2011年12月08日

【劉備】漢中の戦い【曹操】

1 :無名武将@お腹せっぷく2010/12/04(土) 11:26:11
参加武将 曹操軍:曹操、曹洪、曹仁、夏侯惇、夏侯淵、張郃、徐晃、龐徳、許褚、曹休、曹真、曹彰、夏侯徳、韓浩、杜襲、郭淮、張魯 参謀:楊修、劉嘩、賈詡、司馬懿

     劉備軍:劉備、張飛、趙雲、馬超、黄忠、魏延、呉蘭、雷銅、厳顔、劉封、孟達、霍峻、陳式、張翼、張著 参謀:諸葛亮、法正、黄権

  兵力 曹操軍:20万

     劉備軍:11万

  説明:215年に漢中に攻め込んだ曹操は、太守の張魯を降伏させ漢中を手に入れた。
     218年に劉備は張飛を派遣して巴西に攻め込み、曹操は張郃に迎え撃たせた。
     張郃は張飛の誘引の計に掛かり、わずか10騎余りで漢中に逃げ込んだ。さら
     に劉備は張飛、馬超、雷銅、呉蘭を武都に派遣した。曹操は、曹洪、曹休、曹真
     らに迎え撃たせた。曹休は張飛の計略を見破り、呉蘭、雷銅を討ち張飛、馬超を
     撃退した。219年に劉備は定軍山に攻め込んだ。曹操は張郃と夏侯淵に迎え撃たせた。
     劉備は張郃を攻撃し、撃退した。夏侯淵は援軍を張郃に送ったため自身の軍勢が少なく
     なった。そこを法正の助言によって劉備軍に攻め立てられ、夏侯淵は劉備軍の大将の黄
     忠に討ち取られた。それに怒った曹操は長安から20万の大軍を率いてやってきた。劉備は
     黄忠に食料庫を攻撃させた。曹操は黄忠を取り囲んだ。そこを趙雲が切り込んで黄忠を助け
     出した。趙雲は城門を開いておいて一騎で門の前に立ち、追ってきた曹操軍に一斉に弩を浴びせ
     て撃退した。こうして曹操は漢中から撤退し、劉備が漢中を領する事に成功した。


8 :無名武将@お腹せっぷく2010/12/05(日) 20:47:33
コテスレを馬鹿にする糞コテのJominian

三戦皇帝:献帝が三戦コテに官職を発表する
http://yuzuru.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1289918090/l50

25 :Jominian ◆Henri9gNlM :2010/12/02(木) 00:15:01
>>1もいなくなったみたいだし、俺の提案も受け入れられないみたいだな。
まぁ、そんなもんだろう。

所詮はコテスレという事だろうな。

27 :無名武将@お腹せっぷく:2010/12/02(木) 14:28:42
自分の意見が通らなきゃコテスレと蔑むのかw
発言者の人格が現れているな

31 :無名武将@お腹せっぷく:2010/12/02(木) 14:41:58
要するにJominianは人間性が残念なコテなんだな
22 :無名武将@お腹せっぷく2010/12/11(土) 17:13:47
まったく同じ名前のスレがもう一つあるんだが>>1は板荒らし?
151 :無名武将@お腹せっぷく2011/12/05(月) 03:28:08.10
>>1見ると劉封も参加してるっぽいけど
曹彰の伝に付されてる『魏略』の「劉備は劉封に戦いを挑ませ〜」ってところ以外で
劉封の活躍ってどっか書いてある?
2 :無名武将@お腹せっぷく2010/12/04(土) 11:37:10





Gominianの母親は売春婦であった。


500円渡せば誰にでも股を開いたので、付いたあだ名はワンコイン女。


しかし醜い容姿のため、その破格の低価格をもってしても抱く男はほとんどおらず、


しかたないので専ら公園や河原で寝起きする浮浪者相手に春を売っていた。


そのような生活を送る中で彼女は妊娠したが、中絶費用が無かったために不本意ながら出産した。


そうして産まれてきたのがGominianである。


つまりGominianの父親は名前も知らない浮浪者であり、Gominianは母親からも望まれない子であった。




5 :無名武将@お腹せっぷく2010/12/05(日) 06:00:32
夏侯淵の短慮が目につく戦い
7 :無名武将@お腹せっぷく2010/12/05(日) 08:31:09
>>5
…渾身の生が惟惟眩しい
6 :無名武将@お腹せっぷく2010/12/05(日) 07:51:29
劉備が蜀の人員・物資を根こそぎ動員して
漢中の夏侯淵らを圧倒的物量で攻め立てて戦死させ
曹操の援軍に対しては徹底した篭城で戦火を交えず
諦めて撤退するのを待った戦いだよね

趙雲の逸話は全部後世の人の妄想だし
9 :無名武将@お腹せっぷく2010/12/05(日) 22:43:29
>>6
圧倒的ってほどでもない
てか夏侯淵の戦死は法正の戦略で防衛体制をずたずたにされた事と黄忠の奮戦が大きい
曹操に対しても、劉備の防御を前に何度攻撃しても何もできず
魏軍は犠牲者逃亡者が続出して撤退に追い込まれた事が正史にある

趙雲の戦いは注釈にあるもの
これは陳寿が書きたくてもかけなかったエピソードなどが
後世で再編集されたもんだから、特に妄想とする根拠はないな

残念だが曹操・魏軍の完敗といっていい戦い
10 :無名武将@お腹せっぷく2010/12/09(木) 19:03:06
要害堅固な山上に布陣してひたすら守りを固めて相手の疲弊をまつ戦法
これって劉邦が項羽にやった戦法とにてるな
その時、焦った項羽がいくら挑戦しても劉邦はまったく応じなかったそうな
11 :無名武将@お腹せっぷく2010/12/09(木) 19:29:39
光武帝劉秀もそういう勝ち方したことあったよな
劉邦、劉秀、劉備・・・
三人の劉氏に共通する性質なのかもな
12 :無名武将@お腹せっぷく2010/12/10(金) 17:54:48
演義での曹操は悪く描かれているけれどそっちの方が良いよな
正史だとほぼ完璧に描かれていて面白みがない
13 :無名武将@お腹せっぷく2010/12/10(金) 18:03:20
>>12
もしかしてあなたが読んだ正史の表紙には蒼天航路と書いてませんでしたか
16 :無名武将@お腹せっぷく2010/12/10(金) 18:46:36
>>12
本当に正史読んだのか? 

正史の曹操は完璧になんて描かれてないぞ 
18 :無名武将@お腹せっぷく2010/12/10(金) 22:08:56
漫画を見て正史を読んだ気になってる人もいるからねw
アモーレ蒼天航路とかw
25 :無名武将@お腹せっぷく2010/12/20(月) 15:33:34
この戦いで頑張っていたのは龐徳だよな
一騎打ちで魏延を撃退しているし
33 :無名武将@お腹せっぷく2011/07/20(水) 18:43:44.19



    劉備が倍以上の兵を率いた曹操軍を追い払う事に、関羽は不要だった


39 :無名武将@お腹せっぷく2011/09/29(木) 02:49:06.09
空城の計とか黄忠を単身助け出したとかは正史ではなく注に引く趙雲別伝にあるが全くのガセだろう
なぜなら劉備の漢中王即位の時、趙雲は・・・・☆趙雲は一切昇進していない☆
子龍の別伝これはったりなり
40 :無名武将@お腹せっぷく2011/09/29(木) 13:19:42.71
>>39
では昇進した人は漢中戦で功績があった人だけかね?
逆に昇進しなかった人は漢中戦で功績なかった人だけかね?

答えはNO

つまり昇進によって功績の有無を図るのは不可能
目安にはなってもね
41 :無名武将@お腹せっぷく2011/09/30(金) 09:39:16.76
>>39
関羽なんか漢中戦で参戦もしてないのに
劉備の漢中王即位において、筆頭将軍ともいうべき前将軍に任じられてるぞ
張飛には張コウ撃破と巴郡奪取の功績があるが、馬超は下弁方面で曹操軍と相対してただけだけど
それでも四方将軍の一人である左将軍になってる
むしろ夏侯淵軍撃破、夏侯淵本人も討ち取り、そこから魏軍本陣大破して陥落、
(これによって漢中戦の戦略的勝利はほぼ決まった)
という大功を立てた黄忠で大昇進して後将軍であって
それを考えれば趙雲が曹操を砦で撃退しただの、黄忠を助け出したりしただのだけでは
将軍位昇格にまで至るかどうかはわからん
4方将軍が既に占められている以上、ポストの問題もあるだろうしな
42 :無名武将@お腹せっぷく2011/09/30(金) 12:04:46.55
特に記述のない魏延が昇進してるのに別伝で獅子奮迅の活躍をしてる趙雲は昇進してないという
関羽は漢中攻防の間、荊州の統治をしていたのだから功績はある
馬超は一応敵地の武都に侵入してるわけだが張飛が主に指揮してたようなので何をしてたのかは不明だな
侵入する際テイ族達が呼応してるんでそこまでの動きは予想できるが
張飛が指揮で呉蘭 雷銅が先鋒軍くらいしかわからないからなー
交戦記録も呉蘭軍が集中攻撃で全滅くらいしかなかったはずだし
あと関羽が筆頭たる所以は官位よりも節だと思うが、
馬超・張飛は仮節 黄忠は無しだから厳密には順位は関羽>馬超 張飛>黄忠のはず
43 :無名武将@お腹せっぷく2011/10/01(土) 02:07:13.17
>>42
魏延の昇進なんて、本来は張飛が任命されるだろうと誰もがおもっている所に
劉備個人による大抜擢だから、あんまり参考にならんような
>関羽は漢中攻防の間、荊州の統治をしていたのだから功績はある
これいったら劉備がどこか別の土地を得るたびに関羽がいなくても関羽を昇進させる事にならないか
他の太守クラスも昇進させなきゃならなくならないか
48 :無名武将@お腹せっぷく2011/11/17(木) 00:39:41.16
>>43
> 劉備個人による大抜擢だから、あんまり参考にならんような
大抜擢には違いはないが、その抜擢に反対や取り下げるように諌言した人がいたって記述はない

張飛もこの件で何もアクションを起していない
自分が漢中を守る気まんまんだったのにも関わらずね

そんなところを見ると、抜擢に見合う功績や武威・武略があったと推測しても良いのでは?
49 :無名武将@お腹せっぷく2011/11/17(木) 02:41:40.41
>>48
別に張飛が漢中守る気まんまんだったという記述はないだろう
魏延の武功に関しては書かれるものはちゃんと書かれてるのに、
漢中戦では正史・正史注釈問わず一切記述が無い
蜀側のあらゆる伝のみならず、魏側からすら魏延の漢中戦での活躍を伺えるものは無い
周囲にとっても意外だと驚かれてる事からして、本当にただの劉備の大抜擢にしかならんだろ

