SDガンダム三国伝 其之74真田信之と共に苦難を乗り越えていくスレ13瓶目

2011年01月24日

【徳川家総合】 徳川家康 公スレ その十一

1 :家臣団の話題も可です2010/11/03(水) 23:52:31 ID:r0D0CjOG
人の一生は
重荷を負いて遠き道を行くが如し 急ぐべからず
不自由を常と思えば不足なし

人はただ 身の程を知れ 草の葉の
露も重きは 落つるものかな

※下賎の者(百姓)は過疎時のみ構って当て馬にしましょう!


2 :人間七七四年2010/11/03(水) 23:54:01 ID:r0D0CjOG
家康の天下取りは我々現代人に多くのことを教えてくれる。
幼少期の人質時代の屈辱。信長との同盟を守りきった律儀さ。
武田信玄との対戦。小牧・長久手での熟練した軍略。
豊臣政権下での着実な勢力伸張。そして文句なしの関が原での勝利。
天領400万石の圧倒的な徳川幕府。天下泰平250年。江戸は世界最大
の都市の一つとなった。

東京が首都となったのも、家康が始原。
死ぬまで階段をかけ上がった人生の達人。

前スレ
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1284739993/l15

http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1273189087/
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1261386118/
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1253167986/
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1245836764/
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1235216204/
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1211268328/
http://hobby11.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1187931581/
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1178897839/
【東照】 徳川家康 【大権現】
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1158481651/ 初代スレ
3 :仙台藩百姓2010/11/04(木) 00:28:37 ID:qJFJqhmp
家康の天下取りは我々現代人に多くのことを教えてくれる。
幼少期の人質時代に厚遇された幸運。信長の同盟に守られきった軟弱さ。
武田信玄に完敗。小牧・長久手でのお粗末な戦略。
豊臣政権下での忠犬ぶり。そしてからくも勝利した関が原。
天領400万石の圧倒的な徳川幕府。貧困に喘いだ250年。江戸は家光以後、参勤交代で人口が増え世界最大の都市の一つとなった。
東京が首都となったのは、明治政府の政策。(※正確に言うと首都ではありません)
死ぬまで階段をかけ上がらざるを得なかった虚しい人生。
4 :人間七七四年2010/11/04(木) 10:28:25 ID:HOdByelC
>>3
正確に言うと首都ではない?どこが真の首都ですか?
6 :人間七七四年2010/11/04(木) 12:48:14 ID:HOdByelC
一般的には明治に京都から東京へ遷都したことになっていますが?
7 :人間七七四年2010/11/04(木) 22:07:29 ID:+ihej+F7
国際的には東京で承認されてるんだから東京じゃん。屁理屈こねるな。
8 :仙台藩百姓2010/11/04(木) 23:30:43 ID:qJFJqhmp
遷都はしていないお( ^ω^)
そもそも法的に首都が指定されていないから何処と言う事もないのだけれど( ^ω^)
近代統一国家が出来て200年近く経つのだからいい加減はっきり決めれば良いのだお( ^ω^)
9 :人間七七四年2010/11/04(木) 23:31:54 ID:JaIlFIRq
首都は必ずしも必要ない
首都機能があればいいだけの話。
天皇どうたらの弊害ももともと徳川のせいだな滅ぼさなかった。
10 :人間七七四年2010/11/05(金) 05:53:54 ID:wKqNFl3p
>>1から既に百姓相手にすること前提かよ
11 :人間七七四年2010/11/05(金) 07:47:40 ID:dMeWBcRt
リニアが通ったら、東美濃に首都機能移転して、
日本の東西対立を緩和し、政経分離し、
日本国は、完成する??
12 :人間七七四年2010/11/05(金) 10:22:30 ID:iZT24qAf
 
関ヶ原の戦いは、その後の大戦争の基本
http://s1.shard.jp/deer/0203/39/266.html
徳川家康は、関ヶ原の戦い以前にも八百長の戦いを重ねていたが、
本格的な八百長の戦いはこれが初めてだった。
目的は、
自分の天下取りが実際は、暗殺・裏切り・謀略・買収などの、
非戦闘によって行われるのだが、これでは、天下を取っても、
「名誉あるサムライ」の地位も評判も得られない。
それで、家康は、大々的な八百長の戦を演じて、欲しいものを、
完全に手に入れた。
それだけではない。
当時、両替商、商品取引などで、既に大規模なマーケットが形成されており、
戦況を裏切ることで、莫大な差益も手に入れた。ついでに、
どさくさにまぎれて邪魔者を消し去った。
13 :人間七七四年2010/11/05(金) 13:24:13 ID:CCNB+Ukb
>>12

> 当時、両替商、商品取引などで、既に大規模なマーケットが形成されており、
> 戦況を裏切ることで、莫大な差益も手に入れた。

これはなんなんだろうか?
14 :人間七七四年2010/11/05(金) 16:54:10 ID:plYf2RHY
>>8
そこが日本のいいところなんだよね。
17 :人間七七四年2010/11/05(金) 18:46:30 ID:plYf2RHY
>常に軽侮され風下に立たされる
具体的にどんなこと?
18 :人間七七四年2010/11/06(土) 06:00:44 ID:kO8lWvd+
彼は尖閣・竹島・北方領土・朝鮮学校の無償化・米軍の思いやり予算の増額
などのことを言いいたいのではないか。でも日本の軍事力はたいしたことはない。
20 :人間七七四年2010/11/06(土) 09:15:43 ID:J8sq/yhG
>>18
そういう部分は確かにあるけど百姓は日本の一面しか見ていないな。
21 :人間七七四年2010/11/06(土) 09:51:35 ID:kLZZFUoz
私は芸術家なのだが、徳川幕府により日本の芸術面も立ち遅れたのは
否めない。残念な人が天下を獲ると後世の人もつらい。
22 :人間七七四年2010/11/06(土) 11:06:37 ID:qiJz1kGN
浮世絵や歌舞伎も知らないんですね。
25 :人間七七四年2010/11/06(土) 21:16:19 ID:jD+ReoJI
芸術家というだけじゃな
言いにくいだろうけど、何の芸術でどいうことをやってるを明かさなければ何の役にも立たない
27 :仙台藩百姓2010/11/07(日) 14:52:01 ID:KLJ1SaXb
ガラパゴス化でも他に勝るなら全く構わないけど、低い次元で特殊な進化をしても意味ないお( ^ω^)

>>21
確かに室町後期から桃山時代にかけて海外から様々な技法が入り日本の芸術界は飛躍し(江戸時代の芸術は殆どがこの流れを汲む)
幕末から明治にかけて再び欧州などから様々な技法が入り飛躍したおね
物事が成長するには刺激が必要だお( ^ω^)

