2011年09月14日

【覇者】春秋戦国時代スレ【始皇帝】

1 :田完 ◆yendvfOuQs 2010/11/07(日) 15:06:20
春秋戦国時代の王家・公家の子孫はどうなったんでしょうか。
太公望の子孫はどこへ?
晋の文公の子孫はどうなった?
なんでいきなり、呉とか越が興るんだよ それまで何やってたんだ?


2 :無名武将@お腹せっぷく2010/11/07(日) 15:13:16
このスレタイにしてこの>>1・・・ありえん!
ありえんが、ありえん故に三戦板のスレか・・・
19 :無名武将@お腹せっぷく2010/11/10(水) 22:16:14
>>1
呉越に関しては、周辺の民族が集まって国家形成された感じだな
呉の方は、周の血統が流れて建国したという伝説もあるみたいだが
4 :根葉蓮子 ◆YJ5IrBhD0A 2010/11/07(日) 17:06:29
5 :無名武将@お腹せっぷく2010/11/07(日) 17:07:05
>>4
糞レス入れるな蛆虫、氏ね
6 :根葉蓮子 ◆YJ5IrBhD0A 2010/11/07(日) 17:11:48
そうやって、あなたも私たちをいらない子扱いするんですね…
7 :無名武将@お腹せっぷく2010/11/07(日) 17:12:48
>>6
うるせえ糞チュプ婆帰れ
8 :無名武将@お腹せっぷく2010/11/07(日) 17:48:24
田一族もひどいよね
陳から亡命したのを心が広い斉の国が受け入れたのをいいことに
長い年月をかけて卑怯な手段で簒奪しちゃうんだから
後宮の解放とか、あり得ない
9 :始皇帝 ◆Illllllll. 2010/11/07(日) 18:59:55
ですよねー^^
11 :無名武将@お腹せっぷく2010/11/07(日) 22:09:36
>>9
トリップおしいな
20 :無名武将@お腹せっぷく2010/11/11(木) 08:33:53
この頃の華北はコーカソイド?
21 :無名武将@お腹せっぷく2010/11/11(木) 10:46:33
>>20
出土した骨の遺伝子は、ヨーロッパ系のそれと酷似していたらしい
中原はコーカソイドの血が濃く、長江流域はモンゴロイド系というのが定説
斉や燕なんかは、特にコーカソイド系が強かったんじゃないかな・・・・・
秦楚呉越なんかは、モンゴロイドだったかと
22 :無名武将@お腹せっぷく2010/11/11(木) 14:51:28
陝西甘粛青海・・・比較的高身長、高鼻二重瞼の濃い顔が多い
四川・・・チベット人や羌族、日本人に近い
揚子江中・下流域・・・鼻が低くのっぺりした顔
北京及び河北・山西・・・モンゴル人ぽい顔立ちの人が多い印象
広東江西・・・くどすぎ
東北三省・・・高身長鼻は高いが目は二重瞼であっても細い場合が多い
新彊・・・人口の半分がウイグル人のためとんでもない美男美女がたくさん
24 :無名武将@お腹せっぷく2010/11/11(木) 23:38:51
今の中国人は漢民族どころか越の子孫ですら無いのか?w
春秋戦国の壮大な戦いと今のチャンコロの間に感じていた違和感が分かった
25 :無名武将@お腹せっぷく2010/11/21(日) 17:57:20
五胡十六国に隋唐、元に清・・・ もう混ざりまくりでしょ
26 :無名武将@お腹せっぷく2010/12/03(金) 18:33:54
http://www.kodai-bunmei.net/blog/684px-China.B.C350.PNG
これの細かい地名が読めるくらい大きいのないですか?
32 :無名武将@お腹せっぷく2010/12/13(月) 22:46:03
なんで婿太郎ですか
35 :無名武将@お腹せっぷく2010/12/15(水) 00:21:10
37 :無名武将@お腹せっぷく2010/12/16(木) 02:50:09
・周の幽王、暴政により諸侯に殺害される
・幽王の子、平王が周を再興(東周) 「春秋時代の幕開け」
・平王の孫、桓王が鄭を攻撃して敗退、周王権は影響力を失って行く
・楚が中原の諸小国に侵攻、これを斉が抑えた事で、斉の桓公は覇者となる
・桓公没後、宋の襄公が覇権を志すも楚との争いに敗れる
・晋の文公が即位、楚を破って覇者となる
・楚が北上、鄭を包囲した上、晋の援軍を破って中原の諸小国を併呑
・孔子が儒教を起こす
・呉、楚の首都を陥落させる
・越が呉を破り、滅亡させる
・斉が田氏に乗っ取られる(田氏斉)
・晋が趙・魏・韓に分裂、周王室に国として認められる 「春秋時代の終焉」
38 :無名武将@お腹せっぷく2010/12/17(金) 00:41:40
春秋時代の説明で晋が楚に敗れた後、晋が再び力をつけて覇権を奪い返すことや
晋と楚の和平とか飛ばされることが多いな
40 :無名武将@お腹せっぷく2010/12/17(金) 02:59:38
覇者システムって、会盟して牛耳取らないと認定されなかったんだっけ
42 :無名武将@お腹せっぷく2010/12/21(火) 23:46:44
趙一族って一回滅びかけたのに
復活してすごいよね

