上杉謙信のどこが義の人なの??★管領家★  細川氏総合スレ  ★応仁勝者★

2011年01月12日

脇坂安治と仙石秀久について語れ

1 :人間七七四年2009/03/11(水) 16:34:14 ID:TEzyIlll
脇坂安治・・日本より韓国で有名な戦国武将。明智光秀に仕えて武名をあげるも秀吉に転身。
七本槍になったが、朝鮮では大勝利と大敗北を経験。関ヶ原で裏切ったが唯一加増され、大坂の陣では中立を守った

仙石秀久・・秀吉古参の家臣。織田信長からも武勇を賞された、戸次川の戦いで島津に大敗して改易。小田原戦で大名に戻った。関ヶ原以後は徳川に服従したため息子が離反。


2 :人間七七四年2009/03/11(水) 16:36:48 ID:TEzyIlll
豊臣恩顧といえば加藤清正・福島正則・石田三成だが
せっかくキャラが濃いのにマイナーな脇坂や仙石の知名度をもっと上げたい
3 :人間七七四年2009/03/11(水) 16:53:08 ID:QiwBj1ak
脇坂は大坂の陣で中立なのかと。
4 :人間七七四年2009/03/11(水) 17:02:22 ID:frbDE6xG
センゴクは四国、九州征伐で先鋒
つまり捨て駒ww
5 :人間七七四年2009/03/11(水) 17:03:21 ID:5ZyUnLw4
仙石は司馬遼が書いた戸次川のイメージが強すぎてなぁ
センゴク天正記のお陰で再評価されて本当に良かった
6 :人間七七四年2009/03/11(水) 17:24:08 ID:i//nQe9i
仙石は秀吉をして天下を取る器と評されたほどだしな。
家康が最も警戒し、懐柔につとめた名将。
8 :人間七七四年2009/03/11(水) 17:39:45 ID:TEzyIlll
>>6
最初の文の主語を今の大河ドラマの主人公に置き換えてNHKが宣伝中

>>3
脇坂は出陣を命じられながら二度とも国元から動かず
9 :人間七七四年2009/03/11(水) 19:29:11 ID:APOgd7qS
>>5
後任軍監で真逆の方向でやらかした尾藤知宣や
小牧長久手でやっちゃった神子田正治ら他の所領没収組が結局殺されてる中
何だかんだで大名として復帰してるのはもっと評価されてもいいよな>仙石
11 :人間七七四年2009/03/11(水) 23:57:22 ID:fNqcF5kS
>>4
先鋒=捨て駒とか突っ込み所が多すぎて

まあネタなんだろうけど
12 :人間七七四年2009/03/12(木) 12:26:53 ID:bXck/NRt
>>9
家康がとりなしたから

二人とも5万石の大名じゃもったいないぐらいの活躍だ
13 :人間七七四年2009/03/12(木) 12:48:20 ID:yVzLqfZE
>>4
九州征伐まで仙石は秀吉の配下の出世頭だけどね
14 :人間七七四年2009/03/12(木) 17:00:26 ID:TDz6lBZY
(例外として秀長を除けば)仙石って確かにありえない速度で加増されてるような。
信長直臣で寄騎なんだっけ?それとも秀吉直臣だっけ?
15 :人間七七四年2009/03/12(木) 18:15:25 ID:lBLOB0eQ
信長直臣で寄騎。
だが秀吉以外には寄騎に行ってないから実質直臣みたいなもんだが。
美濃攻め以降戸次川まで20年近く仕えてんだよね。
17 :人間七七四年2009/03/12(木) 20:56:29 ID:80e6fzDp
秀吉の直参がへぼ過ぎて泣けてくる
家康に天下を取られるわけだ
18 :人間七七四年2009/03/12(木) 20:59:10 ID:2L9ke30S
仙石は、武士としては優秀だが、将としては最低。上司に気に入られるのが上手い。というイメージ。

脇坂も世渡り上手か。
19 :人間七七四年2009/03/12(木) 21:15:59 ID:yVzLqfZE
>>18
仙石がタイプの違う信長、秀吉、家康、秀忠4人の天下人の部下として働いてたが
4人共仙石のこと気に入ってた

上手というよりもう天才だな
20 :人間七七四年2009/03/12(木) 21:37:41 ID:gsZoKAYS
これだけ実力あるのに知名度が低い&悪いのは、やっぱ戸次川が原因だよなぁ…
この一つの戦で、全てを台無しにした感がある

まぁ、それでも復帰しているから、やはり実力はあるんだよなぁ…
21 :人間七七四年2009/03/12(木) 22:10:52 ID:fcXVm8Xe
秀吉が自分の一字を与えて跡継ぎに据えようとしたほどだしな。
可愛さ余って憎さ百倍というやつだろう。
23 :人間七七四年2009/03/13(金) 01:08:55 ID:3oH4c+SA
戸次川の大敗が大げさというけど実際に大敗だろ

長宗我部の嫡男が戦死して長宗我部元親は海を越えて日振島へ敗走
現職の大名の十河存保は戦死
大友の重臣・戸次も戦死
そして仙石は海を越えて領地の讃岐へ逃走
25 :人間七七四年2009/03/13(金) 03:03:39 ID:SPrrzZ2q
確かに戸次川級の大敗なんてあの時代でもそうそうはないだろ。
自分の判断ミスで戦死させた長宗我部信親について元親に詫びたとか慰めたとかって話もないし、
同様に戦死させて(生駒の横槍で)断絶された十河家に何のフォローもないしな。
降格された自分の身だけは、わけのわからんスタンドプレーでカバー。
上司に気に入られるのは上手いが、同僚にはしたくないな、コイツは相手を利用することしか考えてなさそう。

脇坂は丹波の赤井さんに毛皮を譲ってもらった創作話とかあるし、数少ない水軍の将だし
当時はそれなりには注目されてたんじゃないかな。ただ同期の清正と正則の存在がでかすぎちゃうだけで。
26 :人間七七四年2009/03/13(金) 03:23:29 ID:UPDd2y1q
仙石秀久が戦場で目立つ為に全身に鈴をつけて戦ったっていうエピソードは好き
27 :人間七七四年2009/03/13(金) 05:32:03 ID:Vvjt0M8/
戸次川の異説を宮下英樹に期待してしまう俺ガイル
何か余程の理由があって引き上げたんではないか…と
ただヘタレで逃げられたのでは信親や十河が哀れすぎる

>>26
仙石原のエピソードですね
小田原の役は戦らしい戦が殆ど無くて、仙石と井伊直政だけが戦果を上げたんだっけな
28 :人間七七四年2009/03/13(金) 08:05:45 ID:ijpmPPi4
仙石は派手な活躍はないが多くの戦を生き抜き
諜報だの城普請とか地味な仕事を地道にこなして
出世したんだよな。
便利な部下に一人いると助かるタイプだったんだろうけど
経歴として戸次川が浮いてる気がするね。
29 :人間七七四年2009/03/13(金) 09:34:22 ID:L8A+IUSi
仙石は忠犬って印象
で、名犬ではく単なる猛犬。
臭いで誰が一番強いのか察知し逆らわないって意味での賢さはある
30 :人間七七四年2009/03/13(金) 09:37:59 ID:SPrrzZ2q
戸次川が浮いてるわけではないでしょ。
四国の時も長宗我部相手に敗退してたはず。
更に(どこまで史実か知らんが)上田城攻めの時に力攻めを主張して真田昌幸に翻弄された逸話もあるし。

