卍 本願寺 卍武将に「センゴク」風の寸評をつけるスレ

2011年01月12日

【歴史の】徳川家康VS前田利家【IF】

1 :人間七七四年2009/10/20(火) 00:47:21 ID:LP08N9hj
徳川勢:伊達、福島、蜂須賀
前田勢:宇喜多、毛利、上杉、細川、浅野、加藤

どうなってた?


3 :人間七七四年2009/10/20(火) 01:08:17 ID:C3jABo36
反徳川の圧勝
九州は黒田しかいない。

中国は細川しかいない。

四国は影響なし。

北陸は敵なし。

関東は佐竹、上杉、前田、真田
東北が上杉しか戦力ないのに不安だが相手が伊達最上南部だから互角は期待。
4 :人間七七四年2009/10/20(火) 01:08:54 ID:z9A+jnp5
家康も利家も戦なんかには持ち込まないでFA
5 :人間七七四年2009/10/20(火) 04:22:15 ID:W5M/3d4Q
>>1
利家VS家康の時点で福島、蜂須賀が家康つかないだろw
6 :人間七七四年2009/10/20(火) 07:33:05 ID:TXw4hU3R
利家が何歳まで生きるかによるけど結局家康の勝ちになると思うよ
光成と武断派の対立は抑えてるだけで解決出来てないし
7 :人間七七四年2009/10/20(火) 19:36:18 ID:ih2Mpx+T
家康の天下を阻止するだけなら十分だけど
利家が天下を取るのは到底無理、行動に移した時点でついてくる武将は皆無
8 :人間七七四年2009/10/20(火) 19:41:33 ID:ih2Mpx+T
>>3
>四国は影響なし。
高虎さんが居るじゃないか
10 :人間七七四年2009/10/20(火) 21:57:19 ID:ih2Mpx+T
あの場面は家康に非があったから利家についた大名の方が多かったけど
それでも家康についた大名も結構居たし
仕切り直しでどうゆう行動を取るかによるかな

無条件で家康につくのは藤堂、黒田、最上、池田
利家は宇喜田、石田、小西、立花かな、他は状況次第でどうなるか解らん
11 :人間七七四年2009/10/21(水) 01:15:07 ID:dtgUHOJV
福島って徳川家と婚姻関係結んだのに、徳川、前田に分かれて戦争直前までいったとき
なんで前田についたんだ?
13 :人間七七四年2009/10/21(水) 01:59:29 ID:cXYWWPUv
>>8
いや、四国ってやっぱ影響力ないしね。
蜂須賀や藤堂がいても対岸には毛利、内には長宗我部もいるし。
14 :人間七七四年2009/10/21(水) 03:12:55 ID:CgMSa8hh
利長が家康、利政が利家で分かれる

いくら寿命が伸びても家康には適わないよ
15 :人間七七四年2009/10/21(水) 06:49:30 ID:fTUc6nQb
>>11
前田に行ったのは清正だね、あと秀次事件で家康に借りがある細川も前田側
17 :人間七七四年2009/10/22(木) 01:39:43 ID:6NrAddW3
鍵は秀頼の信頼をどちらがより多く得られるか、じゃないかな?
そういう意味では家康に分があるような気がする。

それより、秀頼が成人するまで利家が生きていたら、っていうのは
ちょっと考えるね。
18 :人間七七四年2009/10/22(木) 16:13:17 ID:o3jWVLZB
どう考えても利家が有利だろ
いや、家康と利家なら家康の方が凄いんだろうけど
毛利や宇喜田、上杉が前田側ってだけで、戦力的には大きく違う
特に毛利は一族が結託してしまえば、徳川に匹敵するほど動員できるし
19 :人間七七四年2009/10/22(木) 18:15:04 ID:y2ZieIwb
どうゆうIFなんだろ、利家が勝てる状況はこのまま決戦に持ち込みつつ
寿命が延びる以外有り得ないよね、あの時で既に病気持ちだったし
20 :人間七七四年2009/10/22(木) 23:07:46 ID:JPlKHUPL
個人の比較なら家康>利家だが
単純に秀吉死後の姻戚問題でモメてそのまま決戦って条件なら利家の勝ち
実際の関ヶ原じゃ会戦前に寝返った奴がいたり合戦時の日和見、裏切り続出だったが
秀頼のもり役で四大老五奉行揃ってる状態の前田側に対してそれは出来んよ
21 :人間七七四年2009/10/23(金) 11:23:09 ID:rzvKsQKU
利家がいるのに家康につけば逆賊扱いだからな。
家康にしても部が悪すぎで関ヶ原のような戦はなかっただろ。
22 :人間七七四年2009/10/23(金) 14:33:49 ID:f3naV5cP
>>20
その条件ならそうなるな。
実際あの姻戚問題で自分の不利を悟ったからこそ誓書交換してすぐ引いた訳だしな。
多分最初は「朝鮮の件での豊臣家分裂&秀吉の死の直後の混乱&利家死にかけ」だけで十分いけると思ったんだろう。
しかし思いのほか死にかけの利家に与する大名が多くてビックリしたってのが本音じゃないだろうか。

結構議論されるIFだけど、>>4の言うように
家康VS利家だと関ヶ原のような合戦は起こらないってのが答えな気がする。
23 :人間七七四年2009/10/23(金) 14:36:55 ID:JSydDwXp
>>4だと議論にならんので強引に戦争したと仮定したいけど
その状況を考えるのも難しいしな。
大名に人望のある利家と家康に匹敵する勢力の毛利が組んだ時点で
戦争で家康が勝つ可能性は低いだろうな
24 :人間七七四年2009/10/23(金) 16:23:18 ID:yLPC2lUD
利家は秀頼の後見人。
一応織田時代からの老兵で武将としての戦歴(本人の能力活躍とは別に)は充分。
諸大名率いるだけの肩書きも充分(器どうこは抜きとして)
清正などの支持も揺るぎなく四国、関東、東北を除けばほぼ敵なし。
北条と伊達が同盟して秀吉に対抗するってのと同じくらい徳川に分がないな。
26 :平山貴士 ◆e1fQiVDD2/Mv 2009/10/24(土) 00:14:43 ID:99Zw70Ur
>>3
細川は中国地方じゃないぞ。丹後宮津は畿内のはず。
利家と家康が同じ条件なら利家が勝つだろな。
オレは徳川派だが家康が勝つとは思えない。
27 :人間七七四年2009/10/24(土) 00:21:56 ID:w/W9FaAm
利家って個人の武功は強いって聞くけど
大軍ひきつれてはどうなの?
28 :人間七七四年2009/10/24(土) 00:49:48 ID:eJ8tbhSS
賤ヶ岳での動きを見る限り、案外ヘタレかも、という気もしなくもない。
29 :人間七七四年2009/10/24(土) 00:59:45 ID:ovVfKW4q
へたれも何も大軍率いて戦った事無いから
そういった組織じゃないというか優秀な家臣を雇っていなくて妻に怒られたんだから
戦えば弱いだろうけど何時もギリギリで回避するのが前田の凄さ
31 :人間七七四年2009/10/24(土) 01:25:50 ID:ovVfKW4q
三成も同じくそう言った経験はないが家臣には大軍に属した経験者が多い
自分に足りない部分を家臣に求めたのだろう
これは本気で戦に踏み切る武将と回避する武将の違い
でなければ関ヶ原の福島が無能すぎとなるww
利家からみれば槍働き家臣にかける金は無駄なんだよ
32 :人間七七四年2009/10/24(土) 02:11:32 ID:eJ8tbhSS
そういえば前田家中で特に名前の売れた名将っていないような
33 :人間七七四年2009/10/24(土) 02:43:43 ID:qL8dJouK
ヘッドハンティングする方法もあるが
家康みたいに戦いまくれば
勝手に家臣の名が売れる
利家の下じゃ無理だわな
赤ぼろの時はエリート選抜だから下とかそれほど無いだろうし
柴田の与力時代どうだったんだろ
最後はほんと情けないが、途中まではなんかやったはずなのに
あとは北条攻めで大軍率いたことはあるんだっけ
まあ万の軍勢使ったことあるかどうかで
実際どうだったか知らんが、気持ちの持ちようも違うだろうし
34 :人間七七四年2009/10/24(土) 02:55:52 ID:iCrMFGP0
唯一村井又兵衛さんってのがいるよ
兵の規模と言い活躍の度合いといい俺の中では劣化槍の可児さん
35 :人間七七四年2009/10/24(土) 04:29:52 ID:M9ofWsX9
>>34
「利家とまつ」で的場浩司が演じてた役だよね。
36 :人間七七四年2009/10/24(土) 13:12:26 ID:gIVmISZP
つーか>>18や>>20が言うように個人の力量を語るなら圧倒的に家康>利家
利家云々の前にそもそもあの時代に家康に勝てる奴なんていない
IFってのは当時の状況を考慮して考えるもんで
武将個人の能力を比較するもんじゃないだろ
37 :人間七七四年2009/10/24(土) 18:11:04 ID:RnSPlyYV
だからその個人の力量で家康に劣る利家が何処まで引率出来るかって事でしょ
信長包囲網みたく個々が勝手な事して分解した所を
家康に各個撃破される事も十分有り得る

