2011年01月12日

戦国公家!近衛前久

1 :人間七七四年2007/09/03(月) 13:27:05 ID:58NCKI6S
当時の公家としてはめざましい活躍をしている近衛前久について熱く語りましょう!


2 :人間七七四年2007/09/03(月) 13:38:09 ID:58NCKI6S
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3 :人間七七四年2007/09/03(月) 13:49:13 ID:58NCKI6S
徳川の天下が定まっても信長の命日に追悼句会を開き信長を慕っている彼の
信長への思い入れはかなりのものだったようですね。

しかし鷹狩が趣味の家康とはうまくいかなかったのかな?
4 :人間七七四年2007/09/03(月) 14:10:19 ID:PacSkPui
>>3
家康から見ればもはや前時代の人間でしかないからなあ。秀吉の時代に既に引退したようなものだし。
しかし安部龍太郎の小説ではこの人スーパーマンですな。
6 :人間七七四年2007/09/03(月) 15:42:31 ID:1YQPOHso
のぶりんと仲良かったのか?
変の黒幕扱いもされたりするのに
8 :人間七七四年2007/09/03(月) 16:53:17 ID:U0MYgHpL
古今和歌集かなんかやってなかった?
10 :人間七七四年2007/09/03(月) 21:17:04 ID:rKh6PhAb
島津ゆかりの人だったっけ?
>>8
やってたね、継いでた
11 :人間七七四年2007/09/04(火) 09:16:41 ID:R9h8NSF2
昔中公新書から流浪の戦国貴族って本が出てた。絶版。
12 :人間七七四年2007/09/04(火) 11:28:55 ID:xMvkuWc4
>>11
ほほぅ!!それは気になるなー!
探してみるわ!!
14 :人間七七四年2007/09/04(火) 13:44:54 ID:KWSoUpQU
司馬遼太郎は妙にこの人を酷評しているな。
17 :人間七七四年2007/09/04(火) 20:22:59 ID:QsUHhDrJ
>>6
良かった。ただし、黒幕論者は前久が信長の武田攻めについて行こうとした時に、
「お前なんか木曾から行け」と言われた話を出して、不仲だったとしているが、この話は甲陽軍鑑のもので傍証はない。
実際には、馬揃えには馬選びの段階から非常に張り切って参加しているし、石山本願寺攻めでは自ら軍を率いて織田の陣城を警備している。
さらに本願寺に出向いて和平交渉を行った。顕如が開城を決意した後も子の教如は徹底抗戦を主張していたが、
前久の説得によって和平に同意した。教如はそれ以前に前久の養子になっており、
その後も真宗大谷派(東本願寺)門首の家と近衛家はずっと仲が良い。
信長はこのことを非常に高く評価して、天下統一の後には一国を献上するとまで言ったという。

>>10
元々島津は藤原摂関家の家来の惟宗氏で、近衛家の薩摩・大隈・日向にまたがる
日本最大の荘園・島津荘に下司職として下向して武士となった。
近衛前久は島津の所へ下向したこともあったし、息子の近衛信尹が薩摩に流されたときには島津義久がちゃんと面倒を見ていた。
関が原の戦いでは逃げてきた島津の家臣を匿って家康に島津の本領を安堵するよう交渉している。
このため、近衛と島津の仲は20世紀まで(笑)非常に良かったようだ。
来年の大河の篤姫も、島津の生まれで近衛の養女になった。
19 :人間七七四年2007/09/05(水) 15:04:19 ID:giCCGnO7
近衛前久の男色相手は誰だったのですか?

