまで関羽を援助する余裕はない。
基本がなってない
関羽が荊州の責任者であり司令官だ
糜芳士仁は関羽の手足として配属されている
防備を下げて遠征に兵を回す・回さないなどの判断は関羽がする
手足は頭の指示に従ってそれぞれの持ち場で精一杯働け 
それが彼らの仕事だ
手足が勝手に判断してはならない
それが組織という物だろ
103 :無名武将@お腹せっぷく2010/09/26(日) 14:35:04
誰か「絶対勝てた」とか言ったっけ?
厨は相手の意見を極端なものに変えてしまうから困るんだよな
自分で言うことも極端だしな
131 :無名武将@お腹せっぷく2010/09/27(月) 20:51:16
>>125
>>103は適切な指摘だけどな
それを「話を逸らしている」というふうに思うってのは問題あるぜ?


>食料や兵力の問題も明らかに曲解して都合よく解釈してるのは関羽擁護の方
>食料問題が無かったならわざわざ食料を略奪したことや飢民が出た事は特筆されないだろうし、
>兵が足りてるなら援軍を要請する必要は無い
>事実として書かれてある事を自分の論に擦り合わせて真逆の方向に解釈している方がよほど妄想だよ
これは酷いな
君は論理力に難がある

「曲解して都合よく解釈してる」のは自分だろう
>食料を略奪したこと
これが記された意図を考えなよ 考えるまでもないが
孫権の契機として書かれているんだろう
「関羽が略奪したから攻めていいじゃん」「なんで略奪したかというと数万の捕虜を得て食糧に困ったから」というだけの話

>飢民が出た
「出た」んじゃない 貧しい人なんて何処にでも居るもんだ
呂蒙の計略の記述のために江陵の貧民が歴史の表面に出てきただけ

>特筆されないだろうし、
書かれてあるのは「孫権の契機」と「呂蒙の計略」であって「食糧不足」ではないんだよ

>兵が足りてるなら援軍を要請する必要は無い
そりゃそうだ
で?
どうしてそこから先へ進めないのかな
何処への援軍を要請したんだっけ?
襄樊戦線へ要請が、どうして「堅城で籠城しても守れないほど江陵には兵が居なかった」となるのだろう

>蜀と荊州の距離関係で間に合う筈がないだろ
>というか、出せるなら関羽北上の時点で既に出してるだろう
時間の概念というものがないんじゃないの

>関羽擁護の余り論理性がまるで無くなってる
関羽中傷のためにか元々か論理性がまるで無い
自分のことを論理的な人間と思っているようだが、それはどうだろう
111 :無名武将@お腹せっぷく2010/09/26(日) 17:24:35
・後翻乗車行,又経芳営門,吏閉門,車不得過.翻復怒曰:「当閉反開,当開反閉,豈得事宜邪?」芳聞之,有慚色.
は逆ギレ臭い。軍営で役人が門を閉ざしてたって事は、お勤めだったんだろうし
于禁が故郷の音楽を聴いて涙を流した時も虞翻は罵倒し、孫権が不平を漏らした、とある
基本的に虞翻という人は性格が悪いというか、偏狭なんだろう
112 :無名武将@お腹せっぷく2010/09/26(日) 17:36:58
于禁は魏に帰る間際も虞翻に罵声を浴びせられたが、帰ってから虞翻の事を決して悪くは言わなかったという……辛かっただろうなあ
114 :無名武将@お腹せっぷく2010/09/26(日) 18:57:32
>虞翻
>呉書では糜芳と士仁に降伏を促したのは虞翻だという事になっている
>自分で降る様に説得しておきながら後にいびるとはドSというレベルじゃ無い
虞翻にとって糜芳・士仁など食い物に過ぎんだろ
口八丁手八丁で口説き落とすさ
戦が終われば用済みだよ 糜芳は所詮相手にする程の者じゃない 利用するだけ
116 :無名武将@お腹せっぷく2010/09/26(日) 19:08:17
むしろ長老に尋ねたんだから見て取れなかったんだろう
南郡の食糧不足はなかったと言っていいと思う
122 :無名武将@お腹せっぷく2010/09/26(日) 20:39:08
なんか糜芳を懸命に擁護してる奴ってさ、単なる自分の妄想から何もかも構築して語ってるよね。
126 :無名武将@お腹せっぷく2010/09/27(月) 08:05:00
まあ徐州を包囲された関羽も公安が落ちて包囲された糜芳も状況はそんなに変りが無いのに、
関羽は良くて糜芳はダメ、という奴に論理性があるわけもない
関羽が美談を残せたのはひとえに曹操の度量
同じ降将であり、二君に仕えた事実は変わらない
こいつこそ講談のイメージに毒されてるんじゃないか?

