2011年01月12日

秀吉が大苦戦した中国戦線【対毛利・両川】2

1 :人間七七四年2008/11/14(金) 23:06:46 ID:mtz88MZm
前スレ
秀吉が大苦戦した中国戦線【対毛利・吉川・小早川】
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1184517821/


2 :人間七七四年2008/11/14(金) 23:07:42 ID:mtz88MZm
スレタイ文字数制限ギリギリだったので若干改変

てか前スレ1000…
1000で疑問系使った人初めて見たよ…
4 :人間七七四年2008/11/15(土) 08:34:19 ID:suzCvvI+
前スレ1000

1000 名前: 人間七七四年 [sage] 2008/11/14(金) 19:59:45 ID:y+7VLYXU
財政破綻したなら何故
四国、九州、朝鮮、関ヶ原であれだけ動員や負担が出来る?
豊臣政権下での普請は?
5 :人間七七四年2008/11/15(土) 11:08:04 ID:aF8F36U8
たしか秀次や家康から毛利は大借金してなかったっけ?
秀吉は秀次が金貸してるのを人気取りだと怒ってたような。
6 :人間七七四年2008/11/21(金) 17:18:51 ID:ehd/GCOn
本能寺の変が無かった場合、毛利はどうやって織田の侵攻に耐えればよいの?
7 :人間七七四年2008/11/21(金) 20:25:02 ID:6vFUqtWf
あれは高松城が陥落寸前で清水が腹切らされる前提な時点で詰んでるでしょ。
どうやったら降服が受け入れられるか、の方が現実味あるのでは。

ただ毛利が滅ぼされたら隆景も切腹かよくて高野山に追放だよね。
他の武将はともかく隆景は織田家にとっても引き込めれば使い道あると思うけど、勿体無いね。
10 :人間七七四年2008/11/22(土) 18:23:23 ID:S+seEKVK
あの和睦は秀吉が本能寺の変を察知した勝手にやったことで
信長が受け容れたかどうかは別だよね。
信やんはとりあえず自分が着陣するまでは許さないだろうけど、そこからどうするつもりだったんだろうね。
12 :人間七七四年2008/11/23(日) 02:27:16 ID:KCHQMxhU
毛利家降伏のタイミングもそうだが、信長としてはどういう腹づもりだったんだろうな。
14 :人間七七四年2008/11/23(日) 08:40:18 ID:sWHvzJUI
残すにしても大大名のままは残さんだろうな
半分以下に削って、あとは九州征伐の先鋒としてどれだけ頑張るか、だな
大した働きが無ければ更に削られて、手柄があればちょびっとだけ加増だな
15 :人間七七四年2008/11/23(日) 08:44:48 ID:PlOi59Wv
秀吉が北条を滅ぼしたのと同様に
信長が毛利を滅ぼす

秀吉には本能寺における追撃しなかったことから友好関係になってるが
信長には本願寺攻めの邪魔をしたり、義昭を将軍にして盛り立ててあくまで楯突いてる愚か者以外の情はない。
16 :人間七七四年2008/11/23(日) 12:48:48 ID:QDwYYrE7
山陰では毛利が攻勢に出てた。
南条は吉川に滅ぼされてホウキは毛利領に。
美作と因幡を巡って膠着状態になるんじゃないのか?
山陽は備中でこう着状態かな
17 :人間七七四年2008/11/23(日) 13:25:00 ID:PlOi59Wv
吉川元春ってビビって鳥取城行かなかったんだよな。
かわりの身代わりを派遣してサヨナラ
19 :人間七七四年2008/11/23(日) 21:38:57 ID:IxyEjf4r
ビビってかどうかは知らないが、元春自身は鳥取城救援には参加していない。

逆に羽衣石城攻略に失敗して撤退しているが、山陰では攻勢に出てたってなに?
20 :人間七七四年2008/11/24(月) 02:58:55 ID:0Gtbp41I
織田本隊と信長着陣、高松城陥落で浮き足立った毛利軍が撤退に失敗して
刀根坂の二の舞で一気に毛利滅亡ってのもありえなくもないよね。
21 :人間七七四年2008/11/24(月) 04:39:18 ID:EIhlX3Gh
十分有り得るけど安芸までは全然遠いから降伏する時間は有りそう。
毛利は武田と違い成り上がり大名だから一度大敗すると武田以上の連鎖的謀叛があるかもねー
22 :人間七七四年2008/11/24(月) 05:44:30 ID:A9fwuhD/
膠着が続くとかありえんだろ
最初のころは恵まれた状況で秀吉単体に押し込まれまくってるんだから
敵も次々増えてどんどん不利になってきてアボーンだろ
24 :人間七七四年2008/11/24(月) 12:01:05 ID:j1OZARtl
石見銀山とか公益で巨万の富を得ていても毛利には決定的に人材が不足していた。
武田の4名臣とか24将のような名のある武将が毛利にはいなかった。
毛利の敗因はこれが全て。
25 :人間七七四年2008/11/24(月) 13:12:43 ID:gAe/Ebe1
武田の24将は例になるのか?
言うほど傑出した人材はいなかったような・・・。
いたら滅亡してないっしょ。
まあ、毛利にはその名前さえ挙がるほどの武将はいなかったよなぁ。
27 :人間七七四年2008/11/24(月) 14:36:58 ID:Ydbo0E/t
雁首そろっても信長の罠に気付けずに主君を死地に誘い、最後にマンセー特攻して犬死にした猪武者を名将だの名臣だのと呼ぶ習慣はありませんから
29 :人間七七四年2008/11/28(金) 00:01:47 ID:C3NJ69Oy
備中高松のときって毛利は吉川元春や小早川隆景以外には誰が出陣してたの?
あまり主力が参加してないような気がする
あと足利義昭は出陣する気はなかったのか
30 :人間七七四年2008/11/28(金) 20:03:24 ID:OLt4rNvq
穂井田元清さんは備中高松に出陣してないよな
備中で戦略的に重要なのは松山城と猿掛城
高松が落ちてもまだ大丈夫
31 :人間七七四年2008/11/28(金) 20:25:49 ID:KUYvI62N
輝元、元春、隆景「割譲はしかたないが宗治の切腹は受け入れられない!」
32 :人間七七四年2008/11/28(金) 21:26:18 ID:OLt4rNvq
5カ国割譲よりも宗治の切腹だけの方が毛利にとっては遥かにおいしいよな
33 :人間七七四年2008/11/28(金) 22:32:44 ID:fSP8jIwG
まあ所詮小領主程度ですしね
同じ毛利の切腹でも吉川とはわけが違う
34 :人間七七四年2008/11/28(金) 22:48:27 ID:uhWipvHb
いやそれは違うわ。
吉川の場合は向こうから懇願されて飛び地へ司令官が言っただけ。
もっとも司令官と言っても当時の事だから人質に近い立場じゃあ
無いかな?
それに比べて清水は備中・美作の豪族連合内の一領主だから毛利
に取っての意味合いは重い。確か隆景の前で領主たちが数名で裏
切らないと血判してる。これを逆に毛利が裏切ったら反故になる
と思う。よって清水の切腹は毛利に取っても崩壊を前提とした重
大な賭けだったと思う。
35 :人間七七四年2008/11/29(土) 03:32:51 ID:fMsDHsyB
>>30
メイン街道から外れた備中松山なんて戦略的には意味がない。
無視して西進しても問題ない。
戦況が秀吉優位なら旧三村氏などの蜂起でそのうち勝手に落城する。
36 :人間七七四年2008/11/29(土) 13:46:57 ID:XVPY5/PS
>>24
中国地方の英傑は
元就お得意の和睦 ⇒ 呼び寄せて暗殺・毒殺 のパターンで殺されまくり。

