2012年02月23日

【 魏 】なぜ曹操は皇帝に成れなかったのか【 魏 】

1 :本鹿大王 ◆tQYS5EjNRE 2011/10/19(水) 16:56:15.75
それとも成らなかったのか


38 :無名武将@お腹せっぷく2011/10/29(土) 21:34:31.25
>>1
曹操自身に皇帝に成り上がる、簒奪の意思があったかどうかは知りえぬ事だが
皇帝に成るだけの実力や権勢、名声は得ていた
曹操の死後、息子がその威を借りて皇帝に成ったことからもそれは明らか
それ故に成れなかったではなく、成らなかったとするほうが正解だろう
2 :無名武将@お腹せっぷく2011/10/19(水) 17:29:27.17
ならなかった、以上

以下蜀の桟道行軍中の兵卒スレ
4 :無名武将@お腹せっぷく2011/10/19(水) 19:44:27.61
>>2
頭悪w
3 :無名武将@お腹せっぷく2011/10/19(水) 19:06:08.72
>>3なら1は張飛の怒りを買って処罰される
5 :無名武将@お腹せっぷく2011/10/19(水) 19:49:48.69
曹操患者が「ならなかった」と主張してもな
7 :無名武将@お腹せっぷく2011/10/20(木) 08:21:48.78
>>5
とりあえず曹操患者と言えば叩けるとか思ってるの?
それしか能がないの?

曹操の後を継いだばっかりの曹丕でさえ皇帝になれたんだ
曹操が力ずくでなろうとしてたらなれただろ常考
9 :無名武将@お腹せっぷく2011/10/20(木) 17:07:10.01
あえて即位するだけの旨味を曹操が感じていなかった、ということにつきる
問題はそのゆえん
13 :無名武将@お腹せっぷく2011/10/20(木) 21:19:15.62
それこそ、>>9だろ
老身に鞭入れてまで即位するほど、皇帝の身分に意味や魅力を感じていなかったというだけの話じゃないか
集権体制が完成しているのなら、なおさら
10 :無名武将@お腹せっぷく2011/10/20(木) 17:46:56.03
単純にもうお年寄りだったからと思うけどね
周りの反対を押し切ってまで皇帝になる気力もなかった
もしくは王莽の二の舞を恐れたって感じだろうな
12 :無名武将@お腹せっぷく2011/10/20(木) 21:11:32.09
伏皇后を処刑し、自分に反抗的な朝廷の臣も一掃し、九シャクを賜り皇室の外戚となる
それだけの権勢を持っていた人間が、最後の段になって今更、周りの反発なんて恐れるだろうか?
むしろ、曹操が「わし皇帝になるわ」って言ったら、反対する人間よりもマンセーする配下の声の方が遥かに大きかった情勢だと思う
14 :無名武将@お腹せっぷく2011/10/21(金) 03:20:32.10
袁術の二の舞を恐れたんだと思うがね
想像しただけでガクブルだったと思う
15 :無名武将@お腹せっぷく2011/10/21(金) 03:58:50.01
袁術と同一視なんてとても出来ない、袁術の場合は皇帝僭称がどうとかいう以前の問題だし
王莽の事はあったかもしれんがな
まあ、皇帝を名乗った所で何かが大きく変わったとは思えないけどね
藩国を持った時点で手懐けた連中がソッポ向いたとは思えないし、即位したから劉備やその他が臣従したとも思えない
16 :sage2011/10/21(金) 04:06:58.36
袁術が生きている間の方がやりやすい感じはあるけどね。
袁家の既得権に寄生する老害なんだから、漢の権威が強い間に纂奪する
愚かしさは三族を皆殺すに足る、と曹操なら思ったでしょう。
対立して漢という玉の輝きは増し、錦の御旗を掲げて外征しやすくなり、
袁術を始めとして、あらゆる戦の大義が漢の正統と重なり合った時期に当たり、
漢の版図を広げる戦功が、政の功を上回る転機になったのではないかな。
それが、朝臣との軋轢となり、漢のための戦いであった古き大義が曹操を
即位させなかったのでは。
正統を争う魏でも、蜀でもなく、第三王朝である呉を建てたところとか、
孫家と袁家は似ている。時代が追い風だっただけ。
17 :無名武将@お腹せっぷく2011/10/21(金) 07:32:27.83
孫呉が袁術の息子保護したのはなぜ?
これって明確な漢朝への反逆行為じゃないか?
18 :無名武将@お腹せっぷく2011/10/21(金) 07:45:18.71
擁立するつもりがないなら反逆行為ではない
血縁者は同罪と言うなら袁紹も同罪
19 :無名武将@お腹せっぷく2011/10/21(金) 07:55:41.02
袁術が死んだから、纂奪は袁術個人と成王朝の推進派幹部達の責任という事で、
子息は関係ないと思ったとか。袁術死後、軍団の将達は仲たがいしてるよね。
劉勲は曹操への帰順を申し出ているし、袁術バカ一代で終わらせる動きがあったんじゃないか。
それだけ、袁術が周囲の反対を押し切って即位した事の証左で、
内部に反対派が居た脆弱な政権基盤だったとしか。庇護したのは呉が中原からの
移住者を受け入れていたのと同じ事で、袁家があっさり成権力を捨て去った事を情状したのと、
孫堅の盟友で、庇護者でもあった恩からじゃないかな。
20 :無名武将@お腹せっぷく2011/10/21(金) 07:57:05.10
960 名前:無名武将@お腹せっぷく :2011/10/21(金) 01:17:22.06
大河ドラマで壬申の乱やったら面白いのにな
皇太子と秋篠宮を意識したのが仄めかされてるともっと面白い


961 名前:無名武将@お腹せっぷく :2011/10/21(金) 06:58:04.40
どっかのサイトに書いてあったが曹叡って217年の孫権討伐に参加したって書いてあったぞ
つまり小学校5年生の時にこんな大戦に参加したって事か

すげぇな


962 名前:無名武将@お腹せっぷく :2011/10/21(金) 07:48:14.71
八戸楊奉が百万の兵で三ヶ月にわたって攻めたがついに落とせなかった童貞関
みじんこ徐晃はこれをわずか20名の決死隊とともに一夜で陥落させた
21 :無名武将@お腹せっぷく2011/10/21(金) 08:02:48.74
思い出した
00年にも江頭コーナーに出てたね
佐藤浩市がマジギレ?したアレw
22 :無名武将@お腹せっぷく2011/10/21(金) 08:08:26.31
ある意味演技派だよねw
新撰組に出てたら近藤の粛清対象になるんじゃ。
江頭は芹沢鴨役かな。真面目な演技ができるなら観てみたいし、今のNHKなら何でもありだろう。
23 :無名武将@お腹せっぷく2011/10/22(土) 02:28:07.87
司馬イや司馬昭が即位しなかったのと同じだろ
なにより統一してないし、自分個人の名誉や権威より息子や孫の代にと考えてただけ
28 :無名武将@お腹せっぷく2011/10/23(日) 23:34:53.37
>>23
司馬懿はともかく司馬昭は即位寸前まで行っただろ、病死したから頓挫したが。
24 :無名武将@お腹せっぷく2011/10/22(土) 03:41:51.49
司馬懿は功績不足じゃないかな。魏の建国には曹操がダイナミックな活躍を
して反動勢力を抑えているから、司馬懿は諸葛亮に勝ってない限り、
高祖としては認められない。漢朝復興のイデオロギーに勝てなかったわけだからね。
曹操はともかく、司馬懿は漢派で、曹一族を貶てるから、天下構想が全く違うのでは。
漢が衰退してなければ、貴族社会の強化によって漢民族の、漢民族による天下を
作っていたのではないかな。結局、司馬一族のやった事は情勢に応じて、
漢民族王朝の支配を揺るがしただけかと。
25 :無名武将@お腹せっぷく2011/10/22(土) 21:06:08.86