22 :人間七七四年2007/09/05(水) 17:33:58 ID:YtyT6BWw
既に皆さんご存知とは思いますが、
>>19は歴史板や戦国板を荒らしている、
悪質な荒らしのナッちゃん(ホモ吉)ですので、
スルー推奨。
23 :人間七七四年2007/09/05(水) 17:54:45 ID:DuArS9Io
公家は女好きってイメージがなぜかある。
天皇の女寝どるイケメソ公家が出るのは次の世代か
24 :人間七七四年2007/09/05(水) 19:57:51 ID:3TwaPMrO
>>17
>近衛と島津の仲は20世紀まで(笑)非常に良かったようだ。
というと?
来年の篤姫はちょっと楽しみ。
26 :人間七七四年2007/09/06(木) 09:48:37 ID:vbjEuNKM
前久がしっかりしてなかったから道長に連なる近衛家の血統は途絶えた
んでしょ。女系も含めれば釜足から現在まで繋がっているのはすげえ。
27 :人間七七四年2007/09/08(土) 15:20:53 ID:t8IjKA6q
>>24
近衛文麿の娘昭子が本家の島津公爵家に嫁いだが、野口整体で有名な野口晴哉と駆け落ちしてしまった。(昭和のノラ事件)
戦後のタブーの一つ。
>>26
文麿の弟、水谷川忠麿によると藤原一族の中では尊卑分脈にあるように
藤原氏は鎌足の子孫ではなく藤原不比等が天智天皇の子で、その子孫らしい。
そのことがホントであるか否かはともかく、
そういう意識があったなら皇族から養子をとることにはあまり抵抗が無かったのかも。
32 :人間七七四年2007/09/23(日) 20:42:52 ID:4w9/vyHo
19才で関白かあ。
余生?が長いな。
33 :人間七七四年2007/09/25(火) 12:48:18 ID:UDIzGHl5
>>17
百歩譲って木曾の話が事実でもシチュエーションによっては友達同士の単なる戯れの可能性もあるからな。
39 :人間七七四年2007/10/11(木) 03:01:39 ID:od2v9KlU
兵がいるなら所領があるのか?
40 :人間七七四年2007/10/11(木) 03:13:59 ID:jldLk/if
>>39
貴族はみんな大なり小なり所領持っとる。
だいたい武士自体、地方の所領に土着化した貴族がその出自だ。
41 :人間七七四年2007/10/12(金) 21:41:39 ID:aU+vNQib
公家目線描く大河ドラマの主人公に最適。
42 :人間七七四年2007/10/13(土) 14:38:51 ID:UrvVbhdJ
>>41
おっ、いいねえ
敵役も超大物だし
43 :人間七七四年2007/10/13(土) 22:16:40 ID:hhh91BbU
越後から薩摩まで日本各地の観光誘致にももってこい。
大河ドラマ化に一票でおじゃる。
45 :人間七七四年2007/10/19(金) 02:54:04 ID:4SRSLqjZ
上杉に関東の領主として持ち上げられる予定だったんだよね?
なんで足利に変わっちゃったわけ?
46 :人間七七四年2007/10/23(火) 01:33:20 ID:0mDgTOV7
前久の好き嫌いランキング
◎島津義久(兄弟ともに仲良し。息子も世話になっている)
○織田信長(いわずもがな)
△徳川家康(本能寺の変後、しばらく厄介になった)・上杉謙信(最初に夢を託した)
×豊臣秀吉(コイツにいろんなものを奪われた)
48 :人間七七四年2007/10/23(火) 15:18:18 ID:Fw5fqlov
某スレってどこだよw

島津とは「若衆宿(今のゲイバー)に一緒に行ったよね」という手紙を取り交わすくらい仲いいよな
その手紙は不幸にして?国宝になってしまったがw
最も島津との仲はご先祖様からのご縁あったればこそだけど
心底男の友情(誤解を招く表現か?)で結ばれたのは信長だろうな

もっとも謙信にも若衆を世話したこともあり、前久と「アッー」は切れない縁なのか?
50 :人間七七四年2007/10/23(火) 20:54:55 ID:Fw5fqlov
ああ、あそこかw