>>22
別に幕府が鎖国したから浮世絵や歌舞伎が生まれたわけではあるまいお( ^ω^)
まして幕府は弾圧する事はあっても支援や奨励をする事はなかったし
徳川幕府は全く関係ないお( ^ω^)
28 :人間七七四年2010/11/07(日) 15:28:17 ID:wK2xInfX
>>27
別に低い次元じゃないからいいじゃん。
29 :人間七七四年2010/11/07(日) 18:53:53 ID:Ki8BwTXS
ヨーロッパに精神的侵略をされるのを文化の発展っていうのか?
34 :人間七七四年2010/11/14(日) 14:36:14 ID:46IhP63q
なんか司馬遼太郎の家康関連の本読んでて思ったのは、家康は天下統一とかを考えたことはなくて
ただ、自家の存続と、従属に甘んじても心の底では決して独立自尊を志向する気持ちを決して捨てない
この二つの目的をただ生涯守り続けた結果、それが天下統一という形になったって印象を持った。
明確に天下統一を目指した信長。秀吉は漠然と自分の未来の途方もない大きな幸福を予感しながら生きていた感じ
この二人と違って、家康は行動の原動力が、幸福を目指すような気持ちがなく、ただ受け入れられない不幸や屈辱を避けるのが原点みたいな印象。
37 :人間七七四年2010/11/14(日) 23:22:18 ID:5TJtgSX9
信長は現実には天下統一に一番遠いから常にそれを意識する必要があったということ

家康はその逆
38 :人間七七四年2010/11/15(月) 21:49:26 ID:cVZlpbWa
ちょっと前のニュースだけど
「府中御殿」遺構:「三葉葵紋」入り鬼瓦の破片、きょう公開 /東京
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20101103-00000008-mailo-l13
39 :人間七七四年2010/11/15(月) 22:12:33 ID:Q5W2IQ4S
>>38
府中と聞いて一瞬駿府のことかと思った
40 :人間七七四年2010/11/16(火) 10:24:03 ID:Vuj0YM9q
>>34
小説じゃないものに触れたらまた印象が変わると思うよ
41 :2010/11/19(金) 05:17:03 ID:k6fJl2Yq
司馬と松本清張の対談が面白かったな

秀吉ひいきVS家康ひいきだったな
43 :人間七七四年2010/11/20(土) 02:46:36 ID:n4KXD2rt
秀吉と家康ひいきは信長ひいきに威張られるのがイヤだから三つ巴にはならんかな。
44 :2010/11/20(土) 08:42:27 ID:oC5yWlAb
信長びいきは津本や遠藤周作とかなのかな?

しかし熱い三つ巴対談があったら凄まじそうだ

もちろん酒飲みながらの対談で
45 :人間七七四年2010/11/20(土) 17:56:34 ID:dfhopVE5
津本陽は信長びいきだと思うな。
遠藤周作は母方の祖先が竹井将監で、
秀吉の中国攻めで、加藤清正に一騎討ちで討たれていたり、
遠藤周作自身がキリシタンだとの理由から、
信長の才智は評価するけど、絶対に上司にはしたくないと言ってる本を読んだことある。
47 :人間七七四年2010/11/20(土) 18:29:52 ID:dfhopVE5
地方の小大名スレならいざ知らず、徳川のスレで荒れてもないのに細かすぎるのも困り者だね。
若い子らは小説くらいからしか入るとこないのにな
48 :人間七七四年2010/11/20(土) 18:36:25 ID:9wswRwle
いや、>>45ぐらいまで脱線したらそろそろスレチだろ
49 :人間七七四年2010/11/20(土) 18:48:50 ID:SUQ+wyCU
そうだ。さっさと話をもとに戻せ!この下郎が!
50 :人間七七四年2010/11/20(土) 18:53:52 ID:dfhopVE5
>>49
オマエ、ネットだからすむけど、
リアルでそれ言ってみろ
殴られて土下座するハメになるぞ(笑)
51 :人間七七四年2010/11/20(土) 18:58:55 ID:SUQ+wyCU
渡り中間の分際でほざくな!そうそうに下がらねば、旗本八万騎が黙ってはおらぬぞ!
53 :人間七七四年2010/11/20(土) 19:42:55 ID:Su8fwZWP
活躍せんでええように政治を行っていたら本当に役立たずになってしまったでござる
58 :人間七七四年2010/11/22(月) 12:40:00 ID:WLe4zija
週末日光に行ってたんだけど、
何であの辺って宿泊費がべらぼうに高いんだろうな?

世界遺産だから殿様商売でもしてるのか?
61 :人間七七四年2010/11/22(月) 16:39:19 ID:GMKBpuw1
質素は既に伊勢神宮が極めてしまっているからね
それに対比させるという意味で東照宮は派手にしなければならなかった
63 :人間七七四年2010/11/22(月) 21:12:18 ID:XfOEbemP
日光東照宮が派手なのは諸大名より豪華にしないと幕府の面目が立たないという切羽詰った事情があった
日暮しの門といわれたのは日光東照宮だけでなく、大名屋敷の門も結構派手だったらしい
64 :人間七七四年2010/11/22(月) 21:24:03 ID:f8bmrdBu
その割りに、墓所がショボ過ぎて
悲しくて傍らで泣いたぞ。
69 :人間七七四年2010/11/23(火) 12:09:01 ID:/Qn7piJt
頼朝や尊氏は庶民が旅行を楽しめる国を作れなかったからね
71 :仙台藩百姓2010/11/25(木) 12:40:07 ID:rqg60Ddd
>>69
旅行を楽しめない国を作ったのは徳川だお( ^ω^)
徳川幕府は海外に対してだけでなく国内に対しても移動の自由を奪ったお( ^ω^)
まあ、結局は閉鎖的な社会に嫌気がさして御蔭参りなどという形で民衆の不満が爆発し
幕府も弾圧する力を失っていた事もあって黙殺するようになっていったけど( ^ω^)
72 :人間七七四年2010/11/25(木) 12:55:30 ID:DFhhTkTS
その割にはギリギリ100万の何ちゃって都市じゃないか。
仙台の仕事して初めて知ったwww
74 :人間七七四年2010/11/25(木) 16:03:17 ID:2mzOMcAs
>>71
お伊勢参りは江戸時代の流行じゃなかったでしたっけ?
75 :人間七七四年2010/11/25(木) 22:50:17 ID:Z7LtvQ3N
>>74
そりゃ、ガス抜きの一つぐらいは作らないとね。
お伊勢参り一つとって、江戸時代は移動の自由があった、という気はあるまい。
76 :人間七七四年2010/11/26(金) 03:12:18 ID:u+U7CTJo
幕府が旅行を楽しめるようにしたというなら偽だろうけど
旅行を楽しめるような国を作ったというのは間違いじゃないってことだよな
77 :仙台藩百姓2010/11/26(金) 12:42:45 ID:igglbOUs
>>74
その伊勢参り(御蔭参り)こそが自由が無かった事の象徴なのだお( ^ω^)
遊びの旅行などは認められなかったから宗教行事に託けて旅行するしかなかったのだお( ^ω^)
しかもこれだけが一生唯一の楽しみだったという悲しさ┐ (´ω`) ┌
しかし幕府はそれすら禁止したけど結局無視されて続けられていただけだお( ^ω^)