援軍を断られて守備兵を吸い上げられて、
それなのに「兵は十分」「粘れば関羽が勝てた」として関羽の戦略ミスではなく「こいつらが悪い」とする
記述に反しながら一方的に関羽以外のファクターに求めるのは「妄想に過ぎない戯言」じゃないのかね。彼流に言うと



132 :無名武将@お腹せっぷく2010/09/27(月) 21:10:32
>>126
糜芳がダメなのは散々語られた通り

糜芳は劉備を裏切ったが関羽は裏切っていない

>関羽が美談を残せたのはひとえに曹操の度量
ひとえに厚遇されても節を曲げなかった関羽自身の人格にある

>同じ降将であり、二君に仕えた事実は変わらない
そもそも関羽は曹操に仕えてはいないみたいだけどね

>こいつこそ講談のイメージに毒されてるんじゃないか?
正史で義士に描かれてるのにかい?

>記述に反しながら一方的に関羽以外のファクターに求めるのは「妄想に過ぎない戯言」じゃないのかね。
ここまでに書いた通り、記述を曲げて解釈しているのは君なんだよ
(曲がった)解釈に「反してる」と人のことを感じるのは、主体の君が曲がっているからだ
128 :無名武将@お腹せっぷく2010/09/27(月) 09:10:26
「于禁はもっとも剛毅で威厳をもつといわれたが、その結末を全うしなかった」
という陳寿の評も中々に厳しいものがあるな
134 :無名武将@お腹せっぷく2010/09/30(木) 16:34:05
降伏した人間の行いが正当化されるかは議論の余地があるだろうな
当時だって曹操や孫権のような人間も居れば、曹丕や虞翻のような人間も居るだろう
関羽だって虞翻のような人間が曹操の側近にいたら相当罵倒されただろうし
だが降伏した連中が不義で悪人で、そいつらのせいで関羽が負けたっていうのは、関羽の非を認めたくないが為の言い訳にしか聞こえんぞ
そいつらのせいで負けたっていう主張は、裏を返せばそいつらさえ居なきゃ勝ってたって主張と同じだが
無暗に捕虜を取って食料が足りなくなり略奪、兵が足りなくなって守備兵を切り売りする、というのは明らかに自軍の状態と各戦線との相互関係をまるで理解していなかった証拠
呉書では無名の陸遜に油断して後方の警戒を解いた事になってるが、本当にそんな理由なら余計ダメだろ
少なくとも江陵と公安が危機に陥ったのは関羽のこういう戦略上の甘さが原因だったのは明らかで、それを棚に上げて守将が玉砕覚悟であればなんとかなった、というのは関羽にとって虫が良すぎる話

スレタイに則って考えるなら、寵臣でありながら馬超に対抗意識を燃やして諸葛亮の手紙を客に見せびらかしたり、孫権の使者を面罵したり、糜芳達を恫喝したり……と、実際に気質的にはかなり問題がある
手紙の話は性格的な問題として、孫権の使者は人質要求を突っぱねた、糜芳の時は態度を叱責した、と一応の理由があるにせよ、
曹操が袁紹の降伏勧告をやんわり断ったり、陸遜が反発する部下を宥めて上手く言う事を聞かせたりしたのに比べると、司令官として欠ける所があるのは事実だろう
荊州に限って言うと、色々な意味で最高責任者としての自覚や責任感が足りなかったんじゃないかな。どうも周りの状況を把握していなかった節がある
135 :無名武将@お腹せっぷく2010/09/30(木) 18:57:11
>>134
お前はいい加減に正史を読め。
そして、ちゃんと人の意見を読め。
関羽と糜芳の降伏時の状況がちゃんと正史の記述を元に議論されたろうが。
お前は受け入れがたい事実をスルーするその悪癖をなんとかしろ、議論をしたいならばな。
136 :無名武将@お腹せっぷく2010/09/30(木) 19:24:34
毎度毎度、中身のない長文シャドーボクシングもカンベン願いたいね彼には
137 :無名武将@お腹せっぷく2010/09/30(木) 19:51:41
てか、キチガイなんて思われたら神になって祀られたりしないよな
138 :無名武将@お腹せっぷく2010/09/30(木) 20:06:47
そもそも関羽の件は于禁や糜芳の件とは異なる
同列に考えるべきではないだろう
于禁や糜芳は白旗を挙げた降伏だが、関羽はそんな情けないことはしていない
生け捕りにされてしまったというのが正解
もしあの時龐徳が斬られず最終的に蜀に仕える事になっていたら
龐徳は糜芳らと同列かい? 龐徳は不義と非難されるかな?
厳顔はどうだろう?