韓って
晋と同じ姫姓なんだから、晋を名乗ってもよさそうなのに
43 :無名武将@お腹せっぷく2010/12/22(水) 06:56:40
そうすると、桓叔の廟堂がある曲沃を確保してる魏と真っ向から対峙することになるから
名乗りたくても名乗らないんじゃない?
晋と名乗っておいて、先祖の廟堂がないんじゃカッコつかないし。
44 :無名武将@お腹せっぷく2010/12/22(水) 21:44:05
韓はモーターマンみたいなもんだろ、秦がバイクマンとしたら
46 :無名武将@お腹せっぷく2010/12/27(月) 20:07:36
>>44
よくよく考えたら、韓非子に治水工事か・・・
なにやってんだろな韓は
48 :無名武将@お腹せっぷく2010/12/28(火) 12:54:06
秦の隣国だから、必死だったんだろうけどね
韓非子の理論もまともとは思えんし、それを実践した末路は一代のみの栄華
魏、趙、楚辺りと同盟結んで防衛線作ったりすれば良かったのに
50 :無名武将@お腹せっぷく2010/12/30(木) 19:37:47
秦>斉>楚>趙>魏>韓>燕
70 :無名武将@お腹せっぷく2011/02/05(土) 12:45:53
>>68
周の成立もだろ。後世周王朝が理想化されると、周の成立が正しいもので
あることにしなくちゃいけなかった。

>>50-51
燕は瞬間最大風速だし、斉が強すぎるのを恐れた他の諸侯と同盟したから
強そうに見えるだけ。趙や魏が強かった時期もあるし。
結局は「諸侯の強さなんて時代によって違う」。
71 :無名武将@お腹せっぷく2011/02/05(土) 20:54:11
>>70
時代によって違う事なんか誰でも知ってるんじゃないか?
燕は楽殻の連合軍以外は、太子が始皇帝暗殺を企てて殺されたくらいか・・・・
秦の遠交近攻策によって、たまたま長続き出来た気もする
72 :無名武将@お腹せっぷく2011/02/05(土) 21:05:25
>>71
時期によって違うことがわかってたら

