2010年12月28日

【景勝】御館の乱を語る【景虎】

1 :人間七七四年2008/06/09(月) 06:20:19 ID:KYDeYbcR
後継者を決めないまま急死した謙信の跡目を養子だった景勝・景虎が争い、
越後国内のみならず周辺諸国も騒がせた乱について語りましょう。



■関連スレ
上杉景勝
http://hobby11.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1168972775/
【何故負けた?】上杉景虎【御館の乱】
http://hobby11.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1154969043/
越相同盟について
http://hobby11.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1192090470/
本庄繁長や越後揚北衆らを語る
http://hobby11.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1201348770/


5 :人間七七四年2008/06/09(月) 10:30:36 ID:fcv59pYj
謙信臨終直後そっこーでぬっころされた晴家(´;ω;`)かわいそうです
6 :人間七七四年2008/06/09(月) 21:29:16 ID:LIn9+FVY
>>5
その説、高橋の小説でしか見たことないから創作だと思ってたけど
ソースあるの?
7 :人間七七四年2008/06/09(月) 22:34:40 ID:bel50dFl
負け組の悲哀を語るみたいなことがNHKのHPにあったからメインは関ヶ原以降じゃね?
8 :人間七七四年2008/06/09(月) 22:36:09 ID:huREBxjo
ミラージュじゃね?

まぁ北条五代記とかもそうかもな。
あれは思いっきり景勝野望説でお話が展開してるらしいから。
9 :人間七七四年2008/06/10(火) 02:14:48 ID:CZxtOC6f
>>5-6
晴家と憲家が争った説とかもあるから、一概には言い切れない。
10 :人間七七四年2008/06/10(火) 22:21:06 ID:Jk9iIvuo
直江がいた時点で景勝確定w
キモミラオタ必死過ぎてワロタw

主君である上杉景勝を補佐し豊臣秀吉から山城守・山形30万石の贈与などの
引き抜き行為を幾度も断るなど忠義に厚い名将直江兼続。
『最上義光記』には「直江は近習ばかりにて少も崩れず、向の岸まで足早やに引きけるが取って返し。
追い乱れたる味方の勢を右往左往にまくり立て、数多討ち取り、この勢に辟易してそれらを追い引き返しければ
、直江も虎口を逃れ、敗軍集めて心静かに帰陣しけり」とある。この撤退戦は後世まで語り草になった。
最上義光は兼続を「上方にて敗軍の由告げ来りけれども直江少しも臆せず、心静かに陣払いの様子、
(中略)誠に景虎武勇の強き事にて残りたりと斜ならず感じ給う」と評し、
家康も兼続が駿府を訪れた時「あっぱれ汝は聞き及びしよりいや増しの武功の物」とおおいに賞賛したという。
家康は武家として正々堂々と戦い、西軍が負けたら清く敗北を認め主家を守る為に
すべて自分の責任なので煮るなり焼くなりすきにしてくれと言い放った兼続に惚れこんだ。
本能寺の時の毛利が秀吉を追撃しないのと同じように卑怯なマネをしなかった上杉家を評価し
逆に毛利の卑怯な真似を怒り、毛利本家改易にして吉川広家に1〜2ヶ国を与える予定だったので慌てた吉川が泣いて嘆願し許してもらった。
のちに輝元へ広家が超長文の言い訳弁解を書き連ねた吉川広家自筆覚書案を提出したのであった(岩国にこの見苦しい書が晒してある)
また家康が一番憎んだのが佐竹義宣であり武門に有るまじき振る舞いに家康は
「勢を見て兵をおこし敵となるは武の常なり。勝敗もまた命なるときは咎むべきにあらず。
しかれども義宣はその心両端を持して家を全うせんとす。われこれをにくむ事景勝に過たり」と断罪したと言う。
政宗はまったく評価されず100万石も反故にされ逆に厳しく和賀忠親を上洛させろと脅迫され
追い詰められた政宗は福島表での軍功に逸り失敗。
5月に入ってなんとか上杉領に火をかけてきましたと家康に報告するのが限界で家康の機嫌がまったく良くならず
ついに和賀を5/24に松山国分寺で自害させて証拠隠滅を図る見苦しさ。
勝手に自害しましたとの報告に家康は不快がったという。
兼続が亡くなった際には上杉景勝から銀50枚、徳川秀忠から銀70枚が送られ惜しまれた。


11 :人間七七四年2008/06/11(水) 08:21:15 ID:kDcKRPOU
そういやwikipediaの御館の乱読んで不思議に思ってたんだが、
謙信政権下で景勝は上田長尾家当主であったんだよな??
他の養子たちは分家をとっくに継いでるから
残った景勝が御中城様と呼ばれるのは別に特別なものじゃない、
みたいな論調なんだけど
上田長尾家当主の座にある景勝は一門分家当主扱いではないのか?

上田長尾家当主でありながら上杉家後継者候補になるなら
上条上杉家を継いだ政繁だって候補になりえそうな気がするし
政繁に分家を継がせて後継者候補から外されながら
景勝は一門分家当主扱いされていなかったなら
養子達の中でも景勝は特別な扱いを受けていた気がするんだが。
12 :人間七七四年2008/06/11(水) 11:20:29 ID:YZJC7mYy
一門の基準が永禄2年と天正3年で違うからなあ
前者で一門扱いで後者にいないのが桃井
後者は一門扱いだが前者では違うのが琵琶島上条山浦
両方いるのが古志十郎と山本寺

上条と山浦はそれぞれ謙信の養子が入ったからだろうけど
琵琶島も代替わりしてるかもしれない
桃井はどこいった?名字尽にもいない
御館の乱ではいるらしいんだが
13 :人間七七四年2008/06/11(水) 11:32:47 ID:YZJC7mYy
おっと長尾越前忘れてた

>後者は一門扱いだが前者では違うのが琵琶島上条山浦
それにプラス上田長尾(長尾越前→御中城)ね

上杉庶流だからといって一門とされないのは千坂みれば判るし
府内長尾庶流だからといって一門とされないのは小四郎景直みれば判る
14 :人間七七四年2008/06/15(日) 01:58:34 ID:lfWvJZbY
仮に上杉が滅んでたら、最大の要因になったのは間違いない。
15 :人間七七四年2008/06/23(月) 18:09:50 ID:e5P0WgCN
本気で小田原北条が援軍を越後に援軍を出すとは思えないな。
16 :人間七七四年2008/06/23(月) 23:21:29 ID:8WfwbzJU
景虎ってどのくらいの戦力を持ってたんだ?
17 :人間七七四年2008/06/24(火) 00:23:38 ID:jAmgpSyL
>>16
軍役が無かったらしいから、実質の直轄軍は皆無では?
18 :人間七七四年2008/06/24(火) 01:05:47 ID:1Ua5fVzn
景勝が当主になると都合が悪いという古志衆とかの旗頭として丁度よかったので、
担ぎ上げられたというだけかもね、景虎は。
19 :人間七七四年2008/06/24(火) 10:59:42 ID:kByJjZKf
>>17
なるほど
いたとしても、側近の旗本のみと考えておkですかね?
20 :人間七七四年2008/06/24(火) 22:00:30 ID:jQ5KISYd
旗本といえる組織もないと思われ。
遠山ら補佐役がいる程度じゃないかな。領地もないでしょう。
21 :人間七七四年2008/06/24(火) 22:24:53 ID:jAmgpSyL
>>18が正鵠ではないかな?