37 :人間七七四年2008/11/29(土) 14:55:57 ID:bjxM8byk
備中で戦略的に重要な城って松山城と猿掛城じゃないの?
特に備中松山城は山陰と山陽を結ぶ地にある
38 :人間七七四年2008/11/30(日) 02:41:52 ID:OKT4aq3h
>>37
そうです備中で重要な城2つを挙げよとなると、規模松山城と猿掛城で
間違いないです。両方とも規模は他の備中国の城より大きく(松山城>
猿掛城)、そこに居城していた庄氏(猿掛城で平安から鎌倉の長きにわ
たり備中国最大勢力として君臨。のちに毛利の四男穂井田元清が庄氏の
棟梁として居城する。)と三村氏(松山城が本城。一豪族であったが戦
国時代に毛利の援助のもと備中を統一)が互いに備中国に君臨できた事
がそれを証明しています。
39 :人間七七四年2008/11/30(日) 08:07:53 ID:bx0Jnz/T
備中早期完全支配をするなら松山は必要だが
西進して毛利を瓦解させ追い詰めるなら、あんな山奥の松山は必要ないし兵力も無駄に割けない。
無視して備後を突けば松山なんて調略や国人蜂起などで自落する。
40 :人間七七四年2008/11/30(日) 12:46:07 ID:Ctlryo61
備中高松城ではなく猿掛城あたりに兵力を集中して決戦すればよかったのに
41 :人間七七四年2008/11/30(日) 12:50:48 ID:Ctlryo61
あとこの時代、高梁川や加古川などの大河を渡るときってどうやってたの?
ボートに乗せて兵士を移動させてたのですか?
43 :人間七七四年2008/11/30(日) 14:47:33 ID:TGQ9wVVe
船を並べて、その上に板を渡して、滑り止め用の藁とかを敷いて、橋にした。
44 :人間七七四年2008/12/15(月) 22:17:05 ID:d/BMSAvG
なんで秀吉は吉川経家に、切腹は必要ないと言ったの?
45 :人間七七四年2008/12/15(月) 22:53:04 ID:hw/6j2DO
秀吉は莫大に金のかかる城の攻めかたをしてるが、やはり信長が出してたんですかね。
47 :人間七七四年2008/12/15(月) 23:48:38 ID:oIqNexdM
>>45
秀吉が言われているような大規模な城攻め(水攻め)をしたとしたら
米にして75万石程度必要だと言われてる。これは毛利が北条攻めで
負担した額に近い。先ず当時の秀吉だけでは到底無理。実際、政務で
は秀吉以上に優れていた石田三成ですら水攻めは不可能だった。
思うに秀吉の水攻めは、自然災害を利用した(或いは偶然に)もので
あったか、或いは後世の創作が多分に入った物語。
48 :人間七七四年2008/12/16(火) 04:19:22 ID:ScFQAvhc
>>44
確か経家の鳥取城での肩書きはあくまで城主の代わりで城代だったから秀吉がお咎めなしにしたと聞いたことがある。
その代わり鳥取城の重臣連中には切腹を命じてる。

お咎めなしにしたのは毛利や吉川の怒りを必要以上に買いたくなかったのもあったんだろうな。
49 :人間七七四年2008/12/16(火) 21:29:13 ID:F9jduzcZ
鳥取城を落とすころには、ひそかに秀吉は毛利と誼を通じようとしてたのかな?
あるいは毛利を自分の配下にして、信長に対して反旗を翻すとか
50 :人間七七四年2008/12/17(水) 22:02:29 ID:GfVeOHII
>>47
宝暦治水でもそんなに掛ってませんよ
51 :人間七七四年2008/12/18(木) 23:14:53 ID:Jftj3VuF
>>50
だから嘘だと言ってる。
あの水攻めは僅か10日前後で完成している。しかも言われてる規模はちょっと
したダムだ。辻褄を合わせる為に、そこで使われた大量の土塁は近隣の住民に
米を交換で運ばせたとあるが到底信じがたい内容である。
52 :人間七七四年2008/12/19(金) 21:24:18 ID:nqgcSjRA
よく大雨の中で築堤工事なんてできたな
もし雨が降らなかったらどうするつもりだったんだ?
53 :人間七七四年2009/01/12(月) 00:08:14 ID:iFHzj1mj
>>29

というかあれが毛利の限界兵力ですよ。最初の頃は5万以上の大軍を播磨に出したりと勢いあったけど例年の戦争続きで毛利氏も財政的にきつくなっ
ていたので動員に限りがあった。あと農繁期なんで中小豪族の兵隊を大動員なんかしてたら今年の収穫に影響する。無論、そういう豪族に当然織田方の
調略は伸びてるので戦の最中に寝返りされるのを警戒して動員しなかったこともあるのだろうけど
56 :人間七七四年2009/01/17(土) 21:04:31 ID:THRQXTAd
>>48
たしか吉川経家が頑なに助命を拒んだので秀吉は困って信長に伺いをたてたよな
「経家は切腹するって言ってますが切腹させてもいいですか?」ってさ

助命の理由は
「客将だから」
「指揮ぶり奮戦ぶりを称えて」
「経家を死なせるのはおしいから(経家の名将ぶりは知られていたらしい)」とか色々言われてるけど
鳥取落とすのに経家の切腹を信長にわざわざお伺いをたてるって事は
助命の件は信長の意向もあったのかな?

なんにしても助命して領地へ帰還させる事を約束するなんて破格の扱いだよな
57 :人間七七四年2009/01/24(土) 20:42:15 ID:1NOrpTKv
経家は奮戦したといえるのか?
何もできずにたったの4ヶ月で落城じゃん
60 :人間七七四年2009/01/25(日) 03:26:08 ID:Zg0u6frM
山名が作戦を狂わせたのであって経家は落ち度なし
鳥取陥落は山名の自業自得、阿保すぎる
61 :人間七七四年2009/01/25(日) 06:51:43 ID:/Kn+j53n
しかし経家の助命はめちゃくちゃ寛大な処置だよな。
織田家に敵対したうえにしかも毛利家の一門だから普通は殺すんじゃないかって思うのに助命するってのがよく分からないんだよなあ。

最も経家自身が何も出来ないままおめおめ帰るのを恥と思ったから切腹を申し出たのかもしれないな。
62 :人間七七四年2009/01/25(日) 07:06:21 ID:wqTGdE4b
本能寺の時何日遅れでもいいから秀吉追撃しようとは思わなかったのかな?
63 :人間七七四年2009/01/25(日) 09:26:47 ID:rzgygF0H
毛利の中に親織田勢力を作る工作のひとてじゃないか?
経家が無事に戻ることも毛利家中で疑心暗鬼になるのかもね。
64 :人間七七四年2009/01/25(日) 10:13:15 ID:hmKfytxC
>>61
毛利一門じゃない。乗っ取られた被害者側。
65 :人間七七四年2009/01/25(日) 13:53:38 ID:DtHt9b1a
備中高松のときに清水宗治は何で勝ち目の無い毛利についたの?
清水は義の人だからというけど、備中兵乱のときは清水は主家を裏切ってるジャン
66 :人間七七四年2009/01/26(月) 12:19:39 ID:BaEkUdml
>>62
宇喜多が抑えと残っているので追撃してもあまり効果はってとこかと
67 :人間七七四年2009/01/26(月) 17:09:23 ID:PEQ70INU
追撃しなかったのは正解だろう。
あそこで播磨まで追いかけていったとしても中央の争いに巻き込まれるだけだ。
68 :人間七七四年2009/01/26(月) 23:19:52 ID:sy/+559g
>>62
農繁期だから皆急いで帰りたかったかと。田んぼって植えたあとの手入れ大変だから。あの農繁期に
3万も動員してたら豪族の不満もでかかったんじゃないの?
69 :人間七七四年2009/02/14(土) 17:46:01 ID:4crygfo6
毛利は一方的にやられただけなの?
秀吉陣営を追い詰めたケースは無いの?
70 :人間七七四年2009/02/14(土) 19:15:49 ID:g/Fa4gkL
いや上月城を陥れた辺りは押していた。
それ以降はやられっぱなし。

逆に言えば、最初だけだった。
72 :人間七七四年2009/02/15(日) 02:01:24 ID:exYBeenN
>>70
適当な浅知恵で質問に答えるなバカ!
74 :人間七七四年2009/02/15(日) 06:58:38 ID:YY+peQ3A
ない。熊見川は大軍で撤退命令で撤退した秀吉後ろから襲っただけ
吉川元春は南条の羽衣石城にひっかかってた。
76 :人間七七四年2009/02/15(日) 12:38:34 ID:twIl2gbp
>>74
正確には吉川元春の作戦は
鳥取城を春までもたせその間に南条攻略し軍を整える(鳥取城は力攻めで一度も落ちた事のない堅城)
しかるのち、軍勢を引きいて秀吉軍と戦う作戦
その先兵として吉川経家を鳥取に入れたが…
蔵がからっぽ…山名家臣の阿呆共が高値に釣られ米を売っていたのだ