漢中戦最大の武功保持者である黄忠の昇進に関して諸葛亮が「こんなに昇進させたら関羽が怒るのでは?」と言って劉備が「自分が説明する」と言ってる事や
漢中戦での法正の劉備への一時後退進言のエピソードから見ても、
呉遠征への大敗後に諸葛亮が「法正が生きてたら主君をとめられたのになあ」と
いってる点などからして、劉備には己の決断に有無を言わさず周囲を従わせられるだけの威があった事が伺える
その劉備が決断した事であれば、
軽々しく文句を言える人間なんてそれこそ関羽くらいだったんじゃなかろうか
だから魏延抜擢に対して文句言う人間がいなかったのもそれほど不自然でもなかろ
58 :無名武将@お腹せっぷく2011/11/18(金) 01:31:26.92
>>49
衆論以爲必在張飛、飛亦以心自許。
59 :無名武将@お腹せっぷく2011/11/18(金) 23:39:14.91
>>58
「周りが張飛がなるだろうといっていたので、張飛もまたそのように心を許していました。」
よーするに周りがそうなるだろうといってたから、自分もそうなるだろうとおもってた、ってだけで
張飛自身が劉備に抗議する程守る気満々だったとか、そういう意味じゃなかろ
てか最初の「魏延に功績があったはずだから、張飛は魏延がなっても抗議しなかったんだ」という前提からしておかしい
誰も魏延が漢中太守になるとはおもっておらず、下馬評では普通に張飛だったんだから
史書に功績を記した記述が無いことからも、魏延に漢中戦で大きな功績といえるものは無かったと考えられるだろうに
入蜀時みたいな概括文での功績書きも漢中戦役では無い
もとから法正関連のエピソード見る限り、劉備が決定下したらそれに文句を言える奴なんてそうはいなかったようだから
張飛が文句言わなかったのも別に不思議な事でも無し
60 :無名武将@お腹せっぷく2011/11/19(土) 02:35:50.10
>>59
> 張飛もまたそのように心を許していました
それ、日本語としておかしくないか?
「人々は張飛こそが相応しいと考えて、張飛自身もそう自負していた。」

> 張飛自身が劉備に抗議する程守る気満々だったとか、そういう意味じゃなかろ
張飛の性質上、自分のモンだと考えてたのを横から掻っ攫われて、そいつがたいしたことの無い奴だったら
一悶着起しそうなもんだろ
それに周囲の家臣も驚きはしても諌めたと云う記述はない。

> 下馬評では普通に張飛だったんだから
張飛には功績云々以前に先主の義弟って立場がある
荊州に関羽ならもう一方の重要拠点は張飛と誰もが思っても不思議じゃない。

> 劉備が決定下したらそれに文句を言える奴なんてそうはいなかったようだから
別に直接劉備に文句を言う必要はない
関羽は黄忠や馬超の扱いに対して不満をぶちまけてる
趙雲は諌言してるな、別伝だが

> 史書に功績を記した記述が無いことからも、魏延に漢中戦で大きな功績といえるものは無かったと考えられるだろうに
> 入蜀時みたいな概括文での功績書きも漢中戦役では無い
元々、大抜擢であることに否定はしていない。
しかし、大抜擢を受ける程度の史書に載らない程度の功績はあったのだろうという推測。
それすらないとするなら、劉備は自分の気まぐれで、功績の有無も考慮せずに不公平な人事を平然と行う、
どんな勲功を立てようと報いることを知らない主君としてあるまじき人物になる
>>59は劉備に対してそういった人物であると評をしているのか?
62 :無名武将@お腹せっぷく2011/11/19(土) 06:31:44.99
>>60
日本語そのまんまだろ
文字通り訳しているだけにすぎんぞ

講談ならいざしらず、正史における張飛がそんな事をした記録は特に無い
てか正史では張飛について「下の者には過酷だったが、目上の者には丁重だった」とある
その性質を考えれば普通の反応と見られるが?
てか、なんでわざわざ張飛自身も文句言わないのに、他の奴が言う必要あるんだよ

普通に正史に残る活躍として、張飛には張コウ大破して巴郡奪取という功績がある
少なくとも記録ゼロの魏延よりは下馬評でそうなるに相応しいな
あと、張飛が義弟というのは演義の評価か?
正史では特に張飛が劉備の義弟という記述は無いぞ?
「関羽とともに劉備に仕え、二人に対して劉備は兄弟のような恩愛をかけた」とあるだけだ。
義兄弟にまで発展したのは演義の影響

関羽については諸葛亮からも劉備に懸念を表しているように
もともと劉備に文句を言えるのが関羽くらいだったということだろう
趙雲云々は呉遠征前の事か?あれは国家の命運を左右する戦の前だったからだろ?
それでも結局劉備は趙雲の諫言では考えを翻さなかった事はスルーか?

蜀側のあらゆる列伝はおろか魏側にすら残らない、それでいて漢中太守に任じられて相応しい功績ってなんだよ
無理あるに決まってるだろ
張飛はちゃんと軍のトップ4というべき四方将軍に任じられてる
十分報われてるのに何をいってるんだ?
大抜擢だからこそ、わざわざ劉備も魏延に抱負をたずね、魏延が勇ましいことをいって
周囲を納得させる必要あったんだろ
なんかこれ、高祖劉邦が韓信を抜擢したのを真似たっぽい流れだし
64 :無名武将@お腹せっぷく2011/11/19(土) 07:55:15.08
>>62
この「許」は「気をゆるす」じゃなくて「資格がある」みたいな意味だ
日本語化されてニュアンスが変わってる字とかあるの分かってないからそんな妙な訳になる
自ら資格があると思っていたのだから「張飛もまたそのように自負していた」となるだろ

「張飛もまたそのように心を許していました」なら要するにそういう先入観があったということだし
抗議うんぬんは誰も言ってねえよ
65 :無名武将@お腹せっぷく2011/11/20(日) 03:16:41.37
>>62
> 講談ならいざしらず、正史における張飛がそんな事をした記録は特に無い
陳寿評曰く
関羽は剛直で自信を持ちすぎ、張飛は乱暴で情を持たず、
その欠点のため身の破滅を招いたのは道理からいって当然である。

66 :無名武将@お腹せっぷく2011/11/20(日) 06:40:33.09
>>60
そんな立場ねぇよ

劉備と張飛が義兄弟なのは演義
正史における義兄弟は公孫サンを除けば、糜竺・糜芳、孫権のような姻族関係者だけだ
68 :無名武将@お腹せっぷく2011/11/20(日) 12:53:14.83
>>65
だーかーらー
正史にはしっかりと
「張飛は目下のものには過酷だったが、目上の者には丁重だった」とあるだろ
お前の言ってるような事柄をはっきり否定してる記述だろうが
張飛が乱暴で情をもたなかったのは目下の者に対してなんだよ
目上の者に丁重だった張飛なら普通に劉備の決定を受け入れて終わりだったろうよ
69 :無名武将@お腹せっぷく2011/11/20(日) 12:58:12.29
>>64
妙な訳じゃねえだろうが
普通に大意は通ってる
自分に資格がある、というのと「自負」はまた別もんだろ
ましてや、お前のいう守る気満々というのとはさらに異なるニュアンスだろうが

お前は抗議云々を言ってるだろうが
痴呆症かなんかか?
>張飛の性質上、自分のモンだと考えてたのを横から掻っ攫われて、そいつがたいしたことの無い奴だったら
>一悶着起しそうなもんだろ
こういう風に>>60で自分で書いておきながら、今更何をいってんだ?
そんでお前のイメージとは別に、正史における張飛は目上の者に丁重だったとはっきり書いてあるから
主君である劉備が下した決定なら悶着なんぞ起こさずに、普通に受け入れて終わりだったろうよ、って事だな
44 :無名武将@お腹せっぷく2011/10/01(土) 02:45:31.74
少なくとも空城の計や黄忠奪還が本当なら正史に記述あるなり昇進なりはあるだろう。
本当にやってたならそれくらいの活躍のはず。

関羽に関しては漢中戦以降も劉備が勢力伸ばしていったら戦闘参加してなくても自動的に昇進していくのは確定なんじゃない?
留守居じゃなく別方面担当だから挟撃なりでなんだかんだ作戦参加状態で功績あることにはなるだろう。
45 :無名武将@お腹せっぷく2011/10/01(土) 03:05:56.12
>>44
そのくらいの活躍か?
黄忠奪還は黄忠が兵糧焼き払ったののサポートだし、
曹操撃退に関しては、そもそも漢中戦では劉備軍が要害を守って曹操軍の攻撃を撃退しまくって
被害続出させ、結局曹操が諦めて撤退、という流れなので
趙雲に限らず劉備軍は曹操軍の攻撃を撃退してるはず
結局、趙雲の活躍も各地の要害を守って曹操軍を撃退した劉備軍の活動の一つだったという事だろう

少なくとも漢中戦では完全に留守居だろ
どっかを挟撃したわけでもなし
46 :無名武将@お腹せっぷく2011/10/01(土) 09:34:52.36
・椿まみ「月の世界でランデブー」
今やローヤルの歌姫の異名を持つ椿の代表曲で、唯一オリコンチャートにランクインされたことでも知られている。
発売がちょうどアポロ11号の月面着陸に成功した頃なので、タイムリーではあるがなかなか楽しめる宇宙的お座敷ソング。
B面「恋の終りが…」は普通のムード歌謡。

・那須あけみ「おでこの子守歌」
地元名古屋のマイナーレーベルにシングルを発表していた那須の全国デビュー(?)作。
タイトルは子守歌だが、中身はなかなかのビート歌謡。作詞は川内康範。

・小林さち子「恋地獄未練ばなし」
不遇時代にローヤル/マキシムから発表した情念歌謡。北原ミレイよりもおどろおどろしい。
上村一夫のイラストジャケ&コメントが秀逸。
50 :無名武将@お腹せっぷく2011/11/17(木) 02:46:15.19
法正は劉備に信頼され、己の意思を上手に伝えて、うまく聞き入れてもらう事には長じていたようだが、
関羽のように軽々しく文句を言える、というような関係ではなかったろうな
51 :無名武将@お腹せっぷく2011/11/17(木) 03:12:02.96
ただ記録がないだけで昇進した魏延らが功績がある可能性は十分にある。
別伝が事実だと仮定するにしても正史には何も記録が無いわけだしな。
馬超 張飛も下弁から敗走した先は漢中、当時陽平関すら劉備はとっていない激戦状態の漢中だが下弁以降彼らの記述は無い。

まぁ馬超 張飛の場合は戦力を失い形勢が悪くなって敗走したのは一面の事実ではありそこだけを見れば失敗だが、
当時『漢中』を全力で奪取する方針だった以上、『漢中』ではない『下弁』に別の経路から侵入した数ヶ月が、
劉備軍のその間の作戦上意味があった可能性は十分にあるわけで、そこだけみても単純に功績そのものが無いとも言えない。
52 :無名武将@お腹せっぷく2011/11/17(木) 04:19:45.20
>>51
別伝含めても注釈含めても
魏延の活躍記録は一切ないわけで
それで活躍したはずというのは無理だろ

魏延にはそういった記録すらないのですが
馬超・張飛は漢中方面に全面撤退したして劉備と合流したわけでもないから
多分下弁と漢中の間くらいにとどまって対陣でもしてたのか
これなら、下弁方面の曹操軍を漢中に参戦させなかった、という点でそれなりの功績
53 :無名武将@お腹せっぷく2011/11/17(木) 04:22:04.71
てか、馬超は四方将軍位に任じられたのはかっては群雄の一人だったという点が
考慮されているのだろうし、張飛は張コウ相手に大勝利して巴郡奪取した実績があるから
それが考慮されているのだろうし
54 :無名武将@お腹せっぷく2011/11/17(木) 09:54:52.01
魏延は漢中太守のみならず将軍位も飛び級であがって4将軍の下に来る。
これで功績が無いとは考えにくい。

そして下弁の戦いそのものだが、
反乱させながら侵入した記録(10月〜12月)と
張飛の策の看破により3月に呉蘭らを失って、その月に漢中に逃げた記録しかない。
その間は何をしていたのかが不明、あくまで漢中に脅威を感じて奪取を目論むなか、
手始めに張飛・馬超ら劉備軍の中核である将軍らが下弁にはいったのは、
作戦上それなりの目的があったはずで、このことからも記録が無い=功績がないとはならないとは分かると思う。
敵戦力の分散、漢中の孤立、あるいは陽平関周辺への進軍の手助けなどを担っている可能性が十二分にある。