石高が上の毛利や上杉が素直に従うとは思えないし
三成と武断派が連携するとも思えない
39 :人間七七四年2009/10/24(土) 18:44:26 ID:6f8S8WnE
>32
本多政重は?
関ヶ原の西軍で武功があったとか
40 :人間七七四年2009/10/24(土) 21:58:52 ID:sONyWHGw
>>37
なんで三成と武断派が連携する必要があるのよ?
関ヶ原のイメージから抜け出せてないんじゃないの?

秀頼の後見の利家が家康と対決する構図は言いかえれば豊臣家vs徳川家の争いになる(上杉討伐の構図に置きかえればわかりやすい)
毛利も上杉も豊臣家の家臣であって従わない理由がない
まあ遠方の毛利が参陣しなくとも十分な兵が集まるとは思うがw
41 :人間七七四年2009/10/25(日) 01:11:52 ID:Z8O+U9jR

家康の大老筆頭職をとりあげる事が出来なかった利家、三成の甘さがあるね。
家康が豊臣重臣でなくなることは大きく力関係を変えることになったのでは?
秀吉の遺訓を破った家康に対して、利家や他の大老、奉行の総意による詰問が
ありながら何も出来なかった。
この時点で体制は決定的に家康に傾いたわけですね。関ヶ原は追認に過ぎない。
43 :人間七七四年2009/10/25(日) 03:26:51 ID:B2QgSeBa
>>40
彼らは秀吉に従っただけであって、秀頼に従う道理は無いんだけどね
実際に家康と戦う事になったら率先して戦う大名は半分も居ないよ
そして互いに不信感を持って内部分裂
44 :人間七七四年2009/10/25(日) 21:23:11 ID:fz/ewRwO
関ヶ原で利家が総大将だったらまた違う結果に成ったろうな。
45 :人間七七四年2009/10/25(日) 21:34:41 ID:/gLb5HL3
戦国の覇者である家康公に利家ごときが勝てるわけ無いだろ!
47 :人間七七四年2009/10/25(日) 21:37:51 ID:JYWpuFcI
大軍ひきつけると家康のほうが強そうだけど
1日で決着しなかっただろうな
48 :人間七七四年2009/10/25(日) 23:18:45 ID:plWPiOYt
>>44 総大将が寝返る前代未聞の合戦になりそうだな
49 :人間七七四年2009/10/25(日) 23:44:07 ID:8qfs4ato
>>48
小牧・長久手はそれに当たるかもしれない
50 :人間七七四年2009/10/25(日) 23:46:40 ID:4fv3e7XS
豊臣への絶対の忠誠心を持つ大名がそれほどいたのかが疑問だよなぁ。
秀次や利休達の切腹の時点で既に豊臣から心が離れてる大名も結構いただろうし。
51 :人間七七四年2009/10/26(月) 00:01:38 ID:6fYApT9k
>>1
ケチなほうが勝つ
52 :人間七七四年2009/10/26(月) 00:05:27 ID:IHRxJy7B
>>49
いや、ていうか賤ヶ岳、賤ヶ岳
53 :人間七七四年2009/10/26(月) 00:19:53 ID:4fw96jn8
>>50
利家対家康の関ヶ原と強引に仮定したとして
兵力では確実に利家側が勝っているし、主家への忠誠心を更に捨ててまで
徳川側に走る大名は少ないだろう。豊臣家対徳川家の戦争だとしたらの話だけど
54 :人間七七四年2009/10/26(月) 00:50:26 ID:6fYApT9k
>>53
兵力が多ければ多いほどその分大変やりにくい。長引けば最悪。
家康がそれを利用して相手の自滅により降伏させたのがあったと思うけど家康は戦わないと思う。
てか利家が大軍をまとめると強いのかどうなのかわからん。
今やってるドラマじゃないんだから当時の人は忠誠心よりも生き残るほうにつくしょ
55 :人間七七四年2009/10/26(月) 00:54:02 ID:jxh3FLfx
利家が総大将なんて引き受けるわけ無いじゃん
いざと言う時引っ込みつかなくなるような事は断じてしない
56 :人間七七四年2009/10/26(月) 00:54:11 ID:6fYApT9k
>>53
スマン
豊臣家対徳川家か
57 :人間七七四年2009/10/26(月) 00:58:10 ID:H1M+weOY
家康が仕掛けるなら家康が勝つ
やらなくて済むなら負ける戦なんてする訳ないし
利家は勝てる見込みがあるかどうか以前に
仕掛ける気概も無いだろ、実力的にも晩年の気力的にも
58 :人間七七四年2009/10/26(月) 01:21:01 ID:4fw96jn8
家康が不利だとさとれば戦は仕掛けないだろうし
そうすれば利家も自分から仕掛けることはないからねえ
だから強引に利家対家康を想像するしかないけど
どういう仮定で戦になるかが想像できない
59 :人間七七四年2009/10/26(月) 02:05:24 ID:nIXLLUi+
賤ヶ岳は利家は苦しい立場でしょ。敢えて中立に立って義理と礼節をたてた。

