前田に比べたら上杉は遥か格下だよなぁスペインが戦国日本を植民地化しようと攻めてきたら

2011年01月12日

天皇って戦国時代どうやって暮らしてたの?

1 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/06/12(月) 01:32:11 ID:hf6Dnuae
とかいうことを話すスレです


2 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/06/12(月) 01:40:45 ID:i5qATDn9
1564年に書かれたガスパル・ビネラという人の報告書には、
「天皇は少しの兵ももっておらず、そのためいつも困窮していたが、国民達には尊敬されていた」
とある。

翌年の、宣教師ルイス・フロイスの報告書にも
「都には宗教上の位を持つ人がいて、日本人は天皇を日本の頭としてほとんど神であるかのごとく尊敬している」
と書かれている。

貧窮を極めた天皇であるが、それでもなお国民の大多数の人達に敬慕されている・・・・。
こうした外国人の見方は当時の状況をかなり正確に表したものだと考えられている。

ちなみに、フロイスは足利将軍にも触れている。
「威厳のある地位を持っているが、実力は乏しい。戦国大名はほとんどその力を認めておらず、尊敬もしていない」
5 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/06/12(月) 01:49:08 ID:CBJ9R8+7
さてと・・・
当時テレビも新聞もないのに
なんで見たこともない天皇を国民の大多数がマンセーしてたかの件。
7 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/06/12(月) 01:53:17 ID:i5qATDn9
91 名前:日本@名無史さん[sage] 投稿日:2006/05/24(水) 00:32:24
一向一揆の時に天皇の勅命で和解したんだけど、
信徒には本願寺明け渡しは天子様の御意だと説明されたとか記録が有った。
知らないわけねーな
8 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/06/12(月) 02:04:24 ID:JRczWY5L
戦国時代は即位式のお金すらなかったり内裏修理費すらなかったりと大分困ってたそうだ
時折、大名からの献金があったり(官位と引き換えのケースが多い)してなんとかもっていた
信長が台頭すると御料所回復や継続的な支援が得られるようになり落ち着いた
9 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/06/12(月) 02:09:55 ID:f3lopGy5
奥野高広氏の研究の中で室町後期の皇室御収入という項があり、
1487〜1569までの82年間の御領毎の収入表を掲げ、1521〜1569までの平均収入額は620貫文、
他に禁裏御修理費として125貫文、合計で750貫文ほどらしい

他に雑収入や献金などの臨時収入もあったと考えられるので、
事実はこの額以上らしい。
10 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/06/12(月) 02:15:26 ID:iiTsAs17
>>5
神と同じで見た事がないからこそとも言えるのではないか
11 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/06/12(月) 02:50:27 ID:98ACJM/U
日本神道は全国に広まってただろ
13 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/06/12(月) 03:16:00 ID:JRczWY5L
天皇が全国に立てさせた国分寺とか
分かりやすい存在を示す建造物ないし地名はそこかしこにあったから、存在を知ることは容易くできたんじゃないの?
戦国だからってまったく情報を入手できないわけじゃないだろうし
15 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/06/12(月) 16:50:49 ID:iiTsAs17
>>11
見たことがないはそういう意味じゃないと思う
16 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/06/13(火) 15:37:43 ID:4kapOCOB
領主が勝手に作った氏神を
領民は疑いもせず祀ってたんだろ?

墓参り程度の事かもしれないが
18 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/06/14(水) 01:13:41 ID:mXnGfe9u
天皇という言葉すらしらないんじゃない?
19 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/06/14(水) 01:26:28 ID:aVPZMctv
もともと全国の民は天照大神(太陽)を崇めてたんだよ
どっかから来た馬の骨の王がその神の権威を借りて成功したと
20 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/06/14(水) 02:21:29 ID:fZBqPe59
>>18
天子とかは知ってたかも名
21 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/06/14(水) 02:42:15 ID:WlJ3chJz
>>9
信長が石山本願寺から徴収した税が五千貫じゃなかったか?

皇室の台所事情、寒すぎ。
22 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/06/14(水) 20:31:40 ID:b2fcKuuB
>>21
あくまで御料所や禁裏修理費の徴収での収入なんで、実際はもっとあるようだよ
何より献金額が大きいようだからね
でも後奈良天皇なんかも即位式が行えず、献金によってようやく出来たから
経済事情が相当逼迫してたのは確かかと

ちなみに室町前期だとこの御料所収入は7500貫文あったらしく
戦国期に10分の1に落ちてるらしい
23 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/06/15(木) 11:20:47 ID:Z2BZ2gTe
各地(地方)の豪族達が位を貰う為に相当の貢物をしていたのはあた
24 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/06/15(木) 12:41:51 ID:76BnBo28
かなーり歴史の表舞台からは遠ざかってるね
特に何もしてないと思う
25 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/06/17(土) 17:36:18 ID:D0NaUdfd
戦国期には天皇も他の公家と同じ悲惨な生活を送っていたのか?
26 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/06/19(月) 16:42:59 ID:9PTVnzhY
後柏原天皇 明応九年(1500)践祚→永正十八年(1521)将軍義稙や本願寺の費用調達で即位

後奈良天皇 大永六年(1526)践祚→天文五年(1536)諸大名の献金で即位
(諸大名・・・北条、大内、今川、土岐等の名前が出ている)

