2011年01月19日

戦国ちょっといい話24

1 :人間七七四年2010/12/25(土) 13:26:54 ID:U0HLGF9L
戦国のホロリとくるエピソードを挙げていこう

戦国ちょっといい話・悪い話まとめブログ
http://iiwarui.blog90.fc2.com/
書き込む際にネタがかぶっていないかなどの、参考にしてください

前スレ
戦国ちょっといい話23
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1288278217/

姉妹スレ
戦国ちょっと悪い話24
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鎌倉・室町 ちょっといい話・悪い話
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このスレの武将などに対する愛称等の、用語解説はこちら
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-2161.html

逸話に対する過度の真贋論争、揚げ足取りなどは、無駄に荒れるもとになります。
そのような議論はこちらでお願いします
【真?】戦国逸話検証スレ【偽?】
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1196778610/


3 :人間七七四年2010/12/25(土) 20:53:46 ID:wyoCucGR
乙(おつ、きのと)は、十干の2番目である。
陰陽五行説では木性の陰に割り当てられており、
ここから日本では「きのと」(木の弟)ともいう。
乙の字は、ジグザグな形を形取ったもので、
そこから、種から出た芽が地上に出ようとして曲がりくねった状態の ...
7 :人間七七四年2010/12/27(月) 19:44:13 ID:FNU0RgcN
ある日、真田家江戸屋敷に詰めていた重臣の祢津志摩守幸直は、主君の真田信之に呼び出された。

「おぅ志摩よ。国許の宮下藤右衛門が、大坂の弟に通じ、玉薬を横流ししておった。成敗したいが、あやつも聞こえし
強者だ。ここは、お前に討手を頼みたい。」
「せっかくの仰せですが、その儀は倅にお申し付けくだされ。」
「?三十郎にか?」
「はい。倅・三十郎、十七歳になりますが、鼠の首も取ったことがございません。ここは是非とも大事の場を踏ませ、
器量をご確認ください。」
「よかろう。三十郎を呼べ!」信之の前にまかり出た祢津三十郎は、上意討ちの命を謹んで受けた。


しばらくして後、上田から江戸にやって来た宮下藤右衛門は、さっそく信之のもとに報告に現れた。

「藤右衛門、大儀である。上田表は無事か?城中に変わった事はないか?」
「はい。国許に異常はございませぬ。」
「そうか!実は、お前について不審な噂を聞いてな。まあ、今日は休んで良い。三十郎、付き添ってやれ。」
「……はっ。」

藤右衛門に続き立ち上がった三十郎は、父の方へチラチラと視線を送ったが、幸直はにらみ返すばかりだった。
そのまま藤右衛門が廊下へ出た時、三十郎は動いた。

「上意である!藤右衛門、覚悟!!」
「小僧がっ!!」
藤右衛門が脇差に手をかけた瞬間、三十郎は飛び違いざまに斬りつけた。なおも逃げようとする藤右衛門に、三十郎は
返す刀で二の太刀を与え、崩れ落ちるその身体を押さえつけ、首を取った。

見事に上意討ちを果たした三十郎だったが、家中全体の評価は低かった。
「三十郎め、藤右衛門を斬った手並みは見事だが、親父殿の顔色をうかがい、にらまれてもなお、しばし動けなんだ。
肝が成っておらぬわ。今時の若い者はダメじゃのぅ。」

評価が変わったのは、この二人の会話の後である。
「志摩よ。三十郎、なかなかやるではないか。」

「はっ、有難き仰せ。それにしても、あの際に三十郎は『もう斬っても良いか?』と眼で訴えて来ましたので、
私も『殿の御前で万一の事あってはならぬ。部屋を出てからにせよ。』と目線を送りました。あやつはそれに応え、
殿の御座所を出た所で、仕掛けました。親の欲目ながら、場を外さぬ出来る男に育ってくれました…」
9 :人間七七四年2010/12/28(火) 20:17:57 ID:Tq63vMWB
関ヶ原の折のことである。
上州沼田城には城主真田信之の正室小松がいた。
その小松から家中の妻子に対してこのようなことを言った。
「出陣の留守は誰もが心細いものである。城に来て心を共に慰めなさい。」
家中の者たちはありがたい事だと皆沼田城に集まり、一人も残さず城中に入れ集められた。

さて小松はただ単に互いに慰めあうために妻子を留め置いたわけではなかった。
親を子が攻めるという事態においても
夫に付き従う臣下が心変わりを起こさぬよう、その妻子を人質にするためだったのだ。

この話が世に伝わると「誠に夫人には稀な謀略である」と評判になった。
10 :人間七七四年2010/12/28(火) 20:25:50 ID:1HTm7sbT
ttp://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-464.html
真田信之の妻、小松殿と関ヶ原と沼田の人々・いい話

既出っぽい?
11 :人間七七四年2010/12/29(水) 19:18:31 ID:qArgZ48m
前田利長と細川忠興が、知人を連れて愛宕山へ参詣した。参詣の帰り、仁王門の障壁画を見ていた利長が忠興に言った。

「どうじゃ越中!障壁画はこのように小振りで、細工が細かいものが見栄えが良かろう。」
「肥前よ、それは違う。障壁画というものは、大型で迫力あるものの方が良いぞ。」

二人は口論になり、麓に下りても未だ言い争っていた。
「いや、小さい方が良い!」
「何を言う、大きい方だ!」
「いやはや、楽しそうなお話ですなあ。」

「!ハ、ハハ…これはこれは……」
「申し訳ない、宗匠……」

ここで二人は同行の知人、すなわち千利休のことを思い出した。
「そ、そうだ宗匠!今の我らの話、どうか宗匠にもご批評いただきたい!」

「さて。お武家の話を、私などが批評するも僭越でございますが…お武家の話に例えれば、
馬の大きさや体格の大小で、勇士かどうかが決まるのでしょうか?」
「……ご意見、至極ごもっともにござる………」

のちに利長は側近との雑談で、
「わしは戦場など少しも怖くは無かったが、太閤殿下の御前に出ること、大徳寺の春屋和尚の前で座禅を組むこと、
そして利休宗匠の前で茶を点てること、この三つだけは怖かった。」と語った。
12 :人間七七四年2010/12/29(水) 19:27:36 ID:Dc4tBuOv
市松がびびるくらいだからな
しかし、千利休長身説が本当だった場合、この逸話の印象が変わるような
14 :人間七七四年2010/12/29(水) 19:54:58 ID:h23ODXU5
利休というと切腹前の最後の茶会は、徳川家康ただひとりを客とした、って話が
強烈に印象に残ってるな。
15 :人間七七四年2010/12/29(水) 19:59:08 ID:+3t3Yv4c
>>14
その逸話、聞きたいです
16 :人間七七四年2010/12/29(水) 20:11:23 ID:h23ODXU5
>>15
いや逸話というかそのまま。
記録上、千利休が行った最後の茶会は、利休切腹の年の天正19年(1591)、
徳川家康一人を客として招いたもの(利休百回記)、ってだけの話。
どんな茶会だったか何が話されたか、一切不明。

ちなみにこの茶会のために利休が自分で作った竹茶杓「泪(なみだ)」が、後で古田織部に
形見として渡された。
17 :人間七七四年2010/12/29(水) 20:12:38 ID:FWKg+blQ
徳川家康と千利休って、接点がないようで割りと会ってたらしいね

家康が利休にうすーい味噌汁ご馳走して、
利休に「何このお湯?w お椀の底が見えるんだけどwww」なんて言われた話も残ってるし
18 :人間七七四年2010/12/29(水) 20:20:45 ID:h23ODXU5
ちなみにテレ東の歴史ミステリーとかいう番組が、そのへんの
家康と利休の関係を超解釈して

「利休は実は家康のスパイで秀吉暗殺を狙っていたんだよ!!!」

「Ω ΩΩ< な、なんだってー!?」

という話をやってたw
19 :人間七七四年2010/12/29(水) 20:46:22 ID:Dc4tBuOv
>>17
お約束だが、権現様手製の焼き味噌じゃなくてよかったじゃないか
20 :人間七七四年2010/12/29(水) 20:52:21 ID:+3t3Yv4c
>>16
ありがとうございます
なるほど、茶会の記録が残っているけど、
なにが話されたかは残っていないと。
で、テレビ番組に勘ぐられたわけだw
21 :人間七七四年2010/12/29(水) 21:53:54 ID:/N/4LqDH
秀吉死後の天下取りに役立ちそうな事とかは普通に言ってそうな気はするね、想像でしかないが
22 :人間七七四年2010/12/29(水) 22:27:48 ID:FWKg+blQ
>>19
それなのだが、記録がなくて分からないのだ
普通の味噌なのか、それとも家康お尻製の焼味噌だったのか
25 :人間七七四年2010/12/30(木) 21:25:24 ID:qYHr6L2Z
秀吉の小田原攻めに従い、伊豆韮山城の包囲に参加した森忠政の軍が竹束など備えていると、誰が言い出したのか、
「間もなく城から討って出るので、みな本陣へ退いて、戦うべし。」
との噂が流れた。噂を聞いた森家の兵たちは、われ先にと竹束の備えを捨てて退いていった。

「情けなや。先代がご覧になれば、何と言われるか・・・」
味方の体たらくにタメ息をついた森家の家老・各務兵庫助元正は、長刀を杖にして五十路を迎える身を引きずり、
みずから前線に立つべく足を運んだ。