この戦の後に勝家も秀吉も利家に感状を送り、この期の前田家の有り様を心配し、またアドバイスしてるからね。
61 :人間七七四年2009/10/26(月) 02:52:16 ID:IHRxJy7B
中立なわけないでしょw
勝家側の陣立ての中に入っていながら、実戦に参加しなかったのだから、
明白に裏切りだよ。
中立を保ちたいなら自領から出てこなければいいだけ。
62 :人間七七四年2009/10/26(月) 02:54:47 ID:IHRxJy7B
たとえば日本代表のキーパーのユニフォームを着てピッチに立ちながら、
相手のシュートを一切取ろうとしなかったら、それは中立というだろうか?
ピッチに立たない(欠場する)というのなら中立といえるだろうが、
わざわざメンバーとして参加しておいてサボタージュするのは、積極的な
利敵行為ということにほかならない。
63 :人間七七四年2009/10/26(月) 13:35:16 ID:OSIb6Gsb
関が原を戦ったらという意味か?だったら西軍の勝ち。
64 :人間七七四年2009/10/26(月) 14:07:22 ID:nIXLLUi+
利家存命で関ヶ原したら、やはり西軍だな。
65 :人間七七四年2009/10/26(月) 20:37:05 ID:4fw96jn8
利家の肩書きと毛利の兵力があれば
さすがに家康も苦しいしな
66 :平山貴士 ◆e1fQiVDD2/Mv 2009/10/27(火) 12:07:28 ID:O5tYHCC/
>>63>>64>>65
やっぱりそうなるか。
67 :人間七七四年2009/10/27(火) 12:17:13 ID:myqFqHBh
でもどうやって家康を関ヶ原に挙兵させるか
負け戦には動かないだろうし

68 :仙台藩百姓2009/10/27(火) 14:01:05 ID:0VbALEGv
むしろ利家を動かすのが難しいお( ^ω^)
天下分け目の総大将など責任のある立場を間違っても引き受けるとは思えないお┐ (´ω`) ┌
なんだかんだ言って逃げ回り、担ぎ上げられて逃げられなくなったら
単身抜け出して勝手に和睦して責任回避するのは100%疑いようがないお( ^ω^)
それに連合を組む場合は核になる国が抜きん出て強くないと主導権を握り難く
統制が取れず霧散するのは常道であるお( ^ω^)
前田方は毛利、上杉、佐竹、宇喜多と力が拮抗し
毛利、上杉、佐竹などは前田などより遥か古い大名で
自力で家運を切り開いて来た自負と誇りを持っているお( ^ω^)
内心前田など笑止に思っているのは間違いなく
利家の命令一下に進退するなど有り得るわけがないお( ^ω^)
指揮系統がまとまらず核の徳川と前田では確実に前田が当たり負けする
ともすれば勝敗は誰の目にも明らかだおね( ^ω^)
69 :人間七七四年2009/10/27(火) 14:08:18 ID:hUbygesv
利家存命なら家康も戦の大義名分立たんよね。

秀頼の傅役である利家がしっかり豊臣恩顧の大名まとめるだろうし、三成も利家の言うこと聞くでしょ。

三成が秀頼君を頭に頂いて政を思うようにしようとしているって言い掛かりも付けれんて。
70 :人間七七四年2009/10/27(火) 18:24:17 ID:LDxCx+YE
>>69
家康も秀頼の後見人として秀吉に懇願されてるよ
更に秀頼の許婚は家康の孫である千姫、これも頼んだのは秀吉

これらを武器にいくらでも名分は作れるよ
71 :人間七七四年2009/10/27(火) 18:35:00 ID:hUbygesv
>>70 は? 何が? 意味わかんね。
72 :人間七七四年2009/10/27(火) 18:43:59 ID:s1seGZac
>>68
宇喜田と佐竹は上杉、毛利とは拮抗してるとはいいがたいのではないだろうか
上杉も毛利と違って配置転換があったし、毛利一族ほどではないかと
まあ、毛利も毛利で一族が割れてるんだけどさ
73 :人間七七四年2009/10/27(火) 19:34:10 ID:mN6tw4Bf
>>71
ゆとり世代を象徴する駄レス
75 :人間七七四年2009/10/27(火) 20:14:47 ID:hUbygesv
そうかぁ>>70も>>>73も只の馬鹿か〜。>>70のレスはいちいち内容が違うし、それで何処に大義名分が立つんだよ。 >>73も良く考えろや。
76 :人間七七四年2009/10/27(火) 20:36:21 ID:hUbygesv
傅役と後見人じゃ意味合い違うし千姫を秀頼に出すって言ったのは徳川側で豊臣家の方が話し受けた形。

それを武器に何が戦の理由に出来んだ?
77 :人間七七四年2009/10/27(火) 20:38:22 ID:d2UpbAgI
その前に前田が背後にいる状態で戦う武将なんぞ誰一人居ない
78 :人間七七四年2009/10/27(火) 20:53:57 ID:mN6tw4Bf
>>75
文盲か?
俺は>>70に関しては何も言ってないぞ?
79 :人間七七四年2009/10/27(火) 20:59:21 ID:mN6tw4Bf
ただただ、>>71からは知性が感じられん、と述べただけだ

バカにされた→反対意見の持ち主!!

と直結思考するところを見る限り、俺の見立ては間違っていなかったようだな
80 :人間七七四年2009/10/27(火) 21:05:06 ID:fKzvg9B5
ID:hUbygesvは低学歴丸出しの馬鹿
ID:mN6tw4Bfはその低学歴を煽って喜んでる馬鹿
馬鹿同士仲良く喧嘩するのは結構だが、上げんなクソ共
81 :人間七七四年2009/10/27(火) 21:14:48 ID:hUbygesv
うわ〜このスレ読解力無いアホばっか…、どうしようもねぇな。 自分の解釈と違うならスルーしとけよ。
したり顔して意見してアホ丸出し、漫画やドラマで覚えた知識はあてにならんぞ。
82 :人間七七四年2009/10/27(火) 22:11:41 ID:fKzvg9B5
>>81
う〜ん…
いや、だからさ
家康や利家の話じゃないんだよ
君の話をしているんだよ…
絶望的に読解力が無いのは君だよ…

君の
>は? 何が? 意味わかんね。
ってレスはバカ丸出しだよねw
ってだけであって、漫画やドラマ?自分の解釈?何それ?

別の角度から聞いてみよう
>は? 何が? 意味わかんね。
このレス、頭良さそうに見える?

要は、>>70なんて書かずに、最初から>>76を書いていれば誰からもバカにされなくてすんだんだけど、わからないかなぁ?
83 :人間七七四年2009/10/27(火) 22:46:07 ID:e5494Nll
対立したとき
前田陣営で「徳川と戦じゃ〜」と吠えてた立花宗茂と毛利秀元
この二人はやる気満々だったらしい

84 :人間七七四年2009/10/27(火) 23:08:45 ID:hUbygesv
>>82
〉〜ってレスはバカ丸出しだよねw

〉このレス頭良さそうに見える?