もう一つ下弁と漢中の間は陽平関や陳式軍が激戦を繰り広げた道がある。
張飛 馬超の撤退時期はこれらの地点を巡って戦いが起こる直前だから、
仮にそこを撤退地点とすると撤退先もまた最前線に限りなく近い。
何にせよ、記録そのものがやはり足りてないことはわかるでしょう。
55 :無名武将@お腹せっぷく2011/11/18(金) 00:46:44.16
>>54
考えにくいも何も実際に記録ゼロなんだから仕方ない
あるというなら出してみそ
もともと漢中太守就任だって周囲に予想されたことではなかったのがそれを裏付ける

作戦行動の意図が書いてないのと
作戦行動自体の記録が無いのは別物
はっきりいってあんたの書いてるのは憶測でしかなく
根拠となるものが何も無い
これで「わかるでしょう」とか大見得切る前に何か根拠足りうるもの出してね
56 :無名武将@お腹せっぷく2011/11/18(金) 00:52:33.21
最近の魏延信者は記述ない事まで憶測で魏延の手柄を創造しないと
気がすまなくなったのか?
魏延の具体的な武功は諸葛亮時代のはちゃんと明記されてて
それに伴う昇進とかも書かれてて、
入蜀のときでも「度々武功を上げて将軍に任じられた」と概括で書かれてるのに
漢中戦では具体的な記述どころか入蜀時みたいな概括文すら無く、
周囲からも漢中太守になるなんて想像されてなかったという事実で十分察せられるだろうに
57 :無名武将@お腹せっぷく2011/11/18(金) 00:55:37.00
つか、某スレといい憶測だけで「〜のはずだ」の一点張りで持久戦に持ち込もうとする輩は
正直言って話しててもつまらん
相手してんのが馬鹿らしくなる
61 :無名武将@お腹せっぷく2011/11/19(土) 05:47:16.24
漢中攻防において正史に欠片ほども功績がなく昇進もない趙雲ですら子孫が書いた別伝で群を抜く活躍なんだから
大抜擢の魏延に功績(当然漢中攻防で交戦中 平定後と2度昇進した黄忠よりは下だが)があってあたりまえだと思う
ただ記録がないだけだろう
益州平定での功績も詳細は書かれてないし
63 :無名武将@お腹せっぷく2011/11/19(土) 06:36:03.14
>>61
別伝は別に子孫が書いたわけじゃないけどな
清代の学者がそう疑ってるだけで

当たり前とか憶測だろうが
もともと功績あるならあるで概括でも書くもので
諸葛亮時代の功績と昇進ではしっかりと具体的に書いてあり
入蜀では具体的ではないものの概括文で書いてあるのに
漢中戦ではそれすらない記録ゼロ
蜀側はおろか魏側にすらそれを示すもの無い、これであって当然とかいわれたって
笑わせるなとしかいえんだろう
67 :無名武将@お腹せっぷく2011/11/20(日) 10:35:58.39
魏延が手柄を立てたとしても表に表れない地味なものだったんだろうね
はっきりした手柄がないのに抜擢されるのは劉備配下にはよくある事だから
ことさら記述のない手柄があったと仮定する理由はないし
漢中太守に相応しい実務能力があれば劉備健在のうちは人事的にも問題なかっただろう

張飛は張飛で漢中戦前後で順調に昇進してるから
大駒の使い道が衆目と劉備の判断で違っただけの話だ
70 :無名武将@お腹せっぷく2011/11/20(日) 15:28:23.56
>>67
魏延は入蜀時に武曲を率いて幾度か功績があり、牙門将になったとある
牙門は軍の門、まあつまり劉備直属で且つ先鋒を務める役割だから
漢中戦では劉備の手足となって戦ってたということがわかる

夏侯淵を直接斬った黄忠は一気に出世したし、
そこまでの戦いを支えた魏延も大出世を果たしただけだろ
地味でもなんでもないと思うんだが
71 :無名武将@お腹せっぷく2011/11/20(日) 20:48:48.35
>>70
そこまでの戦いを支えた、という記述が全然無いだろ
概括文でも一切無い
黄忠が夏侯淵を討ち取った経緯は先主伝や黄忠伝を見る限り
普通に黄忠直属部隊が奮戦して行ったものであって、
他の部隊が関与した形跡は特に無いぞ
てか牙門将ってだけで手柄立てたはずっておかしすぎるだろ
72 :無名武将@お腹せっぷく2011/11/21(月) 01:04:30.29
ここまで行間を読めない奴も珍しい

>>71の中じゃ、例えば蔣琬や費禕なんかも録尚書事に至るまでの昇進は大抜擢で
就任後も功績をあげることも無く過ごしたってなってるんだろうなw

何しろ就任以前に手柄に関して記述は乏しいし、就任後は特に目立った手柄の記述もないものw
73 :無名武将@お腹せっぷく2011/11/21(月) 01:17:22.31
>>72
もともとその二人のうち蒋エンに関しては成都で孔明の代理として政治を見ていた人物で
留守責任者をずっと問題なくこなしてて、
孔明からも「私が死んだ後は蒋エンに任せるべき」といわれてたんだから
その昇進は単なる規定路線
そして孔明死後は国内の全ての政治・軍事は全て彼の決済を受けて遂行されたとされる
どう見ても孔明亡き後の蜀の最高責任者として見事に役割果たしてただけに見えるが
費イも孔明生前から呉との交渉を成功させ、北伐軍中の内部調整も行い、孔明死亡前後に「蒋エンの後は費イに」といわれてるくらいだから
これまた規定路線
孔明死後には王平の後詰を務めて侵攻してきた魏軍を撃破している、という大功も立ててるし
蒋エン死亡後は国内中の政治・軍事の諸事項の処理も担ってる
十分すぎる実績かと
74 :無名武将@お腹せっぷく2011/11/21(月) 02:35:01.05
>>73
> もともとその二人のうち蒋エンに関しては成都で孔明の代理として政治を見ていた人物で
代理なんて記述はないな

> 留守責任者をずっと問題なくこなしてて
問題がなかったともないなw

> 孔明からも「私が死んだ後は蒋エンに任せるべき」といわれてたんだから
たいした功績もないのに孔明のお声がかりの大抜擢か、魏延と一緒だなw

> そして孔明死後は国内の全ての政治・軍事は全て彼の決済を受けて遂行されたとされる
> どう見ても孔明亡き後の蜀の最高責任者として見事に役割果たしてただけに見えるが
昇進し続けているが具体的な功績の記述はないなw

> 費イも孔明生前から呉との交渉を成功させ、北伐軍中の内部調整も行い、孔明死亡前後に「蒋エンの後は費イに」といわれてるくらいだから
呉との交渉なら費禕以外にも2〜3人は交渉を成功させた人がいるがな

> 孔明死後には王平の後詰を務めて侵攻してきた魏軍を撃破している、という大功も立ててるし
え!? どこにそんな記述が??
曹爽の侵攻の時には死んでるぞ?
このときの援軍は費禕で援軍が来たら魏軍は撤退していて撃破なんぞしとらんが?

> 蒋エン死亡後は国内中の政治・軍事の諸事項の処理も担ってる
> 十分すぎる実績かと
だから、具体的になにをしたっての?

って、>>71の言ってることはこんな感じだw
あ、王平の後詰の件は詳しくよろしく、さらっと読み直したが蔣琬伝や王平伝には見当たらなかったよ
後主伝の方か? あとで読み直そう
75 :無名武将@お腹せっぷく2011/11/21(月) 02:40:10.93
>>74
>> 孔明死後には王平の後詰を務めて侵攻してきた魏軍を撃破している、という大功も立ててるし
>え!? どこにそんな記述が??
>曹爽の侵攻の時には死んでるぞ?
>このときの援軍は費禕で援軍が来たら魏軍は撤退していて撃破なんぞしとらんが?

ああ、費禕の方か、主題の人物が変わってて勘違いしたよ
だけど、援軍が来たら魏軍は撤退していて撃破なんぞしとらん
76 :無名武将@お腹せっぷく2011/11/21(月) 23:17:31.89
>>71
牙門将軍が軍から外れるっていう記述がない限り
基本的には従軍して親衛隊として劉備の手足となってると考える方が妥当だろ
もし魏延が牙門将軍なのに漢中戦に参戦してなかったら、サボタージュか何か別の理由を考える必要がある
そういうことを思わせる記述はない

特に理由なく劉備の手足となって働かされる職務についた人間が
その職務をしていない、というのは理屈に合わない
77 :無名武将@お腹せっぷく2011/11/22(火) 02:43:42.40
>>76
だーかーら
参戦してるかどうかはともかく
「牙門将軍なら武功を立てているはずだ!」という考え自体が
決め付けだっての
実際に蜀・魏・その他あらゆる伝や注釈において魏延の活躍記録は存在しない
参戦してたって特に活躍らしい活躍をしてないと考えたほうが妥当だろう
少なくとも漢中太守に任じられて不自然じゃないほどの大功立てたなら
確実に入蜀のときみたいな概括文でも書いてあるはず
78 :無名武将@お腹せっぷく2011/11/22(火) 02:58:54.02
>>74
本当にお前は言いがかりだけしかつけられない感じだな

長史として政治・軍事の双方を携わって留守居やってるだろ

んじゃ問題あったのか?あげてみな

立派に留守居務めて後方を支えてたんだから十分だろ
参軍もやってたし

だから問題なく後方で政治やってます

逆に言うと2〜3人しかいないがな
てか、費イとトウシと他に誰かいたか?
漢中戦の魏延でいうなら、2〜3人に並ぶほどの大功はおろか、
まともな活躍すらない状態だろ

だから費イの事な
費イのほうの伝注釈では撃破した、となってる
魏側だと魏将の落ち度はさらりと書いたりして流すわけな

国内政治の最高責任者として政治をry
問題なく最高責任者やってた事の何が問題が?
漢中戦の魏延の場合、そういった概括文による活躍すらないよね

ま、お前さんの言ってる事はこの程度って事だな
そうやって否定と質問返しと言いがかり続けるつもりみたいだが、
どこまで粘れるか楽しみだな
>>75
上記参照
79 :無名武将@お腹せっぷく2011/11/22(火) 03:29:18.94
>>74
ああ、ついでに後、何か問題あったのかについてはよろしく
80 :無名武将@お腹せっぷく2011/11/22(火) 20:47:35.16
>>77
武功を立ててる、とは誰も言ってない
もうちょい文章読めよ

劉備の軍事活動を手足となって支えていた、と言ってるんだわ
81 :無名武将@お腹せっぷく2011/11/23(水) 00:11:01.01
>>78
> てか、費イとトウシと他に誰かいたか?
そんなこともしらないの?
それにしては偉そうに語ってるなww
82 :無名武将@お腹せっぷく2011/11/23(水) 04:13:20.23
>>80
何がいいたいのか具体的にどうぞ
抽象的すぎてわけわかめ
>>81
はいはい具体的に事例をどうぞ
83 :無名武将@お腹せっぷく2011/11/23(水) 04:14:54.76
>>81
それから、結局何か問題あったのかについても具体的にお願いね
84 :無名武将@お腹せっぷく2011/11/23(水) 11:19:36.59
>>82
つまりは具体的な功績なく軍事的活動を下支えしたという総体で以って
漢中太守に抜擢された可能性があるってことよ

記述がないからって安易に何もしてないって言うのはどうかと
ニートじゃねぇんだから職務に応じて何かしてないとな
85 :無名武将@お腹せっぷく2011/11/23(水) 14:22:42.73
具体的な功績が書かれていないことに変わりはないのに
魏延は功績談がないから功績がまるでないかのように扱い
蔣琬はその期間は短かったのにも関わらず留守責任者と扱い(北伐の3次までは留守役トップに非ず)
失敗談がないからと問題なくこなしたとしてそれを功績と考える
ナイスなダブルスタンダード