正親町天皇 弘治三年(1557)践祚→永禄三年(1560)毛利らの献金で即位

と徐々に期間は短くなってはいますが、随分時間がかかったものです
29 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/06/25(日) 17:06:12 ID:mC+Qq2yc
台所事情考えると、かなり薄い。
しかもそれだけの大義名分を光秀が、微塵も表に出してないのも疑問。
30 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/06/25(日) 22:01:06 ID:YukMO7q7
素朴な疑問なんだけど、
禁裏は誰によって警備されていたの?
31 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/06/25(日) 22:47:38 ID:82lvwzAH
古式な朝廷の財政収入は詳しい事はあまりわからない。
神宮からの貢送やわずかばかりの勤皇家達からの善意でくらしていたんじゃないのかな。
実力をもった大名からの支援はあまりなさそう。織田家は結構していたらしいが。
32 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/06/26(月) 14:07:55 ID:J4Khsh1H
武家が叙位・任官されるときに馳走(礼銭)を出すしきたりだった
信長も最初のうちは「こういうときは馳走を出すものですよ」と
たしなめられたりした
33 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/06/26(月) 14:20:23 ID:J4Khsh1H
>>30
将軍家が京で健在のときは大番がいた
(大番催促って高校で習うよね?)
公家が警護を勤める禁裏小番というのもあって
これは摂関家以外の公家ならみんな勤めた
35 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/06/26(月) 17:05:08 ID:N5ClZGxM
大番って鎌倉幕府の職制で、南北朝までじゃないか?
室町では侍所が担当で御門役奉行が置かれたと思うが

禁裏小番は活躍したみたい
36 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/06/27(火) 03:30:08 ID:asCv9dRp
後奈良天皇の十三回忌の法会でも金がなかったらしい。
結局山科言継が岐阜まで直接出向いて信長・家康から二百貫の献金を受けたとか。
37 :332006/06/27(火) 14:15:19 ID:J9+7njt5
>>35
その通りだね。
禁裏小番に話をつなげることばかりが頭にあって
思いっきり筆が滑ってしまった。ごめん。

>>32の補足だけど、礼銭を出すという約束で叙位
されながら、叙位された後は催促無視で踏み倒した
詐欺まがいの事例もあって、担当の公卿が日記に
愚痴を書き残したりもしてる。
無知な俺でも知ってるからにはたぶん有名な
言継卿記にあった話だと思うが記憶が定かでない。
38 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/06/29(木) 02:04:55 ID:cvVAlLFv
>>1
その頃の天皇の現実政治と関わりが深い大きい行為としては、官位授与と改元が挙げられる。

朝儀の費用や官位の礼銭は、命の綱ともいうべき収入となっていた。
まさに彼らは、官位授与と改元をなりわいとする、政治的職能集団だったのである。
39 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/06/29(木) 16:15:31 ID:t3w9/Dkz
後奈良天皇なんぞはせっせと手紙書いて金もらってたみたいらしいな。
40 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/06/29(木) 16:32:01 ID:c8YDLsMo
官位濫授の例としては、本来幕府の侍所頭人しか与えられなかった左京大夫を
一時期に大内義興、伊達稙宗、武田信虎、北条氏綱に与えたことがあげられる

稙宗は旅費を含めてだが、二百五十五貫文使ったそうだ
41 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/06/30(金) 23:44:16 ID:M4dBxHLD
百官を統べて天皇を補佐すべき関白は一体何をしていたのか?
秀吉が関白になったのは国政上の権限を利用するためだったとか
秀次が関白となり独自の権限を行使したため、秀吉は切腹させざるをえなかった
という意見があるが、そのような権限はそもそも関白にあったのだろうか。
42 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/01(土) 19:45:08 ID:ktjLjsgt
あるといえばあるし、無いといえば無いというか
没落した足利将軍の例を見るまでも無く、
経済力の伴わない権威では人はついて来ないから
43 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/01(土) 20:07:12 ID:Y8EWlhXq
架空の人物かもしれないが、神武天皇ならバシバシ戦国大名をぶった切っていったんだろうぁ。
信長も謙信も信玄も相手にならない強軍事力をもった天皇陛下もかっこいい。
44 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/02(日) 00:46:11 ID:/G43enYH
>>41
実際は全く反対で、この時期の関白は朝廷政治から疎遠となり、むしろ意識的に距離を置こうとしていました。
たまに開かれる伝統的朝儀には参加していましたが、実質を伴う官位授与、改元に関わってませんでした。
それだけでなく、摂関家の公卿は陳儀には全く参加せず、消息宣下の上卿にもならなかった。
改元についても摂関家の公卿は陳儀に参加せず、関白は内覧する立場にあったが、出仕せず意見を求められても返事をしなかった。

それは摂関家が禁裏小番衆に最後まで参加しなかったことにも現れています。
46 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/02(日) 18:29:47 ID:R+qcj8yT
日テレが、日本の皇室を相手にハリウッド映画も顔負けのテロリズムをやらかしましたよ。w

日本テレビ高校生クイズの司会者がパラシュートで赤坂ご用邸に落ちた模様
http://news19.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1151827742/
【速報】「高校生クイズ」関東大会で2名が強風に煽られ赤坂御用地に着地 司会のオリエンタルラジオか
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1151827837/
日テレは赤坂御所襲撃事件の犯人を実名報道せよ
http://live23.2ch.net/test/read.cgi/liventv/1151828264/
【不敬】日テレが空から赤坂御用地に侵入
http://live23.2ch.net/test/read.cgi/liventv/1151832010/
日テレまた失態 赤坂御用地にパラシュート不時着
http://society3.2ch.net/test/read.cgi/mass/1151829023/
48 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/04(火) 23:16:50 ID:IZ3EQGu7
秋田県立大および偽皇室のオウム殺人犯罪容疑
http://society3.2ch.net/test/read.cgi/soc/1137727591/416-423

2 名前:藤本しゅういち :2006/06/22(木) 13:54:13 ID:r/NLr5NA0
ヤバイ!!教員の●盗もうとして捕まっちまったよ!! 誰か助けて!!もうショック!!
http://school5.2ch.net/test/read.cgi/ojyuken/1151149645/

255 :非公開@個人情報保護のため :2006/06/15(木) 06:59:11
小説救急車殺人企画事件を考える
http://hobby7.2ch.net/test/read.cgi/truck/1109449154/463-469