だいたいあの島津家久相手の野戦なのに、秀吉の自重しろって命令も元親の警告も無視して
たいした対策も採らずに自分の力を過信して突撃して壊滅とか、将として無能としか言いようが無い。
平時や小身の部下としてなら上司にとって使いやすいけど、一軍の将としてはダメダメなイメージ。
31 :人間七七四年2009/03/13(金) 09:54:51 ID:SPrrzZ2q
>>27
井伊のはともかく、仙石のは戦果って程のものでもないような。
戦果というなら、散々城を落としまくった上杉・前田・真田の北国勢や徳川勢、
城を短期間で落としすぎて秀吉に、もうおまえのは戦功に数えねーよといわれた浅野勢とか一杯いるけど。
特に北国勢は大道寺を降して道案内にして、八王子の撫で斬り、北条氏邦の鉢形城すら陥落とエピソード一杯だけど。
32 :人間七七四年2009/03/13(金) 10:35:19 ID:qkqthbRO
>>31
他の大名は支城を落としたけど、仙石は小田原の虎口を落とした
しかも領地召し上げられた浪人の身分で手勢を率いて攻め落としたから
大したことないってのはないだろう
33 :人間七七四年2009/03/13(金) 11:13:45 ID:Ixb2JNp+
>>25
>詫びたとか慰めたとか
正直長宗我部厨が
前年秀吉に滅亡間近までぼこられて頭下げて必死の機嫌取りで参陣してるという事実を黙殺して
一端の恩顧大名気取りなのが解せん。
34 :人間七七四年2009/03/13(金) 11:28:21 ID:51Lie2ly
>>27
無知なキミは黙ってなさい。
でなきゃ、丑三つ時に八王子城址へ行って、じっくり話し聞いて来いw

>>31
石田三成の忍城水攻め失敗も、エピソードに入れといてやれよ

>>32
仙石の小田原城虎口陥落は感状モノの武功だね。
でなきゃ帰参なんて、普通は許されないだろう。
35 :人間七七四年2009/03/13(金) 12:34:19 ID:3oH4c+SA
水攻めは秀吉が直接命じたからな(三成は反対したが君命に逆らえず)

大敗したといえば脇坂も李峻臣に大敗して一族失ってるし
その後に挽回して3千石加増されたけど、「負けたけど後に復活」という意味では二人は似ている
36 :人間七七四年2009/03/13(金) 13:13:54 ID:SqlyN6Ys
センゴクで権兵衛の撤退命令を聞かず信親 存保無駄死にみたいな描かれ方してたらやだなぁ…
37 :人間七七四年2009/03/13(金) 13:19:20 ID:JfX5f0d0
大丈夫。史実でも長宗我部親子、存保全員討死するはずのところを
秀久の鬼神の奮闘で元親が助かってるから。
作者もそのへんはわかってると思うよ。
40 :人間七七四年2009/03/13(金) 13:53:54 ID:qxVEOtmj
逃げたわけじゃないだろ。あれは転進。
万が一の島津の侵攻に備えていち早く小倉の守備を自ら固め、海上ルートで薩摩攻撃の準備をした。
悪天候のため運悪く船が讃岐に流されてしまったが、それは結果論にすぎない。
41 :人間七七四年2009/03/13(金) 14:14:44 ID:3oH4c+SA
センゴクで描かれる戸次川の妄想

仙石「ここは豊前の毛利勢と合流して・・」
長宗我部元親「毛利殿の加勢など要らぬ。一気に前進して叩き潰してしまえ」
十河存保「その通り。毛利と合流して戦っては、勝っても毛利に手柄をなさしめるだけでござる」
長宗我部信親「わしが先陣を相努めようぞ!島津ごとき我が一領具足が粉砕してくれるわ」
仙石「しかし関白殿下から勝手に戦うなとの御沙汰が・・」
長宗我部元親「戦には臨機の処置が必要で御座る。大坂は遠い。手柄をあげれば関白殿下は大いにお褒めくださろう」
大友義統「島津はまこと恐ろしいでござるよぉ」
長宗我部信親「ふんっ、そんな根性ゆえ、大友の家は滅びかけるのよ。臆病風に吹かれたうつけキリシタンめが!」
十河存保「仙石殿と大友殿はここにおられよ。我らの手で島津を成敗し、首を持参仕る!!]
長宗我部親子「おーーーーー!!」
仙石「あいや、待たれよ、待たれよーーー!!!」

長宗我部と十河は総崩れとなり、大友は戦わずに逃亡
仙石は命がけで長宗我部を救出するという奇跡を演出
そしてみずから進んで讃岐の領土を返上したのであった(味方を置いて讃岐へ逃亡した史実はスルーですが何か)



42 :人間七七四年2009/03/13(金) 14:25:39 ID:4Pa4SkXX
>>41
おもろいじゃん。
讃岐へ逃亡は後世の創作だからなくて正解。
43 :人間七七四年2009/03/13(金) 14:29:48 ID:lWmuvehm
仙石が讃岐まで逃げたのは、戸次川で手勢が壊滅したので、軍勢を再編成する為だったのかもしれない。
44 :人間七七四年2009/03/13(金) 14:32:47 ID:XIO5NRsX
>>41
置いてって言っても大友は最初から出てこなかったし、元親も領国まで逃げ帰った
大敗したんだから、まず本国の防御を固めてから再起を図るのは割と一般的だったと思う
九州はもちろんだが、当時の四国も豊臣政権に降伏したばかりだし、仙石が信頼できる
のは手勢しかないから、もし大友や長宗我部が島津側に着いたら小倉にとどまるのは危険だろう
似たような状況で信長も金ヶ崎から一気に岐阜まで逃げ帰ったし、結果的に逃げたけど
それほど責めるべきことでもない
あえて責任を問うなら降伏したばかりの四国勢を九州征伐に使った秀吉に責任があると思う
45 :人間七七四年2009/03/13(金) 14:47:28 ID:3oH4c+SA
1586年9月 仙石秀久ら四国軍が大友氏の本拠地・豊後府内上陸
 
1586年10月 毛利輝元・吉川元春・小早川隆景が豊前小倉城を落とす
         

1586年12月5日 島津家久が豊後鶴賀城を包囲

1586年12月12日 戸次川の戦い(長宗我部信親・十河存保・大友家重臣の戸次統常戦死)

1586年12月13日 島津家久が大友氏の本拠地・豊後府内を制圧

1586年12月24日 毛利軍が豊前香春岳城を落とす(高橋元種降伏)

1587年1月1日  豊臣秀吉が兵糧30万石の用意を石田三成・大谷吉継に命令

1587年3月1日  豊臣秀吉が勅使に見送られて、8万の大軍で大坂を出陣

46 :人間七七四年2009/03/13(金) 14:53:23 ID:3oH4c+SA
仙石が讃岐へ逃れた後は毛利軍が島津と戦うことになった(後に宇喜多軍が加勢)
47 :人間七七四年2009/03/13(金) 18:51:47 ID:Ixb2JNp+
>>45
改めて見ると12月5日の段階で
大友義統にやる気とカリスマの神様が降臨して1日で家中を糾合して戦闘態勢に入らん限り
府内まではどうやっても落ちるな。
48 :人間七七四年2009/03/13(金) 23:15:54 ID:WrfhLd6r
良スレの予感

取りあえず漫画「センゴク天正記」が戸次川の合戦編になるまで、このスレが維持されるように願うw
まだ手取川の合戦編に入ったばかりだから、10年近く先の話になるけどw
49 :人間七七四年2009/03/14(土) 00:44:25 ID:WMWsZ8qn
どこでセンゴクを終わらせるのか気になる
50 :人間七七四年2009/03/14(土) 00:54:06 ID:4ONdKGSb
>>49
本能寺の変に決まってるでしょうが
52 :人間七七四年2009/03/14(土) 01:24:54 ID:HKKoSxlo
>>50
天正記はそこまでだろうな。
太閤記は多分紀州攻めが終了して5万石貰って終りだろう。
53 :人間七七四年2009/03/14(土) 02:00:37 ID:g9PDKD1l
もう次のタイトル太閤記に決まったのかw
センゴク好きだけどここであまり話すとセンゴクスレでやれと言われそうだし、
かと言ってセンゴクスレで戸次川や小田原を話すと戦国板いけと言われそうだし、
戦国板センゴクスレなんかがあると漫画ではこうだけど史実や逸話はこうなってるみたいな話も
歴史好きから聞けそうでいいなあと思ったけど、それはそれで過疎りそうだよな。
54 :人間七七四年2009/03/14(土) 10:32:01 ID:HKKoSxlo
>>53
いや、むしろ歴史知識披露したい奴らは全部こっちでやれと言いたい
今日の朝もマジキチが現れたからな。
小田山なんて人物とか俺初めて知ったわww
55 :人間七七四年2009/03/14(土) 10:48:52 ID:KV1UEfH4
>>54
いや小山田は割と…と思ったら小田山かよw
56 :人間七七四年2009/03/14(土) 10:55:17 ID:NJdqvscO
小田原か小山田かどっちかはっきりせい!