>>76
徳川幕府は旅行すら楽しめない国を造ったのだお( ^ω^)
79 :人間七七四年2010/11/26(金) 18:59:06 ID:bLqKoJEk
旅行のガイドブックだってあったじゃん。旅行楽しめたよ。何考えてるの
83 :人間七七四年2010/11/27(土) 07:36:57 ID:IkOYPaGx
>>77
旅行を楽しんでいる人がいたのに楽しめない国を作ったというのは無理な話だよ
それまで旅行を楽しめるような国だったわけじゃないんだし
84 :人間七七四年2010/11/27(土) 09:37:25 ID:XIgrwfUq
アンチの脳内歪曲の典型だろ

当時の日本以上に庶民が安全で快適に旅行を楽しめる国があったら教えてほしいくらいだ
85 :人間七七四年2010/11/27(土) 16:32:19 ID:ihYuQLOl
宗教的な聖地への集団巡礼は世界中に太古から掃いて捨てるほどあるんじゃね
伊勢参りを行うような、ある程度の収入のある町人階級が
農業従事者が人口中絶対的多数を占めた近世封建社会で
「庶民」であるかどうかは微妙だし、
安全で快適だったかは比較資料が少なくて良く分からん
むしろ信者が江戸時代を美化しすぎてるだけだと個人的には思う
87 :人間七七四年2010/11/27(土) 23:40:11 ID:IkOYPaGx
>>85
農民も伊勢参りしてたみたいだよ?
それと別に商業や軽工業やサービス業に従事しているような人たちが増えたのも
安定した国家運営が可能になったからじゃない?
88 :人間七七四年2010/11/28(日) 14:12:23 ID:gYByXxss
>>87
国が平和になったからあちこち旅できるようになったわけで
江戸幕府=平和は間違いない
90 :仙台藩百姓2010/11/29(月) 07:56:03 ID:J7NJ4Xtp
伊勢参りは元々デモみたいなものじゃんお( ^ω^)
幕府は弾圧する事はあっても楽しめるような法令を出した事などないお( ^ω^)
これは幕府の法令を破って民衆が実力で勝ち得た習慣であって
言うなれば民衆が作ったのだお( ^ω^)
それに江戸時代が特別治安良かったような事言う人いるけど
全時代を通しての犯罪率なんて分かっていないのに何を根拠にそんな事言っているのだお( ^ω^)
各地で頻繁に戦が行われていた戦国時代でさえ人々の往来が活発であった事を鑑みれば
いかにも胡散臭気な話しだと気付くはずだお( ^ω^)
91 :人間七七四年2010/11/29(月) 08:17:35 ID:fNG3pPOw
でも江戸時代の庶民は旅行を楽しんでいたんでしょ?
ならそういう国を作ったことは否定しようがない
どんなに理屈をこねても事実は覆せない
93 :人間七七四年2010/11/29(月) 08:57:31 ID:BhrhkM75
松尾芭蕉とかいたし、東海道中膝栗毛だってあった。旅行のガイドブックだってあった。
もし旅行ができないのだったら、民衆を惑わしたと言って発禁処分になってるだろ。
94 :月孔雀2010/11/29(月) 17:41:55 ID:LJVYodoJ
戦国時代は発展期であり、状況は約30〜40年前の高度成長と似ている。
高度成長期の日本は、世界一治安のいい国といわれた。

安定期に入った現在の日本は、江戸時代に入った日本と似ている。
経済成長しない状況では、治安が悪くなるのではないかと思う。
95 :人間七七四年2010/11/29(月) 19:08:40 ID:eaLnVBVl
>>90の言う通り全時代を通じての犯罪率とか分かってないんだから水掛け論
96 :人間七七四年2010/11/29(月) 20:32:32 ID:OZ3ZJalZ
>>91
「庶民」の定義からやり直せ
98 :人間七七四年2010/11/30(火) 01:14:43 ID:c9d+33RT
>>96
庶民は一般的な民衆で、特殊な階級に偏っていないことでしょ
なんで定義をやり直す必要があるんだ?
99 :人間七七四年2010/11/30(火) 01:24:45 ID:T/0KdxpB
「江戸の庶民」という言葉で想起される
貧乏長屋の住人たちだって江戸時代では超勝ち組
彼らは一生に一度伊勢参りに行けたかもしれないが、
大多数の農民にとっては伊勢参りなど夢の話だった
102 :人間七七四年2010/11/30(火) 01:48:29 ID:irlWUWux
さて尾張国の長きに渡り支配者層であった斯波一族であるが
足利義満ゆかりの禅僧である、義堂周信の書いた「空華集」によると


「三河国碧海郡碧海荘は、管領家の斯波義将の墳墓の地である」と書いてある


墳墓の地とは、先祖の墓がある地、故郷とかの意味
要するに一般的に呼ばれる尾張足利氏とは、タダ尾張守に由来するだけで、尾張とは全く縁がなく
西三河人が西三河に住みながら、尾張守であったワケだな

初代斯波氏である斯波家氏は、父親から陸奥国紫波郡の地頭職を相伝する一方
祖父からは三河国碧海郡碧海荘の地頭職を相伝した
一族の本拠地は名前の由来である陸奥国紫波郡ではなく、西三河の三河国碧海郡碧海荘であった
103 :人間七七四年2010/11/30(火) 01:50:57 ID:irlWUWux
足利尊氏の後醍醐天皇討伐に集結した三河武士軍団を紹介しよう

【足利一族】
仁木氏、上地氏(仁木氏流)、戸賀崎氏、荒川氏(戸賀崎氏流)、細川氏、上地氏(細川氏流)畠山氏、今川氏
斯波氏、一色氏、上野氏、石橋氏(斯波氏流)、石堂氏、関口氏(今川氏流)、入野氏(今川氏流)、木田氏(今川氏流)
東条吉良氏、西条吉良氏、渋川氏、桃井氏、岩松氏

【足利被官】
高氏、上杉氏、倉持氏、粟生氏、伊勢(藤原氏流)、板倉氏、大平氏(高階流)、大谷氏(坂上氏流)、小野田氏、和田氏


■仁木氏(三河国額田郡仁木)
・藤原李兼(別号:三河四郎大夫、三河国額田郡に居住)→藤原李範(別号:額田冠者、三河国額田郡に居住、初代藤姓熱田大宮司)→その娘(初代足利氏の足利義康の室)→足利義清→足利義実→仁木実国(初代仁木氏)

仁木義勝、仁木頼章、仁木義長、仁木頼勝、仁木頼直、仁木義有、仁木義基

■一色氏(三河国幡豆郡一色)
・ 藤原李兼(別号:三河四郎大夫、三河国額田郡に居住)→藤原李範(額田冠者、三河国額田郡に居住、初代藤姓熱田大宮司)→その娘(初代足利氏の足利義康の室)→足利義兼→足利義氏→足利泰氏→一色公深(初代一色氏)

一色範氏、一色直氏、一色範光、一色頼行

■上野氏(三河国碧海郡上野)
・ 藤原李兼(別号:三河四郎大夫、三河国額田郡に居住)→藤原李範(額田冠者、三河国額田郡に居住、初代藤姓熱田大宮司)→その娘(初代足利氏の足利義康の室)→足利義兼→足利義氏→足利泰氏→上野義弁(初代上野氏)

