2010年12月28日

戦国時代の動員兵力を語るスレ

1 :人間七七四年2009/12/03(木) 20:25:19 ID:EPnbP4lG
一国すら統一していない大名が一万人動員したり
一国しか領有していない大名が数万人動員したり
と戦国時代の動員戦力は誇張が激しい時があります。
このスレでは合戦の動員兵力や大名の動員兵力を検証したりしましょう。


・関連スレ

【捏造】兵力や戦果を捏造し過ぎだろ【辺境】
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/nanminhis/1210524233/

戦国大名の経済力 2
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1235291839/


4 :奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM 2009/12/03(木) 21:08:24 ID:qyhW60Yk
>>1
乙にございます。
5 :人間七七四年2009/12/03(木) 23:01:21 ID:0mNDe8PM
軍記物語の兵数は120%デタラメと思って間違いない
江戸時代になると騎数と全動員数の区別もつかない著者が多い
6 :人間七七四年2009/12/03(木) 23:46:23 ID:36HeejxT
明智光秀の家中軍法以外に石高と軍役が明確になってる史料って存在するの?
7 :人間七七四年2009/12/04(金) 00:42:29 ID:rAiR0wW/
>>6
「小田原衆所領役帳」
9 :人間七七四年2009/12/04(金) 12:24:16 ID:i0+AYRQD
幕末は投入戦力がしょぼい
あれが本当の姿なのかもな
戦国時代は水増ししすぎ
11 :人間七七四年2009/12/04(金) 14:42:00 ID:kmgOAQ7B
>旗持ちとか馬の口取りとか=完全武装で戦場に出て行く戦闘員。
例えば5万石の場合、騎馬武者70+歩兵戦闘員で1000、
それに非戦闘員500で、計1500がMAXと普通言われている。

桶狭間では今川本隊5000に織田2000(全員戦闘員)が突っ込んだが、
戦力は今川3000対織田2000で、状況から織田の楽勝も当然。
12 :人間七七四年2009/12/04(金) 15:15:10 ID:k/HX5l/6
一万石あたり250人から300人
石高は経済力と同時に人口も表す
13 :人間七七四年2009/12/05(土) 11:55:35 ID:qDFyKcFE
東では北条、西では毛利が異常に大軍を動員するイメージがあるわ。
14 :人間七七四年2009/12/05(土) 12:04:53 ID:oI1e1TE4
時代は下るがこういう数字がある。
尾張徳川宗春が大掛かりな鹿狩りと称して(謀反のシミュレーションという噂)
藩内総動員令を出して、侍1万人、百姓町人1万5千人を動員した。
この時代は藩の隅々まで支配が行き届いているから、計2万5千も動員できたと考えられる。