…そろそろ本題に戻ろうか
58 :人間七七四年2009/03/14(土) 12:12:55 ID:3DClVEHU
>>54
小山田を小田山と書き間違えたんだろう
武田神社の宝物殿へ行って、武田二十四将図をしっかり見て来いと小1時間…(ry
59 :人間七七四年2009/03/14(土) 14:24:17 ID:WMWsZ8qn
仙石は大坂の陣で徳川と豊臣に分かれる

脇坂は大坂の陣で中立

豊臣家への忠義を忘れていない所がおもしろい
61 :人間七七四年2009/03/14(土) 22:42:51 ID:4LE+u/7f
いや、脇坂は中立ってより大坂にいたときに関が原起こったから
イヤイヤ西軍に入ったけど結局裏切りが起こった瞬間に便乗して
東軍についたんじゃ?
63 :人間七七四年2009/03/14(土) 23:04:27 ID:fvfKI2aB
>>61
よく読め、”大坂の陣”の話だ

>>53
まだ流石に決まってないだろ、そもそも天正記ですら始まったばかりなのに…
まぁ俺も本能寺の変辺りがポイントかと思ってる
64 :人間七七四年2009/03/15(日) 03:56:16 ID:uwiauW3M
>>61
そんなスキャンダルかましときながら後世には老中まで出してるんだからたいしたもんだね。
いや別に市松さんトコがとーとか、孫六さんトコの坊ちゃんがどーとかとか、
他の七本槍(又はその跡継ぎ)が基地外ばっかとか言いたいんじゃありませんよw
65 :人間七七四年2009/03/15(日) 13:01:33 ID:d9AYsIHL
元々秀吉に仕える前かられっきとした騎馬武者として槍働きしてた脇坂を小姓上がりの
他の七本槍と同一には語れないな
強いて言えば糟屋武則も帰服した播磨の土豪だから別口だが
66 :人間七七四年2009/03/15(日) 13:10:40 ID:BkJdRNj+
仙石は四国攻めでも敵の奇襲にフルボッコにされたんだよな
67 :人間七七四年2009/03/15(日) 13:14:09 ID:BkJdRNj+
>>59
中立ってか現役引いたからだろ
脇坂家の当主はちゃんと参陣してる
69 :人間七七四年2009/03/15(日) 14:25:31 ID:+YbkS+4K
>>66
ん?仙石側が先に香川隊に奇襲成功→で押して行くが元親の行動が早くて撤退だが?
70 :人間七七四年2009/03/15(日) 15:28:17 ID:+YbkS+4K
ゴンベの1回目の淡路攻めの時の相手調べてたんだけど
菅平右衛門ってどんな人?今一どんな人物か解らん。
71 :人間七七四年2009/03/15(日) 15:30:40 ID:+YbkS+4K
あー間違えた、信長死後の2回目だね↑
1回目は安宅水軍って三好氏?
72 :人間七七四年2009/03/15(日) 15:40:58 ID:+YbkS+4K
この人か、ここで安宅家は滅亡してしまうのか。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E5%AE%85%E6%B8%85%E5%BA%B7

三好の人間も戦にいるっぽいけど知名度が低いこの人が大将だと
ただのMOBになってしまうのかね。
73 :人間七七四年2009/03/15(日) 16:13:12 ID:QN1w342z
>>72
は?安宅が知名度低い?
安宅(三好)冬康がMOB?

春休みは楽しいかな?
74 :人間七七四年2009/03/15(日) 17:05:52 ID:HMiPKKEB
いちいち煽らないと書き込みもできない奴のほうがよっぽど子供
75 :人間七七四年2009/03/15(日) 17:42:34 ID:ieehKvCP
仙石は秀吉から気に入られて大名に戻れたが、脇坂は秀吉から嫌われてたのか?
小田原攻めの後に加増がない(功績として伊豆下田城を海から攻め落とし、小田原城受取の検使にもなっている)
76 :人間七七四年2009/03/15(日) 17:56:43 ID:QN1w342z
>>74
申し訳ない。

だけどね?
連レスの上、毎回ageて有名武将の扱き下ろし。
しかも、語る内容は仙石じゃなくて漫画のセンゴクの事と来た。

煽りくらいは入れたくなったんだよ。
2ちゃんのマナーとしても叩くに十分だと思ったが。
77 :人間七七四年2009/03/15(日) 18:04:21 ID:bNrPWAKa
2ちゃんのマナーは煽らずスルーじゃなったカニ
対話として成り立たない書き込みはOUTなんよ
78 :人間七七四年2009/03/15(日) 18:13:45 ID:HMiPKKEB
>>76
おお、まともなレスが返ってきた
てっきり、単発での挑発的な文言からカルシウムの足らない人かと。
思うところあってのところだった訳ね。スマン
確かに↑でも触れられていたけど、漫画センゴクの話は意見が別れるところだね。
可と明示するテンプレがない以上、やっぱりスレ違いかな。
79 :人間七七四年2009/03/15(日) 22:21:23 ID:ieehKvCP
宇喜多秀家が八丈島から泳いで参ったが定着しているぐらいだから
漫画センゴクの話もある程度いいと思われる
81 :人間七七四年2009/03/16(月) 00:19:17 ID:VJv1UXmp
ま、センゴク自体は多少は良いとしても、複合だとイラッとしたのがいてもしょうがなくはあるな。

チャットじゃあるまいし、短時間の連投の上、質問してすぐの自己解決もあまり褒められた行動ではないし、さらには結構な武将をMOBになりそうってレスは煽りに感じるヤツもいるだろう。

すぐ自己解決するなら、質問する前に調べろよって話だからな。
82 :人間七七四年2009/03/16(月) 02:32:26 ID:FteLBMDB
語れる資料や事跡が多くないから
センゴクネタを×にすると異常に過疎る気がする

改選仙石家譜がもっと簡単に読めればなあ
83 :人間七七四年2009/03/16(月) 13:19:14 ID:BBb6DZVq
このスレに限らず
戦国板は史実知識で語るやつと漫画・ドラマ・ゲーム等の知識で語るやつが
混在してるからな
そしてそのどちらも板違いでないから始末が悪い
元の三戦板からしてそうだったが
三国志の場合は「軋轢」の歴史が古いから「正史では」「演義では」と前置き
する場合が多くてまだ話が通りやすい
85 :人間七七四年2009/03/16(月) 22:51:52 ID:LBp5g9Om
センゴクは結婚話の進捗程度でストーリーが進まなかったorz
86 :人間七七四年2009/03/17(火) 00:46:14 ID:H1MdO/w2
>>85
面白かったじゃん。てか仙石秀久のスレで言う不満じゃないなw
87 :人間七七四年2009/03/17(火) 00:46:34 ID:TbYS9JGx
んで、なんで脇坂と仙石がセットなんだ?
なんか共通点とかあるか?
88 :人間七七四年2009/03/17(火) 00:59:13 ID:Y9TJS9Vv
秀吉配下で出世して一度失敗を経験して、最終的に5万石に収まったというのが共通点じゃない?
脇坂は仙石の後に淡路の領主になったし

マンガと話題が被るのはしょうがないが、ここでマンガの文句言うのはどうかと思う

89 :人間七七四年2009/03/17(火) 01:08:59 ID:I/Plt60P
秀吉時代の大河ドラマはたくさんあるが仙石と脇坂は登場しないことが悲しい
山内一豊の時も登場せず
90 :人間七七四年2009/03/17(火) 01:10:08 ID:7wVjzFNG
俺の脇坂のイメージは関ヶ原での寝返りしかなく、
仙石に至っては、漫画「センゴク」を読んでなかったら、全く知らない存在だったw

ある意味、俺には貴重なスレw
91 :人間七七四年2009/03/17(火) 01:37:10 ID:I/Plt60P
今調べたが、秀久の妻の父・野々村吉安は豊臣家七手組として大坂夏の陣で討死か・・

秀久の二男秀範も豊臣軍に加わって討死したといわれる(行方不明、だが秀範の息子が戦後に徳川軍に処刑)
92 :人間七七四年2009/03/17(火) 05:49:47 ID:ylhpAEKE
大坂では秀範が討死、盛親が逃亡。

戸次川因縁の両家が再び共闘して、最後も入れ代わるのも面白いな。
93 :人間七七四年2009/03/17(火) 11:17:30 ID:/qJr0wEJ
戸次川の敗戦で自領に引くのは戦国武将として別におかしくない。

長曽我部勢の戦いっぷりを知ると三国一の臆病者と罵りたくなるのもわかる。
当時の戦では異常ともいえる主力の七割近い戦死者、参加した重臣が全員戦死、敵である島津勢が敬意を払うほどの徹底坑戦、豊臣秀吉が大隈一国を加増しようとした事実
十河勢にいたっては当主が死亡するほど
94 :人間七七四年2009/03/17(火) 11:43:51 ID:Y9TJS9Vv
信親は奮戦したけど、元親の本隊は戦わずに退却したんじゃなかったっけ?