司馬懿は曹操一族のもとに居ならがも、漢朝復興を狙っていたのかもしれん
26 :無名武将@お腹せっぷく2011/10/23(日) 01:33:00.70
漢にとっての、というなら司馬懿は到底、曹操と同じ次元に語る事は出来ん
廃位だ遷都だとさんざ凌辱され、帝が単身で都を落ち延びる憂き目にあい
諸侯は勝手に群雄となって独立しはじめ、窮状の皇帝を無視して争い、王や帝を名乗る連中が出る始末
実質的な領土もすべて失った状態から、帝国の威信をあの段階まで復活させた曹操の功績は、臣の中で比肩しうる人間は皆無
たとえその末が独裁であったとしてもね
27 :無名武将@お腹せっぷく2011/10/23(日) 02:22:57.49
漢の功臣だからね。司馬懿は魏国という新たな国がほぼできかけていて、
変革が公論になっていた時期に出仕してるから、玉座に対する尊敬も野心
も薄いだろう。だから、司馬懿が志士だったのかは、君主独裁を防ぐ事が
合意であった名士層の利害しか持ってないから。
曹操が皇帝になるには、儒家的な中華思想を変えるような新たな価値創造
ができないとどちらにしても長続きしなかったんじゃないだろうか。
戦争、文学、医学と色々試みてるけど、赤壁以降、武力による統一が不可能
になってから、結局、旧来の儒家が政界への影響力を取り戻す事になったと思う。
29 :無名武将@お腹せっぷく2011/10/24(月) 02:07:12.20
司馬懿にそこまでの影響力があったというよりは、人材が集まったのは
九品法があったからだよね。だから、文学者や創造者というよりは、名士貴族
の連中が集まって、学問に勤しんだが、政治は司馬氏得意の門閥化で参入
の機がない。権力の閉鎖に対して世をすねる清談がはやり、名士層同士での
交流が活発化し、何晏なんかがその中心に居たわけだが、司馬懿の治世は
実務と戦争。何晏は彼なりに悲運だった曹植にはなむけをする気もあった
のだろう。司馬懿は物量で押す事しか考えていないから、南征には時間が
かかる。国力差が開くまで待つしかない訳だが、文化の成熟は司馬懿にとって
は遊興のようなものだったんだろうね。だから、清談のような俗離れした
言葉遊びが許されたのであろうけど。
帝位に就くには時間との戦いで、政治に占める中華の時間軸の長さは異様
だが、儒家の最大の礼をつくす合法纂奪が定例化したから異民族も、中華
を尊重したと言えるかも知れないね。
30 :無名武将@お腹せっぷく2011/10/24(月) 02:18:30.87
曹操は言ってみれば「将軍様」
わざわざ皇帝になる必要もない。実質的な権威は誰が一番か、国の誰もが知っているから
31 :無名武将@お腹せっぷく2011/10/24(月) 02:41:38.43
なるほど。曹丕は父親の残したものに押し上げられて戦功を重ねる事はできないから、
権力を手に入れたわけだ。父親を超える事が、後継者の役目で、纂奪の謗りを
自ら帝位に就く事によってやわらげ、父親の名誉回復にも繋がると。
だが、曹植や曹彰への当たりからして、曹丕は皇帝権力を過信していた節はある。
文才も軍才も、それぞれ二人には及ばず、地道な功績を積まれるのも
うざったかったんだろう。曹丕が勝るのは政の才ぐらいだから、それこそ
三本の矢の戒めの如く協力すべきだったのだろうが、曹丕は保守的な漢人
らしい模範的な皇帝で、曹植こそが新しい。軍才を危ぶまれたのだろうけど、
弾圧したのは、曹操の文人としての軌跡も破壊する事になりかねないから。
皇帝に即位していたら、纂奪者になるし、儒家との軋轢もあったろうし、
始皇帝のような反儒の皇帝になっていただろう。
32 :無名武将@お腹せっぷく2011/10/26(水) 01:41:04.23
司馬昭は皇帝に付く気まんまんだったのか?
それとも曹操のコスプレしてたのか?
35 :ジャイアニズム2011/10/27(木) 22:47:28.08
世の中には様々な道具や思想があるが、これらは現実の役に立つものと役に立たぬものに分類できる。
そして前者だけを評価して活用するのだ
39 :無名武将@お腹せっぷく2011/10/29(土) 22:08:26.26
リスクマネジメントの問題だろ
曹操は実質最高権力者だから漢朝系の反感を買って王莽の二の舞になるリスクは避けたかった
曹丕は実権を握りきれていなかったから逆にリスクを犯してでも皇帝と言う名目が欲しかった
荀イクとかの事を考えれば、そう考えた方が辻褄が合うし自然
40 :無名武将@お腹せっぷく2011/10/29(土) 22:29:38.63
曹操がその気なら漢朝系の反感を買った所で実力で排除するだけ、それだけの力はある
実際、漢朝系の反感は常に受けていたし、目に余る者は実力で排除していた