しかも知識は中途半端w
86 :無名武将@お腹せっぷく2011/11/24(木) 04:58:41.74
>>84
だーあーかーら、
具体的に何したんだってんだよ
抽象的すぎて何いってんだかわかんないっつーの
下支えって具体的にどんな事をさしてるんだよ
しかもそれで史書に一切記録残らないってなんだよ
ちゃんと説明してくれ
>>85
ん?北伐第3次以降にはちゃんと留守役トップになってるだろ?
何かおかしいこといったか?
第一、お前は蔣エンを留守居役トップじゃないとかいってたろ
しかも結局お前、何か問題があったのかについては答えてもらってないぞ、早くしてくれ
あと、費イとトウシ以外に呉との交渉での功績保有者についても説明をお願いね
自分は知識中途半端じゃないという割に具体的な事はさっきから一切答えられてないぞ
あおりに逃げてないで早くしろ

魏延は軍事的功績で蔣エンのは政治的功績
蔣エンにはちゃんと国内政治・軍事を滞りなくやっていた、という実績あるし、
概括文でそれを書かれている
魏延も入蜀では概括文でその功績を書かれてる
漢中戦では一切それを書かれてない
軍人のあげた功績は書かれるのが普通の史書に一切どこにも記述無し
どうみたって功績ないとみるのが普通だろ
87 :無名武将@お腹せっぷく2011/11/24(木) 09:10:55.23
>>86
入蜀以降牙門将軍という役職
これは劉備の直属部隊となって働くお仕事
漢中戦後に兼任太守に出世したし帝位に就くと鎮北将軍になる

つまり記述はないが直属部隊の間地道に職務を遂行してないと中々出世はできないってこと
皇帝即位の時はさすがにスライド人事だと思うがそれでも大きなミスして失脚してるわけでもないから
大過なく職務遂行はしたのだろうな

一切記録ないって言うなら○○という役職に就いた、で終わる大半の人がそうなるよ
88 :無名武将@お腹せっぷく2011/11/24(木) 23:54:12.00
>>87
だから、ここで問題になってるのは「魏延が漢中戦で漢中太守になるだけの功績あげたのか否か」
それで正史であらゆる伝に功績の記載が無く、下馬評でも漢中太守は張飛で
周囲が驚く大抜擢で、劉備も周囲を納得させる意味を込めてその抱負をたずね魏延もこれに勇ましい事をいって答えねばならなかった
これで何をどうやったら功績あった事になるんだよ
普通にこれは高祖劉邦たらんとしていた劉備が、劉邦にならって漢中王に即位して
高祖劉邦が異例の大抜擢で韓信を要職につけて抱負を尋ねた逸話まねただけだろ
入蜀のときでは度々武功をあげて将軍に任じられた事が書いてあるのに
漢中戦ではそれすらない
これで功績あげてたと見るのは無理
89 :無名武将@お腹せっぷく2011/11/25(金) 00:20:03.02
>>88
上げたと劉備は判断した、だから漢中太守になった
君はその判断材料を知らない、それだけのこと
そしてそれを判断する要素として職務を遂行していただろうことがわかってるので
そこで地道に働いたということだな

張飛の話はそれとは別で絶対的なNo2関羽に次ぐNo3の張飛がいるのに
その張飛を差し置いての抜擢だから色々抱負聞いたりしてるだけで
韓信に準えてるわけではない
韓信に準えるならそれこそ蜀の総大将に任命せにゃならんよ
90 :無名武将@お腹せっぷく2011/11/25(金) 01:03:01.54
>>89
しらないんじゃなくて「無かった」
ただそれだけの話だろ
正史にも注釈にもあらゆる文の中に魏延の漢中戦の功績とやらを示すものはない
知ってるひとなんて誰もいやしないよ
強いていうなら君の脳内くらいにしか存在しない
周辺評価ですら張飛で任命されて皆びっくり
これでどうやったら功績ある事になるのかと
君の想像以外に何の根拠も無くて正直相手してるのが馬鹿らしい

蜀攻めの時はまだ劉備が魏延の存在すらろくにしらない頃
劉備が劉邦になぞらえる事を公式宣言した漢中王即位で
それと似たような大抜擢を行ったと見るべきで
ろくに存在自体をしらず、劉邦になぞらえる宣言もしてない時期に
魏延に総大将なんか任せるわけないだろ
張飛には張コウ大破して巴郡奪取の大功績があるが、魏延なんて本当に何もないんだから
下馬評も妥当
91 :無名武将@お腹せっぷく2011/11/25(金) 01:17:46.92
>>86
> あと、費イとトウシ以外に呉との交渉での功績保有者についても説明をお願いね

奥様お聞きになられました?
この子、ここまで偉そうにしていて本気で知らないそうよ
正史にしっかりと記述されているのに自分では調べられないそうよ
ほんと、かわいそうよ
93 :無名武将@お腹せっぷく2011/11/25(金) 01:25:33.65
>>91
結局具体的には何も答えられないって事でFA?
何か問題あったのかについてもスルーしてるけど結局答えられないでFAって事でOKね
95 :無名武将@お腹せっぷく2011/11/26(土) 01:26:16.58
>>93
ヒントを出してやってるのにわからないそうよ
正史に書いてあるって教えてあげてるのにわからないそうよ
そろそろ気づけ、そうよ

問題がなかったと記述は?
問題なく勤めたとどこに記述があんのよ?
書かれていないことなのに方や功績を認め、方や認めようとしないことが問題だと
提唱してやってるだけだろが、ダブルスタンダードさん

ここまで書かせて、2人以外の呉との交渉での功績保有者がわからないなら
もー、相手にしてやらない
96 :無名武将@お腹せっぷく2011/11/26(土) 05:54:48.94
>>95
だから何伝にあるわけ?
正史正史と連呼してるけど、どうせ正史もよんだことないんでしょ?
具体的には何もいえないで逃亡するならご自由に

問題あったならそうかかれるだろ
でも実際にはそうかかれてない
頭悪すぎ
蔣エンのほうは留守居や孔明死後の政治や軍事を総覧していた事が
概括文でも書かれ、魏延のほうも蜀攻めでは書かれてるのに
漢中戦では概括文すらない
これで功績認めるのは無理だろって話
まるで違うものを無理やり一つにしてダブスタ連呼しかできない頭の悪さなら
さっさと引っ込んでればいいものを
結局あるある詐欺で具体的に何もいえず、どうせ正史もよんだことなさそうだし
逃げるならさっさとすれば?
92 :無名武将@お腹せっぷく2011/11/25(金) 01:24:13.07
高祖劉邦が韓信を要職に任命する時の流れ
劉邦が晴れの日に大将を任命すると発表→有力な将は自分がなるだろうとおもう
→周囲の予想に反して韓信が大抜擢→驚く周囲を前に劉邦が韓信に抱負を尋ねる
→韓信が堂々と抱負を述べる

劉備が魏延を漢中太守に任命する流れ
漢中太守が晴れの日に群臣の前で任命される事が決まる→周囲では有力な将で功績もある張飛がなると思い、張飛もそうだろうと思う
→周囲の予想に反して魏延が大抜擢→驚く周囲を前に劉備が魏延に抱負を尋ねる
→魏延が堂々と勇ましい抱負を述べる

どうみたってそっくりな流れ
94 :無名武将@お腹せっぷく2011/11/25(金) 02:08:32.59
>>92
大抜擢の内容が全く違うでしょうに
韓信は劉邦以外に上位者のない大将軍、
魏延は重要拠点の太守ではあるがただの一太守だぞ
全く意味が違う

そもそも当時、役職に就く時点で何か口上くらい述べさせられるでしょ
劉備の王即位上奏文だって皇帝に対する抱負が述べられてるし
他の連中も即位時には何らかのアピールをしてる
むしろ抱負を述べるのは一般的なことだったと言っていい

それを鬼の首取ったように騒ぎ立てるのは意味がない
97 :無名武将@お腹せっぷく2011/11/26(土) 05:58:47.31
>>94
流れと内容は十分にだぶってる
劉備は漢皇帝の許可を得ず、先に自分で名乗る理由を述べた説明文を送ってるだけ
事後承諾を求める意味でもこれはあたりまえの行為

他の連中が抱負を述べてるって例えばどんな?
王とか皇帝クラスが即位する以外で魏延とかみたいな立場になるときに
抱負を述べる例をあげてみて
てか、それ以前の流れも高祖劉邦の流れの写しみたいなもんなのに
これで無関係ってのもなあ
98 :無名武将@お腹せっぷく2011/11/26(土) 13:43:50.64
>>97
劉備が劉邦をなぞるようにしてるのは俺も異論ないが
魏延が韓信の代わりとなったわけじゃあない

司馬懿なんかは燕征伐の総大将に任命された時にやはり抱負を述べてるし
軍事的、政治的に重要なものを任される場合、当然のようにそういう場で口上するのは一般的でしょ
99 :無名武将@お腹せっぷく2011/11/26(土) 13:48:13.58
魏延は漢中太守に抜擢はされたが、将軍位は上昇しておらず
相変わらず劉備の決定なしに動くことの出来ない立場

一方、漢中王即位時に独断専行できる権限が与えられた人物が一人いる
それが関羽
つまり準えるなら劉邦-韓信は劉備-関羽の形であって劉備-魏延ではない
100 :無名武将@お腹せっぷく2011/11/26(土) 22:03:04.78
>>99
督漢中・鎮遠将軍に抜擢し、漢中太守を兼務させたとあるから
将軍位は上昇してる
独自に軍を動かせない立場なのはその通り
101 :無名武将@お腹せっぷく2011/11/27(日) 01:26:56.95
>>100
ああ、本当だ

鎮北将軍になった皇帝即位時のことばっか考えてて
鎮遠将軍のこと見落としてた
102 :無名武将@お腹せっぷく2011/11/27(日) 04:43:46.60
>>98 >>99
司馬イは皇帝から「征伐にどれくらいの期間かかる?」と聞かれて
その見込みを答えただけで、抱負とはちがくないか?

それから誤解されているかも知れないが、
韓信は上将軍に任じられた時は別に独断専行で動く権限は与えられてない
韓信が独断で動ける権限を与えられたのは北伐のときからだが、
この時は前もって左丞相に昇格させてもらい、その上で独断権限を与えられている
それ以前の上将軍としての韓信は常に劉邦と共に活動し、その決定をもって動く立場にいた
だから韓信も上将軍任命時には独断権限は持ってない
103 :無名武将@お腹せっぷく2011/11/27(日) 05:11:14.91
>>99
ついでにいうと関羽は劉備が漢中攻略する前から、
劉備が入蜀した時から既に魏や呉との国境紛争において
領域の兵を動かして独断で戦いを展開し、さらには敵側の内部を調略して謀反を起こさせて
撹乱したりしている
さらにはもっとずっと前の劉備の徐州時代から留守を預かり、その領域の兵を独断で動かして活動している
長坂の時も劉備から別行動をまかされて船団を率いて活動している
このように、関羽はもともと古くから劉備に別働隊を任せられる立場と信頼にあった人物で
漢中王即位時にいきなり与えられたわけではない
104 :無名武将@お腹せっぷく2011/11/27(日) 14:20:25.33
>>102-103
「漢中守るのにどうする?」と聞かれて「曹操以外は皆殺し、曹操ならがんばる」って答えてるのと何が違うか

韓信については原文確認したら「大将」とあるので大将軍だと思ったが
よくよく会話見てみれば後で上将軍の印綬貰ったって言ってたな

でもやはり比すなら関羽で、劉備の王即位時に北伐開始してる
国境紛争で独断判断とか言うけどそりゃ任地での任務だろ
仮節ってのはそういう職域をある程度横断的に色々していいということ
そして王国としての体制の構築でもある

ちなみに諸葛亮の所謂隆中対では、荊州から宛へ上将に攻め込ませればいいという言葉がある
上将軍=韓信という前提があるのだからここで攻め上ってる関羽こそが韓信に準えられてるわけだな
105 :無名武将@お腹せっぷく2011/11/27(日) 20:15:51.33
>>104
要職に任じられた時の抱負と
任務達成の見込みじゃ違うだろ