戦国時代なら、豪族・国人を完全支配できている大名は殆どいないから
50万石で2万5千は無理だろう。
15 :人間七七四年2009/12/05(土) 12:36:45 ID:ZGLV2CJC
>>13
毛利は10万を動員したって記述がウィキかどっかにあったな。
周りの豪族、宇喜田とか従えての数字だろうね。
一方北条は5万がマックス。石高の割りに少ない感じだね。
16 :人間七七四年2009/12/05(土) 13:35:11 ID:V3frqtpZ
戦国の動員兵力が嘘なら朝鮮の役の数も出鱈目になるな。
幕末の数引き合いに出してる奴アホすぎる。
200年にわたり借金増えて装備にも金が掛かる時代になったのに一緒にするなよ。
第2次大戦じゃ米軍は一度の航空作戦で1700機なんて飛ばしてるが現在そんな数の航空作戦はまず無い。
終戦時の日本でさえ7800機保有してたほど。
今の日本が7800機も軍用機持ってるか?
第2次大戦の時よりも何処の軍も縮小されてる。それと一緒。
17 :人間七七四年2009/12/05(土) 14:42:53 ID:44Aq17q5
軍役状は上杉は全体的のが残ってるし、北条武田明智と豊臣の小田原朝鮮時のも有名。
西国大名のいい史料ってあるかな?軍制が未発達なせいかあまり見ないけど。
18 :人間七七四年2009/12/05(土) 16:21:14 ID:gkg6SbTB
>>15
北条が5万がマックスって何の史料なのさ?北条領を殆どそのまま引き継いだ家康は関ヶ原の時に
8万前後が出陣して、更に上杉の抑えとして結城秀康の軍が下野に駐屯してたわけだが
19 :人間七七四年2009/12/05(土) 18:33:48 ID:irZ/5Kbc
小田原陣の時の北条の動員数は、トータルで8万ほどだな。
20 :奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM 2009/12/05(土) 20:03:45 ID:ZpCVj8e2
甲斐の武田さんちの80騎持の逍遥軒さんの動因能力はどのくらいかね。
21 :人間七七四年2009/12/07(月) 00:39:01 ID:lAxouRbB
西国と言えば船岡山合戦の動員人数は多すぎるように思えます。
この戦いはあまり教科書では取り上げられませんが、長引いていたら応仁の乱のような扱いになっていたかも。
22 :人間七七四年2009/12/07(月) 13:54:52 ID:PsmFnWh+
>>16
最近はどこの軍隊も世界系規模になっちゃってるからね
23 :人間七七四年2009/12/07(月) 14:06:40 ID:GS74ZGa3
日向(12万石)の全域を支配してるわけでもない伊東氏が飫肥城を2万の大軍で攻めたのは不思議だ
24 :人間七七四年2009/12/07(月) 14:59:44 ID:PUKvmcYZ
戦の前に間者(忍者?)を先発させて3倍くらいに言いふらした。
これも戦術の一つ。
間者「大変だ!上杉が2万で攻めてくるぞ!」
農民「女を隠せ!」
大名「ふむ、総勢1万か?7000で篭城すればやり過ごせるな」
実際は5000だったり
25 :人間七七四年2009/12/07(月) 15:11:56 ID:lAxouRbB
誰の逸話か忘れたけど
家臣に貝の枚数を予想させて
「実際より多く見えるものだ」みたいなことを言った人がいたよな
26 :人間七七四年2009/12/07(月) 16:26:55 ID:jIBefXr/
>>25
若い頃の信玄(=武田晴信)じゃなかったっけ?
27 :人間七七四年2009/12/07(月) 21:53:11 ID:lcc4mVrG
日本戦史上もっとも大軍を動員したのは上杉謙信だろうね。
小田原城を囲んで関東を席巻した時は関東中の兵50万が謙信に従ってるし北陸を制圧した時ですら30万の軍を動かした。
29 :人間七七四年2009/12/07(月) 22:14:22 ID:FqPkBoaE
>>19
小田原の時は15〜60歳の男を徴兵したんだっけ?
あれは極端な例だとしても
通常時はどの程度の年齢の民が徴兵されたんだろう
30 :人間七七四年2009/12/08(火) 07:06:32 ID:16VQ9zuP
戦国時代は時代が下るにしたがって動員数が増えてるね。

もともと兵力に入らなかった農兵や雑兵がいつからか防衛兵力や予備兵力として運用されて、
戦力価値を期待されるようになり、小牧長久手の徳川や秀吉の小田原城包囲の時には総動員体制になったように思う。
31 :人間七七四年2009/12/11(金) 00:36:51 ID:b02yI4Yu
従属勢力って動員には含むの?
それとも単独動員力?じゃないとダメ?
32 :人間七七四年2009/12/11(金) 00:46:44 ID:wEdQnZ35
>>31
何とでも言えるようになるから単独が良いかと…
33 :人間七七四年2009/12/11(金) 01:02:34 ID:Tu9ZS3br
徳川家の1600年時の動員を見る際の基準は??
一門+譜代?
34 :人間七七四年2009/12/11(金) 03:21:47 ID:cBqAkqSd
基礎的な動員力と外部勢力を含めた動員力は分けた方が良いかもな。
35 :人間七七四年2009/12/11(金) 21:12:07 ID:KPuNyXXX
んじぁ毛利の6万は嘘っぱちだな。
だいたい中国地方全部足しても280万石もいかないだろ。
36 :人間七七四年2009/12/11(金) 21:53:49 ID:xENFi1Yl
小牧・長久手の合戦の織田信雄と徳川家康の連合軍の兵力が2万足らずという信じがたいほど少ないのは何故だ?
信雄は大国の尾張と伊勢を支配し、家康は今川氏や武田氏の領国を併せるほどの大大名だったのに
37 :人間七七四年2009/12/11(金) 22:10:17 ID:KPuNyXXX
>>36
勝者の徳川が寡兵で大軍破った。すげーみたいにしたのかね。
三国志の曹操VS炎症の官渡の戦い。
兵力差10倍とか言うけど曹操軍には青洲兵30万がいたのに何処いったんだって疑問視されとる。
中国は前の王朝悪く書くこと多いしこういう兵力差捏造が多い。
日本もそういう面はあったとしてもおかしくない。
なんか武田もすんごい過大評価されとるし。
徳川を苦しめた武田が弱いだと立場無いから必要以上に印象操作したんだろう。
第2次大戦のアメリカ軍も日本軍は手強かったって証言してるけどこれも
「日本は強かった。でもそれを倒した俺達はもっと強い」ってことだったしな。
39 :人間七七四年2009/12/11(金) 23:19:22 ID:zWhXdcrn
推測するだけだけど、信濃から三河にかけて防衛ラインを築いていたから、実際の指揮兵力が少なかったとか?
40 :人間七七四年2009/12/11(金) 23:26:10 ID:bQuIdNrC
武田の領国を全て手に入れたわけでもないし、上杉、北条にも抑えが必要だから
小牧・長久手に全軍動員できるわけじゃないよ
41 :人間七七四年2009/12/12(土) 00:32:32 ID:F8o8tLlJ
本多の500で10万だかをひきつけて時間稼ぎしつつ撃退ってのなんか嘘くさいんだよね。
井伊のは池田討ち取ってるから文句のつけようが無いんだけど。
42 :人間七七四年2009/12/12(土) 04:17:41 ID:DwFBCdhh
うそ臭いと思うのは勝手だが議論をしたいのならきちんとした根拠を示してから書き込め。
感想だけ言われても困る。
43 :人間七七四年2009/12/12(土) 09:19:09 ID:tk1JEqEx
本多の行動については実際のところ、秀吉がその意図を読み取って無視したので、
時間稼ぎという観点からはそれ程、効果はない
それより重要なのは敵の追撃部隊と随時、接触していたということで、これにより