吉川経家「なぜ大事な米を売った!」
山名家臣「経家殿が持って来てくれると思って…」
吉川経家「山陰は難路ゆえ船で急いで来たのに多くの物資を持ってこれるわけあるまい!(激怒)」
山名家臣「どうしよう…」


鳥取が兵糧がないため陥落寸前との報告を受け慌てたのは吉川元春
南条攻略中だが経家を見捨てる事などは到底出来ない
作戦変更を与儀なくされた元春は現時点で集められるだけの兵を集めて急いで出発
しかし間に合わず鳥取陥落
元春は「ここで引いたら毛利の名がすたる」
と自軍の何倍もの軍勢の秀吉軍と対峙し決戦を覚悟する
が秀吉は元春との決戦を避け諸城に「絶対城から出て元春軍と戦ってはならぬ」と告げ播磨に引く

元春も南条が後ろに控えてるし目的の鳥取救援を果たせない今となってはこれ以上の進軍は意味がないので兵を引いた


よって南条が吉川を足止めしていて援軍が間に合わず、と言うのは適切ではない。
正確には「山名家臣の阿呆共のせいで援軍が間に合わず」
77 :人間七七四年2009/02/15(日) 14:32:04 ID:g0AbbfWk
随分と元春びいきな解釈ですな

あと現在は、羽衣石城攻囲に、鳥取城救援に元春は参加していないと考えられていたのでは?
78 :人間七七四年2009/02/15(日) 14:51:15 ID:N76UkHIA
秀吉はせっかく元春を叩ける好機だったのになぜ逃げているんだ
元春を討ち取れれば山陰は制圧したも同然なのに
よほど元春を恐れていたんだな
79 :人間七七四年2009/02/15(日) 14:57:57 ID:N76UkHIA
あと備中高松の役のときに元春ら山陰勢が秀吉の留守を狙って鳥取城奪還に動けば
面白かったのに。
80 :人間七七四年2009/02/15(日) 15:33:05 ID:vnXk1NIG
吉川元春が退路の橋を打ち壊して背水の陣を敷き目を血走らせて構えてたら秀吉じゃなくともビビる
死兵にあたるべからず
81 :人間七七四年2009/02/15(日) 15:39:32 ID:twIl2gbp
>>77
はしょりすぎたか?
はしょりすぎて誤解が生じたならスマン
よく読んで見て。いつ羽衣石城攻囲中と書きました?
それとも南条攻略中てので元春自身が羽衣石城攻囲中と誤解したのかな?
元春は山陰の総指令官だから南条攻略中は間違いではない

鳥取救援に先発した元長は羽衣石城を包囲して元春の到着を待った
元長を出したのも鳥取救援の為で羽衣石城包囲もその一環だが?

元春も急いで駆け付け翌日には因幡って所で鳥取陥落を聞いた
それで元長を羽衣石城の押さえに残し元春は対秀吉に


秀吉との対峙の際、実際には小競り合いはしている

十月二十八日、秀吉は蜂須賀小六家政を大将として羽衣石城に兵糧を補給させようと発足を命じたが、松ノ崎において元春の鉄砲隊の攻撃を受け、その武将の一人を失った。
それが導火線となり決戦が始まりそうになったが秀吉がそれを制した

兵力は元春軍は六千とも八千とも
秀吉軍は三万とも六万とも
資料により異なる
82 :人間七七四年2009/02/15(日) 16:54:27 ID:Fxm/KTLm
六万はありえない。秀吉の動員力なんて播磨や但馬、近江の兵なら三万
でも多すぎな気がするわ。
てか海上から物資の補給しようとして秀吉がそれを撃退したと谷口氏が書いてたが?
結局南条も降せず城に補給間に合ってるし。
83 :人間七七四年2009/02/15(日) 16:55:43 ID:N76UkHIA
毛利の重臣は何人も討ち取られたり切腹してるのに、織田・秀吉側で死んだ重臣はゼロ
対織田でこれだけ一方的にやられたのは毛利だけだろ
上杉や武田や本願寺と比べると毛利はしょぼい
84 :人間七七四年2009/02/15(日) 18:19:58 ID:twIl2gbp
結果的に上杉、武田、本願寺のほうがしょぼい事になっているがな
85 :人間七七四年2009/02/15(日) 21:41:19 ID:tbUENaQu
上杉は毛利と同じくらいの石高を保持できただろ
というか対家康でも上杉と毛利はどちらも戦うことなく同じ石高にされているし
上杉と毛利は一卵性双生児かというくらい行動が似通っている
86 :人間七七四年2009/02/15(日) 22:20:08 ID:exYBeenN
尼子勢全滅、織田信忠の援軍、ってこれだけで十分事態が緊迫しとるって判るだろ…
87 :人間七七四年2009/02/15(日) 22:25:02 ID:Fxm/KTLm
信忠の援軍来てたのなんて一時期だけ。播磨中の国衆が別所に合わせて蜂起
してるのに結局切り取られたし。
後半になると秀吉は四国の三好への支援も平行してやってるくらいだった。
88 :人間七七四年2009/02/15(日) 23:10:27 ID:twIl2gbp
その援軍が別所など播磨を押さえてたんだが?
もしかして秀吉一人で平定したと思ってんの?
後、機動力の差だな
安芸から播磨方面と畿内から播磨
出雲から但馬と播磨から但馬に行くのとじゃ
明らかに前者が難路で距離も違う
だから毛利の援軍が間に合わない&出す前に城が落ちてる事が多い
当然決戦もないから毛利の主力は残ってるわけだ(秀吉が避けてた説もあるが)
水軍が行った所で囲まれたりして近づけなかったり内陸にある城に補給なんて難しい

毛利も平行してる
上杉も平行してる
みんな平行してる
国力比べたらじり貧なのは当たりまえ
毛利、上杉、武田も勝てないのに他の家が当然勝てるわけない
局地戦で勝てても信長(&信忠)を倒さない事には本願寺のように何年粘れるか、何年苦しめるか、だけだ
しかし粘った家は本能寺と言う幸運に奇跡的に巡り逢えた
本能寺まで粘れなかった家は残念だったな
90 :人間七七四年2009/02/17(火) 01:03:06 ID:SwCpY9AV
>>85
上杉と毛利が同じ石高…っていうくだりはちょい違う気がするわ。
上杉は結果的に本能寺の変時点で残り20万石程度。対する毛利は未だ100万石程度の国力を維持してた。

豊臣政権時代に同じく120万石に成ったが、どうも秀吉の関東の差配は非常にいい加減な印象が高い。
例えば木村吉清のようなぱっとでの三流武将に30万石や、蒲生のように12万石の大名に92万石とかまあ言い出せば切りがない。
上杉の場合は本能寺の変後に実は国力を高めてる。実質20万石程度だった国力を17年掛けて45〜(金山の権利を得たので石高では単純に測れない財力を得た)万石程度まで高めてる。
(もっともこの時期毛利は毛利で親族・旧家臣合わせて190万石(これまた鉱山資源あり)程度まで高めている)

上杉120万石ってのは蒲生騒動のあとの空白地の布石に置かれた碁石のようなものだ。
実際秀吉はその年に亡くなり、景勝が上洛するもその翌年帰国した後は城普請を急がせ1年もせずに家康からの詰問状並びに上杉討伐という流れになる。
上杉120万石など歴史をきちんと見れば実態の無い数字だと言うのが解るのだが、どうもそういった事が言われないのは情けない。
91 :人間七七四年2009/02/17(火) 07:32:33 ID:SO8txp5u
上杉は本能寺の後北信濃四郡+小県と上野北部の真田領、出羽庄内、佐渡を手に入れてる
金山等副収入入れなくても90万石くらいある
92 :人間七七四年2009/02/17(火) 23:09:19 ID:44bMFg/a
武田だって滅亡する一ヶ月前くらいまでは100万石くらいあったでしょ
結局信長の前には上杉20万石も毛利100万石も大差ないよ
93 :人間七七四年2009/02/18(水) 00:19:08 ID:7YVw1fAF
差は大きいだろ
しかし一ヶ月で0は記録的早さ
まさに速き事、風の如し
95 :人間七七四年2009/02/18(水) 03:15:13 ID:il0WrvbF
>>91
なんでそんな嘘を言うのか良く解らん。
それらが同時に領地化できてたか?最盛期を見積もっても石高45万石程度って言うのは多くはあっても少なくはない。
だいたい90万石国って何?景勝の17年の治世の間、大幅に開墾されたと言われる越後ですら会津移転前直前の太閤検地で39万余石ですよ?
佐渡を合わせても石高は41万石国程度が正式な移転前の上杉の石高です。
ただし、当時の上杉の財力、動員力を考えれば実高(金山収入等々を含めれば)はその倍近くあったと予想されると言われているだけ。(俺個人はそんなのは上杉ファンの寝言だと思ってるが)