そんな些細なことで帝位を諦める者ならそもそも帝位を伺うと云う大罪を起すとは思えない
また、天下を治める実力のない王莽と準えても、辻褄が合うとは到底思えないし
なんら自然でもない
41 :無名武将@お腹せっぷく2011/10/29(土) 22:57:35.51
王莽と立場が違うから王莽と準えるのはおかしいってのは発想が貧弱だな
当時は帝位の簒奪を行った前例が王莽1人だけだった
つまり帝位を簒奪する=王莽と同じ所業と捉えられていたはず
王莽が成功しなかったのだから当然失敗すると言うリスクは考えるだろう
それに後漢にあって王莽と言う人間がどれだけ軽蔑されていたかは言うまでもない
曹操にも王莽の誹りを受けるのには抵抗は少なからずあったはず
42 :無名武将@お腹せっぷく2011/10/29(土) 22:58:35.42
>>41
曹操は光武帝マンセーだから尚更だろうな
43 :無名武将@お腹せっぷく2011/10/29(土) 23:13:14.15
>>41
それは
曹操はそもそも帝位簒奪を望んでいなかった
って主張?
45 :無名武将@お腹せっぷく2011/10/29(土) 23:17:01.42
>>43
いや、恐れていたと言っている
54 :無名武将@お腹せっぷく2011/10/30(日) 01:10:22.25
>>41
に加えて、そもそも必要性自体なかったという事でもある
実質的な主席かつ独裁者であり、逆らう者もすべて一掃した王即位以降では、皇帝の位は「飾り」程度の意味合いでしかない
曹操がかつて帝を奉戴したのも、帝室の権威が必要であったからであるように、必要性のない「新朝樹立」という事業に踏み切る必然性は無い
55 :無名武将@お腹せっぷく2011/10/30(日) 01:22:41.96
>>54
成りすましとかマジでうぜー
56 :無名武将@お腹せっぷく2011/10/30(日) 02:28:08.93
>>54
世襲制にするためには権力のトップに座るのは絶対条件なんだけどな
実際、曹丕はそれに踏み切っている訳だし
曹操がそんな事もわかってなかったとも思えんし
帝位の簒奪をしたかったけど王莽の二の舞になるのを恐れていて出来なかったと考える方が自然だな
44 :無名武将@お腹せっぷく2011/10/29(土) 23:14:28.96
帝位簒奪は望んでいたが、ヘタレチキンの曹操は土壇場でビビったってことだろ
46 :無名武将@お腹せっぷく2011/10/29(土) 23:26:25.72
簒奪の意思の有無すらわからん状況で恐れていたと断言するとは恐れ入る
47 :無名武将@お腹せっぷく2011/10/29(土) 23:28:11.84
>>46
お前曹操患者だろ
51 :無名武将@お腹せっぷく2011/10/29(土) 23:47:06.18
>>46
何を今さらな事を言っちゃってるの?
頭おかしいの?
このスレで想像で語ってない人間なんていないだろ
道理的に考えたってだけの話でしょうが
52 :無名武将@お腹せっぷく2011/10/29(土) 23:49:42.53
>>46馬鹿すぎるwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
これだから曹操患者は困るなwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
57 :無名武将@お腹せっぷく2011/10/30(日) 04:30:04.14
ただ単に簒奪する暇が無かっただけじゃないの?
王になってから遠征だらけだったし
58 :無名武将@お腹せっぷく2011/10/30(日) 04:48:07.63
>>57
んなあほな
そんなたわけた理由で簒奪しませんでしたなんて
ないわ〜
60 :無名武将@お腹せっぷく2011/10/30(日) 11:02:33.98
【結論】
帝位簒奪は望んでいたが、ヘタレチキンの曹操は土壇場でビビった

これで確定だろ。異論ある奴は曹操患者だけだろうし多くの三国志ファンは問題無いよな?
65 :無名武将@お腹せっぷく2011/10/30(日) 13:07:23.03
理屈で反論できなくなった曹操患者が相手を馬鹿だと思い込むことで自尊心を維持しようと必死だな?
悔しかったら>>60の結論を覆せるだけの根拠を示せよ、負け犬曹操患者w
87 :無名武将@お腹せっぷく2011/10/31(月) 00:21:03.28
まあ、曹操患者をいじめるのはこれくらいで良いか
とりあえずここのスレの結論はこれで良いな→>>56>>60
ここまで煽っておきながら何の反論もないみたいだし
自己完結がどうだとか言ってたけど、結局何の反論も言えない事の言い訳だったんだな
61 :無名武将@お腹せっぷく2011/10/30(日) 12:56:39.82
自覚のないバカの極端な自己完結か
これ以上の喜劇はないな
62 :無名武将@お腹せっぷく2011/10/30(日) 13:00:11.92
まあ、何の根拠も示せず煽るしか脳がない○○患者よりはマシだな
69 :無名武将@お腹せっぷく2011/10/30(日) 13:16:34.91
曹操患者って本当にどこにでも湧くな
まるでゴキブリや蛆虫みたいw
71 :無名武将@お腹せっぷく2011/10/30(日) 13:30:18.47
でました!やばくなったらどっちもどっち!
ネトウヨお得意の焦土戦術w
72 :無名武将@お腹せっぷく2011/10/30(日) 13:36:23.41
まあ、○○患者はつべこべ言わずに根拠を言えば良いってだけの話
ただ気に食わないから煽ってるんてんだから頭がおかしいと言われてもしょうがないだろう
76 :無名武将@お腹せっぷく2011/10/30(日) 21:00:35.47
患者を連呼して勝者気取り
誰と戦ってるのか知らんが、もう哀れ過ぎてどうしようもない
77 :無名武将@お腹せっぷく2011/10/30(日) 21:34:20.22
曹操を貶されて発狂するような奴が患者じゃなくてなんなんだろうな
78 :無名武将@お腹せっぷく2011/10/30(日) 21:46:22.71
哀れ
それは曹操を貶されて思わず発狂してしまう悲しい人間の為にある言葉
何も反論する事が出来ず煽る事しか出来ない愚か者のためにある言葉
蒼天に毒されたせいで年中嫉妬に狂わなくてわならない曹操患者のためにある言葉
80 :無名武将@お腹せっぷく2011/10/30(日) 22:09:36.06
はい、また反論なしね
哀れだな曹操患者
83 :無名武将@お腹せっぷく2011/10/30(日) 23:51:25.30
>>80
アワレwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
85 :無名武将@お腹せっぷく2011/10/31(月) 00:05:47.89
そうそう、そうやってたくさん草生やして発狂してんのが曹操患者にはお似合いだよ
余裕ぶってなんていないでそうやって嫉妬心むき出しで発狂しててくれ

曹操患者の嫉妬が心地良いなあ
88 :無名武将@お腹せっぷく2011/10/31(月) 00:46:11.43
最近、急に元気になったんだよな
仕事首にでもなったのか?
90 :無名武将@お腹せっぷく2011/10/31(月) 00:58:58.69
>>88
誰が?
91 :無名武将@お腹せっぷく2011/10/31(月) 01:05:25.44
>>90
曹操患者が
93 :無名武将@お腹せっぷく2011/10/31(月) 03:20:05.90
>>91
もともと曹操患者って24時間365日フルタイムだったろ
彼女もちとか自称してたが、聖夜andクリスマスの日にも平気で一日中レスしてたし
94 :無名武将@お腹せっぷく2011/10/31(月) 05:18:38.92
>>92
>>56を嫁