上野頼遠、上野頼兼

■石堂氏(不明)
・ 藤原李兼(別号:三河四郎大夫、三河国額田郡に居住)→藤原李範(額田冠者、三河国額田郡に居住、初代藤姓熱田大宮司)→その娘(初代足利氏の足利義康の室)→足利義兼→足利義氏→足利泰氏→石堂頼茂(初代石堂氏)

石堂義房、石堂頼房

■細川氏(三河国額田郡細川)
・藤原李兼(別号:三河四郎大夫、三河国額田郡に居住)→藤原李範(別号:額田冠者、三河国額田郡に居住、初代藤姓熱田大宮司)→その娘(初代足利氏の足利義康の室)→足利義清→足利義実→細川義李(初代細川氏)

細川和氏、細川頼春、細川師氏、細川頼貞、細川顕氏、細川貞俊、細川政氏

■斯波氏
・藤原李兼(別号:三河四郎大夫、三河国額田郡に居住)→藤原李範(額田冠者、三河国額田郡に居住、初代藤姓熱田大宮司)→その娘(初代足利氏の足利義康の室)→足利義兼→足利義氏→足利泰氏→斯波家氏(初代斯波氏)

斯波高経、斯波家兼

■今川氏(三河国幡豆郡今川)
・ 藤原李兼(別号:三河四郎大夫、三河国額田郡に居住)→藤原李範(額田冠者、三河国額田郡に居住、初代藤姓熱田大宮司)→その娘(初代足利氏の足利義康の室)→足利義兼→足利義氏→吉良長氏→今川国氏(初代今川氏)

今川範国、今川範氏、今川国満、今川頼基、今川頼貞、今川頼周

■吉良氏(三河国幡豆郡吉良)
・ 藤原李兼(別号:三河四郎大夫、三河国額田郡に居住)→藤原李範(額田冠者、三河国額田郡に居住、初代藤姓熱田大宮司)→その娘(初代足利氏の足利義康の室)→足利義兼→足利義氏→吉良長氏(初代吉良氏)

吉良貞家、吉良貞経、吉良氏家、吉良貞義、吉良満義、吉良満貞、吉良尊義
104 :人間七七四年2010/11/30(火) 02:06:21 ID:irlWUWux
何故名古屋は田舎臭く、頭が悪いのか?これが結論
「歴史上一貫して支配者は西三河から来ている、尾張土着は田舎臭く馬鹿なのはあたりまえ」 

■尾張の歴史■

◆平安時代〜鎌倉時代◆
・熱田大宮司職を藤姓熱田大宮司一族(本貫地:三河国額田郡)乗っ取られる
・以後荒廃していた熱田神宮は、藤姓熱田大宮司一族(本貫地:三河国額田郡)の血縁である源氏(鎌倉将軍家、足利将軍家)と結びつき発展する

*藤原李兼(別号:三河四郎大夫、三河国額田郡に居住)→藤原李範(額田冠者、三河国額田郡に居住、初代藤姓熱田大宮司)→由良御前→源頼朝
*藤原李兼(別号:三河四郎大夫、三河国額田郡に居住)→藤原李範(額田冠者、三河国額田郡に居住、初代藤姓熱田大宮司)→その娘(初代足利氏の足利義康の室)→足利義兼

◆鎌倉時代〜室町時代◆
・中条氏(本拠地は三河国高橋荘地頭職、尾張守護)
・斯波氏(本貫地:三河国碧海郡、尾張守)

*藤原李兼(別称:三河四郎大夫、三河国額田郡に居住)→藤原李範(額田冠者、三河国額田郡に居住、初代藤姓熱田大宮司)→その娘(初代足利氏の足利義康の室)→義兼→義氏→泰氏→斯波家氏(初代斯波氏)

同時期に三河国居た親族(足利一門)
・吉良長氏(父親の兄、幡豆郡吉良)
・吉良義継(父親の弟、幡豆郡吉良)
・吉良満氏(吉良長氏の長男、従兄弟、斯波家氏の姉もしくは妹が室、幡豆郡吉良)
・今川国氏(吉良長氏の次男、従兄弟、幡豆郡今川)
・吉良経氏(吉良義継の長男、従兄弟、幡豆郡吉良)
・一色公深(弟、幡豆郡一色)
・上野義弁(弟、加茂郡上野)

◆室町時代◆
・斯波氏(本貫地:三河国碧海郡、尾張守)、今川氏(本貫地:三河国碧海郡今川)、一色氏(本貫地:三河国幡豆郡一色)が支配する

◆江戸時代◆
・尾張の支配層は追放され、尾張徳川家が支配する
・附家老は成瀬家(三河国額田郡)、その他平岩家(三河国額田郡)、渡辺家(三河国額田郡)、中根家(三河国額田郡)、鈴木家(三河国加茂郡)

◆現代◆
トヨタのパシリとなる
106 :人間七七四年2010/11/30(火) 13:49:58 ID:nhTalgUH
現代にも大奥を復活させたらイイのに。そうすれば世継ぎ問題なくなる。皇室典範の改定なんて必要なくなる。
108 :仙台藩百姓2010/11/30(火) 17:25:33 ID:79Tgexef
大河ドラマ「江 〜姫たちの戦国〜」

天下分け目の戦いは、女たちの心の中にこそあった

 いつ果てることもない戦乱に翻弄され、愛する人を次々と失い、明日への希望を抱くことも叶わない戦国の世──。
乱世の苦しみを誰よりも味わいながら、太陽のような温かい愛で天下太平を願い、たくましく生き抜いた女性たち。
 彼女たちの、たくさんの涙が、たくさんの頬笑みが、たくさんの愛が、次なる平和と繁栄の時代への礎となっていく──。

【チーフ・プロデューサー 屋敷 陽太郎】

 田渕久美子さんの骨太な物語展開と、魅力的な登場人物たちの奥行きある人間ドラマは、まさに"愛"にあふれています。
 その愛を豊かに表現していただくために、お一人お一人に激しい情熱をもって番組への参加を呼びかけました。
 スタッフ一同、出演者の皆さんの演技に負けないよう、創造性に富んだ収録現場作りを目指します。
 ぜひ、田渕ワールドを楽しみながら、視聴者の皆さんに深く共感していただけるドラマを一緒に作っていきましょう!
 「テレビは愛」で、あり続けるために。
109 :人間七七四年2010/11/30(火) 21:15:45 ID:T/0KdxpB
大奥ってやたらと乳幼児死亡率が高かったみたいだし、
ぶっちゃけ将軍の子供製造施設としても落第でしょ
莫大な国費を使ってろくに将軍の後嗣も作れず、
かと言って大奥の連中から何か後世に残るような
宮廷文化が生まれたかと言うとそうでもない
本当にメリットが思いつかない
110 :人間七七四年2010/12/01(水) 22:41:05 ID:qn40b67+
長文全部透明あぼんにした
ただの荒らしにしか見えんわ
111 :人間七七四年2010/12/02(木) 01:50:08 ID:chekMqqi
足利尊氏関連史跡一覧