「ん?あれは弥平次か?」
無人と思われた竹束の備えの中に数十人の兵がおり、一人の侍が檄を飛ばしていた。鉄砲頭の若尾弥平次であった。

「下知なくば、ここを去ってはならぬ!下知に従わぬ者は、後で罪に問う!」
檄にも関わらず何人か退いた雑兵もいたが、弥平次の意気は衰えない。
「よいか、城方が来たら時分を見てわしが合図するゆえ、一斉に撃て。その後、わしが一番槍を入れてくれるわ。」
「おーい・・・」
槍をしごき、手に唾して気合を入れる弥平次に、どこからかやって来た同僚の右京が声をかけた。

「何とは無しに、みな退いてしもうた。わしも退こうと思ったが、あまりの心許なさに戻ってみれば弥平次、
おぬしが居るではないか。どうするつもりだ?」
「どうするも何も、他人はどうあれ、わしは『退け』との命を聞いておらん。ましてや、殿より先陣や鉄砲など
預かる身が、事の実否も確かめずに退くわけにはいかぬわい。お前も槍持つ身なら、腹を決めい。」

「その言葉、もっともじゃ。」右京は弥平次の近くに来ると、その横に自分の槍を置いてしゃがみこんだ。
「おい、何じゃそれは!敵が来れば、その槍でわしを転ばし、己が一番槍せんとの心得かっ!!」
「そ、そんなつもりはないっ!」一喝された右京は、あわてて槍を引き上げた。

「うむ、それで良い。戦場では味方といえども気が立っており、些細な事で災難に会いかねん。注意せい。」
「いやあ、すまんすまん。それにしても弥平次、おぬしは本当に動じぬのう。」
「先陣においては『天狗の雑説』と言って、噂によって聞き崩れ・裏崩れを起こす場合がある。
およそ前線を預かる身は、物事を静かに聞き届け、進退すべきものだ。覚えておけい。」

「さても聞こえし弥平次の言葉よ。」
後ろで黙って様子を見ていた元正は、目を細めて微笑み、本陣に帰っていった。

若尾弥平次、十八歳で森長可より感状を授かったのをきっかけに、頭角を現した男だという。
26 :人間七七四年2010/12/30(木) 21:43:39 ID:RNPfTcUl
弥平次は凄いベテランっぽいけど若尾氏は本能寺後の東濃征伐の時の降将なのでまだ20代中盤ぐらいのはずw
29 :人間七七四年2010/12/30(木) 23:42:18 ID:8747H0z5
> 「情けなや。先代がご覧になれば、何と言われるか・・・」

gkbrgkbr
30 :人間七七四年2010/12/30(木) 23:48:48 ID:KUCkbdHA
長可の頃の森家は、まさに殺しの軍団だったのにね。
忠政の代以降は土木工事の業者さんみたい。
31 :人間七七四年2010/12/31(金) 00:10:45 ID:Zv33iGvp
かがみんが若造を一喝するお話かと思ったら若手の成長に目を細めるお話だったのか
32 :人間七七四年2010/12/31(金) 00:31:23 ID:nAo6VTIM
つーか忠政は

「一揆とか弱い連中を一方的に殺戮するならともかく、こっちにも犠牲が出るような
戦をするのは嫌でござる!」

って人だからなあw
鬼武蔵が「忠政には家督を継がさせないように」って言ったのは、たしかに
人物をよく見てるわ。
33 :人間七七四年2010/12/31(金) 00:38:06 ID:Zh6AHeUt
>「一揆とか弱い連中を一方的に殺戮するならともかく、こっちにも犠牲が出るような戦をするのは嫌でござる!」

優秀な戦国大名じゃん。
「良き敵見つけたり」なんて発想をする馬鹿が出てくるのは講談の中だけだよ。
34 :人間七七四年2010/12/31(金) 00:38:16 ID:11ix+aVI
親を見てそだったからそんな性格になったような気もする>忠政
36 :人間七七四年2010/12/31(金) 00:44:22 ID:6EP/7tf3
>>32
秀吉「ですよねー。籠城攻め最高。」
38 :人間七七四年2010/12/31(金) 01:00:03 ID:Zv33iGvp
忠政は生年的に親父の顔は全く覚えてないから参考にするのは兄しか無いなw
39 :人間七七四年2010/12/31(金) 01:46:50 ID:8WCSoI7c
>>33
>「良き敵見つけたり」なんて発想をする馬鹿が出てくるのは講談の中だけだよ。

義弘がまさにそうじゃね?まぁふるぼっこされたけど
40 :人間七七四年2010/12/31(金) 06:24:13 ID:11ix+aVI
忠政の親兄弟
親→圧倒的不利な状況で戦って討死
長兄→一番乗りしたけど深入りしすぎて討死
三兄→主君守って討死
四兄→同上
五兄→同上
次兄(親代わり)→アレ

そら慎重にもなるわ
41 :人間七七四年2010/12/31(金) 13:00:13 ID:7MPrldpW
忠政は森家を次代に伝えたのが最大の功績だろうな
5代目で津山藩は召し上げられちゃうけど
42 :人間七七四年2010/12/31(金) 13:12:05 ID:b9p6U2b9
祟り話が出るような改易理由だよな。
忠政からすると孫世代か?
でも家としてはその後も大名として存続しているから。
43 :人間七七四年2010/12/31(金) 16:57:13 ID:O3ShwE8j
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-4631.htmlの後、
徳川家康の勘気は解かれ、榊原康政を始めとする上田合戦への参加者は、謹慎状態から開放された。
康政のもとには、友人の本多忠勝と井伊直政が訪れ、祝いの酒宴が開かれることになった。

「しかし、このたび康政殿が、身も省みず大殿を諌め、御父子の仲を修復したる事、徳川家のため…いや、
天下のためのお働き。いかなる勲功にも勝りますぞ!」
「ふふん、そうか?」
“幼にして沈静”と言われたさすがの康政も、年下ながら自分より所領の多い直政に持ち上げられ、気を良くした。

「だがのぅ小平太よ。直政の言う事もっともだが、わしには一つ心得ぬことがある。怒らずに聞いてくれい。」
「なんじゃ、平八?わしとお前の仲じゃ、遠慮なく言ってみろ。」

康政にうながされた忠勝は、神妙な顔をして、話を続けた。
「うむ。こう言っては何だが、われら三人、『徳川にその人あり』と天下にその名を知られる身よ。」
「…まあな。」
「そのお前が、佐渡(本多正信)の後ろに控えておったのが心得ぬ。お前ほどの男が、先頭切って上田城に
バーッと乗り込み、ガーッと崩せば、関が原の陣に間に合い、大殿に怒られずに済んだのではないか?」

「……………」
「い…いや忠勝殿、それはですな……」

それ以前に、康政や正信は上田城なんぞ放っておいて、さっさと中山道を進みたかったのである。
だが、秀忠や若手が血気に逸ってそれを許さず、康政らはせいぜい真田にスキを見せないようにしたり、
深入りをしないよう戒めるしかなかったのである。そういう立場なのである。

ついでに言えば、康政・忠勝ともにこの時52歳。上野館林10万石と上総大多喜10万石の大名格であり、
そろそろ孫の一人や二人生まれている立場である。いい大人なのである。

「…でも、忠勝殿はこれでいいんですよね。あははは……」
「そうだよな、平八は変わっちゃダメだよな!ハッハッハッハッハッハッ!」
「?おう、そうだろうとも!ガハハハハハハハハ!!」

三人一同に打ち笑い、その夜は和やかに宴の時を過ごしたという。
44 :人間七七四年2010/12/31(金) 17:12:03 ID:u2v4eWAV
『徳川にその人あり』と天下にその名を知られる三馬鹿トリオに見えてくるから不思議!
47 :人間七七四年2010/12/31(金) 18:43:22 ID:11ix+aVI
つか若手が血気盛んになったのって武功あげたいからなんだから康政があげたら余計こじれるような…
48 :人間七七四年2010/12/31(金) 20:49:38 ID:skdbaA+B
そうなんだよなあって三人で笑ってうやむやにするパターンもあるな
49 :人間七七四年2011/01/01(土) 08:53:14 ID:/83kieUQ
「あのぅ殿、まだ元旦の膳を召し上がりませぬか?」
近習の粟屋弥次郎らが呼びかけても、毛利元就は答えようとせず、初日の出に向かって瞑想するのみであった。

再三に渡る弥次郎の呼びかけに、やっと目を開いた元就は、近習たちに問いかけた。
「お前たちは、元旦を祝う理由を知っておるか?」「いえ・・・」


「では教えてやる。巷では理由も知らず日の出を拝み、昆布・栗を食い屠蘇など呑んで、やれ無病息災だ子孫繁栄だと
言って浮かれ、元旦という日を深く考えてもおるまい。
志ある者は違う。元旦は元三とも言い、年の始め、月始め、日の始めなれば、まずは早起きして一年の計を練るのだ。

“一年の計は早春の一月にあり、一月の計は一日にあり、一日の計は早朝にあり”。

例えば昨年を振り返るに、東国は豊作、西国は水害多く実り少なかった。
ならば、今年我らが考えるは、内は倹約に努め、民の貧しきを考えた法度を案ずること。
外は東からの兵火に応じる、あるいは東に攻める際、敵の兵糧豊かなるを予想し、長き陣にならぬよう勤めること。


どうだ?これだけ取っても、元旦だからと寝坊して、いきなり祝いの膳など取って浮かれる暇はあるまい。
一年の計を定めてから、ゆっくり食事を取れば良いのだ。さあ、太刀をよこせ。」