>>93
すまぬ、そうだったな
95 :無名武将@お腹せっぷく2011/10/31(月) 06:29:05.36
>>93
自己紹介かよ
98 :無名武将@お腹せっぷく2011/10/31(月) 21:28:24.81
>>93
自己紹介乙
お前がキチガイだろ
103 :無名武将@お腹せっぷく2011/10/31(月) 23:37:19.25
>>95 >>98
さもしい廃人ニートの曹操患者乙w
自分のさもしい実態を他人に押し付けるのはやめようなw
122 :無名武将@お腹せっぷく2011/11/01(火) 22:49:03.97
>>104
が正し過ぎて泣ける。
結論は
>>103はキチガイ
135 :無名武将@お腹せっぷく2011/11/02(水) 05:56:04.77
>>122
レスが無くて寂しかったの?
それとも廃人ニートだから、深夜まで相手してくれる人を募集でもしてたの?w
お寒い限りよのうww
さすがは廃人ニートの曹操患者wwレス乞食しかする事が無い馬鹿っぷりで何よりだなww
92 :無名武将@お腹せっぷく2011/10/31(月) 01:50:55.95
曹操が帝位簒奪を望んでいたとする根拠は?
99 :無名武将@お腹せっぷく2011/10/31(月) 21:32:04.24
まーたキチガイ軍団が湧いてきたか
どっちも巣でやれよ
101 :無名武将@お腹せっぷく2011/10/31(月) 23:26:17.72
普通に時間切れでしょ>皇帝になれなかった
体調悪いのに即位はできんよ。簒奪して直後に死にましたじゃ国体の動揺が酷いことになる
それなら自分は見送って、若くて健康な曹丕が簒奪して魏を固めた方がいいって判断
難しく考える必要も、ロマンティックに考える必要もない
105 :無名武将@お腹せっぷく2011/10/31(月) 23:51:22.99
>>101
立場が安定してる曹操の段階で簒奪した方が良いに決まってんだろ
わざわざ曹丕まで持ち越させて不安定な状態で簒奪する意味なんて全くない
それに時間切れってのもリアリティがない
曹丕の代になってすぐに簒奪してると言う事を考えれば簒奪は状況の変化がきっかけで起こったと考えるのが自然
曹操が手をこまねいている内に寿命が来て、曹丕が必要にかられて簒奪したと言うのは明らかだよ
110 :無名武将@お腹せっぷく2011/11/01(火) 01:41:59.59
>>105
皇帝になってすぐに死ぬよりは、一旦引き継ぎが終わった後にあらためて曹丕が即位する方が体制としてはアンパイだと思うよ
死にかけの曹操が無理やり即位したら二重のゴタゴタだろ
111 :無名武将@お腹せっぷく2011/11/01(火) 09:12:16.91
>>110
1 絶対的権力者曹操が帝位を簒奪→死亡後、息子が後を継ぐ
2 絶対的権力者曹操が死亡→その息子が帝位を簒奪

どう見ても2の方がずっとごたごたしてますが?
102 :無名武将@お腹せっぷく2011/10/31(月) 23:32:58.42
そうさ、魏王となったときは曹操はオッサンだからな
今更って感じだよな
104 :無名武将@お腹せっぷく2011/10/31(月) 23:41:47.61
やっぱ自己紹介じゃん
深夜3時の書き込みなんて、世間一般の健常者はおやすみ中だぜ
106 :無名武将@お腹せっぷく2011/11/01(火) 00:03:49.98
しかし曹操患者どもは曹操を美化しすぎじゃないか?
若い頃の曹操は確かに果断だった(本当は無謀なだけだったかもw)が、
年老いて以降の曹操はただのヘタレチキンなのは史書読めば一発で理解できる
107 :無名武将@お腹せっぷく2011/11/01(火) 00:16:55.71
どうしても曹操が悪人でなければ大義名分が立たずに困る蜀中毒は
知識もないくせに今日も声だけはでかいな
108 :無名武将@お腹せっぷく2011/11/01(火) 00:29:49.22
つか前漢末に6000万いた人口が三国時代に800万て時点で終わってる。
戦乱の世で人口半減したとしても、豪族の私有民やら皇帝の手を離れた流民が
2000万以上いるって事だし。
皇帝になろうがなるまいが、大した権力じゃないってくらい暗黒時代。
109 :無名武将@お腹せっぷく2011/11/01(火) 00:30:44.94
はいはい、つべこべ言わずにその知識とやらを披露して下さいね
煽るだけなら知識がない人間でも出来ますからね
112 : 忍法帖【Lv=39,xxxPT】 2011/11/01(火) 10:16:40.50
絶対的権力者といっても曹操が帝位を簒奪する事に反対する者が身内でも居たのは事実だろ

曹操患者からすると時間をかけて息子の代で禅譲
蜀中毒からするとビビって曹操は簒奪出来なかった
113 :無名武将@お腹せっぷく2011/11/01(火) 10:41:01.18
だからこそ、なおさら曹操の段階で簒奪しなくては余計ごたごたするんだろ
息子の代に簒奪したのでは反対派は勢いづくだけ
中立のふりしてすんのやめたら?
曹操患者さん
114 :無名武将@お腹せっぷく2011/11/01(火) 12:16:41.32
権力者の死と簒奪なら後者の方がハッキリいって動揺・反対者の方が多い。呉や蜀が勢い付くのも後者
10の動揺の中で20の動揺を起こす事と、20の動揺の中で10の動揺を起こす事、どっちが大変かというのも自明の理
わからないならしょうがない
117 :無名武将@お腹せっぷく2011/11/01(火) 19:30:55.67
>>116
でFAだ。曹操が即位しても、たとえば曹操が魏王に付いた翌年に即位したとして死ぬまで3年しかない
新朝樹立の混乱が落ち着かないうちに曹操の死と後継問題と言う新たな問題を招くことになる
それだったら引き継ぎと即位、ひとつひとつ片づけたほうが安定してるに決まってるだろ
どうして>>113や>>114は空論でそういう無茶なことがいえるんだ?
115 :無名武将@お腹せっぷく2011/11/01(火) 12:35:45.64
また意味不明な事を
理解力がないのはどちらなんだろうな
1 絶対的権力者曹操が帝位を簒奪→息子が後を継ぐ
2 絶対的権力者曹操が死亡→息子が帝位を簒奪

どう見ても2の方がごたごたしてますよ曹操患者さん
116 :無名武将@お腹せっぷく2011/11/01(火) 18:24:25.14
高歓も宇文泰も自らは帝位に付かなかった。死後、子供達が帝位に付いたが国勢が揺るぐことはなかった(揺るがそうとした侯景はあっさり鎮圧された)
劉裕は57で帝位に付き、僅か三年で没した。死後、後を継いだ劉義符は徐羨之に政治を壟断され、弟である劉義隆によって殺された
118 :無名武将@お腹せっぷく2011/11/01(火) 19:43:49.20
>>116
酷いな
北斉がごたごたしてなかったってマジで言ってんの?
宋の10倍はごたごたしてるわ

帝位の簒奪の後にすぐに次代に移った成功例を知りたいなら斉や陳の歴史を学んでみたら?