>>80の様なレスしといてさ良く上記の様なカキコ出来るなw

スレの主旨と違うし、流れ止めるからもうヤメようぜ。
85 :人間七七四年2009/10/28(水) 06:10:02 ID:zPPkrBCD
光成クラスでも、寝返りや日和見がなければ
互角レベルだったのに、光成なんかより求心力が高い利家がいたら、
家康は仕掛けなかっただろうな
わざわざみんな死ぬの待ってたのにw
86 :人間七七四年2009/10/28(水) 09:53:15 ID:lclApiBP
西軍が総出でハナッから戦ってたら、やはり数に勝る西軍が勝ったろう。
87 :人間七七四年2009/10/28(水) 14:59:11 ID:c+dU/BLG
>>85
三成クラスでもじゃなくて、三成クラスだったから
寝返りや日和見があって互角レベルどころか史上稀に見る大惨敗だったんだろw
前田は前田でやるにしても、三成同様主導権争いとか体調不良とか大変だけどな
それ以前にそろばん大名の利家が家康にけんか売るなんて
分が悪いことやらないと思うけど

利家存命中にも家康は動いてんだから
叩けるなら叩けばいいのに
結局は利家派というより
バトルロワイヤルの鉄則として、まず初めに一番強い奴をたたくという
反家康派でしかなかった
圧倒的な差が付いて、有力大名が天辺を諦めれば
長い物に巻かれて利家どころか秀頼にだって弓を引く
90 :人間七七四年2009/10/28(水) 21:29:59 ID:X+zHmmRH
>>83
利家が存命なら加藤清正や浅野父子は少なくとも前田側につくだろう
利家には恩があるからな
91 :人間七七四年2010/01/13(水) 20:43:29 ID:QqMwKsN7
IF話じゃなくて妄想なので建設的な話をしたい人は読まんでおくれ

利家には家康を出し抜こうという気持ちこそはあったが、
その手段は戦ではなく相手が自然に死ぬのを待つ形でだったと
俺は思っている

結果としては、利家は家康よりも先に死に、
さらに関ヶ原は早々に決着したので
利長・利常を含めた二代戦略でもダメだったけど
92 :人間七七四年2010/01/13(水) 22:13:39 ID:CrxIPJrO
.
警察官:「お前は手を振り上げただろう。」

http://japansconspiracy.hp.infoseek.co.jp/02/p008.html

日本の戦術には大きな特徴がある。

それは徳川家康の戦術に由来する。

自分から攻撃することはない。相手を挑発し、相手が先に攻撃したという口実を作り、

最後には、「自分の攻撃は正当防衛・反撃であり、先に手を出したのは相手方だ。」と言う。

多くの国、多くの人が、この罠にはまってきた。
93 :人間七七四年2010/01/14(木) 08:17:27 ID:Cb4aCQ4X
つうか息子があっさり軍門に下った時点で前田はどのみち徳川に道を譲るんじゃね?
風見鶏で100万石にたどり着いた家だもん。
94 :人間七七四年2010/03/24(水) 07:36:44 ID:UaINIzW0
利家の実際のところはよくわからんな

賤ヶ岳合戦の後に柴田が城に寄った話とか、
明らかに金沢藩が先祖の名誉のために作った話だろうし…

ただ、秀吉死んだ後は確かに求心力あったんだろな
利家>輝元>景勝って感じで
96 :人間七七四年2010/03/25(木) 08:44:58 ID:ibGI5juE
実際対立した時も、結局利家の方が折れて、
伏見に和解に行ってるし、関ヶ原前の利長の対応の仕方や
幕末あれだけの大藩なのに何も活躍していなかったりと、
いざという時に動かない家風、他人からすれば当てにならない家だな。
97 :月孔雀2010/03/25(木) 09:39:49 ID:8z5ikWg/
加賀藩士は、戦いたかったが、薩長が戦わせなかった。
そのため、薩長は、長岡で負けた。で、東北、新潟連合。

最後、大久保を暗殺したのは、加賀藩士。
99 :人間七七四年2010/03/26(金) 21:01:57 ID:inKJGI4w
百姓の利家への喰らいつきっぷりは異常
多分信者
102 :す@死2010/04/10(土) 15:11:52 ID:t7OUv74k
派閥のボスとしては求心力はあると思うけど
実際戦になったら利家は家康には勝てないでしょう
実力が違う

豊臣恩顧の大名が、三成嫌いなら嫌いでいいんだけど
三成排除した後、自分が先頭に立って豊臣守らないで家康になびいたのが
ヘタレ過ぎて笑えるわ、
黒田か福島辺りなら恩顧の大名まとめて先頭に立てただろ、タヌキ相手にしょんべんちびりやがってさ
103 :人間七七四年2010/04/10(土) 15:20:35 ID:KyJmGDlT

ナポレオンは日本の歴史に深く関わっていた

http://akiba.geocities.jp/pxzuwp/0203/38/261.html

とくに、徳川家康時代の歴史には顕著に表れていた。
104 :人間七七四年2010/04/10(土) 16:13:31 ID:6lG5aINT
>>102
利家厨は本気で家康に勝てると思ってます
武将としても家康より上だと思ってます
105 :す@死2010/04/11(日) 01:58:09 ID:qPBBab0Y
利家消えたらみんなタヌキになびきやがってな
戦ったのは三成だけ
やはり三成は勇敢だわ
恩顧の大名まとめてタヌキと戦おうと何故しなかった???
107 :人間七七四年2010/04/11(日) 07:20:44 ID:4LWoJTL3
>>105
実は三成が家康派だった(時期があった)ことを知らないんだぁ
108 :人間七七四年2010/04/11(日) 10:08:31 ID:vxhHDFH0
>>105
家名存続が第一だから
110 :人間七七四年2010/04/11(日) 13:47:07 ID:e7VVbOMe
利家が家康より勝っているのは人望だけ
如水が利家側についていれば・・・
111 :す@死2010/04/11(日) 21:44:09 ID:+izu/g+8
恩顧の大名まとめる奴誰もいなかなったのかね?
福島か黒田辺りなら適任だと思うんだが
114 :人間七七四年2010/04/12(月) 14:37:41 ID:7y+tyyAG
>>105
三成が家康派のままだったら
へそ曲がりの福島も案外面白い事をしたかもな