言われた近習たちは元就の部屋を見回したが、それらしき物は見当たらない。しかし、元就の話を熱心に聴いていた
粟屋弥次郎ただ一人は、ふと気づいて立ち上がり大広間に向かうと、正月飾りとともに備えられた具足から
太刀を取って戻った。
「殿、これでございますな?太刀も元旦にあり、と言ったところですかな?」

「うむ!弥次郎は、さっそく思う所あったようだな。」そう答えて、元就は今年始めての笑顔を見せた。
50 :人間七七四年2011/01/01(土) 09:40:47 ID:VNcuJ8RX
>>49
こういうのもあったよ。
ttp://www.asahi-net.or.jp/~jt7t-imfk/taiandir/x050.htm
51 :人間七七四年2011/01/01(土) 09:47:16 ID:bpdDUF0U
>>50
これはひどいw

素直に>>49説教臭いけどいい話だなって書こうとしたのに
52 :人間七七四年2011/01/01(土) 10:38:21 ID:0awbQdw4
>>50
なぜだろう、どうしても橋之助ボイスで脳内再生されてしまう……
53 :人間七七四年2011/01/01(土) 10:49:09 ID:/fLmp0PH
>>50
男はいつまで経っても子供なのだなw
おなごにはかなわんか
55 :人間七七四年2011/01/01(土) 11:22:35 ID:WXIpDj9Z
元旦って年始の挨拶や何やらで、戦国大名にとってはめちゃくちゃ忙しい一日だよね
56 :人間七七四年2011/01/01(土) 14:18:24 ID:wcg46Jt7
うっかり年始の挨拶を忘れたばかりに謀反を疑われて討たれた人が1人くらいはいると思う。
57 :人間七七四年2011/01/01(土) 16:24:00 ID:e0UmrO+A
>>56

戦国時代には、お正月の宴会のゴタゴタで家が実質潰れたこともw

屁と恨み
http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-3035.html
59 :人間七七四年2011/01/01(土) 19:27:11 ID:aPin/+Z4
あけましておめでとうございます
アエラの12月号付録の武将の書状カレンダーが
めちゃめちゃ嬉しい2011年です。


昨年、ずんだcityの文学館にいった折
伊達家の正月料理の再現があったので興味深く激写してきた。
写真の腕はアレなので気にしてはいけない・・・

http://www.death-note.biz/up/n/14982.jpg
http://www.death-note.biz/up/n/14983.jpg
http://www.death-note.biz/up/n/14984.jpg
http://www.death-note.biz/up/n/14985.jpg
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http://www.death-note.biz/up/n/14989.jpg
http://www.death-note.biz/up/n/14990.jpg

時代は明記してたかどうか失念したが、雑煮に入ってるものが
以前こちらで紹介されていた政宗の頃のものとほぼ同じだったので
あまり時代は変わらないと思う。
いい話って訳でもないが季節ネタってことで。
60 :人間七七四年2011/01/01(土) 19:37:01 ID:gcZjNpZM
>>50
「ぶたないで」ww

>>59
実際見ると随分と豪勢だな
食ってみたいが当時の味つけは現代人の舌にはあわないのかな
61 :人間七七四年2011/01/01(土) 19:46:02 ID:WXIpDj9Z
懐石が一般的になる前の日本料理は、飯も汁も冷え切ってるからあまり美味しくはないんだよな。
見た目は豪華だけど
63 :人間七七四年2011/01/01(土) 23:14:02 ID:cI2cLIwC
さて、半兵衛と官兵衛のドラマ、どこまで2人を良い人物に描いているか楽しみじゃて
64 :人間七七四年2011/01/01(土) 23:37:26 ID:R2O4GMX3
やっぱり竹中は綺麗なイメージ
当然、黒田はドロドロなイメージでお願いしたい
65 :人間七七四年2011/01/02(日) 01:01:49 ID:/985WbCZ
織田信長の黒母衣衆に、伊藤清蔵という者がいた。

ある合戦でのこと。清蔵が陣屋で寝ていると、信長が突然の出撃命令を出した。
ぐっすり寝ていた清蔵は出陣の貝の音を聞くと大いに慌て、寝床から飛び起きると
そのまま戦場に走った!到着した!「やれやれ、間に合った」その時、気がついた!

伊藤清蔵はついうっかり寝ていたときのままの姿、すなわちフンドシ一丁だけで戦場へと駆けつけてしまったのだ。
ふんどし以外、何も身につけていない、裸である、当然、武器も何も手にしていない。これには
清蔵本人も気がついたときは大いに驚いたが、その戦場にある敵や味方はもっと度肝を抜かれた。

「な、なんだあいつは、武器も持たず裸で戦う気か!?頭がおかしいんじゃないか!?」

敵味方から一斉に奇異の目で見られる清蔵。その視線に耐えられなくなった彼は

「うわああああああああああああああああああああああああああ!!!!!」

ヤケになった。
彼はフンドシ一丁の姿で、素手で、敵に向かって突進した。

武器も持たない裸の男が襲ってくる。敵もその、この世のものとは思えぬ光景に少々気圧された。
そのうえ伊藤清蔵は元々、信長の黒母衣衆に選ばれるほどの猛者である。強い。

最初の不幸な遭遇者をぶん殴って槍を奪うと、その槍でバッタバッタっと敵をなぎ倒す。
裸体のバーサーカーと化した清蔵に敵も気を飲まれ次々と犠牲となる。
気がつけば戦場には敵の死骸が累々と残され、その先にはふんどし一丁の殺人鬼、といった
地獄絵図が出来上がっていた。

この清蔵の活躍に、信長も「天晴!」と自ら声をかけ大いに褒めたたえたそうである。

そんな、伊藤清蔵さん、裸で大活躍と言うお話。
66 :人間七七四年2011/01/02(日) 01:38:14 ID:6PF5j4B6
いい話ではあるんだがその光景は果てしなくシュールとしか言いようがないw
68 :人間七七四年2011/01/02(日) 02:09:49 ID:4OQCBe5m
何故かグルグルパンチで敵中に突っ込んでいく姿を想像したw
73 :人間七七四年2011/01/02(日) 09:18:20 ID:JwsF0j5y
戦場では気合が重要だというのがよくわかるなw
つうかフンドシ一丁の男に殺された敵兵士たちの無念は想像するに余りあるw
74 :人間七七四年2011/01/02(日) 09:24:46 ID:RqF8HveI
編笠被ったままだったり小谷攻めでは不幸な事故で丸腰のまま城内に突撃したり……
長久さんはまともな装備をしない方が活躍するキャラなのか?
75 :人間七七四年2011/01/02(日) 09:45:46 ID:RjQttS5F
>>65-74
刀や槍さえ当たらなければ、逆に重い鎧を着けてるより裸の方が身軽で強いんじゃないか?
76 :人間七七四年2011/01/02(日) 10:02:06 ID:qnJyffRv
>>65
立花さん家では戦の最中水浴びしてて素っ裸で敵を討ち取ったとかいう人がいたような気がした
77 :人間七七四年2011/01/02(日) 10:03:51 ID:3c+m0KrM
傷だらけの直政が重装備だったのに対して無傷の忠勝は軽装だったらしいし
避ける技量さえあれば強いかもな
78 :人間七七四年2011/01/02(日) 10:19:41 ID:IWaFAeVh
>>65
勝頼が裸で城攻めを…という話は鎧を着けずにという事らしいが
これはガチで褌一丁なのかw
79 :人間七七四年2011/01/02(日) 10:36:50 ID:Ps+00b1o
>>75
当たらなければどうという事はない!ですかw
80 :人間七七四年2011/01/02(日) 11:11:02 ID:+MTiclYJ
>>77
忠勝は東国無双だからな
よほど命が惜しくない者じゃない限り、近寄ろうともしないだろう

それに対して、直政は家康ですら夢中になるくらいの超絶美男子
敵も味方も「ウホッ、井伊男!」とタックルをかましてくることは想像に難くない
重装備にせざるを得ないのも、傷だらけなのもやむなし、といったところだろう
82 :人間七七四年2011/01/02(日) 11:47:36 ID:cnHyAFPt
>>65
裸のほうが強くなってそう
WIZの忍者みたいw
84 :人間七七四年2011/01/02(日) 12:23:25 ID:GlwnJVbh
鎧を二枚重ねで着るという常識はずれの重装備で一つの傷も負わなかった武将がいるよ。

なんでも鉄砲の使い手らしい。
85 :人間七七四年2011/01/02(日) 12:39:16 ID:epnRnGCQ
謙信「毘沙門天の加護があれば、矢になど当たるわけがない」
秀吉「日輪の子のわしが銃弾に当たるわけない」

鬼武蔵「そうだな。名将が銃弾に当たるわけ無いよな」
セジウィック将軍「だいたい、あいつら象にさえ弾を外す腕だしな」
86 :人間七七四年2011/01/02(日) 15:32:51 ID:4ngxtFfm
小学生の時、集団登校の集合場所に
パジャマで駆けつけたのを思い出した
87 :人間七七四年2011/01/02(日) 15:54:27 ID:9wHJdKru
日曜の午後に惰眠をむさぼっていたらカーチャンに
「何してんの遅刻だよ!」と叫ばれ
ランドセル背負って町を激走した奴なら知っている
88 :人間七七四年2011/01/02(日) 18:22:53 ID:9GcPxagR
なんか正月っぽいネタが欲しいです
89 :人間七七四年2011/01/02(日) 18:25:56 ID:TbFwwuNA
>>65
魔界村のアーサーの原型だなw
90 :人間七七四年2011/01/02(日) 18:36:01 ID:xYD9XC/0
>>88
逸話ではないが大晦日にやっていた「大戦国鍋TV」という番組で、
お正月に城を落とされた部将として、よりにもよって天庵様が「天才的な戦下手」として
紹介されてた。多分いい悪いスレの影響w
http://www.tvk-yokohama.com/sengokunabe-tv/corner/daisengokunabe/index.html
91 :人間七七四年2011/01/02(日) 18:39:52 ID:cnHyAFPt
>>88
非有&恵瓊「呼んだ?」

92 :人間七七四年2011/01/02(日) 18:52:22 ID:0wClpZpJ
>>91
ねえ、もしかして、ひょっとすると、
それって、昔、正月になると先代の林家三平がやってた、

和尚がtwo???