てかそれが曹操患者の言う知識って奴なんだな
お笑い草も良い所だな
119 :無名武将@お腹せっぷく2011/11/01(火) 19:52:11.28
とりあえず、ソースもなく煽るだけの>>118は巣に帰れ
根拠のない盲言を吠えるだけなんだから
121 :無名武将@お腹せっぷく2011/11/01(火) 19:55:41.49
>>119
根拠もない妄言はお前だろ
高澄はなんで死んだんだ?
政治力がなかったからか?
あのさどや顔で晒し者のレスするのやめたら?
123 :無名武将@お腹せっぷく2011/11/01(火) 22:54:15.71
>>116-117
そのとーり
124 :無名武将@お腹せっぷく2011/11/01(火) 22:55:08.06
>>121
同じ事しかいえない知恵遅れですね。
(・∀・)カエレ!!
意味がわかりますか?
(・∀・)カエレ!!
120 :無名武将@お腹せっぷく2011/11/01(火) 19:54:09.77
だいたい自分が死んでからすぐに引き継ぐとごたごたするからとかさっきから言っているが
それだと曹操は自分がいつ死ぬかわかっていたと言うのが前提なんだが
いつから曹操は超能力者になったんだよ
アホかとしか言いようがない
127 :無名武将@お腹せっぷく2011/11/02(水) 00:02:55.96
>>120
あの時代で60歳のジジイがそこから何年も長生きするわけねえだろ
曹操が自分の墓について建安二十三年には布告を出してる。
自分の陵墓作りはじめてるくらいなのに、そこから10年20年生きるつもりで今後の見通したててたと主張するならそれこそ阿呆
近いうちに死ぬだろうというくらいには想定していたはず
125 :無名武将@お腹せっぷく2011/11/01(火) 22:57:28.71
もはや現実逃避の自己完結と煽り以外何も出来ない曹操患者・・・
哀れ過ぎて見てられない
128 :無名武将@お腹せっぷく2011/11/02(水) 00:30:29.81
10年20年なんて言ってないだろ
後2〜3年以内に死ぬかどうかなんて誰にもわかねえだろって言ってるんだよ
翌24年に遠征してるし身体的に衰えていると言う訳でもないみたいだしな
自分の死期を悟ってから墓を立てたと言える要素なんてどこにもないだろ
129 :無名武将@お腹せっぷく2011/11/02(水) 00:58:31.91
声だけでかい蜀中毒
小悪党・劉備を守るため、今日も煽り続けます
130 :無名武将@お腹せっぷく2011/11/02(水) 01:17:40.75
うん、頭のおかしい君はこっちのスレ行こうね
曹操の治世が破綻してたと暴露されてるよ
曹操を『守って』あげてね

曹操患者とネット右翼って似てね?13
http://yuzuru.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1319366701/
131 : 忍法帖【Lv=39,xxxPT】 2011/11/02(水) 03:05:12.68
曹操の治世って破たんしてたのか?
何の根拠もない妄想って楽しいね♪
133 :無名武将@お腹せっぷく2011/11/02(水) 05:49:37.08
>>131
アホか?
仕事ややる事がある人間なら早めに起きて作業するくらい当たり前だが?
ま、やる事も無い廃人ニートだからそんな風に現実逃避するしかできなくて無様の極みだなww
さすがは曹操患者w24時間365日フルタイムのゴミは言うことが違うなww
134 :無名武将@お腹せっぷく2011/11/02(水) 05:53:38.41
ああ、>>133は>>104宛だわ、間違えたw
>>131宛のレスは以下
とりあえず、曹操や魏将関連の伝を読めばやたらと反乱鎮圧の記事が出てくるのと
魏領では貨幣復活が曹エイ時代だって事で、政治の混乱はある程度わかりそうだけどな
132 :無名武将@お腹せっぷく2011/11/02(水) 05:02:02.37
知らんがな
妄想も何も言ったの俺じゃないし、文献も読んでないから文字通り何も知らんよ
そのスレでそう言う話になってるって教えてやっただけ
てか、夜3時にレスする奴は精神異常が何ちゃらかんちゃらって言ってなかったっけ?
どうでも良いけど
137 :ジャイアニズム2011/11/02(水) 13:14:54.21
帯番組の「ZIP!」「ヒルナンデス」が堅調に推移しているようですが、ど
のように分析していますか。
小杉取締役:「ZIP!」は9月10月の月間平均で8.3%と、4月の開始以来最高の
視聴率を獲得しました。「ZIPPEI スマイルキャラバン」「MOCO S キッチン」
等、各コーナーが順調に育っている事が要因として挙げられます。犬のZIPPEI
とダイスケさんが訪れる地域のネット局の視聴率は大幅に上昇しますし、ある
いは「MOCO Sキッチン」の出版物も相当売り上げています。また、総合司会の
桝太一アナウンサーの認知度、人気が高まっている事も影響しているようです。
先日「映画 怪物くん」の完成披露試写会で司会の桝アナウンサーが登場した
際に会場から大きな歓声があがり、驚きました。「映画 怪物くん」の試写会で
すので10代の若者が多かったのですが、歓声の大きさに桝アナウンサーの知名
度が確実に上がってきている事を実感しました。「ライオンスペシャル 第31
回高校生クイズ 日本を救う最強頭脳No.1決定戦」のMCを担当している事や、
ネットワーク各局に協力している事等が報われている形で、「ZIP!」は非常に良
い形で推移しています。
「ヒルナンデス」は様々な試行錯誤をしており、その結果を少し待ちたいと
考えています。8月までは視聴率も徐々に改善されていたのですが、10月にな
ってからやや伸び悩んでいます。
140 :無名武将@お腹せっぷく2011/11/02(水) 18:34:10.38
レスが無くて寂しかったの?
それとも廃人ニートだから、深夜まで相手してくれる人を募集でもしてたの?w
お寒い限りよのうww
さすがは廃人ニートの曹操患者wwレス乞食しかする事が無い馬鹿っぷりで何よりだなww
142 :無名武将@お腹せっぷく2011/11/04(金) 01:08:43.61
ドライな人だし、案外、本気で興味なかっただけ、ってのが理由だったのでは。
実質、国の最高権力者だったわけだしね
143 :無名武将@お腹せっぷく2011/11/04(金) 03:53:42.13
理由はどうであれ、皇帝になれるだけの力はあった
これを否定する人はいないよな?
そのことから、なれなかったのではなく、ならなかったとする方が正しい

なぜならなかったのかは、曹操本人以外に解り得ないこと
想像するしかない事から断定できる事ではないのは確か

断言している輩は、阿呆か超能力者なんだろうなw
144 :無名武将@お腹せっぷく2011/11/04(金) 06:20:21.71
想像する奴がアホってんなら、そもそもこのスレを立てた奴がアホって事で良いな
想像するしかしょうがないような事を話題にしてるんだからな
145 :無名武将@お腹せっぷく2011/11/04(金) 19:08:41.86
驅除韃虜,恢復中華
劉備,諸葛亮=孫中山先生的建立民国
曹操=反中国的思想
146 :無名武将@お腹せっぷく2011/11/04(金) 19:31:47.29
彼らの順位を確かめよ。
絶望の余り、麿は反射的に画面を閉じてしまった。