利家・正則 VS 家康・三成ならどうだったろう
115 :す@死2010/04/12(月) 16:14:43 ID:QnHEwO1M
三成が家康につく訳ねーだろ
あれはあくまでも豊臣LOVEの男だよ
117 :人間七七四年2010/04/12(月) 18:53:34 ID:NCNZwZ+B
三成は豊臣家や秀吉への忠義というより
豊臣政権の骨格を自分が作り上げたという自負から
豊臣政権を崩そうとする家康に、反抗したんじゃないかと思う
もしも家康が、新たに政権を作るから三成に手伝って欲しいと願えば
三成はどういう態度を取ったのかな?
上杉征伐も上杉が簡単に降参して、関ヶ原もおこらず
少しづつ豊臣から徳川へと天下が転べば
三成は隠居したまま徳川へ出処せず、一大名になった豊臣へも関心見せず
佐和山で隠居生活していたんだろうか?
118 :人間七七四年2010/04/12(月) 19:36:37 ID:ueJ9SlU9
家康におもねると思う
三成は本当に忠義心があったかどうか疑わしいし
てか家康が関ヶ原で勝ってくれないと内部分裂起こして戦国に戻る
119 :人間七七四年2010/04/17(土) 07:56:39 ID:JpEUMlS3
ところで家康と利家は個人的にはいろいろウマがあったという話しはご存知かな?
確かに晩年には秀頼を巡って対立することもあったろうけど、
二人が存命なうちは本格的な武力抗争にはならなかったと思われ。
120 :人間七七四年2010/04/17(土) 09:14:14 ID:xpQGrOT+
家康暗殺企んだけど実は仲良しで関東に隠居領貰って一緒に囲碁やっていた浅野長吉みたいなものか。
122 :人間七七四年2010/04/17(土) 21:59:36 ID:+v/BxXx9
2度にわたる朝鮮の役によって諸大名は嫌気がさしていたと思うよ
特に晩年の秀吉は痴呆症の気(過度な信長の夢)があったかもしれんが、
人事権を持った秀吉に直接不満なんか言えないから、そういった諸大名の訴えは全部、利家に上訴してたんだろう。
家康はどうしたってハタからみても豊臣政権を支えるそぶりが無いのは諸大名が見てもかなり分っていたと思うしね。

秀吉の晩年を支えたのは天下の調整役利家であり諸大名の相談役(より所)であったんじゃないかな。
秀吉の足軽時代からの同僚だし、家康に相談するより利家の方がはるかに豊臣政権を親身に考えていたし
諸大名から人望という点で好感されていたと思うけどね
利家が家康より長生きをすると言う条件だけで家康は息子秀忠に隠居させられているか、徳川自体をつぶされていると思う。
125 :人間七七四年2010/04/18(日) 06:37:46 ID:NHYzRRgk
おいおい政治は合議だろ

だからもめたんだから
126 :人間七七四年2010/04/18(日) 06:38:38 ID:odIkYpmV
はっきり言って利家と戦働きは結びつかないな
有名な戦いといえば賤ヶ岳時の裏崩れしか思い浮かばない
127 :人間七七四年2010/04/18(日) 07:02:19 ID:/fKRorin
なんかよくわからないが、利家死ぬまでは狸もまだまだ大人しかったってだけで
利家がいる限り勝ち目ないと見てんだから戦にはならんだろ。普通に考えて。
別に利家が戦上手かとか関係ないし。晩年の痴呆猿が戦で強いと思うのかと。
大将が戦上手だから政権が保てる、とか言うなら猿が死ぬ前に豊臣滅んでるよ
129 :人間七七四年2010/04/18(日) 08:26:38 ID:sMMsliCY
秀吉が三法師の傅役を引き受け織田家を支配したように
利家だって秀頼を使って徳川なんか潰すのは楽だろ?
130 :人間七七四年2010/04/18(日) 09:39:42 ID:kx3SM31B
>>125
政治の決済は家康に一任されていた
131 :人間七七四年2010/04/18(日) 14:49:47 ID:/Y8TAK9u
利家厨はいくらなにをいっても利家が家康よりすごいにはならねーからなw
132 :人間七七四年2010/04/18(日) 17:55:46 ID:00HtEDnP
>>130
でも内府ひがひの条々だと一人で決済したことが批判されてるぞ
134 :人間七七四年2010/04/18(日) 19:36:47 ID:kx3SM31B
>>132
多数決に従うというのは五大老、五奉行が誓った誓書にある条目
家康(そして利家)に特権的な役割を規定したのは秀吉の遺言

つまりは建前と本音(多数決では物事がうまく廻るはずも無い)の
どちらを優先させるかという話

で、当たり前だが自分達が優位な方を唱えたということになる
135 :人間七七四年2010/04/18(日) 23:19:27 ID:00HtEDnP
徳川と前田が大老の中でも上位にあったのは事実だが、家康に一任
というのもどうなのかね。
136 :人間七七四年2010/04/18(日) 23:28:25 ID:EQYHs1su
家康が伏見にいて利家が大坂にいたら電話もない時代に話し合いなんてできない
伏見が行政の中心地であることは秀吉時代から決まっているのだから
伏見にいる家康に政治の決済が一任されるのは当たり前だよ
138 :人間七七四年2010/04/19(月) 02:17:45 ID:r9fEug+B
伏見に伏見城しかないと考えるのはなぜ?
大名屋敷があるとは思いつかなかったの?
139 :人間七七四年2010/04/19(月) 07:40:13 ID:CSkJf78N
家康に3年間在京を命じたことに「一任」という表現が適切か
どうか。秀吉が利家に期待した役割を軽視してるとしか思えない。

軽微な事務処理は伏見のみで行われていただろうが、大名との
婚姻については利家たちに詰問されて家康が謝罪した形だし、
利家死後の三成襲撃事件の時も毛利や上杉が解決に乗り出して
いる。毛利も秀吉死後に奉行衆と同盟して家康を牽制している。
主席ではあっても「政務を一任」されていた」とは思えないん
だがなあ。
140 :人間七七四年2010/04/19(月) 11:08:34 ID:Rb1ruPTf
秀吉ならいかに幼児で当主につかなくてはいけなくなった場合
その傅役って役職が天下を取る為に重要か骨身にしみてたと思うよ。

周りの諸大名だって全員分っていたって、利家が大阪城の本丸に入城する意味なんかまさに権力の象徴。
141 :人間七七四年2010/04/19(月) 12:13:03 ID:jgTjBioq
別に本丸には入っていない、いつでも天守に登らせて良いという話
ちなみに家康も伏見城の天守にいつでも登らせて良いとしている
142 :人間七七四年2010/04/19(月) 12:24:16 ID:jgTjBioq
>>139
利家の役割は秀頼の補佐
家康は政の執行

で、五大老に同心協力を求めつつ、家康・利家に財務の検閲と
最終の決断権をを与えている

実務的な一切は家康に任せつつも、制御役としての任を利家に
求めているのは事実
143 :人間七七四年2010/04/28(水) 07:23:09 ID:Ty653CJr
でもさ、清洲会議後に秀吉自身も実際織田家の政の執行役のひとりから
他の執行役や、三法師の傅役として岐阜に移った信孝とかをまとめて薙ぎ倒して地位を築き上げたから
そういうシステムの弱点や脆さも身に沁みてわかってるはずなのにね。
晩年は本当にボケちゃったんだな。
しかも(合議制ですらなく)家康一人に伏見での政権の政を一任するなんて、よっぽど家康を頼みにしてたんだな。

本能寺前後の頃の秀吉は関ヶ原前夜の家康すら霞む位神掛かってただけに、
豊臣政権の欠陥だらけの様は本当に無残だな。
144 :人間七七四年2010/05/02(日) 06:01:58 ID:bVdKOu7E
>>143
オレは逆に家康追放と見るけどね。伏見転勤は。
諸大名の妻と子供が暮らす大阪屋敷に大名が住んでいる場所なわけで、
家康を大阪からはずす事により利家筆頭の4大老と5奉行及び三中老や
他の諸大名がその隙に家康をはずす組織を作り上げれるだろうと秀吉は考えたじゃない。