275 :↑しつこいキチガイ女め :2006/06/13(火) 17:08:16 ID:???
ヒットマンではなく 直接してやる。覚悟しろや。】ヒットマン ププ
http://www.akita-pu.ac.jp/bioresource/b_aisatsu.html

311 名前:実名攻撃大好きKITTY :2006/06/24(土) 19:13:31 ID:zgdswjAI0
それ俺の親友。マジショック…

188 名前:最低人類0号 :2006/06/22(木) 01:01:05 ID:2CWmvqaB
お前のせいで私の人生終わったよ。 このまま柵のついた窓がある病院で一生を終えるなんてイヤだ。
http://www.akita-pu.ac.jp/bioresource/dbe/rural/staff.html

176 :学籍番号:774 氏名:_____:2006/06/27(火) 15:34:50 ID:nPFLGkCv
●●殺人大学は、人の殺し方や死体の処理の仕方を教えている。

957 :学籍番号:774 氏名:_____:2006/06/26(月) 01:02:44 ID:8gqYcyr7
(括弧内補足:入学者激減により)来年度の収入見込みは絶望的であるがこのような状況化においても
学生の募集を続けていることは、学生の将来を無視した、学長の自己中心的な判断だと言える

601 名前:名無しさん@ゴーゴーゴーゴー! :2006/06/26(月) 16:17:18 ID:ZaBaB4mj
まぁ、警視庁が動き出したってのは事実でしょ 事実出ないことをブログにのせる奴はいないし
51 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/06(木) 15:15:50 ID:2xTx23mS
>>2
それは信長が義昭の力を削る為に天皇の存在を天下に示した為
将軍より上の存在がいると言う認識を持たせて
天皇の勅命により将軍を追放したとすれば全国の非難を受けなくて済む
また、宣教師なども対外政策に利用した
52 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/06(木) 16:01:38 ID:KojK1AQ9
それが今谷説なの?

幕末にも似たようなことが
信長の二番煎じなのかな
53 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/07(金) 22:02:16 ID:Nn7Z8rby
戦国時代なんて山城付近しか天皇が何かなんて知らなかっただろ
存在に気がついたのが信長だけだし
信長が持ち上げなかったら天皇家も消えていたかも知れない
54 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/07(金) 23:21:28 ID:8vZw53TM
今の天皇家だって国民の税金収入で暮らしている訳だから
昔も今も変わらない、って事か?

56 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/08(土) 23:10:50 ID:GNV63mEE
本願寺顕如なんかは
信長が11年も戦い続けてついに倒せず、朝廷に講和を仲介してもらった相手。

信長の本願寺引渡しの要求を蹴り交戦、1576年5月の戦いでは[土高]直政
などの有力武将が戦死するなどの激戦を演じるも
後陽成天皇の仲介により1579年に本願寺は紀伊国鷺森に移転することで解決をみている。

1600年の関ヶ原の戦いでも
細川藤孝の居城・丹波田辺城を石田三成の命を受けた小野木公郷の軍勢
1万5千が包囲したとき、
後陽成天皇が勅旨を出し、西軍に城攻めを中止させ、城主・幽斎には開城を
勧告して成功している。
58 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/13(木) 10:36:06 ID:A35/IVz+
この時期の天皇に「正式な妻」はいない。
適当なお公家さんの娘が女官仕えしているのに手を着けるという・・・

正式な妻が復活するのは正親町天皇(女御・正親町町子)からだったっけ?
59 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/13(木) 16:23:37 ID:AHjEoA4W
後陽成天皇の女御、近衛前子じゃね
ところで正親町町子って?

ちなみに中宮はずっといないんだね
後醍醐帝、西園寺禧子、?子内親王
光厳帝、懽子内親王、以来

後水尾帝、徳川和子まで、女院はいるけど
60 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/13(木) 16:59:45 ID:AHjEoA4W
ところで皇室の窮乏の話のつづきだけど、

後土御門崩御の時は、葬儀の費用がなく
四十九日間黒戸の御所に置かれたそうだ
61 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/15(土) 16:24:58 ID:9j1D7g9b
信秀のおっさんみたいな田舎大名はちまちま貢いでたみたいだけどな
62 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/16(日) 00:33:41 ID:0n761hH+
四千貫ってちまちまなんだ
それとも、四千貫を何度も貢いでいたとか?
63 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/16(日) 00:36:06 ID:3q5UPyra
今で言うと一貫が十万円ぐらいだっけ?
64 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/18(火) 16:31:23 ID:Fio7aWUO
一貫文は米1石(〜4石くらいまでの説もあるけど)
一石=一両とすると七万〜十万円くらいかな?
65 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/18(火) 21:01:57 ID:eEoVUw2W
権威だってそんなにあったとは思えないな。
仲裁したといっても、大名たちが権威に恐れ入ったわけじゃなく、
一つには信長が本願寺や浅井、朝倉と停戦した時のように、
双方に停戦することにメリットがあったから成立したのであって、
メリットがなければ聞く耳持たずに戦い続けただろう。

もう一つには、浅井、朝倉や本願寺、あるいは関ヶ原のときの
細川幽斎にせよ、信長や豊臣家が天皇の権威を利用している以上、
天皇の名による停戦なら騙し討ちにしないと考えた点が大きい。

そういう点を考えた上で、信長や幽斎が
確実に停戦を成立させるために天皇を担ぎ出したと
見るのが妥当ではないだろうか。
66 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/18(火) 21:12:56 ID:LwdFnf7v
>>65
>一つには信長が本願寺や浅井、朝倉と停戦した時のように、
 双方に停戦することにメリットがあったから成立した