>>20
遠山は北条家から移籍して来た守り役だっけ?
22 :人間七七四年2008/07/01(火) 23:20:51 ID:K+63uZYZ

>>18
>>19
側近のみでここまで上杉家は内乱状態続かんよ
景虎支持勢力の過少評価しすぎ
23 :人間七七四年2008/07/01(火) 23:53:55 ID:RUZINC6E
>>22
私が聞いてたのは、戦場で彼が「直接命令して」動かせた旗本戦力の事です
景虎を取り巻く「支持勢力」の事ではないです.
北条景広や上杉景信がついてたけれど、彼らの配下に旗頭である景広・景信を飛び越して
景虎が命令を出せた訳ではないでしょ?
24 :人間七七四年2008/07/02(水) 05:58:59 ID:vAHA7TyN
結局景虎が直接命令できたのは北条から付いてきた遠山くらいなもんでFA。
26 :人間七七四年2008/07/02(水) 23:35:17 ID:ygmbrgoC
>>24
それはさすがにない
27 :人間七七四年2008/07/02(水) 23:45:15 ID:aQReYhmH
>>26
誰が指揮下にいたか、詳しく。
28 :人間七七四年2008/07/03(木) 00:23:40 ID:bARGxiXA
>>27
俺は26ではないが答えよう
本庄秀綱
山本寺定長
河田重親など  おれも詳しくは知らないが他にもいるだろうな

>>24みたいなアンチ景虎は適当な事言って回るから困る
29 :人間七七四年2008/07/03(木) 00:31:58 ID:hf5iPxSJ
適当なのはあんただw

そいつらがサブから直接命令を受けて動くかよ。
為景が形式としては守護の命令を奉じていたのと同様、
サブにそんな権力はない。
彼らは景虎の意思じゃなくてそれを支配する機関の意思で動いている。
31 :人間七七四年2008/07/03(木) 01:20:03 ID:bARGxiXA
>>29
おまえが景勝擁護にあきたらず、景虎を貶すのに必死なのはわかった
思い込みで反論するんじゃねーよ


32 :人間七七四年2008/07/03(木) 01:29:07 ID:QUnsPrBe
>>28
これらは支持勢力ってことだろ
景虎の直接の部下である旗本はどんだけ居たかという話だろ
33 :人間七七四年2008/07/03(木) 01:32:56 ID:xS8laEJs
山本寺定長なんかは景虎の警護なんだがそれでも「支持勢力」?
だとしたら景勝だってなんの命令権も無いことになるね
35 :人間七七四年2008/07/03(木) 01:44:19 ID:/nhZEa4T
長尾上杉では旗本は「直接の部下」とかいうのではないと思う
36 :人間七七四年2008/07/03(木) 02:29:03 ID:/nhZEa4T
たとえば、
『諸国衆御太刀之次第写』でいうところの「直接の部下」というのは「御馬廻年寄分之衆」と見ることができるが
『上杉家軍役帳』における「旗本」序列の諸将は必ずしも「直接の部下」というのでは無いでしょう
37 :人間七七四年2008/07/03(木) 03:45:58 ID:hf5iPxSJ
>>31
全くおとしめていない。
景虎に直属の配下が乏しくて何が悪い?
権力のないことが何か悪なのかね。ふざけますな。
つか景虎ファンてなんで皆こんなに攻撃的な人が多いの?

>>33
警護役の生殺与奪権は春日山にあるだろう。
上杉定実も為景の配した警護が威張って我慢ならないとこぼしていた。
つまり景虎に配下が与えられたとは言えない。

結局はお飾りなんだよ。
謙信がそうして彼の権力を補強しなかったのは、
彼のためを思ってでもあったんだろう。
まさか景勝が憲政と一緒に殺すとは思わなかった。
38 :人間七七四年2008/07/03(木) 03:51:22 ID:/nhZEa4T
例えばさ、本庄顕長って10年程ずっと府内で居候状態だったと思ってる?
40 :人間七七四年2008/07/03(木) 06:07:20 ID:bNt6yqcQ
景勝には警護役以外にも父親から受け継いだ上田衆がいるじゃん?
謙信は上田長尾の上司であるから直接上田衆に命令することもあったけど
基本上田衆は上田長尾家の家臣で景勝の命令で動くわけだ。
景虎の直接の家臣というならやっぱ
景虎から禄を貰って景虎の命で働く人間達ってことだろ?
いっとくが直接の家臣が多いかは後継問題には直接の問題じゃないぞ。
間接的には対抗勢力に直臣が多いのは問題になるけど。
41 :人間七七四年2008/07/03(木) 10:04:27 ID:wYO0yP9Y
北条家みたいな先進の戦国大名家から来た影虎から見れば、旧態依然とした体制で
謙信のカリスマだけで固まってるような上杉家を、「なんじゃこりゃあ」と思っただろうな。

もし景虎が政権を取れば間違い無く北条流の改革が行われたはずで、御館の乱は
それを察した旧守派による自己防衛、だったのかもしれぬ。
42 :人間七七四年2008/07/03(木) 16:07:12 ID:NtW5YUs4
>>37
そういうふうに、あたかも景虎がお飾りだったかのように
強引な誘導をするから攻撃されるんだよ

本当にお飾りだったら、柴田軍が迫っている状況で
ここまで戦禍は拡大しないよ
景勝のほうから先制攻撃しなければならなかった理由を
少しは考えたらどうなん?
43 :人間七七四年2008/07/03(木) 16:26:28 ID:sXyN6VnQ
景虎方は先制攻撃だのクーデターだの必死だが
まず先制攻撃をしたというところから証明しようか。
景勝は「家臣達が春日山城に入ってくれと言ったから入った」と言ってるぞ。
そして春日山城内で戦いが起きた事も証明しなきゃな。
戦死者はどれくらい出たんだ?
とりあえずまずは春日山城の金蔵と弾薬庫を
制圧できるだけの兵を景勝がどっから掻き集めて来たのか
そして何故景虎方は取り返せなかったのかから証明しようか。
そしたら次は制圧されるような状況から敵大将であるはずの景虎が
幼い子供と妻を連れて脱出できたのは何故かも考えてみようか。
44 :人間七七四年2008/07/03(木) 16:29:13 ID:wYO0yP9Y
>>43
> 景勝は「家臣達が春日山城に入ってくれと言ったから入った」と言ってるぞ。
そんなこと信じるんだ
45 :人間七七四年2008/07/03(木) 16:43:25 ID:QUnsPrBe
>>42
景虎って何らかの実権あったの?
46 :人間七七四年2008/07/03(木) 16:47:24 ID:sXyN6VnQ
>>44
信じるも何も本人の言ってることなんだから
史料のひとつだろ。
47 :人間七七四年2008/07/03(木) 16:56:16 ID:NtW5YUs4
>>45
そんなに無いと信じたいの?
48 :人間七七四年2008/07/03(木) 17:02:32 ID:wYO0yP9Y
>>46
では君の論法に習って

「家臣団が景勝に入城してくれと懇願した」事を証明しなされ。
49 :人間七七四年2008/07/03(木) 17:11:02 ID:DjYpMS2O
>>37
定実と為景は、房能・顕定掃討のための傀儡主従関係。
謙信と景虎との養父子関係とは全く違う。その例えを持ち出しても意味は無い。

>>45
謙信の養子である三郎景虎が傀儡であったというのは不自然。
ならば「傀儡であった」という論拠が無くてはならないと思う。
君にとって、「国主の養嗣子にある程度の実権がある」ということが
不自然な事に見えるなら、証拠は要らないんだろうけどね・・・・
50 :人間七七四年2008/07/03(木) 17:17:27 ID:sXyN6VnQ
>>48
先制攻撃・クーデターの一次史料示せよw
51 :人間七七四年2008/07/03(木) 17:19:52 ID:wYO0yP9Y
>>50
そう言うまぜっかえしは要らないから。

君の論法に従っているのだから、その論法を始めた人間の責任として、答えなさいよ。
52 :人間七七四年2008/07/03(木) 17:33:21 ID:sXyN6VnQ
>>51
当事者景勝自身がいってるんだから
「他の一次史料から見てこれは嘘である」という
証明の方が必要だろ。

他に春日山城の金蔵・弾薬庫を一方的に武力で占拠するという
大事態のはずなのに春日山城内で争って死んだと名言できる人物がいない。
敵大将である景虎が妻や幼児まで連れて春日山城を無事脱出。
俺はクーデターどころか春日山城内にいた謙信側近は
景勝方の方が多数を占めていて、景勝方の言い分に
景虎方が不服に思って自分達で出て行ったと思う訳だが。
53 :人間七七四年2008/07/03(木) 17:35:03 ID:wYO0yP9Y
>>52
景勝は言ってみれば「主犯」だよ?主犯の言葉が証拠になるかよ。
君はその景勝の主張を補完する証拠を提示しなければならない。
54 :人間七七四年2008/07/03(木) 17:43:36 ID:rv0B67tM
二人の熱い論争に茶々を入れるようで悪いが…

