2011年07月31日

石勒・苻堅は本当に曹操を超えた英雄といえるのか

1 :無名武将@お腹せっぷく2010/03/13(土) 19:33:04
自分を、劉邦、劉秀、曹操、司馬一族と比較し、

「朕若逢高皇,當北面而事之,與韓彭競鞭而爭先耳.脫遇光武,當並驅于中原,未知鹿死誰手.
大丈夫行事當礌礌落落,如日月皎然,終不能如曹孟?、司馬仲達父子,欺他孤兒寡婦,狐媚以取天下也.朕當在二劉之間耳,軒轅豈所擬乎!」

と評し、没落し、胡人の奴隷から、華北を制し、皇帝にまでなった石勒

民族融和を図ったとされ、小勢力から華北を曹操・石勒以上に広範囲に支配し、
たった一度の敗戦から、全てを失ってしまった苻堅

この二人が本当に曹操以上の英雄といえるのか、話し合おう

※他の三国志人物との比較はありですが、劉邦、劉秀との比較論は控えてください


83 :無名武将@お腹せっぷく2010/03/19(金) 10:12:52
>>1-77
         l;;llllll||lll从从WWWl||ll,,ツ从ツツノlイノ'彡ヽ
         イ从、从从从从从ll|| |リ从////ノノ彡;j
        jl从从从从;;;;;;;;;;;;从;;;;;/;;;;;;;;;、、、;;-ー、イ彡:}
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        }ミミ;;;} :::  {:: ゙:::::、:::    :::ィ ,,:::: };;;;イ;;l
        jミミ;;;;} :::  ヽ::::ミヽ::  |  ノ  W::  |;;;;彡:|
          }ミ;;;;;;} ::: ヾ {:::::ミ ヽ j イ|从 ":::: };;;;;;彡{
         iミ゙;;;ノ::::::  \'、 }}: l||イ /,ィ;;、、-ーーヾ'ァ;;イ、
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        l"';;;l ゙'''<<~(::) >>::)-ら::ィ'ー゙-゙,,彡゙  .:|;l"lリ
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   ,、,,,/|  ヽヽ,,', ::.、    :::::(゙゙(  ),、)、ヽ::.  イ ::::l_ノ
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   き 利    (l :'、 `',. 'l| |;;゙゙゙゙"""´ー、;;| ノ:  / /リヽ \
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   ┃ な     }| ヽヽ :::::`'-、竺;;ニィ'::://    |    l
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つ、       r、{  |   ヽ ヽ   //      /     |
  ヽ      '´    |   ヽ  ヽ //      /     |
7 :無名武将@お腹せっぷく2010/03/14(日) 12:30:31
権力者としての能力

苻堅(王猛補正)>石勒、曹操>劉備>苻堅>孫権>苻堅(晩年)>孫権(晩年)
って感じ

石勒 曹操の上下がよく分からん
奴隷から上がってきたのを偉大と見るか、文化的功績があるから曹操の方が偉大と見るか

石勒の仏教って、功績にいれていいのだろうか?
8 :無名武将@お腹せっぷく2010/03/14(日) 12:44:19
聞き分けが良かったってのを考えると曹操よりはいいかも

石勒 仏教の聖人である仏図澄を重用
曹操 儒教、孔子の子孫にあたる孔融をウッセ!ボケ!!と殺害
16 :無名武将@お腹せっぷく2010/03/16(火) 02:36:31
>>8
孔融は後漢と言う母体に内包する曹氏政権、という特殊な政治体制に置いて
曹氏側でなく漢室側に寄る名士たちに多大な影響力を持つ一人であり、政治的に見てかなり邪魔な存在
無論、懐柔するのがベストだが、その下に付く名士勢力を丸ごと飲み込むのは事実上不可能なので粛清は一つの選択
そもそも彼は流賊に城を追われたり、能力的に特別有能と言うわけでもなく、官渡の折に顔良を評して荀?に論破されたように、諫言も必ずしも的確なものでは無かった
さんざん無礼を働いた禰衡が殺されず流されるに止まった事を鑑みても、決して曹操が感情的に始末したわけでは無く、殺される要因は揃っていた

非難されるとすれば、殺したことそのものよりは殺す理由付けが無理やりだった事の方だろうと思う


石勒の支配圏っていま一つわからん
大まかに、東西南北でどのあたりまで?
27 :無名武将@お腹せっぷく2010/03/16(火) 22:15:32
>>16
>石勒の支配圏っていま一つわからん
>大まかに、東西南北でどのあたりまで?

揚州、益州、交州、涼州はとっていない

ただし、北方の異民族への影響力は魏よりも大きかったので、版図は曹操とほぼ互角
29 :無名武将@お腹せっぷく2010/03/16(火) 23:49:15
>>27
そうか
やっぱ曹操と大体同じ位でいいんだな
魏の北方異民族への影響力って今一つわからん
曹操や曹彰自体は北方の異民族討伐に成功してるが、結構反乱起こされてるからな
10 :無名武将@お腹せっぷく2010/03/14(日) 12:54:38
数年前にネトゲで知り合った人妻に筆下ろししてもらったが気持ち良さは俺的には
フェラ>>自分の手>挿入
だったなあ。でも気持ち良さは凄かったけど口ではイけず最後は騎乗位でイった。
その時明らかにマンコの締め付け方が変わったんで
本気マンコ>>>フェラ>>自分の手>マグロマンコ
なのが俺の結論。結局中田氏して中から溢れるほど射精したがあれだけ気持ち良
かったのも一度だけの夢。それ以前も以後もずっと年齢=いない歴の喪男です…
12 :無名武将@お腹せっぷく2010/03/15(月) 23:24:53
苻堅はどう言い繕っても大敗後が酷すぎるわ
どうしようもないほど
13 :無名武将@お腹せっぷく2010/03/16(火) 01:38:47
苻堅の大敗後はあまり知られていないが、逆ギレの嵐だよな
孫権晩年と変わらんどころか、国を滅ぼしただけ、もっとひどいかも

ヒ水の敗戦を三国志で例えると、

赤壁で大敗した曹操が、赤壁侵攻をやたらと進め、なぜか、自分だけは被害を被らず、
曹操を都に送ったやった張コウに、反乱する可能性を知りながら、河北を抑えることを認め、
結局、反乱された後で、張コウを道義で責める。
また、度重なる反乱に、出兵を繰り返し、敗戦を重ね、
張遼のわずかな敗戦をとがめ、その部下を殺し、張遼を反乱に追い込み、その不義を攻め立て、
勝利を得ることができない曹仁を自殺に追い込み、最後は捕らえられ、
今までの自分の理想に反して、張遼の出自の低さを嘲笑いながら、殺されると言ったところか

どうやったら、人間こんなに壊れてしまうんだろ
15 :無名武将@お腹せっぷく2010/03/16(火) 01:46:28
人類皆兄弟の理想が現実を思い知らされてぶっ壊れたんだな・・・
19 :無名武将@お腹せっぷく2010/03/16(火) 03:20:16
荊州ってとって無い気がする

つーか「如日月皎然」と言ってる割には本人は盗賊あがりだしなあ
社会的地位の皆無なアウトローが正規軍をぶちのめして成りあがっていく痛快さが石勒軍団の魅力だと思うんだけど
道義に関して、人の事とやかく言えるような人間じゃないよな
20 :無名武将@お腹せっぷく2010/03/16(火) 03:31:54
劉淵、劉聡が蜀漢支持だから、逆説的に魏晋が嫌いだったんじゃないだろうか
晋崩壊以降の世の中の腐敗の煽りをモロに食らった人物でもあるし

個人的には曹操と気が合うような気がするんだけどなあ、本好きだし
21 :無名武将@お腹せっぷく2010/03/16(火) 03:49:36
結局は成りあがりの石勒たんが、劉邦に感情移入してたってだけな気がするけど
というか、この発言に特に深い意味はないような気がする
ハニカミ王子みたいなベビーフェイスを尊敬してるって言うと特に問題ないけど、
朝青竜リスペクトって言ったら、ちょっとアレだろ
90年代に「マイケル超カッケー」って言ったらえ〜って言われた、あんな感じ