>逆時計回りが強さの順番

なんて言えねぇよ
52 :無名武将@お腹せっぷく2011/01/10(月) 20:13:01
中学あたりで習ったな。思い出した。
でも、燕ってそんな強いイメージないな。楽毅とかいたころの話だろか。
56 :無名武将@お腹せっぷく2011/02/03(木) 16:15:19
春秋戦国時代ってもう豪華絢爛な城や城壁が当たり前のように存在してたんだよな
すげえわ
57 :無名武将@お腹せっぷく2011/02/03(木) 16:45:27
日本の天皇みたく周王あたりを祭祀王みたいにして権威付けしてずっと祭り上げておけば、
あんなにしょっちゅう血みどろの権力闘争が起こることもなかっただろうという意見を見た。
でもたぶん無理だったと思う。始皇帝みたいなのが出てくるし異民族に侵略されてるしね。
62 :無名武将@お腹せっぷく2011/02/04(金) 21:31:12
>>57
それの限界が春秋から戦国にかけてなんだろうけどな。
てか周王どころか、その下の各諸侯すら権威が落ちて
大夫が台頭してきてるんだからもうどうしようもない。
63 :無名武将@お腹せっぷく2011/02/04(金) 23:44:59
>>57
形骸化した周王朝が始皇帝の時代まで残るとしたらこういうシナリオになるでしょう。

周王が覇権奪回を工作し始皇帝の逆鱗に触れる→始皇帝が周王室を廃止を示唆→李斯が始皇帝を暗殺→項羽が李斯を討つ→項羽が朝鮮に出兵→(略)→劉備が天下統一
58 :無名武将@お腹せっぷく2011/02/03(木) 17:07:20

中国は人口は圧倒的に日本より多いのに、苗字は日本より少なすぎるから、血筋なんて繋がり無い可能性のほうが遥かに高い。
血筋とかホラ吹いていれば名声が高まりやすいというだけで利用するケースがほとんど。

59 :無名武将@お腹せっぷく2011/02/03(木) 21:29:25
それはあるな。劉備が漢王朝の一族の末裔だってのはかなり眉唾だしな。
60 :無名武将@お腹せっぷく2011/02/03(木) 22:39:05
近くのコンビニの店員「劉」だったぞ
漢王朝の末裔が泣くぞ
61 :無名武将@お腹せっぷく2011/02/04(金) 04:19:48
名字が少ないから人口が増えると被る可能性が高くなるから、
前漢末期くらいだと二字名が普通になってきたが王莽が一字名を法制化した言うが、
なんで新が滅びた後もそれ維持したんだろうな?
64 :無名武将@お腹せっぷく2011/02/05(土) 02:19:09
殷が夏を倒し、周が殷を倒したことから当時すでに易性革命思想はあったんじゃないかな
でも春秋戦国が何百年も続いたことを考えるとその思想が生まれたのは始皇帝以後なのかな?
65 :無名武将@お腹せっぷく2011/02/05(土) 02:23:42
>>64
いやいや、単に諸侯国の力が拮抗してて
称帝したらフルボッコされそうで自重してたってだけ

一時期斉が東帝、秦が西帝を名乗ってるし
易姓革命思想は勿論その時にもあった
66 :無名武将@お腹せっぷく2011/02/05(土) 02:24:49
易性革命思想が春秋戦国時代の時点ですでに存在していたなら、どのみち周は滅びてたと思う。
67 :無名武将@お腹せっぷく2011/02/05(土) 02:27:14
易姓革命は、古代中国において、孟子らの儒教に基づく、五行思想などから王朝の交代を説明した理論。
68 :無名武将@お腹せっぷく2011/02/05(土) 10:07:50
易姓革命は後付設定で、その設定を利用して正当化しようとしたのが後漢の魏ってところか。
69 :無名武将@お腹せっぷく2011/02/05(土) 10:18:11
>>68
平民出身の劉邦を正当化する役割も担った
73 :無名武将@お腹せっぷく2011/02/05(土) 21:23:07
中学の歴史の授業に過ぎんぞ。教師が覚えやすいようにしただけだろ。
大枠でそれほど違ってるわけでもなく、中学で厳密な順位付けを覚える必要もない。
74 :無名武将@お腹せっぷく2011/02/05(土) 22:42:18
>>73
反時計回りは位置の覚え方。
強さの順じゃない、大枠でも違うことは覚えておけよな。
75 :奇矯屋onぷらっと ◆a..l..g..o 2011/02/05(土) 23:18:22
そしんちょうぎかんせいえん