そもそも石田三成が一位というのは理解出来ない。
2の頃ならまだしも、3になってからの三成はなよなよして魅力にかける
147 :無名武将@お腹せっぷく2011/11/04(金) 20:58:38.51
自分で周の文王になるって言ってるし
名より実を取っただけ

そしてそれは息子は皇帝になると言ってるわけで
なれるだけの力はあるがあえてならなかった
ってのが妥当な考え
148 :無名武将@お腹せっぷく2011/11/04(金) 22:09:15.82
文王になるって発言だけから曹操の気持ちなんて推し量れないと思うけど
ぶっちゃけ「もう間に合わないけど、間に合わないなんて言いたくないから文王になるって言っておくわ」っていう負け惜しみかも知れないし

というか「名より実を取れよ、天下取ってから帝位につけよ」って言ってたのが荀イクその人だってことを考えると
もうこの発言自体が皮肉というか哀しいもんが漂ってくるんだけどな
曹操が魏王について、九錫を得た時点で「まず曹氏が帝位につく、それから天下を統一する」ってスタンスを宣言したようなものだからねぇ
曹操は赤壁の後で萎えちゃったんだろうな、覇気が
でも荀イクの中ではいつまでも官渡の頃の、時々弱気になるけど激励すれば覇気を取り戻す曹操だったのかも知れない

皇帝になれた・なれなかった議論なんて、上記の天下と帝位の後先論に比べれば些末なことだと思うわ
149 :無名武将@お腹せっぷく2011/11/04(金) 22:57:08.58
どうにも劉備と曹操のイメージが、正史と演義では逆転して見えてしまう。
戦下手だが有能な部下達の支えでのし上がった者と、戦上手で部下達を引っ張っていく者。
154 :無名武将@お腹せっぷく2011/11/05(土) 05:14:52.26
>>149
文帝如き若造に比べりゃ30年戦い続けた劉備の方が戦上手だっただろうけど
同じく戦い続けた曹操が戦下手だったなんてのはあり得ないな
156 :無名武将@お腹せっぷく2011/11/05(土) 10:39:43.38
>>154
曹操が戦下手は言い過ぎだが、徐栄や張繍に負けたり、張バクや袁紹や馬超に追い込まれたり、赤壁や漢中で追い返されたりと意外に苦戦が多い。
徐栄や張バク、袁紹との戦は仕方ないにしても、それ以外の劣勢とも言えない状況下でもしばしば苦境に陥っている。
現場指揮官としての能力に限れば、案外劉備の方が上だったんじゃないか。
157 :無名武将@お腹せっぷく2011/11/05(土) 16:51:28.90
>>156
劉備と曹操って反董卓の時に一緒に兵を集めてるわけだけど
劉備の方が戦が上手かったら、孫堅のようにその時点から台頭していただろうし
徐州で反乱を起こした時も曹操に撃破されなかったと思わないか? 曹操はあの時、北と南にも戦線を分けていたんだぜ
158 :無名武将@お腹せっぷく2011/11/05(土) 17:33:27.98
>>157

反董卓連合の時点で劉備はまだ公孫サン配下。反董卓連合には参加してないだろ?
徐州反乱の際は明らかに両者の戦力が違い過ぎる。寧ろ先だって劉岱王忠を追い返してる事に注目すべき。
159 :無名武将@お腹せっぷく2011/11/05(土) 19:19:52.76
>>156
局地戦で苦戦はしても大局的には勝ってる。負けは徐栄戦、赤壁、漢中くらい。
一方の劉備は、局地戦で優勢に進められても大局的に負けが多い。
勝ちは蜀入りと漢中。赤壁入れても3回。

そして、
曹操は負けても勢力が揺るぐことのない負け方(徐栄戦では名を上げている)だが
劉備は負けるときは勢力が消散するほどど派手に大負けしている。

>>158
> 徐州反乱
袁紹との決戦を控えている情勢って事をお忘れなく。
袁紹の動きをけん制しながらの出兵故に、劉岱・王忠が率いた兵は大規模ではないのは明らか。
曹操軍の主戦力と云うわけでもないしね。
160 :無名武将@お腹せっぷく2011/11/05(土) 19:43:31.25
>>159
そう、だから現場指揮官の能力に限ればとした。官渡では2つの裏切りがなければ負けていたし、ドウ関では謀略が決め手となっている。
あと対張繍は完全に負けだろう。
161 :無名武将@お腹せっぷく2011/11/05(土) 19:56:51.22
>>160
張繍とカクに負けたが、戦略的に双方を味方にしたから結論から曹操の勝ち
162 :無名武将@お腹せっぷく2011/11/05(土) 20:26:55.67
>>161
曹操が積極的に何かした訳じゃないのに勝ちはなかろ。強いて言うなら自分を高く売りつけた張繍の勝ちだ。

劉岱達が派遣されたのは、袁紹との対決を邪魔されないように最低でも足止めをするためだろう。
それが追い返され曹操が赴かなくてはならなくなったのは、恐らく打って出た劉備に野戦で打ち破られたからだ。
163 :無名武将@お腹せっぷく2011/11/05(土) 21:40:26.53
>>162
何もしなかったのに味方になったのだから究極の勝ちパターンだとは思わないのかい?
164 :無名武将@お腹せっぷく2011/11/05(土) 22:20:05.75
>>163
すごい論法を展開してきたな
それは本人の才能にはなんの関係もないことなんじゃないのかい?
165 :無名武将@お腹せっぷく2011/11/05(土) 22:26:07.32
>>162
”劉岱・王忠を打ち破った”(または”〜は打ち破られた”)との記述だったか?
”劉岱・王忠は勝つ事ができなかった”程度の記述なはずだが
166 :無名武将@お腹せっぷく2011/11/05(土) 22:33:01.81
>>165
不利だった、か。要は負けたという解釈て良いと思う。
つか引き返して曹操が引きずり出された時点で負けだろ。
167 :無名武将@お腹せっぷく2011/11/05(土) 22:47:26.72
>>165
最低限は足止めじゃなかったのか?

曹操からすれば、どのみち対処が必要なこと
董承を処断、袁紹は動かないと見切ったことで満を持して討伐に向かっただけのこと
168 :無名武将@お腹せっぷく2011/11/05(土) 22:49:30.56
>>167に追記
引き返したとの記述はなかった。このことから最低の足止めはできてきた
169 :無名武将@お腹せっぷく2011/11/06(日) 00:09:39.49
>>162
宛から退却に成功した後、攻め返して勝ってるんだよ
張繍は追撃して敗れた
172 :無名武将@お腹せっぷく2011/11/06(日) 00:50:35.17
>>164
張繍とカクが味方になってくれる程、才能と器があったってことでしょう
175 :無名武将@お腹せっぷく2011/11/06(日) 01:09:44.57
>>170
逆に、平面で対処しなければならない戦力差が>>158の言うように、絶望的な差であったと考えた場合
どうして劉備はあのタイミングで離反したのか? って話なんだよねえ。凌げる見込みが全くなさそうなのに独立するかよ?
176 :無名武将@お腹せっぷく2011/11/06(日) 01:20:41.31
>>175
おいおい。
北に袁紹がいて一触即発の情勢なのを忘れてないかい?
さらに劉備自身が董承の陰謀に巻き込まれm曹操の下にいたら連座が免れない状態
座して死ぬより、反乱でもして生き残れるほうにかけたんだろ
陳寿も死なないためにって記述もあるから
とりあえず正史をヨメ
177 :無名武将@お腹せっぷく2011/11/06(日) 01:34:28.09
>>176
だから、袁紹が居たんだから対面しなきゃならない戦力差は絶対差ほどに大きな開きはないじゃないか
178 :無名武将@お腹せっぷく2011/11/06(日) 01:41:03.54
>>177
なにがだから?
劉備は曹操がこっちに来ないと考えて、反乱を起したかもしれないが
曹操はその上を行って、袁紹が動かないと見切って劉備を攻めた