家康は秀吉が何時、来るかということを十分に認識して行動することができた
こっちのほうが単なる時間稼ぎよりも効果は大きい

それに忠勝がいれば、長久手にいるのは本当に家康がといるかという疑念も生じる
この戦では秀吉は殆ど、五里霧中の戦いであったし
44 :人間七七四年2009/12/12(土) 11:56:01 ID:SdwKXVWU
門司城攻防戦といえば1561年が有名ですが1554年にも戦いがあったんですね。
厳島の戦いが1555だからそれ以前になりますが陶との戦いを前に2万も動員できる訳ないと思うのですが。

http://bungo79.hp.infoseek.co.jp/newpage4.nenpiyou.1550.html
45 :人間七七四年2009/12/12(土) 21:47:11 ID:NF0/lZXv
三好之長は永正十七年に二万を率いて上洛しているな。
まあ、半数が京周辺の兵で、あくまでも動員権は細川氏にあったので、
細川澄元がいない中では、あっさり瓦解してしまったが。
47 :人間七七四年2009/12/12(土) 21:55:27 ID:pMPfPdQe
おっと、間違った
でも九州にも味方はいたから2万そこそこ行くんじゃないかな
48 :人間七七四年2009/12/13(日) 22:51:31 ID:lObP5YPR
ttp://www21.tok2.com/home/tokorozawa/faq/faq22t.html#09399
このサイトによると兵農分離前と後では動員数に大分差がある
兵農分離がしっかりしてない時代や大名ならば大兵力を動員出来てもおかしくはない
そもそも戦国期の動員数は20人に1人とかいう異常な割合のようだ
49 :人間七七四年2009/12/14(月) 03:37:28 ID:9PejUnMV
織田家ですら10万も動員できたのか
http://sound.jp/unira/nobunaga/n_table.html

なら関ヶ原って規模しょぼくないか?
51 :人間七七四年2009/12/14(月) 04:02:22 ID:4/bigeqD
つーか戦国期に兵農分離なんて行われていない。
兵農が分離したのは江戸期に入ってから。

