2011年01月12日

】【春秋時代】晋の六卿について語ろう

1 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/02/02(金) 21:13:01 ID:lMNW1vBJ0
晋の正卿
先しん、先且居、趙盾、げきけつ、荀林父、士会、げき克、欒書
、韓けつ、知おう、荀えん、士匂、趙武、韓起・・・


2 :sage2007/02/02(金) 21:39:31 ID:lMNW1vBJ0
宮城谷小説読んでる内にはまったんだけど、晏子から孟夏の太陽
の3部との間の話が書いてある本知らないですか?
3 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/02/02(金) 22:52:30 ID:+x7QAcJ50
晋の六卿と言えば真っ先に趙盾が思い浮かぶ、父親の趙衰が文公の
腹心だが、趙盾を立てたのは義母の君姫であり、義母の恩に報いようと腹違い
の弟である趙活を趙家の頭領にして、趙同には最大の領地を与えるが趙盾
の思いとは裏腹に、郤缼は下軍の将に最も使いやすい趙朔にして実質的に
趙家の主に趙朔がなる。
4 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/02/02(金) 22:59:44 ID:jM6o37uaO
六卿の派閥争い面白れー。

宮城谷小説の知識がメインの、なんちゃって春秋好きである私の一人言。
5 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/02/02(金) 23:18:18 ID:+x7QAcJ50
襄公の死後、次の君主には、幼い後の霊公は無理だろうと秦から公子雍
を迎えに、士会らを秦へ送るが霊公の母の必死の懇願に折れ、霊公の
擁立をする。何故か霊公は趙盾と犬猿の仲で、趙盾の暗殺を謀るように
なる。その時暗殺者は趙盾に正義を見たのか自殺して、趙盾に自らの
危機を伝える。
6 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. 2007/02/03(土) 00:10:12 ID:cVdMXS3Q0
知・趙・魏・韓・范・中行

欒氏や郤氏、胥氏や羊舌氏などはスレ違いかな。
7 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/02/03(土) 00:41:22 ID:5X+gS4j20
春秋末期は晋の六卿といえばその六氏のことかもしれないが、
それまでは単に晋の大臣(大臣は三軍の主将と副将を兼ねるから定員六人)、
という言葉通りの意味であろうから別に問題ないのでは。
11 :名無しさん@お腹いっぱい 2007/02/03(土) 07:52:14 ID:uL2d2HSD0
あと、范雎もね。
范雎自身は魏の出身だけど、范氏の族人の中には、晋の後身である魏に戻ってきたのもいそうだし、
范雎の性格や行動を見てると、士会から士鞅までのそれと結構似通っている部分が多い。
14 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. 2007/02/04(日) 00:51:18 ID:d3Kv5nyf0
当時の姓の由来は出身地が多いから、あながち根拠がないわけではないんじゃないかな。
16 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/02/04(日) 01:00:41 ID:zzI2Diy4O
可能性があるのは認めるが、推測であって根拠とは言えないんじゃないかな
17 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. 2007/02/04(日) 01:04:16 ID:d3Kv5nyf0
周の卿士である気概を范増が示したのはどこだったか思いだせんのよね。
20 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. 2007/02/05(月) 22:11:30 ID:o2h7tkyc0 BE:204249986-2BP(4)
【荀氏略系】
荀逝敖┬桓子林父(中行伯)─宣子庚(中行伯)─献子偃(中行伯)─穆子呉(中行伯)─文子寅(中行伯)
      └荘子首(知季)───武子罃(知伯)──荘子朔(知伯)──悼子盈(知伯)──文子躒(知伯)
21 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/02/06(火) 01:03:52 ID:CtMyVhH20
魏氏って春秋の頃ってあまり目立たないよね
22 :182007/02/06(火) 04:58:21 ID:aBtKXf6D0
荀林父と荀偃の間は荀庚ですか?荀騅って誰だろう。
23 :名無しさん@お腹いっぱい 2007/02/06(火) 20:46:28 ID:Qm9SdMZK0
>>22
荀庚(中行庚)は荀林父の息子ですから、間違い無いです。
荀騅は多分、荀林父の弟で知首の兄でしょうか。
24 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. 2007/02/06(火) 20:54:55 ID:/oKA+bnH0
>>21
魏武子は大夫扱いで一等低い感じのスタートだもんな。

>>23
荀驩と荀騅は同一人物なのかもしれんね。
28 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. 2007/02/08(木) 20:54:11 ID:pnBR9zjn0
とりあえず作ってみた。

【晋】
靖侯宜臼┬釐侯司徒─献侯籍──穆侯費生─桓叔成師┬荘伯鮮──武公称─┬献公詭諸
        │                                      │                  └羊舌文…【羊舌氏】
        │                                      └韓武子萬─求伯───定伯簡…【韓氏】
        └欒叔───欒賓─共子成(共叔)─貞子枝──欒盾───武子書──桓子黶…【欒氏】
29 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/02/09(金) 06:21:20 ID:gxUhPzX/0
魏犨が遺言で若い妻に自分の死後は再婚させるよう言ったが、死ぬ間際には
若い妻を殉死させるよう、息子?に言って息子?は魏犨の正常な時の遺言に
従い、その若い妻を再婚させ、何かの時若い妻の父に助けて貰ったという
話があったような、何かの小説でも載ってたかな。
30 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/02/09(金) 07:48:57 ID:tjpcMBnD0
>>29
沙中の回廊だろう。
31 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/02/09(金) 16:02:18 ID:gxUhPzX/0
>>30
サンクス 気になってたんで読み直します。
32 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/02/13(火) 19:53:47 ID:vJYiKSVB0
胥臣・・・野人となっていた郤缼を文公に推挙した。
胥甲・・・霊公に近すぎて趙盾に疎まれ追放される。
胥克・・・病により郤缼に卿の位を降ろされる。
胥童・・・?公の寵臣であり三郤を滅ぼし、欒書・中行偃に殺される。
胥午・・・敗れる事が分かって欒盈に協力し共に滅びる。
胥臣の家系図はどうなってるだろう。