蘇秦 張儀 官制塩 で覚えている。
76 :無名武将@お腹せっぷく2011/02/06(日) 00:42:21
>>75
さほど配置を覚える役には立たないな
78 :無名武将@お腹せっぷく2011/02/06(日) 01:00:21
うん、一筆書きなのはわかったが、その道順わかるくらいなら
もう全部覚えてるだろwww
79 :奇矯屋onぷらっと ◆a..l..g..o 2011/02/06(日) 01:04:00
いや、20年前にコレを思いついたときはオレ天才!とか勘違いしてたもんだよ。

ただの自己満足だわ同じ順の記述が一切ないわで。
81 :無名武将@お腹せっぷく2011/02/06(日) 19:36:42
たった七つの国の位置と名前すら普通に覚えられない人っているんだな・・・・・
83 :無名武将@お腹せっぷく2011/02/06(日) 22:33:41
>>81
現在の県すら覚えられない人がいるんだ、まして他国の過去など
84 :無名武将@お腹せっぷく2011/02/07(月) 02:28:52
現代人の俺には史記列伝冒頭の兄弟の何処が義人なのか分からん。
「家臣なのに主人討って良いと思ってるのか!」
対案を出せ。
鳩山か。
85 :無名武将@お腹せっぷく2011/02/07(月) 16:32:09
現代人だけどお前が言ってることがわからん。
伯夷叔斉が主君を討っただと?
86 :無名武将@お腹せっぷく2011/02/07(月) 18:46:48
いや暴政を敷くチュウ王を討とうとする武王を、
「家臣なのに主人を殺そうとするのは仁とは言えない」と止めようとするが、
じゃチュウ王の暴虐は構いはしないのかと小一時間問い詰めたい。
87 :無名武将@お腹せっぷく2011/02/07(月) 18:55:36
伯夷と叔斉は殷王室の支族、墨胎氏が治める孤竹国の王子
つまり殷の親戚な訳だから、その辺りの感情はあったかもしれない
88 :無名武将@お腹せっぷく2011/02/07(月) 19:03:50
長幼の順を守ることを政治を行うことより上位に持ってきてる兄弟だから、
民草の命なんて何とも思って無いんだよ。
それを持って「天道は是か非か」と問うている司馬遷も同じ様なもんだろう。
92 :無名武将@お腹せっぷく2011/02/08(火) 17:00:53
お客様の中に伯夷叔斉が殺されたと言った方はいらっしゃいますかー
94 :無名武将@お腹せっぷく2011/02/08(火) 18:06:54
あの広大な中華を統一した訳だから、
島国一つ統一できなかった信長よりは能力あるだろうけどね
95 :無名武将@お腹せっぷく2011/02/08(火) 21:47:11
超大国の秦と尾張の片田舎、
君主になった時点での国力が違いすぎる。
96 :無名武将@お腹せっぷく2011/02/08(火) 22:19:29
どちらかと言えば、信長は曹操的だろ
始皇帝は自ら出陣なんてしないし、戦術面での貢献は皆無に等しい
始皇帝が統一事業を達成出来たのは、秦がコツコツ蓄えてきた国力と
有能な臣下のおかげ
自分から戦局を切り拓いて統一したって印象は無いなぁ
97 :無名武将@お腹せっぷく2011/02/08(火) 23:25:23
始皇帝は何がすごかったかわからん。
すごかったのは歴代の宰相だろ?
101 :無名武将@お腹せっぷく2011/02/09(水) 02:00:57
>>97
とりあえず、中国史上初の統一国家建設。
始皇帝だけの功績では無いが、統一事業を王として率いたのは事実。
中央集権で国力を強化し、個人の能力を正当に評価出来た。
統一後、封建制よりも中央集権の郡県制のまま統治した点は、儒教思想より
法治を重視した合理的な判断だったと思う。
車道整備や巨大な建築物を残したのは、当時の民衆には苦痛だったと思うが
巨大独裁国家ならではの遺産か。
102 :無名武将@お腹せっぷく2011/02/09(水) 13:09:59
>>101
>中国史上初の統一国家建設
政以前からの流れに乗っただけじゃないか?政がなにかしたことが重要な
契機になった、と言えることはある?よかったら教えてくれ。