それに関羽は降っても曹操と主従関係を結んでいない
曹操陣営に虞翻がいたとして、どうしていびられる?
もしそんなことがあれば名誉に傷を付けるのは虞翻の方だろ
140 :無名武将@お腹せっぷく2010/09/30(木) 23:05:31
呂布のようなケースは裏切り者の代表格みたいに言われるが、
劉備、趙雲、張遼、徐晃あたりも何度も所属を鞍替えしてるけど、不義理のイメージは薄いよな
でも孟達は裏切り者扱い。基準が良くわからん。降伏が悪いなら、主君に降伏を勧めた徐晃とかは?
劉備も呂布に降伏してるぜ
呂布は親殺しが批難されてるのかも知れんが、降将の多い三国志で、評価が分かれる基準ってなんだろう
>>135、>>136
煽りまくってるお前さんらに議論する資格なんかねーよ
>>138
龐徳もその理屈で行くと、馬超を裏切って曹操に仕えた人物だけどな
>>それに関羽は降っても曹操と主従関係を結んでいない
じゃあ誰と結んだの?
「曹公の恩義には必ず報い、その後に去る」とは言ってるけど
145 :無名武将@お腹せっぷく2010/10/01(金) 20:26:53
>>140
>「曹公の恩義には必ず報い、その後に去る」とは言ってるけど
客将として厚遇を受けたからね
180 :月孔雀2010/10/22(金) 21:46:47
死ぬ頃は吉外に近くなってたのでは?
イエスも、狂ってるからと家族が迎えに来ているし。

でもこんなスレッドあったんだ・・・

>>140の意見に同意。
リョフって劉備に対して結構義理堅いことしてるように思う。
家族保護したりさ。
最期も殺されてもおかしくない状況で捕虜扱いかな?
袁術から助けてやったのは有名かな?
カンウから劉備に話それた・・・
139 :無名武将@お腹せっぷく2010/09/30(木) 20:11:40
蜀書においても関羽は国士、糜芳は笑い者

だしな。
何故、節操において同列に置きたがるのか疑問。
142 :無名武将@お腹せっぷく2010/10/01(金) 00:13:15
>人の意見を読め
>適切な指摘だけど
>事実をスルーするな

と、議論のスタイルを気にする割に、議論の飛躍があるよね。
「数万の兵を城中に繋ぐとは思えない」という意見にも、主張するには根拠が要るしな
状況の流動する前線に収容所は作るのに、どうして後方に送って城の獄に繋ぎはしないんだ? 将軍は城に繋いでるのに
前線に何万も捕虜がいたら、退却するのも面倒だろ。せっかく、食料の不足を引き起こしてまで捕えた兵を置き去りにするなら、初めから後方に送った方が効率的だと思うが
于禁が城に繋がれていたんだから、兵も城に収容されていたんだろうとする発想を特に否定する材料は無いと思うが

というか、「資料も史料も一緒」「史料は資料の内包」とか謎の解答する人間が、水かけ論の片割れやってるようにしか見えんが
史料というのは文献の原本や遺跡、古文書、古記録、史料採集及び研究の材料になるもの
資料というのは歴史研究の成果や史料の存在や所在を纏めたデータベース等の事だ。学者の論文や著作などがそれかな。歴史学に置いて明確に区別のあるものだよ
まあ山本博文はじめ歴史学の権威の言う事より俺の認識の方が正しいんだと言うなら別だが

しかし、于禁や糜芳や潘濬や、他の武将を貶さないと関羽の名誉ってのは守れないのかねえ
143 :無名武将@お腹せっぷく2010/10/01(金) 00:54:46
中身のない長文シャドーボクシング