前久のAAが未だにないのが惜しまれるな
公家の一行AAは作りにくいからだろうけど。
51 :人間七七四年2007/10/24(水) 00:13:09 ID:1h6qdbrS
(´・ω・`)
54 :人間七七四年2007/10/30(火) 23:14:42 ID:kNYRQWH2
それがそのまさかだw

もちろんそればかりではなくて
関ヶ原の後は家康と喧嘩しかかってたらしい
(公家の権限にまでちょっかい出してきたから)
55 :人間七七四年2007/11/02(金) 12:46:29 ID:KWz2sAs7
将軍の偏諱を受けておきながら後に改名しちゃってもいいのか?
56 :人間七七四年2007/11/03(土) 11:32:40 ID:mM3eFmAG
仮にも関白さまだぞ。
それ以前に摂家が大納言クラスから偏諱を貰うのもどうかと思うが。
って 教基 政家 尚通 稙家 とみんなそうか。。
57 :人間七七四年2007/11/03(土) 21:46:49 ID:9OxoaDfB
前久の倅と孫の「信」は信長の「信」?
孫の方は天皇の息子だよなあ。
58 :人間七七四年2007/11/04(日) 17:10:12 ID:0OQi5X4C
>>57
せがれはともかく、孫まで行くと関係ないだろ。
59 :人間七七四年2007/11/07(水) 20:42:11 ID:pfGXhwy3
>>32
文麿が45歳で総理になったとき、記者から若すぎるのではと言われて
自分の祖先はもう10代で大臣だったと答えたそうな。
>>43
その気になれば津軽も登場させられる。
薩摩も津軽もというのは凄いなぁ。
60 :人間七七四年2007/11/08(木) 00:30:56 ID:KFDkEx92
ttp://dangodazo.blog83.fc2.com/blog-entry-250.html
コメント欄で島津義久に稚児を世話したとか言う話が出てる

上杉謙信に若衆世話したのは有名だし
今は落ちてしまったが島津義弘スレ@日本史板でも一緒に若衆宿に行ったという話が出てたような・・・

・・・前久の兄貴、戦国最凶だぜ!
62 :人間七七四年2007/11/08(木) 23:51:00 ID:8OoGftTw
>>60
しかも桐野作人氏のブログでないの!GJ!!
64 :人間七七四年2007/11/09(金) 01:59:57 ID:6sGMEDH+
謙信に惚れ込んで下向とか貴族にしては熱い血を持ってたんだよ。
65 :人間七七四年2007/11/09(金) 09:29:48 ID:anQ77aiw
現職の関白が越後に下向なんて無責任だ。
66 :人間七七四年2007/11/09(金) 12:26:07 ID:S6o3CEKc
>>65
ブーメランが返ってくるよ、そんなこと言ってると。
67 :人間七七四年2007/11/09(金) 22:56:06 ID:rlDDak8j
>>64
でも、結局逃げちゃったし…
しかし、謙信は前久を一体何にしようとしたのか?
関東公方、関東管領?記述まちまちで、いまいちわからない。
朝廷そのものの東国支配の役職といえば、鎮守府将軍か?
68 :人間七七四年2007/11/10(土) 11:43:24 ID:juvdyodo
イエスズ会と秀吉と藤孝と組んで光秀を捨駒として
信長を本能寺で葬ったという説がある人らしい・・・




と言ってみる。
70 :人間七七四年2007/11/10(土) 15:49:42 ID:P9M0RjaL
イエスズ会 なぜか変換しない
イエズス会 なぜか変換する
71 :人間七七四年2007/11/10(土) 16:04:34 ID:f16TwNli
>>68は壮大な釣りだったという訳か
75 :人間七七四年2007/11/25(日) 07:50:06 ID:uLy8Hx0G
近衛首相がシッカリした剛毅な人間だったら日米戦争を避けれたかもしれん。
78 :人間七七四年2007/11/26(月) 23:00:55 ID:LCr2cP7B
近衛首相というとチョビヒゲつけてヒトラーのコスプレしてる写真のイメージが…。
79 :人間七七四年2007/11/27(火) 00:10:53 ID:CIzBMJ1s
ふーみんは近代史板に専用スレがあるからそちらで
こっちはご先祖の前久について語るスレです