>個人の能力を正当に評価出来た
これは確かに君主としての実績だ。

>合理的な判断
>巨大な建築物
よくも悪くも、って感じだな。どっちも強力な支配に必要だったかもしれ
ないが、崩壊の原因との印象も強い。
ところで郡県、法治は政が始めたことなの?
108 :無名武将@お腹せっぷく2011/02/16(水) 16:02:26
>>102
統一は、流れに乗っただけで出来るものではないと思う。
郡県制は、李斯の進言だったはず(全土に郡県制を敷いたのも同じ)。
政が統一における決定的な契機になったのは、歴史的に大局を見た場合だろう。
だが、他国を9年で征服して統一した原動力は、父祖の土台を昇華して王権を行使し、
時勢を読んで好機を逃さなかった政の才能も大きい。

仮に政の先代、その又先代の頃の国力でも統一出来たと仮定する。
だが、統一したのは政。
そういう意志と行動力があったというのが、最も重要な気がする。
巨大建築物や皇帝専用道路などについては、暴政だが崩壊の直接的な原因というより
崩壊したからそう思えるだけかも知れない。
結果論みたいなもん。
98 :奇矯屋onぷらっと ◆a..l..g..o 2011/02/08(火) 23:38:05
昭襄王死去から始皇帝(曾孫)即位までが5年。
屋台骨がしっかりしていた証左だなあと。
99 :無名武将@お腹せっぷく2011/02/09(水) 00:18:11
どんなに宰相がすごかろうが君主が盆暗ならコロッと倒れちゃうような時代です。
103 :無名武将@お腹せっぷく2011/02/10(木) 03:31:45
政治家って戦場で活躍する将軍とか実働担当と違って仕事が見えにくいからなぁ、
ただ毎日30キロくらいの書類を決裁するのを自分に課していたというからかなり働き者だったみたいだぞ。
竹簡の時代の30キロが原稿用紙何枚分に相当するのかは知らんが。
106 :無名武将@お腹せっぷく2011/02/11(金) 22:58:28
>>103
全国紙の新聞以下じゃないか?
文字も大きいし情報量は今に比べると圧倒的に少ないだろ。
104 :無名武将@お腹せっぷく2011/02/10(木) 14:50:51
wiki情報だけど、度量衡の統一や過酷な法律については、再考の余地がある
だって。
107 :無名武将@お腹せっぷく2011/02/11(金) 23:30:08
竹簡の重さから情報量を知るのは難しいから、他の人の「○kgを裁いた」
みたいな情報があればいいんだけど。
あるいは時間換算。
110 :無名武将@お腹せっぷく2011/03/05(土) 12:30:00.45
始皇帝による中国統一がなかったら
今の中国はヨーロッパみたいになってたかもね
111 :無名武将@お腹せっぷく2011/03/17(木) 01:18:30.24
「朕」は始皇帝が自分専用にするまでは割りとありふれた一人称だったらしいが、
始皇帝以前はどういう地位の人間がどういうニュアンスで使ってたの?
113 :無名武将@お腹せっぷく2011/03/18(金) 17:34:06.92
何でそんなの選んだのやら?
その後の「真人」ってのは中二病的だよね、
114 :無名武将@お腹せっぷく2011/03/20(日) 20:43:18.72
文公とか桓公とかあっちこちに居るんだけど、
何か決まりがあるの?
115 :無名武将@お腹せっぷく2011/03/21(月) 08:33:04.54
>>113
まともな大人は中二病的なんて言葉すら使いもしない