ただ会津は太閤検地が上杉旧領に比べて確りなされていた分、実高分で融通の利く大名個人の直轄地が削られた形になってしまい、大幅な増加であった筈の移転後に不平が噴出したのは確か。
96 :人間七七四年2009/02/18(水) 07:58:19 ID:mq9iOja7
佐渡と出羽の庄内、北信四郡は領地化してる。真田領は
真田から人質もらったりしてるし領土扱いか微妙だがこれ含めないなら
毛利だって減りそうだ。90万石って直江兼続(新人物往来者)やら各県市町村史やら
に書いてたと思うが。金山など副収入も入ってたかは知らんがお前こそちゃんと
歴史わかってんの?北信四郡だけでも12万石くらいあるんだけど45万石って頭大丈夫
中途半端な知識で書き込まないほうがいいよ恥晒しだから。
出羽や北信が上杉の領地じゃないと本気で言ってるなら一から戦国勉強しなおした方がいい
97 :人間七七四年2009/02/18(水) 09:00:09 ID:1B7UTntn
毛利本家直轄領だけなら毛利もかなり減るぞ。
関ヶ原での毛利軍の分裂ぶりは各家の利害が絡んで対立してたくらい支配権を確立してないからね。
99 :人間七七四年2009/02/18(水) 10:48:13 ID:1B7UTntn
備中高松城での秀吉との和睦合意自体が土下座して軍門に降ったも同然だが。
信長が生きてたら備中高松城落城→国人離反→三村残党蜂起→武田末期と同じ→一気に織田軍が安芸へ肉薄し輝元自害は確定事項。
100 :人間七七四年2009/02/18(水) 11:15:24 ID:mq9iOja7
魚津が落ちたのは本能寺翌日です。
蘆名も新発田支援してたしまさに四面楚歌
101 :人間七七四年2009/02/18(水) 11:36:32 ID:1B7UTntn
加賀から始まって魚津落城までけっこう時間かかったじゃん。
103 :人間七七四年2009/02/18(水) 13:29:16 ID:h7H2l//6
宇喜多か三村の選択で宇喜多を選んだ三村騒乱
その後に宇喜多が羽柴に寝返り打った時点で備前備中は毛利としてはどうしようも
ないと思うんだけどね
備中高松失ってもその隙に美作に再進出していた吉川が美作から備前備中を
伺えば安芸どころか備後にも進めないだろ
105 :人間七七四年2009/02/18(水) 15:49:09 ID:8Hv/k3+U
 比較論で言えば、毛利は安芸、石見、周防、長門、備後など数カ国保有で、背後の大友は弱体
一方、上杉は越後本国だけで四方から包囲されてる。
毛利はまだ3カ国くらいは残して軍門に下る可能性はあるけど、上杉は完全に滅亡だろうね。

信長はプライドを捨てて、信玄、謙信に相当気を使っているから、その復讐を込めて
武田は徹底的に残党狩りしてるし、上杉も同じ運命だったはず。
106 :人間七七四年2009/02/18(水) 17:03:46 ID:il0WrvbF
>>96
失礼、にわかな者で出羽庄内の14万石が抜けてた。
45万石というのは越後、佐渡の石高をだけ書いていたのを見て私が勘違いしたものだった。
(もっとも太閤検地では越後39.1万石、佐渡1.7万石で合計45万石も無いのだが見る本によってここら辺は流動的)
北信四郡はそれを放棄することによって佐渡、出羽庄内の切り取りが許され、その後の合戦によって得た佐渡、庄内の領地と合算するのは可笑しいと言って置く。

まぁなんにせ、移転時の出羽庄内の石高をすっぽり抜かして語るようなにわか者は、これ以上の恥の上塗りは避けてROMっとく。
107 :人間七七四年2009/02/18(水) 17:30:24 ID:mq9iOja7
北信四郡を放棄なんてしてないんだが‥。
どんな本でも出てくると思うが秀吉は信濃を上杉、徳川で分けるよう処置してる。
108 :人間七七四年2009/03/06(金) 20:48:11 ID:wD3YkNsn
>>99
外交上手な隆景がいるからそれはない。
あと、毛利の家訓はプライドを捨ててもとにかく生き残れだ。
信長としても真の目的は唐入り征服だから秀吉に上手に毛利を傘下に入れて
中国北九州を唐入りの拠点として使いたかったはず。
信長が生きてたら適当なところで毛利は降伏して傘下に加わるだろう。
本当に毛利を滅ぼしたいのなら秀吉や光秀のような外交上手なものを中国攻めに起用しようとしない。
109 :人間七七四年2009/03/07(土) 22:21:13 ID:fgXabv/M
秀吉って最初5000しかいなかったのに負けるなんて毛利ダサすぎ。
毛利も居城移すこと無かった戦略眼の無いボンクラ共だしレベル低いよね。
のちに秀吉の世になっていちいち行動が遅いって怒られてようやく広島城に移った時点で笑えるほどの田舎大名。
110 :人間七七四年2009/03/13(金) 00:19:08 ID:6frpiPR5
「三道併進策」

将軍足利義昭の求めにより1576年五月、吉田郡山城にて毛利は織田との開戦を首脳会議で決定した。
二ヶ月後、木津川口の戦いで織田軍を破り、かくして七年にわたる毛利・織田の戦いが始まった。
1576年十一月、輝元は吉田郡山城中に首脳を集め東上戦を開始する事を決めた。

?毛利輝元、小早川隆景が山陽道から備後・播磨を経由して京に入る。
?吉川元春が山陰道から但馬・丹波を経由して京に入る。
?能島、来島、因島(三島村上氏)、児玉などの毛利水軍が淡路の岩屋を拠点に摂津か和泉に上陸して大阪を衝く(三道併進策)

実際における毛利の攻勢は1578年の播磨上月城の戦いがピークで優勢だったが1579年以降、毛利の勢力は後退していく。
結果として三道併進策は改められた。


※上月城の戦いにおける播磨国周辺の情勢

○毛利軍
☆備中国
松山城(本陣)
毛利輝元35000
☆播磨国
太平山
吉川元春15000
大亀山
小早川隆景20000
川筋高地
宇喜多忠家14000(直家は傍観したかったが許されず。病気と偽って忠家を名代に立てたが後に毛利が勝ちそうになると慌てて戦陣に駆け付けた)
播磨灘
毛利水軍
浦宗勝・児玉元助700隻5000(播磨灘に展開、海上を封鎖)

三木城
別所長治10000(篭城中)
●織田軍
高倉山本陣
羽柴秀吉17000
小犬丸
佐久間信盛・荒木村重13000
東播磨一帯
筒井順慶・滝川一益・他国人衆42000(毛利に通じ背いた別所長治の立て篭もる三木城の押さえのため動けず)

上月城
尼子勝久・山中鹿之介3000(篭城中)


☆結果
秀吉軍は毛利の大軍に手も足も出ず本陣を守るのが精一杯で動けず。
進退きわまった秀吉は信長直々の出馬を仰ぐが信長の断は「上月城を見捨てよ!」
秀吉は上月城の救援をあきらめ撤退を図るが毛利軍に察知される
熊見川の戦闘にて痛撃を浴び、一時は総崩れの危機に瀕する散々の退却であった
(これ以降、秀吉は毛利との決戦を避けるようになったとも言われる)