高隆寺(岡崎市):七堂伽藍造営
滝山寺(岡崎市):足利氏菩提寺、寺領寄進
天恩寺(岡崎市):尊氏遺言の寺、3代将軍義満建立、4代将軍義持祈願所
真福寺(岡崎市):持地院建立
満性寺(岡崎市):太子信仰、尊氏弓矢の守護神、高氏一族の菩提寺
竜泉寺(岡崎市):日静(尊氏の母の弟)開基、元は上野氏(足利一族)の竜泉寺城
統持寺(岡崎市):高氏屋敷跡に高師泰(高師直の兄)の娘が建立、足利尊氏と足利義満の支援あり
長瀬八幡宮(岡崎市):社殿復興(火災による)、板倉氏(足利一族)を神主に、初代奥州吉良氏である吉良義継(法名:長瀬四郎)ゆかり
糟目犬頭神社(岡崎市):庇護(百貫文寄進)、北朝側の鈴木氏ゆかり、新田義貞の首塚あり
八剣神社(岡崎市):屋敷跡か?、足利尊氏の墓あり

金蓮寺(吉良町):真言宗光福寺の子院を現在の場所に移転、再興する
勝楽寺(吉良町):創建、お手植えの松あり
饗庭神社(吉良町):新田開発による一宮、二宮、三宮鎮守、その内の二宮、饗庭城跡、饗庭命鶴丸氏直(花一揆武士団大将)が関係

実相寺(西尾市):安国寺指定、尾張国の安国寺の代わりらしい、尾張国に安国寺があった資料なし

安国寺(幸田町):三河安国寺、全国66ヶ国2島の安国寺の一つ

冨賀寺(新城市):真応上人(尊氏の従兄弟)が住職、祈願寺として、田地180町を寄進し、本堂・中堂・護摩堂・阿弥陀堂ほか、大坊・中谷坊・杉本坊・法寂坊等の坊舎18坊を造営した

赤岩寺(豊橋市):阿弥陀如来坐像寄進

113 :人間七七四年2010/12/05(日) 14:40:43 ID:LbQdBiTG
ふと思ったんだけど、武士としては
武田勝頼家からさっさと徳川家へ鞍替えした
時流の分かる殿様と
滅亡寸前?まで忠義を尽くしてから徳川家へ寝返った殿様では
どちらが幕府には評価されていたの?

現代武士としては後者とあって欲しいものだ(′・_・`)
114 :人間七七四年2010/12/05(日) 15:19:47 ID:EuanWUDo
譜代は30万石まで?
外様はそれ以上でもOK。
っていうのは、江戸幕府としては、陪臣が力を持つのを嫌ったから?

ちょと話違ったかな。
115 :人間七七四年2010/12/05(日) 17:39:12 ID:qj5cF744
>>114
一種の、権威と権力の分散、ってとこかな。
うまい作戦だとは思うけどね。
116 :人間七七四年2010/12/06(月) 01:47:04 ID:P+GByiXF
おまえたちは徳川家直下の武将、他とは格が違う
だから徳川家の石高の一部もお前たちのものと考えればよい
という密約があった・・・なんていう話はないのか
119 :人間七七四年2010/12/06(月) 09:04:32 ID:bXB37uxC
御三家筆頭でありながら将軍を輩出できなかった尾張カワイソス
120 :人間七七四年2010/12/06(月) 12:04:15 ID:rDtzGGS3
>>119
やらかしちゃったのがいるからねぇ。
あれ、名古屋では英雄視されてるんだが、普通の評価はどうなの?
121 :人間七七四年2010/12/06(月) 17:33:06 ID:JrOPvN56
平安時代と江戸時代は、どっちが平和だったのだろう・・・
庶民は、どっちが暮らしやすかった?
平安時代の庶民の暮らしが想像できなくて・・・
スレ違いかな。
桓武天皇と徳川家康を比較しても意味ないかな?
122 :人間七七四年2010/12/06(月) 18:01:35 ID:rDtzGGS3
>>121
評価の基準にもよるけど、長く平和が続いた、という意味では
どっちもいい勝負じゃないかな。
確かに平安は想像もつかないけど、江戸は思ったよりかはいい時代だったろう。
電気が通り車が普及するまでは山村部なんてついこないだまでは
江戸と同じようなもの。
わしのお爺ちゃんのおっかさんなんて老後まで魚を食べたことないなんて言ってたし。
でもそれなりに長生きして平和にやってたし、そういう世の礎を築いた家康は
たいしたもんだと思うよ。
123 :人間七七四年2010/12/06(月) 21:48:46 ID:N/PYZ7IG
昔から家康直近に仕えてた武将は
特別な位置にいなかったっけなあ・・・
だから石高では計れないものがあるっていう
なんかで読んだ希ガスるうううううううううううううう
小説とか漫画じゃないよ
124 :人間七七四年2010/12/07(火) 15:51:22 ID:t8Ol2tz5
>>122
実際に小作料を年貢と言っていたしな。
125 :人間七七四年2010/12/07(火) 18:59:59 ID:8Ol/9RlP
>>121
平安時代は、全国的に土地の私有化(荘園支配の拡大)が進んだことによって
地方には中央政府の統治が行き届かなくなり、荘園領主はやりたい放題。
国の役人である国司だって数年で転勤するから、在任時は搾れるだけ搾り取る。
一方、庶民は重税を課せられたり跋扈する盗賊に脅かされたり飢饉や疫病に苦しめられたり、
まあ暗黒時代といっても過言ではない。
平安時代が平安だったのは、皇族と高級貴族と大寺院の坊主だけ。
126 :人間七七四年2010/12/08(水) 09:13:52 ID:0zU0Lcjy
>>125
まるで現在のようですな。
国家公務員が数年で転勤するのを聞くといつも平安時代思い出したりする。
127 :人間七七四年2010/12/08(水) 12:18:09 ID:5/XbvW2m
室町幕府樹立後(初期)の西三河人(西三河生まれ西三河育ち)の日本支配構造


【東海道】
・伊賀国守護:仁木義直、細川清氏、中条長秀、仁木義長
・伊勢国守護:仁木義長、石堂頼房、細川清氏、細川頼之
・志摩国守護:仁木義長、石堂頼房、細川清氏、細川頼之
・尾張国守護:中条秀長
・三河国守護:仁木義長、一色範光
・伊豆国守護:石堂義房
・遠江国守護:今川範国、仁木義長、今川範氏
・駿河国守護:石堂義房、今川範国、今川範氏
・相模国守護:中条秀長
・武蔵国守護:仁木頼章、仁木義長
・安房国守護:斯波家長