やはり、も何も関羽の動きも任地での任務の延長で北伐してるにすぎんだろ
もともと以前から別行動任務任されることが多かった関羽なのに
今更何をいうか

諸葛亮はあくまでも比喩として「1上将をもって〜」と述べてるんであって
軍の上位にある別行動軍を任せられる将、という意味合いであって
上将軍という言葉そのものじゃない
てか上でしっかりと、韓信が上将軍に任じられた時は独断権限持ってなかったって
述べてるだろうが
韓信が独断権限を受けたのは左丞相に昇格した後なんだよ
わざわざ史記にも「韓信を左丞相に昇格させて魏を攻めさせ〜」とあって
そこから北伐が開始される事からも、独立行動させるための独断権限は上将軍時には無かったもんなんだよ
実際上将軍のときはずっと劉邦と一緒でその決定を受けて活動してるんだから
106 :無名武将@お腹せっぷく2011/11/27(日) 21:08:21.53
>>105
韓信の裁量権が認められるようになったのはそれ以降ってのはきっとその通りなんだろう
単純に俺が大将を大将軍と呼んでた間違いが元なんでね

ただ魏延が韓信の代わりってのはないわ
比されるなら当時としたら存在感といい、假節貰った後の北伐といい、関羽でしょ
108 :無名武将@お腹せっぷく2011/11/28(月) 04:23:11.43
>>106
だーかーら
もともと漢中王即位のときに劉備が劉邦の再来なり、という事を表す為に求めたのは
「才能はあるけど立場や評判や功績はそれ程でもない人間を要職につける」という韓信のエピソードの再現をする事
その対象として、当時下馬評でははしにも棒にもかからなかった魏延という人間が適当だったわけで
実際その任命授与の流れは劉邦が韓信を要職に任じた時のコピーみたいになってる
この故事再現の対象としては、当時から既に魏呉に勇名を轟かせていた関羽でも張飛でも不適当だった
そして魏延が任命されてみんなびっくり、って事だったわけだ
110 :無名武将@お腹せっぷく2011/11/28(月) 19:18:04.94
>>108
いや韓信じゃないでしょ
韓信は実績も何もなく任命されてるのに
魏延は10年近い下積みあんだし、コピーみたくはならんよ
111 :無名武将@お腹せっぷく2011/11/29(火) 03:20:18.61
>>109
いや、そりゃないだろ
推測だけじゃなくて、実際に「正史にも注釈にもあらゆる伝に魏延の漢中戦における活躍を示すものは無い」
という「事実」があるだけ
お前さんの言ってる事のほうが完全な「推測」だから
魏延の活躍を示すものが何かあるなら出してね、と言ってる
魏延の活躍とやらは入蜀のときは概括文で書かれてるのに
漢中戦ではそれすらない
これで活躍あったと見るのは無理
>>110
逆に言うと下積みしかない
役職も下位の将軍で
漢中戦では活躍の記述もろくに無く、下馬評でも漢中太守になるなんて予想されてなかった事からして
十分に「意外な大抜擢」として韓信の代用アピールたりえた
113 :無名武将@お腹せっぷく2011/11/30(水) 02:09:21.95
>>111
示すものがなくてもイコール働きがないとはならない。
記述で端から端まで書かれているのなら別だが、一戦線の詳細な話なんぞ記載されてるほうが稀。
どこか戦場ではない全く別の土地に配置されてれば話は別だがね。

黄忠の関張馬と同格になったエピソードからも分かるように、劉備は功績を重んじて昇進させている。
諸葛亮曰く、黄忠は関羽・馬超に名望が及ばない、馬超・張飛が納得しても関羽が納得しないという反対をも押し切って後将軍としたからな。
武功のあるものをちゃんと昇進させている。
漢中戦で貴方のおっしゃるように本当に何も無ければ魏延の厚遇はないはずだ。
115 :無名武将@お腹せっぷく2011/11/30(水) 04:38:11.00
>>113
だから、功績あるならあるで概括文で書かれてるもんなんだってば
端から端までなんて書く必要は無いの
実際に魏延は入蜀のときに概括文で功績を書かれてる
でも漢中じゃそれすらない、正史のあらゆる伝にも注釈にも魏延の活躍は無い
何度いったらわかるんだか

だーかーらなんで漢中戦最大の武功保持者であり、正史において漢中戦の功績を蜀側魏側ともに詳細にかかれてる黄忠と
正史にも注釈にも一切功績記述が無く、下馬評ですらあがらなかった魏延が同じになるんだよ
マジありえん
はっきりいって推測でしかないだろ
黄忠の場合は諸葛亮は「黄忠の武功を間近で見てる張飛や馬超なら納得だろうけど、遠くにいる関羽は〜」
という話なので黄忠の武功は間近で見ていたものなら誰しもが昇進に納得できるだけのものであり、
実際に漢中戦の帰趨を決定した最大の武功として正史に燦然と記述されている
これと正史にも注釈にも記述ゼロで下馬評ですらあがらない魏延と同じにするのは無理ありすぎ

なんつーか、入蜀時みたいな概括文すらない記述ゼロの状態の魏延を推測だけで
そこまでして功績あることにしたいのかと正直あきれる
はっきりいってあなたは推測だけで「あったはずだ」の繰り返しだけで
正直話してて凄くつまんなくなってきた
116 :無名武将@お腹せっぷく2011/11/30(水) 07:42:35.30
>>115
>功績あるならあるで概括文で書かれてるもんなんだってば
根拠のないことを高らかにいうのは如何なものかと。
注に引く別伝で活躍してる趙雲なんかも概括文ですらかかれてない。

自分は必死で推測をもってないと言い張ってるのに、他人の推測を許さないところはキチガイじみてる。
>>115の中でだけないということにすればよい。

107 :無名武将@お腹せっぷく2011/11/27(日) 21:11:05.91
公孫淵討伐は臨時のものとは言え、十分に要職だがなぁ

そりゃ蜀における漢中太守と全く同じ比重かって言ったら違うけど
109 :無名武将@お腹せっぷく2011/11/28(月) 16:19:50.45
魏延同様漢中戦に関して正史には全く何も描かれていない、しかも昇進もない趙雲ですら注釈によると絶大な働きがあるんだし、
推測だけで魏延に何も無かったと考えるのは極論だよ。
推測するなら何の見込みもないやつを昇進させて要所の守りにつかわん。
それなりの働きがあるから就かせたと考えるのが公平。
112 :無名武将@お腹せっぷく2011/11/29(火) 22:43:08.53
下積み言うても将軍位持ってんでね

単に格とか信頼度では張飛が最も要害防衛に、と思われてただけで
牙門将軍は抜擢言う程低い地位じゃない

ちょっとした飛び級程度だ
114 :無名武将@お腹せっぷく2011/11/30(水) 04:27:30.01
>>112
当時じゃ将軍位としちゃ牙門は下位の将軍位
下馬評では実績・位・信頼度、いずれを見ても張飛が妥当と見られており
魏延がそれだけの功績が無かった事は明らか
実際に何も書いてないし
入蜀時には概括文で功績書いてあるのに、漢仲戦争ではそれすらなし
117 :無名武将@お腹せっぷく2011/11/30(水) 12:54:34.99
王思なんて功績ロクに書かれないのに
庶民から出生して果ては魏の大司農にまで成り上がったわけだが

これは大抜擢だったわけかー
三国志って面白いなー
118 :無名武将@お腹せっぷく2011/12/01(木) 04:43:00.16
>>116
それは注釈で書かれてる、って事だろ
魏延の場合はそれすらない
てか趙雲の場合は別伝の活躍あっても昇進してないわけで
ショウエンの場合も概括で国内政治や軍事を総括してたことが書かれており、
魏将である張コウも「袁紹配下時代に公孫サンとの戦いで功績が多かったので、昇進した」
と書かれてる
一体なにをもって根拠無しというのやら

だから推測じゃないといってんのに
功績一切かかれてなくて、周囲からも評価されてないのに「あるある」だけで
いわれちゃ正直つまらんとしかいえん
>>117
王思じゃなくて梁習だろ
しっかり実績あげて出世していった人なのに何いってんだか
121 :無名武将@お腹せっぷく2011/12/01(木) 12:38:14.83
>>118
王思さんかわいそうです
124 :無名武将@お腹せっぷく2011/12/01(木) 23:55:31.13
>>121
王思も梁習の死後正始年間(二四〇〜二四九)に大司農になってるのになw
129 :無名武将@お腹せっぷく2011/12/02(金) 09:22:50.12
>>121 >>124
そもそも正史に伝も立てられてない人間なのに
活躍の詳細がわからんだろうが
魏延の場合は正史に伝があっても活躍が概括文ですら存在しないのに
何いってんだ?
これで正史にはっきり記述あって称えられてる黄忠と同じとかわけわからんし
130 :無名武将@お腹せっぷく2011/12/02(金) 12:39:46.35
>>129
概略がない活躍はないも同然って主張に対する反論なのでこれで十分

概略があろうがなかろうが、ニートじゃないんだから仕事はしてるわけ
出世するってことは何かしてたり、コネがあったりと理由があるもんだ
119 :無名武将@お腹せっぷく2011/12/01(木) 09:39:04.72
何いってんだ?
注釈で別伝を書いた人間と正史を編纂した陳寿は別人。
陳寿が書いた正史には趙雲の漢中戦での概括文なんぞない。
一致しない時点で必ず概括文を書いてるという根拠は無い。
127 :無名武将@お腹せっぷく2011/12/02(金) 09:15:18.91
>>119
んな事当たり前だろうが
陳寿とハイショウシが別人な事くらい誰でもしってるだろうが
今さら何いってんだ?
こっちはちゃんと正史に趙雲の活躍記事はないし、現に出世もしてないと書いてるだろ
ずっと上でもあるように漢中戦の経緯は劉備が守り固めてそれを維持して曹操を撃退した戦い
趙雲の戦いもその一つだったってだけだろうが
120 :無名武将@お腹せっぷく2011/12/01(木) 11:12:17.29
魏延は終わりがあれだから魏延別伝を望むのは難しいな。
季漢輔臣賛なんかみるに名は残ってるが事績はよくわからないという人物も多いしな。
まあ漢中戦で魏延が活躍したかどうかは不明。
抜擢されたからその直前に活躍があったとは限らないし。
過不足なく仕事したとは思うが、それ以上の特筆すべき活躍をした可能性は低いだろうね。
122 :無名武将@お腹せっぷく2011/12/01(木) 13:12:03.79
昇進して要職についたのだから
少なくとも劉備が期待しつづける程度の働きはしていたと考えるのが妥当だね。
概括文がないからとか何もしてないとか意味不明。
武将として戦線にいるということのほうが事実。
128 :無名武将@お腹せっぷく2011/12/02(金) 09:18:19.33
>>122
意味不明なのはお前の頭だ馬鹿が
正史にも注釈にも具体的な功績は一切無く、概括文ですら存在しないのに
功績あって当然だとか黄忠と同じだとか阿呆な寝言連投して終わりにしようとしてんじゃねえぞ
牙門将軍だから必ず活躍してたって?そっちのほうが意味不明すぎ
123 :無名武将@お腹せっぷく2011/12/01(木) 16:04:07.90
劉備対曹操の最後は劉備の勝ちで終わったんだよな
最後に負けたのは悔しいだろうね
125 :無名武将@お腹せっぷく2011/12/02(金) 04:03:56.72
この時が劉備の全盛期だな
対して曹操は全盛期と比べて精細を欠いてる
防衛拠点に夏侯淵を配置するなどミスもしてる
126 :無名武将@お腹せっぷく2011/12/02(金) 07:26:19.73