戦力差は大きな開きがあると考えないほうがおかしいぞ
一時期とはいえ、曹操の下にいた一軍閥の長でしかない劉備が
頼った曹操と比肩する戦力があるはずがない
150 :無名武将@お腹せっぷく2011/11/04(金) 23:10:46.36
曹操・孫権・劉備
三人とも全盛期は素晴らしかったが、晩年ヘタレで共通点がある
151 :無名武将@お腹せっぷく2011/11/04(金) 23:48:51.45
豪族が数千万の私有民を奪い合ってる時に、八百万の民を三人で奪い合った時代。
程よく肥えた処で喰われるのが見えてたから皇帝にならなかったんだろうな。

現に大勢が決したところで司馬氏に喰われてるし、その後はまた分裂するし。
152 :無名武将@お腹せっぷく2011/11/05(土) 02:28:21.48
>>149
劉備が戦上手??
四半世紀戦乱の最中にいたのにも関わらず、
戦上手とは言い難い文帝にダメだし喰らう劉備がか?

>>151
曹操は予知能力者かよw
そんな達観論者だったら、漢なんてほっといて世捨て人になってると思わん?
153 :無名武将@お腹せっぷく2011/11/05(土) 02:48:05.54
あの時点で皇帝になっても、とくにメリットがなかったのかもな。
性格や人間性はアレだがw、けっこうクールな人だし、
名誉欲には、それほど興味なかっのかも。

まあ、その辺りの気持は本人しか分からないけど
155 :無名武将@お腹せっぷく2011/11/05(土) 09:23:48.69
漢魏革命のお膳立てをしておきながら自分は文王でいたいが本気だったとすると
皇帝にならなかったのは多分に曹操のロマンチズムを含んだ行為ってコトになるな
梁の武帝が魏晋にならって前代の天子を生かそうとしたように
石勒あたりからすれば噴飯ものだったんだろう。幼帝を散々に利用して置きながら、最後は漢臣のまま終わりたいか!ってな
そこが人間・曹操の魅力なのかも知れんが、英雄・曹操としては格の下がる行為にみえる
個人的には英雄・曹操であって欲しいから、単純に皇帝には手が届かなかった説の方を支持したいな
170 :無名武将@お腹せっぷく2011/11/06(日) 00:14:22.55
徐州反乱の時、結局劉備は曹操の本隊に追い散らされたわけだけど
南と北にそれぞれ戦力を裂かなければならなかった状態で、対劉備にそれほどの大戦力を割けたとは思えないのだが
全体的な兵力差はともかく、劉備と曹操の局地的な、平面での戦力差がそれほど大きかったとは思わんよ
174 :無名武将@お腹せっぷく2011/11/06(日) 01:02:48.77
黄巾の賊
袁紹(公孫サン配下時におそらく戦ってる)
袁術(紀霊など)
呂布(基本、追い払われるだけで戦いになってないかも?)
曹操(曹操、曹仁、夏侯惇、于禁、李典、夏侯淵、張郃など主な将帥だけでも沢山)
劉璋(冷苞・劉璝・張任・?賢など)
孫権(陸遜など)
179 :無名武将@お腹せっぷく2011/11/06(日) 02:16:38.89
袁紹への備えを外せるわけないじゃん。劉表や孫策への防備もそうだし
さっきから何言ってんのこの人
180 :無名武将@お腹せっぷく2011/11/06(日) 02:31:55.02
>>179
はぁ。。。
曹操は全兵力を周囲の備えにしてたっての?
自分の手元に自由に動かせる兵を残していないと?
おばか?

一時期はその兵を率いて袁紹との国境に遣っていたが一部を残して中央に戻し
劉備に当てて一掃したんだろが

なにいってんのはこっちの台詞
185 :無名武将@お腹せっぷく2011/11/06(日) 18:04:52.28
>>180
だから、各地の国境守備隊を割いてなお、劉備にとって絶望的なまでの差があったとは思えないのだがね
特に対袁紹にはかなりの戦力残しておかなければならなかったハズだ。その上で劉備に対してそれほど大規模な遊軍を編成できるか、という事
後の官渡の対陣の時には、劉備が汝南まで下って来て挟み撃ちにしてるが、
一旦袁紹の所まで逃げた劉備が、またこんなところまで下ってこれるっていう事は曹操の兵力がこの段階でかなり不足してたって事
お前の説でいえば曹操はかなりの兵力的余剰があったはずだが、劉備を倒してから袁紹と対陣するまで、それほど間があったわけでもない。
「劉備にとって絶望的戦力差」であるほど規模の大きい遊軍を組織できるだけの兵力を、その短期間でいきなり失ったとは考え難い
まあ曹操の能力を思い切り過小評価して、理由なく大軍を短期間で失ってしまうアホだった、というならその説も通るが、それに足る有力な根拠があると思えんし
劉備が200や300の小勢で挙兵したとはさすがに思えんしな

まあ、劉備の能力をずいぶん高く評価したいらしいから、人の話なんか聞く気ないだろうけどね
人の事「おばか」とか言っちゃうくらいだし
俺も劉備の能力は高いと思ってるけどなあ。ただあんたの言ってる事は無理やりだって思うけど
188 :無名武将@お腹せっぷく2011/11/06(日) 19:38:12.57
>>185
劉備を高く評価?
                        ,、 '";ィ'
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     `ヽ、:::::::::;;;、、--‐‐'''''',,iニ-    _|  、-l、,},,   ̄""'''¬-, '  ''‐-、 .,ノ'゙,i';;;;ツ
   _,,,、-‐l'''"´:::::::'  ,、-'" ,.X,_,,、-v'"''゙''yr-ヽ / ゙゙'ヽ、,    ,.'      j゙,,, ´ 7
,、-''"    .l:::::::::::;、-''"  ,.-'  ゙、""ヾ'r-;;:l  冫、     ヽ、 /    __,,.ノ:::::ヽ. /   またまたご冗談を
       l;、-'゙:   ,/      ゞ=‐'"~゙゙') ./. \    /  '''"/::::;:::;r-''‐ヽ
     ,、‐゙ ヽ:::::..,.r'゙         ,,. ,r/ ./    ヽ.   ,'     '、ノ''"   ノ  
   ,、‐'゙     ン;"::::::.       "´ '゙ ´ /      ゙、 ,'            /
  '     //:::::::::            {.        V           /
        / ./:::::::::::::            ',       /         /
.    /  /:::::::::::::::::.            ',.      /   ,.、     /
189 :無名武将@お腹せっぷく2011/11/06(日) 23:16:39.13
>>185って、例えば10万の兵がいたら北に5万、南に5万て配置すると勘違いしてんじゃないの?
実際は例えば北1万南1万の駐留軍を置いて、有事の際は中央から最大8万の軍を動員するんだが。