尼子勝久・氏名兄弟、嫡男、豊若丸は自害し上月城は開城。
山中鹿之介は一命を助けられ周防に領地を与えられる事になったが毛利輝元の密命により赴く途中の備中松山の高梁川の渡しで謀殺された(吉川元春説もあり)。
吉川元春、元長父子はこのまま東進を主張したが却下される。
111 :人間七七四年2009/03/13(金) 06:49:21 ID:f8nF0ZRK
残念ながらウソです
毛利は信忠軍に恐れて播磨から逃げました
112 :人間七七四年2009/03/13(金) 11:56:17 ID:bd9K+IZn
上月取り返しただけで他播磨の諸城は陥落したしな。
荒木が後ろで反旗翻したりして大変だったのに…
113 :人間七七四年2009/03/13(金) 19:29:23 ID:6o7X5L7o
上月城の時、6万動因した毛利軍はなんでそのまま秀吉殺しに行かなかったんですか?
なんか毛利って戦略ヘボいというか機をみる目が無いというか無能ってイメージしかない。
114 :人間七七四年2009/03/13(金) 21:08:21 ID:JittALos
宇喜田直家亡き後急ごしらえで当主になった忠家にすら撃退されたりして追い込めなかったしな。
同じく裏切った小領主南条も屈服できず羽衣石に物資運び込まれてるし。
115 :人間七七四年2009/03/13(金) 21:20:57 ID:6frpiPR5
宇喜多も毛利に撃退されてる

結局、羽衣石も毛利に落とされてる
116 :人間七七四年2009/03/13(金) 22:29:37 ID:EF0pcHoD
>>113

兵站の問題だろう。宇喜多みたいにいつ裏切るか分からない連中が背後にいる中で
戦線を拡大するのは危ない。しかも長期戦になって兵站が伸びてくると補給にも困り簡単に退
却できなくなる。
117 :人間七七四年2009/03/13(金) 22:45:53 ID:gVWALeC7
海上のルート使うか、現地調達はできないの?
118 :人間七七四年2009/03/13(金) 23:13:16 ID:Itxwzg+N
撃退といっても、美作寺畑城の時は宇喜多本隊は間に合わず、元春が他へ向かった後に到着して殆ど奪い返されてる。
目標だった備中〜伊賀氏・竹内氏・中村氏〜医王山城〜草苅氏〜因幡へのラインは結局不安定なまま。
対宇喜多で始終優勢だったのは備中と、水軍の援けがある児島ぐらい。
119 :人間七七四年2009/03/14(土) 10:45:19 ID:wXc1E6jv
>>116
その問題は毛利より不安定な播磨を策源地にしてる秀吉の方が深刻だろう。
戦略目標だった三木城を救援できなかった時点で毛利ヘボす。
備中高松城での切腹和睦なんて秀吉への降伏同然の処置。
120 :人間七七四年2009/03/14(土) 11:01:41 ID:kXlUvMVY
毛利の領国は一国あたりの石高自体は高くないがたくさん国持ってるし
どの国も海に面してるし交易収入も多く得られそうだし
他にも石見銀山の収入にも恵まれてるから経済的、国力的にももっとよい戦果を出せそうなもんだよなぁ
121 :人間七七四年2009/03/14(土) 11:20:52 ID:wXc1E6jv
毛利は日本有数の鉄の生産地も持ってたし、
大内氏の後継者として中国や朝鮮との交易もしてたと思われ。
堺〜大坂へは主要な商売地だったから石山本願寺を助けて織田と戦ったんだろう。
122 :人間七七四年2009/03/14(土) 11:46:06 ID:oKhLpvt3
毛利ってやろうと思えば1575年、秀吉が播磨来た時点で播磨手に入れることもできたのにやらなかったんだよな。
やっぱり馬鹿だわ。
無能、優柔不断、出し惜しみ全て兼ね備えたアホ。
123 :人間七七四年2009/03/14(土) 13:18:31 ID:jypB/qQp
1582年の時点だって山陰では吉川元春が因幡侵攻を目指していて攻勢に出ていた。
結局、隆景の意向で元春らは備中高松に行くことになったけど。
別に滅亡寸前に追いやられていたわけではないでしょ。
秀吉が毛利と和睦しようとしたのは膠着して行き詰った証拠でしょ
124 :人間七七四年2009/03/14(土) 14:44:20 ID:NPcZ2JZG
吉川は羽衣石城攻略に失敗して撤退しているが、山陰では攻勢に出てたってなに?
三木、鳥取、備中高松とすごいスピードで落とされてるし行き詰ってない。
しかも秀吉は淡路平定や四国に軍派遣して三好への支援も平行でやってるくらいの余裕ぶりだった。
125 :人間七七四年2009/03/14(土) 15:32:23 ID:oKhLpvt3
尼子見捨てて信長に泣きついて信長にも見捨てられて引き篭もってた秀吉が余裕だったってw
126 :人間七七四年2009/03/14(土) 16:22:47 ID:igtTOgSE
>三木、鳥取、備中高松とすごいスピードで落とされてる
には笑える

たぶん秀吉一人だけで毛利相手していたと思ってるゆとりなんだろうな
大友の動きに隆景が水軍を北九州方面に回した事実とかを多分しらないんだろな…

秀吉の戦略は他の方面軍と違い金がかかり過ぎる
毛利とまともに戦うのが怖かったんだろな
毛利主力がくる前には引いて、また出ては引いて…
織田の財力のおかげだな
織田軍だから出来るワザ
127 :人間七七四年2009/03/14(土) 17:09:42 ID:JaIQRU+N
大友は九州にかかりきりでそれどころじゃない。wikiにはデタラメ書いてるけど。
領国が宗教問題で混乱してた上に島津が北上、78年の耳川敗戦後は領国内で反乱が相次いで
龍造寺に次々侵食され豊後一国と筑前半国に逼塞させられてる。
大体大友と毛利の対戦はかなり前に一段落ついてたし。
谷口克弘氏も信長は大友と外交関係を持ったが出兵はなかったと書いてるけど?

大軍動因できるのに南条すら滅ぼせないゴミ雑魚大名がどうかしたか?w

来る前に引いてというかその間に南条、宇喜多があったから衝突しなかっただけ。
その前なら秀吉を襲うチャンスは普通にある。荒木の離反が起こったり秀吉の後方だって
地盤が不安定だし
128 :人間七七四年2009/03/14(土) 21:27:31 ID:igtTOgSE
馬鹿か?
よく大友余力はないっていってる奴いるけど
実際に信長の要請で大友の動きはあったし毛利が事前に水軍まわして威圧したんだよ!
大友は形だけで実際攻め込むつもりも余力もなかったとは個人的には思うがな


宇喜多も両川さった後に掠め取るだけ
南条はほっといても侵食される事ないから早々に囲みといて元春は美作や隠岐の反乱鎮圧にと各地に転戦してんだよ
南条は後回しにされただけだろ
実際、南条孤立してるからほっといても問題ない
一段落ついた後は本腰入れて毛利は南条降してるじゃん
お前は表面だけで本質が見えてない
129 :人間七七四年2009/03/14(土) 22:04:59 ID:c7AEgDIW
>>117

>現地調達はできないの?

織田家のようにカネに物を言わせるやり方なら可能だろうけど毛利家の経済力で
それができたやら。強制徴収なんかしてたらそこの豪族連中を敵に回してしまうことに
なるし。結局、カネの問題がでかいのかもな。
130 :人間七七四年2009/03/14(土) 22:23:41 ID:c7AEgDIW
ちなみに信長が高松城救援に来着していた場合、織田方に総勢はどれくらいになったのだろう?
秀吉の直属が10000人くらいで、宇喜多が15000人くらいとすればそれに明智の12000人と
細川・筒井の与力の10000人くらいとして約5万くらい?織田のほうでそれ以上の動員予定はあっ
たのだろうか?
131 :人間七七四年2009/03/14(土) 22:43:34 ID:krhi297p
400年以上も前の出来事を浅学無謀な人間が
談議しても話しにならない。
中国地方での織田・毛利間の諸戦闘に
ついて、専攻して何年、何十年と学んだ者
ならば多少の考察もあって然るが
俄・付焼刃の一端の知識で語ったところで
単なる自慰的行為にしかならない。
又、歴史上の人物についてもその行動の
批評はよしとしても、「輝元ヘボスw」などの
中傷は、当時に生を受けたものでない以上、
その真髄を見極めることは不可能にして
許されるものではない。
132 :人間七七四年2009/03/14(土) 22:55:20 ID:gsNQdmJE
>>128
んな記述は見た事ないがお前ちゃんと歴史知ってんの?w
事の本質とは小領主南条すら屈服できず宇喜多とも美作で撃退されたり一進一退。
その間ものすごいスピードで侵略されまくった事だけ。
相当知識ないみたいだから一から毛利史学びなおしたら?