33 :名無しさん@お腹いっぱい 2007/02/13(火) 20:26:22 ID:66OxE9ic0
>>32
胥甲から胥童までは一本系図でつながってるが、胥臣から胥甲、胥童から胥午のつながりが分からん。
沙中の回廊では、胥甲は胥臣の息子だと書いてるが、胥甲は胥臣の族人の可能性もあるかも。
34 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. 2007/02/13(火) 21:08:23 ID:kZ+3B8/F0
胥甲は胥臣と同じ下軍の佐から登場するので親子と思っていいんじゃないだろうか。
一応まとめておこうか。

【胥氏】
┌司空季子臣─胥甲─胥克─胥童
└胥嬰

胥午と胥梁帯についてはわからない。
35 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/02/19(月) 02:31:49 ID:K7e75BJY0
巫臣
 ‖――娘 
夏姫  ‖
   叔向

36 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/02/19(月) 09:47:56 ID:Qg8DViw9O
>>35
楊食我はその夫婦の子なんですか?
37 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. 2007/02/19(月) 21:02:12 ID:Yx8TGU4T0 BE:344671799-2BP(4)
【羊舌氏】>>28参照
羊舌文─羊舌大夫─羊舌職┬羊舌赤(伯華)─子容
                        ├羊舌肸(叔向)─楊食我(伯石)
                        ├羊舌鮒
                        ├羊舌虎(叔虎)
                        └      (季夙)
38 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/02/21(水) 07:21:15 ID:tGhYkvou0
楊食我が殺された理由がよく分からないけど、夏姫の孫?だから
つぃてない人なのかな?

39 :名無しさん@お腹いっぱい 2007/02/21(水) 13:02:50 ID:A5o4IN9f0
>>38
?公の時の胥童みたく、六卿の勢力を削ごうとして、士鞅や知櫟の逆鱗に触れたのでは?
40 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. 2007/02/21(水) 20:53:49 ID:nVwnSODu0
山狗のような声とかね。
41 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. 2007/02/22(木) 00:42:45 ID:i9x98rNJ0
指摘されるまで申公巫臣と夏姫の娘だというのに気付いてなかった。
叔向は文弱な大夫だと思って侮ってると、結構な実力者でもあったんだな。
42 :292007/02/22(木) 08:47:47 ID:YFuilRnm0
やっと沙中の回廊を読んだけど魏顆・魏絳・魏?が兄弟になってます。
又、史記魏世家だと魏顆―魏絳ですね。
>>40
楊食我=山狗のような声ですか?史記だけ見ると六卿の方が悪くみえるので。
43 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. 2007/02/22(木) 21:45:24 ID:i9x98rNJ0
>>42
左伝の楊食我が生まれたときの話ね。
祖母(伯華・叔向の母)に羊舌氏を滅ぼす子だと云われて面会を拒まれたと言う。
44 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/02/25(日) 21:54:34 ID:FAUTw4Fc0
頃公の十二年時は趙鞅・韓起・魏舒・中行寅・士鞅・知櫟 が六卿か
このころは晋室の事や正卿になるより、領地を増やす事のみ考えてるみたい。

46 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/02/26(月) 21:35:33 ID:KW84X0GF0
文公が太子を除く公子を晋国外に出したのが晋室弱体の原因か
47 :名無しさん@お腹いっぱい 2007/02/26(月) 21:48:14 ID:/rFhd8Jz0
いや、やっぱり献公が驪姫に惑わされて、申生を自害に追い込んだのが、
晋室弱体の遠因だろ。
48 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. 2007/02/26(月) 22:02:50 ID:u+jZGQuH0
公族・余子・公行の三族を定めたところで決定づいたと考える。
49 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/02/28(水) 16:25:16 ID:mBLYU8PyO
三族のいきさつは分かるが
家臣の子弟が公族になって本当の公の親族はどうなったかわからない。
理屈がわけわかめ。
50 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/02/28(水) 21:47:58 ID:Nv2GDesa0
晋には驪姫の乱以後、公族の官がなく晋にひとりの公子もいない
卿の嫡子を公族の官に任命し田土を与える事にした。
成公が自分を推してくれた卿への礼のつもりか又は自分の子
から他の国のような公族を復活させる為か
卿の家が肥大化する基になった。
趙盾より、成公の方がそのつもりがなくても晋室弱体化の原因ですね
51 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/03/02(金) 00:11:04 ID:vKFrzUca0
文公の四年 晋は三軍を編成した。
中軍 将 郤穀  上軍 将 狐毛  下軍 将 欒枝
   佐 郤湊     佐 孤偃     佐 先軫
文公の五年 城濮の戦い
中軍 将 先軫  上軍 将 狐毛  下軍 将 欒枝
   佐 郤湊     佐 孤偃     佐 胥臣
      三行を創設
中行 将 荀林父 右行 将 屠撃  左行 将 先蔑
     清原の蒐・・・三軍に新しい二軍加え五軍とした
新上軍 将 趙衰  新下軍 将 箕鄭
    佐 胥嬰      佐 先都
襄公の六年 先且居・趙衰・欒枝・胥臣の四卿が亡くなる。
中軍 将 狐射姑 佐 趙盾    
      董の蒐・・・陽処父が狐射姑の降格を謀る
中軍 将 趙盾  佐 狐射姑
襄公の七年 襄公死去、狐射姑は翟へ出奔した
中軍 将 趙盾  上軍 将 箕鄭  下軍 将 先蔑
   佐 先克     佐 荀林父    佐 先都
先克に恨みを持つ五人(箕鄭、先都、梁益耳、士穀、蒯得)が乱を起こすも
皆敗れた。
霊公の六年 士会率いる秦軍が晋国を悩ます
中軍 将 趙盾  上軍 将 郤缼  下軍 将 欒盾
   佐 荀林父    佐 ゆ駢     佐 胥甲
      黄父の蒐・・・胥甲を追放する、士会が卿になる
成公の元年 趙盾の引退
中軍 将 荀林父 上軍 将 先穀  下軍 将 欒書
   佐 郤缼     佐 士会     佐 胥克
成公の六年 荀林父が正卿の座を郤缼にゆずり中軍の佐になりたいと願い出る
中軍 将 郤缼  上軍 将 先穀  下軍 将 欒書
   佐 荀林父    佐 士会     佐 趙朔
景公の三年 邲の戦い 
中軍 将 荀林父 上軍 将 士会  下軍 将 欒書
   佐 先穀     佐 郤克     佐 趙朔