賈詡、司馬懿がいながらも曹操は敗走

賈詡も司馬懿もたいしたことないな
131 :無名武将@お腹せっぷく2011/12/02(金) 12:46:50.15
従軍している以上まるっきりないって事はないが、記録が残るような大きな働きはしてない、ってとこが落とし所かねえ。
132 :無名武将@お腹せっぷく2011/12/02(金) 13:01:36.22
牙門将軍だから劉備の目の届くところで地味に働いてたってことだろうね
133 :無名武将@お腹せっぷく2011/12/02(金) 13:11:03.85
ただ、昇進の件は漢中攻略の功績ではないんじゃないかな。元々劉備は入蜀合戦の時点で魏延の事を認めてたんだと思う。
鎮遠将軍に昇進して漢中太守になったんじゃなく、漢中太守になるから鎮遠将軍に昇進したんじゃないかと。
135 :無名武将@お腹せっぷく2011/12/02(金) 13:34:37.66
そもそももくそも
王思を知らないレスをしてるのに後出しでまだ食い下がるのがオドロキだわ

136 :無名武将@お腹せっぷく2011/12/02(金) 16:35:36.40
>>130
アホか
正史に伝が無いんだったら確認しようもないだろうが
魏延の場合は伝があっても概括文ですらそれが書かれてない
これでどうやったら功績あるって事になるんだか意味不明すぎ
理由?だから劉邦たらんとしてその逸話をなぞった劉備による大抜擢だろ
>>135
お前の言ってる事が穴だらけなんだから食い下がるにきまってんだろ
正史に伝も立てられてるくせに概括ですら功績が書かれてない魏延の昇進と
伝がなくて証明のしようもない人間とを一緒にできるわけないだろうが
しかもしっかり功績乗ってる黄忠とも一緒にしてたし
後付しまくりで勝利宣言に持ち込もうとする様が驚きだわ
魏延信者で無理やり功績あったと信じ込みたいなら、さっさとそう宣言して逃げればいいものを
137 :無名武将@お腹せっぷく2011/12/02(金) 18:40:09.29
>>136
牙門将軍って位階はそれ程でもないけど普通に軍の要職だろ
韓信をコピーにした抜擢と言う程魏延はその前歴で何もしてないわけじゃねーぞ
そもそも牙門将軍になる時点で傑出した働きを見せてるわけで
蕭何くらいしか知らない韓信とは違い、国内的には元々結構有名人じゃねーか

同時期に劉エンも功績ないけど同様に太守に出世してる
ただのご褒美だとでも思ってんのかな?
138 :無名武将@お腹せっぷく2011/12/02(金) 18:55:52.99
張飛すらこの人事に文句言った様子もないし、大抜擢であったのは確かだろうけど皆納得はしてたんじゃないかな。
びっくりしたけどアイツなら、と思うくらいには。
141 :無名武将@お腹せっぷく2011/12/03(土) 01:58:29.92
>>137
将軍としては下位だけどな
将軍なら要職ってんならそりゃ要職だけどな
将軍としての位階なら立派な下位
上にそれこそいくらでも上の将軍がいる立場
「結構有名人」なんていうほどのレベルじゃねーよ
国内の人間全員が全部の将軍人名そらんじて言えるんだったら
そりゃ有名人だろうけどな、それでも印象薄いくらいだろう
少なくとも下馬評での話題にもあがらなかったように、
漢中太守に任じられて当然と思われるほどの立場でも知名度でも全然ねーよ
実際に魏延が任命されて意外な人選でみんなびっくり
誰もがなるだろうとおもっていた張飛と比べれば戦功でも知名度でも位階でも
張り合いにすらなんねーよ

ああ、劉エンさんね
劉備陣営の古くからの古参で、同姓で風雅の才があった事から
劉備から常に賓客として遇され、長い間苦楽をともにしてきた劉エンさんね
それが劉備が成功して長年の苦労と親愛に答える形で太守に任じられたのがどうかしたか?
魏延って正史に乗ってないけど、ひょっとして劉備と同族で常に賓客として古くから苦楽をともにした人だったの?
それは初耳だなー
いい加減思いつきでいうのやめたら?
>>138
もともと張飛は「下のものには過酷だが、上のものには従順だった」とあるし
劉備の決定した事柄には法正や関羽といった一部の例外を除いては文句言わない感じだったようなので
張飛が文句言わなかったのは自然
142 :無名武将@お腹せっぷく2011/12/03(土) 03:21:33.31
>>141
いやいや君の主張では活躍の記録がないから何もしてないって言ってるよね?
苦楽を供にした、なんてどこにも書かれてないからないよ、そんなこと

あったら書かれるんでしょ?立伝されてんだし
144 :無名武将@お腹せっぷく2011/12/04(日) 09:40:50.85
>>142
お前さー、正直言ってる事が小学生並だろ
激動の多い劉備陣営の古参で古くから劉備に使えて各地を放浪していた劉エンが
苦楽ともにしてないことになるわけ?
劉備陣営が敵の攻撃受けて逃げ回ったりしてる時に劉エンだけはなんの攻撃も受けず
飢餓に陥ったときも何の苦しみも得てないわけ?
はっきりいって屁理屈すぎ
普通に古くから行動をともにし、その信任を得ていた概括文としては
「古くから従事として行動をともにした」「劉備は同族で風雅の才があった事から常に賓客として遇した」
とあるだけで十分だろ。
ていうかさ、相手してくれる人がほしくてたまらないニートさん?
屁理屈こきすぎで正直阿呆らしい
146 :無名武将@お腹せっぷく2011/12/04(日) 10:08:16.01
>>144
苦楽を供にしたってのは君がそう解釈しただけ
本文に書いてないことはないことっていう主張はそういうことだよ

魏延には役職があって、しかもそれは前線に出る仕事で
さらに漢中戦の間もサボタージュしてたという記録がないわけ

となると当然、漢中戦でも普通に劉備の手足として働いてるわけで
きちんと下積みを詰んでるわけだ
こんなしっかり仕事してる人を抜擢されるまでほとんど知られなかった韓信と一緒にできないわ
147 :無名武将@お腹せっぷく2011/12/04(日) 13:28:07.44
>>146
ならんだろ
常に古参時代から従事として劉備に仕えてたんだとさ、常に賓客として遇されてたんだとさ、
これでどうやったら苦楽ともにしてない事になるんだよ
屁理屈こきすぎ

正史にも注釈にもあらゆるところに活躍記録が無い、という事で
功績になるほどのものが無かった、という単純な事実が残るだけだけどな
実際に下位の将軍位で下馬評でも名があがらず、実際に下馬評であがってた張飛とは格も実績も段違い
どうみたって誰からしても意外な大抜擢でその流れはモロに韓信大抜擢のオマージュだよ
148 :無名武将@お腹せっぷく2011/12/04(日) 16:29:28.26
>>147
じゃ、牙門将軍が劉備の軍事行動に付いて行かない理由もないわな
139 :無名武将@お腹せっぷく2011/12/02(金) 19:03:30.08
実際魏延がいつから劉備軍に加わってたのか良く知らないんだが、もし長い下積みを経て功を立ててきたなら、こういう人事もあるかな、と。
140 :無名武将@お腹せっぷく2011/12/02(金) 19:05:03.48
>>139
読み取れる範囲では、劉備の入蜀に私兵を率いて同行したってのがキャリアスタートなので
赤壁後参加組だと思う
143 :無名武将@お腹せっぷく2011/12/03(土) 19:30:53.45
姜維
蜀に寝返ってから孔明が陣没する間、戦功の記述がない
それどころか第五次北伐以外、従軍の記述もなし
あるのは歩兵5〜6千の訓練を委ねるという孔明の言葉のみ(従事したとの記述なし)

が、この間、倉曹掾・奉義将軍・当陽亭侯から次第に昇進して中監軍・征西将軍になっている
とは、これ如何に?
145 :無名武将@お腹せっぷく2011/12/04(日) 09:55:47.04
>>143
諸葛亮が姜維を評価して「任務に忠実で思慮精密」「涼州最高の人材である。」
「5、6千人の兵を教導させたのをみたところ、軍事に鋭く兵意を理解している。」
「最終的に軍事においては宮殿にあがって主上にまみえさせるべき人材だ。」
とあり、明らかに諸葛亮が姜維の才能を評価してその昇進を後押ししていること、
さらには姜維が任務を着実に精密に果たしている事、軍隊の訓練に従事している事、
などが伺えるとおもうが?
149 :無名武将@お腹せっぷく2011/12/04(日) 19:22:31.81
>>145
> などが伺えるとおもうが?

>> いや、そりゃないだろ
>> 推測だけじゃなくて、実際に「正史にも注釈にもあらゆる伝に姜維の孔明存命中における活躍を示すものは無い」
>> という「事実」があるだけ

>> だから、功績あるならあるで概括文で書かれてるもんなんだってば
152 :無名武将@お腹せっぷく2011/12/05(月) 04:46:25.01
>>148
付いていったの「かも」しれんな
でも漢中太守になるだけの活躍してなかったのは下馬評どおりなわけだ
正史にも注釈にも書かれるだけのものがなかったこともな
>>149
人のレスぱくって妥当でもない鸚鵡返しすんな阿呆
孔明自身が「5、6千人の兵の教導を任せた」としっかりいってんだろ
立派に正史の記述として書かれてるって事になる
魏延の場合こういうのすらない
153 :無名武将@お腹せっぷく2011/12/05(月) 05:30:50.17
>>152
は?
漢中太守になるだけの活躍をしていなかったなんてどこにも書かれないけど?

張飛がなるだろうと思われてたし、張飛もそう思ってたということからは
様々な理由が想起されるわけで、それは君の解釈でしかないよ

自分は解釈をして、他の人に解釈を認めないなんておかしいよ
154 :無名武将@お腹せっぷく2011/12/06(火) 02:11:48.08
>>152
何度も言われてるけど正史はともかく注釈は後の世の人間がつけたしたもの
参考にはなれど注釈の有無で働きのあるなしまで決めるのはおかしい。
それこそ推測でしかない。
というか王思を知らないということは目を通してない伝がかなりあるわけで、
必ず概括文があるという主張も語るに落ちてる。
魏延が何もしていないという根拠には不足。
155 :無名武将@お腹せっぷく2011/12/06(火) 11:57:21.42
>>153
活躍したなんてどこにも書かれてないけど?
それどころか具体的な活躍をした記述なんて正史にも注釈にもどこにもないけど?
張飛には当時の位階からしても、当時の活躍からしても正史に十分な記述がある
これで根拠あるなんて無理ありすぎ
>>154
注釈が後世のつけたし?
同時代かそれに近い時代に存在してたけど、陳寿が書いた「三国志」の中にはない資料とかも収録されてるのに
何をいってんだ?お前
んで?結局正史に伝が存在しなくて確認のしようがない王思なんかあげてどうするわけ?
結局のところ、魏延の活躍があるなら概括文でもいいから正史でも注釈でもいいから
あげてみろ、といわれて結局何もあげられずに逃亡したくせに
今更何いってんの?
三国志注釈の内容定義すら間違えてるし、語るにおちるとはまさしくこの事だろ
何か言いたいならまともな資料なり根拠だしてから語れ
結局魏延の漢中戦の活躍が知れる記述あるんだった早くしてね
156 :無名武将@お腹せっぷく2011/12/06(火) 12:14:17.57
>>155
>王思じゃなくて梁習だろ
>しっかり実績あげて出世していった人なのに何いってんだか
こんなこと言ってるんだから伝がないから云々とかいうのはあんたの後出しのいいわけでしょうがw
目を通していれば梁習と混同なんてせんだろ