上田長尾と古志長尾の対立が連綿と続いている以上、
謙信の死後、家が二分して争う事になるのは明か。
クーデターとするのは、自分は納得しないが、
景勝が先制攻撃を仕掛けたとするなら、それは至極まっとうなことだと思う。

謙信はどっちが生き残っても良かったんじゃないかな。
長尾上杉として血縁の景勝が上杉を継ぐのでも、
山内上杉として、自身が山内に入ったように養子の景虎が上杉の名を継ぐのでも。
景勝の姉が長尾の血を残しているから、いずれにせよ自身の長尾の血は残るし。

どちらともにお膳立てをしてやり、敢えてどちらの上杉として残るのか、
神目線で争わせたとしたら、非常に怖い。
55 :人間七七四年2008/07/03(木) 17:46:50 ID:sXyN6VnQ
武力で争っている真っ最中に遺品の目録のんびり作ってたり
争ってる城内に景虎は1ヶ月ほども春日山城内にいた訳だ?
そして占拠されてる春日山の山道を妻子を連れて逃げられた訳だ。
で、武力で攻撃して占拠して景虎を追い出した史料は出てこないのか?

後年の上杉家も北条家も芦名も武田も争った人間の身内だろ。
景虎方が城内の景勝方の人数の方が多くて不利に思って出て行って
景勝方の方が城内では多くて自分達の言い分が通りそうに無いと言わずに
「俺たちを無理やり追い出した!」って言った可能性だって十分にあるだろ。
景勝方が後年むざむざ景虎を外に出して乱になった事を不名誉に思って
城内での戦いで景虎が逃げていったという可能性もあるわけだ。
56 :人間七七四年2008/07/03(木) 17:51:45 ID:wYO0yP9Y
>>55
いいから早く証拠を提示しなさいよ。
57 :人間七七四年2008/07/03(木) 18:03:50 ID:/nhZEa4T
>>52は一次資料の意味を誤解してる
後から書かれたものは誰が書こうと二次資料

「家臣団が景勝に入城してくれと懇願した」書状が出てくれば
「家臣団が景勝に入城してくれと懇願した」ことに対する一次資料となる
58 :人間七七四年2008/07/03(木) 18:05:42 ID:bNt6yqcQ
景勝は謙信の死の一週間後に
「家臣が謙信の遺言だからと頼んできた」と手紙出してるんだっけ?
まあどっちも嘘付いてなくて景勝支持派の家臣が景虎派を追い出して
「景勝様が後継者!」と景勝を頼んで迎え入れたって可能性も普通にあるよなー。

講談だと直江景綱夫人が謙信の遺言だと言って景勝を入れたんだよな。
景勝書状から出来た話かもしれないけど。
景虎を景勝が銃で撃って追い出した話は北条記だっけ?
59 :人間七七四年2008/07/03(木) 18:06:21 ID:DjYpMS2O
>>55
可能性だらけだな。細かいことを考慮しまくると、結局曖昧になってしまう。
苦しいのはわかるがね・・・・
60 :人間七七四年2008/07/03(木) 18:07:21 ID:/nhZEa4T
>>54
昔のヤンキー漫画みたいだなそれ
原哲夫か宮下あきらあたりが描きそう(笑
61 :人間七七四年2008/07/03(木) 18:13:24 ID:rv0B67tM
sXyN6VnQ もちつけw
君の論拠は面白いし十分納得できるので、もうちょっと推敲してくれ。

>他に春日山城の金蔵・弾薬庫を一方的に武力で占拠するという
> 大事態のはずなのに春日山城内で争って死んだと名言できる人物がいない。

それはそう思う。
うまくいったら無血だったかもなあ。

>>60
言われてみれば、ありがちな設定か。原哲夫でたのむ。
62 :人間七七四年2008/07/03(木) 18:17:38 ID:YxYDe5BX
個人的には、
越相同盟締結時…景虎
同盟崩壊後…景勝
って感じがする。
同盟崩壊後は景虎の優遇が抑えられて、逆に景勝への優遇が顕著になってる気がする。
まあイメージだから深く突っ込まんでくれ。
63 :人間七七四年2008/07/03(木) 18:18:58 ID:sXyN6VnQ
だからさ、混ぜっ返してるのはそっちだろ。
クーデター起こしたって話をしだしたから
俺はクーデター起こしたって証明はって聞いてんだろ。
クーデター起こした事が一次史料他から確定してるんならそれ前提で
俺だって話すけどはっきりしてないことを「クーデター起こした」って
断定して話してんだからクーデター起こした派は証明しろって言ってんだろ。
64 :人間七七四年2008/07/03(木) 18:23:40 ID:lrEfjBi/
>>63
頭冷やして出直せ、基地外
65 :人間七七四年2008/07/03(木) 18:28:06 ID:sXyN6VnQ
おk、わかった。
クーデター説の証明しないくせに
何か言う奴はただの煽りと思って無視しとく。
66 :人間七七四年2008/07/03(木) 18:39:25 ID:QUnsPrBe
>>47
単純に知りたいだけなんだが
67 :人間七七四年2008/07/03(木) 18:53:10 ID:bNt6yqcQ
>>62
俺もそんなイメージだな。
越相同盟が破れたあとから景勝は謙信と同陣での出陣しかなくなったんだよな?
所詮印象だけの話だけどなー。
68 :人間七七四年2008/07/03(木) 18:53:52 ID:DjYpMS2O
国主の養嗣子にある程度の実権がある」ということが信じられないということね

それじゃ景勝だってほとんど権力持ってなかったことになるわさ
69 :人間七七四年2008/07/03(木) 19:38:02 ID:QUnsPrBe
>>68
何だ知らないのか、そうと言ってくれればいいのに

誰か雲門寺の礼状以外で、謙信存命時の景虎の動きわかる人居たら教えてください
70 :人間七七四年2008/07/03(木) 20:02:18 ID:4ag/fcXO
>>69

>>28を読んで
71 :人間七七四年2008/07/03(木) 21:48:59 ID:hf5iPxSJ
>>28
山本寺は景虎の直属でないことは天正三年軍役帳を見れば明らか。
ここで彼は景虎とは無関係に軍役を任されている。

>>41
天正末期に上洛して京都にびっくりした田舎大名がどうかしたか?
春日山より四十年遅れてやっと城下町に板葺きの建築を導入した
小田原村を首府としてきた景虎は越後に来てたまげただろうな。
しかも北条は彼に何かしてやったか?
外交のため離婚させられて敵地に送られて、
最後は見殺しだろ。
越後じゃ同盟決裂しても妻子と別れさせず、
地位も解体せず優遇。
今更北条が景虎様のことで威張るなよw
72 :人間七七四年2008/07/03(木) 21:54:17 ID:hf5iPxSJ
結局は>>62が正解だと思うよ。
でも謙信は政治より別のことを優先して、
景虎の家庭や地位に手をつけなかった。
願わくば関東執事に景虎を、越後国主に景勝をと考えたんだろう。
しかし謙信死語に仙桃院が両者の対立を防げなかった。
73 :人間七七四年2008/07/03(木) 22:35:29 ID:wYO0yP9Y
つーか、行政機構や命令系統、領域支配の組織化、一元化で上杉は北条に
どれだけ遅れてると思ってるんだ?
ほとんど近世大名の一歩手前まで行っていた後北条氏と、室町期守護大名的支配体制から未だ脱せずにいた
上杉とでは比べ物にならん。
74 :人間七七四年2008/07/03(木) 22:51:02 ID:hf5iPxSJ
>>73
それは認めるよ。
ただ国によって体制の長所短所はあるし、そうなるに至る理由もちゃんとある。
それを無視して>>41みたいに一片の優位だけを以って相手を一方的に見下すから皮肉っただけ。
そして北条のシステム、上杉のカリスマと言うから、
前者による景虎の悲運と、後者による救済を紹介したのよ。