よくある「兵農分離したから信長は動員が〜」っていうのは根拠の無い幻想。
単純に畿内の人口が多かったから多く動員できただけ。
信長の動員体制は、他の戦国大名に比べてむしろ遅れている。
52 :人間七七四年2009/12/14(月) 04:15:23 ID:xbnKzwWg
この板でも戦力分析や比較をするときには1万石あたり250人って数値で計算してるけど、
これゼッタイってもんでも無かったみたいだな。
やろうと思ったら500人ぐらいまで行けたんだろう?
53 :人間七七四年2009/12/14(月) 05:43:37 ID:YpmLWRqW
1万石250人は何処からきた数字なんだっけ?豊臣政権の軍役?
なんにしてもあくまで目安にしかならないよな。
信長の甲斐遠征の時に
「遠征なので兵糧がつづくよう人数は少なくすること、但し多いのと変わらぬよう粉骨するように」
みたいな意味の書状が信長公記にあったと思ったけど、状況により必ずしも最大動員でなくても
良い場合もあったようだし。正確な動員数は分りよう無いよ。
54 :人間七七四年2009/12/14(月) 06:01:04 ID:M/m3sJG1
検地もできず自己申告しかないのに正確な石高あたりの動員数を
知る方法は文書以外にないからなあ。
55 :人間七七四年2009/12/14(月) 07:59:31 ID:JP+ZEa7F
>>51
根拠のない妄想と看破してるのに自身は根拠出さないって笑い草だな
56 :人間七七四年2009/12/14(月) 09:18:22 ID:O0ZzngfN
なんか多いんだよね
やたらと今までの説は間違いと言いたがる人
57 :人間七七四年2009/12/14(月) 11:07:53 ID:Qvsh8AuD
でも朝鮮や関ヶ原大坂みたいな動員って政権が最低限のノルマを指定した数だから
動員数=全兵力ではないよね
戦国時代も銭や現米での支給があったし、合戦になると傭兵を雇い入れた
つまり田畠以外の各産業の収入や毎年の収穫量で兵力も増減する
支配者の采配次第で兵力も変わって来るという事だ
後は攻戦か防戦でも違ってくる
徹底防戦ともなればもはや軍役だとか言っている場合ではなく
女子供や隠居の老人を問わず動ける者は皆武装して防戦にあたる
幕末にもこれらの事例が確認できる
要するに状況次第で変化するものであって石高だけから兵数をはかる事は出来ない
58 :人間七七四年2009/12/14(月) 11:15:20 ID:6DakR+nd
もしも仮に一戸1人の動員として
50戸=一里
3里=1郷
20郷=1郡
10郡=1国

ぐらいだと1国あたりの最大動員数は3万くらい
59 :人間七七四年2009/12/14(月) 13:02:40 ID:2cf3iHWF
>>51
こういう珍がたまに出るから2chは面白い。

ま、一服の清涼剤と思って許してくだされ。
60 :人間七七四年2009/12/14(月) 13:18:19 ID:KkYJ2Qbe
兵農分離は豊臣からだな。きっちりわけれたのは江戸時代だが
61 :人間七七四年2009/12/14(月) 15:13:33 ID:1oCPmocF
システム(決まりごと)上定められた動員数と、実際にかき集められた兵数とを
同列に扱うから混乱するんじゃないかなぁ……

”金”さえあったら、所領石高に無関係(例えば大坂の役の豊臣側)に、
また動員後でも(関ヶ原の黒田如水とか)兵は集まったわけだし

”所領に対して最大限の兵数を決めて計算”は戸籍と徴兵制が整った以後には確実だけど、
それ以前には”あくまで仮定”という前提を忘れちゃいけない気はする
62 :人間七七四年2009/12/14(月) 15:26:09 ID:nLAWTNgn
まあ状況によりけりなのは確かでしょう
昭和に入っても総動員みたいなことをしてるし

ただし石高はそのまま人口をあらわすといっても過言ではないので
石高から動因可能数を割り出すことは見当違いではない
63 :人間七七四年2009/12/14(月) 17:10:55 ID:y7hsr8WP
兵農分離どころかその前段階となる兵農一致したのが織田の時代じゃね?
64 :人間七七四年2009/12/14(月) 17:34:59 ID:CdorzkZN
>>59
別に珍説でもない気が。
実際問題、織田家に残っている唯一の軍役基準の資料が明智の軍役なんだから、
そこから考えると、100石あたり6人の基準で兵農分離は無理があると思う。
速水融が100石なら70人の人口としていたし。
むしろ兵農分離していたと考えるほうが珍説に思える。
もちろん、全体ではなく一部は分離していたと考えるのが当たり前だが。
65 :人間七七四年2009/12/14(月) 18:02:54 ID:0e4YcYvq
江戸期に入ってから戦役がほとんどないんだから兵農分離が完成したというのはちょっと違うだろ
66 :人間七七四年2009/12/14(月) 19:21:39 ID:4/bigeqD
>>65
兵農が一致していたのは、村落にかかる「軍役」の存在のため。
軍役は江戸期になって消滅なんかしていない。