このネタのどこが面白いかと言いますと・・・
93 :人間七七四年2011/01/02(日) 20:34:25 ID:9GcPxagR
>>90
天庵様ついに地上波か・・・胸が熱くなるな
95 :人間七七四年2011/01/02(日) 22:46:54 ID:a7bxF7TD
伊藤さんは嫁の贅沢のせいでガチハングリー精神で活躍してる人
96 :人間七七四年2011/01/03(月) 16:05:11 ID:IneLxYYj
司馬の短編にでてきた人か?
ヲチは忘れたけどw
97 :人間七七四年2011/01/03(月) 16:23:35 ID:YjbfaFUK
前田利家は新たに近習として出仕した者に対しては必ず、このようなことを話したそうだ

「わしが信長公にご奉公に出たのは14の時だった。この時初めて50貫を頂いた。
それからご加増していただいて150貫となった。
森部合戦の後更にご加増していただき、また兄である蔵人殿の跡目を継ぐこととなり、
合計で1450貫となった。

その後越前府中3万3千3百石を下され、能登一国を下され、
さらにその後秀吉公から加賀の石川郡、河北郡を下され、さらに越中も我らが手により
切り取りにした。

このようにわしは若い頃から色々と骨を折り、主君から引き上げていただき、今かように大きくなった。
其方も希望を富士の山ほどに大きく持って、奉公するのだぞ。」

前田利家流新入社員への心得(?)というような逸話である。
98 :人間七七四年2011/01/03(月) 17:22:25 ID:R05pmEYo
>>96
主人公過労死で嫁と二号は面白おかしく暮らしましたとさってオチだったかと
100 :人間七七四年2011/01/03(月) 18:39:11 ID:CMhZf/Gu
正月早々嫌な話を…
103 :人間七七四年2011/01/03(月) 23:32:28 ID:Qdx1K3kI
>>100は>>98へのレスじゃないか?
104 :人間七七四年2011/01/04(火) 00:19:03 ID:4i0NMg49
天正三年長篠の役、鳥居強右衛門は武田勝頼によって磔にされ殺された。
怒りを抑えることを自らに課していた家康公だが、この時ばかりは怒り顕にして、

「武田勝頼に大将の器量なし。
勝頼は勇士を使う法をまるで知らない男だ。
鳥居のような豪の者には、敵であっても命を助け、その武勇に応えるべきである。
これは味方に忠義を教えることにもなる。
それを、主君のために命を賭けた忠義の士を磔にかけるなど、とんでもないことだ。
見ていろ。勝頼の運が尽きるときは、譜代の武士も代変わりして敵となることだろう。」

と言ったという。
105 :人間七七四年2011/01/04(火) 14:58:56 ID:0wAMeUdu
>>97

「わしが信長公に尻でご奉公したのは14の時だった。この時初めて50貫を頂いた。
それからご加増していただいて150貫となった。
でも信長公寵愛の小姓に嫉妬して斬り殺したら追放された。反省はしてない。
森部合戦の後更にご加増していただき、また兄である蔵人殿から強引に家督を奪い
合計で1450貫となった。

その後、出世のために一向門徒を殺しまくったら越前府中3万3千3百石を下され、
能登一国を下され、土壇場で上司の柴田勝家を裏切るというウルトラCで秀吉公から
加賀の石川郡、河北郡を下され、さらにの元同僚の佐々成政が孤立して弱ってたので
越中も我らが手により切り取りにした。

このようにわしは若い頃から色々と汚い手を使い、主君から引き上げていただき、
今かように大きくなった。
其方も希望を富士の山ほどに大きく持って、奉公するのだぞ。」
108 :人間七七四年2011/01/04(火) 16:27:25 ID:eezC2J2+
>>105
その流れだと最後は「分かったら、おまえも尻奉公に励め」とか言ってきそうw
109 :人間七七四年2011/01/04(火) 16:40:48 ID:yP2btYx9
前田利家は新たに近習として出仕した者に対しては必ず、このようなことを話したそうだ

「わしが信長公に尻でご奉公したのは14の時だった(チラッ)。この時初めて50貫を頂いた(チラッ)。
110 :人間七七四年2011/01/04(火) 17:13:29 ID:eezC2J2+
でも犬千代って太閤死後、一瞬とはいえ家康の対抗馬として天下獲りに
名乗りをあげてたよな・・・
家康も少し警戒してたみたいだけど、経歴的に全然敵じゃないだろw
111 :人間七七四年2011/01/04(火) 17:18:25 ID:nlmKLoph
単体では相手にならんし天下取りに名乗りもあげた事も無いが、
分裂状態の豊臣大名を糾合しうる唯一の人物ではあった。
112 :人間七七四年2011/01/04(火) 18:45:35 ID:/jAvkES6
現在でもそうだけど、人物の出来の良し悪し以前に尊ばれる事はある
あの時では確かに又佐くらいにしか出来なかったな
ただ、利長が遺志を継いでそれやってたら、家康に取り潰されてた恐れはある
114 :人間七七四年2011/01/04(火) 19:41:47 ID:G2i3UGbO
>>112
蒲生氏郷が生きていたらもう少し盛り上がってたかも
115 :人間七七四年2011/01/04(火) 20:01:53 ID:rTQaRzwq
又左自身は大した人物じゃないけど
豊臣政権内部に友達が多いから侮れない
116 :人間七七四年2011/01/04(火) 20:28:54 ID:OBCOKX6J
お友達内閣…
あれ?最近どっかで聞いたような?
117 :人間七七四年2011/01/04(火) 20:37:41 ID:v0tL8FEQ
清洲同盟とかあったから似たようなもんだと思いがちだけど、やっぱり織豊系の大名にとっては家康って外様なんだよな
秀吉が信長ばりに外様大名ぶっ潰して織田系大名配置してたら、
家康が同じように250万石持ってても形勢はわからなかったな
118 :人間七七四年2011/01/04(火) 21:08:17 ID:/jAvkES6
>>114
まとめで門番に対していちゃもん付けた利家様ご一行の中に氏郷いたよねw
印象ではもっとお行儀よさそう…って言っても、先陣切って
ノブ様に「おめー、いつまで一兵卒の気分でいるんだ」って言われたんだっけ
あの人も人のこと言えないけどw

>>116
やめてよ…。酒が不味くなる
119 :人間七七四年2011/01/04(火) 21:22:26 ID:bdiAfRl+
ではそんな利家さん関係で

前田利家は豊臣秀吉の関東征伐の時、秀吉の機嫌を甚だ損ね(秀吉に無断で
無血開城したことが原因らしい)、大変立場が悪くなった。

こうなると利家が日ごろ出入りを許し目をかけていた者たちも一気に敵となり
利家を非難しはじめ、秀吉の前であからさまに利家の悪口をいうものも多かった。
利家の軍勢は1万を超えていたのに

「前田殿のご人数は4,5千といったところだそうです」

などと過小に伝えたりもされたそうだ。(つまり軍役をきちんと果たしていない、ということか)

木村常陸介重茲などは利家と兄弟のように親しくしていたのに、そんな彼でさえ
八王子城攻めの頃は利家のことを秀吉に悪し様に報告していたそうだ。
こんな中でも蒲生氏郷と浅野長政などは秀吉に向かって利家を弁護したと言う。


さて、そんな利家が秀吉との関係を修復し、再び重用されるようになると、
利家の京伏見の屋敷には、利家と関係を結びたい人々により門前市をなすという活況となった。
このころ利家は、前に自分に対して悪し様に言った連中を陰で笑っていたそうである。

(ホントにそう書いてある。『前廉支へ口を仕候衆を、陰にて御笑ひなされ候』(村井勘十郎覚書))

利家さんの生涯に何度かあったうち、最後の方の浮沈のお話。
121 :人間七七四年2011/01/04(火) 22:32:45 ID:dquYRhtL
日本一の藩の祖のわりに大物という気が全くしない犬千代さんだけど
幕末まで大藩を保った前田家はもっと評価されていいと思う。
内ゲバ起こして潰れた家もごろごろあるわけだし。
122 :人間七七四年2011/01/04(火) 23:20:38 ID:1TsHjgBe
関ヶ原と幕末は何をしてたんだ…って感じだけどなw
逆に、そう家だからこそ100万石を保てたんだろうけど〜
123 :人間七七四年2011/01/05(水) 00:46:00 ID:TNPjoUr9
幕末の加賀藩だってこんな活躍してるんだぞ
・現在の東大赤門を建てる
・禁門の変で負ける
・アップルジャムをつくる
124 :人間七七四年2011/01/05(水) 01:53:53 ID:FeY8/ESH
>>121
母親を徳川の人質に送ったり、鼻毛伸ばしてバカ殿装ったりいろいろ苦労してます
127 :人間七七四年2011/01/05(水) 08:45:11 ID:U+fECar9
>>122
幕末は勤王派の跡継ぎと重臣を粛清して、佐幕派で藩内を統一したと思ったら、第二次長州征伐で幕軍が負けて、
勤王派に鞍替えしなきゃと大慌て。
藩内政治に右往左往している間にいろいろ乗り遅れた。
対外的には何もしてないけど、藩内は大流血してる。
129 :人間七七四年2011/01/05(水) 13:38:01 ID:FAdblp3Q
これはちょっといい話かな