使い捨てにした景虎をダシにするなってこと。
75 :人間七七四年2008/07/03(木) 22:55:30 ID:QUnsPrBe
>>70
>>28を読んで何ですか?意味がわかりません
76 :人間七七四年2008/07/03(木) 22:55:43 ID:wYO0yP9Y
>>74
君の言いたい事もわかるが、>>41は景虎の立場から見た「想定」を語っているに過ぎない。
その上でどこの社会にもある、改革派と守旧派の抗争が御館の乱にも、その底流にあったのではないか?
って仮定を提示してみたまでだよ。見下すとかそう言う物ではない。
77 :人間七七四年2008/07/03(木) 23:04:11 ID:QUnsPrBe
上杉景信辺りが改革派とかイメージ湧かないな、あくまでもイメージだけど
どちらかと言うと謙信晩年の政策維持派と反対派の戦いのように思える
78 :人間七七四年2008/07/03(木) 23:06:39 ID:hf5iPxSJ
>>76
見下していないというなら、挑発的で攻撃的ですね。
仮定を題材にああいうものいいが出来る無神経さがわからない。
死神発言が侮辱じゃないと主張するようなものだよ。
春日山城下と比べたら小田原城下は村と言われて失礼な事だと思うなら、
こういうくだらい言葉のやり取りになるような発言は控えなさいな。
79 :人間七七四年2008/07/03(木) 23:08:56 ID:wYO0yP9Y
>>78
> 見下していないというなら、挑発的で攻撃的ですね。

北条をほとんど罵倒と言っていい言葉で貶めている
君のような人間に言われたくないなw
81 :人間七七四年2008/07/03(木) 23:13:24 ID:/nhZEa4T
謙信は三郎をお飾りにするために
後花園天皇綸旨以来の「天子之旗」本たる次期関東管領に任じようとした
あくまでもイメージ(笑)で
82 :人間七七四年2008/07/03(木) 23:16:02 ID:hf5iPxSJ
>>79
一行目だけじゃなく最後まで読んでレスしなさいw
でももう、喧嘩はやめよう。

景勝派と景虎派も仲良くしてけろ。
84 :人間七七四年2008/07/03(木) 23:24:46 ID:hf5iPxSJ
改革派なんてイメージでしかないってことでおしまい。
双方引き分けでしょ。
86 :人間七七四年2008/07/03(木) 23:43:54 ID:/nhZEa4T
その過程は面白くはあるが
残念ながら両陣がそこまできれいに割れていたわけではないなあ
むしろ古志上田、安田柿崎、本庄鮎川などのように長年の怨讐対立のほうがきれいに分かれてる
87 :人間七七四年2008/07/03(木) 23:49:43 ID:E3mU0ZFD
上田長尾と古志長尾の「元来幾つかの小競り合いを演じた対立関係」って
当たり前のように語られてるけど何の史料で確認できるのかね?
88 :人間七七四年2008/07/03(木) 23:52:53 ID:wYO0yP9Y
>>87
新潟県史でも読めば解るだろ。
89 :人間七七四年2008/07/03(木) 23:57:06 ID:bNt6yqcQ
一つの家でも父は景勝子は景虎兄は景虎弟は景勝とか別れてるしな。
まあ一族で陣営別れて家の全滅を防ぐのは良く見る手だが。
どっちでも良かった派が一番多そうだw
90 :人間七七四年2008/07/04(金) 00:03:33 ID:KjKgiGMx
乱の際の景虎側の武将として、元々謙信配下にいた人物しか出て来ない時点で、
やはり景虎の旗本には有力な戦力はなかったってことかな

相応の戦力があれば、それを束ねるべき実戦部隊長の名が挙がってもいいと思うんだが

91 :人間七七四年2008/07/04(金) 00:08:09 ID:QB0g8cpc
それから謙信が中央集権化を目指していたと言うのなら
景虎景勝による管領当主2分制は有り得ない

それこそID:xS8laEJsの言うところの「命令権」を持つ地位を
当主の上に屋上屋を重ねるかのように作ってしまうことになる

前例で見ても越後上杉家は嫡子を山内管領家の名跡を継がせて
次子を越後国主という例を重ねているので
92 :人間七七四年2008/07/04(金) 00:18:49 ID:+m34Pk1W
そんな前例あったか?
93 :人間七七四年2008/07/04(金) 00:39:47 ID:Vy6RrRi8
>「命令権」を持つ地位を
>当主の上に屋上屋を重ねるかのように作ってしまうことになる

実際、関東管領だから国衆が従属したわけではなくて、
そこに軍事的優位性があったから、従属していたわけだよね。
(もちろん身分的優位はあったにせよ)
管領様が命令なされたからお味方せねば、的な国衆なんて居なかったからこそ、
謙信の関東計略が頓挫し、撤退を余儀なくされた。

国主権力の上に管領を置いたところで、そこに軍事力が伴わなければ、
絵に描いた餅に過ぎないことは謙信こそ誰よりわかっていただろうし。
二者分権説が今いちよくわからんのはそこのとこだな。

謙信が管領職の将来をどう考えていたか、論文とかないんかな。

94 :人間七七四年2008/07/04(金) 01:04:30 ID:VNaN+J0q
謙信は為景が越後守護上杉房能倒して
そしたら兄ちゃんで山内上杉に養子に入ってた関東管領顕定が
報復に出てきて為景逃げる→再度挑んでようやっと顕定敗死させ越後に復帰
とかやってるから兄弟二人で分権させれば安全かも、と思ってたかも。
この場合景勝は越後上杉として越後国主になり越後統治、
景虎には管領職を継いで憲政と山内上杉家臣を連れて上野に入ってもらう…。
そしたら北条との緩衝剤にもなりそうだ。
95 :人間七七四年2008/07/04(金) 01:14:12 ID:TfurvCsR
.>>93
そこはむしろ逆で関東諸将を動員する権威はあったけど統治する権力が無かったから頓挫したんじゃないかな。
喩えて言うならば十字軍みたいなもんで。
96 :人間七七四年2008/07/04(金) 01:23:29 ID:RcwnUDPy
越後に景勝、能登に政繁、上野に景虎か…。
構想遠大過ぎだろw
98 :人間七七四年2008/07/04(金) 02:42:47 ID:96fBqir1
養子達を各領国に配するということか
実子が居ないから養子取りまくったけど
収める場所に困ったっていう感じになるな
99 :人間七七四年2008/07/04(金) 02:53:32 ID:96fBqir1
>>71
軍役帳で実質的な命令権わかるの?
そんなに単純か?という疑問が大
100 :人間七七四年2008/07/04(金) 05:13:47 ID:Jio36clJ
>>99
単純というか、景虎の指揮にあればちゃんと「三郎様同心 山本寺殿」と記す。
しかもあれは景勝が上杉改姓した直後に作られた。
見ようによってはトップを景勝と解釈することも出来るわけ。
俺はそうは思わないがね。
101 :人間七七四年2008/07/04(金) 09:08:48 ID:4MKgWcou
>>92
長曾我部元親。

この人正式には、一条氏の被官筆頭とか家宰という地位。
だから一条氏の被官と自分の家臣に対する書状の形式が違ったりする。
もっとも自分の外孫を一条氏の当主にして、後に追い出しているんだけどね。
102 :人間七七四年2008/07/04(金) 10:29:17 ID:6kTIROMU
>>101
世間的には土佐は一条家の国で、「家臣に長い姓の奴がいる」って感じだったらしいねw
103 :人間七七四年2008/07/05(土) 00:08:58 ID:u473fWXx
>>75
異議が有ると言うならわかるが、意味がわからないっていうのは
アホなのか或いは相手をバカにしてるのか・・・・
104 :人間七七四年2008/07/05(土) 00:53:38 ID:lFpDSelz
どちらでもなく、説明不足と言うことかと。
独りよがりな解答では理解など得られませんよ。
105 :人間七七四年2008/07/05(土) 00:56:01 ID:lFpDSelz
まず28に景虎の動きなど記されていない。
あるのは景虎の配下と28が勝手に主張する人名だけ。
的外れな解答で意味不明なんですよ。
106 :人間七七四年2008/07/05(土) 02:23:26 ID:d94gH1s5
>>105
配下の問題と、景虎の権利行使の問題をごっちゃにしてしまった。すまん。

でも、勝手に主張するというが、守役から御館まで一貫して景虎に使えていたものに
対して、景虎が全く命令権を持っていないというのは徹りません。
>>37みたいに、山本寺らが守役ではなく実質監視役だった言う可能性も無くはないが
それこそ論拠は無いわけで
107 :人間七七四年2008/07/05(土) 03:43:10 ID:lFpDSelz
山本寺は>>100で明らかなように、景虎を介さず軍役を命じられる立場であり、
与力ですらないわけです。

そして景虎に何がしかの命令権が与えられていたとしたら、
軍事統率者として経験を積ませるため謙信の遠征に随行させるはずだが、
景勝と比べてどれほどもないのでは?