正史の編纂者陳寿がかかなかったことが書いてあり、
資料的価値や当時を考察するのには注釈は貴重だが、
正史と完全に同列にするには無理があるといってるだけ。
一度は事実として採用されず書かれていなかったことなのだからね。
もちろん陳寿が目を通していなくて採用されない史書もあるだろうけどね。
君の言い分が分からないが、逆に後の学者が当時の史料をつけたせば全て正史と同列の事実になるのか?
そっちのほうが無茶苦茶すぎ。
158 :無名武将@お腹せっぷく2011/12/06(火) 12:45:27.85
>>156
後出し言い訳してんのはお前だろ
最初に官位名あげられてるんだから、そっちだとおもっただけ

なんで無理があるとおもうわけ?
これこそ後出し言い訳だろ
>後の世の人間がつけたしたもの
とかいっておきながら、同時代の資料も入ってることを指摘されたら
この言いよう
まさしく語るに落ちるとはこの事だな

「事実として採用されず」じゃないだろうーが
正史書いた陳寿は内心じゃ蜀漢びいきだったけど、晋は魏がから継承した王朝だったからそうは書けず、
後難を恐れて結局は多くのエピソードを削除して簡素な記述に仕上げたから
陳寿が書きたくてもかけなかったエピソードを誰かが纏め上げて再構成する必要があり、
それをやったのがハイショウシであり注釈だったことなんて三国志しってる人間なら常識なのに
お前今更何をいってんだ?
注釈が完成したとき、その主君はその出来栄えを見てこれは「永遠に残るべき偉業だ」と賞賛したという
それをいきなり頓珍漢な寝言言い出して
やっぱりろくに知識無くしったかだけで書いてるだけだろうが
語るに落ちるのレベルどころか話にすらならんレベルだわ

んで?お前のそのろくに正史と注釈の内容定義すらろくにしらない阿呆な知識レベルから
魏延の漢中戦の記述を早く出してもらいたいんだが?
176 :無名武将@お腹せっぷく2011/12/06(火) 22:02:34.09
>>158
>正史書いた陳寿は内心じゃ蜀漢びいきだったけど、晋は魏がから継承した王朝だったからそうは書けず、
>後難を恐れて結局は多くのエピソードを削除して簡素な記述に仕上げたから
>陳寿が書きたくてもかけなかったエピソードを誰かが纏め上げて再構成する必要があり、
>それをやったのがハイショウシであり注釈だったことなんて三国志しってる人間なら常識なのに
>お前今更何をいってんだ?
>注釈が完成したとき、その主君はその出来栄えを見てこれは「永遠に残るべき偉業だ」と賞賛したという

最後の一文は誰でもしってることだが
他はどの史学者がそういってんだ?
集解みてもそんな言葉は一言一句でねーよ、それどころか突っ込みの的にされてる注釈もあるくらいだ
人の推測を許さず自分の推測は許す君の言い分は独りよがりだけど、
推測をさも語られてきた事実かのように言うのは独りよがりどころじゃない。
そんな意見は人に理解を求めず自分の中でだけそう思えばいいんだよ。

あと書くなら裴松之くらい漢字で書け
178 :無名武将@お腹せっぷく2011/12/06(火) 22:08:06.30
>>175
ああ、以前から鸚鵡返しを二人分なりすましで唱えてきたと
すばらしい自白乙だな
>>176
ああ、その理屈でいうと
三国志の中に同じ時代に書かれた資料が書かれてることすら理解できなかったお前は
独りよがりどころじゃない低脳だな
実家のほうにあった三国志の本に書いてあったな
今手元にないが
実際に蜀関連の即位時の記述と魏関連の即位時の熱の入れようが違うとも書かれてるしな

書きやすいほうで書いただけであって、お前に指図される筋合いはないな
179 :無名武将@お腹せっぷく2011/12/06(火) 22:10:28.89
>>175 >>176
追記としてここで都合よく多数あらわれたように見せて
有耶無耶にしたり追い出せたりするとおもうなよ
今日駄目なら明日、明日駄目ならその次、俺が飽きるかリアル都合がくるまで
来るだけの話だ
180 :無名武将@お腹せっぷく2011/12/06(火) 22:16:05.36
>>178
>三国志の中に
じゃなくて
>三国志注釈の中に
だな
訂正しとくわ
185 :無名武将@お腹せっぷく2011/12/06(火) 22:29:46.10
>>178
そんなん知ってるわw
そもそも陳寿はかなり膨大な史書(後に注にひかれてるものも多数含む)のなかから正史を編纂したわけでw
後の学者が書き加えた部分は資料的に貴重でも正史と同列ではないと思うよ。
裴注は事実という根拠を示した上で書き加えられたわけではない。

そして君の実家とやらにある三国志の本はあくまでその著者の考えじゃないのか?
集解にでてくる多数の学者はそんな考えはもってないわけだが、
なんで君の実家にある名前も分からない本の著者の考えが、
君の語る陳寿が書きたくてかけなかったエピソードを裴松之が書いたという『常識』になるんだ?
ひょっとして無茶苦茶感化されやすいバカなのか?w
189 :無名武将@お腹せっぷく2011/12/06(火) 22:44:05.73
>>185
しってるんだったら
阿呆な間違いは犯すべきじゃなかったな
後付で情けない限りだ
正史と同列じゃないも何も、陳寿の三国志は最初に書かれた当時は野史であって
正史として国家事業で編纂されたものじゃないわけだ
陳寿が書いたものと他のものに本質的な差は無い
死後に正史とされたのが陳寿のものだったというだけで

そうやって挑発でもしてるつもりか?
実際に陳寿が書いた史書では簡潔にすぎて後世において
さまざまな資料編集を行う必要が生じた
そればかりか、官渡の兵力記述のようにように注釈によって明らかになった事項もあり、
注釈の歴史的意義は主君に称えられているように非常に大きいものだった
陳寿自身も蜀漢の先主を高祖劉邦にたとえ、諸葛亮をショウカに比して
その主従に最大級の賛辞を送っている事からも彼が心の中に蜀漢正統論を唱えたという主張は
納得しやすいものだな
194 :無名武将@お腹せっぷく2011/12/06(火) 23:04:02.56
>>189
何の反論もできずにそれですか。
何を持って間違いとしてるのか意味不明だし、そこに縋り付かれてもなぁ。

挑発じゃなく事実をいったまで、
名前も分からない本一つで歴代の史学者の考えを全てすっとばして(というか知らんのだろうがw)常識だと考えてるんでしょ。
アホの極み
197 :無名武将@お腹せっぷく2011/12/06(火) 23:08:29.25
>>194
しっかり反論してるんだけどな
お前が阿呆だから読めないだけだろ
とりあえず三国志注釈の中に陳寿とほぼ同時代に書かれた資料が
内包されてることくらいは理解できたか?

実際に俺は論拠あげてるけどな
とりあえず俺がしてる「反論」とやらに答えてもらおうか
あ、文章読めないんだっけ、悪いな
150 :無名武将@お腹せっぷく2011/12/04(日) 21:00:22.76
漢中で活躍したかどうかは別として。
少なくとも牙門将軍という地位についたという事はそれまでに功績を残したという事、漢中を任されたのはその働きがある程度認められていたから。
という事でいいんじゃないの?
157 :無名武将@お腹せっぷく2011/12/06(火) 12:37:28.47
・劉備が漢中を任せるに足る人物だと魏延に期待するものがなければ漢中みたいな要所の警備は任されない
これなら分かるが

・劉備が総力を挙げた戦で魏延は何もしてないが、その成果の守備に大抜擢した
こんなのはありえない、劉備が失望しない程度の働きはあるだろうそりゃ
159 :無名武将@お腹せっぷく2011/12/06(火) 12:49:30.71
>>157
「ろくに記録に残るような事はしてない」=「失望する」じゃないだろ
才質には期待したんだろうよ
そして漢中王を名乗るにあたって韓信のエピソードをなぞる効果も期待しただろよ
160 :無名武将@お腹せっぷく2011/12/06(火) 14:43:03.38
簡単に言って、魏延の功績が記述にないって意見に反論するなら、
魏延の功績が載ってる記述を出すしかないだろう。
それがないんだったら、そういう意見が出るのは仕方がないとあきらめるしかないよ。
なんか魏延の擁護派は、不利な意見にキチンと向き合わない、
他の奴らだってどうの、教科書にも間違いはあるだのと、話をすり替える傾向があるな。
162 :無名武将@お腹せっぷく2011/12/06(火) 18:49:21.27
>>160
記述にないから韓信に似せた抜擢だ、ということに反論してるのであって
記述にないから特筆すべきもんはなかった、ということに反論してるわけではない

韓信に準えてないんだよ
そもそも蜀内限定で見れば非常に有名だろ
勢力に加わって数年でいきなり劉備の牙門に任命されてんだからさ
163 :無名武将@お腹せっぷく2011/12/06(火) 19:23:10.01
>>162
嘘つけ
散々功績あったはずだとか、なんかしてたはずだとかいってたくせに
都合悪くなると論調変えるなよ

非常に有名とはいかんとおもうが
もともと武将で蜀攻めという大きな戦で度々功績挙げて下級の将軍位である牙門なっただけじゃ
蜀攻めじゃ黄忠が「常に先陣を駆けて敵陣を陥落させ、その武勇剛毅三軍に冠たり」と称えられ
牙門より上の将軍位になってるんだからどう見ても霞みまくり
165 :無名武将@お腹せっぷく2011/12/06(火) 19:38:31.22
>>163
いや何かあるとは思うよ、俺はね
ただそれは推測である、ということは過去にも述べたし
記述がない、ということに対する反論は推測できることがあるだろ、ということは言ってる

だが、それで主張したいものってのは結局、魏延が韓信に準えられたであるという一点のみなんでね
それ以外は枝葉末節に過ぎない
161 :無名武将@お腹せっぷく2011/12/06(火) 15:29:30.65
漢中攻略だけに拘るからおかしくなんだと思うんだが。
入蜀合戦で功績を挙げた叩き上げの牙門将軍なんだから、この時点で当然それなりの期待はあるだろうに。
164 :無名武将@お腹せっぷく2011/12/06(火) 19:35:51.95
どうせ意地はって決着つかないんだからいい加減やめたら?
スレの主旨から外れてるとは言わないが不毛すぎる
166 :無名武将@お腹せっぷく2011/12/06(火) 19:41:01.34
訂正 魏延が韓信に準えられたものであるという一点のみに対する反論なんでね
167 :無名武将@お腹せっぷく2011/12/06(火) 20:16:52.70
>>165 >>166
嘘コケ
散々それに見あった功績あったと喚いて
それについて屁理屈言い続けてたくせに
途中から魏延・韓信の流れなんかスルーで
漢中で功績あったはずだと主張し続ける流れだったくせに
今更見苦しすぎるんだよ
168 :無名武将@お腹せっぷく2011/12/06(火) 20:19:59.29
それを嘘と思うのは自由だけど、魏延が韓信に準えられたという君の主張の否定から俺は入ってるんでね
その経過で功績があったかなかった、という話題を長々とはしたが全てはそのため

韓信じゃないでしょ
170 :無名武将@お腹せっぷく2011/12/06(火) 20:39:12.02
>>168
嘘コケ
最初からずっと問題になってたのは「魏延に漢中太守になるだけの功績があったか否か」
これでずっと話をしてて、その途中で韓信の話がでてきただけ
それで後になって不利になったからって
今更とっつきやすそうな方向に論調変換してるだけだろ
いい加減姑息すぎるんだよ
171 :無名武将@お腹せっぷく2011/12/06(火) 20:55:20.86
自分で論点ずらしてもしょうがないって言っといてそりゃないでしょ
君はこのスレだと自分が他人に許さないことを自分に許してて頭おかしいよ