  
53 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/03/02(金) 20:36:30 ID:8DPUp8tf0
先且居等が死んだ後、士穀が趙盾や狐射姑を差し置いて正卿になる予定が先克
の邪魔でなれなかったという話は、もし士穀が正卿になってたらと思うな。
54 :名無しさん@お腹いっぱい 2007/03/02(金) 21:41:16 ID:dszOr4KE0
>>53
もし士穀が正卿だったら、襄公亡き後は秦にいた公子雍が順当に晋侯になって、
襄公の息子の夷皋(霊公)は、ひねくれた人生を送らずに命永らえれたかも。
ただ、そうなると、黒臀(成公)は晋侯になれなかったけどね。
そして、弟の士会も秦に亡命する事もなくなるし。
55 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. 2007/03/02(金) 22:28:06 ID:kSX09uUi0 BE:34041942-2BP(4)
隰叔─士爲─成伯缺┬穆伯穀──貞子握濁─荘伯弱──文伯瑕──景伯彌牟
                  ├范武子會─文叔燮──宣叔匃──献叔鞅─┬昭叔吉射
                  │                                      └范皐夷
                  └彘共子魴─彘求
61 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/03/05(月) 02:33:46 ID:uKeBCGOg0
すごく読みにくくてすみません、
悼公元年から遷延の役までは晋の黄金時代ですね。
66 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/03/10(土) 06:27:25 ID:IRlOtLxQ0
このように思うがどうだろう。
 名宰相  一位韓厥、二位士会、三位趙盾
悪い宰相  一位欒書、二位趙鞅、三位趙盾

         
      

      
      

67 :名無しさん@お腹いっぱい 2007/03/10(土) 07:37:29 ID:NqMj1tFe0
>>66
いや、こんなんでは?

 名宰相  一位韓厥、二位士会、三位趙武、次点知オウ
悪い宰相  一位士カイ、二位趙盾、三位荀林父、次点中行偃
68 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/03/10(土) 23:11:11 ID:YRiHeE1N0
天官 大宰

地官 大司徒

春官 大宗伯

夏官 大司馬

秋官 大司寇

冬官 大司空

何だか風雅な官職だな。
69 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/03/10(土) 23:24:53 ID:N6868e2W0
>>68
分からないけど六卿の別名?
71 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/03/15(木) 21:43:30 ID:aD/0kbL+O
知氏はどの辺りから力をつけてきたの?士会の頃は名前も出てこないのに
72 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/03/15(木) 23:34:06 ID:phS3pqcT0
士会のころに荀林父って人がいたと思うが、その子孫の分家。本家は中行氏だったかな。
そのころは士氏も范氏っていう名前になってる。

んで、中行氏と范氏が、趙氏を滅ぼそうとしたときに、知氏の当主が晋の宰相だったが、
趙氏の味方をして、中行・范氏を倒し、その領土を分け取りにしたあたりで、
晋国内では一番強くなったのかな。
73 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/03/16(金) 07:36:29 ID:DJVeAh99O
趙氏って三度滅亡の危機をよく乗り切ったよな
74 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/03/16(金) 12:02:27 ID:x3pFE+HTO
>>71-72
>>20にあるように知氏の初代は中行林父の弟だよ
75 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/03/18(日) 22:25:44 ID:YzY6mJq60
>>73
趙朔と趙憮恤の話と趙盾の失脚時か趙鞅の中行・范氏との戦いですね。事件名が分からない
のでややこしいけど、孟夏の太陽2冊目(1冊目は紛失)買ってしまった。
77 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/03/25(日) 23:28:10 ID:vCmkN7vG0
中行・范氏との戦い開始が前四九七年で、中行寅・范吉射の斉への逃亡が
前四九〇年、知瑶が韓・魏・趙氏と共同で中行・范氏の領地を分割して所領
にしたのが前四五八年らしいのだが、それまで中行・范氏の残党が残って
いたのか?又はそれまで知瑶の暴走を抑える人物がいたのだろうか。
78 :名無しさん@お腹いっぱい 2007/03/26(月) 21:09:05 ID:Mm1A+W9K0
>>77
知瑶の祖父の知櫟や趙鞅達が、名目上は中行・范氏の領地のままで、
晋公を差し置いて実質的に支配してたんじゃね?
知櫟は知瑶以上に強欲だけど、かなりの慎重居士でもあるから、趙鞅達と示し合わせて、
事を荒立てないように名より実をとる方策を取ったのかも。
で、知櫟の死後は、趙鞅が紀元前463年に死去するまで知瑶を抑えてたと。
80 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/03/29(木) 06:55:33 ID:XJ90bqJr0
知氏も知櫟の父、知盈が亡くなった時に卿から降ろされそうになった事が
あったが、(実際に士魴や魏相の後は卿になれなかったので)一大夫のまま
なら、これほど力を持てなかったと思われ。
平公が独断で寵臣を卿に任じたら、?公の二の舞になるか又は、六卿の力を
削ぐ最後のチャンスだったか。
81 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/03/30(金) 15:16:42 ID:4A+4/k9S0
知首・知罃の遺徳は残っていたからだろうが、
何で料理人があんなに偉そうなんだろう。
82 :名無しさん@お腹いっぱい 2007/03/30(金) 21:19:35 ID:LDN5Ulgx0
>>81
料理人って誰?
83 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/03/31(土) 05:09:23 ID:mjFArEQC0
晋の知盈が亡くなった時、葬儀も行わぬ内に平公は酒宴を催した、その席で料理人の
屠蒯は楽師に酒を飲ませ「汝は国君の耳にして、聰(鋭敏な聴力)を司るのが役目、
股肱が毀損したのは忌み日にまさる痛心時。しかるに汝がこれを国君に申し上げず
音楽を奏したのは聰ともうせぬ。」更に寵臣に酒を飲ませ「汝は国君の目にして、
明を司るのが役目。しかるに国君の容は卿佐の喪にふさわしい物でないのに、汝が
それを目に止めぬのは明とは申せぬ」こんどは自分で酒を飲んで「味は気を流通させ
、気は志を充実させる。志によって言が決まり、言によって命令が出る。臣は味を司る
のが役目。この二人が役目を果たさぬのに国君が処罰命令を出さなかったのは臣の責任
でございます」平公は納得して酒宴をやめさせた。これまで平公は知氏を廃して自分の
寵臣を立てようとしていたが、この件で考えを改め知櫟を下軍の佐に任命して、申し
わけにした。
84 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/03/31(土) 23:53:52 ID:DTPxzBB/0
魏絳は悼公の寵臣といえるかな、当時の宰相の韓厥・知罃・中行偃との
関係は良好みたいだが。
87 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/04/06(金) 17:52:17 ID:0f3ZglTPO
宰相にあたる正卿でも本当に実権があった人はかなり限られてるね
88 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/04/06(金) 22:11:25 ID:5GCckdyD0
>>87
実権のないというと誰だろう?
とりあえず、中行偃<范カイかな。
89 :名無しさん@お腹いっぱい 2007/04/06(金) 23:51:52 ID:qQCWTd6t0
>>87
後、荀林父<先穀、士会とか。
90 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. 2007/04/06(金) 23:57:28 ID:VQduNSci0
基盤の弱い正卿だと先軫が浮かぶかな。
兵権のない士爲や荀息が正卿に準えられないのが残念。
91 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/04/07(土) 15:15:48 ID:S5QjN/8f0
叔向って何で正卿にならなかったの?
92 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/04/07(土) 15:20:04 ID:K4sKgsZH0
【都知事選】浅野史郎氏、志同じならと民団に支援を要請
ttp://news21.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/11%374623990/