代表的な例:>>141 >>142


読むだけで疲れる。
144 :無名武将@お腹せっぷく2010/10/01(金) 01:31:52
単なるナルシストなんじゃね?
無駄な雑文が多くて読みにくい上に、
終いには著名な学者まで巻き込んで、自分のオナニーを正当化。
人の話を聞いてないので、延々と話をループさせる。
149 :無名武将@お腹せっぷく2010/10/04(月) 01:29:40
>城に数万・数千の捕虜を収容する専用設備があったと考えるより
野外に作ったと考えるのが百倍自然だ

戦線が緊張してるのに数万規模の人間を収容できる基地をわざわざ作って、しかもそれを運営してたって言うの?
江陵若しくは南郡の都市から離れた場所にそういう施設があった、というなら納得するけど、
あんた最初、『食糧に困ったのは急激に人が増えた遠征軍』と言いながら、収容施設が造られた、といったよね? 
あんた、自分でもおかしなこといってるって気付いてんだろう?
>それと、捕虜は江陵に送られたよ
いやいや、この話の論点ってまさにそこが問題だったんじゃないの?
江陵に捕虜が送られたなら
>>115の『食糧に困ったのは急激に人が増えた遠征軍』という主張からの『南郡の食料は問題なかった』ってあんたの結論、通らないんだから。
というか、意見を引き下げるのはいいとして、「羽盡禽禁等,人馬數萬,託以糧乏,擅取湘關米」は関羽の軍が食料に窮したことを示す具体的な記述なんだから、下げちゃダメだろ。
ここまで議論を煮詰めておいて勝手に打ち切るだの除外だの、何支離滅裂なこと言ってんだ。 そこん所の主張を整理してはっきりさせてからにしなよ

>「資料も史料も一緒」なんて言った憶えはないが?

118 :無名武将@お腹せっぷく:2010/09/26(日) 19:11:40
>>109
ほんとどうでもいいな
史料も資料だよ
史料でない資料を史料と言ったらいかんけどね

>>133
史料は資料の内包だよ
何をごちゃごちゃ言っとんじゃ

明らかに同義語と誤認してなきゃ出てこないセリフだろう

そして>>143とか>>144は何をしたいのかね。
他人を装ってるけど明らかに同一人物だろ。意味のない煽りをしてんのはこいつらだけだし

152 :無名武将@お腹せっぷく2010/10/04(月) 22:07:29
>>149
捕虜が江陵に送られた事は呉主伝に書いてある

戦線に収容所を作ったなんて言ってないが?


遠征軍が食糧に困ったというのはこういう事
干禁軍は洪水を逃れて高台に昇った
おそらく逃げるのが精一杯で物資を非難させることは出来なかっただろう
魏軍数万は無食料で降伏した
関羽も出発時に数万の捕虜を一挙にそれも無食糧で得ることは想定になかったはず
なので前線にそこまでの食糧はなかったはず
捕虜を移送するにも食糧を付けてやるから
前線の関羽軍の食料は予定になかった出費をすることになった
そこで呉に借りる事にした
と思ったんだが、そのときは「湘関」を考慮に入れてなかった

呂蒙伝の「羽盡禽禁等,人馬數萬,託以糧乏,擅取湘關米」は多分呉のでっち上げ
呉のでっち上げで南郡の食糧不足を云々しても仕方ないだろ?


>「資料も史料も一緒」
君が言ってるのは「史料 = 資料」
俺は「史料 ⊆ 資料」と言ってるんだよ
156 :無名武将@お腹せっぷく2010/10/09(土) 03:47:28
2ちゃんでも、だろ?
>>154
>>123の意見で見るべきは7くらいだろ
5なんか全くの無根拠
それ以外は南郡が危機でないという強弁と、関羽伝の糜芳誹謗を鵜呑みにしたままの意見
対呉の危機があるのに警戒を解き、結果呉軍の包囲を受け公安は陥落、前線の関羽は魏と対陣中で早期の援軍は期待できず、というのは先の議論で何度も出た意見だ
これで「南郡は追い詰められていない」という方が強引過ぎる。関羽の失点を無理やり糜芳に転嫁してるとしか思えん
そしてその状況を鑑みれば糜芳が私情のみで裏切ったわけではないことが分かる。関羽との間の信頼関係は最悪だっただろうが
糜芳が咎められるとすれば、唯一家族に類が及ぶことを考慮しなかった点だ
まあ糜竺もまた股肱の臣で功績多大であり、劉備の器量を差っ引いてもおいそれと処断できるような人物ではないがね