越相同盟決裂後に景虎がその権力を行使した形跡(軍事活動や国政参与)があれば、
それを教えて欲しい。

権力が認められていたら、謙信はその使用方法を学ばせたはずなんですよ。
108 :人間七七四年2008/07/05(土) 04:33:21 ID:0lCqdoUA
守役って普通に家臣じゃなくね?
普通に実の嫡子だったとしても守役って
現当主の命令に従って子に付くお目付け役じゃ。
109 :人間七七四年2008/07/05(土) 04:43:40 ID:vJZIGyTu
北条を心から信用できないから、景虎に
与力をつけなかったということか
軍事力もなければ直臣もいないのであれば
なぜ御館の乱であそこまで景勝と争い得たのか
上条や山浦たちでさえ景虎より実質的な優遇は
受けていることになる
110 :人間七七四年2008/07/05(土) 05:01:51 ID:lFpDSelz
>>108
だよね。守役がそのまま直属の部下にはなりえない。
基本的に軍隊を使えるよう育ったら家督を譲るわけで、
それまでは大名の部下。

>>109
北条云々より景虎の存在に求心力がないんだよね。
御館の乱はやはり傀儡とまで行かずともお飾りでしょう。
景虎と豪族が利害一致して結託、皮肉にもこの時初めて武将たちが景虎を主君として推戴した。
111 :人間七七四年2008/07/05(土) 05:18:44 ID:0lCqdoUA
実際分かるのは政繁や国清は景勝より下だったってだけで
景虎は軍役帳にいないから席次が誰より上か下かも分からん。
もしかしたら兄弟で一番上だったかもしれんし一番下だったかもしれん。
でも例え謙信政権下で景虎より政繁や国清の方が権力持ってたとしても
政繁も国清も景勝支持してるから
どっちにしろ対抗馬は景虎しかいないし。
景虎支持してたら景虎のほうが上だったと分かるだろうけどなあ。
112 :人間七七四年2008/07/05(土) 09:59:18 ID:vJZIGyTu
>>110
軍役が無いのは、後継者だからというふうにも
とれる(もちろん異論はある)わけで、軍役がないから
即お飾りというのは推測の域を出ないでしょう
113 :人間七七四年2008/07/05(土) 11:30:23 ID:P9D7HcJI
>>109
景虎が景勝と戦い得たのは、
親北条派、反上田派、形勢を見てどっちにも保険をかけて家名存続派、
結果としてこの3種の人々が集まって景勝に対抗したからであって、
乱を戦えたことが、謙信生前に景虎に軍事力と権力が与えられていたことの
証左にはならんでしょう。

ただし、直臣というか馬廻り?がいなかったとは思わない。
5月5日に大場で初めて両派の衝突があったが、
(その後の書状を見ると不慮の偶発的な争い、喧嘩の延長だったようにも見えるが)
その時の家臣がいわば景虎が強権を行使できた直臣じゃないかと思っている。
もちろん、上田衆のように一軍を形勢できる勢力であったかは不明。

支持勢力については、直江や吉江といった重臣が、即景勝支持になったのに対し、
(これは、以前景勝スレに出ていたように、支持というよりも、擁立の主導権を握っていたという見方もある)
景虎派の主立った重臣である北条(きたじょう)や神余は、
3〜4月にはむしろ景勝陣営に対して国元の状況報告をしていた書状が残ってる訳で、
彼等のなかに、景虎こそ我らが主君、という意識を窺うのは難しい(あくまで乱の当初ね)

>>110
お飾りという言葉を使うと語弊がある気がする。
少なくとも景虎自身の意思という側面から見れば、
芦名盛氏に出した手紙なんかでは、戦を迎えるために自派を形成すべく、
北条・武田・芦名、と連合して対抗する手段を積極的に模索していたと思う。
114 :人間七七四年2008/07/05(土) 11:35:06 ID:P9D7HcJI
御館が落城して景虎が退去する際、
本庄清七郎その他、乱の最中、側近として活躍した人々がほとんど同行せず、
本拠地に戻ってしまったことに景虎の悲哀を感じる。
景虎とともに戦った人々には、景虎よりも大切な依って立つ土地があり、
そうした堅固な地盤は景虎本人には与えられていなかった。
存在そのものが家中最大の陣営の象徴、運命共同体だった景勝とそこが違う。

もちろん、そんな地盤は与えずとも、皆がバランスをとりながら一致協力し、
景虎を支えれば大丈夫、と謙信が思っていたと仮定することもできる。
115 :人間七七四年2008/07/05(土) 15:36:42 ID:9JJHDc9/
北条家の視点で言うと、たとえ血縁であろうとも
景虎は謙信を崇拝していて関東管領になろうとしているのは見逃せない問題。
それに比べて景勝は関東に執着してる話はほとんどなく、
あくまで越後の国主の権力を狙いとして謙信の後継者になろうとしている。

いずれ関東の真の支配者は自分だと言い出しかねない存在と、
越後の国主として以上の脅威は無い存在だとすると、
氏政からすれば必ずしも景虎を支持しなければいけない理由は無い。
116 :人間七七四年2008/07/05(土) 16:35:52 ID:0lCqdoUA
御館の乱での北条当主が氏康だったら、
もしくは上杉の養子になったのが氏政の嫡男だったら
北条はもっと積極的に御館の乱に介入したかもな。
氏政は弟が関東管領になって弟に頭を下げる事になるのは
内心面白いもんじゃなかっただろう。
景虎が自身で使える手札は
血脈による北条武田葦名への求合力だったにも関わらず。
117 :人間七七四年2008/07/05(土) 19:49:59 ID:O1N47tZw
嫡男養子に出すなよw
関東管領なんてとっくに権威残ってない、
よって身内にいて不都合な事は無い、得にもならないけどな
118 :人間七七四年2008/07/05(土) 19:51:32 ID:w2rnmWbz
>>117
関東管領の権威も、謙信が継いで意向はやや回復したと思う
実際小田原包囲まではこぎつけたわけだし
119 :人間七七四年2008/07/05(土) 20:10:00 ID:O1N47tZw
古河公方を擁してる北条が、なぜ関東管領ごときに頭下げなければいけぬか?
というか越相同盟で公方と関東管領の権威なんてものは消えちまっただろ
越相同盟以降の佐竹を中心とした関東諸侯は、それらを旗頭とせず独自に対北条戦を継続したしね
120 :人間七七四年2008/07/05(土) 20:43:32 ID:zr7TpSUr
古川公方を擁していようと北条自身が古川公方ではない以上
同じ席に並べば関東管領の方が上ってことにはなる。
上杉が関東にちょっかい出してきたのも
関東管領を口実にしてのことだから旨みが無い話ではない。
古川公方と関東管領を両方擁することになれば
より北条の関東支配は硬くなるしな。

あとその家を確実に継げるという状況なら
嫡男をより上の家に養子に出して継がせ
本家は次男が継ぐというのも無いことは無いぞ。
121 :人間七七四年2008/07/05(土) 20:56:26 ID:O1N47tZw
いやだから御館の乱の時には権威なんてもんはもう無いって
越相同盟以降の北条の古河公方の扱い見てみ、名前すら出てこなくなる
公方の権威が失墜し関東管領の権威だけ健在と言うのもありえない話だろ
上杉北条によって義氏が正統と認められても佐竹らはまったく関係無く北条戦を継続