東京都の人は、ぜひ読んでみてください。
現在、朝鮮総連や民団その他の反日団体が、総がかりで浅野を応援しています。
浅野が知事になれば、たぶん東京は終了します。
93 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/04/07(土) 20:29:04 ID:jWAm+6C50
>>90
献公が上軍の将・申生が下軍の将というように公族が兵権を独占してたの
ですかね?
>>91
趙武らの後ろ盾はあったものの、叔向=羊舌氏の地力は趙、韓、魏、范、
中行、知はもちろん祁氏より小さいはず。

叔向の下に祁午、張趯、籍談、女斉、梁丙、張骼、輔躒、苗賁皇の八大夫
あり、とあるが六卿の下はどんな位があるのですかね。
94 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/04/10(火) 14:23:23 ID:aSQPaq8TO
申生ら三公子が追放されたときに兵権が卿大夫に移ってしまったのではないかな
献公が桓荘族を滅ぼしてしまったから、親族に三公子のあとの受け皿がなかったわけだし
95 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. 2007/04/11(水) 23:18:50 ID:i5HyHift0
晋の悼公即位時に任命されてる人たち。(春秋左氏伝より))

【太傳】士握濁
【司空】右行辛
【卿】魏相・士魴・魏頡・趙武
【公族大夫】荀家・荀会・欒黶・韓無忌
【公車御】弁糾
【公車右】荀賓
【中軍尉】祁奚
【中軍副尉】羊舌職
【中軍司馬】魏絳
【中軍候奄】張老
【上軍尉】鐸遏寇
【上軍司馬】籍偃
【公御者】程鄭
96 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/04/12(木) 03:33:23 ID:DE/mVCEc0
予想ですが、名君悼公即位時の卿は韓厥・知罃・中行偃・范カイ・魏相・士魴
・魏頡・趙武の順番で4軍でしょうか、魏頡は魏絳の兄で魏本家の当主という
感じですかね、いきなり2卿の魏氏はまだ魏絳の活躍前なのに
97 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/04/12(木) 04:16:19 ID:DE/mVCEc0
BC573の2月に悼公即位してその時点では、欒書・韓厥・知罃・中行偃・
魏相・范カイ・士魴 ・魏頡という感じか、そして11月前後に韓厥が正卿に
なって12月に魏相没後に趙武が卿になる方が正しいかな。
魏絳は魏犨の末の子という話もありますか。
98 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/04/12(木) 22:39:47 ID:cGf1GFHI0
悼公即位時点では中軍の将、欒書・佐、中行偃・上軍の将、韓厥・佐、范カイ・
下軍の将、魏相・佐,知罃・新軍の将、士魴・佐、魏頡。が、つじつまあう感じ
かな、
公族の官と公族大夫は別物みたいだが、四軍だから四人の公族大夫となる
かと考えるのだがどうだろう、
太傳=晋公の教育係で実権はありそうだが、特に権力があり大夫の中で
上位とかあるのだろうか?
中軍候奄の張老=張孟に、中軍尉の祁奚、上軍司馬の籍偃、このあたりの
大夫は存在感が大きいですね。
99 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. 2007/04/12(木) 22:53:34 ID:qJJ6Q4Eo0
公族大夫に荀家・荀会・欒黶・韓無忌が並んでいる。
ということは欒黶・韓無忌(荀家・荀会の系譜は不明)の父にあたる
欒書・韓厥が卿、あるいはそれに相当する地位なのはほぼ間違いないだろうね。
100 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. 2007/04/12(木) 22:58:29 ID:qJJ6Q4Eo0
>>98
太傳と司空は名誉的ポジションだと思う。
士握濁は范氏の本家だから上位に祀り上げられたのだろうし
右行辛はこの頃の晋公室では最長老じゃなかったかな。
101 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/04/14(土) 16:40:17 ID:NfYTdQ2E0
魏絳は魏相・魏頡の後をうけて魏氏の当主になったものだと思うが、傍流にいた
者が急に当主となる事に、一族内から不満がでるという話は公族ではよくあるが、
大夫の一族間の勢力争いというのは、あまり聞かないな。趙朔 の時に趙同・趙活
が、それぞれ当主としての根拠を持っていた事により不満を持っていたぐらいか。

102 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. 2007/04/14(土) 21:54:54 ID:7istsok70
趙括は初めて公族大夫になったうえ、文公の外孫だもんな。
趙朔が成公の婿なだけに対抗心があったのだろうか。