奮戦と言えば仙石も島津家久を追い詰めるほど奮戦したけど、他の隊との連携が悪く
押しまくる仙石隊だけ突出した形になって挟み撃ちされて敗走した
まあ、仙石が軍監であるにもかかわらず、単に一部隊長として行動して敗戦につながったから
罰を受けても仕方ない
95 :人間七七四年2009/03/17(火) 12:43:11 ID:jsXMYEhl
>押しまくる仙石隊だけ突出した形になって挟み撃ちされて敗走した 
それって島津お得意の「釣り野伏せ」にハマッただけではw
96 :人間七七四年2009/03/17(火) 13:54:39 ID:mkwZcQ8o
脇坂も仙石も武人としては勇猛だが、大名としては無能ってところが共通してるな
所詮は侍大将クラス
97 :人間七七四年2009/03/17(火) 16:30:53 ID:/qJr0wEJ
>>94うん、元親の本隊は戦っていないよ。
戦ったのは信親率いる千名ほどの部隊だが信親についたのは長曽我部勢の中でも強い忠誠心を持った一領具足
だからこそ不利になっても信親を見捨てず文字通り壊滅するまで戦った。
戦国時代の兵士達は不利になったら自分が助かる為に逃げたりするのが常道。…………………………龍造寺隆信が不利になったら部下に見捨てられたのが良い例
98 :人間七七四年2009/03/17(火) 16:32:49 ID:uIRFU5JL
>>94
仙石隊が奮戦??
島津側の資料にはないな。
単純に釣り野伏せで突出してきた仙石隊を狙ったってだけ。
仙石の方からすれば
相手が引いたのを自分達が押してるとでも錯覚したんじゃない?
それが釣り野伏せの戦法とは知らずに。

それに元親隊は闘ってないというよりも
軍艦の仙石が真っ先に戦場から逃げたため
何もできなかった、が正しい。

十河と信親隊は、仙石を逃がすためか
その場にとどまって包囲されて全滅。

元親隊が備えを動かす前に既に勝負は決まったという

仙石が長宗我部と十河を生贄にして島津の武威を世間にしらしめた
アホみたいな戦。

99 :人間七七四年2009/03/17(火) 16:33:23 ID:DVyKhwE1
>所詮は侍大将クラス
さすがにそれも極端だ。
複数の大名の上に立つような数十万石クラスが分不相応なだけで
数万石の大名としては統治もそこまで酷いわけじゃないし
100 :人間七七四年2009/03/17(火) 18:31:25 ID:/qJr0wEJ
ただし、領民のかなりこき使ったみたいだがな。秀久さんは

まあ、こき使ったおかげで出来上がったものは非常に役に立った訳だが
とはいえ民の為にやった訳ではなく、将軍様へのゴマスリの為にやった事は間違いない!
101 :人間七七四年2009/03/17(火) 18:40:46 ID:tEidbbi6
ただゴマスリの効果が滅茶苦茶あったんだよな。
秀忠時代はかなり優遇されてた気がする。
102 :人間七七四年2009/03/17(火) 19:11:49 ID:I/Plt60P
でも関ヶ原でまったく加増されないとはちょっと可哀相
きっと仙石は10万石に戻れるかもとワクワクしてただろうに
103 :人間七七四年2009/03/17(火) 20:17:28 ID:gi2uQKsg
だってコイツ関ヶ原の一連の流れで
相変わらずのパフォーマンスの逸話や足を引っ張った逸話はあっても
実際は何もしてないでしょ。
まあ秀吉の政権もこの程度の小粒の奴を引き立てなきゃ人材不足でどうしょうもなかった事実が
政権が短期で滅亡した一因を如実に語ってる気がしてならない。
104 :人間七七四年2009/03/17(火) 20:21:41 ID:Y9TJS9Vv
司馬史観の人多いな
105 :人間七七四年2009/03/17(火) 20:42:31 ID:H1MdO/w2
>>103
ただのゴマスリだったら最初の失敗から復帰できねえよ。
尾藤や小川を見てみろ。
信長・秀吉・家康・秀忠に気に入られたのは単純に
漫画の見たいな真っ直ぐで単純愚直な性格だったからじゃないのかな。

戸次川の戦の敗因は寧ろ仙石・元親・十河のパーティ組ました秀吉だろ
寧ろ近くにおったクロカン部隊を軍監に持ってくるだろ・・・
106 :人間七七四年2009/03/17(火) 22:34:13 ID:/qJr0wEJ
大友の原因でもあるんだけどな。
大友の兵力が動かなかったのはやる気がなかっただけ
しかも豊臣に援軍を求めたのは大友なのに


援軍を求めたのは親父で当主は諦めてた

そのせいで少ない兵力で戦わざるをえなかった。

だからって、そんな少ない兵力で冬の渡河作戦を反対を押して決行するのはやはり無謀だ。
107 :人間七七四年2009/03/17(火) 22:36:08 ID:DVyKhwE1
>>104
連中は自分達が漫画のセンゴクで仙石持ち上げるのと五十歩百歩の根拠で
仙石こき下ろして長曽我部持ち上げてる事を理解したがらないから大嫌いだ
108 :人間七七四年2009/03/17(火) 23:33:49 ID:Y9TJS9Vv
>>106
冬の強行作戦がよく批判されてるけど、>>45を見ると
仙石があの時点で戦を仕掛けず春まで待てば
島津と戦う前に鶴賀城が落城して大友逃亡
そして秀吉ブチぎれて春出陣して島津征伐が終われば
全員戦わない責任問われて減封or改易
戦って負けたら責任問われるが、待てたらもっと厳しい罰
が待ってるのだから一戦するしかない

それに、こんな状況で一番戦ってみせる必要があるは長年の部下である
仙石ではなく前年秀吉に負けて一国安堵されてる長宗我部
109 :1062009/03/18(水) 00:09:40 ID:Lxm/Exfl
>>108それもそうだな。

いやしかし大友義統が逃げたのは戸次川の敗戦があって大友独力で戦わなくてはならかった為で、なおかつ与えれた命令は鶴賀城の救援じゃなくて島津勢を追い払う事だったはず
やはり強行作戦を行う必要はなかった。
つうかあるなら長曽我部も十河も反対はしないと思うのだが…むむむ
110 :人間七七四年2009/03/18(水) 00:18:30 ID:4jnz2yxN
命令は島津を追い払うのならなおさらのこと
鶴賀城が落城すれば豊後が島津の手に落ちるのは必然だし大友の兵がなければ
四国勢合わせて6000人しかないから島津を追い払えるわけがない
111 :人間七七四年2009/03/18(水) 00:23:14 ID:UNB0YGP1
この戸次川の敗戦もセンゴクでは「この通説には疑問が残る」
からはじまって「前にいたのでは仙石が真っ先に逃げる事ができない。
仙石勢は後陣にいたのではないだろうか。
現に島津勢に包囲され壊滅したのは長宗我部や十河の四国勢である。」
となり、「こうなると一つの結論が導き出される。
戸次川の敗戦とは戦功に焦った四国勢の暴走である!」という結論になって
四国勢の暴走に引きずられた仙石、という風に描かれるんだろうか。
112 :人間七七四年2009/03/18(水) 00:29:52 ID:8QMVYXf8
つまりこう言う事か

十河・仙石・長宗我部、
待ったら味方は生きるが大友滅亡で見殺しにした所為・戦うにしても相手の戦法が解らない。
挙句の果てにお互いが犬猿の仲でしかも一刻の猶予も残されていない