【歴史/愛知】甚目寺観音の仁王像の中から福島正則の墨書発見
ttp://raicho.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1294141215/
130 :人間七七四年2011/01/05(水) 16:10:44 ID:r38ok/cY
>>129のリンク先で、01はどうのこうのカキコでコーヒー噴いてしまった…
131 :人間七七四年2011/01/05(水) 16:44:06 ID:4eMjUwDq

天正十年、本能寺の変を受けて関東の情勢も流動的になってくる。
特に上州では神流川合戦の直後、沼田城の真田氏が北条氏に仕掛けて撃退されると、
今まで真田氏に従っていた国人衆は一気に北条寄りか、日和見に傾いて行った。
>>http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-4987.html

表向きでは和睦を結んだり、北条に従うと言ってみたり、外交の駆け引きを続けて
いる真田昌幸ではあったが、徳川氏や佐竹氏の動きを睨みつつ、逆襲の機会を窺っ
ていた。
そして勿論、北条氏の側もそれを十分承知の上であった。


先の交戦から三ヶ月、今度は北条氏から攻撃を仕掛ける。
富永主膳、多目周防守等を大将として吾妻郡に侵入した北条軍約五千は、大戸真楽
斎&但馬守兄弟の守る手子丸城を落した。

手子丸城を落せば真田信幸の守る岩櫃城まですぐである。
「今すぐに進撃するべきだ」
「いや、一旦建て直し、手子丸の支配を万全にした方がいい」
そんなこんなで長引く軍議。北条軍のお約束だNE☆!
勿論、北条軍は五千、信幸率いる真田軍は八百。数が違う。信幸が取る策は篭城以
外にありえない、と言う余裕があったのだろう。


が、「東の目立たないお兄ちゃん」は「東のミスターパーフェクト」でもあった。
信幸は篭城では勝ち目がないと見るや、八百騎で手子丸城に攻め寄せてきたのであ
る。

まずは二百騎を裂いて城に攻め懸ける。北条軍が応戦に出てくると、すぐに川沿い
を下って退却。追撃にかかる約一千騎を城から引き剥がした。
そして百五十騎で城に攻撃を始めると同時に、裏手の寺に放火する。

寡兵の筈の真田軍が、あちらからも、こちらからも湧いて出てくる。
圧倒的多数の筈の北条軍に動揺が広まり始めた時、
「あ、あれこそが真田信幸!」
寄せ手の中に金の馬鎧をつけた武将を見つけた北条軍は、深く考えるゆとりもなく、
飛びついてしまう。


……ところがどっこい。
この金の馬鎧をつけた武将、唐澤玄蕃允と言う。ハッキリと言ってしまえば囮だ。
本物の信幸はどこに?
そう、主力中の主力、信幸直轄の兵三百と共に森の中に潜んでいた。
唐澤の姿しか見えていない富永&多目の主力部隊の、横腹からその精鋭部隊が伏兵
として襲い掛かる。
圧倒的多数の兵を持ちながら、散々に追い散らされた北条軍は、手子丸城に逃げ込
み、篭城を決め込む。
132 :人間七七四年2011/01/05(水) 16:45:14 ID:4eMjUwDq


この時点で味方が追い散らされ、自分達を城外に残したままで篭城を始めた事を知
った一千騎(先ほど深追いした連中)、城兵との合流や連携を諦め、厩橋城目指し
て退却を始める。
そしてまた、榛名山の方角に逃げていく味方の旗を見た城内では、我も我もと逃げ
出す兵が続出する有様であった。

この様子を見た信幸は、
「裏門から逃げて行く連中がいるな。よし、裏門を封鎖して落ち延びる連中を片端
から討ち取ってしまえ。後、敵は大手門の防衛ばかりに気を取られ、北の丸には誰
も居ないように見える。そこから侵入するのだ」

この命を受けた唐澤玄蕃允ら五十名は、岩伝いに北の丸に侵入すると、信幸の見た
通り、人っ子一人いない。
ちょうど腹が減った彼等は飯を食って腹ごしらえした後(大手門では只今絶賛戦闘
中)、周囲の建物に火を放ち始める。

富永&多目は城中から上がった火の手を見て、「裏切りだ」「国人衆が寝返った」
などと叫びながら逃げ延びて行った。
北の丸に侵入し五十人は、逃げ延びる敵に紛れ込み、それぞれが五人、三人と討ち
取る高名を挙げたという。
中でも一場茂右衛門は、城門の前で待ち構え、逃げてくる敵を一人で十七人も討ち
取る手柄を立て、信幸直属の馬廻りとして取り立てられたという。


思いの他「やる夫真田」を読んでる方が多いようなので、ご存知の話かも知れませ
んが、真田信幸のお兄ちゃん無双。もしくは鬼いちゃんモード発動。
本来なら、引っ張り出された一千騎でも、信幸の総勢より多いんですけどね。
首を斬るより、心を折っちゃったんですかね。

一応、出典は「やる夫」じゃなくて「加沢平左衛門覚書」です。
135 :人間七七四年2011/01/05(水) 18:00:08 ID:v7LYiDk/
信繁の講談に隠れて目立たないけど、流石は真田家の嫡男だわ
136 :人間七七四年2011/01/05(水) 18:23:17 ID:gwaZ52X/
>それぞれが五人、三人と討ち取る高名を挙げたという。
>中でも一場茂右衛門は、城門の前で待ち構え、逃げてくる敵を一人で十七人も討ち取る手柄を立て

なんというボーナスステージw
140 :人間七七四年2011/01/05(水) 21:44:00 ID:TlENGPMs
もしこの時元忠さんが死んじゃってたら…
141 :人間七七四年2011/01/05(水) 22:37:16 ID:2aaph1/H
>>140
伏見は作左かな?
143 :人間七七四年2011/01/05(水) 23:04:55 ID:7UfslUNG
京都は普通に一見さんお断りだしな普段から付き合いをよくしとかないと
「〜どうかお慈悲をもって食事を頂けませんでしょうか」
これを聞いた長老が快くぶぶ漬けを差し出すと〜ということになる
144 :人間七七四年2011/01/05(水) 23:52:19 ID:UwLpa3H8
平岩さんじゃないの
145 :人間七七四年2011/01/06(木) 07:18:07 ID:QYeMgOvr
>>144
親吉は駿府人質時代からの
同い年の親友だから、
家康が出さないんじゃ無いかな?
146 :人間七七四年2011/01/06(木) 08:07:55 ID:2fFFgccM
>>145
元忠のことは実は疎ましく思ってたんかい・・・最近出てきた、三成挙兵が寝耳に水で、伏見城が戦場になるなんて家康は思っていなかった説か
最初っから三成は挙兵すると思っていたかで、伏見城に残す意味合いがまったく変わっちゃうだろうしね

前者なら松平康元、後者なら大久保彦左衛門で・・・
147 :人間七七四年2011/01/06(木) 08:57:31 ID:LloT+Aod
>>146
彦左衛門ってそこで名が出るほどの大身ではないんじゃ。
148 :人間七七四年2011/01/06(木) 13:15:13 ID:8mb9beZL
もういい年だからこれで楽隠居させるつもりだったとかじゃね?
150 :人間七七四年2011/01/06(木) 20:16:33 ID:d9Gr09Yv
織田信長が近江、金ヶ森城を攻めた時のこと

城攻めの前夜、前田利家の家臣、村井又兵衛長頼が軍営地の小屋で寝ていると、その夢に山伏が出てきて、
又兵衛に語りかけた

『時もよし!絶対に左の道を行くのだぞ!』

又兵衛、驚き目を覚ますと

「さてはわしが日頃から愛宕山を信仰している故に、このようなお告げを頂いたのだな!」
と愛宕権現に感謝し水垢離を行い、すぐに具足を付け大喜びで主君前田利家の陣所へと駆けつけた

「又左衛門(利家)様ー!合戦の準備できましたよー!」

「何刻だと思っているんだバカヤロウ!」
出てきたのは寝入ったところを起こされ不機嫌この上ない前田利家。

「まだ一番鶏すら鳴いていないじゃないか!もう少しあとになってから来い!」
「ちぇ〜」

村井又兵衛、仕方なく小屋に帰り二度寝をはじめると、その夢にもまた山伏が出てきて
『良いな、左だぞ。左に付くのだぞ』
と語りかけた。愛宕権現、なかなかしつこい。

さて、夜明け前信長の本陣より一番貝が轟いた!合戦の始まりである!
織田軍の先陣は一斉に金ヶ森城に押し寄せた!その中に当然村井又兵衛も居る。
彼らが城下にたどり着くと道が左右に分かれていた。織田軍はみな右の道へと進んだ。又兵衛も
皆と一緒に進んだが途中で「いやいや、愛宕山のお告げがあったではないか!それに従うのだ!」
と、分かれ道のところまで取って返し左の道を進むと、空堀と柴折垣で防御されている場所に出た。