つーか>>152の
>>呂蒙伝の「羽盡禽禁等,人馬數萬,託以糧乏,擅取湘關米」は多分呉のでっち上げ
だって無根拠じゃないか。仮に関羽が「同盟に基く借用」という意識だったとしても、無許可なら「強奪」だろ
というより、使者を面罵して人質要求をハネたくせにノコノコと食料は借りれるとか、本気で考えてたとしたらシャレじゃなく基地外だろ
それに借用だろうが強奪だろうが食料が足りていなかった事実を否定する材料にはならない
その仮説は前提から成り立たん
157 :無名武将@お腹せっぷく2010/10/09(土) 16:09:08
>>156
おいおい、糜竺伝を読め。

忠義の臣である糜竺は、糜芳の裏切りをこの上なく恥じ
関羽敗北後に、糜芳の不義に責任を感じて自ら後手に縛って
処罰を乞うたが、劉備より兄弟の罪に連座することはないとさとされ
今まで通りの厚遇を受けたほどの硬骨漢だぞ。
更にそれでもよしとせず、怒りと恥のため発病し、1年後に亡くなっている。

ヘタレ糜芳のせいで、糜竺は恥を抱いたまま死んだんだよ。
全く兄のためになってない上、兄を早死にさせたのも糜芳。

いい加減に史書を読まず、デタラメな事を喚く悪癖を直せ。
強弁なんて言葉はお前にピッタリだ。
そんなスラング覚えるヒマがあるなら、正史読め。

それに何度も見てるなら分かるだろうが
関羽は劉備より専行権を与えられた軍事総督。
上の命令は軍隊においては絶対。
私情でそれを無視して、たかが在籍年数程度で同僚と思い込む
糜芳の傲慢こそが攻められてしかるべき失点だから、糜芳は史書から
良い評価なんて得られていないんだよ。

147 :無名武将@お腹せっぷく2010/10/01(金) 20:35:27

「資料も史料も一緒」なんて言った憶えはないが?

史料というのは歴史資料の略だな
昔の文献や遺跡などもそれ自体は史料でも何でもない
人間が歴史研究という考察の観点に立ちその材料としてそれらを観たとき、はじめて歴史資料となる
既存の研究の蓄積も新たな歴史研究の材料となる
どちらも歴史資料だが研究の蓄積物と昔の文献や遺跡などは別物なので区別があったがいい
そこで歴史由来の歴史資料に特別に名を設け「史料」としたのだろう
「資料」の方は「資料」としか呼びようがない というか、名を設ける必要がないから
そのまま「資料」と呼ぶのであって資料と区別があるわけではないはずだ
歴史の分野で文献や遺跡を史料と呼び、その他を資料と呼ぶからと言って
史料が資料でなくなるわけではないんだよ
148 :無名武将@お腹せっぷく2010/10/01(金) 23:00:26
「託以糧乏,擅取湘關米」が除外になったんだから糜芳養護も取り下げだね
150 :無名武将@お腹せっぷく2010/10/04(月) 01:51:02
最初の意見を取り下げたり不自然に話を打ち切って有耶無耶にし始めたら、もう終わりだよ
当初の論点がごちゃごちゃになって話の焦点が曖昧になって、それ以降はまともな議論にならない
論破された人間はだいたい、そうやってお茶を濁して煙に巻く。
151 :無名武将@お腹せっぷく2010/10/04(月) 19:06:23
糜芳は忠義者とか抜かしてたヤツは見事に論点を摩り替えたな。
しかも、己の非を全く認めずに。
なるほど、それが論破された人間の手口か。
155 :無名武将@お腹せっぷく2010/10/09(土) 03:16:40
煽り合いの相手が立ち去った後で勝利宣言とか、2ちゃんでは負け犬の遠吠え以外の何物でもないぞ
159 :無名武将@お腹せっぷく2010/10/09(土) 22:44:13
>羽盡禽禁等,人馬數萬,託以糧乏,擅取湘關米
これはね 強奪か借用かとかいう話ではない
でっち上げと言っているように、事実が存在しないと言ってるんだよ