南条降してないけど?まともに知らないのに知ったかやめとけw


ぼくの大好きな吉川はすごいんだもん w


小早川も輝元も無敵だもん w    ってか?

   
馬鹿がwww
133 :人間七七四年2009/03/14(土) 23:47:48 ID:igtTOgSE
お前こそ馬鹿だなw
織田との開戦から本能寺まで七年
八十年代の数年で速攻の一言で片付けてほしくないものだ

>南条降してない
秀吉との和議の後、今までほうっていた南条攻めに本腰入れてるの知らないの?
無知だねww
134 :人間七七四年2009/03/14(土) 23:59:24 ID:k2yilw6h
>>132
>南条すら屈服できず宇喜多とも美作で撃退されたり一進一退。

元春が撤退したのは、南条とは白兵戦で自軍も多数の負傷者がでたためで
戦自体は元春の圧勝だったはず。

そして>>133も言ってるが、秀吉との和議の後南条攻めを行い城を再び落としてる。
南条が羽衣石城に帰ってきたのは1584年だよw

これの何処が一進一退なんだ?
135 :人間七七四年2009/03/15(日) 00:12:29 ID:jiG/Wutm
秀吉は最初の頃は北陸出兵や松永攻囲といった別の仕事も平行でやってたし
そもそも動因できる兵なんて毛利に比べたらごく小数。

秀吉との対戦時の話をしてるのに和議の後(笑)

死ねよバーカ
136 :人間七七四年2009/03/15(日) 00:56:36 ID:a/Hwquxt
いくらなんでも秀吉が過大評価されすぎだろ…
秀吉には信忠の援軍やら信長直属の部隊が援軍に来てるじゃん
139 :人間七七四年2009/03/15(日) 11:46:52 ID:9mEsfG11
>>134
>元春が撤退したのは、南条とは白兵戦で自軍も多数の負傷者がでたためで
>戦自体は元春の圧勝だったはず。
城を落とそうとやってきたら、その前の白兵戦で大損害だして城を攻める
事も出来なくなって撤退。
普通はこれ、城側防衛側の勝利と判定される戦ですね。
目的である城も落とせなかったし南条氏を屈服させることもできなかったし
軍には大損害を被ったけど、戦は勝利したんだよ!ですか。

>そして>>133も言ってるが、秀吉との和議の後南条攻めを行い城を再び落としてる
つまり秀吉がいたときは全く落とせなくて、秀吉が本能事後の混乱の為に
軍を畿内に戻して手薄になった隙に、ようやく南条単独を相手にして城を
落とせたのですね吉川軍は。
それにしてもこれ、普通に条約破りにならないか?
140 :人間七七四年2009/03/15(日) 13:06:02 ID:8ayDiM53
なんで条約違反なんですか?
一応、南条は織田方にはついたが秀吉直属の家来ではないのですよ?
味方の一国人衆にしか過ぎません

毛利は和議がなって他方面に兵を割く必要が無くなったから
放置していた南条攻めを本格的に再開しただけです

毛利としては南条は反乱者、裏切り者であって成敗は当然

秀吉が文句言う筋合いはないし、あの状況では毛利に文句などとても言えないですよ
141 :人間七七四年2009/03/15(日) 13:13:53 ID:8ayDiM53
補足すると宇喜多と毛利も領土問題で対立してる
秀吉は仲介するぐらい
当時の秀吉との力関係はその程度
143 :人間七七四年2009/03/27(金) 11:47:42 ID:4hq8egYG
毛利は勝っていたと言っている厨房のほうが痛いけどな
播磨摂津から備中伯耆まで戦線が後退してるジャンwww
>>140
条約違反になるだろ
南条も宇喜多も織田方の豪族なんだから
144 :人間七七四年2009/03/27(金) 15:45:26 ID:304msOHR
馬鹿か織田方であって
ただの盟友、国人だ
それに信長死んどるだろが
145 :人間七七四年2009/03/27(金) 17:17:57 ID:4hq8egYG
だから何?
織田と南条が対等な盟友というのは違う
織田方とは服属しているということ
仮に秀吉が毛利方の村上水軍を攻撃したら約定違反になるだろう
146 :人間七七四年2009/03/28(土) 19:05:24 ID:yUOT17YD
だから信長死んどるだろが
秀吉と織田の違いわかる?
148 :人間七七四年2009/04/08(水) 18:35:00 ID:u6hDOecN
>>146は訓練されたスレスト
149 :人間七七四年2009/04/18(土) 08:47:24 ID:qwzGdjzr
経家に切腹しなくてもいいと言ったのは秀吉?それとも信長?
敵方の城主に切腹しなくてもいいなんてどういう狙いがあったのだろうか?
清水宗治は切腹させたのに
150 :人間七七四年2009/04/18(土) 12:49:02 ID:CjE82gJS
>>149
経家は派遣城主に過ぎないし
151 :人間七七四年2009/04/19(日) 22:25:10 ID:tF2lt4HQ
派遣城主といったって、毛利は当時敵対してた相手だし、切腹させた方がよかったんじゃないの?
なんで秀吉は毛利に気を使ってたんだ?やはりビビッてたのか
152 :人間七七四年2009/04/19(日) 22:39:46 ID:TfpuQx+a
毛利三家のうち一家をうまく取り込んで毛利家の結束を崩そうとしたんじゃないの?
歴史的には吉川家に恨まれて小早川家に好かれたけど
153 :人間七七四年2009/04/20(月) 00:22:54 ID:N+bedgfM
歴史的には小早川家も隆景死後の冷遇を恨んで家康に擦り寄ったからな
毛利三家のうち二家をうまく家康に取り込ませて毛利家の結束を崩したと言う方が適切かも
154 :人間七七四年2009/04/20(月) 20:47:31 ID:mG1SSNv4
隆景死後の小早川家は
もはや毛利勢力の一員ではないように思う
155 :人間七七四年2009/04/23(木) 03:24:42 ID:4tzRPKTD
>>149
秀吉はお百姓出身だから、人殺しが嫌いなんだよ
清水宗治は本能寺の変があったから、仕方なく殺した
156 :人間七七四年2009/04/26(日) 18:36:37 ID:lD0cnyq1
上杉や武田はあっさりと滅亡or滅亡寸前
秀吉と一進一退の攻防を繰り広げた毛利はたいしたもんだよ
158 :人間七七四年2009/04/26(日) 19:42:01 ID:nh+2vVyQ
武田のように長篠でのダメージや多方面戦略で疲弊してたわけでもなく
上杉のように内乱で自滅し別働隊が飛騨から送られ能登、越中の衆が織田へ降り下越で新発田が乱を起こすなどの
苦しい状況にあったわけでもなく遥かに恵まれた条件で対織田戦を迎えられたのに
ボロクソにやられまくる毛利は弱すぎる
159 :人間七七四年2009/04/26(日) 19:43:01 ID:q29IkHt0
秀吉は大苦戦したのか?
追い詰められてたは毛利と思ってたが
160 :人間七七四年2009/04/26(日) 19:45:29 ID:vUy1e+Ps
そもそも秀吉なんてどこ行っても醜態晒してるゴミ武将だからな
兵数に頼らずうまくいってるのは中国戦線くらいだ。
161 :人間七七四年2009/04/26(日) 19:45:51 ID:jI+xYncu
>>159
>>1から読んで少しは考えてレスしろ
162 :人間七七四年2009/04/26(日) 19:50:31 ID:hR6+J3EM
79年〜本能寺までの間で
宇喜多直家亡き後急ごしらえで当主になった忠家にすら撃退されたりして美作で一進一退