>あとその家を確実に継げるという状況なら
それが景虎に当て嵌まるならね
122 :人間七七四年2008/07/05(土) 21:32:54 ID:Bi7IKZVn
御館の乱のときには足利義昭が京を追放されて、幕府の役職自体意味がほとんど失せているからなぁ。
官位はどうなんだろう?
123 :人間七七四年2008/07/05(土) 22:17:59 ID:0lCqdoUA
俺は景虎が上杉に行くときに謙信と氏康の間で
景虎に関東管領くれて関東に返す密約でもしてたんじゃねーかと思ってる。
関東を治める権威とか関係なしに上杉と北条との間で
上杉は北条の勢力を気にせず関東に関わらないで北陸に専念したい、
北条も今後関東管領を口実に上杉がまた出てきてどつきあいになる可能性を
排除したい、ってあたりでね。
権威は無くても首突っ込む(関東勢に呼び出される)口実にはなるだろうからな。
そして氏康と違って上杉との不戦条約なんか必要ねーと
思ってたのが氏政なんじゃないのか…まあ妄想だ。
124 :人間七七四年2008/07/05(土) 22:23:09 ID:2oIztn+T
それにしても何で、「おたての乱」なんて呼び方なんだろ?
「おやかたの乱」か、「みやかたの乱」ではいけなかったのだろうか。
125 :人間七七四年2008/07/05(土) 22:38:43 ID:zr7TpSUr
関東管領が全く意味無くなってたって事はないだろ。
謙信最晩年でさえ関東勢が謙信に助けを求めてるんだし。
そして謙信が最後に準備していた遠征も
関東勢の声に答えて関東に向くつもりだったと言われている。
謙信が関東管領でさえなければ関東に介入する理由は無いだろ。
権威の言うことを聞くかどうかはともかく名は付いて回っていた訳だ。
126 :人間七七四年2008/07/05(土) 22:57:26 ID:GJfc+2kO
>>121
>上杉北条によって義氏が正統と認められても
そりゃ北條の外孫だからな。佐竹からすれば正統と認めるわけにはいかない。

上杉家の武力に裏打ちされた権威と、失墜した公方家の影響力を
一緒にするのは無理があるぞ
127 :人間七七四年2008/07/05(土) 23:14:39 ID:0lCqdoUA
当時御館がおたてと呼ばれていたからとしか言いようが無いんでは?w
よく分からないが館(たて)と言うのは麓の城を呼ぶ名らしい。
むしろ御館に上杉の人達は固有名を付けなかったのかが気になる。
御館って春日山城を「御城」って呼ぶようなもんだろ?
固有名を付けず御館と呼ぶのが憲政への敬意だったんだろうか。
128 :人間七七四年2008/07/05(土) 23:20:17 ID:2oIztn+T
>>127
「おやかた」だと、「お館様」である謙信と紛らわしい、ってのもあったのかね?
129 :人間七七四年2008/07/06(日) 13:42:45 ID:4wvlDsnT
関東衆も謙信に依存しない体制を最後まで築けなかったのは情けない。
もしよく言われるように乱がなく景虎が関東管領となったら、どうしたのやら。
謙信以外に北条の歯止めは無理だろ、常考。
132 :人間七七四年2008/07/07(月) 07:33:58 ID:rEerFxSR
そういや城は戦時、館は平時に使うのが一般的で
謙信達も雪深くなる冬は春日山から降りて御館で暮らしてたんだよな。
雪が解けると謙信達は山に帰っていって
隠居済みの憲政らだけが御館に残ってのんびり、か?
憲政は景虎と景勝のどっちが山を降りてきても断る権限なさそうだ。
御館と周辺の屋敷跡が残ってたら良かったのになあ。
133 :人間七七四年2008/07/07(月) 13:28:31 ID:5bWZqdP+
何で見たか失念しちゃったんだけど
政繁の屋敷は御館付近じゃなかった?
134 :人間七七四年2008/07/07(月) 23:33:39 ID:/zVfOGDP
コンビニで売ってる戦国時代マンガを集めた雑誌の巻頭が、丁度このネタ。
連載っぽいので、興味がある人は読んでみては?
135 :人間七七四年2008/07/07(月) 23:33:48 ID:rEerFxSR
季節により春日山城と御館とで政庁が移動するってんなら
春日山城内に屋敷を持つ連中は御館にも屋敷があったんじゃないか?
雪の無い季節に御館から春日山に登るのはともかく
少なくとも冬に春日山から降りてきてる間は
雪の春日山城内の屋敷から御館まで通う訳でもないだろうし。
136 :人間七七四年2008/07/07(月) 23:35:44 ID:/zVfOGDP
137 :人間七七四年2008/07/08(火) 00:00:53 ID:2C1ivkUl
>>132
何にのってる?
138 :人間七七四年2008/07/08(火) 00:01:37 ID:2C1ivkUl
>>136
日本史板で専用スレ立てたりとアフィリに頑張るのも程ほどにしてくらさい。
139 :1332008/07/08(火) 01:21:14 ID:/Lg5JROA
確認したら政繁と断定されてるわけじゃなくて
「弥五郎屋敷」(上条上杉氏)って表示だった。
あと御館の周辺に守護館、守護代館みたいな屋敷があるね。
140 :人間七七四年2008/07/08(火) 10:59:10 ID:2C1ivkUl
>>139
どこで確認しましたか?
141 :人間七七四年2008/07/08(火) 11:26:55 ID:BHpIbT9Y
142 :人間七七四年2008/07/08(火) 11:45:12 ID:vyJ797eM
>>140
野島出版「中世越後の旅」に載ってる越後府中の復元図です
143 :人間七七四年2008/07/08(火) 13:02:23 ID:OMCMzei3
>>141
春日山城内の屋敷の立地は
謙信>景勝>直江>斉藤>その他っぽいが
宇佐美屋敷は本当に宇佐美屋敷か?という気がするな。
立地的に景虎屋敷はお客様って感じだ。
しかし大手道もこれ本当に大手道か?
どう見ても裏口にしか見えんのだが。
144 :人間七七四年2008/07/08(火) 13:26:04 ID:2C1ivkUl
>>140
ありがとう調べて見ますよ!

>>141
やっぱり春日山城の要所の名前とかは後世が勝手につけたと見るべきなんですね。
145 :人間七七四年2008/07/08(火) 14:06:15 ID:BHpIbT9Y
>>143
城と言うものの構造から考えれば、あそこが大手になる。
146 :人間七七四年2008/07/08(火) 18:53:33 ID:LUvv2o0G
ほぅ
では先生に城と言う物の構造について
一席ご教授願いましょうか
147 :人間七七四年2008/07/08(火) 18:58:25 ID:BHpIbT9Y
>>146
噛み付いて来たいのは解るのだが、書き込みの内容が漠然としすぎて
何に対して噛み付きたいのかいまひとつ判然としない。
148 :人間七七四年2008/07/08(火) 19:02:45 ID:LUvv2o0G
>>145

>書き込みの内容が漠然としすぎて
149 :人間七七四年2008/07/08(火) 19:05:50 ID:BWJOuFDe
いかにも大通りで天守に行くのに便利です。じゃあ防衛上困るって事だろ
峰の両端に御実城様の謙信と御中城様の景勝か、対だな
150 :人間七七四年2008/07/08(火) 19:14:46 ID:LUvv2o0G
これまた斬新な定説ですな
なんのための城郭なんだか
151 :人間七七四年2008/07/08(火) 21:05:26 ID:BHpIbT9Y
>>150
馬鹿にも解るように書いてあるからこれでも読んでなさい
http://nekhet.ddo.jp/item/1003/catid/35
153 :人間七七四年2008/07/09(水) 08:47:51 ID:n3+UBIDw
>>151
他のスレでも言わせてもらったがお前のアフィリブログを宣伝に貼り付けるな。
154 :人間七七四年2008/07/10(木) 02:24:21 ID:urDxNZJu
春日山城の図を見て考えたんだが。