政治をまかせるから伏見に数年行ってくれは一応の栄転の様にに見えてもやっかいばらいの大義名分で
大名衆が集まる大阪には来るなっていう感じに見える。
145 :人間七七四年2010/05/02(日) 08:46:52 ID:2e2T+UWE
>>144
前田玄以と長束正家は伏見詰めです
146 :人間七七四年2010/05/03(月) 03:20:47 ID:vw775PNY
そもそも別に家康が政権運営全般を任された訳でも無いのに何でこんな流れになってんの?
伏見での「諸職御肝煎」って庶務の統括とか世話焼きって意味だろ。
重要な決定事項なんかはそれぞれ定められてるわけで。
147 :人間七七四年2010/05/03(月) 20:10:19 ID:olc4KgJw
>>実務的な一切は家康に任せつつも、制御役としての任を利家に
求めているのは事実

といってる時点で、それは一任と言えるものだったのか疑問だけどね
148 :人間七七四年2010/05/03(月) 21:53:01 ID:buJ02uPS
>>146
きもいり0 【肝入(り)・肝▼煎】

[1] あれこれ世話や斡旋をすること。また、その人。取りもち。
[2] 江戸時代、名主・庄屋の異名。
[3] 江戸幕府の職制で高家(こうけ)や旗本の寄合の上席。高家肝煎・寄合肝煎など。
[4] 奉公人・遊女などを周旋すること。また、それを業とする人。

どれを意味するかで変わるな

後、大日本古文書では上段の説明文に
「家康ハ伏見ニ居テ政ヲ執ルベシ」
「利家ハ大坂ニ居リ秀頼ヲ補佐スベシ」
とある

149 :人間七七四年2010/05/05(水) 01:27:00 ID:joDXNRSQ
>>148
「御肝煎」の意味自体は別に問題じゃないけどね。秀家や利家にも使われてるし。
問題は「政務を執る」とか「政を行う」と言った訳し方をされたのを見て、
政治や政権運営全般の決定権があると捉えてしまっている人が居るという事。
重要な政治決定に関する取り決めは別途定められている訳で、
伏見で行っていた日常的な業務の責任者であっても特に危険な事は無いよ。
どちらかと言えば、利家の「惣廻御肝煎」の方が危険。
150 :人間七七四年2010/05/10(月) 17:54:56 ID:iNsLYcfO
家康と利家が対立した時に集まった面子を比較してみる
【利家派】
(五大老クラス)
前田利家 上杉景勝 毛利輝元 宇喜多秀家
(五奉行クラス)
石田三成 浅野長政 長束正家 増田長盛 前田玄以(小西行長)
(武断派七将)
細川忠興 加藤清正 加藤嘉明
(外様)
佐竹義宣 立花宗茂 長宗我部盛親
151 :人間七七四年2010/05/10(月) 18:02:40 ID:iNsLYcfO
【家康派】
(五大老クラス)
徳川家康
(五奉行クラス)
なし
(武断派七将)
福島正則 池田輝政 黒田長政
(外様)
伊達政宗 藤堂高虎 

あと徳川派になりそうなのは丹羽と最上くらいか・・・。
伊達は利家生きてたら日和そうだし、利家生きてたら家康が勝つのは厳しいな。
四大老・五奉行が全部敵に回って、武断派七将のうち四人が敵に回る。
152 :人間七七四年2010/05/11(火) 15:41:33 ID:FHWxRwmu
そもそも利家生きてたら家康は関ヶ原なんて誘発しないだろうから、戦ったらなんて
このIF自体が無意味。原因と結果を切り離したらいかんよw

利家がもう少し生きていたら、と考えると家康は利家の政治的失脚を策謀したんじゃないかな。
そもそも三成が利家派だったなんてのは後世の付会であって、奉行の上に立って重しになってる
大老なんて、三成にとっては全て邪魔者。
そういう意味では三成と家康が組んで利家を排斥するなんてこともあったかもしれん。

正直利家では、家康と天下を二分しての戦を起こす企画力さえ危うい。
強いの弱いの以前に器が違うと思うがな。
153 :2010/05/11(火) 20:22:54 ID:APIHHR/w
上杉じゃやっぱり家康の抑えにはならなかったか
毛利はテルモとがゴミクズだから話にならんしな
前田も利家死んだらただの雑魚大名

上杉〜
154 :人間七七四年2010/05/11(火) 23:34:49 ID:RTnNNczO
そもそも利家ってたいした武将じゃないよね。
賤ヶ岳のときに小早川秀秋ばりの裏切りかまして大大名になっただけの。
155 :人間七七四年2010/05/12(水) 16:07:23 ID:u67N4hNh
両軍10万などという規模の戦いでは、主将の指揮能力など発揮しようがない。
一つの命令を各部隊に伝達するまでに戦況は刻々と変化するからな。

では主将の武将としての力量が全く関係ないかというと、そうではない。
「戦上手」の総大将を戴いてるという精神的な上乗せは計り知れないものがあるし
そもそも事前の作戦(ここしか軍事能力を発揮する機会が無い)を立てるに当たっての
発言力や統率に大きな影響がある。

ここで大事なのはその「能力」とは才能や秘めたる能力、また実際の指揮能力というより
「戦上手」という評判であり、大軍を指揮して勝利したという実績のことを言う。

ここまで言えば、利家が家康の相手になったかどうか、わかりそうなものだ。
利家には実績が無い。存外、利家を旗頭にしたとして三成以上の軍勢は集まらないのではないか。
毛利は総大将だから、ということで腰を上げたのだし、2番手で参軍したかね?
156 :2010/05/13(木) 05:33:15 ID:Ufaj/PAw
上杉と毛利の位置が逆だったら面白かったな
上方に上杉がいたらちゃんと戦ってただろうし