雰囲気読んだんじゃない?
22 :無名武将@お腹せっぷく2010/03/16(火) 04:30:48
まあ野暮な事言ってしまうと、結局後漢末期と五胡十六史じゃ背景が全く違う
リアル北斗の拳みたいな石やんの時代ならそれこそ十六騎みたいなヤクザ集団率いてても武力さえあれば成り上がれただろう
豪族・名士が大きな影響力を持つ曹操らの時代で中枢で権力を握るためには彼らとの癒着が不可欠、それこそ曹操みたいな人間がいれば典韋のように出自詳らかで無くとも活躍できたかも知れんが政治力を持つのは不可能
劉備が流れ流れた事がそれを物語っている

曹操ってボンボンに見えて結構苦労人

三公の子→傅子に売官の論外っぷりが揶揄されているように、権威と言う意味ではむしろ汚点。曹操の事績を見てもプラスに働いたとは思えない
超エリートの孝廉推挙→頑張って働いたらうとまれて飛ばされる、めげずに意見書出したりしたけど聞いちゃくれねー。結局30代で無職の憂き目に
大金持ちの息子→衛茲と協力したけどフルボッコ。再起を図ったけどそれもパー。やっとこ形になったと思ったら袁紹に対黒山の最前線に送られ

わりと下積みが長い
石とは違う方向の苦労の仕方だけど
23 :無名武将@お腹せっぷく2010/03/16(火) 04:39:53
そもそも孝廉の推薦資格を得るために結構苦労してる
挙句の果てに剣を突き付けて無理やり襦袢を得ると言う暴挙にw
まあこれは信憑性が問われるだろうが

虐殺という共通点はある
結局石勒だって如日月皎然なんていう、公明正大な人間では無い
まあそれ言うと、そもそも劉邦からして粛清の嵐を巻き起こした人間だがな
24 :無名武将@お腹せっぷく2010/03/16(火) 04:51:00
つーか傀儡政権は狐の所業でも、和議したそばで後ろから斬りかかるのは良いのだろうか?
しかも自分から持ちかけた上でだぞ
26 :無名武将@お腹せっぷく2010/03/16(火) 15:43:55
>>和議したそばで後ろから斬りかかる

そういうの石勒好きそう
31 :無名武将@お腹せっぷく2010/03/17(水) 19:32:24
しかし、寄せ集めの兵で、石勒は西晋の名将たちに勝利をあげているんだよな

石勒が強いのか、西晋の将が弱いのか
八王の乱で国力は弱まっているとはいえ、あれだけの戦乱をくぐり抜けてきた
苟晞や王浚が弱いとは思えないけど

王浚配下は特に幽州奇兵だし

戦争は、石勒>曹操?
34 :無名武将@お腹せっぷく2010/03/17(水) 22:20:42
>>31
じゃあ曹操の弁護と言う形で。

反董卓の戦役に関して言うなら、曹操のみならず殆どの諸侯は董卓軍に対し何もできずに終わっている
孫堅が一矢報いたが、その孫堅も宿臣の祖茂を身代りにしながらほうほうの体でやっと逃げ切った、という手痛い敗北を喫している
当時の孫堅軍は決して弱いわけでなく、長沙・零陵・桂陽の乱を鎮圧し、実戦経験豊富、さらに南陽も乗っ取って総勢数万を号する程に巨大化している
つまり董卓の正規軍はそれくらい周りに比べて強かった

曹操はこの時無官だったため、元々自身の兵力は持っておらず、所から衛茲の助力を得て数だけ集めて参加したもので、恐らくこの軍の実戦経験は皆無に近いと推察できる。曹操自身は黄巾の時に指揮経験があるがな
流賊時代から転戦してきた一八騎と比べたら練度としては全く別もんではないか。同じ条件とは言えまい
当時の曹操が董卓軍にボロ負けした事だけで石勒>曹操とするのは早計に過ぎる

名将や騎兵がどうこう言うと、曹操は青州兵獲得以前から黒山の有力者で魏郡・東郡を落とした眭固や匈奴の於夫羅を破っているし、
そもそも弱兵で精強の青州兵を降伏させた、と言うのがあるな。
後年では兗州が9割がた呂布に寝返った時も、奪回に成功している。決して劣勢から盛り返す力に欠けるわけでは無い
議論の余地があると思うね
45 :無名武将@お腹せっぷく2010/03/18(木) 17:29:23
漢の名将・王弥を降す、とは言っても
王弥を殺したのは戦の腕でも何でもなく、ただの暗殺だろ
今回の話は>>31から始まった戦争に関しての話だから、それを持ってくるのは違う
33 :無名武将@お腹せっぷく2010/03/17(水) 19:38:33
まず、基本的にこの国においては宗教の自由が保障されている
しかしながら教祖が入国を禁止されているというのでは
やはりこの国においての統一教会に対しての評価は低く
問題のある教祖と宗教という扱いできている
ゆえに桜田淳子さんもそのあたりを客観的に評価して改宗
した方が良いのではないかという意見がたくさんでてくるのだと
思う、もともとご実家の仏教の宗派もあるはずなので統一原理を
やめるだけでも改宗になるし他の宗教を行うことも改宗になる
お姉さんは統一教会を離れたという事だけで他の宗教をしている
という話は聞いていないが、淳子さんは果たしてどのような
方向で進もうとしているのか?
35 :無名武将@お腹せっぷく2010/03/17(水) 22:32:41
王浚は石勒が正面から倒したと言うより、政治力欠如からの自爆の意味合いが強いしな
最終的には謀殺だし
戦の腕と言うと疑問
36 :無名武将@お腹せっぷく2010/03/17(水) 22:46:42
曹操もなんだかんだで、失敗は大きいが、後漢末の戦乱の第一走者だからな

石勒の方がインパクトが強いのは、
西晋の屈指の名将、苟晞・王浚
漢の名将・王弥、前趙の創始者・劉曜を倒しているからだろうな

劉曜以外は謀殺か、それに近い倒し方だが
37 :無名武将@お腹せっぷく2010/03/17(水) 23:58:46
失敗は大きいと言うが、結局苻堅や石勒も東晋を倒せなかった事を考えると、曹操の南征失敗も自明の理か、と思う
能力がどうこうでなく、それが純粋にあの時代の北方軍閥の限界なんだろう
何せまともな貨幣すら作れなかったんだから
38 :無名武将@お腹せっぷく2010/03/18(木) 00:10:51
歩戦令や青州兵に見られるように、曹操の軍は歩兵が中心だったと見られる
つーか飼料のかさむ騎兵を大規模には展開出来なかった、というのが実情だろうが
特にその傾向が顕著であろう勢力の小さい前半戦で、呂布ら董卓の残党や匈奴と渡り合っていたのは純粋にすごいな
43 :無名武将@お腹せっぷく2010/03/18(木) 17:13:52
>>38
呂布には最初負けてるけどな
盛り返したのは袁紹が公孫賛や黒山賊、北方遊牧民とかとの戦いで培ったノウハウを真似たのか
袁紹軍は麴義を始めとしてそういった対騎兵の扱いを知っているのがいたようだし
44 :無名武将@お腹せっぷく2010/03/18(木) 17:23:35
>>43
袁紹には烏丸兵が居た
46 :無名武将@お腹せっぷく2010/03/18(木) 17:30:15
>>44
敵側にはもっとたくさん騎兵がいた
そんでもって袁紹は公孫賛相手に騎兵対決ができず
騎兵相手の戦いを熟知している麴義に800の歩兵と千の弩兵を与えて先鋒とし
騎兵を崩させる事を選ばざるを得なかった
この戦いに至るまでは袁紹は公孫賛にビビりまくり
47 :無名武将@お腹せっぷく2010/03/18(木) 17:35:17
>>35
つーか王浚には直接対決だと飛龍山で負けてるしね
だから石勒<曹操とは言わないけど
それに触れないで王浚を倒した事だけ言われてもな
>>43
緒戦は負けたが、その後は連勝している
48 :無名武将@お腹せっぷく2010/03/18(木) 17:37:28
>>46
そりゃ白馬義従は強いもの
言われなくたってそれくらいはわかってるよ
ただ袁紹にも精強な騎兵がいたわけだから、中原時代の曹操とは同列には語れんよ
51 :無名武将@お腹せっぷく2010/03/18(木) 17:53:50
>>48
いるんだったら最初から使ってるだろ
袁紹の騎兵が増えるのはもっと後の時代の事だ
曹操の事だけ特別扱いにすんなよ
53 :無名武将@お腹せっぷく2010/03/18(木) 18:26:53
>>51
>曹操の事だけ特別扱いにすんなよ