仙石『任務は遂行する、、、部下も守る。
   島津ごときに両方やると言うのはそうムズかしい事・・・だよな』

かなり際どい戦だよな・・・
結果的に信親と十河が死んだけど下手したら全滅だっただろ
113 :人間七七四年2009/03/18(水) 00:36:01 ID:8QMVYXf8
>>111
いや宮下氏は一部の武将を除いて名将は名将と描くから大丈夫だと思うよ。
ただ失敗と銘打ってるから何かしらやるだろうね。
ただこの戦は↑に書いたとおり仙石のみを悪者にする事で議論終了にはできんでしょ。
114 :人間七七四年2009/03/18(水) 00:42:45 ID:4jnz2yxN
>>112
兵力が島津の三分の一だし、地の利もない
おまけに前年まで死闘を繰り広げた者同士の混成軍
しかし動かなければ情勢が悪くなるだけ
結果は敗戦だったが、仙石にだけ敗因を帰するのは
不公平だろう
105の言うようにその編成をした秀吉の責任が一番大きい
おそらく秀吉自身もわかってるからその後帰参を許した
115 :人間七七四年2009/03/18(水) 00:42:58 ID:rCZkyzYT
大友が動くならともかく、動かない状況で開戦したんだからなあ
一体どう勝つつもりだったのか
116 :人間七七四年2009/03/18(水) 00:44:46 ID:xMQJo0Xy
>>110
毛利から兵を借りて万にすべきだったな
117 :人間七七四年2009/03/18(水) 00:47:54 ID:tcm7w8J3
たまにで良いので、脇坂さんのことも思い出してやってください
118 :人間七七四年2009/03/18(水) 00:52:49 ID:Pdpjn5qN
>>111
武田軍の長篠での大敗を見てるとそこまで仙石をヨイショするのかな、と
作者は戦犯を描くのはあまりしないから、貶しすぎず誉めすぎず描くかな
仙石の指揮失敗+四国勢の暴走ってところか
119 :人間七七四年2009/03/18(水) 01:00:48 ID:kkSYtpr6
まあ、残ってる連中も大友も放置して、軍監という身分で
逃げちゃダメだよな。小倉で踏み止まっていればまだマシだったのに。
土佐勢、讃岐勢が囲まれたのも仙石率いる淡路勢が総崩れになって逃げたせいだろうがなぁ。
最近は無理やりでもヨイショするのが流行ってるんだな。
120 :人間七七四年2009/03/18(水) 01:12:13 ID:4jnz2yxN
>>119
100前後のレスをみるとどっちかというと無理に扱き下ろしてると思うが?
そもそも海の向こうまで逃げたのは長宗我部も同じだし
他の人も書いたように戦国時代では大敗したらいったん本国に引き揚げるのが普通
小倉に留まっても兵も金もないから何の意味もない

それに土佐讃岐が包囲されたのは淡路勢が総崩れだからというが
淡路勢は1000程度しかないから数倍の島津の伏兵に襲われたら
敗走するしかないだろう
もちろん軍監なのに真っ先に突進して敗因を作ったのはいけない
しいて言えば一部隊長の器にすぎない人を大将にしてしまったから負けた
121 :人間七七四年2009/03/18(水) 01:19:09 ID:kkSYtpr6
>>120
で、わざわざ敗走する為に冬の川を渡ったのが仙石じゃないか。
十河も長曽我部もこれが滅亡の遠因だしな。
仙石はその辺が好きな人から嫌われて当然なんだがね。
一番悪いのは秀吉だけどな。まあ、碌な譜代が居なかったって事だろう。
秀吉も帰参までさせて息子の代には裏切られてるんだから気の毒といっちゃ気の毒。
こき下ろされてるゴマすりは事実だろう。上田まで乗っ取ってるんだから文句は言えまい。
122 :人間七七四年2009/03/18(水) 01:24:42 ID:4jnz2yxN
>>121
真田ひいきか
道理で意味もなく扱き下ろしてる
上田とられたのは家康に刃向った結果であって仙石のせいではないよ
それ他のレスでも書いてあるようにあの時点で島津に仕掛ける以外の
選択肢はない
四国勢は6000だけで目の前は1万8000の島津包囲軍
待てば鶴賀城が落ちて大友リタイヤ
キミならどんな行動をとる?
123 :人間七七四年2009/03/18(水) 01:33:36 ID:Lxm/Exfl
>>110鶴賀城が落城しても即負けで豊後国を全て失う訳ではないんだが
あくまでも戸次川の敗戦があったから大友義統は完全に敵前逃亡したわけで、戸次川で戦わず四国勢が残っている状況なら島津勢が府内に向かってきた状況でも敵前逃亡しないと思うが………例えば父親の大友宗麟は豊後国内の丹生島城を守りきっている。
戸次川で渡河作戦を強行せずとも、よかった訳だが………つうか何故鶴賀城が負けたら即大友滅亡なんだ?あくまでも府内城への攻撃経路の…………ふぅ…
124 :人間七七四年2009/03/18(水) 01:47:04 ID:xMQJo0Xy
>>120
ウィキペディアにも書いてあったが、戸次川に淡路勢はいない
なぜなら戸次川の時の淡路の領主は脇坂安治や加藤嘉明など

仙石の領土は讃岐
125 :人間七七四年2009/03/18(水) 01:48:34 ID:4jnz2yxN
>>123
豊臣の援軍が動かずに鶴賀城が落城するの見てたら大友義統が奮起すると思うのか?
むしろそうな状況になれば「豊臣も頼りになれないからもう駄目!」と真っ先に逃げたんだろう

そもそもやる気があるなら四国勢が上陸したときから合流してた
最初から自力での事態打開を考えず、豊臣に助けてもらうしか考えてないから
援軍が来てるにも関らず事態が好転しないとみるといずれ逃亡する
126 :人間七七四年2009/03/18(水) 01:49:39 ID:8QMVYXf8
流れを見ると
秀吉の過ちの1つ『仙石・十河・長宗我部』を組ました事
2つ目は総勢6000の軍勢、島津を軽く見てたのかもしれんね。
秀吉にしては珍しく少数部隊だし。
↑この時点で負けフラグ

あとはそこまで無理して大友勢を助ける必要があったのか。
遠征・敵地・そして部隊6000人などから持久戦は不利
豊臣勢の意思疎通の問題・既に包囲されてる鶴ヶ城
12日に結果的に負けたら13日に即効で落城


127 :人間七七四年2009/03/18(水) 01:52:33 ID:xMQJo0Xy
仙石に九州全土の平定を命じたわけじゃなくて先鋒だからな
大友への援軍のつもりだと思う
それから毛利輝元もみずから出陣しているから、何も6千の兵だけが九州に派遣されたわけではない
128 :人間七七四年2009/03/18(水) 02:01:04 ID:4jnz2yxN
>>127
それで思うのだが、四国勢を出すのなら仙石ではなく同じ四国の小早川を軍監にして
その下に仙石、十河、長宗我部を配置すれば結果がもうちょっと違ってたと思う

そしたら毛利の力で九州を平定したことになるから秀吉は面白くないだろうけど
129 :人間七七四年2009/03/18(水) 02:03:17 ID:pxkfH+9p
仙石に大きな手柄を立てさせてど〜んと加増してやりたかったんだよ
130 :人間七七四年2009/03/18(水) 02:23:08 ID:8QMVYXf8
第2次四国征伐で元親が降伏したのが8月
で仙石が讃岐10万石を貰う電々は遅くて大体10〜11月
移動とかもあるし新年までバタバタだったろうね。

戸次川の戦がその次の年の12月だから戦の準備とかも考えて大体1ヶ月
毛利・黒田勢が9月に秀吉に命令されて10月に小倉城に攻めてるから
十河・長宗我部が下にいる仙石勢は部隊編成にも時間掛かったはず
仙石は正に三日天下だな・・・10万石大名の座を満喫する余裕は全くないなww
131 :人間七七四年2009/03/18(水) 02:23:26 ID:Lxm/Exfl
後、島津の戸次川時点での戦闘可能兵力は1万から1万3千といわれているんだが