お互いのプライド保つための役割?
仲間やら親兄弟やら死んだせいで復習の戦争続けたがる部下達を
納得させるための役割?
67 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/19(水) 17:39:25 ID:zbrr7qcJ
天皇に権威があるのは依存はない
あるちゃあるでしょ、いつの時代も

だがここは暮らし向き中心のスレと思うよ
68 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/20(木) 10:45:41 ID:9OYjOJEo
戦国期天皇の葬礼

・後土御門帝 明応九年(1500)九月二十八日崩御 十一月十一日火葬
・後柏原帝   大永六年(1526)四月七日崩御 五月三日葬礼
・後奈良帝 弘治三年(1557)九月五日崩御 十一月二十二日葬礼
69 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/25(火) 15:46:54 ID:250M6HAG
天文四〜五年(1535〜36)後奈良天皇即位の礼のための献金

大内義隆 2140貫+100貫
朝倉義景 100貫
長尾為景 100貫
土岐頼芸 10貫
70 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/25(火) 15:50:09 ID:250M6HAG
永禄元〜三年(1558〜1560)正親町天皇即位の礼のための献金

毛利元就 2000貫
朝倉義景 100貫
三好長慶 100貫
北畠具教 20貫
71 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/27(木) 22:02:56 ID:GWLvOOnA
大田道灌とか、上杉謙信とか、明智光秀といった教養人は
本気で天皇に対して尊崇の念を持っていたと思うんだよね。
でも信長や秀吉が同じような尊崇の念を
持っていたとは思えないんだよ。
彼らは利用することしか考えていなかったと思う。
利用するために尊崇するポーズは示すけど、内心はそうじゃない。
73 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/29(土) 23:01:59 ID:8ZEE5HEy
>70
北畠が寄進少ないのは伊勢国司として
まだ北朝の天皇に抵抗でもあったんだろうか。
74 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/31(月) 13:45:34 ID:dLAkCeci
教具以来、親幕府に転じた、北畠氏
戦国期は北朝も南朝も気にしていないのでは

ちなみに永正七年(1510)北畠材親が大納言に任じられたが、
このときの献金は、天皇に二十貫、人事を周旋した三条西実隆に五貫
経済力の問題と思う
75 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/02(水) 13:50:54 ID:CYl+4rJu
今谷明氏によると、官位に対する献金の相場は、三十貫

それにみたない事を理由に、蹴られた事例もある
畠山義総や土岐頼芸
77 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/04(金) 13:51:31 ID:EPr7+mWz
戦乱や老朽、大雨などで酷く痛んだ内裏の、修繕費向け献金

天文十年〜十八年

織田信秀 四千貫
今川義元 五百貫
麻生興益 三百貫
本願寺   百貫
阿蘇惟豊 百貫
78 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/04(金) 14:16:26 ID:taafYsel
信秀のは異常としかいいようがない。
さすがは神主の血筋。
79 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/04(金) 14:21:38 ID:EPr7+mWz
三河守欲しさもあるんだろうけどね

それにしても破格だね
80 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/04(金) 14:28:11 ID:czP6dbyj
ていうか四千貫てちょっとした城が建つよな。

信長の朝廷軽視(に見える行動)て親父が献金しまくった事への
反動なんじゃないかって気がしてきた。
くだらないことに会社の金使いこんでんじゃねぇよ、みたいな(w
81 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/04(金) 14:31:02 ID:EPr7+mWz
三河守得たからって、勢力図が特に優位になったわけじゃないものね=親父殿

反面教師も、有り得なくはないね
82 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/04(金) 14:35:18 ID:taafYsel
信長の朝廷軽視って、天正改元と暦の変更と右大臣返上だっけ。
でもこれって信長の理想の追求が朝廷の思惑を超えただけで、
別に軽視とかいうのとは少しだけ違う。
83 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/04(金) 14:41:27 ID:EPr7+mWz
朝廷軽視かどうかは、別として

左大臣任官の誘いに、正親町天皇譲位を逆提案するとか
ある意味ありえないことはしてる
85 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/05(土) 10:09:13 ID:0L1w1vE5
ソースは今谷の本

朝尾直弘氏はこの問題を、信長の誠仁親王傀儡化への、希望の表明だとしているらしい
86 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/08(火) 00:11:36 ID:L2WJ73yH
反論としては、もともと譲位は天皇の意思だったが、手元不如意でできなかった
というのもあるが。
87 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/08(火) 13:58:49 ID:uFIsn5e+
いや、この段階(天正九年)の段階では、朝廷の拒絶により譲位はしていないよ

実際の譲位は天正十四年(1586)
践祚したのは、信長が傀儡化を狙った誠仁親王の子、周仁親王
88 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/08(火) 20:27:02 ID:Q1Qv7hLz
朝廷が正親町天皇の拒絶なんてどう解釈しても無理、むしろ譲位ではなく、
それに託けて要求された暦問題を拒否したと見るべきだろう
89 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/09(水) 14:29:22 ID:+oSxhJVp
天正十四年三月十九日に、小御所の群議で、譲位の要求を拒否することに一決してるのだが

まあやめときます
暮らし向きスレだし
90 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/09(水) 14:31:00 ID:+oSxhJVp
ゴメンなさい
>>89の天正十四年→天正九年の誤りでした
91 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/22(火) 03:38:32 ID:UJkLqrmG
今谷明氏は
天皇の権威は義満の頃が最低で
そのあとは徐々に上がっていき、戦国の頃はかなり大きかったと述べている
92 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/22(火) 15:37:03 ID:T8bEYFtt
だが生活の困窮は戦国期が、多分一番ひどい
93 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/22(火) 17:29:13 ID:+fCcY1r9
勤皇の家柄織田家。