まず湘関がどこだか分からない
名前からすれば湘という地にある関所なんだろうが
湘は長沙の辺りなんだよなー
http://www.ne.jp/asahi/garyou/talks/San/seishi/map/map_index.htm
前線(襄樊)付近なら、緊急避難(意味調べてくれ)的に強引に借りたと考えることも出来ないことはないんだが、
そうではない
関羽のいる襄樊から遠い 江陵の遙か向こうだ 
緊急避難というのはあり得ず、色々な方策を勘案できた

襲ったとされる時期は9月頃(干禁を降したのが8月で、孫権が魏に手紙したのは10月)
荊州南部は収穫を迎えたばかり
そもそも食糧が足らないということがあるわけない
いくらでも集められる
緊張関係にある呉から長駆してまで奪い取る理由が関羽側にはない

関羽は呉を警戒していた
陸遜が恭しくしたので警戒を弛めたというが
いくら相手が恭しい態度をとろうと国境を侵せば絶対に行動に出てくる
本拠を空けている時期に蜂の巣を突くような真似をするわけがないだろう
北で戦端を開いているこの時期に呉から強奪するというのは不必要で最悪な選択肢だ 
ありえないだろうな

呂蒙を陸遜に変えた時点で呉は荊州侵攻を企てているのだから
元から侵攻の意志があったのは明白だ
湘関襲撃は理由が欲しかった呉が用意したシナリオで
末端同士の極小トラブルを非常に大きく拡大させたか
ただの野盗の物資強奪事件を蜀軍の仕業にしたか
国境警備についてる蜀軍の小隊長でも買収して襲わせたなどの自作自演だろう
でっち上げでも取ってしまえばこっちのもんだからな
160 :無名武将@お腹せっぷく2010/10/10(日) 01:38:15
つーか位置関係的に、上庸から荊州に援軍出せったって間に合わないよね
漢水を下るにしても、スクランブル発進で荊州を奪還できるだけの軍勢を出陣させる軍備が上庸に揃ってるわけがないと思う

>北で戦端を開いているこの時期に呉から強奪するというのは不必要で最悪な選択肢だ 
 ありえないだろうな
関羽が実際に不必要で最悪な選択肢を選択するような武将だからスレタイでfaなんじゃね
劉備にしろ関羽にしろ孫権との外交関係になんらかの手を打ってるケースが全くないもの。
外交情勢が把握できていなかったのか、もしくは外交センスが決定的に欠如してるとしか言いようがない。使者を面罵したのは史書にもあるし
というかそれ以前に、関羽擁護に都合の悪い記述は全部捏造でっち上げって、ンなアホな
165 :無名武将@お腹せっぷく2010/10/10(日) 13:13:48
>>160
>スクランブル発進で荊州を奪還できるだけの軍勢を出陣させる軍備が上庸に揃ってるわけがないと思う
それは軍を解いている状態からの話であって
上庸は駐留軍がいた
パソコンで言えば、前者はシャットダウン状態からの起動、後者はスタンバイ状態からの起動
速さが全く違う



>関羽が実際に不必要で最悪な選択肢を選択するような武将だからスレタイでfaなんじゃね
関羽が基地外に見えるのは、妥当性を著しく欠く呉のでっち上げ事件が前提になっているからってことだろ
捏造されたものを根拠に審査しても仕方がない
これでFAなはず
174 :無名武将@お腹せっぷく2010/10/21(木) 03:52:01
>干禁は自刎すればよかったのだ
 船乗りでさえ船員は避難させても船長は船と共に沈むというのに
 数万の軍を預かる大大将が義を捨て命を惜しむとは…

それは曹操に降った関羽を真っ向から否定する考え方だな
干禁だって捲土重来を期して祖国に帰ることをじっと待っていたんだろう
つか公安が先に落ちて包囲された事を示す記述は無視した上で、関羽伝に無根拠に「糜芳が私情で裏切った」と書いてある個所ばかり鵜呑みにし、
呉書の記述は捏造とかダブスタもいいとこ、しかも呉書の記述を捏造とするに足る明確な根拠が全然ないじゃん、推論に推論を重ねているだけで