傍から見てて意味分からん表現
論点摩り替わってないか?
54 :無名武将@お腹せっぷく2010/03/18(木) 19:01:41
>>53
すり替わってねーよ
曹操と同列に語れるかだろ
曹操と袁紹の条件は曹操が特別不利というわけでもない
対騎兵戦術は袁紹のが先に編み出してるくらいだ
55 :無名武将@お腹せっぷく2010/03/18(木) 19:25:32
>>54
いや、周辺諸侯の状況を考えたら中原で割拠してた曹操の方が不利だったのは、否めない考え方だろう
特別扱いでも何でもないわ
56 :無名武将@お腹せっぷく2010/03/18(木) 19:27:21
>>54
編み出したのは麴義だろ
曹操は自分が陣頭に出ていたが
58 :無名武将@お腹せっぷく2010/03/18(木) 20:24:56
>特にその傾向が顕著であろう勢力の小さい前半戦で、呂布ら董卓の残党や匈奴と渡り合っていたのは純粋にすごいな

↑がすごいかどうかが論点でしょ
で曹操だけじゃなく袁紹もすごいよ、と>>54さんは言いたいのだろう
どっちが不利かなんて決められないから、やめた方がいいよ
42 :無名武将@お腹せっぷく2010/03/18(木) 16:02:46
>石勒の方がインパクトが強い
あんまりそうとも思わない
49 :無名武将@お腹せっぷく2010/03/18(木) 17:41:48
呂布が率いてた騎兵が董卓の残党とのミックスなのか100%ヘイ州人なのかはわからんが、
黒山との戦から強かったことはわかる
公孫賛と比べてどうなのかはわからんが
ただ袁紹にとっての公孫賛と、曹操にとってのエン州の乱だと、
状況的には確実に後者の方がヤバいと思う
52 :無名武将@お腹せっぷく2010/03/18(木) 18:06:33
袁紹軍の麴義が公孫賛軍に使った戦法は
楯を並べさせて戟を持った歩兵を伏せさせ、
騎兵が近づいた所で一斉に戟をかざして襲いかかり
騎兵が混乱した所を弩で狙い撃ちにする、というやり方で
歩兵で騎兵を撃破するにはこの上なく有効なやり方だね
少数の先鋒部隊でこれをやって騎兵の大軍を撃破した麴義は凄い
57 :無名武将@お腹せっぷく2010/03/18(木) 19:37:34
騎兵が強い、という点では公孫賛が上だろうが、
全体的な勢力の話になると、そこまで不利か? と思うんだが
後の戦いで崔巨業や劉虞残党と共同で戦えたことや、敗北のあとの公孫瓚の南進に対抗出来た事を考えると、そこまで勢力的に余裕が無かったとも思えん
騎兵にこだわり過ぎじゃなかろうか。そもそも最初は騎兵の運用方法についてだったのに、だんだん曹操と袁紹のどっちが不利だったか、にすり変わってる気がするけど
そういう話じゃないだろ、これ
60 :無名武将@お腹せっぷく2010/03/18(木) 21:23:59
>>55
呂布と戦ってた時は青州兵も持ってたし
袁紹とも同盟してたから特別不利ってわけじゃないぞ
>>56
だからなんだ
>>57
劉虞が死ぬまでは公孫賛との勢力に単独で戦ってるぞ
もともと地盤も固まってなかった袁紹は公孫賛との戦いを避けていたくらいだ
65 :無名武将@お腹せっぷく2010/03/19(金) 00:29:58
>>60
袁紹の援助なんか受けてねーだろ
程?の進言をガン無視してるな
87 :無名武将@お腹せっぷく2010/03/19(金) 18:20:02
>>65
東郡太守になれたのは袁紹の推挙だろ
人脈活用してる癖に助けてもらってないとかいうなよ
91 :無名武将@お腹せっぷく2010/03/19(金) 23:01:00
>>87
当時の東郡って黒山や董卓・黄巾の残党でフィーバーしてる激戦区だよ
そもそも王肱が撃破されたから曹操が差し向けられた
どう見ても堤防扱いのスケープゴートです本当にry
だからこそ後に程?は「袁紹の支援なんか受けたら一生配下で終わるよ、今まで戦ってきたのが水の泡だよ」
と頑として曹操に意見したわけだね
97 :無名武将@お腹せっぷく2010/03/20(土) 10:54:20
>>91
太守になる以上、武功を求められるのは当時では自然
根なし草だった曹操にしてみれば拠点が欲しかったから
袁紹の誘いを受けて東郡太守にしてもらった
曹操は袁紹の人脈がなければ東郡太守にはなれなかったし、
袁紹も曹操がいなければいないで別の奴にオファーだしてたろうよ
袁紹に助力してもらってないとかはさすがに無理
59 :無名武将@お腹せっぷく2010/03/18(木) 20:52:21
騎兵の運用はデリケートとかいう話を聞いたことがある

攻撃力は高いが防御力が微妙、
一度突撃させるとあとは制御不可能とからしい
61 :無名武将@お腹せっぷく2010/03/18(木) 21:29:17
公孫賛の勢力って若いころから培われた騎兵戦力と北岸の大勢力だから
相当巨大なものですね
62 :無名武将@お腹せっぷく2010/03/18(木) 21:37:41
東の陶謙、南の孫堅、西の董卓、北の公孫瓚

これの中心に劉氏、何氏、袁氏が絡む印象
63 :無名武将@お腹せっぷく2010/03/18(木) 21:50:05
結局、曹操の起点は、袁紹に比べどれほど差があったかということだな

十八騎を自分で集めた石勒よりは、かなり有利であったのは間違いないだろうが
64 :無名武将@お腹せっぷく2010/03/19(金) 00:28:24
>>63
戦ってた相手が違うからその問いは意味が無い
石勒はただ各地を流賊として点々してただけで、本格的に戦争に参加するようになるのはあくまで司馬穎の所に転がり込んだ後の話
曹操や袁紹が相手にしていた万単位の敵とは、それこそ比べものにならん
69 :無名武将@お腹せっぷく2010/03/19(金) 01:02:50
>>64
司馬穎ではなく、劉淵じゃないの?
公師ハン、汲桑の時は、一隊長、一武将だろう
67 :無名武将@お腹せっぷく2010/03/19(金) 00:44:23
石勒押してる奴って、奴隷から皇帝に成り上がったって事だけで押してるような気がする
石勒は最初から独立していたわけじゃないし、あちこちに付いたり離れたりしてるじゃん
68 :無名武将@お腹せっぷく2010/03/19(金) 00:59:09
そこで苻堅さんですよ
現代の価値観に照らすなら、虐殺マニアの二人よりも偉大だと思うが
晩年を抜きにしては語れんけどな
>>67
最終的にはかつての仲間、主君の親類を殺して皇帝になった男だしな、彼って
謀殺が多い事もそうだが、本当に人の事が言えない男だと思う
簒奪者の曹操や司馬懿ですら自身の手で引導を渡したわけでは無いのに
70 :無名武将@お腹せっぷく2010/03/19(金) 01:08:49
あと、若い頃から万単位の敵、相手に戦える戦力を持っているのはかなり有利だと思うけど
ぐずぐずしていれば、次第に突出した群雄が力を持ってしまう
天下取り争いに転々とするメリットはほとんどない