と、その柴折垣の側に、誰とも知れぬ4,5人の男達がいる。又兵衛が

「そこにいるお前たちは敵か、味方か!?」と問いかけるとその中の一人
「ここに居るのは柴田修理(勝家)の甥、佐久間玄蕃(盛政)という者だ!」

「わたしは前田又左衛門(利家)の家来、村井又兵衛です!」

「又左殿の家来か。前からその名を承ってはいたが、この合戦場で初めてお会いできるとは実に喜ばしい。
夜が明ければ共にこの柴折垣を切り、ここから侵入しようではないか。」

そうしているうちに後から、後備の味方も駆けつけてきた。そこで又兵衛は玄蕃と声を掛け合いながら
柴折垣を斬り倒し、両人共に即座に敵の首を取った。

さて、このとき前田利家は、信長の居る本陣にいた。

又兵衛が利家に首を見せるとその姿が信長の目に止まり

「兼ね兼ねからの事だが又兵衛、手柄を立ておったな!」
と、陣所に置いてあった吊し柿を手ずから又兵衛に下し、また「並々ならぬ働きの験だ」と
南蛮からの献上物も又兵衛に与えたそうだ。


ところで同時に首をとった佐久間玄蕃。

彼は信長の本陣から離れた場所にいた、柴田勝家に首を見せに行っていたため、その首を
信長のお目にかけたのはかなり遅くになってからだったという。


村井又兵衛長頼、夢のお告げで手柄を立てる、と言うお話。
151 :人間七七四年2011/01/06(木) 23:37:14 ID:iq9DhIn8
何年か前に地元紙に載ってた話。うろ覚えなので色々おかしいかもです。

時は天文の頃。尾張の国に初陣を迎えようとしている若武者がいた。
戦支度で忙しい中、城主の息子である若武者の姿が見当たらない。
はてどこへ行ったかと家中の者が探したところ、城の裏手で見つかった。
初々しい具足姿で泥だらけの両手を合わせ、一心に何かを祈っている様子だった。

「若、何をしておられるのです」
「ああお前か。すまぬな、すぐ行く」

若武者はその場を離れ、声をかけた家中の者と連れ立った。
その者は不思議に思い若武者のいた場所を振り返って見たが、
それこそ木立ちがあるばかりだ。

「何をあのように祈っておられたのです?」
「いや、大したことではない。気にするな」

このとき若武者は、城の裏手に一本の松を植えた。そして次の歌を詠んだ。

 『初陣に松一本を手植えして死なば墓場のしるしとやせん』

残念ながら、この戦については資料が残っていない。
相手は誰だったのか、規模はどのくらいだったのか、勝算は高かったのか低かったのか。
それらは推測するしかないが、彼の根城はそれほど大きなものではなく、
あるいは城を枕に討ち死にすることを考えていたのだろうか。

結果的に彼はこの戦では死なず、その後も幾度もの戦を潜り抜け手柄を上げ、
長じては天下布武を掲げる男の下、織田家の筆頭家老にまでなった。
主君を失った後、かつての同僚に敗れ越前は北ノ庄城で自害、その生涯を終えた。

松を植えた故郷から遠く離れてはいるが、やはり自らの居城が墓場となったのである。
彼の戦に臨む覚悟は、その初陣の頃から変わらなかった、と言えるかもしれない。


柴田権六勝家の生誕地、明徳寺に伝わる逸話でした。
152 :人間七七四年2011/01/08(土) 00:53:28 ID:1dFQn9tB
そういえば権六と市松と小六て何かキャラかぶってね?
154 :人間七七四年2011/01/08(土) 03:53:27 ID:vmGhrQlv

天正十年六月、
>>http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-4987.html

天正十年九月、
>>http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-5016.html

天正十年十月、
>>http://iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-5019.html

まで書いたんだから、最後まで書かなきゃ落ち着かない。
と言う事で天正十年真田vs北条の最終章。


阿曽、鎌田の両城を落とし、後は片品川を渡ればそこは沼田城、という所まで漕ぎ
着けた北条軍。
真田軍に立て直す暇も与えずに五千の兵が進軍を始めたのは十月二十八日。

沼田からも千三百の兵を出したというから、まさしく総力戦であろう戦いが沼田城
外、田北原にて行われる。
が、この戦いは互いに兵力をすり減らすだけの消耗戦となってしまう。
敵兵二百を討ち取ったとは言え、味方も百五十が討たれたという報告を聞くと、矢
沢頼綱はあっさりと引き上げの下知を下す。

全軍が沼田城に籠もり、堅く守って敵を寄せ付けない。
三日三晩、攻めに攻め続けても尚、崩れる気配さえ見えない沼田城に、北条軍は一
旦阿曾城まで退いて建て直しと兵の休息を図る。

しかし、阿曾城は元々、沼田城から片品川を挟んだ対岸の河岸段丘上に築かれた城。
沼田を攻める為に渡河を試みる敵軍を背後から牽制する為の城なのだ。
当然、大軍を収容する為の設備などあろう筈もない。
五千の北条軍の殆どは阿曾城と片品川に挟まれた丘陵地帯に野営せざるを得なかっ
た。


「さて、頃は良し……と言った所か」
北条軍が包囲を解いたその晩、真田家随一の猛将が動き始める。
「皆、三日三晩も城に引き篭もって、さぞや退屈しただろう。今夜は思う存分暴れ
るがいい!」
頼綱自らが大将として、塚本肥前守、金子美濃守、渡辺左近丞と言った沼田の主力
メンバー計七百騎が、揃いの装束に身を包んで秘かに出撃する。


阿曽城外……この三日、夜通しで戦い続け、体力気力共に使い果たした兵士達が、
ぐっすりと眠りこけている。
当然見張りも立ててはいるが、兵力差による慢心と、野営続きによる疲労が彼等の
集中力を削いでいた。

「うむ、この分なら勝利は動かんな。……総勢、かかれぇいっ!!」
ドンッ!ドンッ!ドン……ッ!
真夜中の片品川に響く太鼓の音。
それを契機に一気に北条軍へと雪崩れかかる真田軍。
山国の晩秋の寒さの中、野営と戦闘による疲労に蝕まれた北条軍兵士達の反応は鈍
い。
彼方此方であるいは真田兵に討たれ、あるいは同士討ちを始め、あるいは片品川に
落ちて流されるという混乱状態に陥る。
155 :人間七七四年2011/01/08(土) 03:55:22 ID:vmGhrQlv

が、数に劣る真田軍は深追いはしなかった。
「落ち着け! 敵は少数だ! 備えを立て直して包み込めば簡単に殲滅出来る!!」
将官クラスの名のある者共は流石に反応も早い。
完全武装の姿を兵士に見せ、当たり前ではあるが簡潔で的確な指示を飛ばすと、徐
々に兵士達の動揺も収まってくる。
しかしその時には既に、真田の夜襲部隊は戦場を離脱し、闇の中に消えていた。

「ぬぅ、逃げられたか。……いや、待て!あそこだ!沼須方面に夜襲の軍が逃げて
行くのが見えるぞ!」
引き上げの時にはもう、姿を隠す必要はないという事だろうか、松明を掲げて退却
する兵士の一団を発見したのは猪俣能登守。
「追え!今からならまだ追いつける!奴等を殲滅して沼田城の連中に見せつけてや
るのだ!」


「釣れたのは猪か」
「懲りるって事を知らないんでしょうかねぇ」
「金子、猪俣も貴様に言われたくはないだろうよ」
闇の中に消えた真田軍の陣中、矢沢頼綱と金子美濃守がほくそ笑む。
そう、皆さんご想像の通り、松明を掲げた一団、これは矢沢頼綱の計略であった。
金子美濃守の手勢から五十人を裂いて、わざと明かりを灯して北条軍の目の前に姿
を見せたのである。

「皆、判っているな。合言葉は『天』『気』だ。揃いの服を着て、合言葉を口にす
る者は斬るな。合言葉を知らん奴は服が揃いだろうと斬り捨てて良し! ……かか
れぇっ!!」

逃げて行く真田軍と思しき一団を追跡して突出した猪俣勢。
その腹背に喰らい付いたのは沼田城の中でも精鋭中の精鋭、矢沢頼綱率いる五百の
兵であった。
先の夜襲には素早く対応し、すぐさま立て直した猪俣も、二度目の奇襲には狼狽え
るばかり。あっと言う間に散り散りになって逃げて行ったという。

しかし……
「こっちにも居るぞ!」
「私もちょっとは働かないとね!」
逃げ惑う猪俣勢の逃げ道には、更に渡辺左近丞&金子美濃守の手勢が立ち塞がる。
こうなれば最早殲滅戦である。
矢沢勢によって二百、渡辺&金子勢によって百人を討たれた猪俣は、身一つで命か
らがら逃げ延びて行ったという。


この夜の真田軍の死者は僅かに十人。負傷者が五十人という大勝利であった。
北条軍は猪俣勢の死者のみでも三百。ましてや猪俣は数日前にも三百を討たれる大
敗北を喫している。
二千居た猪俣勢の内、六百がこの沼田で命を落したのである。
北条氏邦にとっても、自分の目の前で副将格の猪俣の惨憺たる有様を見せつけられ
たのは大きかったのかも知れない。
十月二十九日には信州で徳川家と和睦を結び、天正壬午の乱も終結している。
ここが引き際と、氏邦は遂に沼田を諦めて北条全軍を厩橋城に撤退させたのである。
これ以降、北条氏は武力ではなく、徳川家を相手取っての政治交渉で沼田を落そう
と方針を転換させる事になる。