直江&景勝と輝元チェンジでもよいが
157 :人間七七四年2010/05/13(木) 07:27:47 ID:S5q6fvU/
そもそも毛利が上方にいなかったら三成に担がれることもなかっただろ。
158 :人間七七四年2010/05/13(木) 09:01:30 ID:iC+F7HSW
蒲生が家康は吝嗇だから天下取れない、
とるのは利家だというのが、よく小説で
使われているが、その利家が気前がよかった話なんか
聞いたこと無いんだが。
161 :2010/05/13(木) 16:43:03 ID:zRuogso2
>>157
バカ、毛利より上杉の方が担ぎやすいだろ
家康の越後征伐の釣りになってくれたくらいだし
上杉が上方にいたら本気で戦う関ヶ原が見れた筈〜
毛利の上方で腰砕けの関ヶ原になっちゃったからね
162 :人間七七四年2010/05/14(金) 21:06:01 ID:SaCpDVkf
>>152
利家厨は関ヶ原がおこって利家が勝つ=利家のほうが家康よりも優秀ってふうにいじでもしたいんだよw
163 :人間七七四年2010/05/16(日) 10:42:25 ID:Zm0TQcOT
>>161
上杉は同じ東国だから徳川と敵対している部分のあるから、
西国にいたら本当に家康と戦っていたか微妙なとこじゃないかね。
秀吉死後に婚姻話があって輝元がキレてるくらいだし。
164 :人間七七四年2010/05/18(火) 21:34:52 ID:E+f5+BTG
>>163
でも取り仕切ってるのがKYな直江さんですぜ?
家康は片っ端から他の大老の力削ぐ気満々だから、上杉はとりあえず喧嘩するだろう。
でも史実みたいにテキトーな所で腰砕けになって尻尾巻いて土下座すると思うな。
165 :人間七七四年2010/05/19(水) 03:45:18 ID:n7krnYU/
上杉との婚姻は反徳川闘争での反徳川派の切り崩し工作ってだけで、
別に上杉が徳川寄りってわけじゃないんだけど。
166 :人間七七四年2010/05/19(水) 08:57:02 ID:mnM2U4Wu
>>164
直江状は別にKYなんじゃなく、家康の詰問に反論してるだけ。
>>165
徳川寄りではないけど別に敵対もしていない。
167 :人間七七四年2010/05/20(木) 07:52:24 ID:VARh9tzg
いや、直江状だけじゃなく(史実かどうかもぁゃしぃし)
直江はいっつもKYでしょ。
168 :人間七七四年2010/05/20(木) 08:32:11 ID:x+h6J8Pl
ほんとにビジャくんのか。
年齢がちょっと不安だけど、きてくれるんならなんだかんだで楽しみな選手だ。
170 :平山貴士 ◆e1fQiVDD2/Mv 2010/05/20(木) 23:37:48 ID:vmu/0bi2
オレ徳川派だけど前田利家は大好きだ。
健康体だったら前田の勝ちだろう。
利家だったら天下取られても惜しくない。
171 :人間七七四年2010/05/20(木) 23:58:41 ID:8obproHt
>>167
直江状偽書説は弱くなってきてるけどな。
172 :人間七七四年2010/05/21(金) 00:47:01 ID:/c9G3Mn+
>>170
うせろクソコテ前田厨死ね
176 :人間七七四年2010/05/21(金) 10:33:09 ID:/c9G3Mn+
うせろ馬鹿死ねクソコテ
177 :人間七七四年2010/05/21(金) 10:37:38 ID:2VtedLO8
よぼよぼ爺の利家でも、家康の抑止力としてはある程度機能していたわけだから、
利家が望外に長生きしてたら、政権内部での冷戦は続いたろうが、熱戦には至らなかった筈。
だが足利幕府同様、政権の組織や基盤が脆弱な豊臣政権では、いずれ戦になったことだけは間違いない
178 :人間七七四年2010/05/21(金) 10:43:40 ID:MniWoZ4p
家康の抑止になんて最初から全くなってないわなww
179 :人間七七四年2010/05/21(金) 11:06:01 ID:2VtedLO8
君の頭の中だけではな
世間の誰一人賛同してないけどな
180 :平山貴士 ◆e1fQiVDD2/Mv 2010/05/21(金) 11:07:43 ID:SuhHszp8
>>176
こんなバカがいるのかと思ったら生きる気力がわいてきた(爆笑)
逆効果だ。たわけうつけまぬけ。
181 :人間七七四年2010/05/21(金) 11:42:49 ID:2VtedLO8
>>155
>利家を旗頭にしたとして三成以上の軍勢は集まらないのではないか
利家の死の直後、七将による三成襲撃事件が起きてるのだから、
利家には武断派の抑えとしての重みはあったと実証済み。
武将としてのキャリアは、家康には劣るが輝元よりは上。
利家存命中の前田家は、彼の死後家康の圧伏の前に腰砕けになって屈服した利長とは別物。
反徳川の中核。
よって君の私見は当たらない。
182 :1552010/05/21(金) 12:03:43 ID:9k0myzfS
集まらないのではないか、と書いたのは私見ではなく疑念。可能性は高いと思う。
その程度の読解力はつけてから反論したまえ。
>反徳川の中核
これも小説ベースだな。そもそも利家存命中に「反徳川」なぞ顕在化していない。
中核とかw脳内で勝手に状況を創作するな。

ただ三成以上に集まらない可能性について少し言葉が足りなかったかもしれない。
そもそも大老レベルの外様大名(そういう意味では前田も外様)が、豊臣家に忠などを
持ってたと想定するのが間違っている。それは江戸期以降の概念だ。
前田も毛利もどこまでも自家の立場で行動しているに過ぎない。
奉行衆にしても豊臣政権がその権勢を担保しているから「忠」に近い行動原理を持ってるだけで
それは大封の武断派(この概念も怪しいが)の行動が独立大名にむしろ近いことからも証明される。

利家が家康に及ばないにしても名望があったのは事実。しかしだからこそ、なのだ。
利家存命の前田家が西軍につけば間違いなく旗頭は前田家で、毛利や上杉は一段下にならざるを得ない。
つまり戦後の果実配分として前田、上杉にあまり「旨味」がない。
同じ格下なら家康側についたほうが、「革新勢力」である分、取り分が多い。
しかも総大将の能力はこちらが上なんだし。

そのように処したのが伊達政宗。西軍に組したとしても島津とどっこいの扱いが関の山。
だから島津も最初東軍入りを希望したのだから。
183 :1552010/05/21(金) 12:11:54 ID:9k0myzfS
失礼。間違い
>つまり戦後の果実配分として前田、上杉にあまり「旨味」がない。

毛利、上杉に〜の誤り。
184 :人間七七四年2010/05/21(金) 12:38:44 ID:2VtedLO8
>>182
些末な議論は避けたいのだが、君が言及したのでこちらも言い添えておこう。
「疑念」を抱いたのは誰か。君だ。よって君の「私見」。
「疑念」も「私見」に相当することくらいの学力をつけてから反論したまえ。

>利家存命中に「反徳川」なぞ顕在化していない
まぁ、これ見てくれ。
http://homepage1.nifty.com/SEISYO/seki-nen1.htm
利家存命中に「反徳川」が厳然と顕在化しているではないか。
脳内で勝手に状況を創作するな。

>大老レベルの外様大名(そういう意味では前田も外様)が、豊臣家に忠などを
 持ってたと想定するのが間違っている。それは江戸期以降の概念だ。
 前田も毛利もどこまでも自家の立場で行動しているに過ぎない。
同じく見てくれ。よ〜くな。
http://homepage1.nifty.com/SEISYO/seki-nen1.htm 

>奉行衆にしても豊臣政権がその権勢を担保しているから「忠」に近い行動原理を持ってるだけ
秀吉死後、誰が政権の権勢を担保してたんだ。教えてくれないか。

>大封の武断派(この概念も怪しいが)の行動が独立大名にむしろ近い
具体的に誰だ。

>同じ格下なら家康側についたほうが、「革新勢力」である分、取り分が多い
政治理念が違うのに家康に加勢するわけがないし、家康が諸侯を糾合できないなら、そもそも加勢しない。
185 :人間七七四年2010/05/21(金) 12:43:00 ID:2VtedLO8
>>178
無知だったら何でも有りの典型だな。
これでも読んで勉強したまえ。
http://homepage1.nifty.com/SEISYO/seki-nen1.htm
186 :人間七七四年2010/05/21(金) 13:00:54 ID:dNwwCdgg
おいおい利家中心に史料をあさるからそういう解釈しか出来なくなる典型だろw
合戦の経験乏しい前田が反徳川の中心とか単純にわろす
そのHPにも書いてある通り一言でいうと口だけ武将
187 :人間七七四年2010/05/21(金) 13:16:29 ID:2VtedLO8
ちゃんと利家方家康方双方の関連事項が載ってるんだがな
事実歪曲のペテンぶりは、三宅雪子の真っ青ってか
188 :人間七七四年2010/05/21(金) 13:22:54 ID:2VtedLO8
>合戦の経験乏しい前田
単純にわろす。少壮の頃から戦場に出ており、経験豊富。