1 魏延は漢中戦で功績がありやなしや
2 魏延は韓信に準えて大抜擢されたか否か
3 特筆すべきものがなければ何もしていないのは真か

俺の考え
1 特筆する程ではないが、何かしてるだろう
牙門将軍は従軍すらしてない限りは何かやらざるを得ないと考えるので
2 元々スピード出世してるのに無名の韓信に準えるとかありえない
黄忠が自分と同列になったことですら僻んだ関羽が、
魏延が韓信に準えられたと思ったらもっと激烈に攻撃するんでない?
つまり内部的に魏延は韓信と思われてない
3 偽 気付くと出世してる人が結構いる
172 :無名武将@お腹せっぷく2011/12/06(火) 21:18:27.91
>>171
いつそんな事したんだか
このスレの最初から見れば明らかにお前が嘘ついてるのは明らか
お前が論調そらしして、それが誤魔化し切れなくなったら他人に責任転嫁してるだけだろ
お前はずっとこうだろ
いつも自分にとって都合悪いことをいわれたらそれを阿呆みたいに鸚鵡返しして押し付けて逃げ回る
最初から最後まで頭おかしいのはお前だよ

1.記述に残るほどの事はしてないと見るのが妥当
少なくともそれは正史に功績として残りうるほどのものでは無論なかった
入蜀の時ですら魏延の活躍は書かれてる
漢中ではそれすらない
2.魏延の出世はスピード出世といえるほどのものではない
もとから武将で入蜀の時に「度々功績をあげて」とあるようにそれ程大きくもないほどほどの功績を
何度もあげて下位の将軍である牙門になっただけ
全体で見れば明らかにその他大勢の将軍の一人に過ぎない
黄忠が入蜀の時に「常に先陣を切り」「武勇剛毅三軍に冠たる」程の大活躍をしまくって
魏延より上の将軍に昇格してる事からみても存在霞まくり
3.大抵昇進してる場合は昇進に見合う理由がある
文官などは平時の政治行政を滞りなく行っていればそれを評価されている
主君と古くから苦楽をともにしていた人間がそれを報いられることもある
魏延は軍において功績立てて昇進する軍人であり、漢中という戦役において
彼の活躍を示すものは正史注釈含めて一切無い
漢中太守という要職への人事は周囲の下馬評から見ても明らかに意外な大抜擢
それに見合った功績など無く、劉備個人による大抜擢だった事は明らか
173 :無名武将@お腹せっぷく2011/12/06(火) 21:49:44.13
>>172
入蜀ってのは劉備が漢中戦前にやった唯一の大きな戦争
未遂に終わった呉蜀の戦いや小競り合いを除いてね
つまり魏延は一回の戦役で一気に劉備軍の将軍になった
蜀の中では有望株扱いされるでしょうに

そりゃ当然、黄忠は別格で、曹操軍の中核を担う夏侯淵を斬るという離れ業を演じているのだから
魏延を抜き去って一気に昇進するのは当然だが、これで魏延の存在が霞むとかおかしいよ?
霞んだ、なんて正史に書いてないのにここでは君がそう解釈してるんだよね?
君は書いてないことは存在しないとして理論を展開してきたのだから解釈を織り込んじゃいけないよ
そういうのをダブスタっていうんだ

>いつそんな事したんだか
論点ずらしすんなと言いつつ全く関係ない話題で嘘だなんだって言ってるでしょ
そういうのが論点ずらしそのものだよ
理解できないの?
175 :1742011/12/06(火) 21:54:28.18
>>174は>>172へのレスな
一人の鸚鵡返しじゃなく俺も以前から反論してるんだわ。
174 :無名武将@お腹せっぷく2011/12/06(火) 21:52:00.31
同意を得られないのは自分の論に説得力が無いからだといい加減理解して消えてくれよマジデw
>>ちなみに171じゃないぞ
177 :無名武将@お腹せっぷく2011/12/06(火) 22:02:59.43
>>173
されるわけないだろ
その上に大活躍して上位の将軍位になった黄忠がいるんだから

なにいってんだ?お前
入蜀のときから既に黄忠は「常に先陣きって敵陣を陥落させその武勇剛毅三軍に冠たり」
といわれて魏延よりも上の賞賛を受けて上の将軍位にいるんだが
お前さー、はっきりいって文章読めてないだろ
お前の中の脳内歴史じゃ、入蜀じゃ魏延が上になって漢中で抜き去られたとかおもってんのか?
本当に知識ないんだな
黄忠は入蜀の時から魏延を上回る活躍して魏延より上の将軍位にいるんだよ、阿呆

根拠すらない状態で変な解釈すんなってのと、記述にある事柄から解釈すんのは全然別物だろうが、低脳
お前の場合はそうやって都合悪いこといわれたら相手に押し付けてごまかして逃げてるだけ

いつ全く関係ない話題なんかしたわけ?お前が最初から韓信とかいってるから
俺がこの話題は最初から「魏延に漢中戦の功績があったかどうか」で始まってると
事実を説明したわけだ
そうやっていつものお得意パターンである困ったら相手に言われた事を鸚鵡返しして押し付け、
という屑パターンで逃げられるとおもうなよ
>>174
例によって自称善意の第三者なりすましか
本当に見えも外聞もない野郎だな
俺にすりゃどっからどう見てもお前の論なんかに賛同できないから、お前の説得力ないって事でいいよな?
そんでお前が消えるべきであって俺は論を展開しつづけるべきだ、でFAだよな?
まさか駄目とかいわないよな?
182 :無名武将@お腹せっぷく2011/12/06(火) 22:18:56.11
>>177
入蜀で論功行賞終了後という時点で区切ると魏延は恐らく牙門将軍
黄忠は討虜将軍
九品制だとこの二つは同じ雑号将軍かつ伝統あるものでどちらもほぼ同じ
黄忠が征西将軍として一気に出世するのは夏侯淵を斬った後
さらに劉備が漢中王になると後将軍となるわけだ
黄忠は劉備に投降する前からの将軍だけど漢中戦での大金星以前は上回ってないよ?

人を無知呼ばわりする前にそういう噛み付き癖無くした方がいいよ
186 :無名武将@お腹せっぷく2011/12/06(火) 22:32:48.49
>>182
雑号将軍では牙門将軍・裨将軍・偏将軍は伝統的雑号将軍の下位同格位なので
裨将軍黄忠が昇進してその下位同格になるとかおかしいだろ
俺の見た一覧でだと、討慮将軍は入ってない
ただ雑号将軍には上位と下位があって牙門などが下位だ
黄忠が昇進したなら、もともと同格の下位雑号将軍じゃなくて、上位雑号将軍になったと見るべきだろ
188 :無名武将@お腹せっぷく2011/12/06(火) 22:40:04.04
>>186
今、一覧見るまで将軍位の上下も知らずに上だ下だって言ってたの?

呆れた
190 :無名武将@お腹せっぷく2011/12/06(火) 22:47:49.34
>>188
もとから牙門と裨が同格だった事はしってたがな
討慮はその上位将軍だろうとはおもってたな
実際にそうだったわけだが
んで、結局お前の魏延が同格とかいう主張は崩壊したわけだが、
それについてはどうすんだ?
181 :無名武将@お腹せっぷく2011/12/06(火) 22:16:52.95
ね〜まだ終わんないの〜?
罵りあいなら余所でやってよ〜
183 :無名武将@お腹せっぷく2011/12/06(火) 22:20:47.35
あ 訂正
些細な事だけどまた絡まれると面倒だし

入蜀時にほぼ同格になったけど、大金星前には上回ってないよ
187 :無名武将@お腹せっぷく2011/12/06(火) 22:37:12.02
曹操は半分勝ち、半分負けだよね

漢中の生産力を担ってた張魯勢力という人力は根こそぎ魏郡まで移住させた
移住時には恐らく漢中の食料品も軍が駐屯できる以上の物は全部持ち出させたとすると
これで劉備は漢中から次の一歩が踏み出せなくなったと言える

でも、漢中という軍事的な拠点の陥落と、夏侯淵という重鎮の戦死、
さらにはその後に漢王の再来を思わせる劉備の宣伝は成功させてしまったので
後々まで残る蜀漢という国が成立して結局統一できなくなった

劉備の進軍を止める、という意味では焦土戦術含む一連の攻防はそこそこ成功だが
魏による統一は絶望的になった

痛し痒しの結果だな
192 :無名武将@お腹せっぷく2011/12/06(火) 22:55:33.61
>>187
全部もちださせたか?
そうだとすると、史実における魏軍の動きがおかしくなる
劉備は最初に陽平を攻撃して魏軍にそれを防がれ、
方向転換して定軍山に移動している
これは地理から見るに漢中盆地周辺に対して直接制圧目標を切り替えたと見られ
夏侯淵たちはそうはさせじとわざわざ鉄壁の陽平を捨てて漢中盆地の前に野戦陣地を作り、
結局劉備に大破させられた
ろくに価値がなくなっている場所のために夏候淵達がここまでしたとは正直考えにくい
漢中盆地周辺には十分に価値があったと見ていいのではないか?
200 :無名武将@お腹せっぷく2011/12/06(火) 23:16:35.00
>>192
ろくに価値がなくなったのは人的資源とその人的資源を支える食料くらいかな

漢族以外の異民族が少なからずいるし、皆無になったわけではないと思うんだ
資源で考えると金属資源、当時減少していた森林資源
そして漢水という水路が確保できるのは大きい
漢水の確保は注釈でも劉備が言及してて、
曹操が来るとしても俺は漢水を我が物とするという旨の発言が残ってる
どこまで本当かは全くわからんけどね

漢水を下れば襄陽、樊城までの輸送が楽になる
孟達、劉封がやったように川沿いの城を落とし、襄樊を占領できれば
そのまま漢水を堀として春秋楚が斉の桓公と相対したように
蜀が魏に相対できる構図になる

交通の要衝としたら価値ある土地だから大事大事
191 :無名武将@お腹せっぷく2011/12/06(火) 22:52:22.22
牙門将軍は劉備創設の立派な名号将軍。列将軍の下位じゃないよ。

三国職官表は魏晋の九品官人をベースに、かなり後世に編纂されたもので、
将軍麾下の部将である「牙門将」と牙門将軍を混同している。

牙門将というのは、将軍の牙門(陣営の軍門)を守る将という意味だが、
劉備麾下の「牙門将軍」は、そこから敷衍して「主君の牙門を守る将軍」
という意味を持たされたようで、栄えある職になる。

ちくまの三国官職表を両漢や蜀漢・呉の官職を見るときに使っては絶対に駄目。
特に諸征将軍の地位と役割は魏晋と前後蜀漢とでまったく違う。
その元になった職官表は、在任者の一覧があって便利だけどね。
193 :無名武将@お腹せっぷく2011/12/06(火) 23:02:14.52
>>191
劉備創設てのは初耳だな
とりあえず論拠くれい
てか、その理屈だと王平とか凄いことになるぞ
趙雲とかも凄いことになるし
お前さんの主張どおりなら
その下位雑号将軍よりも上位雑号将軍よりも上なくらいに
すんばらしい牙門将軍に魏延は将軍でもない一武将から
入蜀戦だけで昇格したわけ?それは無理ありすぎだろ
普通に牙門が下位雑号将軍と見たほうが楽に納得できるわ
196 :無名武将@お腹せっぷく2011/12/06(火) 23:06:49.82
>>191
趙雲がなったりしてたから前からあるもんだと勘違いしてたわ

伝統はないのね
198 :無名武将@お腹せっぷく2011/12/06(火) 23:10:17.69
>>196
ほんとか〜?
正直そうすると将軍成り立ての連中が牙門将軍なってる事例が多いんで
そんな凄い役職だとすると意味不明になる
199 :無名武将@お腹せっぷく2011/12/06(火) 23:15:22.63
つーか三国志集解って普通に注釈本の一種に過ぎんように見えるが
歴代の史学者の見解がどうたら言ってる奴は
言いたい事があるなら早くいうべきだとおもう


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