ところで、前久の妻妾関係って判明してないのか
この辺の研究で一番詳しい橋本義宣の論文集でも詳しくなかったような・・・
80 :人間七七四年2007/12/04(火) 00:30:39 ID:9qW9vy24
大河ドラマもう終わるね
近衛さんにも出てもらいたかったね
上杉謙信と一諸に関東に出陣したんだよね
古河公方の足利藤氏救出と北条討伐のために
残念残念
81 :人間七七四年2007/12/18(火) 17:31:08 ID:d1K8VeVj
>>79
前子も信尹も母は家女房なんだね
82 :人間七七四年2007/12/18(火) 18:55:24 ID:0BWl94I8
つまり出自不詳か・・・
信尹の唯一の子「太郎君」の母「宣司殿」も出自不詳らしいな
といっても宣司殿は残っている史料から見ると実質正室同然の扱いだったようだが
83 :人間七七四年2007/12/24(月) 11:39:42 ID:HV8iXfZu
信尹も前子も母親は若狭武田氏のむすめで宝樹院というらしい。
若狭武田といえば秀吉の側室松の丸殿の前夫の武田元明って若狭武田氏じゃなかったっけ?
84 :人間七七四年2007/12/24(月) 12:12:51 ID:0rZeqZtZ
>>83
yes

近衛前久の姉(か妹)が朝倉義景の正室(但し離婚)だったので
そいうところからの縁かね
85 :人間七七四年2007/12/25(火) 10:42:53 ID:581I7Hm3
>>83
若狭武田は名門の武家(畿内周辺の守護)
皇室にも、この若狭武田の重臣の粟屋の血が入っている
新上東門院・勧修寺晴子の母が若狭粟屋氏の娘
武田元明の母は足利義晴の娘
この時期の若狭武田氏は最上層階級の一角であったと思われる
86 :人間七七四年2007/12/28(金) 12:46:04 ID:j9nB/AnQ
>>84
朝倉の縁というよりも、足利将軍家と近衛家との縁によるでは?
近衛前久の父は近衛殖家だが、殖家の妹慶寿院(前久の叔母に当たる)は
将軍足利義晴の正室であった。
足利義晴と正室慶寿院(近衛氏)との間に生まれた娘は、
若狭武田氏当主、武田義統の正室となり、武田元明を産んでいる。
つまり、近衛前久と武田義統夫人はいとこ同士という近い血縁関係にあり、
若狭武田氏の娘が前久のもとへ嫁いだのもこの縁によると思われる。
87 :人間七七四年2007/12/28(金) 13:12:05 ID:m89uREP5
なるほど御教示感謝

つまり
前久の叔母が将軍足利義晴と結婚

そこで産まれた姫が若狭守護武田義統と結婚

若狭武田氏の娘が前久のところへ 但しこの娘の母が足利義晴の娘かどうかは未詳?
という流れがあって
朝倉と前久の姉妹の縁は、>>84とは逆の考えで
若狭武田家と近衛家の関係に、若狭武田家を下克上した朝倉が割って入ったと言うことか



慶寿院って息子と一緒に松永久秀と闘って戦死したんだっけ。。。
88 :人間七七四年2007/12/29(土) 12:09:30 ID:RUUwrJvy
>>86
すばらしい
ほぼパーフェクトな回答だと思います。
90 :人間七七四年2007/12/31(月) 13:35:50 ID:U/n+27iU
武田義統の弟は足利義昭の近臣らしいね
武田信景というらしい
将軍の取り巻きは、いつの時代も有力守護の家族が多いね
91 :人間七七四年2008/01/01(火) 07:11:46 ID:C/1voEH/
今から総合で近衛家の名宝やるぞ
92 :人間七七四年2008/01/01(火) 15:25:43 ID:nIRTubYn
>>91
前もって書いてくれ
94 :人間七七四年2008/01/01(火) 22:53:19 ID:ki4O+E5s
NHK番組表から