同じく裏切った小領主南条すら降せず羽衣石に物資運び込まれてる。
対南条戦、城を落とそうとやってきたら、その前の白兵戦で大損害だして城を攻める
事も出来なくなって撤退。
弱すぎだなw
163 :人間七七四年2009/04/26(日) 20:03:09 ID:q29IkHt0
関ヶ原の毛利、吉川、小早川の失態ぶりを見るとホントにあほかと
毛利輝元は大坂城で茶でも飲んでだのか?w
本家は吉川家に助けられなんとか存続
情けないの一言に尽きる
164 :人間七七四年2009/04/26(日) 20:16:39 ID:vjLJhDDv
吉川は秀吉に冷遇されていたし
小早川も隆景の死後は領地没収処分を受けて家康に助けてもらった身だから
別に彼らの失態ではない
輝元だって叔父の力を借りず自分で出陣して戦った経験はないのだから
大阪城を出て戦うなんて不可能だよ
165 :人間七七四年2009/04/26(日) 20:45:21 ID:Ecw+i9z4
それにしてもあれだけ大軍持ってて総大将担ぎ出されて何もできずに大厳封喰らうのは酷すぎる
166 :人間七七四年2009/04/26(日) 21:54:50 ID:vjLJhDDv
元々毛利の軍事体制は全て隆景と元春が担当しており
二人の死後の毛利はそもそも戦闘する態勢ができていないんだよ
輝元が色気出して総大将に担がれたけど
体制が何も整備されていないから戦うこと自体に無理があった
167 :人間七七四年2009/04/28(火) 20:56:42 ID:zOLjlH4B
>>166
毛利家の軍事及び政治は輝元・隆景・元春と福原貞俊・口羽道良による
合議制で決めてるのであって隆景と元春に全権を与えてるわけでは」ないぞ
戦闘する態勢がないとかいうけど普通に隆景と元春いない関ヶ原の戦いで戦っている(本戦は戦っていないけど)
なんか城からでなかったから経験がないとか体制が整備されてないとかいうけど
ただたんに城から出る余裕がなかっただけじゃないか
168 :人間七七四年2009/04/28(火) 21:14:51 ID:NaSsB73P
備中高松のときに秀吉が信長に援軍を求めたのは大苦戦していた証拠
信長自ら出陣を決めたのは、それだけ毛利が勢いを盛り返していた証拠
169 :人間七七四年2009/05/03(日) 22:17:38 ID:24tBPbLl
今やってる大河ドラマでも秀吉が一人で毛利倒したら信長に目をつけられるから
信長に援軍を求めたという設定になってるな。
つーかこのどんでも説の根拠は何なんだ?
170 :人間七七四年2009/05/03(日) 23:02:32 ID:wv49ts8v
「元就が死んだ後の毛利なんてザコでしょ?秀吉が苦戦するはずないじゃん。」
という現代人の多数意見を採用したんだろ
171 :人間七七四年2009/05/03(日) 23:54:06 ID:Tys80UtK
秀吉が苦戦したのは別所であって毛利ではない
それにスレタイとして『毛利が大苦戦した南条、宇喜多』の方が正しい
172 :人間七七四年2009/05/04(月) 00:01:28 ID:8gOkX8i3
79年〜本能寺までの間で
宇喜多直家亡き後急ごしらえで当主になった忠家にすら撃退されたりして美作で一進一退

同じく裏切った小領主南条すら降せず羽衣石に物資運び込まれてる。
対南条戦、城を落とそうとやってきたら、その前の白兵戦で大損害だして城を攻める
事も出来なくなって撤退。

雑魚と言われても仕方ないな
173 :人間七七四年2009/05/04(月) 00:19:33 ID:LqIC/c8e
宇喜多基家が元清さんにボコられたではないですか
174 :人間七七四年2009/05/04(月) 00:37:40 ID:+hLfnim5
つか苦戦していたとしても大名同士、織田VS毛利が正しいのに織田家の一軍団長である秀吉VS毛利になってる時点ですでに毛利追い詰められてるんだがw
175 :人間七七四年2009/05/04(月) 01:02:50 ID:VNQWn+qc
>>173
といっても、美作寺畑城の時は宇喜多本隊は間に合わず、元春が他へ向かった後に到着して殆ど奪い返されてる。
目標だった備中〜伊賀氏・竹内氏・中村氏〜医王山城〜草苅氏〜因幡へのラインは結局不安定なまま。
対宇喜多で始終優勢だったのは備中と、水軍の援けがある児島ぐらい
177 :人間七七四年2009/05/04(月) 08:46:25 ID:LqIC/c8e
美作における最重要拠点は祝山城だとおもうけどこれは完全に秀吉・宇喜多側が抑えていたの?
一方、虎倉は毛利が抑えて備前と羽衣石のルートを遮断したんだよね?
一方的というより互角だったんじゃないの
179 :人間七七四年2009/05/04(月) 14:54:11 ID:b7qC+TE2
その理由も述べずふんずりかえってるお前が一番のへたれだな
180 :人間七七四年2009/05/04(月) 20:12:28 ID:d6lVaheJ
79年〜本能寺までの間秀吉の経略の対象の主眼は美作ではなく播磨、但馬、因幡などであり
また淡路を平定したり四国に上陸して三好への支援を行っていたわけで
宇喜多・南条はほとんど秀吉の支援なしで毛利と戦っていた。
79年〜本能寺までの間で
宇喜多直家亡き後急ごしらえで当主になった忠家にすら撃退されたりして美作で一進一退

同じく裏切った小領主南条すら降せず羽衣石に物資運び込まれてる。
対南条戦、城を落とそうとやってきたら、その前の白兵戦で大損害だして城を攻める
事も出来なくなって撤退。

雑魚と言われても仕方ないな
毛利が弱いか宇喜多南条が強いかどっちかだが関が原の時の醜態や対織田戦前半の大チャンス
を逃し、大軍動員できるのに何もできずやられまくった点などを考慮すると前者の方がしっくりくる
181 :人間七七四年2009/05/04(月) 20:40:46 ID:1n3GdoMO
毛利ですごいのは元就だけ。
吉川小早川は完全な過大評価 輝元は相当無能
182 :人間七七四年2009/05/04(月) 20:55:24 ID:k68mkG2B
輝元時代の毛利なら長宗我部、大友、三好、宇喜多あたりの方が格上だろうな。
183 :人間七七四年2009/05/04(月) 22:46:57 ID:hpwei/Fi
いや輝元のほうが上だろ
両川も対大友、伊予平定では連戦連勝だったし
秀吉時代の毛利は四国、九州、朝鮮では大活躍だし、まともに戦えば毛利はなかなかじゃないか

南条、宇喜多は織田の支援があったし
当時、毛利は腰を下ろしてじっくり攻略出来る状態ではなかった
あっちこちに兵を出さないといけないから
かと言って毛利が主力を出しても秀吉、宇喜多、南条はまともに毛利主力と戦わない
で結局、去った後にそれらは動き出す
宇喜多は主に備中ではなく毛利が兵を送りにくい美作に手を出し
両川出て来たら防戦、両川去ったら毛利領に手を出すの繰り返し
南条も篭ってれば時間をかけられない毛利は去る
結局、本腰いれたら南条攻略できたし

いつまで同じ事言ってるの?
前スレ読めば?
毎回、時間が立つと南条、宇喜多の繰り返し
184 :人間七七四年2009/05/04(月) 23:14:38 ID:sVgw1XXZ
そっちこそ何回同じ事言ってんの?
南条宇喜多に毛利が手間取ってる間秀吉は播磨但馬因幡の経略が中心で
淡路や四国への派兵も同時して行っている
南条への秀吉方の支援は間に鳥取があるため鳥取攻略後物資を行われたもので
それまで秀吉は鳥取にかかりきり。

時間的距離的問題を言うのなら海路使うなり何なりすればいいだけで長時間
軍を貼り付けられないとする根拠はなんだ?
あっちこっちと言っても対織田戦に集中できる状態としか言えない
大分県史等郷土史料類見てもわかるが大友は宗教問題での混乱⇒当時島津の攻勢&領内の国人の反乱&竜造寺の侵略
で一杯一杯
というか70年代初頭に一応交戦状態は一区切りついてその後両者の関心は別方面に向けられてる
185 :人間七七四年2009/05/04(月) 23:20:14 ID:v4OiQ6IX
最初の播磨での攻防で大チャンスなのに秀吉軍襲わない所見ても、決戦避けてるのはむしろ毛利の方だと思う
あんだけ広い領地あれば防衛に適したラインなんていくらでもあるだろ
朝鮮、四国、九州でそんな大騒ぎするような活躍したか?
どう見ても豊臣軍の一角で圧倒的兵力、物資に依存してただけにしか見えんが
186 :人間七七四年2009/05/04(月) 23:48:08 ID:XaMm5Z1Y
対南条戦で秀吉が去った後持ち出して降したとか言われてもな
宇喜多に回してた兵を南条戦に使えるようになっただけだろ
187 :人間七七四年2009/05/05(火) 01:31:09 ID:ggZBVtJO
高松城の攻防戦で信長に出陣を促したのは、信長に花を持たせるための秀吉得意の
ヨイショだと聞いたが・・
その時点で毛利は財政破綻寸前で負けは確定的だった。
もし余力があれば、もっと早く高松城を救援するのではないか?