劉備だって、スタートダッシュの遅れが決したわけだし

石勒が群雄になるまでにかけた労力は、そのままハンデだろ
ハングリー精神や地道に集めた仲間、下積みとしての経験を得る必要があるのは、
人間に寿命がある以上、やはり不利
71 :無名武将@お腹せっぷく2010/03/19(金) 01:15:07
>>70
でも友軍が居るのは純粋に有利だよね
石勒はそこで戦いながら下地を作っていったタイプだし
劉備は関わったところみんな滅んでるw
73 :無名武将@お腹せっぷく2010/03/19(金) 01:27:23
>>71 劉備の関わった処の大概は曹操が滅ぼしてるな
72 :無名武将@お腹せっぷく2010/03/19(金) 01:18:34
素朴な疑問だけど、曹操って若いのか?
青州兵を併合した時で30後半だぜ
それ以前は袁紹のパシリでしかない
74 :無名武将@お腹せっぷく2010/03/19(金) 02:13:28
劉備のせいではなく、劉備が関わっている間に曹操が力がつけたってことじゃないの?
劉備と曹操の下地が逆なら逆になっていたかもよ
それに、曹操だって袁紹に従属同盟していたわけじゃん。友軍がいるだろ
石勒だって、自分の努力で友軍を作ったわけじゃん

曹操が石勒より初期段階で不利かもしれない論調はさすがに無理がありすぎるw
75 :無名武将@お腹せっぷく2010/03/19(金) 03:26:12
>>曹操が石勒より初期段階で不利かもしれない論調

誰も言って無くね
ただひたすら奴隷押ししてるけど、曹操見たく独力で戦ってたわけでもないんだから、所詮、状況が違う

>>曹操だって袁紹に従属同盟していたわけじゃん。友軍がいるだろ
だから程?の進言をガン無視してんだろって
袁紹に助力を持ちかけられたけど人質送らないで拒否ってるよ
76 :無名武将@お腹せっぷく2010/03/19(金) 03:40:31
石勒と劉備は違う
劉備は傭兵みたいな事やってたが、あくまで独立した勢力として流れていた
曹操も袁紹の庇護を受けていたわけでもない。微妙な相互関係があった河南・河北の外交事情で、両者の事情から不可侵であっただけ
結局曹操は袁紹の力を借りず、また袁紹も特別曹操の援軍を受けたわけでもなく、それぞれ勝手に勢力を伸ばして、後に対立している
石勒は漢の武将で、その元の功績によって積み上がっていった力が、後の後趙の土台だ
奴隷時代から全部独力で起業した、みたいな言われ方をよくするが実際にはのれん分けしてもらったからこその勢力だ

そう言う意味で彼らとは違う立場である
77 :無名武将@お腹せっぷく2010/03/19(金) 03:53:02
最初から小企業の先頭に立って一から育てていくか、
大企業の一員になってその中で出世し、やがて独立するか

実際、どっちが有利かは一概には言えないんじゃないの?
生まれで言うなら間違いなく曹操の方が恵まれてるだろうけど
前者は前者でリスクがでかい
78 :蛆虫の昨夜の書き込み2010/03/19(金) 07:52:34
664 :クマッタ ◆6heAgF.FgWp2 :2010/03/19(金) 01:33:14
ってかUCはTV放映しないわけ?


666 :クマッタ ◆6heAgF.FgWp2 :2010/03/19(金) 01:39:20
そもそもGやら種やらがおkならUCだっておkでいいだろ
30分500円円払わないと見れないとか基地外すぎる


668 :クマッタ ◆6heAgF.FgWp2 :2010/03/19(金) 01:45:05
へー

別にいいじゃない
Vだって死にまくりだったんだから^^


670 :クマッタ ◆6heAgF.FgWp2 :2010/03/19(金) 01:50:27
まあ確かにZZは大変だったなwwwwwwwwwwwwwwww
プルツーを初めて見たときにはぶったまげたわマジで><

ってか18禁のシーンでもあるのか?


672 :クマッタ ◆6heAgF.FgWp2 :2010/03/19(金) 02:00:51


プル復活すんの?
なんかWiki見てたらもうシャアの復活はほぼ確定っぽいが


676 :クマッタ ◆6heAgF.FgWp2 :2010/03/19(金) 02:10:03
俺様は別に気にならんがな

ずいぶんと潔癖症なんだなおまいは^^
82 :無名武将@お腹せっぷく2010/03/19(金) 10:09:20
クマッタの傀儡と化したロコモティブに代わる自分たちの傀儡として、
三郎と常陸四郎は御しやすい康三郎を当主に据える。
そしてその直後の自治新党党首選挙ではロコ家総力を挙げて康三郎を党首に当選させた。
そこまではよかった。

しかしその後三郎の興味は新たなポストである三戦板覇者へ向かい、
常陸四郎も幹事長というポストを与えられたことで満足してしまい、
原爆ラップに傾倒していく暗君・康三郎を誰も補佐しようとしなかった。

結局乱起こし易しと判断したクマッタ一派の奇襲に康三郎は対抗できず、
党首という地位にある者には相応しくない醜態と哀願を衆目に晒しながら退位させられた。
だが、康三郎にばかり過失があるわけではない。
この間康三郎はロコ家重鎮である三郎や常陸四郎に再三救援を求めたが全て無視された。
これはクマッタとの対決を三郎らが忌避した結果である。
三郎と常陸四郎は自分たちではクマッタには勝てないと判断したのである。

結局、久々のロコ家政権は、康三郎の無能ぶりと、三郎と常陸四郎の弱腰が原因で崩壊したのであった。
88 :無名武将@お腹せっぷく2010/03/19(金) 20:53:57
そんなん解釈の差にすぎんだろ
おまえ以外の人間はおまえじゃねぇ
92 :無名武将@お腹せっぷく2010/03/19(金) 23:05:48
まだ、荒れるようなこともないのに、ここまで荒れるのは

? 石勒・苻堅と比較され、曹操の方が下と言われるのを怖れた曹操患者
? 中英失敗スレで散々と叩かれ、フルボッコにされるので、代わりにこのスレを
  潰しに来た中英の非コミュによる三戦荒らし(蛆虫レスは中英関係の時に多い)
? なんか、気にいらなかったコテによる荒らし

のどれかかな?
まあ、?だろう
93 :無名武将@お腹せっぷく2010/03/20(土) 04:39:34
>>92
?お前のようにわけのわからない事を言い出す奴が居るから
94 :無名武将@お腹せっぷく2010/03/20(土) 08:19:08
>>93
病気の子に触れちゃダメ
96 :無名武将@お腹せっぷく2010/03/20(土) 10:05:59
>>93-94
やっぱ、?か?
どうせ、中の人は同じ
99 :無名武将@お腹せっぷく2010/03/20(土) 11:12:36
黒山賊退治と太守任命はギブアンドテイクでは?
兵は曹操の自腹で集めてるし

他にオファーするなら淳于瓊あたりだろうか
100 :無名武将@お腹せっぷく2010/03/20(土) 11:32:45
>>99
そ。
兵を自腹で集めるのも当時ではよくあった事。
でも曹操が仮に袁紹の人脈を活用しなかったら
そもそも土俵にすら上がれなかった。
袁紹の人脈を使って土俵に上がってるんだから助力受けてないとはいえないわ。
106 :無名武将@お腹せっぷく2010/03/20(土) 15:11:28
>>そもそも土俵にすら上がれなかった。