1/2 9:55-10:00 NHK総合
名宝探訪 近衛家が生んだ日本の美

1/3 早朝3:55-4:34 NHK総合
探訪 日本美のルーツ〜公家の頂点・近衛家の名宝〜(再)

春風亭小朝が近衞忠熈役というのはどうなんでしょう・・・
95 :人間七七四年2008/01/01(火) 23:57:39 ID:C/1voEH/
>>92
俺もその時知ったんだよ
ちなみにお笑い観た
96 :人間七七四年2008/01/01(火) 23:58:10 ID:Z4JlS9PX
>>94
忠熈公がなよなよバカ殿に描かれそうでイヤン
98 :人間七七四年2008/01/11(金) 00:05:47 ID:5ClO2bpH
近衛晴嗣なんだね初名。
足利義晴から貰ったの晴?。
近衛家より足利家のほうが偉かったの?。
100 :人間七七四年2008/01/12(土) 12:10:04 ID:lRQKiQKc
足利義満は南北二人の別天皇を北王統にまとめたから、太上天皇に薦められたが辞退した。この瞬間天皇や五摂家より実力上を天下に示した。金閣寺にさきひささんが住みたがった(実際住んだ)のも三代将軍へのコンプレックス心理は大よ。
101 :人間七七四年2008/01/12(土) 12:41:32 ID:kp+Aq5RY
東海道漫遊に自分も連れて行ってくれとねだり、かんしゃく起こした信長から呼び捨てにされ怒鳴られたというエピソードは史実なんですか?
102 :人間七七四年2008/01/12(土) 12:56:34 ID:DytxcPYG
そういや、篤姫で出てくるよね、子孫が
103 :人間七七四年2008/01/12(土) 13:23:53 ID:idt2e6C6
>>102
小朝忠熙は予告見る限りじゃ実際の忠熙公とは違ったパターン通りの公家として描かれそうでイヤン
実際は明治維新後も公家の筆頭は京都にいるべきとして明治天皇自らが説得に出るまで東京に行かなかったという
かなり骨太な性格の人。
一度揮毫を見たが大名の筆かと思われたくらい豪快。
104 :人間七七四年2008/01/12(土) 18:20:45 ID:4R4ze5j+
>>100
住んだのは金閣寺じゃなくて銀閣寺じゃないの?
106 :人間七七四年2008/01/26(土) 10:23:38 ID:XK7uttJF
>>103
公家らしいいやらしい感じ出してましたね。小朝師匠。
107 :人間七七四年2008/01/26(土) 16:28:25 ID:SShBC5Ug
何か偏見丸出しの人が来ているようだが
小朝は嫌いではないが
柳生忠熙>>>>>>>>>>>>>>小朝忠熙 なのは明白
てか、公家に大坂の商人の言葉使わせて平気な辺り、脚本家が諸悪の根元かと思うが
108 :人間七七四年2008/01/29(火) 02:28:34 ID:ai+4iTU0
近衛前久について書かれた小説ではない本を知りたいのですが
何かありますか?
109 :人間七七四年2008/01/29(火) 04:05:22 ID:xHd9ozBV
>>108
谷口研語『流浪の戦国貴族 近衛前久 天下一統に翻弄された生涯』(中公新書、1994年)
橋本政宣『近世公家社会の研究』(吉川弘文館、2002年)
110 :人間七七四年2008/01/29(火) 10:21:26 ID:xRgBaj6s
wikiで丹波の赤井直正が前久の妹を娶ってるってあるんだが信憑性の高い出典あるん?
赤井氏没落後その女性がどうなったかとかわかるのかな。
赤井直正って畿内で知られた武将だったてことか。甲陽軍鑑に名前出てきて逆にちょっと胡散臭く感じてたんだが。
111 :人間七七四年2008/02/04(月) 00:06:08 ID:B00i4UL5
>>100 確か金閣寺はもともと西園寺家の別荘要地であったのを、何故足利が買い取ったかは知らないが、前久公が住めなかったくらいに、足利家権威の象徴(菩提寺のように)になってしまった。足利家の管理が、いつから国宝(国の管理)になってしまったの?
113 :人間七七四年2008/02/06(水) 14:33:34 ID:xGCn31t/
戦国公家といえば一条教房もいるけど、前久とは立ち回りが大違い。
114 :人間七七四年2008/02/06(水) 15:06:11 ID:tDiJHWPa
こっちでその玄孫のこともかたってやって下され
【暗君】一条兼定【暗君】
http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1150878876/l50
115 :人間七七四年2008/02/16(土) 18:16:20 ID:DXxRYP2d
>>111
花の御所(室町幕府庁)は徳大寺家の邸宅を買ったものだよね。
116 :人間七七四年2008/03/01(土) 15:00:25 ID:7JPx7OY8