どっち道、関ヶ原での毛利一族のへタレ振りを見れば毛利は終わっていたと言うことよ。
188 :人間七七四年2009/05/05(火) 02:59:12 ID:bwVR8Ppc
>>184
海路と簡単に言うけど大規模な運搬はまず無理だろ
そんな事もわからんのか?
まず大規模な港が必要だし、ただでさえ中国地方は山ばっかりだし
どこでも上陸出来ると思ってるの?
それに毛利は水軍をまず対大友や瀬戸内に回してるし
因幡、伯耆、美作、隠岐といろいろ転戦。
隠岐の島の隠岐為清の反乱とか知らないだろ?
そういう鎮圧などいろいろやってんだよ
吉川元春配下の山陰の諸将達も小早川隆景の要請を受けて山陽に転戦する時文句言ってる。連戦連戦でな
まあ知らないからそういう発言出来るんだろうけど
>>185
播磨で秀吉襲っただろ?
決戦さけたのは秀吉のほう
鳥取落としても城兵に絶対出て毛利と戦わないよう言ってるし、吉川軍と戦わず自分はさっさと帰ってしまうし
あんまり良く知らないだろ?
四国の伊予平定、北九州での大友では連戦連勝だし
秀吉の四国では伊予方面から毛利の功績は大だし(もともと繋がりもあったし)
九州では龍造寺に手を差し延べたのも毛利だし
その事によって肥前、肥後などはすぐ平定できた。
西方からの進軍が予想より早いから日向方面に兵を集中していた島津が慌てて戦線縮小しただろ
朝鮮でも毛利の功績大、諸将や三成はいちいち小早川隆景に意見や承認求めていたし
あんたが知らないだけだろ?
九州での動きや朝鮮の合戦は自分で調べろ説明するのが面倒
>>186
だからまともに戦えばと言ってるんだがなんだそりゃ?
南条も宇喜多も織田の後ろ盾がなければ毛利に反旗を翻す事はなかっただろう
じゃあ何故、南条も宇喜多も毛利の傘下にいたんだ?
独力では対抗しきれないら屈服したんだろ?
事実、支援が無くなったとたん毛利に対抗しきれず南条は落ちた。
なんか間違いがあるか?
>>187
ヨイショは説の一つで毛利の大軍見て信長に救援を要請したという説もあるし
あんまりあてにはならんでしょう
遅いのは仕方ないでしょう
中国地方の険しい地形に加えて
吉田に兵を召集してからの出立だからね。(山陰なら出雲)
かなり時間はかかる
そこが秀吉軍との差だし
安芸と播磨との備中の距離を考えてみたまえ
中国自動車道を通った事はあるか?
山ばかりだぞ、さぞ昔は大変だっただろう
「その時点で負け」と言う君の見解はわからんでもないが
備中はまだ入口だし毛利に主力が残ってたのは事実だ。
関ヶ原での毛利一族のヘタレ?
毛利秀元、末次元康、小早川秀包は違うぞ
小早川秀秋は一族ではないし
広家はやり方が間違いなだけでヘタレではない朝鮮では名将ぶりを発揮してるし加藤清正も認めてる
それとも輝元の事か?
少なくとも一族と言うほど大袈裟な事ではないな


それに私は>>182に対してのレスだし
まともに戦えばなかなか強いと言っただけだ
その事に対してのレスならわかるがお前らは的外れだし
あまり中国地方の事を知らないようだな
189 :人間七七四年2009/05/05(火) 08:33:05 ID:knS3KwbN
中国地方は港が多く海路の運搬に適している
>>180のいうようにまともに戦って毛利軍は南条宇喜多に見事撃退されてる
だから戦ってはひいて、などと持ち出すのは完全な的外れ
そもそも四国征伐では長宗我部は河野氏すら屈服できてなく、伊予金子氏も帰属が揺れている状況
出雲〜ほうきに侵略する方が播磨〜鳥取への侵略と比べて遠いなどということはない
対大友戦に回してるという根拠はなんだ?郷土史料とかに書いてないが
南条も結局単体で相手にすりゃ屈服できるが宇喜多と同時に相手では屈服できないのが明白
>九州での動きや朝鮮の合戦は自分で調べろ説明するのが面倒
結局お前は何も説明できんでほざいてるだけの馬鹿って事だ
190 :人間七七四年2009/05/05(火) 08:57:27 ID:bwVR8Ppc
フフフ、まあそれでお前の気が済むならそれでもいいさ
相手にして損したわ
この程度とはww
191 :人間七七四年2009/05/05(火) 09:00:48 ID:hhwenMpq
毛利ってやろうと思えば1575年、秀吉が播磨来た時点で播磨手に入れることもできたのにやらなかったんだよな。
やっぱり馬鹿だわ。
無能、優柔不断、出し惜しみ全て兼ね備えたアホ。
192 :人間七七四年2009/05/05(火) 09:12:17 ID:3OZ8imy8
そもそも大勢力vs小勢力の大名で交戦する場合、小勢力の方が交戦ポイントに近いのがほとんどだろ
大勢力は領土広いから本拠地が交戦地域とは遠いケースが多く時間がかかる。
距離的問題があるから小勢力を追い込めないというならほとんど全ての大名同士の交戦に言えるな
193 :人間七七四年2009/05/06(水) 00:53:00 ID:V2IDAh4v
>>189
オマエほんと何も知らんなw

白兵戦でボコボコにされたのは、南条のほうなんだって。



194 :人間七七四年2009/05/06(水) 03:58:33 ID:msyi/SZK
つーか播磨まで入ってその後はどうするんだ?
俺なら不安でそんな所まで中入出来んぞ。領土拡張を狙った戦争でもないし。
毛利は本願寺に畿内で頑張ってもらうつもりじゃなかったの?
まぁ完全に失敗したけど。
195 :人間七七四年2009/05/06(水) 06:18:34 ID:UWt5RjKe
>>193
城を落とそうとやってきたら、その前の白兵戦で大損害だして城を攻める
事も出来なくなって撤退。
普通はこれ、城側防衛側の勝利と判定される戦ですね。
目的である城も落とせなかったし南条氏を屈服させることもできなかったし
軍には大損害を被ったけど、戦は勝利したんだよ!ですか。
196 :人間七七四年2009/05/06(水) 10:57:08 ID:WQxVkxt0
毛利一族のヘタレぶりがそのまま豊臣家の没落につながっていく
ある意味これだけ徳川の天下に貢献した一族はないのではないか?
貢献度はピカ一だが大減封w
福島家や加藤家と同じで、権現に利用された代表格のお家だわな
197 :人間七七四年2009/05/06(水) 11:59:16 ID:RRG4n3LD
柴田は数年で魚津を落城寸前、越後も目前というくらい窮地に追いやるほど上杉を追い詰めた
一方、秀吉は5年以上掛けてもまだ備前と備中の境界
秀吉は毛利に苦戦しすぎだろ
199 :人間七七四年2009/05/06(水) 12:33:44 ID:ugtzabHl
武田のように長篠でのダメージや多方面戦略で疲弊してたわけでもなく
上杉のように内乱で自滅し別働隊が飛騨から送られ長や神保の活躍等で能登、越中の衆が次々織田へ降り
下越で新発田が乱を起こすなどの 苦しい状況にあったわけでもなく
遥かに恵まれた条件で対織田戦を迎えられたのに
ボロクソにやられまくる毛利は弱すぎる
200 :人間七七四年2009/05/06(水) 12:39:35 ID:RYRmSBGB
播磨、但馬、因幡、備中高松とすごいスピードで攻略されたからな
後半になると淡路攻略、四国での三好支援も同時でやるほどの余裕ぶりだし。
苦戦してたのは別所&播磨国衆であって毛利ではない。
熊見川も軍記にしかないし。
あれが苦戦なら光秀の丹波攻略や柴田の加賀攻略の方が遥かに苦戦だわな


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