信長の代でもそれは続いて
安土に天皇招くための御殿も建てられてるぴょん!
94 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/22(火) 18:13:35 ID:WNxoY4sA
この時代の天皇は実像を消すことによって神格化されていった
って日本史の時間に先生が言ってたんだが
95 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/22(火) 23:14:47 ID:OcHdJStz
俺の日本史の先生は、歴史は権力と民衆の戦いだといってたんだが
96 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/23(水) 08:14:38 ID:at+EE0RR
>>95
どうみてもアカです。本当にあ(ry
97 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/24(木) 15:29:54 ID:F2YBw/H/
>>92
大葬や即位の礼の話もそうだし、
例えば土御門御所の築地塀の修理の話もある

永正十七年(1520)十二月に、朝廷は細川高国に修繕を要請したが
暫く放置され、翌年二月末にやっと修築をはじめた
この時は献金というかたちではなく、細川氏が人夫を動員して行ったとか
98 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/26(土) 16:53:25 ID:MS85cFmB
三条西実隆は今川氏親と朝倉貞景の夫人に頼まれ、
後柏原天皇に宸筆の源氏物語二巻を、揮毫してもらっている
99 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/27(日) 14:00:12 ID:uhW4J2cL
信長が、天皇家を一番理解していたと思います。
戦前の教科書では、信長を尊皇の代表人物のように
書かれています。上洛前から金銭的に援助していたからです。
経済、明との外交、暦、序列、神道・仏教などの宗教を
一纏めにしている力があるのに、武力は無い、という謎を
信長は一番よく即物的に理解していたんだと思います。
本願寺勢力や比叡山など、旧体制に依存するものを殲滅
しつつ、天皇家を保護しているのは、高度な政治力としか
いいようがありません。
101 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/28(月) 16:06:57 ID:m1Tzt+JD
>>98
これも内職かな
102 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/03(日) 11:46:18 ID:27/P35yw
>77
信秀のその献金って、
興福寺の多聞院英俊に「不思儀の大営か」と書き残されてたけど、
尾張半国程度が勢力範囲だった信秀が、
西国の雄で比較にならない国力を持つ大内・毛利氏をはるかに上回る額を献金してきたのだから、
「ありえなーい」なんて書かれるのも無理はない。

だが、そこで考えてみると、比較的裕福とはいえ、たかだか半国程度の領主がそれだけの献金が出来たのであれば、
他の諸勢力も、少なくとも同じくらいは捻出できたのではないか?
ところが、実際には1000貫を越すことさえ極めて異例だった。
これは、「経済的な理由で出せない」のではなく、「出さない」「出す気がない」ということではないかと。

そうしてみると、当時の民衆はおろか、中央・地方の有力大名、知識人が
果たしてどの程度、朝廷に対して崇敬の念を抱いていたのか、はなはだ怪しい。

だいたい、大名が本気で尊皇とか言い出すのであれば、まず自分の領国にある、朝廷の荘園を返還するのが筋ってモンであろう。
ところが、実際には、朝廷から「領国にある荘園のうち、○×の分の貢租を納めよ」と、催促されてから
ようやく「その年に請求された分の」貢租を一度納めればまだましなほうで、
実質勅命を無視することも多々あった。
もちろん、所領の管理については、実質的に土地の権利を持っているのは土着化した家臣団であり、
その家臣団に対して決して専制的に絶対権力を振るえたわけではないから、
という理由付けは出来るが、
それこそが、
朝廷への奉仕より領国の統治の安定のほうが重要だった、
ということではないか。

だから、当時の朝廷は生活に相当苦労しただろう。
ただでさえあてになる収入が見込めないのに、「朝廷」である以上その格式を守るためには何かと物入りである。
「格式」のためにも、うかつに「倹約」なんざできやしない。
外遊のときだけ体調が回復するヒトとは苦労の次元が違いすぎる、いろいろな意味で。
103 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/03(日) 14:47:12 ID:NLNq6QuU
最後の一行は蛇足だな。
内容の是非ではなく、板的に。
104 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/10(日) 03:45:08 ID:r/tAU4zL
天皇って10万石しか持ってなかったってホント?小名クラスじゃん
105 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/11(月) 16:21:28 ID:5ub3f8Gk
それは江戸期の話で(詳しくないので詳細は知らないですが)、
戦国期は、禁裏料所からの年貢が途絶えがちだったと思いますが
108 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/13(水) 12:42:42 ID:k2FdryTm

        ..,,,,,ll,,,,,,,|||Illllla,,_
      : .,,,illlllll゙゙¬゙|ll|l》゙|ト砲,、
     、,llllll゙゙`″  : : `:   ``ミi、
    .:ll感l″          ..゙lL
    ..,,,l巛゙l,!:      、 i、    法
    .i'フ,,l,゙l": .:igl絲!llト:″|: .,,,,iig,,,,永
    .`;ll,lト  : ]″_,,,,,┐._ .,i´  .゙て″  A級戦犯どもには、朕の代わりに
    : ;,lレ-・''゙‐'ゼ゙゙”`,ア~`゚゙|,゙゙゙゙lト,レ⊥
   广'i、ァ   ゙゙‐'‐'" : :::  ゚"ー'″ .|i、    侵略戦争の責任を取ってもらわんとのう
   .;ヒ'::;,il|      _.:::::::  .?   ||
   .'fi,;゙l;ヒ  : : ;:  :":・lll゙l,.'l・!°   |′ だからA級戦犯は「極悪人」でないといけない
     ゙'!,,,い:    ,‐ .,!.gl,,|i,,j,,\  .,l゙  極悪人を祀った靖国には行けない
      .”゙l   /゜,,,,,lwew-ii,, ゝ ,l′     
       ll,  ゜,,l゙`:;,,,,l,ll,,、.゚ト.,,i´  それが私の心だ
      ,,,i'llr゚''ri,,,,,_ : :   : : _,r°
    ,,,iilllli,゙h,、`゚゙゙゙lllllllllilllllll"】
109 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/14(木) 07:32:58 ID:L7J9JdYb
>>108
ものをよく知らない人間の感想
というか、オートでしかAAつくれないやつがネタ作ってる時点でさむい
それを平気で転載する奴もさむい
111 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/15(金) 18:50:57 ID:7ejKD+XI
和歌とか書いたのを売ったりして小銭稼いでたとなんかに書いてあった。
112 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/16(土) 00:36:44 ID:ulKrLO2A
あと、言葉は悪いが、人身売買も大きな収入源だった。