崇光院の御所・・・焼失→菊亭邸…焼失→花の御所、じゃない?
124 :人間七七四年2008/04/19(土) 21:00:27 ID:h40/Pqlm
摂家なら誰でも反対なんじゃないの?
豊臣家一家で世襲する予定なんだから。
125 :人間七七四年2008/04/21(月) 15:39:07 ID:TLyevH8J
内心どう思っていたかは別として、近衛さんは猶子にしてるから
126 :人間七七四年2008/04/28(月) 15:31:21 ID:v4Ts8Eg3
>>125
最初は近衛の猶子の「藤原氏」として関白職を受けたが、藤原のままだと関白職は
五摂家による持ち回りであるため秀吉の血族で独占できず、そこで「新摂家」としての豊臣氏を
創氏した。
129 :人間七七四年2008/05/26(月) 01:45:13 ID:VSsTvJ7l
>>110
確か朝倉かなんかの未亡人だったから、今で言うところのアウトレッドって奴だろう。
逆に石山本願寺から赤井のところに頼った理由を他に説明出来るんかいな?
131 :人間七七四年2008/06/12(木) 11:18:38 ID:Hysj4nYO
近衛家って今でも顔パス
アポ無しで皇居入れんの?
宮家くらいじゃないと入れない?
132 :人間七七四年2008/06/21(土) 20:19:43 ID:aS6t+TVJ
>>131
たしか次期当主の母親(現当主夫人)が三笠宮家だよ。
133 :人間七七四年2008/06/25(水) 18:17:59 ID:NT4KfKS6
>>132じゃあ三笠の宮家にはアポなしで行けるね。
134 :人間七七四年2008/06/30(月) 21:04:04 ID:uHss8lKj
>>133そおいうことです
136 :人間七七四年2008/07/01(火) 09:23:20 ID:ErOjUtWo
バカしかいなくなったな
ここは何板かくらいは理解しろ
137 :人間七七四年2008/07/01(火) 11:23:27 ID:3a5fynGN
なんで近衛晴嗣から名を変えたの?
めうえの貴人から貰った名を簡単に変えてしまってもいいの?
二条晴良や二条昭実から比べると軽薄な人柄だね
武家の例だけど
羽柴秀吉から貰った徳川秀忠でさえ改名していなのに
138 :人間七七四年2008/07/01(火) 11:25:52 ID:f1JLPO1W
>>137
この時代の、特に京都あたりの人間は、人生の節目だったり、心気一転を考えたりするごとに
改名してる。
139 :人間七七四年2008/07/04(金) 11:05:24 ID:7t3NHqO7
>>138
彼の他にも「足利義晴将軍」から貰った名を棄て去った人物はいるの?
「晴」字は改名しても使うべきだと思う。近衛晴久とか近衛晴前とかね。
140 :人間七七四年2008/07/04(金) 23:46:13 ID:FV29p8jj
>>138でも貴人から頂戴した方諱は普通変えない!!!
141 :人間七七四年2008/07/04(金) 23:58:31 ID:Jm+JQ2nW
上杉謙信は?
142 :人間七七四年2008/07/05(土) 00:37:36 ID:VsbDHP2s
>>141
俗名は上杉輝虎ちゃうの、変えてないんじゃないの?出家するまでは。
武田晴信もそやけど。
やはり近衛晴嗣が前久にしてしまったのは異常やな。
情も義理も薄いんとちゃう。
143 :人間七七四年2008/07/05(土) 00:45:32 ID:lFpDSelz
若い頃の近衛は熱しやすく醒めやすいね。
晩年は関ヶ原から逃げ延びた島津兵を匿ったりしていてカッコイイ。
144 :人間七七四年2008/07/06(日) 15:27:25 ID:rNjrMVQu
>>143
だいたい島津は近衛の家来なんだから
島津の罪は近衛の責任
島津の手柄は近衛の手柄
島津の領地は近衛の領地
146 :人間七七四年2008/07/06(日) 23:06:20 ID:U1LUKHaP
>>146
見殺しにした例が実際にあるの?
具体的に、どの時代に?
148 :人間七七四年2008/07/07(月) 00:17:18 ID:Tgc6XI2X
>>146
なんで興奮するwww
近衛の粗探しして難癖つけたいのか?
149 :人間七七四年2008/07/07(月) 13:11:20 ID:+8xvwxJf
流れをぶった切ってスマナイ、最初から読ませてもらった。
>>46
家康△じゃなくて○
松平から徳川へ改姓したとき朝廷への根回しをしたのが前久。
この縁で、本能寺の変後、※信孝が兵を送り捕らえようとしたのを逃れ家康のもとに行き、
信長の追善供養を行った。
(※光秀が二条御所を攻撃した時、隣接している前久の屋敷を使ったため、謀反に関わったのではないかとの疑惑から)