この城は、元々は小規模だったのを必要に応じて造成して拡大していったんじゃないのか。
毛利氏の吉田郡山城もそのパターン。
だとすれば、御実城とその周辺部が元の城で、景勝のいた御中城あたりは、もともと何も
なかったか、あっても小規模な施設だったのを、景勝の居住にあたって造成・拡張したん
じゃないのか。
155 :人間七七四年2008/07/10(木) 16:06:15 ID:Svu7j2v7
>>154
そうだな。越後国内で内乱が続くうちに、防衛力を
継続的に高めていく必要ができたわけだ
156 :人間七七四年2008/07/10(木) 22:20:48 ID:kCYqhU8o
確か春日山は為景の代から何回も増改築されてるよな?
景勝は謙信との手紙を見ると
子供の頃にも坂戸城から春日山城に来てしばらくいる事もあったみたいだが
中城はいつ頃作られたものとか分からないのかね?
157 :人間七七四年2008/07/10(木) 22:52:29 ID:urDxNZJu
>>156
景勝入城の直前ではないだろうか。


春日山城に屋敷を構えそこに住むというのは、当事者にしてみれば
あまり嬉しい事ではなかったのかもしれない。
武田信虎が、反感を買った大きな理由は甲府への集住の強制だし。
越前の朝倉氏の一乗谷も実際に住んでいたのは、直参の中小の家臣で、
有力者は住んでなかったと言う説もある。

158 :人間七七四年2008/07/10(木) 23:07:47 ID:mas+r6Z4
景勝が春日山に入ったのはまだ元服前で
家臣領地等謙信に没収だから、景勝が入るためにわざわざ
中城をもう一つの峰に建てたとかなら
相当な甥可愛がりっぷりじゃないか?
成人したら坂戸も上田衆も返してくれる訳だし。

でも春日山の地形からすると中城がある部分を
城に使ってなかったとしたらかなり防衛に不安がある気がするんだけどなー。
攻城戦に詳しいわけじゃないけど。
159 :人間七七四年2008/07/11(金) 09:17:55 ID:1HUxShgw
>>157
長尾政景は留守居役やその他感状の発給などをしていたことから
春日山に在勤していたと思われる。
その空き家が御中城だったもかも。
160 :人間七七四年2008/07/11(金) 22:56:33 ID:MtwjH34s
>>158
>可愛がりっぷりじゃないか

これは、現代人の感覚だと思う。
景勝が御中城に住むということは、いざというときに人を集められる
領地から引き離されると言うことだから上田衆に対する無言の圧力に
なったと思う。
それに御中城のスペースは限られているから、直臣を多数常駐させる
ことも無理だし、そんな動きを見せると粛清の理由を与えてしまう。
(これは、鎌倉幕府が御家人に鎌倉の屋敷の面積を厳しく制限して
いたのと同じ発想。)

当時の他地域の大名の例を見てみても、家臣が城下を離れて勝手に自分の
領地に帰ると謀反を起こすと噂になるし、謀反の疑いが無視できないレベルに
まで高まると、疑われた家臣は城下から自分の領地に帰ってしまう事が、しば
しば起こっている。


>>159
留守居役としていたときには、御実城にいたんじゃない。
161 :人間七七四年2008/07/11(金) 23:22:52 ID:1HUxShgw
>>160
御中城に景勝を入れるのがかわいがってないとすると、
それ以上のかわいがりかたってあるのかなという疑問がわくなあ。

お留守番で政景が実城にいたとしたら、そりゃもうなおのこと世継ぎは景勝で決定だなあ。
162 :人間七七四年2008/07/11(金) 23:39:01 ID:u+L5RJmk
正直色々考察してみても
謙信の景勝宛の手紙を見る限り
好きで傍におきたがっていただけにしか見えない罠w
164 :人間七七四年2008/07/12(土) 07:41:24 ID:VDVEblGl
いや、別に景勝がすきなんじゃなくて、謙信がかわいがってるのをほほえましいと思うだけ。
景虎も具体的なエピソードがないだけで謙信には愛されていたと思うよ。
(愛されてなかったら相模に送り返されているはず)
景勝を好意的に見ただけでそういう言い方はないと思うな。
165 :人間七七四年2008/07/12(土) 08:02:51 ID:1Uwekoab
よっぽど品行不良で傍にいるのもイヤとかでもない限り
三郎景虎は北条との外交上重要人物だから
(越相同盟が破れた後も本格的に交戦状態にはなってない)
そうそう追い返しはしないと思うが…。
166 :人間七七四年2008/07/12(土) 08:43:14 ID:VDVEblGl
そういう面もあるけれど断交したら大抵はその国に証人を送還させている。

これは内部に証人への同調勢力が発生しないための目的が強く、
景虎の場合もそういう危険があるので送り返すも送り返さないも、
同等のリスクがあるだろうから、それこそ謙信の思惑次第じゃないかね。

外交上重要と言っても氏政との同盟決裂は修復不可能な面が強いし、
謙信が手放さなかったのは政略上の理由とは別にありそう。
167 :人間七七四年2008/07/12(土) 09:32:09 ID:+igxPxmk
景勝を近くに留めることで、ゆくゆくは上田衆を解体・吸収していく
思惑だったんだろう
168 :人間七七四年2008/07/12(土) 10:40:54 ID:75RCZ8Ji
府中長尾の謙信が山内上杉の当主となったように
景勝に上杉家を継がせるので
景勝を当主とする上田長尾が上杉家に吸収されるわけですね。
わかります。
169 :人間七七四年2008/07/12(土) 10:41:25 ID:VicS7eLW
>>166
逆に上杉家の場合、景虎を相模へ戻すことで、
北条家との縁が深い諸将に動揺が生じるという面も考えられるのでは?

いずれにせよ、交戦状態になったのならともかく、
宿敵武田と結ぶために一方的に同盟を反故にされて謙信はさぞかし怒ったろうな。
すでに同盟時の取り決めどおりに景虎を養子にし、姪を娶らせて一門に加えているのに。
もう道満丸も生まれていた頃だろう。
晩年の寺社への願文でも、氏政を「弟や遠山親子を捨てて」と非難する一文があり、
景虎に対する憐憫の思いも相当強かったんじゃないかと思える。

しかし、状況や資料を元に謙信の思惑を想像した書き込みするだけで、
どうして厨呼ばわりで言い逃げされなきゃならないのか、ホントよくわからん。

>>167
解体・吸収って、具体的にどういうことを想定?上田衆を分割して他の将につけるとか?
景勝が春日山城に住居するようになった時期は、はっきりしていないようだが、
軍役帳作成までの期間に、何かそれを感じさせる状況ってあったんだろうか?
景勝が掌握する軍は、山吉の遺臣や信濃衆の吸収も含め次第に大きくなっていったようだが。
上田という枠組みを超えた派にしたかったということ?
170 :人間七七四年2008/07/12(土) 12:10:35 ID:K/5f5zU7
>>169
>>167じゃないが、家中の(敵対的な)大勢力を解体・吸収は戦国大名が、
大名権力を確立・強化するためには、避けて通れない。
当事者でもわからないうちにいつの間にかと言う感じで進められていて、
興味深いよ。

例えば
・上田衆の有力者を景勝の指揮下から独立させ直臣に取り立てる。
・上田衆の中で相続に介入し、不利なほうに肩入れしてシンパを増やす。
・上田衆の有力者のうち景勝支持の者より景勝に距離を置く者を優遇する。

・景勝の後継をちらつかせ、上田衆を酷使する。
  激戦が予想される戦いでは先陣、楽な戦いで後方待機。


オレの私見では、景勝・上田衆への対抗馬として景虎を残していたんじゃないかと。
景勝だけだと、家中のバランスは景勝・上田衆の発言権が強まり
それに対する府中長尾・古志長尾・独立色の強い国人の反発で収拾が
つかなくなるんじゃないだろうか。
171 :人間七七四年2008/07/12(土) 15:50:41 ID:u7W66RRI
上田衆が酷使されてたのは謙信が手紙で
「苦労かけてごめんね」みたいなこと書いてるから確かなんだろうけど