官渡の戦いでは曹操から黄河を越えて黎陽まで兵を進めてる。少なくともこの時点で袁紹と戦えるだけの戦力は有していた。
ところが劉備が反乱を起こし劉岱達が追い返された事で、官渡の中央軍を引き揚げ劉備に当てざるを得なくなった、というのが実情だろう。

ついでに南北としきりに言うが、南の劉表は張羨への対応で動けず、孫策は反乱分子の粛清に手一杯だった。
仮に孫策が許を狙っていたとしても、当時の孫策に大軍を動かす余裕なんてなかっただろう。
だからこそ曹操は対袁紹に兵を集中する事ができた、つうかそうでなきゃそもそも黄河を渡り袁紹に攻めいるなんて自殺行為でしかない。
190 :無名武将@お腹せっぷく2011/11/07(月) 00:07:25.98
>>189
開戦前と開戦中が異なる情勢ってこともわからないくらいだから
根本を勘違いしているっぽいな。

開戦中に大規模な遊軍が、開戦前でできなたらできるだろうって
なにを言ってるのか解らなかったよ

劉備が反乱して数万の兵を集めたと正史に書かれていることだけど
それすら知らないようだし・・・、まったくもーって感じだ
191 :無名武将@お腹せっぷく2011/11/07(月) 07:51:20.88
>>190
実際、前年には黎陽まで侵攻した筈が、翌200年の2月には白馬を攻撃されてる。
中央軍が来られないため、黎陽は陥落したか放棄されたかしたんだろう。
182 :無名武将@お腹せっぷく2011/11/06(日) 11:37:58.46
赤壁の段階で孫権以外みんなオッサンだからな
オッサン劉備より年上の曹操なんて更にジジイだし
若い息子に託すのが自然だろう
183 :無名武将@お腹せっぷく2011/11/06(日) 17:04:02.24
漢の高祖は54才で即位(一説では45才)
劉宋の武帝は57才
南斉の高帝は52才
陳の高祖は54才
唐の高祖は52才
184 :無名武将@お腹せっぷく2011/11/06(日) 17:07:12.55
おっと、一番重要な即位年齢を忘れてた

蜀漢の先主は60才で即位
187 :無名武将@お腹せっぷく2011/11/06(日) 18:25:30.88
『魏書』に言う。
当時、公は官渡において差し迫った状況を抱えていた。
そこで諸将を選んで官渡に残し、みずから精兵を率いて劉備を征討した。
劉備は当初、公は強敵と対峙しているため東進することはできまいと考えていたので、
斥候の騎兵が突如やって来て「曹公が直々に到来した」と告げると、劉備は大層驚き、
それでもなお信じられなかった。
彼自身が数十騎を連れて出陣し、はるかに公の軍勢を眺め、麾旌を見るなり、
すぐさま人々を見捨てて逃げ去った。
192 :無名武将@お腹せっぷく2011/11/07(月) 08:21:26.99
だいたい、劉備なんて早めに蹴散らして袁紹に当たりたいのに、同程度の戦力しか連れていかないとか馬鹿丸出し過ぎだろ。
そうでなくても白馬救援まで2ヶ月もかかってるのに。
193 :無名武将@お腹せっぷく2011/11/07(月) 08:27:12.83
同程度の戦力なら劉備は下ヒに籠もる。時間をかければその分劉備にも袁紹にも有利だからだ。
劉備が城を出たのは袁紹の元へ逃れるのがある程度計算に入っていたからだと思う。
194 :無名武将@お腹せっぷく2011/11/07(月) 09:45:52.88
袁紹に対抗するだけの戦力揃えながら、わざわざ黄河を背にして防衛戦して瞬殺か。曹操って相当な戦下手なんじゃないの?
黎陽捨てて黄河挟んで白馬で防衛する方がまだマシだわ。
195 :無名武将@お腹せっぷく2011/11/07(月) 10:36:15.42
実際は白馬どころか延津まで失い、官渡まで逃げ込んでるからな。
仮に前線に大軍を残してたとしたら、その大軍を序盤で失い袁紹側の裏切りでたまたま勝ちを拾ったって事だ。曹操弱ぇ〜w
196 :無名武将@お腹せっぷく2011/11/07(月) 16:07:16.50
曹操が皇帝に成れなかったんじゃなく成らなかった。理由は簡単「赤壁の戦い
に敗れて天下統一を阻まれた」から。天下統一してたら確実になってただろ。
それで自分の夢を子に託したんだよ。
197 :無名武将@お腹せっぷく2011/11/07(月) 20:33:47.47
反董卓連合の時、無官の曹操の為に兵を集めてくれたのは衛ジだった。
張バクとの戦いで糧食をかき集めてきてくれたのは程イクだった。
張繍に殺されかけたとき命懸けで曹操を守ってくれたのは典韋だった。
袁紹との戦いで弱気になる曹操を叱咤激励してくれたのは荀イクだった。
潼関の戦いで馬超と韓遂を仲違いさせたのはカクだった。
関羽が北上したとき遷都を踏みとどまらせたのは司馬懿だった。
曹操が苦境に陥ったとき、事態を救ったのは曹操自身の才覚ではなく優秀な部下達だった。

曹操は優秀な人材を欲した。いざという時自分では限界があると知っていたからだ。
そういう意味では曹操の本質は裕福な劉邦であった。
劉備が孔明を得るまで貧乏な項羽に過ぎなかったのとは対照的と言える。
198 :無名武将@お腹せっぷく2011/11/07(月) 21:13:57.78
そうさ、後先の事を考え息子らを育て上げたからね

曹昂の件で失敗した教訓だろう
そして曹丕に託す

でも一番のお気に入りは神童の曹沖だったかも
199 :無名武将@お腹せっぷく2011/11/07(月) 21:24:26.32
曹操は歴史に詳しく詩文に通じていた。天下の三分の二を保有し帝位に就かなかったのは周の文王と魏武だけだと思う。漢に忠誠心もあったはずだ。
200 :無名武将@お腹せっぷく2011/11/07(月) 21:35:26.14
呉の孫権は皇帝になった年齢が若く、跡継ぎの教育はできてた
一方、蜀の劉備はワンマン社長だから深刻だったろうな


vip_2ch_news at 23:15│Comments(0)TrackBack(0)三国志・戦国 

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