それから信長とは◎か☆
1575年信長は公家・門跡に対し一斉に知行を与えた。(最高で300石)
前久には破格の1500石。
この年、信長の意向を受けて九州へ、相良、島津の和睦斡旋目的。
コレが縁で家久上洛のおり光秀の手厚い歓迎を受ける。


151 :人間七七四年2008/07/08(火) 22:44:23 ID:o9CyaYJQ
>>137>>139>>142いいつっこみだね
同じ気持ちだ
将軍家に媚びて生き延びてこられたのに
あっさり晴嗣の名を捨てるとは・・・
同じ摂関家でも二条家代々のほうが、よほど誠実味がある
最後まで近衛晴嗣で通すべきだ
156 :人間七七四年2008/07/18(金) 21:06:45 ID:29vfLVhm
五摂家は対当のはずだよ?
近衛が五摂家筆頭なんて誰が言い出したの?
近衛だけがダントツ1位の名門みたいな言われかたじゃん?
157 :人間七七四年2008/07/18(金) 21:07:38 ID:zdWOGiYv
>>156
五摂家でググって調べてから書き込め
158 :人間七七四年2008/07/27(日) 18:14:20 ID:3p1AouxZ
近衛が圧倒的に筆頭だよ。
皇室典範でも皇族の男系が途絶えた場合、近衛家から臨時で摂政を出すことが明記されてる。
160 :人間七七四年2008/07/29(火) 17:24:35 ID:9YBBjwKT
>>158
第何条で、どんな条文ですか教えていただけませんか?
161 :人間七七四年2008/07/29(火) 17:25:49 ID:HhVhqll5
>>160
たまには自分で調べろよ
162 :人間七七四年2008/07/30(水) 12:13:26 ID:q1wmabMM
>>161オレも知りたい。教えてくれ。
163 :人間七七四年2008/07/30(水) 13:57:26 ID:TaG+WqSe
別人を装わなくてもいいから。
稚拙な釣りに引っかかる同レベルのバカは2匹もいないだろ。
戦国時代板で皇室典範ってマジで阿呆?
167 :人間七七四年2008/08/13(水) 15:38:29 ID:nhJQeVqZ
この人の影響なんだろうね、島津との繋がりは
168 :中国人?2008/08/14(木) 15:07:45 ID:ogny1kbl
>>167
中国人の子孫といわれる島津家の始祖
惟宗 忠久と近衛家との繫がりからじゃない?。
169 :人間七七四年2008/08/20(水) 12:38:49 ID:zmS3zTLU
>>168島津家って中国人の子孫なんだね。
日本の名門かと思っていたけど帰化した中国人の一族か。
まあ中国に一番近い県だから分かるような気がする。
170 :人間七七四年2008/08/20(水) 19:13:21 ID:U4Y1zlL1
惟宗がいまだに中国人呼ばわりされるんだったら純粋日本人なんて・・・
171 :人間七七四年2008/08/20(水) 19:22:58 ID:vAyBjRy1
レイシストに何言っても無駄。