>>114
諡号
116 :1142011/03/21(月) 21:32:06.10
諡号なのは分かってる。
なんで同じ諡号がアッチコッチにゴロゴロ居るのかと?
諡号にはこれをつけないといけない的な規則でもあるの?
117 :無名武将@お腹せっぷく2011/03/22(火) 17:51:27.18
>>116
基本的に諡号は生前の業績に則って贈られる
もちろん例外や皮肉をこめたものもある
ただし、ひとつの国において一度贈られた諡号は欠番になる
これも例外は皆無じゃないが
つまり同じ諡号が同時期にみえるのは単なる偶然に過ぎない
120 :無名武将@お腹せっぷく2011/03/31(木) 02:53:40.38
>>116
死んだ後にその人の業績に合ったものを選んで贈られる。

国単位のものなんで、晋に文公がいて斉にも文公がいてもおかしくない。

何年か前に世界史板にあった春秋戦国スレでかなり詳しいやり取りがあった。
過去スレが見られる環境なら覗いて見ると面白いかも。
118 :無名武将@お腹せっぷく2011/03/29(火) 21:28:44.65
子、候、公、王といったものすら被ったのは、
斉の荘公くらいかな?
121 :奇矯屋onぷらっと ◆a..l..g..o 2011/03/31(木) 23:11:21.93
文武
宣成
襄桓
昭穆

諡号のサイトでいろいろ書かれているけど実際はこんなランキングのイメージ(オレ的)。
127 :無名武将@お腹せっぷく2011/04/02(土) 11:47:59.07
>>121
威と荘は文武と宣成の間に入れてもよさそうにも思うのだが
128 :奇矯屋onぷらっと ◆a..l..g..o 2011/04/02(土) 22:36:41.69
>>127
勢いで入れてもいいけど、文>武である諡号にとって威荘は水滸伝の地サツ星みたいに見えるんだよ。
昭穆の下でいいんじゃない?
124 :ジャイアニズム2011/04/01(金) 22:44:27.81
菅はこの大災害の非常時にも関わらず、何の能もなく宰相の位にありて、民の辛苦を横目に、ただただ大飯を食らっては大糞を垂れ流している!
さればこのような輩は国賊というのも勿体無い!糞賊というのだ、分かったか!
126 :無名武将@お腹せっぷく2011/04/02(土) 08:36:15.61
中国で天下とっても
子孫が禅譲後に皆殺しにされたら微妙〜だよね
129 :無名武将@お腹せっぷく2011/04/03(日) 18:45:33.00
威荘がそんなに下か……
ここで話し合われてるのは儒学が支配的になった後の感覚?
それより前?
130 :奇矯屋onぷらっと ◆a..l..g..o 2011/04/03(日) 22:57:52.43
特に拘りがあるわけではないんだけど、五覇の時代にあっては蛮族扱いの楚にちょうど当てはまるからさ。
印象だけで書いていることにそこまで気にしてもらわなくていいよ。
131 :無名武将@お腹せっぷく2011/04/04(月) 01:59:50.06
荘は国の飛躍をもたらした反面専制が強かった人に送られているイメージがある。
136 :無名武将@お腹せっぷく2011/04/09(土) 23:44:18.51
荘で有名なのは楚の荘王か
宮城谷さんは楚の王の中でも最高の名君って評してたな
137 :奇矯屋onぷらっと ◆a..l..g..o 2011/04/09(土) 23:55:26.04
荘は壮。
元気印の称号。
138 :無名武将@お腹せっぷく2011/04/10(日) 05:43:41.45
>>137
なぁ、お前馬鹿じゃねぇか?
139 :奇矯屋onぷらっと ◆a..l..g..o 2011/04/10(日) 09:51:21.44
要素として間違っていないだろ。
いちいち諡法解から貼り付けにゃならんかね?
140 :無名武将@お腹せっぷく2011/04/11(月) 06:38:44.23
秦の穆公だけ、地方の覇者で他の覇者に比べて格が下って感じがするなあ
141 :無名武将@お腹せっぷく2011/04/11(月) 21:20:28.33
春秋五覇って括りだと、斉桓公、晋文公は鉄板で、
あとは、宋襄公、秦穆公、楚荘王、呉王夫差、越王勾践のどれかだと思うけど
個人的に、夫差は徳で、宋襄公は武力で足りない気がするんだよな。