時代が下って邯鄲午は本家の趙氏に反乱していたり、
知氏と中行氏が揉めてたりするのは同族争い。
叔向が叔魚を見捨てたりするのも同様かな。
103 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/04/15(日) 13:04:57 ID:LQoJJbQLO
文公の頃は中軍の将=宰相という感じではなく、
軍事に優れている人物を将として据えていたのかな
104 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/04/15(日) 15:35:05 ID:9KsdsDJy0
当初は郤氏の二人を中軍に、欒氏を下軍に置いているんだし、
名族への憚りはそれなりに大きかったと思うのだけど。
105 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/04/15(日) 23:55:07 ID:7FKAmcXp0
大部分を想像で仮定してみたのですが、こんな序列でどうですか?
趙衰は実力者ながら常に謙譲して下の地位にいたものの、先且居が宰相になれば
補佐する為、中軍の佐は妥当かと、欒枝と胥臣が将となって、趙衰と同格であった
胥嬰・箕鄭・先都が続き、狐射姑と荀林父がどこに入るか、郤湊はいつまで現役で
あったかと。
郤湊・胥嬰・箕鄭・先都がいまいちどのような人物か分からんです。
あと実力でいえば陽処父もいましたか、卿にはなってないはずですが。
BC627、中軍将、先軫・佐、郤湊・上軍将、欒枝・佐、狐射姑・下軍将、胥臣
・佐、趙衰・新上軍将、胥嬰・佐、箕鄭・新下軍将、先都・佐、荀林父
箕の戦い後
BC626、中軍将、先且居・佐、趙衰・上軍将、欒枝・佐、狐射姑・下軍将、胥臣
・佐、胥嬰・新上軍将、箕鄭・佐、荀林父・新下軍将、先都・佐、郤缼
106 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/04/16(月) 07:04:55 ID:037Pch3d0
文公の頃は卿である事より、文公に近く意見を重要視された、孤偃・趙衰の影響力
は大きそうですね。
郤・先・胥氏から二人同時に卿になるが、孤氏の兄弟と違い血縁が遠く、それぞれ
別の勢力を持っていたのかも?
襄公即位前後は卿の序列は不明なのが多い。
とりあえず三行の将は、新軍の卿のすぐ下の地位なのかどうなのでしょう。
107 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/04/16(月) 21:19:31 ID:qCtJC8PN0
>>104
確か、郤穀と欒枝は晋国内で文公の帰国の手助けをしてたはずで、郤氏の二人
を大族郤氏の総帥にするつもりで高い地位を与えたとも考える。
右行の将、屠撃(左史伝)は先穀(史記晋世家)になってます、この先穀は
先且居の孫とは別人だろうし、屠撃とは他に名前がでてきますか?
108 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. 2007/04/16(月) 23:39:50 ID:IikKazQy0
晋は武公の統一まで内乱で、都市が戦争慣れしてるんだよな。
郤氏はともかく欒氏と韓氏は公室と同族。大族はこのあたりじゃないだろうか。

>>104
その先穀は先蔑の間違いじゃないでしょか。
109 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. 2007/04/16(月) 23:40:31 ID:IikKazQy0
誤:>>104
正:>>107
110 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/04/17(火) 18:39:51 ID:KndYP9120
正卿になったばかりの趙盾は切れ者みたいだな(箕鄭らが乱を起こした時の処置など)。
112 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/04/18(水) 21:22:28 ID:zerRbvCm0
春秋時代で一番好きな話が、士会が秦に亡命して晋を攻撃するようになった時、
士会の重要性を郤缼が説き、趙盾が受け入れる事なんだよな。
苗賁皇・伯州犂・伍子胥など亡命して活躍する人物は多いけれど、再び戻って
活躍したのは、士会ぐらいかな、その場を与えた趙盾が評価されて欲しいな。
113 :出勤中2007/04/19(木) 08:22:50 ID:vEGVQm4jO
趙盾の場合、突っ込みどころも多いもんね。
いくら暗君とはいえ主君殺しの汚名は消せない。
趙括を公族に見立てて公室の基盤を決定的に弱めている。
趙穿を処分せずにいたら悼公の代で卿になってしまっている。

そら反感も買うわなと。
114 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/04/19(木) 20:27:00 ID:TWcFXWKa0
趙盾は器が大きい反面、鈍感な感じがする。
趙穿を処分しなかったのも、あえて汚名をきたのかと。
仮に士会があのまま秦に残れば伍子胥並に活躍してたかも。
趙盾ひいきの意見だけど。
115 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/04/20(金) 23:50:19 ID:dVSNYLgL0
趙盾の悪い面は霊公・趙同・趙括を指導する事ができなかったことか。
118 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. 2007/04/22(日) 22:03:57 ID:tKBuCAcV0
趙盾自身の述懐で「自らは夷狄に生まれ育ち云々」てのがあって、
文公の子ふたり(趙盾の従兄弟でもある)は狄に残っている。
文公の義理の甥であったとしても、屏季括は文公の外孫。

趙家の中では意外と発言力がなかったのではないかと。
119 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/04/23(月) 01:10:14 ID:cIv8Po3N0
賢夫人とされる君姫は、文公の亡命時のいつごろの娘だったのだろう。
趙盾よりは若いはずだが狄を出てからか、案外趙盾の従妹という事は
ないだろうが。
120 :妄想半分すまぬ2007/04/23(月) 15:25:11 ID:xeNUynt+O
蒲城にいたころは舅犯の娘が妻。これは夭折して子がない。
文公の滞在期間が長いのは狄と斉。狄では2公子を儲けるも晋に入国せず。
んで重耳の亡命に付いて他国に出た妻子は太子歓とその母・杜祁以外に記録がない。
鄭を通過するときに趙衰が60才。享年が76だったとして君姫が子を産める年齢を逆算。
こう考えると君姫は斉以降に生まれた可能性が高いね。
121 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/04/23(月) 15:38:56 ID:3E4KNfDW0
紀元前655年 重耳が80人の従者と共に狐氏の邑へ行く。
   654年 趙衰と(隗氏の族長の娘)叔隗の間に趙盾が出生する。
   651年 献公死去。里克・丕鄭乱を起す。
   650年 恵公夷吾即位する。
   645年 恵公、秦軍に敗れ捕虜となる。子圉を人質として、恵公帰国する。
       斉の管仲死去
   644年 趙盾10歳の時、重耳は狐氏の邑を去る。
   637年 懐公圉即位する。
   636年 文公重耳帰国し即位する。
   635年 文公の妻、季隗は二人の子を狄に残し晋へ行く。
   634年 叔隗・趙盾のもとに文公・趙衰からの迎えの使者が来る。
      君姫は趙盾に才能ありと認め、文公に固く請うて、趙盾を嫡子として
      自分の生んだ三子の地位を下げ、叔隗を嫡妻として自分はその下位についた。
   622年 趙衰死去。趙盾が33歳で趙氏の総帥となる。
   621年 董の蒐により、趙盾が晋の正卿となる。