兵農分離には、農村が軍役に対して代銭で対応できるほどの経済力の向上と安定、
金銭によって軍夫として雇い入れられる都市の余剰人員の存在、
およびそういった労働者を組織し安定して供給できる業者の存在、
さらにそれらを運用する仕組みの成立、
こういった諸条件が整って、初めて兵農分離とい状態が出現する。

これらの諸条件が成立したのは江戸も徳川家光の時代あたりでようやく。
少なくとも信長の時代には、兵農分離などカケラも存在しない。
68 :人間七七四年2009/12/14(月) 20:12:44 ID:ouL5lA0h
小荷駄とかの陣夫などの動員は、兵農分離の範疇からは除外するべきだと思うけど
通常、兵農分離の対象とされているのは、侍とか足軽とかの直臣クラスの戦闘員と
自分は考えている
69 :人間七七四年2009/12/14(月) 20:25:14 ID:4/bigeqD
>>68
陣夫、軍夫がいないと合戦なんて出来ないんだが。

あと足軽が農村から離れて都市居住が始まったのも徳川期。
多少早く取っても豊臣末期。
70 :奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM 2009/12/14(月) 20:30:02 ID:5HLbpR2A
江戸期に入って整備される名主・庄屋とか村町の三役クラスには大名の直臣だった家もあったり。
少なくとも戦国期に武士だ農民だなどという区切りは、意識的にはあったかも知れんが明確なもんじゃないわな。
71 :人間七七四年2009/12/14(月) 20:31:59 ID:OMz6OxYI
武器の没収による武装国人層の解体(かつ戦術指揮官職が農民層から別れた)
ということが兵農分離だよね??

いまここで考慮されてる”石高からの動員数推定”って、
あくまでその土地から得られる総戦闘員(足軽含む)になるわけで、
(武器技術の有無に関わらず)人集めて武装させる、って作業に、
現在でいう下級士官の問題(兵農分離)が絡んでくる意味がいまいちわからないのだけど……
73 :人間七七四年2009/12/14(月) 20:57:25 ID:ouL5lA0h
>>69
陣夫は江戸期も動員が原則、それも範疇に入れれば兵農分離は存在しない事になる

足軽が農村在住というのは再考する必要があるとおもう
時代・場所によって金銭による雇用、知行を与えているもの、短期、長期など多様な形態がある
74 :奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM 2009/12/14(月) 21:08:47 ID:5HLbpR2A
例えば飛騨のような辺境を例に挙げてみる。(検地後40石で1人とする)
・天正14年に金森長近が飛騨一国38000石を拝領。40石で1人として一国挙げても1000人の軍役が不可能。
(1000人で外敵にあたると国がカラになる)
・元禄八年、大垣の戸田氏が検地を実施したところ860石だった。40石で1人として軍役は22人。

以前もどこかで書いたけど、
・飛騨だけで見ると、三木氏とか江馬氏は運動会の騎馬戦程度の規模で戦争していたことになる。
・大大名とされる織田武田上杉は、たかだかこの程度の地域勢力を競り合って支配下におさめようと躍起になった。

支配体系が未編成な戦国期に、ざっくり考えて>>58でもまだ動員量は多いと感じる。
75 :人間七七四年2009/12/14(月) 21:17:31 ID:4/bigeqD
>>74
> ・大大名とされる織田武田上杉は、たかだかこの程度の地域勢力を競り合って支配下におさめようと躍起になった。