日本人は日本列島から沸いて出てきたとでも思ってるんだろ。
174 :人間七七四年2008/08/20(水) 22:34:37 ID:Kx3kyFbE
島津が中国系とかどっからそんな話が出てくんだよw
れっきとしたゲルマン系だよ。系図でもそうなってる。
178 :人間七七四年2008/08/25(月) 23:02:17 ID:7EGVxF0I
>>170
家系図で中国人の子孫て自分から発表してるじゃん
黙ってたらわかりゃあしないのに
179 :奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM 2008/08/26(火) 00:44:39 ID:tLLYkaR3
近代日本人の定義は、朝鮮併合以前か戦前で区切るべきだと思う。
181 :人間七七四年2008/09/08(月) 22:32:31 ID:0rNjXQa3
島津は自他ともに認める中国人の子孫じゃん。
日本人の名門の近衛家が、よく家臣として使ったね。
中国に近い薩摩だから、中国人の子孫が適任と思ったのかなあ?
182 :人間七七四年2008/09/08(月) 22:35:28 ID:efwHKosz
>>181
日本語の読めないキミが日本人では無い事だけはわかった
184 :人間七七四年2008/09/21(日) 00:24:52 ID:U12oS9nz
>>181そうじゃないかあ。
薩摩焼は朝鮮焼だから
薩摩は大陸の影響が強いから
185 :人間七七四年2008/09/21(日) 23:00:08 ID:xQrjoYjU
チンギスハーンもウリの一族ニダ!ウェーハッハッハッ!
ってか?
190 :人間七七四年2008/11/18(火) 13:14:20 ID:rSEDC+ye
北は越後から南は薩摩までって、同時代にこれだけ移動した人いないよね
商人ぐらいか
192 :人間七七四年2008/11/18(火) 16:25:37 ID:5sECOe/D
それをいったら西国の大名の大半は朝鮮半と(ry
加藤清正とか今のシベリア辺りまで(ry
193 :人間七七四年2008/11/18(火) 17:54:54 ID:vu+4blV7
伊達政宗なんかも、東北から九州朝鮮半島まで。

まあ、南北朝の頃とかもっとダイナミックに移動しているけどな、大名も将軍も。
194 :人間七七四年2008/11/25(火) 01:13:16 ID:XbDE+kCF
>>193
南朝方の親王たちの流転ぶりもすごいからね。
195 :人間七七四年2008/11/25(火) 04:45:04 ID:G3t23vu7
赤松則繁なんて守護大名の一族から、倭寇になって朝鮮半島から東シナ海暴れまわっているなw
199 :人間七七四年2008/12/27(土) 14:58:32 ID:ypSW9B7X
現職の関白で前久ほど長く京都にいなかったひともいないんだろうね。


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