いや、その、言葉が悪いけど・・・。

寺に子供を出家させて、寺に格式を与えて、その見返りで、寄付を受けていた。
114 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/17(日) 17:59:30 ID:fvi+9GLg
>>112
公卿だと、娘を地方の有力大名に嫁がせて、そこから仕送りを貰ってたケースも
あったとか。
織豊政権の間は地方の荘園を取り戻してもらったり、献金してもらったりと比較的
生活が立て直されるも、徳川時代以降はまた貧乏に逆戻り。おまけに紫衣事件を
始めとする屈辱的な事件が続発。
115 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/17(日) 23:16:52 ID:OdNiEV2p
江戸時代だと公卿の娘は大名の側室に入ってたね
戦国時代でもだっけか?
117 :名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/10(日) 18:15:31 ID:DA9z/4Q+
てか、戦国に限らずなんだけど
天皇が大体的に国民に宣伝されたのは明治だよね??
それ以前は国民は天皇の存在を知ってたの??
知ってたにしても忠誠心はあったのかな
121 :名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/11(月) 18:45:59 ID:siPQM6S8
明治になって将軍家とは別のシンボルとして天皇を持ち出したわけだが
庶民には天皇って誰?レベルだったので民間に信仰されてた神社の
総元締めが天照大神で、その子孫が天皇だって説明したって話だが・・・
122 :名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/11(月) 19:50:58 ID:qGDi3iKq
>>121
よくわからんけど一番偉い人がいるらしいってのが案外虚像が膨らむってもんよ

知らないからこそ悪いイメージがつかないからな




あと農民レベルは誰も知らない、ってのはありえないよ
建前としては千年以上変わらないんだから、もう伝承のレベル
ちょっくら戦国大名の興亡なんかよりよっぽど根付いているよ

畑を耕して、飯食って、セックスして寝るだけ
こんなに何にもない時代に他にどんな事に興味を持つんだよ
123 :中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y 2006/12/11(月) 20:51:10 ID:spCQ0nlX
9世紀に五衛府の官職が農民に売官されまくったことがある
官位大系はその最上位に帝を据えているわけだから少なくともこの時期の上級農民には
帝の存在は認識されてたわけだ
124 :中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y 2006/12/11(月) 20:55:17 ID:spCQ0nlX
あと戦国時代でも京洛の町人のなかに地下の位階や職式を帯びるものが出てくる
魚屋の初位とかね
127 :名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/12(火) 01:25:29 ID:X+ktskaf
将軍殺しは多々あったけど天皇殺しは流石に誰もやらなかったからな
そこが日本と中国の違いだよね。
128 :名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/12(火) 02:06:31 ID:PDtF0YME
崇峻天皇はどうなんだ
安徳天皇もどうなんだ
後南朝はまあいいか
孝明天皇もかなり怪しいぞ
129 :名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/12(火) 02:30:53 ID:anlVCpzF
>>122
飽食で医療設備の整った現代人にはぴんと来ないが
食うことと生き残れることが一番の興味だよ。
130 :名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/13(水) 00:32:33 ID:uprW5mYV
>>128
崇峻天皇のあたりまで遡る必要があるというのが特異だと思うが。安徳天皇は
殺害とはちょっと違うと思う。後南朝は、自天王は天皇ではないでしょ。
131 :名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/13(水) 02:33:33 ID:DnEZETEu
>>129
人はそれだけでは生きていけんよ。
貧しくても歌を詠む人間がいる。
133 :名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/13(水) 11:13:15 ID:An+1v4By
それと実は著名な人でもわざと名を残さずに書いた
いわば匿名希望なんて人も居たって話だが・・・
134 :名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/13(水) 13:05:57 ID:2CLLwAv5
>>19
天照大神信仰自体が奈良時代にできたんじゃないの?
太陽神信仰ってどこの国でも大抵「男神」なのよ。それが日本の場合
女神になってる時点で怪しい。
135 :名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/14(木) 20:25:07 ID:9tKeqJxV
北欧神話の太陽神ソールも女の子。
キリスト教改宗後は、これの代わりに「聖ルキア」が「光の乙女」として特別扱いの守護聖人に。
お祭りの日は12月13日。(←今日)
136 :名無し議論スレにて投票方法審議中2007/02/06(火) 18:22:46 ID:6WPSxryU
あの時代の天皇の威光は民衆まで届いていたのだろうか?
例えば松永久秀が天皇を殺したとしたら、各地から袋たたきにあったりするのか?
137 :名無し議論スレにて投票方法審議中2007/02/06(火) 18:46:40 ID:cjpK3C3s
極貧でも権力は衰えた幕府より上だったな。
改元に関しても早々に決めて、幕府の意向なんか無視だし。

改元後も旧元号を使ってた義輝公がお労しい。。。
138 :名無し議論スレにて投票方法審議中2007/02/06(火) 20:33:03 ID:PMWzsfpB
誤解を恐れずに言えば天皇は時の権力者に日本統治の正当性を
与える機関にすぎない。それが外国人であってもだ。
戦後アメリカによる日本統治に力を貸したのは紛れもなく昭和天皇だし。