>>169
それを鑑みても、劉備が関羽に北上を期待していたとは思えないんだよなあ
どう考えても主力は関中方面に集中してる
>>165
占領したばかりの都市にそんな軍資の余裕があるとは思えねえ
176 :無名武将@お腹せっぷく2010/10/21(木) 20:00:09
>>174
またか・・・
なんど同じ事言われれば分かるのか?
病気か、お前。
162 :無名武将@お腹せっぷく2010/10/10(日) 02:11:26
>配下の命を守り、恥に耐えながら汚名を雪ぐ機会を待つのも降伏者の義
これの好例が、まさに曹操に降った関羽だよね
関羽の荊州での失態を認めたくないばかりに糜芳を全面的に戦犯にして人格を否定してるが
降伏者が問答無用でヘタレで情けないって論法はそのまま関羽の千里行を認めないって事だってことに彼は気付いてないのかね
168 :無名武将@お腹せっぷく2010/10/16(土) 21:26:24
関羽は軍事バカだったんだろうな。
対呉外交に長じて、関羽と対等に付き合える人物がいれば・・・・・
呂蒙に対する警戒は人並みにあったんだろうけど、北上時の関羽の対呉姿勢は
甘く見ていたとしか思えない。
呉に対する認識事態、赤壁以前と大して変わっていなかったのかも知れん。
周瑜という人物がいなくなり、呂蒙も病床。
さらに、陸遜という人物が続いて来るとは、考えていなかったんだろう。
この辺り、自分の感性に絶対の自信を持っていた様にも思える。
169 :無名武将@お腹せっぷく2010/10/17(日) 00:32:05
張飛達が援軍に行ったあと、当時荊州に残った名のある人物って関羽以外にほとんどいないよな
170 :無名武将@お腹せっぷく2010/10/17(日) 00:48:15
関羽が豪傑として当代に並ぶ事なき誉れを受け続けた記述も
本家に帰参した後ではなく、仮宿の曹操軍にお世話になっていた時ってのも
なんだか皮肉な話。
171 :無名武将@お腹せっぷく2010/10/17(日) 01:53:10
蜀公式の歴史書ってあったっけ?
徐州の陶謙も魏呉の史書で評価割れてるし、蜀側の公式見解がいまいち歴史に
反映されてない気もするなぁ・・・・・・
まぁ、そんな余裕無かったのかも知れんが
177 :無名武将@お腹せっぷく2010/10/21(木) 20:44:22
関帝廟で糜芳、士仁が首枷、足枷付けられた像がある豪華バージョンみたいなの見たことあるけど哀れだったなぁ・・・・
179 :無名武将@お腹せっぷく2010/10/22(金) 00:55:17
日本人だって小沢や菅に首枷、足枷付けられた像なんか見たら普通に笑うか殴るかだろうしな。
181 :無名武将@お腹せっぷく2010/10/22(金) 22:03:53
別に糜芳、士仁に限らず敵に攻められて降伏するやつなんていくらでもいるんだけどな
ただ彼らは関羽が死後、神になったため延々とそれを言われ続ける、何百年も立ったというのに
運が悪かったなw
186 :月孔雀2010/10/24(日) 13:00:59
じゃあ、虎狼関の戦い。
一騎打ちで、最初、戦いますが。
劉備3兄弟は、反則してる(3人がかり)。
当時、非難されなかったのでしょうか?

カンウ+チョウヒ<リョフだから、
リョフの武力はカンウ・チョウヒを遥かに
上回っていたのではないでしょうか?
192 :月孔雀2010/10/24(日) 22:24:19
カンウは、リョフの女が欲しかった。
それに加担して、劉備にリョフを殺すように言った可能性あり。
こんな奴のどこが神なんだ?
195 :無名武将@お腹せっぷく2010/10/25(月) 10:27:40
恥ずかしい知ったか野郎が沸いて来たな
お前は神話を読んだことがあるのか?
神なんて欲得にまみれまくりだぞ
196 :無名武将@お腹せっぷく2010/10/25(月) 10:53:38
↑日本神話やギリシャ神話かな・・・
俺の神のイメージは、キリスト教とかの絶対神だからなー。
197 :無名武将@お腹せっぷく2010/10/25(月) 11:00:45
>>196
キリスト教の神って結婚前のマリアとヤって新婚のヨセフに嫌がらせしたり
生身の人間とタイマン張って負けたり中々お茶目なアレですか。
199 :無名武将@お腹せっぷく2010/10/25(月) 11:18:07
関羽という神格は絶対的な物でも体系的な物でもないのは分ってるだろう。
それを後付けで再構成された絶対神などという概念に重ねて
「こんな奴のどこが神なんだ?」などと言うのは自分の持つ知識を使いこなせていない証拠。

だいたいキリスト教のゴッドとアッラーフは同じものだろうが。


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