君姫が趙盾より年上でないと合わないかな、趙朔と趙同が同じ年だったかな。
122 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. 2007/04/23(月) 20:58:58 ID:bZEDHWvb0
君姫≧趙盾でも君姫≦趙盾おかしくないではないね。
ただ>>120を読んで重耳が子供を連れて亡命していないなら君姫≦趙盾じゃないかね。
123 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/04/24(火) 19:25:40 ID:qSbgq3vRO
70前後の爺さんに幼い娘を嫁がせる文公マンセー
キッチリ子を作ってよこす趙衰マンセー
124 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/04/25(水) 06:56:59 ID:Hsn1BkmC0
重耳が亡命した年に、晋に虞国が滅ぼされ、重耳の異母姉穆公夫人が秦に高齢で嫁ぐ
というケースもありますね。
125 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. 2007/04/26(木) 21:44:37 ID:FBAY7WFo0
そのわりに子供3人の穆姫はすばらしい。申生の姉だったっけ?
127 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/05/02(水) 04:32:29 ID:25qZ827VO
六卿でなく晋を語るスレになってるな
まあ何かと晋が春秋時代の国で一番ネタが多いからね
128 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. 2007/05/05(土) 22:34:01 ID:ALC+Bnmo0
>>37訂正
【羊舌氏】>>28参照
羊舌産?─羊舌文─羊舌突─羊舌職┬羊舌赤(伯華)─子容
                                ├羊舌?(叔向)─楊食我(伯石)
                                ├羊舌鮒
                                ├羊舌虎(叔虎)
                                └      (季夙)
129 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/05/06(日) 11:36:16 ID:UwPL/9Na0
>>128
羊舌肸=叔向で何か問題ありますか?
133 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/05/09(水) 17:25:14 ID:qOtHzmTUO
つながらないっしょ。
羊舌氏は族滅させられてるはずだから。
136 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/05/11(金) 03:49:32 ID:tuXsk1oOO
晋では難を避けるために隠れたり、亡命したり、捕虜になったりと困難を経験した人から名臣を輩出することが多い。
例えばゲキ欠、士会、知武子、趙武など。
これも逃げの重耳を生んだ晋のお国柄かな。
137 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/05/11(金) 14:37:31 ID:p4UCwFI8O
公族や卿大夫の亡命は後継者争いの副産物だからねえ。どこにでもある話だろうけど、
晋の場合は卿大夫の家々が他の国の公族並みの力があるからではないかと。
138 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/05/11(金) 19:00:01 ID:bUTOmJC40
重耳が献公の死後、里克の誘いに乗って晋に帰ったら、
やっぱり名君といわれるまでの活躍はできなかったかな。
139 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/05/11(金) 21:19:10 ID:jbtxnQwQ0
>>138
全く違った転回になりそうだな。
>>136
困難を以って名臣になったというと、郤缼・士会・趙武は
必然かなっと思った。知罃は商人が楚からの脱出の誘い
を断った事が案外、楚の共王に見込まれ評価が上がったかも。
141 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/05/12(土) 01:15:49 ID:uq4xvIe+0
元ネタ回廊だよねおそらく。

前出だが范・中行両氏が斉に亡命してからの資料がなかなか無いんだけど、
亡命後は斉で客卿待遇とかのままでフェードアウトしちゃったのかな。
143 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/05/12(土) 02:32:15 ID:ppGsdmMd0
欒氏は斉に残らなかったのですか?
144 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/05/12(土) 03:57:21 ID:ppGsdmMd0
士から范へと変わったように
范氏のその後は姓を変えたという事はないですかね、
斉は田常の頃から有力な大夫は田氏以外であまり知らないな。
145 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/05/12(土) 15:56:09 ID:uRtxWqlTO
斉には高氏と国氏が両卿としていたのにね。
魯の三桓氏や鄭の七穆らもいるけど残った家は少ない。
146 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/05/13(日) 21:55:28 ID:WHdUb29M0
>>143
欒盈が晋に戻ったときに、残らず付いていったんじゃない?
147 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/05/14(月) 16:21:40 ID:KlzqL74G0
欒盈は范氏さえ倒せば、晋に復帰できたんだろうか、
仮に魏氏が味方に付いた場合、中行氏は范氏に付きそう
だし、趙・韓氏を交えて結局復帰は無理ぽいか。
149 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/05/20(日) 16:38:37 ID:BPDRuYK40
趙氏に限って言うと、趙武ー趙成ー趙鞅の三代ですか、
この頃の六卿は国主と考えられるのかな、家宰が宰相と
呼ばれていたり。
中行・范氏亡命後も傍流の人物が卿になってたみたい
ですが、知遥が政権を執った時には、まだ六卿だったの
かな。