劉岱の後釜で牧になっているだろ

大体それを言ったら、石勒が刺史になれたのだって劉淵の力だろ
今回のそもそもの論点は、石勒は漢と言うでかい味方が居たのだから、けっして裸一貫で身を起したわけじゃないし独力で戦い抜いたわけでもない、
という事だから、そういう指摘は的がズレている
曹操にとって袁紹が友軍として機能していないのは正味な話。あくまで中身の勢力は曹操の自前
108 :無名武将@お腹せっぷく2010/03/20(土) 18:24:20
>>106
東郡太守としての実績が存在してないなら
牧になれたかは微妙だろ
中央政界でも大きな家に生を受け、そこで袁紹と知遇を得て
袁紹の人脈を使って世に出たんだから
それで助力無とかいわれても困るだろ
109 :無名武将@お腹せっぷく2010/03/20(土) 19:10:22
全く同じ理由で、石勒に下地無い、自分でいちから基盤を集めた、とか言われても困るわけだが
ここで奴隷出身である事を理由に石勒が上と言ってる人間は、まるで汲桑や劉淵の力など全く借りなかったかのように言ってるから、こういう意見が出るわけだろ?
172 :無名武将@お腹せっぷく2010/10/24(日) 20:34:13
>>109
石勒の勢力基盤は311年の襄国割拠まで、遊牧民以下の回遊魚・群生相の飛蝗ぐらいの酷えもん
だったんだけどね(凄く遅レスだが)、あの戦略性の無さは禽獣並だぜ
十八騎出身者は良いとして、君子営の連中が愛想尽かさなかったのが奇跡だわ
匈奴漢の存在は、無いよりはあった方がマシ程度の認識だなあ
(関東経営なんて、王彌→曹蘶・石勒の自主裁量が大部分)
劉邦と韓信の関係の独立性が強まった感じ?

石勒本人は、あるいは自分を御してくれる超一級の君主を渇望していたのかもな
そんな英傑がいなかったから、自分が成ってやろうとした塢主が石勒で
その英傑を生涯追い求めて憤死した塢主が祖逖ってところ(この二人は同じコインの表裏)
110 :無名武将@お腹せっぷく2010/03/20(土) 19:13:21
>>袁紹の人脈を使って世に出たんだから
その前から黄巾や董卓討伐で、武将としてはすでに世に出ている
牧に推戴した鮑信との縁もそれからであって、別に袁紹がいなけりゃ橋にも棒にもかからなかったのとは違うぞ
111 :無名武将@お腹せっぷく2010/03/21(日) 09:57:19
>石勒に下地無い、自分でいちから基盤を集めた
>まるで汲桑や劉淵の力など全く借りなかった

言っていない
石勒はそれも親の力などではなく、独力で借りることに成功したと言っている

じいちゃんや親父がたんまりと腐敗した王朝を通じて、民からしぼりとった
財産を受け継いだお貴族のボンボンとは違うというだけでw
112 :無名武将@お腹せっぷく2010/03/21(日) 10:04:24
所はもういいよ。関根にしてくれ。
所は寝てても収入が入ってくるんだから、もう出てこなくていいよ。
114 :無名武将@お腹せっぷく2010/03/21(日) 13:28:12
津川真彦がトーク番組に出ると必ずするネタは
・娘が大きくなっても一緒に風呂に入ってた
・さんまとメル友
・この年になっても合コンをよくやる
115 :無名武将@お腹せっぷく2010/03/21(日) 18:33:52
>>じいちゃんや親父がたんまりと腐敗した王朝を通じて、民からしぼりとった
  財産を受け継いだお貴族のボンボンとは違うというだけでw

なんだ。結局追い詰められたら草生やしちゃうアンチだったのか
116 :無名武将@お腹せっぷく2010/03/21(日) 19:04:51
>>115
だな
揶揄気味に煽ってくるあたり、結局石勒を評価してるわけでも何でもなかったわけだ
というか、話の論点すらよくわかって無いらしい
石勒の経歴すら知っているかあやしいね、この分じゃ
118 :無名武将@お腹せっぷく2010/03/21(日) 20:43:52
本当にしょうもないことなので、
早く勝利宣言して勝ち逃げしたくなるのは分かる
120 :無名武将@お腹せっぷく2010/03/21(日) 23:51:28
南朝の正統性に対抗できるのは魏を再興し中国人化した拓跋氏だけね。石氏、符氏は蛮族扱いだから正史のおまけw
122 :無名武将@お腹せっぷく2010/03/22(月) 07:21:29
アンジェ、いいかい、よく聞いてくれ。
このzipの中には、俺様の証言を収めたテキストや証拠の品が入っている。
このスレが荒らしの目標になったわけを知る限り喋った。
もし俺が死んだら、これを運営に届けてくれ^^
大人が本当だと信じてくれたら、このスレは救われると思う。
俺様が直接運営に自首しようかとも思ったんだが、なんていうか・・・そうするのが逃げるみたいに思えて^^
ここで戦うのをやめると、自分がクマッタでなくなるような・・・
なりきり厨が憎いとか自治厨たちの仇を討ちたいとかいうんじゃないんだ。
上手く言えないけど・・あいつと、ととのえ老臣と戦ってみたくなったんだ。
俺が糞コテだからなのか、理由は自分でもよくわからない。

・・・アンジェ、俺様はたぶん死ぬだろうな。
そのことで、なりきり厨やととのえ老臣を恨んだりしないでくれ。
彼らだって俺様と同じで、自分がやるべきだと思ったことをやってるだけなんだ^^
無理かもしれないけど、他人を恨んだり自分のことを責めたりしないでくれ。
これは俺様の最後の頼みだ。
もし、運良く生き延びて戦争が終わったらさ、かならずこのスレに帰ってくるよ。
会いに来る。
約束だ。
・・・これでお別れだ!じゃあなアンジェ^^
123 :1112010/03/22(月) 09:56:20
確かに、いつの間にか、論点がずらされて、
曹操に友軍がいたかということと、石勒が誰の助けも借りなかったと論じてると言われ、
面倒になったが、このままにしたくもないので、つい、煽ってしまったな
追いつめられたおぼえも、屑と言われることもしてないが、その点だけは謝って、うち切ろう

もうどうでもいい
124 :無名武将@お腹せっぷく2010/03/22(月) 13:24:24
安定感では曹操が上かもしれないが、土壇場での勝負強さは石勒が勝る印象。
まあ王猛ありの苻堅にはどちらも及ばないと思うが。
125 :無名武将@お腹せっぷく2010/03/22(月) 14:03:07
王猛ありの苻堅というと法正、孔明つきの劉備にも似たような印象を覚える

曹操は抜け目ないようで猪突するミスが結構ある
土壇場の勘とか不死身指数は石勒と大して変わらん気がするわ
スタイルの違いかな
127 :無名武将@お腹せっぷく2010/03/22(月) 16:04:16
漢王朝というネックを抱えながら上手く自分の派閥体制を作った曹操の政治力はかなりのモンだと思うんだよ
似たような理由で司馬懿も
まあ司馬懿は魏の重臣でもあり、影響力の高い名士でもあったから曹操とは実際にはかなり状況が違うんだが
>>125
曹操は抜け目がないと言うよりは、機を見るに敏と言った方がそれっぽい
官渡しかり、匡亭しかり
戦略上の抜け目自体は結構ある
126 :無名武将@お腹せっぷく2010/03/22(月) 14:33:03
戦争は水物だから同時代で戦って決着ついても
どっちが上とか下とか決められんよ。条件違い、時代違いなら尚更
128 :無名武将@お腹せっぷく2010/03/22(月) 16:06:21
いいかい、よく聞いてくれ。
このzipの中には、俺様の証言を収めたテキストや証拠の品が入っている
132 :無名武将@お腹せっぷく2010/03/22(月) 16:23:44
【基地害ゼロセンチ先生=サイコパスの根拠】