周王に影響与えたって理由だと、趙鞅とかもいるし。
146 :無名武将@お腹せっぷく2011/04/12(火) 20:01:12.62
>>141
闔閭は候補にならんのか…
142 :奇矯屋onぷらっと ◆a..l..g..o 2011/04/11(月) 22:39:04.39
オーソドックスにぼくのえらぶ五覇。

斉桓晋文楚荘宋襄秦穆
143 :無名武将@お腹せっぷく2011/04/12(火) 13:45:16.22
五という数字に拘るなんて愚かなこと。
数字と関係なく行跡から選べばいいじゃない。
145 :無名武将@お腹せっぷく2011/04/12(火) 18:13:02.42
春秋五覇という単語のせいで勘違いしている人がいるけど
実際は晋の文公が覇者になってからは晋と楚が覇者の座を争っていた春秋時代
147 :無名武将@お腹せっぷく2011/04/12(火) 20:25:29.19
>>146
考慮してなかった・・・

>>145
勘違いというか、桓公の前にも覇者らしき人はいるし、
史記には五覇(五伯)っていう単語がよく出てるから
それじゃ誰なんだろ?って感じだったんだけどね。

戦国時代の説客が他国に取り入るために使ってそうだから
取り入る国によって該当する覇者が違うんだろうけど。
151 :無名武将@お腹せっぷく2011/04/14(木) 09:53:25.93
>>145
五胡にその馬鹿らしさが表れてるよな。
148 :奇矯屋onぷらっと ◆a..l..g..o 2011/04/12(火) 23:48:06.64
五に拘るからには東西南北中央なんだろうけどね。

中央が宋とか無理ありすぎorz
149 :無名武将@お腹せっぷく2011/04/13(水) 05:47:59.65
方角は関係ないっしょ。
何でもかんでも五に当てはめて物事を説明したいという五行説が流行ったからだけで。
150 :無名武将@お腹せっぷく2011/04/13(水) 07:50:23.54
蘇秦ってよく分からん。張儀より後の人ってのが事実なら蘇秦が説得してた王たちは誰だ?
152 :無名武将@お腹せっぷく2011/04/14(木) 18:38:32.96
サンズイを嫌った後漢王朝だけど、国号そのものにサンズイがついてるのが
切ないね。
154 :無名武将@お腹せっぷく2011/05/02(月) 17:28:26.02
五覇は斉桓公・晋文公・楚荘王は確定として
秦の穆公は五覇候補でも名君だけど晋外交政策を捻りすぎて中原進出に失敗してる感があるのが痛い
宋の襄公はジャイアン気質な楚(成王)さえ居なければ斉の後継になれた…と思う
呉王闔閭は強国の楚を破ったりととにかく惜しかった越さえ居なければ五覇当確だった
呉王夫差は何で越を舐めたの?バカなの?宋襄公のがマシ
越王勾践は後年こそ残念だけど忍耐の末に覇を唱えたから候補の中じゃ最有力
157 :ジャイアニズム2011/05/02(月) 22:44:52.42
反米の闘士たるオサマ・ビンラディン氏が鬼畜米兵に討ち取られたそうです。
ここに哀悼の意を示し、その功績を讃えようではありませんか!
158 :奇矯屋onぷらっと ◆a..l..g..o 2011/05/02(月) 22:49:52.69
マルチすんな。