二千の内六百を討ち取られるって、それ壊滅ですよね?(^^;
そりゃ猪俣さん、沼田に拘るだろうし、真田を恨むよね。
つか、金子さんが働いてる!?
156 :人間七七四年2011/01/08(土) 07:42:53 ID:Jkxdo6Gr
えーと、金子美濃守って実は二人いた・・・んでしたっけ?w
157 :人間七七四年2011/01/08(土) 07:43:28 ID:QrYkurgm
>>152
戦国DQN候補でありながら、ヘタレてしまう市松さんと権六・小六を並べるとは無礼な…
そこに直れ!成敗してくれる
158 :人間七七四年2011/01/08(土) 14:42:18 ID:Vesf48T6
〜金子美濃守〜と言った沼田の主力メンバー云々…

ダウト!
159 :人間七七四年2011/01/08(土) 16:34:03 ID:1keFmAl2
ある時、黒田官兵衛は手塚という男に下屋敷普請の奉行に命じた。
この手塚という男、心根は正直で真面目なのだが、ある欠点があり中々出世に恵まれなかった。
それを知っていた官兵衛が、不憫に思い大事の奉行に起用したのである。

そんなある日、広間で官兵衛が近臣と碁を打っていると手塚がやってきた。何事か言うつもりが、
「……ぁ…………」
実は手塚は生まれつき「どもり」で、しかも極度のあがり症であった。
その為初手から殆ど声が出ず、顔を赤らめあたふたするばかり。
そんな様を見ていた小姓や近臣はなにがなにやらと首をかしげていると、碁盤を見ていた官兵衛が振り向きもせず
「材木が足りないなら、金に糸目はつけない。必要なだけ買うがいい」
すると、手塚は安心した様子で一礼をし、広間を去っていった。

周りの者に今のやり取りの事を問われた官兵衛が答えるに、
普請用の材木が足りないので、材木屋で買おうか山から伐らせるかを尋ねに来たのだそうだ。
それに対しての答えが「いくらでも買え」だとの事。

なぜ言いたいことが分かったのか?なぜああいう不便な者をお使いになる?と近臣が問うと、
「根気良く付き合っていたら、言いたい事、やりたい事は大体解るようになった。
確かに聞き取りにくいかもしれんが、仕事は長年真面目に務めてくれている。
だったら言いたい事を理解するよう努めるのは、上に居るわしの領分さ」
碁の相手は感嘆せざるをえなかったと言う。
162 :人間七七四年2011/01/08(土) 18:03:41 ID:kXH96JVa
又兵衛「主君とはこうあるべき」

長政「いや無理、無理」
164 :人間七七四年2011/01/08(土) 18:55:55 ID:A00qfwHb
信玄は嫌いな部下でも適材適所で使い
官兵衛は部下のよい所を見て愛してる感じ。
165 :人間七七四年2011/01/08(土) 20:11:29 ID:kZtwCh+2
官兵衛は凄すぎるw
この人心収攬術は絶頂期のころの秀吉のそばにいて学んだのかな
生来のたまものだとしたらまさに天才
167 :人間七七四年2011/01/08(土) 22:44:13 ID:ToPlwLO2
というか官兵衛さんは有岡城に1年間幽閉されたとき、寝返り説、死亡説も流れる中
家臣団が結束して黒田家を支え続けたので、家臣団に対して恩があるからな。
168 :人間七七四年2011/01/08(土) 22:51:52 ID:gMzS+4Sq
大岡忠光じゃあるまいし相手が

「あぅ、あぅ」しか言わないのに理解出来るとかないわwww
169 :人間七七四年2011/01/08(土) 23:06:40 ID:RrZkjW6b
実際には材木の在庫を把握してて、その内聞きに来るだろうと予想してたんじゃないの?
170 :人間七七四年2011/01/08(土) 23:13:47 ID:50AfToIE
父ちゃん健在だし家督継げる年齢の弟たち居るし
ありゃ帰ってきちゃったの?だったら嫌だなw
171 :人間七七四年2011/01/08(土) 23:21:04 ID:ianFumFU
予測出来る程に、きっちり計画立ててその通りに物事を進められる人材だったんやね
予想外のトラブルを持ち込まない。なら、普請仕事は天職じゃないか
172 :人間七七四年2011/01/08(土) 23:48:08 ID:GtrGXPIJ
>>165
例えば小一郎。
秀吉の異父弟だから下層の出なんだろうけど、他の戦国大名と伍して、
文武共に遜色無くこなしているよね。
加藤清正なんかの賤ヶ岳の七本槍だって、碌な出自じゃないし・・・
秀吉の周りってそう言うの多いyんだよね。
173 :人間七七四年2011/01/09(日) 03:56:37 ID:w1h1wjF6
>>154
全部網羅してるやる夫真田って、相当好き者が書いてるんだな・・・
真田系の逸話は悉く「やる夫で見た」になってるw
174 :人間七七四年2011/01/09(日) 17:42:34 ID:cbJPsRPN
おまいらNHK系のBShiで、18時から江やるの知ってる?

スレまで建てたのに盛上らないんだが、、、
175 :人間七七四年2011/01/09(日) 17:55:37 ID:+ThPPn5R
女性が主人公の大河ドラマに興味はないなあ、最近の大河って女性視聴者向けだしね
176 :人間七七四年2011/01/09(日) 18:51:52 ID:HQ81Hmqe
大人気の鬼武蔵は、弟を殺した人間を配下にしたり、
弟たちの葬儀の日に敵さんを攻めたりしてるけど、
弟(蘭坊力)たちと仲悪かったわけではないよね?

何か兄弟との温かいエピソードあったら教えていただきたい。
鬼武蔵のいい話もあんまり知らんし。
177 :人間七七四年2011/01/09(日) 19:00:44 ID:gxYtjNoa
「心のやさしい鬼の城です。どなたでもおいでください。おいしいお菓子がございます。名物茶器もございます。」
178 :人間七七四年2011/01/09(日) 19:09:12 ID:e8yZnfeh
>>174
見はするけど期待は全くしていない
179 :人間七七四年2011/01/09(日) 19:13:44 ID:+dI9g+dx
>>176
鬼武蔵は賤ヶ岳の前、岐阜城に人質に入っていた弟の忠政を、自身で岐阜城に潜入して助けだした。
その時忠政を布団でぐるぐる巻きにして高石垣の上からたたき落とした。

布団にくるまわせたあたりが鬼武蔵の優しさ。
180 :人間七七四年2011/01/09(日) 19:21:49 ID:iFb/aUaS
>>179
なんという荒々しい救出劇w
高石垣の上から叩き落される衝撃に耐えるには布団一枚では足りないだろうな
何枚かぶ厚く巻いたのだろうが、窒息の危険もあっただろうに…w
183 :人間七七四年2011/01/09(日) 20:17:27 ID:j7cUEDWr
「俺が死んでも忠政を跡継ぎにするな」もやさしさです。
184 :人間七七四年2011/01/09(日) 21:55:40 ID:jJ4xZMNM
>>183
ほかの逸話はともかく、このくだりだけは案外本当かもしれんね。自分の娘にしても、
武家にではなくて、医者あたりがいいんじゃないか、と言っているし。

185 :人間七七四年2011/01/09(日) 22:00:37 ID:f+qXzV9m
忠政の器量は取るに足らないからやめとけと純粋に森家を心配してたと思ってた。
186 :人間七七四年2011/01/09(日) 22:05:06 ID:+dI9g+dx
文禄の役、

文禄2年(1593)1月、李如松率いる明軍4万3千余が小西行長の守る平壌に進攻。
行長はこの攻勢に耐え切れず平壌の蜂起を決断、軍勢をまとめ夜半密かに城を出、後方の
漢城へと向かった、

さて、平壌から漢城の間には黒田長政、小早川隆景・秀包親子らによって繋ぎの城が構築されていた。
小西行長は撤退の際、彼らにも共に漢城まで引くように誘った。だが黒田長政、小早川秀包らは

「敵の旗色を見ることもなく城を開けて退くなど、後に恥辱を受けること逃れがたい行為である!
小西殿は自ら戦ったのだから、早く漢城に退いて士卒を休息されるといいだろう。
我々は自分の城を引き払い、筑前宰相殿(小早川隆景)の城に軍勢を集結させ、漢城から反撃の軍勢が
出てくるのを待って先手をつかまつり、大明の人々との戦いを決する!」

これを聞いた行長は
「この上は是非に及ばず」

と、彼らを置いて漢城へと撤退した。

小早川、黒田勢撤退せず。漢城で行長からのこの報告に驚いたのは、秀吉より派遣された三奉行、
石田三成、増田長盛、そして大谷吉継である。
彼らはすぐに小早川隆景のところに使者を遣わし、

『急いで城から引き上げ、漢城へ入ってください!』

と伝えた。ところが小早川隆景、これを聞くと

「この度の戦、この朝鮮に渡海した最初から、日本に帰国することなど無いと覚悟していた。
私もこのように歳を取り、死んでも惜しくはない身であれば、大明の人々と向かい合い、
一戦して討ち死にすることも、老後の良い思い出となるであろう。

私一人が討ち死にしたからと言って、味方の弱みになるわけでもない。ここを開城して引き上げるなど、
断じて無い!」

そう言い切って使者を返した。
この返事に三奉行は慌てふためいた。

「防衛戦となる大河(漢江か?)を越えた場所で敵の大軍と戦うなど上策ではない!
そのうえここは外国であり、人々の心も計りがたい。
だからといって小早川殿を打ち捨てることなど、出来るわけもない!
一体どうすればいいのか!?」