・中野区の飼っていた犬が死んだという趣旨の書き込みに対しバター犬などの暴言を浴びせる
・中野区を慰めたくちゅのきに対し自慰行為などと暴言を浴びせる
・泡沫固定の分際でぷらっとのような大物になりたいなどと大言壮語
・姥捨てや間引きなどを伴うムラ社会を素晴らしい社会体制などと賛美
・小沢一郎と民主党を手放しで賛美し、平成21年の総選挙において民主党工作員として活動
・結果民主党政権が誕生、未曾有の不況に突入する原因を作った
・幕府スレを見切り発車で立てたうえ、1スレ目にしてスレ主としての立場を放棄、参加者の大量離脱を招く
・自治スレで度重なる馴れ合い雑談を敢行、三戦板の自治に停滞を招く
・何かあればすぐにアンジェを頼るが、毎回必ず裏切る
・大物固定の金魚の糞としてしか活動できない
・ゼロセンチ先生=サイコパスの根拠を示されると馴れ合い仲間のひょーりみに擁護レスを書かせる
・トラビアンでも裏切りを重ねる
・指摘を受け窮地に陥ると名無し潜伏して自分を擁護
・その際には面白くないなどと指摘を固定叩きに矮小化
・執行猶予を受けているという理由だけでアダルトを犯罪者と罵倒
・そのくせ自分が駐車違反で罰金を支払っている件についてはスルー
・家紋スレにて住人に自分の家紋の解析を要求しておきながら資料となる家紋をいつまでもうpしない
・モンハンについて偉そうに語るくせにフルフルすら倒せないでいる
・未だにゼロセンチ先生≠うんぴを叫び続けるが、ネタだとしてもつまらない
・無双スレを立てて三戦住人に戦国無双3の購入を呼びかけておきながら自分は未購入
・元気いっぱいボーイッシュな娘が大好きと発言し、馴れ合い仲間たちからさえも引かれる
・出会い厨を叩きながら自分は出会いを求めてOFF会を計画
・雪かきをするために早起きすると言いながら、早起きして潜伏自演マンセーを敢行
・八戸に粘着的ストーカー
・幕府スレでスレの流れを無視し、すぐに素を出し空気をぶち壊す
・曹操の墓スレをスレ趣旨とは無関係の英雄ランキングの話題で荒らす
・そばに無知な分際でわんこそば以外のそばを全否定
・愛子内親王様を「病気の子」呼ばわりする異常な人間性
135 :無名武将@お腹せっぷく2010/03/24(水) 20:10:18
曹操はそうでもないだろ
方面司令官任せた夏侯淵も曹仁も肝心なところで頼りない
136 :無名武将@お腹せっぷく2010/03/24(水) 21:15:57
石勒も石虎以下、名将相手には勝てないしな

参謀の差で、苻堅>曹操>石勒って感じ

これをプラスに評価するか、マイナスに評価するかは各人次第だが
137 :無名武将@お腹せっぷく2010/03/25(木) 00:31:18
石虎も凄いのか凄くないのか、イマイチよく分からないんだよな
名将、劉曜・祖逖に勝ったり負けたり
140 :無名武将@お腹せっぷく2010/03/25(木) 02:29:53
石虎に勝った。劉曜、祖逖、慕容恪あたりは時代を代表する名将だから
負けても仕方ない気もする
141 :無名武将@お腹せっぷく2010/03/29(月) 04:19:21
曹操は暗殺の勅を出された時点で漢からみれば逆賊認定なわけだが
実際問題として、曹操を排除してその後の状況切り抜けられたかっつったら果てしなく疑問
そして曹操に頼らずに自立できたか、と言うとこれもまた相当に疑問だ
曹操の所でそうだったように、どっかで傀儡になるならまた別だがね
145 :無名武将@お腹せっぷく2010/06/05(土) 21:31:10
魏晋南北朝で曹操より確実に上と言えるのは、
苻堅、北周武帝、楊堅くらいだろうな
161 :無名武将@お腹せっぷく2010/10/20(水) 20:09:59
>>145
個人的な能力という点で見れば、慕容恪はその三者を凌ぐと言ってもよい。
ただし、前燕という国家は幼弱すぎた、慕容恪の勝ち取った成果の上にただ胡坐をかくばかりであった。
そういう意味では国家の行く末に有効策を打てなかった慕容恪は非難を免れ得まいが、
有効策を打ちながら、主君に反故にされた王猛というライバルもいるわけで、何が本当に正しいのか
あんまりよくわからなくなってくる。

慕容恪の簒奪、と言うか皇帝即位は見てみたい気がする。
桓温は絶対に北伐を企てないし、苻堅は終始ビビりまくり。

149 :無名武将@お腹せっぷく2010/07/14(水) 04:47:51
−石勒・苻堅は本当に曹操を超えた英雄といえるのか−

ちょっと待て。その前に曹操が英雄といえるのか?
152 :無名武将@お腹せっぷく2010/07/26(月) 03:53:56
魯迅は英雄としてるけどね
色々と問題もあるが功績もある
153 :無名武将@お腹せっぷく2010/07/26(月) 22:55:52
石勒って他二人に比べてあんまり戦に強いイメージないんだが
大体戦ってる相手が政争で下手こいて政局的に孤立したり、謀殺したりとかばっかじゃん
王浚とかまさにそんな感じ
160 :無名武将@お腹せっぷく2010/10/20(水) 19:59:28
>>153
結果論から考えると、確かに王浚は滅亡直前には最盛期に比して弱体化はしているのだが、
その状況は石勒が作り出したものだからなあ。
祁弘戦死後の戦力ダウンが酷すぎるんだよ、まぐれ勝ちを拾い上げた石勒の悪運を褒めるしかない。
霧中の遭遇戦において突撃を敢行できるのは、余程のクソ度胸かただのボンクラのどちらかしかいない。

王浚の場合、晋人として見ると幽州の梟雄どまりだが、漠北の支配者として見ると久方ぶりの大人と
言っても遜色の無いくらい勢力圏が強大だった。
だからこそ、勢力の瓦解も遊牧民国家並みだったと言える。
154 :無名武将@お腹せっぷく2010/07/29(木) 18:04:59
乱世では謀殺も実力の内だ
この三人の中で個人的力量で劣ってるのはむしろ苻堅
せっかく大勢力を築いても自らそれを崩壊させては元も子もない
155 :無名武将@お腹せっぷく2010/07/31(土) 03:57:50
自分の行いは棚に上げて人のことばっかり悪く言う石勒がたぶん三人の中では一番信用ならない
156 :無名武将@お腹せっぷく2010/07/31(土) 15:52:23
実際蛮族といわれても仕方が無いような事は平気でやってるからな
石勒評も人物評価というよりは晋への個人的な恨みだろう
159 :無名武将@お腹せっぷく2010/10/09(土) 03:12:37
曹操は版図こそ符堅に劣るが、
大敗後の立て直し、内憂を抱えながら支配力を増していったしぶとさは符堅より勝るように見える
逆にいえば、符堅に足りなかったのはここらへんの政治手腕
164 :ジャイアニズム2010/10/20(水) 20:38:45
文字もなく不潔な蛮地で生まれた下等な夷と、万物溢れる神聖なる地たる中原で生まれた英傑を一緒にするな!
167 :無名武将@お腹せっぷく2010/10/21(木) 03:56:01
苻堅は一代で国を滅ぼしてしまったのがな……
いくら最盛期が曹操・石勒以上といってもケチがつくだろう
168 :無名武将@お腹せっぷく2010/10/23(土) 13:59:02
>>167
李衛公問対で扱き下ろされまくった影響もあると思う。
東晋勝利の立役者である謝玄を「善」としないって、アレほどおかしい評価も無えだろ。
東晋↓or→+前秦↓↓↓
こうして耄碌苻堅という評価が定着したんだと思うよ。