独立の闘士だったら讃えてもやるが、そろそろ役者替えないとバレるだけのことだし。
159 :無名武将@お腹せっぷく2011/05/03(火) 21:39:55.46
春秋左氏伝読んでたら、春秋初期から君主の言うこときかない奴がいるんだな。
大体が公子だけど、こんなことが続けば側近政治が起きるのも仕方ないや。
168 :無名武将@お腹せっぷく2011/05/08(日) 06:45:31.16
漢の武帝に仕えた韓王の子孫がいたね
確かその代で絶えたけど
169 :無名武将@お腹せっぷく2011/05/08(日) 19:26:26.32
直系が絶えただけで、傍系ならいくらでもいるんだろう。
陳勝の乱の後、王様候補がポコポコ出てくるし。
172 :国士焼肉ぷらす2011/05/09(月) 11:28:54.25
陸遜が陳の末裔だとか荀氏が六卿の後裔というのはそれにあてはまるのかな?
173 :無名武将@お腹せっぷく2011/05/09(月) 14:03:11.52
てことは
田氏と親類?
176 :奇矯屋onぷらっと ◆a..l..g..o 2011/05/09(月) 19:11:18.22
>>173
陸氏は田斉の宣王の庶子から始まっているらしいので。
174 :無名武将@お腹せっぷく2011/05/09(月) 17:07:34.90
血が入ってさえいればいいのなら、
魯の荘公は、太公望の子孫である斉桓公の甥で、
後の魯公は荘公の系統だから前249年までは続いてる。
175 :無名武将@お腹せっぷく2011/05/09(月) 18:13:36.00
家社会の中国に母系の概念を持ち込んだら訳わからなくなるだろ
秦と楚なんか祖父と孫がそれぞれ王位にいるときに激しくドンパチしてたし
177 :無名武将@お腹せっぷく2011/05/13(金) 01:59:05.84
>>175
特に秦や楚みたいな中原以外の国の場合は母系の繋がりは弱かったみたいだな。
181 :無名武将@お腹せっぷく2011/05/16(月) 20:43:00.60
このスレって扱う時代の範囲どれくらいなの?
魯の隠公から秦の始皇帝まで?それとも史記に書いてある範囲?
182 :無名武将@お腹せっぷく2011/05/16(月) 21:57:38.87
厳密に考える必要はないと思うが
普通に考えれば西周の滅亡直後から六国の滅亡までなんだろうけど、
内容に絡めば西周時代や秦初の話でもかまわんし
186 :無名武将@お腹せっぷく2011/05/17(火) 06:39:08.61
重耳に尽くす忠臣たちの話を読むたびに思う

その子孫に乗っ取られるんだよね…
191 :無名武将@お腹せっぷく2011/05/17(火) 21:56:13.00
いつの時代も最強の武器はティンポに決まってんだろ
192 :無名武将@お腹せっぷく2011/05/18(水) 00:18:09.86
>>191
むしろ、利用される役回りだろ
193 :無名武将@お腹せっぷく2011/05/18(水) 16:03:08.41
韓氏って、晋王と同族だったよね
だったら晋って称してもよかったんじゃね?
194 :奇矯屋onぷらっと ◆a..l..g..o 2011/05/18(水) 19:22:34.43
六卿でも弱そうな組の韓氏が晋を称したら、実力者知氏や公族筆頭趙氏がタダで済ませてくれなかっただろう。

実力でなく血縁で考えても韓氏より羊舌氏のほうが公室に近いし、やはり無理があるかと。
196 :学徒出陣@全受帝 ◆IAVbQSkuaI 2011/05/18(水) 21:48:48.90
オレ様は春秋戦国時代も詳しい
横山光輝の史記も全15巻揃えている
197 :奇矯屋onぷらっと ◆a..l..g..o 2011/05/18(水) 21:57:13.65
晋ではニセモノ風公室一門のこと。

本来の晋の一門配下は郤氏・欒氏・韓氏・羊舌氏あたり。先氏が灰色くらい。


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