150 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. 2007/05/20(日) 19:25:18 ID:5291+4e/0
六軍に当てはめりゃ范・趙・知・中行・魏・韓なのは当然なんだろうけど、
欒氏や胥氏、あるいは鞏朔を卿に数えないのはたしかに不自然だよねえ。
151 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/05/22(火) 19:42:10 ID:au8Y/jIR0
晋陽の戦い?までが春秋時代と思ってたけど
韓・魏・趙が周王から諸侯と認められるまで
一般的に春秋時代なんですかね。
154 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/05/26(土) 17:42:55 ID:UcNy2xpY0
献公はもっと評価されてもいいと思う
155 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. 2007/05/26(土) 21:03:25 ID:lUKD1J1T0
マイナスの部分が大きすぎるから・・・
156 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/05/26(土) 22:15:59 ID:eJlQ9Dd+0
前685年 斉の桓公即位、管仲を補佐とする。
 676年 献公即位
 669年 献公は桓・荘の族を滅ぼす。
 667年 斉の桓公、王命により、覇者となる。
 666年 献公は大子申生を曲沃に、重耳と夷吾を
    捕と屈の守り手とする。
 661年 晋は二軍を作り、耿・霍・魏を滅ぼした。
 658年 荀息は名馬と壁を虞へ贈り、虢を攻める道を
    借りる。晋と虞は虢の下陽を滅ぼす。
 656年 驪姫の陰謀により、申生自殺する。
 655年 晋は虢と虞を滅ぼす。
 651年 献公死去。
献公というと、晋の領土を急拡大させた全盛期と
斉の桓公の活躍する時期はダブってますね。。

献公の時には晋<斉だみたいでけど、
国土では晋>斉のような。


157 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. 2007/05/26(土) 22:22:30 ID:lUKD1J1T0
斉はその間に鄭や魯、衛という姫姓を配下におさめてるからねえ。
威信では敵わない。
159 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. 2007/05/27(日) 21:56:13 ID:YxQOAkWo0
斉に話を広げていいのなら。
管仲が執政しているのを大夫家の鮑叔が支持していたとしても、
卿たる国氏・高氏が全く不満を現さないのが不自然かな。

あと隰朋は士氏と何らかの血縁があると思う。
160 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/05/28(月) 05:50:11 ID:x79IsScD0
>鮑叔が支持していたとしても、 卿たる国氏・高氏が全く
不満を現さないのが不自然

鮑叔がいなければ国君に立てなかったのでは、
重耳の時の晋に例えると
鮑叔=狐偃・趙衰で国氏・高氏=欒枝・郤穀といった
感じかと想像するけど、狐偃・趙衰が自分より遥かに
勝る人物として推せばどうですかね。

>隰朋は士氏と何らかの血縁があると思う

何故ですか?
161 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. 2007/05/28(月) 20:58:47 ID:fl42JC2U0
>>160
>上段
管仲以前に管氏の卿大夫を知らないんで。
国策顧問として一代限りの師傳だったのかな。

>下段
>>55の「隰叔─士爲」この部分。
163 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/05/29(火) 21:57:18 ID:xW5Ak+J50
管氏と検索すると・・

とりあえず宮城谷小説の管仲でも読もうと思う。
164 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/05/29(火) 22:18:01 ID:dmFNzotc0
>>154
マイナスとプラスならはるかにプラスの方が大きいよ
武公の頃の領土のままなら文公も覇者にはなれなかったと思う

愛妾の子供を太子にってそんなに珍しいことじゃないし、
死後の争乱なら桓公も同じ
165 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. 2007/05/29(火) 22:35:18 ID:DbeoIz3j0
オレへのレスかな?

死後の騒乱もだけど、献公は従兄弟・またいとこをほとんど滅ぼしているわけで。
残った一族は>>28くらいしかいなかったと。
実力ある公族が少なすぎて臣下に実権を奪われやすくなる例としては曹魏に似てるね。

公族が弱く卿大夫が強い。支配力の低下に直結するだけにマイナスじゃなかろか。
166 :1642007/05/29(火) 23:39:20 ID:dmFNzotc0
>>155だった、、、

>>165
それまでが西晋に似てるくらい桓荘の族の害が大きかったんだろし、
元々分家が乗っ取ったから本家系の一族がいないのは仕方が無い
それを修正出来なかった恵公、文公などにも一因があるのでは、、

諡号も良諡だし、親父が武公じゃなければ武公になっていたんじゃないか、と
167 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. 2007/05/30(水) 00:00:06 ID:6bk4Cmi30
献公の権勢が強かったから、臣下に封地を与えても統率は取れていたと。
168 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/05/30(水) 09:32:03 ID:plh2+BYDO
恵公が弱すぎて公族復活できなかったんじゃないか?
169 :名無しさん@お腹いっぱい 2007/05/30(水) 15:51:25 ID:shf5/QX50
>>168
それもあるけど、恵公は自分の子孫以外の公族を復活させる気なんて
無かったのでは?
重耳を殺そうとした位だし、たぶん圉(懐公)等の自分の血脈で、
公族を復活させるつもりだったのかも。
170 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. 2007/05/30(水) 21:16:04 ID:6bk4Cmi30
文公が帰還したときには公室の直轄だけでは
卿大夫の勢力を押さえ込めるほどの力がなかった、と。
171 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/05/30(水) 21:51:38 ID:5+oyMvpJ0
公室の力も弱いけど、卿大夫もそんなに大族はないと思うけど、
郤芮は恵公が抑えていたのだろうか、里克や邳鄭もあっさり
恵公に倒されたから。
172 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. 2007/05/30(水) 22:12:54 ID:6bk4Cmi30
欒枝・郤穀・韓求伯・畢萬・士缺・羊舌伯僑・屠撃・荀逝敖

時代的にはこのあたり。
173 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/05/31(木) 04:06:11 ID:fq4F0O4y0
172の卿大夫が、揃って恵公の言う事に
従わなかったという感じか。

あと狐突と先氏か、先軫は重耳の亡命の旅に
従ったとも国内に残ってたとも云われるから、
一族の長は先軫でいいのかな。
174 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. 2007/06/01(金) 23:58:33 ID:ZMxrM/kn0
先丹木か先友か。
卿大夫であっても在地領主なわけで、亡命している当主は当主じゃないでしょ。
177 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/06/03(日) 01:06:12 ID:JiqB0Fdy0
管中の上卷まで読んだが、晋の話はほとんど出ないな、
鄭の荘公が有る意味、覇者だったとしても鄭より西の国には
ほとんど影響を与えてないですし、
西国の虢は鄭と同レベルの国だったのですかね。
178 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/06/08(金) 10:52:26 ID:r03uYUdVO
鞏雎黶雍隗隰閹鯀驩騅駢酖扈郤鄒邱贏范耿羈缺絳絲紂糜粲稙禹疇甄