石田三成と増田長盛は必死に相談し合ったが、どうしても結論が出ない。その時、
それまで押し黙っていた大谷吉継が立ち上がり、言う

「私が直接小早川殿の所へ罷り向かって異見を申し上げ、小早川勢を引き上げさせる!」

言い捨てると三成、長盛の返事も聞かず座を立ち、すぐさま隆景のもとに向かった。
そして隆景に対面し、理を尽くして撤退が最善策であることを説明。これに隆景もその理に服し、
吉継と連れ立って漢城へと退却した。


大谷吉継、小早川隆景を説得す。と言うお話
188 :人間七七四年2011/01/10(月) 00:56:27 ID:QHfsguYg
>>174
とうの昔に知っているぞ、勿論みた どこに建てたんだよ
189 :人間七七四年2011/01/10(月) 01:34:07 ID:AIiitz31
>>186
「この度の戦、この朝鮮に渡海した最初から、日本に帰国することなど無いと覚悟していた。
私もこのように歳を取り、死んでも惜しくはない身であれば、大明の人々と向かい合い、
一戦して討ち死にすることも、老後の良い思い出となるであろう。

「討ち死にする」ことが「老後の思い出」になる、って辻褄が合わなくね?
あと、これ多分既出だよ。小早川隆景の方にまとめられてるはず。
190 :人間七七四年2011/01/10(月) 01:38:00 ID:3dAYOV2j
>>185
忠政は森家基準だと異質だな
時代にはマッチしたが
191 :人間七七四年2011/01/10(月) 12:43:30 ID:kHqp8P8V
>>170
それだけならまだしも奥さんが弟に再嫁して身籠ってた日にゃ・・・
192 :人間七七四年2011/01/10(月) 19:30:29 ID:DX0dILY/
>>189
自分のじゃなくて他人の老後なんじゃね。
皆が語り伝えてくれるんじゃないか的な。
193 :人間七七四年2011/01/10(月) 21:22:44 ID:gHbCxNl3
戦国乱世の時代もはるかに過ぎ、人々が元禄の泰平を謳歌していたころ。花のお江戸を遠く離れた薩摩でも、
若者たちが酒を酌み交わし、料理に舌鼓を打ち、大言壮語を楽しんでいた。

「いやぁその昔、高麗での戦の折、わしらのご先祖は、唐人を造作もなく切り伏せたそうな。首を取るにも、
河原で石を拾うより易かったというぞ。」
「本当か!わしもそのような時代に生まれて、存分に出世したかったのう!」

「・・・わしが子供のころ、昌厳どの(山田有栄)に聞いた話と、だいぶ違うの。」
剣客・歌人として知られる、柏原市右衛門(幽静)がつぶやいた。

「わしが同じような事を聞いたところ、昌厳どのは『誰からそんな臆病な事を聞いたのじゃ!?』と激怒し、
ご自身の体験を語って下さった・・・

================================================

泗川城下の海に、波がきらめき潮騒が轟いていた。

薩摩の人々が日ごろ慣れ親しんだ、鹿児島湾や日向灘のような海ではない。
何万という明軍の、見たこともない圧倒的な人の海に、刀槍の波がきらめき、怒号の潮騒が轟いているのだ。

二十歳を過ぎたばかりの山田有栄も、この光景を目にして青ざめるしかなかった。同僚には泡を吹く者までいる。
「も、もうだめじゃ。このまま波に飲まれ、砕け散るしかないのか・・・」



不意に、頬に痛みと熱を感じ、我に返った。目の前に呆れた顔をした島津忠恒が、馬の鞭を握り締めていた。
「 出 陣 。 」若武者どもを鞭で打ち、正気に返した忠恒は、静かに告げた。

「頃は良し!敵の「気」は衰えた、今こそ出るぞ!!」
『その時』を告げる島津義弘の檄に、ようやく気力を取り戻した薩摩隼人たちは、城を飛び出した。

================================================

・・・『嘘偽りを申し、まことの己を隠すのは、臆病者のする事ぞ。』 昌厳どのは、そう仰せになった。」

市右衛門の話を聞いた若者たちは感じ入り、以後軽々しい話をする事が無くなった。
194 :人間七七四年2011/01/10(月) 21:49:54 ID:BIr3m6dv
戦う前「も、もうだめじゃ」

戦ってみたら「まるでゴミのようだ」

って事だろ。
195 :人間七七四年2011/01/10(月) 22:14:39 ID:Gsg+2emo
そんな>>193の若者たちそのものな事を言わなくても…
197 :人間七七四年2011/01/11(火) 12:58:19 ID:aHs1UwMd

>>173
やる夫真田で紹介されてないエピだな!? 承知した!!
二話連投でいくよ〜〜〜。


天正十二年正月、北条氏配下の白井長尾氏では、真田家に対しての夜襲を計画して
いた。
徳川家と和睦を結んで一年余り。沼田開城が和睦条件の一つだったにも係わらず、
未だに沼田城を明け渡そうとしない真田家に対する示威行動が目的だと思われる。

が、元々この攻撃の立案者は長尾家でも北条家でもなかった。
天正十年の戦争の際、真田家から寝返った上州国人衆、林太郎左衛門、吉野太郎右
衛門、井上金太夫の三人である。


三人曰く、
「沼田近くの戸鹿野郷には金持ちが多い。ここを夜討ちして、たんまりと金を頂こ
うじゃないか」
「戸鹿野は勇者と名高い高橋右馬允の領地だし、奴等に赤っ恥をかかせてやれるぜ」
との事で、家中の侍達を口説いて回った。

元々はこのように、家中の末端から出た、押し込み強盗のような計画だったのだが、
最終的に集まったのは実に百三十人と言うから、この時点では白井長尾氏を挙げて
の計画になっていたようである。


元真田家中で地理に詳しい三人を案内人として、百三十人の強盗団は闇に紛れて戸
鹿野郷に潜入する。
……彼等の渡った後、秘かに川にかかる橋を外してしまう人影の存在も知らずに。

199 :人間七七四年2011/01/11(火) 13:03:11 ID:aHs1UwMd


徳川家と真田家が戦った第一次上田合戦の際の話。
真田家の家臣に深井某という者がいた。
この深井某、一日に三度手柄を立て、その全ての手柄に感状を賜ったという程の武
勇の主として知られていた。


真田軍の仕掛けるゲリラ戦によって徳川軍が総崩れになった時の事。

「待てぇ〜〜いっ!」
逃げて行く敵の中に、立派な身なりの武士を見つけた深井、「良き敵を見つけた」
とばかりに追いすがる。
「待て待てぇ〜〜〜〜!!」
総崩れの徳川軍の中、一人踏み止まって戦う馬鹿などそうそう居ない。勿論逃げる。
追う深井。
逃げる、追う。逃げる、追う。どこまで逃げても、どこまでも追う。

しかし、遂には追いつき、深井はまた一つ、兜首を討ち取る事に成功した。
「まったく往生際の悪い奴だぜ、一体どこまで逃げるんだか。なぁ、皆もそう思わ
んか?」
深井は周囲にいる筈の味方を見回し、苦笑を浮かべて言った。

が、何か様子がおかしい。
「いやぁ、俺等としては、お前がどこまで追いかけてくるのか、そっちの方が気に
なるなぁ」


右を見る。左を見る。も一度右。
敵。敵。……やっぱり敵。

後ろを見る……川。

「あ、あれ……? ここ……どこ?」
「敵陣」

200 :人間七七四年2011/01/11(火) 13:04:08 ID:aHs1UwMd


そう、敵を追いかける事に夢中になった深井、川を渡って敵陣の奥深くまで単騎で
侵入してしまったのだ。
勿論、味方は川端で追撃を止めている。
制止する味方の声さえ、彼は聞いておらず、自分が川を渡った事すら、気付いてい
なかったのだ。
「うっそ、俺、ヤバくね?」
いつの間にやら、三百人の敵兵に取り囲まれてしまったのである。


「……なんでウチの連中はこうも調子に乗る奴ばかりなんだ」
その報告を聞いた真田昌幸は頭を抱えた。
「しかし、深井が手柄を立てたのは間違いない事。ねんごろに弔って、遺族には見
舞金を贈りましょう」
悲しめばいいのか、怒ればいいのか、苦笑まじりの表情で、信幸も言った。
それを見た家臣、言いづらそうに口を開く。
「そ、それが……非常に言い辛いのですが……」

この深井某、なんと生きていた。
三百人に囲まれた状況で、包囲を突破し、川を渡って味方の陣地に帰還したのであ
る。
「ど、どうやって……?」
さしもの昌幸、信幸も口を開けて呆れている。
「い、いえ……本人の話では、『一生懸命頑張った』と。対岸から見ていた者の話
では、『鬼神の様な暴れっぷりだった』との事ですが……」

そう、何の計略もなく、ただただ夢中で敵中突破してしまったのである。
しかも、帰ってきた時には、かすり傷一つ負っていなかったと言う。


「そ、そうか……天晴れな事だな……うん……」

深井某は昌幸からお褒めの言葉を受け、更には真田の名字まで賜った。
その後は真田但馬守と名乗ったと言う。


いや、これ、叱っても良い様な気がするよ?(笑)
でも、これを叱ったら矢沢さんも叱らなきゃいけないような気もするからなぁ。
流石の矢沢さんも三百倍の敵とは戦った事ないだろうけど。(^^;



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