【畿内】:大和国は不設置
・摂津国守護:仁木頼有、細川繁氏
・和泉国守護:細川顕氏、細川業氏
・河内国守護:細川顕氏

【北陸道】
・若狭国守護:斯波(大崎)家兼、斯波高経、斯波氏頼、細川清氏、石橋和義
・越前国守護:斯波高経、細川頼春、斯波氏経
・能登国守護:吉見頼顕、吉見頼隆           ←(参考) 吉見氏は源三河守範頼を祖とする三河ゆかりの氏族
・越中国守護:吉見頼隆、細川頼和、斯波高経      ← (参考)吉見氏は源三河守範頼を祖とする三河ゆかりの氏族
128 :人間七七四年2010/12/08(水) 12:18:57 ID:5/XbvW2m
【東山道】
・奥州探題:斯波(大崎)家兼
・羽州探題:斯波(最上)兼頼
・信濃守護:吉良満貞
・下野国守護:仁木頼章

【山陰道】
・丹波国守護:仁木頼章、上野頼兼、仁木頼夏、仁木義尹
・丹後国守護:今川頼貞、荒川詮頼、上野頼兼、仁木頼章、仁木頼勝、仁木義尹
・但馬国守護:今川頼貞、吉良貞家、仁木頼勝
・伯耆国守護:石橋和義
・石見国守護:上野頼兼、荒川詮頼
・因幡国守護:吉良貞家、今川頼貞、吉良氏家
・伯耆国守護:石橋和義

【山陽道】
・備中国守護:細川頼之、石堂頼房
・備後国守護:仁木義長、石橋和義、細川頼春、細川頼有
・安芸国守護:細川頼之
・周防国守護:吉良氏家

【南海道】
・紀伊国守護:細川氏春、細川業秀
・淡路国守護:細川師氏、細川師春
・阿波国守護:細川和氏、細川頼春、細川頼之、細川頼有
・讃岐国守護:細川顕氏、細川繁氏、細川頼之
・伊予国守護:細川頼春、細川頼之
・土佐国守護:細川顕氏、細川繁氏、細川頼之

【西海道】
・九州探題:一色範氏、一色直氏、細川繁氏、斯波氏経
・筑前国守護:一色直氏
・肥前国守護:一色直氏、一色範光
・肥後国守護:一色直氏
・日向国守護:細川頼春、一色直氏、一色範親
130 :人間七七四年2010/12/10(金) 15:49:44 ID:p9BwWHR3
>129
百姓君はまだまだあまいなw
>幕府は諸藩に出費を強いたから
公共政策につながったから、その恩恵は商人と民衆にも及んでいるよ。

>基本的に民衆は藩ごとに統治されており年貢も好き勝手に取り放題だお
一揆が起きれば幕府につけ込まれるのよ。
減封やお家取り潰しの口実を与えちゃうから、藩は横暴な藩政はできなかった。
そのおかげで、幕末なんてほとんどの藩財政が危機的な状況になり,
それで商人が金を貸し藩内部に介入して商人が大きな力を持つことになって明治維新の原動力になるわけよ。
江戸幕府の最終的勝者は商人ということさ。
131 :人間七七四年2010/12/10(金) 17:54:40 ID:ad0Opp/L
武士と百姓さんが弱体、商人の勝ち、というところでは意見の同一ではあるな。
士農工商で、商人を低くした、というのはどこまでそういう「金じゃ金じゃ」というのを
わかってたんだろう。
藩にもよるけど、総じて財政破綻っぽいとこが多いのはやっぱり殿様商売で
理屈がわかってなかったのか、わかっててもプライドがあったからか。
悪代官さんたちは今の世でも通用する先見の明の持ち主とか。
132 :人間七七四年2010/12/10(金) 19:20:56 ID:p9BwWHR3
もともと藩の経済規模では厳しいじゃなかろうか。
戦争があれば特需や新たに土地が得られるんだろうけどね。
戦乱がない封建社会では
金になるのは資源と貿易と独占物(塩。砂糖など)ぐらいかな。
そういう意味で家康の鎖国政策も影響してるよね。
藩独自で貿易すればかなりの巨利がえられるんだけどね。
藩の貿易で財政が潤うだけでなく、海外の先進的武器も入手できるね。
そうなるとは藩は力をつけちゃうからね
だから鎖国政策は藩独自の貿易を阻止するのも一因だろうね
憶測だけど、堺の形態をみて家康は何かしら危機感をもったんじゃないかな?
幕府が始まって、長崎での幕府貿易独占で堺は凋落したからね。


134 :人間七七四年2010/12/10(金) 20:24:22 ID:NsaXZMBi
対岸の火事なら豊かになるけど当事者になっちゃうと豊かにはならないよ
135 :人間七七四年2010/12/10(金) 20:45:10 ID:ad0Opp/L
藩ごとの貿易禁止は大船製造禁止とかしてるから、鎖国はしててもたえず警戒は
してたんだろね。
ほんで人質を江戸にとってた事からも外様さんたちの反乱はイヤというほど警戒してた。
これは街道とか関所を見ても明らかだよね。

だもんで鎖国はやっぱりキリスト教の普及を警戒した、のが一番だろなぁ。
当然だけど。
家光がしっかりしてたから良かったのかな、3代目でダメになるというのはよくあるし
あそこらでバカ殿が出て家康の政策を変更してたら大変だったか。