三倍の兵力とか1万8千とかどっからでできんでしょうか?
132 :人間七七四年2009/03/18(水) 02:32:53 ID:8QMVYXf8
脇坂安治さんは10月には淡路洲本で3万石

仙石とは入れ替わりだからまあ元旦までには讃岐に引越しは終わっていただろうがな
133 :人間七七四年2009/03/18(水) 03:35:28 ID:B6iimJjL
まあ、大友としては当然後に数万単位の援軍が来るものとして考えていただろうから、当然数千程度の先鋒ならば基本的に籠城、小競り合いを少々程度しかしたがらなかっただろう。

何しろ、名家で九州探題職を持つ宗麟が直接中央の秀吉に援軍を依頼というのは権威を認めたということでパフォーマンスとして意味がある。
更には新田肩衝を差し出しているので秀吉の威勢はいやがおうにも高まったから、当然バーターとして島津〜大友間の講和が出来なければ秀吉側もまずかったから。
何しろ地方の争いも沈静化出来ない中央政権って見られれば、舐められる。

そんな状態で、戸次川の戦いに大友が動くのはあり得ません。
時期尚早と言わざるを得ない。
134 :人間七七四年2009/03/18(水) 04:34:15 ID:Lzs/aY4T
>>128
外様を軍監にはできんだろ
135 :人間七七四年2009/03/18(水) 07:41:46 ID:kJPqPLPE
負けるにしたって、負け方があるからな。
せめて戦死しておけば、三国一の臆病者のレッテルを貼られることも、長宗我部ファンから恨まれることもなかったろうに。
136 :人間七七四年2009/03/18(水) 07:42:36 ID:to4CJ/kC
仙石て搾取があまりに酷いため領民から嫌われてたんでしょ?
137 :人間七七四年2009/03/18(水) 09:11:13 ID:lU7EcMSm
長宗我部って徳川や上杉毛利などの五大老クラスに比べて
大名(家臣)の能力落ちるからあんな大敗するんだろうな

五大老クラスならあの苦境でも長宗我部ほど被害は受けないかと

しょせん滅ぶ家なんだろ
仙石かばうわけじゃないが長宗我部オタの粘着はキモイな
138 :人間七七四年2009/03/18(水) 12:04:18 ID:7dbZN7KP
長宗我部が過度に持ち上げられたから仙石がトバッチリを食らったよな
仙石の敗退だけ取り上げられてるけど、戸次川の戦いで真っ先に新納隊に押し戻されて
敗退したのは元親の本隊
元親の右翼が後退したために突出した形になった左翼の仙石が集中攻撃を浴びて壊滅
そして元親が帰った後跡継ぎ問題でお家騒動を起こして長宗我部没落する原因を作ってしまった
139 :人間七七四年2009/03/18(水) 12:31:39 ID:Lxm/Exfl
>>137五大老ならあれだけの被害は受けなかっただろうね。
なぜなら立場が違うから。
長曽我部は四国征伐で降ったばかりだったから作戦にも従わざるをえなかったし、戦わざるをえなかった。
五大老クラスの奴ならそもそも仙石の作戦に従う必要もなく例え従ったとしても無理に戦わずにすます事も出来る。
141 :人間七七四年2009/03/18(水) 12:45:51 ID:7dbZN7KP
五大老クラスの人間はどれも天下の情勢を鋭く読み取っていいタイミングで豊臣家と和睦して
更に勢力を伸ばせた
天下の情勢が読めず、讃岐と伊予はまだまだ制圧してないのに豊臣からの土佐阿波二カ国安堵
の提案を蹴って抵抗したけど結局土佐一国だけになってしまったのが長宗我部
所詮井の中の蛙でしかない
142 :人間七七四年2009/03/18(水) 12:46:14 ID:D0IC9boG
>>139
そもそも五大老クラスが仙石の指揮下にはいるわけがねぇ。
143 :人間七七四年2009/03/18(水) 14:30:28 ID:8QMVYXf8
元親は信親が亡くなった事で秀吉からの大隈一国を加増する話をイラネって拒否ってるからな・・・
144 :人間七七四年2009/03/18(水) 15:53:35 ID:3oQwik0v
>>123
鶴賀城は府内攻めには絶好の拠点だからここが落ちたら大友館は駄目だな。
丹生島城は1万も篭れないし下がるなら結局小倉まで退かないと。
>>127
紀州や四国とかと合わせてみると仙石に期待されてるのは
「いくら負けてもいいから本隊参戦まで裏切らず水際で踏みとどまれる先鋒の将」ポジションだったんじゃないだろうか。
だから前二者では自分で勝ちは得てないけど加増を受けて、
九州では先鋒部隊の敗退ではなく壊滅という結果が逆鱗に触れたのだと思う。
>>136
搾取と言うより労役だな。
145 :仙台藩百姓2009/03/18(水) 19:00:09 ID:uckTZqOi
軍監と言うのは主君の指示を伝え、命令を破らないように監視するのが役目だお( ^ω^)
秀吉の方針としては四国勢に時間稼ぎをさせて、毛利を主力とした中国勢を九州に上陸させ
島津勢と対峙し釘付けにしておき、その間に逐次中央から兵を投入し
総勢が揃った所で一気に殲滅すると言うものであったお
だから秀吉はこの事をしつこいぐらいに何度も通達し
仙石にも、もしこれを四国勢が破って出陣するような事があれば
例え元親であっても首をはねよと厳命しているお
にも関わらず、本来なにがなんでも出陣を抑えるべき仙石自身が出陣してしまったというオチ
職務放棄&軍令違反&敗戦という一番やっちゃいけない事をしでかしてしまった
クビがとばなかったのは奇跡に近いお( ^ω^)
147 :人間七七四年2009/03/18(水) 20:09:35 ID:kJPqPLPE
脇坂の空気感が、豊臣恩顧の大名ながらも江戸時代を無事に乗り切れた秘訣かもしれないな。

実際は養子をもらってるからなのだろうけれど。
148 :人間七七四年2009/03/18(水) 20:22:06 ID:rkElofwh
みんな、なにいってんだよ。
仙石の仕事は味方の外様と敵の外様をぶつけてすり減らすことだ。
しかも自領まで差し出して恩賞を確保してるんだぜ!
ネガティブに考えて九州征伐一の功労者なんだよ。


あそこのメンバーで大勝していた場合のことを考えてみればいい。
子飼いに恩賞をやれないし、逆に四国九州の外様は太る。島津を潰すくらいじゃ納まらない。
豊臣政権の九州政策は破綻するし四国情勢も不安定になるんだぞ。

よくよく考えてみるんだなw
149 :人間七七四年2009/03/18(水) 21:10:32 ID:mN0MHOH8
>>145
あの時九州戦線が安定していれば、家康にもっと強気な対応だって取れていたかもしれないしな
150 :人間七七四年2009/03/18(水) 21:17:43 ID:4jnz2yxN
対家康なら九州は関係ないよ
家康に人質を送って上洛させたのは九州が平定された後だし
小牧長久手で一回負けてる上家康が北条、伊達と手を組んでる
から九州の心配はしなくても強気に出られん
151 :人間七七四年2009/03/18(水) 21:42:30 ID:xMQJo0Xy
筑前と筑後を小早川隆景に与え、
大隅を長宗我部に与えようとしたんだが(長宗我部が固辞)
152 :人間七七四年2009/03/18(水) 21:42:41 ID:wjhNc8pv
>>147
初代:空気 2代目:名君 3代目:名君 4代目〜:空気
SEIZONフラグですな。

空気読むのうまかったと思う。少なくとも、他の七本槍よかは。
153 :人間七七四年2009/03/18(水) 21:53:52 ID:xMQJo0Xy
脇坂は空気じゃないだろ
石高は3〜5万石の雑魚レベルだが、水軍の将として九州や小田原や朝鮮で活躍しているから結構知名度はあったんじゃないか
てんの皮のエピソードもあるし
154 :人間七七四年2009/03/18(水) 22:24:40 ID:Pdpjn5qN
脇坂というと柳川や近江八幡の堀のある町づくりのイメージだな。
156 :人間七七四年2009/03/18(水) 23:00:40 ID:xMQJo0Xy
>>154
それは田中吉政だよ
157 :人間七七四年2009/03/18(水) 23:01:14 ID:B6iimJjL
>>151
秀吉はそういう逸話がありすぎて、それが実際行われたか疑問が残る。
日向は宗麟に大隅は元親にと言ったとなっているが、どちらも結局固辞の上に理由が近似ってのはどうも。