>・上田衆の有力者を景勝の指揮下から独立させ直臣に取り立てる。
>・上田衆の中で相続に介入し、不利なほうに肩入れしてシンパを増やす。
>・上田衆の有力者のうち景勝支持の者より景勝に距離を置く者を優遇する

こっちは実際のところはどうだったの?
172 :人間七七四年2008/07/12(土) 21:23:52 ID:oPYs+NRd
>>169
景虎、景勝いずれが上杉を継ぐにせよ、旧態の派閥を乗り越え、
集権的に軍を再編できなければ、後の遺恨になるばかり。

この途上で謙信が死んだため、上杉家は大規模な内乱を
抑え切れなかったんだと思う。
173 :人間七七四年2008/07/12(土) 21:41:25 ID:K/5f5zU7
>>171
具体的にどうだったかは知らない。
でも>>170であげた方策は、よく使われた手段。
だいたい20〜30年とか1世代かけてかけてゆっくりと行っていく。

でも上杉家の場合、謙信に実子がいなかったから、そのやり方も
かなり限られてしまう。
もし、景勝の弟とかいたら分割相続ぐらいは、させていたかもしれない。
174 :人間七七四年2008/07/12(土) 22:16:32 ID:cmcG9Bcy
解体されかかってたのは、どっちかと言うと古志長尾だろ
上田長尾は政景の時に一門からすら外されてたのが、一門筆頭になったわけで
復権どころの騒ぎじゃないように思えるが
175 :人間七七四年2008/07/12(土) 22:33:37 ID:M3lgtck/
景勝に兄弟がいたとしたら政繁のように
上杉一門辺り継がせるんじゃないか。
176 :人間七七四年2008/07/12(土) 22:52:04 ID:VicS7eLW
旧態の派閥を乗り越え、集権化を目論んでいたというのはその通りだろうが、
少なくとも謙信の生前、景勝の軍にはそれが及んでいないのが現実。

上田衆は解体も分割もされず、
謙信の死の前まで、景勝の直轄軍はむしろ拡張されていった。
もし弟がいたら分割相続させたいぐらい、景勝の力を削ぎたいと謙信が考えていたとしたら、
わざわざそんなことするかね?

統制権の強化については、そりゃいろんなやり方が考えられるだろうが、
謙信の場合、わかりやすいのは子飼いの寵臣による他家への養子政策だよね。
古志なんかは、その一例。
河田が養子に入って、栖吉衆の抵抗があって頓挫した(これで栖吉は謙信に叱責されている)
景信が謙信の生前に死去していたら、跡目は河田が継いでいただろう。
なんか話がズレてしまったが・・・
178 :人間七七四年2008/07/14(月) 13:30:23 ID:nsHeCst8
古志長尾は河田長親が継ぎ長親は御館の乱では景勝を支持したけど
乱後まもなく織田軍との対峙中に病死したため古志長尾は断絶。
179 :人間七七四年2008/07/14(月) 18:02:53 ID:vvM0dTcS
御館の乱の時に長尾景満が栖吉城主だったってのを見掛けた事があったが、景満って誰?
181 :人間七七四年2008/07/15(火) 05:13:23 ID:C6Rto2aw
景満は満景の誤記じゃないのか。
虎房丸は佐野氏でないなら、よくわからん。
183 :人間七七四年2008/07/17(木) 07:42:02 ID:E3psecfl
上杉景満=古志十郎って下に書いてあるでねーか。
政虎が政景と書いてあったりあっちこっち名前が混同しててややこしいな。
184 :人間七七四年2008/07/17(木) 13:04:25 ID:9IeqEWa/
俺も御館の乱の古志十郎が景信の息子景満(信虎)だったってのを見たことあるけど、息子なんていたのか?
しかも「虎」は輝虎の虎で、「信」は景信の信だろうけど、虎信ならまだしも信虎は有り得ないんじゃ…
185 :人間七七四年2008/07/17(木) 14:12:58 ID:DD+3wTlH
実は長尾虎房丸=上杉信虎(景満)で
虎は別に輝虎から貰った虎じゃない説を唱えてみる。

景信に息子がいたなら栖吉衆に河田長親押し込んだのは無茶してるな謙信。
長親に率いられて景勝支援に回った栖吉衆と
景信親子に従って景虎支援の栖吉衆がいたんだよな。
186 :人間七七四年2008/07/17(木) 14:31:56 ID:n2Qu62o4
いくつか根拠レスで憶測するならば
謙信が山内を継いだ時に景信も越後守護家を継いでいでその分栖吉を明け渡せ、が1つ
もしくは元々古志は栖吉と蔵王堂の2流あって1つ絶えてたのを景信が預かっていてそれを1つ返せ、というのが1つ
そのどちらでもなければ単純に改易だったか

なんかどれも無理があるさなあ
187 :人間七七四年2008/07/17(木) 17:20:08 ID:E3psecfl
そういや天正5年の上杉家家中名字尽から
景勝が外れた理由は?
当然景虎もいないんだが。
189 :人間七七四年2008/07/17(木) 22:39:26 ID:Ey9/mr9X
多分、一族(内の別家)扱いから謙信の家族扱いになったと言うことではなかろうか。

当時の家族観では、大名の妻・子供に加えて義兄弟あたりまでは、大名の家族という
扱いで、一族よりも一段上・別枠の扱いだった。
逆に言えば、それまで景勝は謙信の養子と言っても上田長尾家の当主と言う扱いと
いう事になるね。

190 :人間七七四年2008/07/18(金) 00:13:30 ID:ARhJNfx0
>>185
非常に興味深い話だが、信虎とか景満とかちゃんとした史料に出てくるの?
191 :人間七七四年2008/07/26(土) 18:57:10 ID:v1g3dH0S
>逆に言えば、それまで景勝は謙信の養子と言っても上田長尾家の当主と言う扱いと
いう事になるね。

?
家中名字尽みたいなのが天正5年以前にもあって、
そこに景勝の記載があるなら、そう言うのもわかるが、
何と比較して名字尽の前はあくまで上田長尾の当主扱いとするわけ?
2年前の軍役帳の時、すでに一門とは明確に一線を引かれ格上にされてた訳だが。
192 :人間七七四年2008/08/07(木) 16:15:50 ID:jyNeAIVr
     伊達家
伊達成宗:奥州探題就任
伊達尚宗:上杉氏から正室を迎える
伊達稙宗:再び奥州探題就任
伊達実元:上杉氏の養子となるが長尾家の妨害により失敗

     長尾家
長尾景春:関東を争乱状態にして、管領上杉家の勢力を衰退させる
長尾邦景:上杉家をないがしろにし、専横を振舞う
長尾実景:越後守護家に謀反を起こす
長尾為景:上杉房能、八条定宗、上杉顕定らを殺害して上杉家を傀儡化
長尾晴景:上杉実元の家督継承を妨害
長尾顕景:上杉憲政、上杉憲重らを殺害して上杉を僭称
       さらに上条上杉政繁を追放

どちらが上杉を継ぐに相応しいかは、バカでもわかるわな
193 :人間七七四年2008/08/09(土) 11:11:44 ID:ywxRCD2C
>>190
長尾満景は実在するけど、どの系統か謎だよね
196 :人間七七四年2008/08/27(水) 02:02:49 ID:e8StXMC0
この乱さえ無ければ、織田家の北陸攻略も手間取ったろうに。
197 :人間七七四年2008/08/27(水) 03:10:21 ID:oaQeQq29
そうは言うが、起こるべくして起こった乱とも言うべきものだしなあ。
198 :人間七七四年2008/08/27(水) 03:10:31 ID:S5eilfAv
まぁそれはそうだが、降伏か滅亡は時間の問題だろう
199 :人間七七四年2008/08/27(水) 12:02:42 ID:IEbf6gyt
>>198
謙信があと20年長生きすれば…
200 :人間七七四年2008/09/05(金) 21:17:35 ID:0REWAqfF
>>199
謙信存命で当分は織田を追い払えたかね?


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