ま、神君が偉大すぎてその政策を遵守するしかなかったんだろうけど、家康ってのは
たいしたもんだわなぁ。
136 :人間七七四年2010/12/10(金) 22:33:45 ID:pjo0mY4/
>>131
悪代官なんて実際にはそんなにいなかったのにな
137 :人間七七四年2010/12/10(金) 22:48:12 ID:ad0Opp/L
毎週一人ずつ退治していって何十年もかかってるからたくさんいたんじゃないか。
139 :人間七七四年2010/12/11(土) 06:58:02 ID:6x0jf7xE
明治維新で天下を取ったのは薩長でなく三井、住友のような「商」なのかもなw
140 :人間七七四年2010/12/11(土) 21:56:32 ID:kc6z/QIC
金をとって民間でウハウハするか、権力握ってウハウハするか、どっちにしろ
徳川時代が終わって、庶民は豊かになったか、というのはよく考えないといかんわな。
142 :人間七七四年2010/12/13(月) 13:53:35 ID:qvJ/WrlY
文明的にはそうだけどね。
冷凍モノとかインスタントとかばっかり食べてる現在はそんなに「豊か」
とも思えないんだよな。
145 :人間七七四年2010/12/13(月) 20:45:28 ID:GY/Uq2qE
今はそのかわり交通事故とかあるし、トータルではどうだろうな。
146 :人間七七四年2010/12/13(月) 20:55:17 ID:HA+q8EwX
>>142
10年くらい前って「本当の豊かさ」がどうのこうの
宣ってる進歩的文化人沢山居たよね
最近はさっぱり見ないけど
懐かしくて笑ってしまったw
149 :人間七七四年2010/12/14(火) 02:24:17 ID:3m8ymkJ3
>>146
政治や商売で「本当の豊かさw」を語る進歩的文化人と、>>142さんを一緒にしちゃいけないよ
150 :人間七七四年2010/12/14(火) 09:57:44 ID:oqUb8Zjq
そだな、これだけ便利になると、豊か、という根本的な解釈が
違ってくるだろなあ。
ちなみにうちの実家はまだ井戸あるし、風呂はマキでたく。
江戸の生活のまんまだぞ。
151 :仙台藩百姓2010/12/14(火) 21:09:20 ID:qI4o4eeZ
現在、政治の腐敗や経済難が騒がれているわけだけど
それでも民衆が蜂起するなんてないじゃんお( ^ω^)
でも江戸時代は一揆が起こりまくりだったお( ^ω^)
つまり今の方がまだマシという事だお( ^ω^)
しかも今現在一揆起こして打ち壊しした所で殺人でもしない限り死刑になるような事はないけど
江戸時代の一揆指導者は死罪になる可能性が高かったのにそれでも多発したのだから
いかに当時の生活が酷かったのかよく分かるおね( ^ω^)
152 :仙台藩百姓2010/12/14(火) 21:21:28 ID:qI4o4eeZ
>>150
薪の風呂とは凄いお( ^ω^)
漏れのうちの離れの隠居も竃や囲炉裏、薪風呂なんかをそのまま保存してあるのだけど
たまに火を焚くと、昔の生活なんてした事ないのに凄く懐かしい雰囲気を感じるお( ^ω^)
やはりああ言う生活が日本人のあるべき姿なのだと思うお( ^ω^)
153 :人間七七四年2010/12/14(火) 21:35:17 ID:wQfpFmr/
>>151
現代人も少しは一揆的な行動した方がいいと思うけどなw
154 :人間七七四年2010/12/14(火) 22:09:31 ID:oqUb8Zjq
>>152
こういう昔の暮らし体験みたいなのをやってて、予約でいっぱいだそうな。
わしはガキンチョの頃、ほとんど江戸の暮らしだったもんな。
芋ととうもろこし、鮎とか山女、でも天然ものだし貧しいなんて思ったことなかった。
ちなみに、テレビがうつる、なんて村の大事件だったし。
江戸ってのは思ったより身近だし、わしは山だけど海のほうではほうで
毎日アワビ食べてたり、食べ物はいっぱいあったらしぃ。
だから飢饉、というのもよく考えてみる必要はあるんじゃないだろかね。
日本はとりあえず食べ物はある国なんだよね。


155 :仙台藩百姓2010/12/15(水) 07:47:43 ID:K50zDglt
>>153
まだまだ悪くなる余地があるという事だお( ^ω^)
日本民衆は政治に無関心でマゾ気質だからはっきりと目に見えて分かるほど高税かけないと騒ぎにはならんお
今も税金が分散しているから消費税が5%や10%上がったところでたいした騒ぎにはならないけど
全ての税金を給料から一括天引きしていたら大騒ぎになるはずだお( ^ω^)

>>154
でも2、3日なら楽しいだおうけど毎日となると大変でしょお( ^ω^)
水汲みや火焚きも思いの外重労働で、何より家事の拘束時間が極めて長いお
1年続けたら90%以上が逃げ出すと思うお( ^ω^)
156 :人間七七四年2010/12/15(水) 10:43:25 ID:agQAQrEt
>>155
そうそう、1日で満足昔の人は大変だったね、って帰るらしい。
1日でわかるんかよ、と言いたいが楽しいより大変がわかるだけましかな。
もっとも今の子供の感想1位が「コンビニがないのが不便でした」だから
わかったかどうかは疑問か。

自分は、今の税制とかでよく反乱?がおきないなとは思うし
その分散とか生かさず殺さずは徳川のじょうずなやり方の影響じゃないかと思ってる。
税金しぼっても〜族がバラマキとか公務員とかにうまく還元してそれで消費が回って、
飢え死にすることまではいってないからね。
これは参勤交代のバラマキに似てる様に思うんだ。
ちなみに、今の日本は食べ物を捨てている、すごい国だから革命的な大きな
動きはないだろうけど、細かい事件、なんてのはそろそろおき始めるのじゃ
ないかとは感じる。
学校崩壊みたいな内面的な崩壊もあるかもしれないしね。
157 :人間七七四年2010/12/15(水) 19:54:17 ID:1QjDsXzs
関ヶ原行こうと思うんだけど、何時間でざっくり回れる?
ほとんど歩かずに車で回れたりする?
158 :人間七七四年2010/12/15(水) 20:56:55 ID:agQAQrEt
資料館とかがあって、歩いていろんなとこ回ったり。
http://www.geocities.jp/chiezo_ikomai/sekigahara/sekigahara.html

こっちゃは暑いから、冬に行くのは正解だと思うけどね。
159 :人間七七四年2010/12/16(木) 00:03:05 ID:nLfqjfgO
現代は一揆なんておきないよ。
選挙があるからね。 
一揆のように団結精神があるならまだいいよ。
現代人は意見や意思がなかなかまとまらないからね。
江戸時代が素晴らしいのは封建社会で培った団結心なんだね。
集団主義とよばれる、この団結心こそが近代日本が成功した要因なんだよね。
161 :仙台藩百姓2010/12/16(木) 12:31:04 ID:zpgAENfp
日本のマスコミってホント存在価値ないおね( ^ω^)
本来マスコミは反体制主義であるべきなのに日本のマスコミは体制に流されるだけなんだもの┐ (´ω`) ┌

>>159
素晴らしく良くないから反発し団結していったわけだけど( ^ω^)…
162 :人間七七四年2010/12/16(木) 12:54:54 ID:4rExSGpb
>>161
できてから250年後にな
163 :人間七七四年2010/12/16(木) 22:48:24 ID:S6RvzUr3
よく250年後まで大規模な反乱起きなかったよな これは家康の功績というより秀忠や家光の功績じゃないか?
164 :人間七七四年2010/12/16(木) 22:54:09 ID:LkChncfc
一番最初の家康の郷村令とかがでっかいから、やっぱり家康が
道筋つけたのがでかいかも。
165 :人間七七四年2010/12/16(木) 23:54:54 ID:nLfqjfgO
>>163
大塩平八郎の乱は立派な反乱だよ。
首謀者が高官だったからインパクトがあるよ。
島原の乱だって、幕府の動員数からみれば大反乱だよ。
楠木正成のような少数の挙兵でも最終的に幕府崩壊の前例があるからね。
江戸時代でも朝廷次第で徳川幕府が崩壊危機は何度かあったよ。
だけど神君家康は朝廷をうまく抑え込んだよ。
生かさず殺さずってね。
167 :三河出身2010/12/26(日) 21:50:24 ID:S/25k9Y3
いま帰省旅から帰ってきたんだけど
帰りに岡崎城寄ったら、たまたま生誕日祝いで太鼓ショー?
みたいなのやってたよ。 大したもんじゃ無かったけど、今度写真うpするよ。

不覚にも開始前アナウンスで、生誕日を思い出させられた。
一昨日まで覚えてたのに、、、何十年も忘れなかったのに、、、(ToT)
168 :人間七七四年2010/12/27(月) 10:14:09 ID:Pnxiy7/L
岡崎は天皇誕生日からクリスマス、神君と続くのですなぁ。
冬休みと重ならなかったら休日になってたか。
169 :人間七七四年2010/12/30(木) 13:45:00 ID:KranSw0S
浅井長政3女の初婚相手、尾張の佐治一成って
長久手の和睦後に船便宜計ったりくらいで
秀吉に因縁つけられてるのに
何で徳川家に寝返らなかったんだろう?