そもそも長宗我部に与えるには飛び地すぎないか?
159 :人間七七四年2009/03/19(木) 00:25:15 ID:2ZmTwy7E
>九州移封
四国は大阪に近いから身内で固めるためかな
実現はしなかったが
162 :人間七七四年2009/03/19(木) 04:02:12 ID:1TIWh+Mi
普通に家康に付いていただろうさ。
元々は状況見るの上手いわけだし。
164 :人間七七四年2009/03/19(木) 08:53:19 ID:tJQXPzcj
>>154
近江八幡は秀次タンだよ。一応田中も家老として多少やってたけど。
それで近江八幡では秀次タンが慕われてたって話聞いたことあるけど、出典とかってなんだろう。
秀吉に潰されて散々あること無いこと悪評を撒き散らされてたと思ったけど。

あと関ヶ原で長宗我部が家康に着くのはありえないだろ。
盛親にしたって家康の会津攻めについてくつもりでノコノコ東上してたら西軍に吸収されたわけで。
よっぽど上杉相手にやる気だしまくりで三成の挙兵前に東海道まで進出するとか、
大坂で西軍相手に大立ち回りするとか、強行突破して土佐に帰るとかでもしない限り無理だが
長宗我部家には(あの時点で)そこまで危険を犯してまでする動機も旨味もないだろ。
だいたい東軍が勝つ筈だから家康に着くべき、ってのは後世の人間だからいえるわけで。
165 :人間七七四年2009/03/19(木) 09:17:25 ID:gR7psHt3
>>138
元親本隊は後方にいてろくに戦う間もなく敗走、だったろ。
新納と戦ったのは仙石だろ。それも最初に戦ったのは伊集院だし。
ネガキャン?
>>141
毛利は領土を本能寺時点で半分近く奪われてるけどな。
上杉も徳川もいずれももともとの本拠地を手放しての転封だから
そこまで嬉しかったかというと微妙だが。この2家は後々まで故郷に執着してるし。
宇喜田は父の代から続く流れで豊臣についてたわけだし、
そこまでいえたもんか。秀家が小さい時から服属してて秀吉が親代わりだしな。

前田はうまくやったなw

あと、元親は1584年の段階で四国を一応統一してたはずだが。
島津や北条、伊達といった連中が中々秀吉の命令に従わず、
結局領土を大きく削られたり滅亡したりしてる事から見ても
元親の選択は地方の覇者として特におかしくないと思うが。
166 :人間七七四年2009/03/19(木) 13:00:54 ID:3a/DJEYm
>>137
長宗我部ヲタ以外はあのブザマな敗戦を笑わないとでもw
167 :人間七七四年2009/03/19(木) 13:04:48 ID:3a/DJEYm
>>165
それら僻地の人間と違い
元親は何よりも自分自身が四国統一戦の過程では中央の覇者である織田家の動向を
きちん把握しながら戦略を進めていたから同一視できない
耄碌したのか、強大化して気がでかくなったのか
168 :人間七七四年2009/03/19(木) 13:13:19 ID:V6hddk0m
ヒント:北条
169 :人間七七四年2009/03/19(木) 13:18:40 ID:5QcDeETT
>>165
横からだけど
毛利も上杉も対豊臣ではよくやってると思うけど?
上杉は賤ヶ岳の時から秀吉についた、その後も一貫として秀吉支持を打ち出した
転封と言っても佐渡、庄内と越後の一部を保持してたから、家康のような国替えとは違う
毛利も本能寺の直後から秀吉と和睦して、賤ヶ岳の後は全面支持の姿勢を打ち出した
徳川も一度戦って勝った後はそれ以上の敵対行動を取らずひたすら立場の強化に努めて
最後は秀吉から人質をもらって上洛
自分を高く売りつけたおかげで外様ながら関八州256万石をもらった上秀吉死後実質の政治指導者
という地位を手に入れた

後、1584年の段階では長宗我部はまだ四国を統一してない
1584年の6月頃に十河を讃岐から追い出して、伊予の西園寺も降伏した
で、翌年の1585年になって毛利を支援を受けてた河野も人質を差し出して降伏したが
6月に四国征伐が開始
170 :人間七七四年2009/03/19(木) 13:27:35 ID:3a/DJEYm
>>168
北条も武田攻めとかの時には織田家の下風に立ってるけど
一時は長男に信長からの偏諱を賜わるほど密接な関係にあった長宗我部ほどではなかろう
171 :人間七七四年2009/03/19(木) 14:11:59 ID:V6hddk0m
本能寺直前には敵対してただろう

本能寺以降は小牧長久手での秀吉の外交的勝利が全てなんじゃないの
あと毛利か
172 :人間七七四年2009/03/19(木) 14:18:18 ID:XLF1m492
では戸次川大勝後の西国大名配置でも考えようではないか。

まず、島津を取り潰し、薩摩が長宗我部、大隅が十河。
174 :人間七七四年2009/03/19(木) 14:39:18 ID:5QcDeETT
島津は和睦を申し出れば潰されないと思うけど
ただ、その場合は薩摩一国かプラス大隅半国程度で安堵
四国の外様は九州に国替え、長宗我部は微増程度の国替え
大勝したので軍監の仙石は讃岐一国に加増、尾藤は抑えとして九州へ移す
九州北部は史実通りかな
175 :人間七七四年2009/03/19(木) 14:42:07 ID:zmj3MVI/
>>172
戸次川の戦い自体はそんな重要ではない気もするけどな。
勝敗がド派手についただけで。
仙石が勝っていたとしても、その後出来るのは、大友の豊前の勢力圏の回復ぐらいでしょ。
176 :人間七七四年2009/03/19(木) 15:56:43 ID:5QcDeETT
>>175
戸次川の戦いの前から豊前は取られてて残りは豊後だけだったから
戸次川で勝ったとしても大友は豊後一国安堵だけだろう
実際九州征伐の後も大友は豊後一国だけだったし
177 :人間七七四年2009/03/19(木) 16:42:01 ID:AFznGspM
秀吉の当初の構想(俺の妄想込)

筑前筑後 小早川隆景
豊前   黒田官兵衛
豊後日向 大友宗麟(日向は辞退)
大隅   長宗我部元親(辞退)
薩摩   島津義久
肥後   佐々成政(即時改易切腹)
肥前   有馬と鍋島(竜造寺)

178 :人間七七四年2009/03/19(木) 17:43:59 ID:2ZmTwy7E
>>165
四国も地方だが
地方の覇者というには石高的にも広さにしても微妙なキガス
179 :人間七七四年2009/03/20(金) 00:47:13 ID:v+UZtuIU
脇坂が大坂の陣で中立だったことについて詳細を教えてください
182 :人間七七四年2009/03/20(金) 02:27:37 ID:re6Ktk/R
>>178
だから所詮鳥無き島の蝙蝠といわれてるわけで。

元親だって信長に抗戦しようとしてて、四国に軍勢が入る直前に明智がやらかして助かったけど
あれがなきゃ信孝・信澄軍に蹴散らされて武田と同じ運命をたどってただろうね。まだ四国の統一にも程遠かったし。
元親が情勢を読める奴とかいってるの上に居るけど、限りない過大評価だと思う。
秀長に実際瞬殺されたけど、あれも秀吉だから生かしてもらえただけで、信長か家康だったら家は潰れてただろう。
ただそれに蹴散らされてる仙石はそれ以下。雑魚とは言わんが当時の名将と較べるととんでもなく見劣りする。
でも漫画は確かに面白い。
183 :人間七七四年2009/03/20(金) 02:47:16 ID:Q2F3F88L
>>182
そういう言い方は公平さに欠ける
元親と対峙してた時の仙石は一小大名に過ぎん
手勢も1000人あるかないかの程度
そんな状況で四国に上陸してすぐ十河の救援に駆けつけて
香川之景を一度急襲で撃退したのだから決して無能ではない
この経験が戸次川の判断ミスにつながったのかもしれないけど
小田原で手勢を率いて戦果を上げられたのだから
もうちょっと評価してやってもいい