冷静に考えれば、分裂傾向で優柔不断な東晋政権の勝ち目はほぼゼロなんだが、
この時期に限り、桓温時代にさえ実現しなかった驚異の一致団結で逆転勝利って
漫画的展開過ぎる。
169 :無名武将@お腹せっぷく2010/10/24(日) 00:01:08
>>168
あれは凄いよな。
勝利の後の東晋宰相の反応も凄く漫画的。
報告を受けた時、客のいる前では「若い連中がやったようだな」と悠然としてつぶやき、
客が帰った後で大はしゃぎ。
漫画が映画の大団円ラストシーンみたいだ。
170 :無名武将@お腹せっぷく2010/10/24(日) 19:57:07
一番「筋」を通しているのは石勒だよなあ、弱肉強食・勝てば官軍・権威なんて糞食らえって感じで
苻堅は、敗戦後完全に人格破綻してしまっているし(伏線は十分にあったと思うが)
曹操は勤皇なんだか反権力なんだかよく分からんというか、自分に都合がいいように利用しまくって
いる感じ(そういう意味じゃ、勝てば官軍ってところは石勒との共通点か)

石勒に「卑怯者」だの「虐殺者」って非難しても、何の意味もないんだよな
本人はそれを解った上でやっているんだから、負けた連中の方の生存努力が足りなかったとしか
認識していないだろう
曹操は、取繕いさえしなかったら石勒と同類の超弩級悪党だったんだろうけど、生まれやら教養やら
社会規範やらのせいで取繕わざるを得なかったことで、姑息な悪党って評価になってしまったんだと
思う
171 :無名武将@お腹せっぷく2010/10/24(日) 20:06:01
石勒の謀略は、基本的にどこか愉しんでいるフシがある
実際、痛快すぎる妙手が多いし
指揮采配という部分に関しては、その編成・装備の問題から、決して鮮卑や烏丸とは正面決戦
できない制約があったと思うが、それを引っくり返してやろうという気概がさまざまな謀略から
伺えるのが、何と言うか、ガキ大将的なゲーム性の追求を感じるんだよね
あと、凄え負けず嫌いなところも思わずニヤリとさせられる

こういうところは曹操も少なからずあるし、似たもの同士の同属嫌悪の部分があると思うわ
173 :無名武将@お腹せっぷく2010/10/31(日) 01:12:25
五胡の君主のなかでも、石勒と苻堅は特に名君の誉れが高い。
それは両者とも中原統一を成し遂げた功績によるもので、それほどの偉業を達成した人物なら
さぞかし人格も素晴らしいものであろう、との想像ができる。

石勒はどちらかといえば現実主義者だと思う。その時その時、臨機応変に対応し、
尚且つ帝王として大切な“徳”も身につけようとしていた。
一方の苻堅は、wikiには「理想主義者」と書いてある。誰が編集したのか知らないけど、
非常に的確な評価だと思うね。
中国なんて今も昔も自己の理想や信念を貫けるような社会的土壌は皆無なのに、
それでも意地でも曲げようとせず、結果あのような目に遭ってしまったのは、嗚呼!悲哉!
175 :無名武将@お腹せっぷく2010/11/03(水) 02:50:19
政治家の条件としては、国の体制を安定させること。
だがそれ以上に現実に則した対応を取ることが求められる。
曹操は漢から官位を賜るときに、同時に与えられた領土をたびたび返還している
丞相になった時は三分の二を返還し、公になった時も冀州十郡のうち九郡を返した。
曹操はあくまで皇帝を元首とする漢帝国の体制を崩壊させようとはしていない。董承のようにクーデター企画した奴は潰されたが
しかし官位を返すことはしなかった
その心は、天下には未だ賊多く定まらず、安寧を見ない。功成り名を上げて身を退くは君子の理想であるが、そんな夢想のために国を滅ぼすことは出来ない
というもの
実際問題、曹操が軍権を手放すことなど不可能だったろう。孫権や劉備がどう動くかわからないし、各地で有力者が挙兵して漢が再び分裂するのは目に見えていた
三人の中で一番「政治家」をやっていたのは曹操だったと思うよ
176 :無名武将@お腹せっぷく2010/11/03(水) 10:19:20
「英雄」ならば、中途半端な態度をとらず、自ら皇帝を名乗り、
全ての裁量権限と責任を負うべしともとれるがな
177 :無名武将@お腹せっぷく2010/11/03(水) 16:56:59
>>176
そんな夢想のために国を滅ぼすことは出来ない
というか、曹操の態度は明確だったよ
曹操は皇帝即位に対し初めから最後まで「ない」と断言している
敵は悉く潰し、特権や外戚関係を得たが帝になる意思は最初から明らかにしていない
元よりすべての裁量権限と責任はとうに曹操の元にある、むしろ曹操にすべての責任があるからこそ帝に類は及ばないとすら言える体制だよ
曹操には漢の権力を独裁する意思はあっても漢を滅ぼす意思はなかった

そもそも公にしろ王にしろ初めに言い出したのは董昭らで、三度断った末「御意に背き免職になるくらいなら」と位を賜っている
そして配下の再三の推挙でも皇位は拒み続けた
178 :無名武将@お腹せっぷく2010/11/03(水) 17:10:25
曹操が漢を潰すつもりなら河北を制覇した時点で出来た
だが曹操に対する反乱は規模こそ小さいながら頻発していて、漢を奉戴したことによって曹操に付いてきた士大夫や名士は多かった
董昭だって元は朝廷の人間だしな
漢を滅ぼすわけにはいかなかったことを一番理解していたのは曹操自身だったと思う
後は董昭の公即位論に真っ向から反対した荀?

というか、陳寿が荀?の公即位反対に対し「内心面白くなかった」と書いてあることには何の根拠もない
曹操は公即位の詔勅は何度も固辞している。むしろ家臣の推挙に押し切られて受けた形だ
179 :無名武将@お腹せっぷく2010/11/03(水) 18:34:19
固辞してみせるのは、古代の聖人の真似をした儀式だろ
そんな儀式すら我慢できない五胡と同列に並べるべきではない

漢の権威は、魏や晋とは比べ物にならず、易姓革命の伝統があるとはいえ、
王モウの失敗、光武帝の再興のおかげで、
当時としては、ほとんど神話に近いものになり、漢の不滅神話の方が現実的であったはず
だから、利用価値があり、利用したってだけだろ

もっとも、そういう意味では曹操の方が皇帝になるのは、石勒よりはるかに困難って事情を
勘案する必要があるかもしれんがね
180 :無名武将@お腹せっぷく2010/11/03(水) 19:19:03
>>固辞してみせるのは、古代の聖人の真似をした儀式だろ
ようするに周りの推挙があれば臣下は主君を王や皇帝にすることが出来るということ
古の慣例が示しているのはそれ。

>>当時としては、ほとんど神話に近いものになり、漢の不滅神話の方が現実的であったはず
  だから、利用価値があり、利用したってだけだろ

だからそうだって。
曹操は政治家として粛々と現実に則した手を打っており、「皇帝にならない」という最初の政治思想からずっと一貫とした態度を取っているよ
181 :無名武将@お腹せっぷく2010/11/03(水) 19:39:20
>>固辞してみせるのは、古代の聖人の真似をした儀式だろ

これ、曹操を簒奪者とする場合、その野心を示すのによく使われるけど、先例に習い臣下の領分を逸脱しない事のどこが悪いの
そもそも皇帝になる意思のなかった曹操に、皇帝にならないから中途半端とかいう指摘はおかしい
185 :無名武将@お腹せっぷく2010/11/03(水) 21:51:23
>>181
つーか、光武帝をはじめとする先達の事跡を参考にしている割に、権勢の保持が無邪気すぎるよね。
韓信でさえ、わずかだが劉邦に疑われたときは疑念を晴らすための処置はしているぞ。
王莽と評されてもおかしくない状況を放置したまま息子に継承させる神経が解らない。