>利家中心に史料をあさる
史実に基づいた単なる客観史料なんだがな。
君の解釈にこそ、どこにも根拠ないだろ。

>口だけ武将
前田に暗殺計画の濡れ衣を着せた家康こそ、そうなんだが。
189 :1552010/05/21(金) 14:16:31 ID:9k0myzfS
>「疑念」も「私見」に相当することくらいの学力
は?どこ国の広辞苑にでてるのw
疑念というのは誰か1人が抱くものではなく、疑う事象そのもの。
既に利家存命の場合の西軍の総数に対する疑義はなく俺のレスが初見ではない。
私見というのは、その字義通り「私の見方」であり、他の誰かの意見を参考にしないということ。
既存の疑念に対して「私見」などと矮小化し印象をミスリードするような卑劣な行為にケチをつけたまで。
そんな言い方をすればあらゆる意見が「私見」だ。

>反徳川 
前田側から見れば、だ。この時点では二頭体制の主導権争いに過ぎない。
徳川側から見れば「反前田」ということになるが、無論そんな意識は無い。
むしろ伏見派、大坂派とすべきで徳川一家が除外の対象となるような状況ではない。

>秀吉死後、誰が政権の権勢を担保してたんだ。教えてくれないか
少しあきれた。本気で聞いてるならこれ以上の議論は無駄な相手だが。
政権の権勢?アフォか。その時点で別の政権があったのか?
奉行派は今の政権形態あっての「権勢」だから現政体を死守する方向へ向かうといったまで。

>具体的に誰だ
とりあえず教科書でも読めば?アホ臭くなってきたw

>政治理念が違うのに家康に加勢するわけがないし、家康が諸侯を糾合できないなら、そもそも加勢しない
はあああああ?政治理念????もうだめだ。やっぱアホだこいつ。
中世〜近世の大名勢力に「自家の繁栄と存続」以外の理念なんてあると思ってんのか?
そしてその時点ではそれは「正しい」政治の道だ。
190 :人間七七四年2010/05/21(金) 22:42:58 ID:e3oMzBBS
>>180うぜーよ馬鹿死ね

まだ本気で家康より利家のほうが武将としてうえとか思ってる馬かいるのか?

頭おかしいんじゃね?
191 :平山貴士 ◆e1fQiVDD2/Mv 2010/05/21(金) 23:46:58 ID:SuhHszp8
>>190
アホか。
家康と利家なら家康の側なんだよ。オレは。
ただ、敵ながらアッパレだと言ったまでの事。
徳川方にお前みたいなアホはいらん。
ただ、死ねとは言わん。
アホの相手は楽しいのでね。
前田利政並みの仕事して改易されてしまえ。
192 :人間七七四年2010/05/22(土) 00:55:31 ID:ZR2FQL5F
まぁ、でもあれだな。
利家が家康と対峙した際。あれだけの武将を集めて、決断出来なかったとこが限界だよな。
その辺、三成の方が迷いなし。
結局、先に膝を折ったの利家だし。利家は自分の実力を良く理解してたんじゃないか?
193 :人間七七四年2010/05/22(土) 02:37:33 ID:+pOfrHjK
>>191
うぜー死ね
194 :人間七七四年2010/05/22(土) 04:01:14 ID:LH5TaFu/
うんどっちかっていうとこの手のIFは秀長が長生きしたらの方がおもしろいね。
まあ結論から言うと利家じゃむりっぽい。
そもそもあの婚姻騒動時のあの玉虫色の決着をみてもわかる。
当時主家の許可なく勝手に家臣同士が婚姻を結ぶなんてのは相当な
法令違反。とりつぶされても文句は言えないレベル。
しかもあの時点でまだ秀吉が死んで1年しか発ってない。
さらに豊臣家中はまだ表面上は一枚岩。
政権の最高幹部である四大老及び五奉行が結託している。
いくら病気だったといっても明らかに家康側に非があり重ねてこんだけの
好条件が揃っているにも拘らずあの程度の決着しかつけれなかった
(そもそもこの二人の力が拮抗していたのなら家康の隠居ぐらいなら
持ち込めてもおかしくない。)時点で利家単独で家康に対抗するのは
難しい。何が言いたいかというと豊臣政権ががっちり結束する必要が
あるということ。しかしそうすると鍵になるのは三成だ。      
上の方で利家が死んだでからすぐに武断派が三成排斥に動き出しているから
利家は武断派を抑えていたという意見があるがこれは事実でしょう。
しかしよく考えるとこんなのはある意味当然だ。
全員が全員当て嵌まるというというわけではないが武断派というのは
秀吉の身分がまだ低い時期から仕えていた濃尾平野出身者で
文治派というのは秀吉の身分がある程度高くなってから仕えだした
西国出身者が多い。利家が立場的にどっちに近いかなんて明白じゃん。
加えて三成が利家派だなんていうのは完全に根拠のないイメージ。
むしろ利家が長生きして大阪で権力を伸ばしたらそれはそれで
三成が面白いわけがない。利家政権なんて先述の理由から武断派が
勢力伸ばすのなんてわかりきってんだし。そのとき家康と三成が手を組む
可能性なんて十分ありうるというか結構高いと思う。
そこでもし豊臣が割れたら結局加藤、福島が石田、小西に置き換わってた
だけで結局家康が天下取るのは変わらんだろう。
195 :平山貴士 ◆e1fQiVDD2/Mv 2010/05/22(土) 04:04:09 ID:IvpNb+CI
>>192
体調が良くなかったんじゃなかったっけ?まあ、そこを考慮してくれ。
三成が忠節を尽くした点は評価できるがね。
>>193
ニワカの徳川信者が!
虫も殺せんくせに(冷笑)
早く殺しに来い。待ってるぞ(大人の余裕)
196 :人間七七四年2010/05/22(土) 04:12:40 ID:eV+Uk7ms
うせろ死ね
199 :人間七七四年2010/05/22(土) 10:52:01 ID:2nWrQku9
>>194
法令違反がそこまで重きをなしてるかは疑問だけどね。
所詮当時の実権者(豊臣・徳川等)は法を超越してる存在だし。
法治国家でない以上、法令違反を現代の感覚で重罪扱いするのは無理がある。
まだまだ強者の実力がモノをいう時代でしょ。

法令違反云々ではなく、単純に徳川の専横に対する対抗措置。
じゃなきゃ、利家派の武将は青臭過ぎる甘チャンの集合だよ。
200 :人間七七四年2010/05/22(土) 11:49:40 ID:Ws/PHZej
徳川派と前田派に分かれたとき
前田陣営で毛利秀元と立花宗茂が打倒徳川と吠えていたらしい
この二人を先鋒にして攻めかかれば良かったのにw勝っただろw


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