元親は過大評価されすぎだから修正する必要があるのは
同意だけど
184 :人間七七四年2009/03/20(金) 07:51:36 ID:gCzbV0tj
>>167
途中から織田が約束反故にして領地よこせといって
攻撃してくる流れになったから敵対してるけどな。
はいそうですか、と領地出せるわけが無く敵対したのは
島津と同じだと思うが。
185 :人間七七四年2009/03/20(金) 08:05:35 ID:gCzbV0tj
>>169
毛利も上杉も織田の時点で散々領土を奪われてるし、
豊臣も領土を要求してるわけでもないんだから
無理に敵対する理由はないんだが。
毛利の本願寺直後の和睦は、それ以前から交渉されていたもので、
毛利が織田に追い詰められて危機に陥ってたから領土半分を放棄するという
豪勢な条件だった。ここまでして無理に戦う理由が特にない。
毛利は織田の攻勢で国内にも謀反や裏切りが起きていたため、国内のまとめも
必要だったし。
まあそれでも毛利も柴田から誘いが来たらかなり迷ってるが。
上杉にしても自分を直接圧迫していた柴田や佐々といった連中に対抗するため
敵の敵は味方、といった感じで秀吉とつながったわけだしな。
越後の北端持ってるからって国替えじゃないってのは無理だろ。
関ヶ原のときも越後を取る事に上杉は色気を見せてるし。
元親が豊臣と敵対した理由は領土割譲を要求されたからだろう。
徳川はもろに敵対してるじゃないか。敵対したという点で長宗我部や他の地方の覇者と同じ。
屈服したのも1585年で長宗我部と同じ年。まあ戦闘で勝った点が違うが。
服従した後従順になったというなら、長宗我部も他の覇者もそう。
関東もらったのはそれまで固めてきた領国を放棄することだし
畿内からも遠ざかる事になったから秀吉としては厄介払いだったと思うが。
186 :人間七七四年2009/03/20(金) 08:12:03 ID:gCzbV0tj
>>178
太閤検地は土佐の石高が異常に低く見積もられてるけど、
慶長検地なら四国も100万石越えるから
それほど悪くない気がする。
>>182
信孝・信澄軍で勝てたかは微妙な気がする。
当時でも元親は2万以上の兵を動かしてるし。

元親は途中で織田に盟約破棄されて攻撃される事になったから
敵対したわけで、それが無きゃ普通に織田に従ってたような気がする。
187 :人間七七四年2009/03/20(金) 10:47:04 ID:Q2F3F88L
>>185
領土の要求はないとか意味不明なこと言ってるけど、織田も上杉や毛利に対して
「領土」の要求はしなかった
両方とも織田からではなく相手から先に戦端が開いた
で、織田家が勢力争いの内紛に入ると、周辺の大勢力に両陣営からの好条件付き
の誘いが来てるが、上杉は秀吉を支援毛利、徳川は中立、長宗我部は柴田支援
柴田も秀吉も信長の四国遠征にかかわってなかったのに、優勢の秀吉ではなく
なぜか柴田を支持

さらに、秀吉と一度敵対した徳川は小牧長久手で勝った後も信雄が降伏したの見る
とすぐ秀吉からの和睦に応じて結城秀康を人質に差し出したのに対して、長宗我部
は秀吉からの和睦提案を何度も蹴った

秀吉の提案は何も領土をよこせ、というものではなく讃岐、伊予の豪族と和睦して
土佐、阿波に軍を引き揚げろ、というものだったが、まだ十河、河野(+毛利)と
戦ってる最中なのにもかかわらず拒否
結局攻められてわずか2か月で伊予、讃岐、阿波が陥落して降伏

過大評価されて自分自身の力量を見誤って失敗した例だな
まさに鳥なき島のコウモリ
188 :人間七七四年2009/03/20(金) 11:38:29 ID:gCzbV0tj
>>187
何が意味不明なのかしらんが、
毛利に関しては尼子再興軍を織田が支援してるんだから
何をいえたものかと。
上杉に関しても本願寺との和約や上杉差し置いての関東介入が問題になってたし。
豊臣と無理に争う理由はないわけで。両方とも疲れてたし。

上杉は柴田の敵だったし、毛利もかなり迷ってるけどな。
長宗我部は途中まで織田と結んでたのに、いきなり織田に余裕できたら
約束反故にされて攻められそうになったんだから中央に過敏になっておかしくないと
思うが。中央に優勢な勢力ができたら自分が危うくなると考えてもおかしくないし、
そもそも四国で元親と戦ってる三好は秀吉の庇護を受けてるので
秀吉は十分敵なんだけどな。

徳川の場合は領土削られてないからな。
長宗我部の場合領土割譲が条件だったんだから素直に聞けないのは自然だが。

>>秀吉の提案は何も領土をよこせ、というものではなく讃岐、伊予の豪族と和睦して
>>土佐、阿波に軍を引き揚げろ、というものだったが
十分割譲だと思うが。讃岐、伊予の占領地どうするんだい。

十河は本能寺以後に逃亡してたと思ったが。
まあ兵力違えば治めたばっかの領土も結構だったしな。
島津と似た感じだ。
189 :人間七七四年2009/03/20(金) 12:46:24 ID:dC6+91rB
アンチ長宗我部スレになってるな。
まあ、あの漫画から入った奴は意地でもそういう
事にしておきたいのだろう。
あの程度の奴は滅びても仕方無いってな事に。
190 :人間七七四年2009/03/20(金) 12:53:01 ID:0BFdVbdL
だいたい領土割譲なんて簡単に呑めるもんかね
191 :人間七七四年2009/03/20(金) 12:57:59 ID:Q2F3F88L
アンチというかスレと関係ないマンセーがあるからじゃない?
長宗我部マンセーも単に小説の影響が大きいし
史実を見れば所詮四国に収まるの器でしかなく
晩年ではお家騒動を起こして家臣を粛清しまくって
家の滅亡の原因を作った程度の人間

>>188
いろいろ言いたいのはわかるが、言ってることは史実無視して
長宗我部を過大評価してるだけ
それに、長宗我部はスレ違いだからそろそろやめたら?
192 :人間七七四年2009/03/20(金) 13:05:06 ID:dC6+91rB
>>191
いやいや、君のように異常に貶めるのもどうかと思うがね。
人に言う前にご自身が改めたらいかが?
193 :人間七七四年2009/03/20(金) 13:06:08 ID:Q2F3F88L
>>190
条件次第で簡単に飲めるだろう
あれほど領地にこだわる北条も無理に上杉、徳川と敵対せず
手に入れた信濃をあっさり割譲したし
徳川も北条との関係を強化するのために上野での領地
を割譲しようとした
讃岐、伊予両国まだ完全に制圧されてないのに
四国は自分のものだとばかりにかたくな上方からの提案
を拒否したから四国征伐を招いたんだろう

もう長宗我部はやめよう
194 :人間七七四年2009/03/20(金) 13:10:46 ID:0BFdVbdL
>>193
それらの割譲は対等な関係やん
195 :人間七七四年2009/03/20(金) 13:14:07 ID:Q2F3F88L
>>192
オレのレスに異常に貶めるところはあったのか?
四国制圧するのに20年かかったのは事実だし
相続問題で息子や吉良義央などの家臣を粛清したのも事実
早い時期から信長と誼を通じて上方情勢に詳しいはずなのに
外交に失敗して四国征伐を招いたのも事実
10万の四国征伐軍に対して2か月で三ヶ国を失って降伏した
のも事実
196 :人間七七四年2009/03/20(金) 13:15:32 ID:dC6+91rB
>>195
>>193で違う状況なのにいきなり貶めてるじゃない。
197 :人間七七四年2009/03/20(金) 13:16:51 ID:Q2F3F88L
>>194
不対等なら尚更じゃない?
というか、長宗我部は長宗我部スレでやってくれ
198 :人間七七四年2009/03/20(金) 13:19:04 ID:dC6+91rB
>>197
酷いもんだ。自分から言っておいて
突っ込まれるとそれか。
200 :人間七七四年2009/03/20(金) 13:22:25 ID:0BFdVbdL
>>197
上から頭抑えられて頷かされるのをそう簡単に受け入れられるのかっつー事
長宗我部の話というより君のレスに対する疑問だよ


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