慕容恪ぐらいハッキリと
「陛下(慕容儁)がもし、この恪を以って天下の任を任せるに足るとお考えならば、
 どうして少主を輔するに足るともお考えになられないのか!」
天下に公言すれば良かったんだよな。
ここまでした上で、なおかつ権勢は息子に譲らず、宰相位もほかの有徳者に明け渡すぐらいやって
初めて野心が無いことを証明できたのにね。
魏公国なんぞおっ建てておいて、「曹操に簒奪の意思はなかった。」は最早ギャグだろ。
187 :無名武将@お腹せっぷく2010/11/04(木) 00:46:58
>>185
>なおかつ権勢は息子に譲らず、宰相位もほかの有徳者に明け渡すぐらいやって
だからこれが暴論の極み
曹操が軍権を譲渡した時点で漢の崩壊、ひいては曹操軍の崩壊は確実
そして最高の実力者である曹操の息子が権力を世襲すること以上に円満に解決できる後継問題はない
「他の有徳者」とやらに明け渡したら曹丕を盛りたてようとする反曹派で分裂するだろうし、そこにクーデターを目論む奴らが挙兵して大混乱になるわ
八王の乱以上の修羅場は目に見えてる
そんな愚挙を曹操が取らないのは当然で、それをもって曹操を簒奪者とするのは間違っている
「聖人に憧れて国を崩すことなど出来ない」とは曹操の言葉

曹操は210年の布告でこうも言っている
「兵馬の大権を握っていたとして、斉の桓公や周の文公に野心があったとなぜ言えるのか?」

簒奪の意思があるとかないとか以前に、現実的に政権を奉還するなんてのは不可能で、まともな政治家ならそんなことはやらん
182 :無名武将@お腹せっぷく2010/11/03(水) 19:51:28
真の忠臣や周公を名乗るなら、息子に漢を乗っ取らせるお膳立てをするべきではなかった
183 :無名武将@お腹せっぷく2010/11/03(水) 20:17:33
>>182
曹操自身が死んだあと、家臣の推挙を押し留めるのは不可能だよ
お前さん劉協の禅譲の詔勅の文面の内容知ってるかい?
184 :無名武将@お腹せっぷく2010/11/03(水) 20:24:14
>>182
今までの話を読み返した方が良いな
曹操が漢の体制を侵さなかったのも主権を握って独裁化したのも、すべては国家の繁栄を目指してのことだ
聖人君子に憧れて国を滅ぼすこと、早まって混乱を招くこと、両方とも優れた政治家の所作ではない
186 :無名武将@お腹せっぷく2010/11/03(水) 22:39:03
自分は皇帝にならないが、息子が皇帝になるのは規定の路線というのが一貫しているだけだろ

そりゃ、政治家としてはともかく、敵をだますのはありだろうが、勇気や正直なことが美徳とされる遊牧民から批判されるわ
配下からも曹操の意図を読み損ねるものや、方針が定められず混乱するものがでてきて、マイナスな部分も多そう
188 :無名武将@お腹せっぷく2010/11/04(木) 00:56:11
「周の文王たらん」を息子に簒奪させる意思ありとか言ってる奴は封神演義読んでないだろ
曹操が簒奪者だっていうのは、曹操=野心家という固定観念から抜け出せていないからだ
流れから行けば曹操が藩国を賜ったことに不自然はない
政権を安定させようとしていくうちに、収まるところに収まったというだけ
曹操自身、漢帝国を潰すことも、自身の派閥を政治の場から取り除くことは出来ない事も良く分かっていただろう
だから官位は受けるが、領土は返還している。そして皇帝にならない意思を表明している
漢の忠義とか野心とかいう次元ではなく、ただ国家の繁栄に努めた結果だ
192 :無名武将@お腹せっぷく2010/11/04(木) 19:36:49
>>188
領土返還を繰り返してるが
それって単なるレトリックだと思うぞ
州再編にかこつけて自分のテリトリーを大きくするわ
九錫と土田・山川・不附庸を受けて実質的な独立国家にお墨付きを与えるわ、
劉氏以外は王たらず、という不文律やぶって王となるわ
どうみてもポーズと裏腹に自分の勢力を拡大させ、次代に皇帝とさせる布石を打ってる
もともと求賢令とかいって自分の勢力が直接集めた人材に、各地の差配や要職を握らせてる時点で
漢は既に曹操の支配下にあったものにすぎん
自分の財布の中で金をいくら並び替えようと、結局自分のものであるように
曹操にしたっていくらポーズで領土を右から左にまわしても
実質的には痛くもかゆくもなかったろうよ
194 :無名武将@お腹せっぷく2010/11/04(木) 20:58:55
そもそも>>188は封神演義とかいってるが
あれの最古版は確か明代成立のはずだろ
明代成立の作品に描かれた文王像をもとに
それよりはるか昔に生きた曹操の発言を云々するって
無理があるだろ
189 :無名武将@お腹せっぷく2010/11/04(木) 01:20:46
そもそも曹操が政治の場から辞退したとしたら、曹操に付いてきた奴らの立場はどうなるんだ?
それに朝廷内が無菌というわけでも当然なく、中には董承や孔融のような連中もいる
191 :無名武将@お腹せっぷく2010/11/04(木) 09:17:20
魏は正式な禅譲の形にこだわってる感じだから
30くらい下の献帝に禅譲させるのは年齢的に諦めてただけじゃね?
曹操が死ぬと速攻息子が禅譲してることからも
漢を乗っとる計画を前々から親子で考えてたと思う
曹操の部下からの自分への期待がしんどいって曹丕も言ってるし
193 :無名武将@お腹せっぷく2010/11/04(木) 20:48:03
まあ、封邑の返却とか封国の辞退そのものが「謙譲・卑下」のポーズだからな。
石勒でさえやっているくらいだから、相当普遍化していた儀式なんだろうね。

霍光みたいな人生もありだったと思うけど、やはり後代の人間として霍氏の事跡を鑑みて
自分死後の一族滅亡を忌避すべく、息子に簒奪のお膳立てしまくったのかな?
息子に簒奪の汚名を着させて、自分はいかにも漢の忠臣でしたってツラすんのは男らしくないよな。
あそこまで権力を独占したのであれば、死後の評価は後漢の外戚’sと同レベルの貶めしか
貰えないのは確定だったんだから、開き直っちまえば良かったのに。
195 :無名武将@お腹せっぷく2010/11/05(金) 00:09:48
献帝陛下の詔も知らんと、好き放題誹謗しまくってる奴がわいてる
196 :無名武将@お腹せっぷく2010/11/05(金) 00:35:20
その献帝陛下自身が
曹操に殺された皇后が死ぬ前に助けを求めたとき「私もいつまで生かしておいてもらえるか、わからないのだ」
といってる
これで曹操を忠臣といっても…
197 :無名武将@お腹せっぷく2010/11/05(金) 22:32:51
『あなた様を思う、大忠臣でございます』って毎日頭下げて、ガキをだまして、
狐のように、その虎の名と権威を借りて、しかも、天下をとれなかった奴をなんで、こんなにかばうのかね?

大丈夫たる者、磊磊落落してなきゃな!
この俺のように!(だが、バカな欲深をだますのはアリだ。だから、劉邦はあり)

まあ、俺もこいつのように、晋や漢の皇族を使えば、天下だってとれたかもしれんな
だが、やってられっかよ! お人好しのガキや女は、殺しはしても、だましはしねえ! それが人の誇りだ

・・・・。いやー、すまん、すまん
そんな人としての誇りなんざ、みじんももっていない曹某とか司馬某とかいたな
でも、こいつらのどこがいいの? 理解できねえ。したくもねえな

と、石勒なりきり
199 :無名武将@お腹せっぷく2010/11/07(日) 16:36:47
曹操=姑息、躁鬱気味
石勒=低学歴DQN、ジェノサイダー
苻堅=女々しい、脳内お花畑

こんなイメージだな、だいたい。
苻堅の場合、両刀使いなイメージがあるが、王猛・慕容垂に対する処遇を見ていると
ガチで同性愛者だったんじゃないかと疑いたくなるな。
200 :無名武将@お腹せっぷく2010/11/08(月) 22:45:40
「苻堅の場合、両刀使いなイメージがあるが」って、
晋書の載記に慕容氏の姉弟を後宮に入れたと書いてあるじゃないか。


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