139 :中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y 2007/02/06(火) 20:46:04 ID:cTdTi5C5
>>137
南北朝や持氏のように政治的な意味でわざと違う元号を使うならかっこいいけどな
義輝はたしかにとほほ過ぎる
140 :人間七七四年2007/03/13(火) 19:37:42 ID:H6IFKeay
山村や漁村には天皇から発給されたという近世の偽文書が結構ある。
天皇の直轄民としてその地域での森林伐採権や魚漁業権、狩猟権、採掘権などを認めたもの。
これを調べ、中近世の庶民にけっこう天皇の権威が及んでいたと誰かがなんかの本に書いていたね。
144 :人間七七四年2007/04/04(水) 10:34:00 ID:cbg5soKx
戦国の極貧が、江戸期の逼塞を耐えさせる土台になったのかな、と思ってしまう
145 :人間七七四年2007/04/04(水) 17:31:57 ID:tuMP33KH
まあ、即位の儀式を執り行う金がなくて延長に延長を重ねたり、
落書きだらけのボロ塀や雨漏りのする御所で過ごすことを思えば、
締め付けられていても、
ちゃんとした場所に住めて、ちゃんと儀式は執り行える方がいいと思えるんじゃね?
146 :人間七七四年2007/04/07(土) 01:35:19 ID:ArSmcmx3
>>63
江戸時代だと屋台の蕎麦1杯が16文
現代の貨幣価値だとまぁ16文=300円くらいだろうか
これだと4千貫で7500万円
通常は1文=25円(屋台蕎麦=ファストフードが400円)とされるがそれだと1億
売春婦は一番安いのが24文(1文25円で600円、18.75円で450円)
どっちにしろ激安
人間の値段が安かったんだな

100貫で188万〜250万円、20貫だと38万〜50万円
信秀以外の大名はご祝儀程度だな
やる気ない

20万貫の大名(小田原征伐後の佐竹程度)で年収37億円
太閤検地の常陸と尾張の石高は大差ないから
勝幡織田家の国家予算は傘下の小領主分込みで年20億くらいか
そっから7500万〜1億円の拠出(下心あり)を高いとみるか
40万〜250万円しか出さない他の守護クラスの大名がセコイとみるか
147 :人間七七四年2007/04/07(土) 15:15:08 ID:TJ6DZNad
>>146
米価換算・物価換算どっちで算出してる?
どちらを採用するかでかなり差が出る。
149 :人間七七四年2007/04/27(金) 12:16:05 ID:peIHCS8N
>>145
明らかにマシだよね
あとは後水尾をどう説明するかだな
150 :人間七七四年2007/05/16(水) 14:24:41 ID:/Won5qyq
後水尾の場合は、紫衣事件で激怒したんだから
朝廷も勝手に与えさせないとくれば、怒るのも当然
その後はそれにも馴れてしまうわけだが
151 :人間七七四年2007/06/12(火) 21:25:09 ID:2KrO610e
本能寺の時に、親王が切腹を覚悟したらしいね。
皇族が切腹の作法を心得ていたかは分からないけど。
153 :人間七七四年2007/07/15(日) 22:27:06 ID:g2JefKnK
「首つり」つうのもあるわな
大友皇子とか長屋王とか(古過ぎか)
155 :人間七七四年2007/07/28(土) 23:50:49 ID:ZFFkwhBj
「絶食」は淡路廃帝・早良親王・順徳院など
淡路廃帝は逃げようとして弓で射られて殺逆されたともいわれるが。
157 :人間七七四年2007/07/30(月) 23:40:55 ID:RnngpfRL
その二人は公式メンバーじゃないから








って、厨にはお触り禁止だっけ
158 :人間七七四年2007/08/01(水) 21:57:18 ID:EWII4+8r
天皇家は「利用されるだけの存在」
大名は敬意じゃなくて「利用価値があるから」献金したんでしょう
今も昔も一緒ですな
159 :中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y 2007/08/01(水) 22:29:14 ID:2zrrTLLF
>>157
ほう、いまの学会には公式メンバーという定義でも存在するんか
kwsk聞かせてくれ
161 :人間七七四年2007/08/02(木) 08:57:27 ID:DslYuunt
仮に信長包囲に成功した浅井朝倉が
天皇の停戦命令に従わなかったらどうなってたかね
162 :人間七七四年2007/08/02(木) 13:18:25 ID:FNjuNz3U
信長に「天子様の命に背く逆賊」として浅井朝倉を討伐する理由が出来るかと。
畿内周辺じゃボンビーとはいえ天子様の威光はそれなりにある。
163 :人間七七四年2007/08/02(木) 16:45:13 ID:7vFWojNU
「よく分からんけど天皇は偉い」