ってか失望した豊臣家臣団はなぜ寝返らなかったのか不思議だ。
徳川家なら悪いようにはしないのに、、、
171 :人間七七四年2011/01/03(月) 10:06:18 ID:7PBEeJDc
昨日信長・秀吉・家康に関する番組やってたろ?
「家康は実は信長・秀吉よりも短気」だって言ってたが
その具体的な理由を見過ごしてしまったんだよな
誰かそこみてなかったか?
173 :人間七七四年2011/01/03(月) 11:46:59 ID:qDHZqOCM
短気だがそれを抑えることができるから出世できたんだろ?
開放してたら三河の鬼〜とか言われて小牧長久手時に滅ぼされてたな
174 :人間七七四年2011/01/03(月) 16:46:23 ID:I9rV+8/U
>>171
爪をよく噛んでたってことだった
爪を噛んででも自分を抑えたから天下取れたみたいなまとめだった
爪を噛んでる総大将嫌だとも言われてたが
175 :人間七七四年2011/01/06(木) 11:43:20 ID:9zlpeqXv
何で関ヶ原の時、諸将は東軍に付いたんだろうか?

大老奉行連中からの檄文着てたんだよね?
176 :人間七七四年2011/01/06(木) 11:58:59 ID:/GJZIhoj
他の大老・奉行連中より、筆頭大老家康一人の方に力があると判断したから
177 :人間七七四年2011/01/06(木) 16:26:38 ID:uN2q7zBP
東下したついでだろ。
西方に付きたいなぁと、ちょっと思ったけど
皆さんにいちいちごめんねと挨拶して回って、漸く上方に戻り
今度はよろしくねって、また皆さんに挨拶して回って
また陣触れってめんどくさいなぁって皆さんは思ったんじゃね。
179 :人間七七四年2011/01/06(木) 18:40:18 ID:RZ5HcgOf
徳川氏の大軍を前に「徳川殿には協力しません!」と席を蹴って出て行ける訳無いと思うw
遠国大名の場合、追撃されたら生きて帰れないし
近国大名だと国に帰れたとしても真っ先に血祭りにあげられるのは目に見えている
でも上方の様子もよく分からないし判断をしかねる人が大半だったはず
そうなると結局みんな様子見という事になる
つまりは通説通りの展開
181 :人間七七四年2011/01/06(木) 19:15:10 ID:PVqd6ylg
でも実際に西軍に付いたのが1人くらい居なかったっけ?

追撃して無いよな?
182 :人間七七四年2011/01/06(木) 19:36:31 ID:uJsLnYFS
真田は帰っちゃったね
183 :人間七七四年2011/01/06(木) 20:05:35 ID:rXKA4azB
>>181
「帰りたかったら帰ってもおk」ってイッたんじゃなかったっけ?
184 :人間七七四年2011/01/06(木) 20:55:15 ID:In4D+MuB
旗印が「厭離穢土欣求浄土」なのに、なぜか江戸(えど)に行っちゃった家康公について。

>>175-183
全ては秀吉に父母を殺された茶々の復讐のシナリオであって、秀頼も実は秀吉の息子じゃないから。
そして、それに抗して秀吉が作った実際に天下統一体制を維持する能力があるのが秀吉のpolitical son(政治的息子)である家康一人だったから。
事実はどうあれ、みんながそう思っていたから、彼らが家康に着いたのはあたりまえ。
185 :人間七七四年2011/01/07(金) 11:19:59 ID:lvnMYonz
おまいら一族郎党の未来と命賭けてる戦を
雰囲気なんかでどっちに付くか決められるわけ無いだろwww
187 :人間七七四年2011/01/07(金) 22:47:58 ID:Q8XNQU2Z
どんなに技巧を弄したところで人望がなければ誰も付いてこない
基本は人望の差

>>176
武将に力があるということは付いて来る人が多いということ
188 :人間七七四年2011/01/09(日) 11:28:36 ID:S4wzbUh4
>>184
江戸を「えど」のままにしたのは、政治の場こそ最も穢れた場でなければならない、すなわち、戦によって他を穢すことはもう二度とあってはならないというという家康の自戒の現れに過ぎない。
岡崎じゃ常識。
190 :人間七七四年2011/01/10(月) 12:41:55 ID:iPzwso/I
>>182
真田は小山会議が開かれる前に勝手に引き返した
191 :人間七七四年2011/01/10(月) 16:57:23 ID:kRoT1Zls
江戸はすでに家康が覇業を達成する聖地として予言されていたからな。
厭離穢土欣求浄土とな
穢土(江戸)は人たる秀忠に任せて、権現たる自分は、駿府という浄土
から全てを支配するとな。
192 :人間七七四年2011/01/13(木) 18:27:33 ID:80m8wifB
今年の大河、久々に激しく糞ドラマになりそうな悪寒

織田家中の、お市輿入れ発表で、何故か家康が列席
時期的に、家康は今川氏真攻めの真っ最中で現場を離れられない頃
しかも織田家臣の座に付けられてた
悪い意味で凄すぎる考証だ
193 :人間七七四年2011/01/13(木) 20:06:08 ID:OhWjdYFL
TVに史実を求めてはいけない。

大河が面白い事なんて滅多に無い。
暇潰しには充分だからまあ良しとしよう。
194 :人間七七四年2011/01/13(木) 22:22:44 ID:ZriZbWtw
脚本家が歴史を分かってないからしょうがない
実況で楽しむことに割り切らなければ
195 :人間七七四年2011/01/14(金) 04:44:09 ID:Y1JM06Wh
天地人の家康は本当に酷かったな
あんな大河の主役にされた直江も哀れだ
196 :人間七七四年2011/01/14(金) 13:46:02 ID:TV16QYsX
23才の家康があんなにフケてたというのは、史実の新解釈だな。

しかし、考証が小和田で今川には詳しいから、徳川列席をよく許したなとは思った。
197 :人間七七四年2011/01/14(金) 17:08:38 ID:JKKzQ4/a
年齢と見た目との関係は許してやれよ
これから何十年も先の場面で、
主人公の舅として出演すること前提の配役だろう
その時点で風格が無いと、もっと問題だ
198 :人間七七四年2011/01/14(金) 18:25:14 ID:pR+bU5Gn
ドラマなんだから、史実じゃないといって苦情をいうのもアレだもんな。
しかし、レキジョあたりがニワカで一番騒いでそうなのがおもろいな。
さて家康は何回ぐらいでてくるか。
199 :人間七七四年2011/01/14(金) 20:15:41 ID:Ks+ZgEca
問題なのは
テレビドラマを正しいと覚えてしまうのがけっこういるということ


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