携帯コピペ用メモ
179 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/06/08(金) 11:28:24 ID:r03uYUdVO
周王室が大諸侯を封じるときにはそれぞれ軍事的な役割をあてがわれてるように思う。
異民族をそのまま国にした斉、北狄には晋、西戎には秦と梁、南蛮(楚)への予備役にカク。
時代が下って王室守護のために鄭を置いたものの、王室を分割して封じたために
相対的に王室の権力が低下してしまった。
180 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/06/11(月) 16:49:33 ID:pgThTTWxO
春秋通しての晋のライバルといえば楚だけど見事に対照的だね
晋は大夫の権力が強く楚は王族の権力が強い
晋は勤王につとめ楚は周王にとって変わろうとする
軍事的にも晋は三軍が皆各自独立して動くことができ楚は王の中軍に戦力を集中している
方角も南北と対照的だし他にもいろいろありそうだ
182 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/06/14(木) 11:06:46 ID:h4nHjx8IO
卿は周から見ると陪臣だが、諸侯は周の許可なく卿を任命できないんだよな
183 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/06/14(木) 22:15:55 ID:VE6xkE9D0
卿は元来周王室から任命されて諸侯を補佐するって建前なんでは?
御三家の付家老みたいなもので
184 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/06/15(金) 04:13:35 ID:P8biSz6u0
>>182
知らなかった。
斉では高・国氏は国君がかなりの力を持ってたみたいだけど
晋だと武公以降、ゲキ穀以前の正卿は周より認められていなかったとか。
185 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/06/15(金) 08:13:50 ID:sDrgMgek0
誤:高・国氏は国君がかなりの力を

正:高・国氏がかなりの力を
186 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/06/15(金) 15:49:25 ID:Agvlvs+o0
>>184
管仲が上京した際の例がいちばんわかりやすいというか有名だと思われ。
187 :ぷ@携帯2007/06/15(金) 16:25:36 ID:O46aDw+TO
六卿になったはずの鞏朔が上京したときもおすすめ。
左伝だとかなりひどい扱い。
188 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/06/18(月) 02:07:36 ID:ejtgAXGmO
それ、いつ頃だっけ?
190 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/06/18(月) 19:17:19 ID:LAPEetWo0
鞏朔=趙朔と思ってた。ぐぐってみたら士荘伯などと
書いてある所があった、士荘伯=士弱=鞏朔なわけは
ないだろうし。
191 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. 2007/06/18(月) 20:25:53 ID:lrRUWdOh0
魯成公二年・鞍の役後。>>188
192 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/06/18(月) 23:39:33 ID:ejtgAXGmO
>>191わざわざありがとう、んで左伝を見てきた
これはキョウ朔が王室から任命されてない卿だから周王が下に扱った部分もあるけど、それより晋が斉を攻めたことを責めてるんじゃないかな。
このアンの戦がゲキ克が侮辱を受けたことによる個人的な報復から始めた戦争であることを非難してるんだと思う。
193 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. 2007/06/19(火) 20:09:58 ID:xDxYjPdk0
左伝のこの段の「士荘伯不能対」ってのは、読み方によっては

 士荘伯≠鞏朔

にも見えるんだけどね。なぜかオレの持ってる本ではすべて同一人物になってる。

>>192
王様の言い分は尤もなんだけど、まるで姑の言い分のようで。
194 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/06/19(火) 21:57:29 ID:A+sdCHA70
これは晋が四つの非礼を犯していることが原因なのでは?

ひとつめは鞏朔が周王によって公式に任命された卿ではないこと。
ふたつめは異性の国を討伐した場合は捕虜は献ぜず報告のみにとどめる事。
みっつめは斉が王室と通婚関係にあったこと。
よっつめは晋があっさりと開戦に踏み切って戦争回避の努力を怠った事。

とまあ左伝から読み取れる部分を抜き出しただけだけど。

>>193さんが「士莊伯不能對」のくだりが士荘伯≠鞏朔と感じた原因は
俺にはわからないけど。
195 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/06/19(火) 21:59:31 ID:frYVXkt10
>>193
鞏朔は士弱ではないけど士氏という事ですか。
196 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. 2007/06/19(火) 22:10:26 ID:xDxYjPdk0 BE:68083182-2BP(4)
オレの漢文の読み取りが甘いと言われればそれまでなんだけど・・・

晉侯使鞏朔獻齊捷于周,王弗見,使單襄公辭焉,曰,蠻夷戎狄,不式王命,
淫湎毀常,王命伐之,則有獻捷,王親受而勞之,所以懲不敬,勸有功也,
兄弟甥舅,侵敗王略,王命伐之,告事而已,不獻其功,所以敬親暱,禁淫慝也,
今叔父克遂有功于齊,而不使命卿鎮撫王室,所使來撫余一人,而鞏伯實來,
未有職司於王室,又奸先王之禮,余雖欲於鞏伯,其敢廢舊典以忝叔父,夫齊,
甥舅之國也,而大師之後也,寧不亦淫從其欲,以怒叔父,抑豈不可諫誨,
士莊伯不能對,王使委於三吏,禮之如侯伯克敵,使大夫告慶之禮,
降於卿禮一等,王以鞏伯宴,而私賄之,使相告之曰,非禮也,勿籍。

鞏朔と士荘伯(士弱)が別人として、士弱が鞏朔の介添えをできなかった場合でも
この文で理屈が通ると思うんだよね。
鞏朔は王から「鞏伯」と呼ばれて「周の籍にない人」と言われているので
士氏の一族ではないだろうし。(士氏ならば周の籍にあるはずだから)
199 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/06/22(金) 18:30:31 ID:lRtg8ZalO
世界史板にもあるんだな

<<<春秋戦国検討委員会5>>>
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/whis/1160147912/


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この記事へのコメント

1. Posted by Replica Oakley Romeo   2013年08月24日 01:34
スーパー歴史!:】【春秋時代】晋の六卿について語ろう
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