この言葉に天皇家が千数百年も命脈を保ちえた秘密が隠されているね
164 :人間七七四年2007/08/02(木) 19:05:11 ID:ZK6Yw38+
>>162
信長に理由ができるって言い方じゃ言葉足らず過ぎる。
浅井・朝倉を討つのが天子様公認の大義名分になるから信長以外からも狙われることになる。
場合によってはお家の中から謀反が起きる可能性もあがる。
165 :人間七七四年2007/08/02(木) 19:13:59 ID:nFunzCaQ
〉〉163
あれだな「よくわからん」が最大のポイント
それがなけりゃ天皇家なんざなくなってた
166 :人間七七四年2007/08/02(木) 19:18:38 ID:ZK6Yw38+
中華の皇帝は奪い奪われだったのにな。
なぜ日本の神聖君主はあれほど不可侵を保てたのだろうか・・・
167 :人間七七四年2007/08/02(木) 23:38:26 ID:7vFWojNU
古代ですら既に神輿的存在だもんね、天皇家は。
早い時期に「滅ぼす価値」がなくなったことは大きいと思う。
滅ぼさなくても天下の実権を握れるなら、わざわざ滅ぼす必要は無い。
しかも天皇家の歴史が長くなればなるほど、益々滅ぼしにくい。
168 :人間七七四年2007/08/03(金) 01:40:57 ID:DjiSCRKk
よく街中に取り残された神社や寺があるじゃない。
ああいう感じで、なんかようわからんけど
積極的に潰しちゃうのはあれだし
とりあえずそのままにして置いとこか
みたいな感じジャマイカ。
170 :人間七七四年2007/08/03(金) 19:40:09 ID:Eiz8E434
いつか使うかも知れないから、としまってある日ごろ使わないものほど
なぜかいつまでも行方不明にもゴミにもならず手元に残り続けるのと
同じようなもんか。
171 :人間七七四年2007/08/04(土) 09:46:10 ID:8YQB51kM
日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴でもある、今も昔も。
いわば日本上流社会の権威そのものだったわけだ。
173 :人間七七四年2007/08/04(土) 13:46:51 ID:8YQB51kM
現代日本でも天皇家より事務次官経験天下り官僚の方がいい暮らししてるしな。
174 :人間七七四年2007/08/04(土) 18:57:39 ID:NXIEG25d
>>173
朝から晩まで”まつりごと”にいそしんでそれ以外の時間は国の仕事に追われてるんだから
相当な激務ではあると思う。
176 :人間七七四年2007/09/05(水) 07:23:28 ID:tK5V1UaX
鎌倉で権威失墜してからは、ただのお飾り
明治・昭和ですらお飾り
鎌倉以前には国民放置で好き勝手やってたんだから当然と言えば当然
177 :人間七七四年2007/09/05(水) 20:29:14 ID:YzYO5249
権威というか権力な
権威づけにはいつの時代でも利用されてる
建武の新政で一時期高騰したが
完全に武家の信頼そこなっちゃったから
もうほんとお飾り
178 :砂岩か耳ね ◆oWrjcNwAas 2007/09/06(木) 20:47:52 ID:bo9npgom
>>174
天下り組は暇なんだろ?

年号改元の情報って、どうやって地方まで流れてたんだろう。
伊勢暦って江戸時代からみたいだし。
干支で暦を記す事も多かったようだし、生きていくだけなら不要不急の情報だし、
辺境まで情報が届いたころには、京ではまた改元なんてこともありそう。
179 :人間七七四年2007/09/06(木) 23:23:25 ID:FhDpB+Op
天下る前に事務次官まで行かなきゃならんならそりゃ激務だろう。
180 :人間七七四年2007/09/18(火) 01:46:03 ID:OEuoyKwZ
あと、初期の武家政権を作ったのが
平氏と源氏でどちらも天皇の分家てのが大きかったと思う
天皇の血を引く名家ってのが売りで
本家の天皇をやたらに蔑ろにする訳にもいかない。

でその配下になることによって天皇とは無関係だった独立系の武士も
天皇中心の上下関係に組み込まれちゃって
天皇なんて関係ねーよなんて言える武力集団が消滅した

IFだが安倍氏が源氏の攻撃を跳ね返して東北に独立王国を作ってたら
天皇の権威を否定する勢力が残って権威も大きく削がれたんではなかろうか。
183 :人間七七四年2007/10/10(水) 19:47:12 ID:oGz26LwK
で、結局どうやって食ってたの?
184 :人間七七四年2007/10/10(水) 20:43:15 ID:JhU317ig
アメリカ自由主義を受け入れるまで、儒教の封建精神と一緒に天皇マンセーしてたのが現実。
中国も皇帝制度から抜けられずにマルクスの思想と全然違う封建共産主義。
185 :人間七七四年2007/10/11(木) 16:55:24 ID:5UjKnepV
>>183
滞りもあったがある程度所領からの収入があった
あとは大名からの献金
188 :人間七七四年2007/11/08(木) 15:47:08 ID:hgoSOXMG
儀礼関係は足利将軍家が支えていたようだから、足利が力を失うと大葬も大嘗祭もできなくなった
190 :人間七七四年2007/12/10(月) 15:43:18 ID:mSCWZJAK
先帝の葬儀は出来ない、自分の大嘗会も出来ない、と歴代鬱憤は相当たまっていたでしょうね
193 :人間七七四年2008/02/01(金) 14:57:42 ID:1c4kzSXz
所領からの収入が激減し、室町幕府の献金も途絶え、即位も大葬も御所の修繕も出来なくなった
そこに献金し始めたのが大内毛利ら西国大名と織田朝倉ら、見返りは当然官位
196 :人間七七四年2008/02/16(土) 17:12:29 ID:MluQ3rwA
 どっちにしろ将軍は権威も無ければ経済力も無く中央をちょい治める
 悪ガキ大将くらいの地位が無かったってことか…

 天皇より将軍の惨めさがひどいなw 戦国はw(だから戦国なんだろうがw)
197 :人間七七四年2008/02/24(日) 16:42:55 ID:YWSiXACO
将軍家は、身内やら庶流やらなにやら、血統的にほとんど同格の氏族がごろごろいますからね。
足利氏自体、軍事力でのし上がった訳ですから、
力が衰えたら、地位が低下するのは致し方ないと・・・。

それにひきかえ、天皇家は軍事力はなくとも、権威は確保しています。
198 :人間七七四年2008/03/06(木) 13:53:00 ID:vLQ+7D1F
政治利用はされたけど かつてのように大名を利用して体制を変えるまでは考えなかったろうな。
199 :人間七七四年2008/03/22(土) 15:49:11 ID:aobQpzIr
性分にもよるんだろうけどな。後醍醐みたいのが出てくれば話は別。
200 :人間七七四年2008/04/05(土) 15:27:55 ID:u3grR8QO
後鳥羽院 後醍醐帝の失敗でおりたでしょ それに北朝は大人しいし。


vip_2ch_news at 03:55│Comments(0)TrackBack(0) 戦国時代 

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前田に比べたら上杉は遥か格下だよなぁスペインが戦国日本を植民地化しようと攻めてきたら