織田武田上杉が飛騨を争ったのは、飛騨がそれぞれの勢力圏がちょうど接する場所に
存在してしまった地理的理由からだと思う。
76 :人間七七四年2009/12/14(月) 21:22:39 ID:CdorzkZN
飛騨(益田郡・大野郡・吉城郡三郡)は元禄5年の時点で60000石。
38000石から増えた分は全て開墾と言う事になってるが、これの評価次第だね。
実際に開墾したのか、最初の検地の時点で過少に見積もっていたのか。
どちらにしても少ない事には変わりなさそうだが。
戦国時代は6人役をしいたのかもしれない。
当時にしては非農業人口が多い地域だろうし。
コレくらいならなんとか合戦らしい合戦になるんじゃなかろうか。
78 :人間七七四年2009/12/15(火) 10:58:58 ID:jAcHofsl
下国の飛騨三郡が総動員して千人だとしても、大国の動員力がその十倍あるだろうか?
万単位の兵力がほとんど軍記物の誇張なのかと疑いたくなってきたわ
79 :人間七七四年2009/12/15(火) 11:26:49 ID:QpszLopU
>>78
姉川の時、近江の四分の一程度の領主でしかない浅井が八千
しかもこれは横山城の守備兵などを除く主力部隊にすぎない
近江一国でかるく三、四万はあるだろう
浅井の旧領の六割くらいを支配した(四割くらいは丹羽)
長浜領主時代の秀吉が姫路へ侵攻したときの兵力で七千五百くらいだし(黒田勢含む)
近江は最大級の大国だが、周辺の越前、美濃、伊勢、尾張もそこそこ巨大
80 :人間七七四年2009/12/15(火) 11:53:47 ID:io2LKTmx
長篠の合戦でこういうのもあるぞ

織田3万、徳川8千、武田1万5千が、実は
織田1万2千、徳川4千、武田6千だった。
これなら織田の鉄砲隊が3千ではなく千五百というのも真実と思える。
81 :人間七七四年2009/12/15(火) 12:02:31 ID:R6sf7ZWd
>>36
まあそれは理解できるかも
信濃に甲斐は手に入れたばかりで
領内をまとめている途中で
動員などはまだ出来ない状態だったと思う
よって両地区からはの動員は見込めない
それにいくら北条と同盟を成功したとしていても
背後にはそれ相応の手勢を置いておかないといけないからやはり
大兵力をつぎ込めないと思う
三河、遠江の兵中心だったろうね
反対に信雄は防衛戦だから極限まで動員できたかもね
82 :人間七七四年2009/12/15(火) 12:35:03 ID:aVVzfVhd
確か飛騨の動員兵力は2、3000程度
飛騨は、近江を通した交易の中継地に当たり
しかも金山もあった
食料は輸入頼みだが石高よりもはるかに人口が居た
83 :人間七七四年2009/12/15(火) 12:38:12 ID:QpszLopU
関ヶ原合戦時の石田一族は関ヶ原本戦とそれに続く佐和山籠城でほぼ最大動員だと
思われるが、関ヶ原に出撃した三成とその父兄(父兄とも三成とは別に領土が与えられていた)
の合計戦力は六千七百、三成の父兄が指揮した佐和山籠城兵二千八百といわれている
併せて九千五百だが、このときの石田一族の支配地、北近江四郡は浅井長政の支配領域
とほぼ一致している
84 :人間七七四年2009/12/15(火) 12:44:16 ID:aVVzfVhd
江間氏などは日本海と琵琶湖を結ぶ商売をやっていたようだ
つまり、単なる中継地にとどまらず中継商売そのものを行っていた
動員された兵は、他国から臨時に集めた傭兵が極めて多かったようだ
85 :人間七七四年2009/12/15(火) 12:59:06 ID:QpszLopU
>>84
北近江と飛騨の守護は佐々木京極氏
室町初期の佐々木道誉以来、商工業を積極的に保護してきた家柄だから
飛騨も近江と似たような非農業人口の多い地域だった可能性はあるな
86 :人間七七四年2009/12/15(火) 14:50:33 ID:bFIPVDYi
江馬は越中にも領地があったと思う。
武田が越中の影響力を失ったときに全部失ったかもしれんが
89 :人間七七四年2009/12/15(火) 19:26:49 ID:ciRPC5X3
後日談としちゃ水増し人数でもいいけど
実際の戦闘するとなると物見(偵察)の人数認識能力は、必要となるけど
どんなもんだろうね
91 :人間七七四年2009/12/15(火) 19:47:23 ID:2JstD308
関ヶ原の軍記物なんかは西軍の兵数は東軍の偵察値を載せているんだと思う
だから諸本によって数値のばらつきが大きい
92 :奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM 2009/12/15(火) 20:06:35 ID:A2oaFkCa
(街道の通り方はともかく、近江と飛騨は隣接しとらんぞ)

まず>>74訂正。
誤:・元禄八年、大垣の戸田氏が検地を実施したところ860石だった。
正:・元禄八年、大垣の戸田氏が白川郷に検地を実施したところ860石だった。

>>75
目に見えて荒立ってくるのは木曽氏と三木氏の争いの延長からなんだろうけど、
木曽谷は飛騨諸郡と大差あるような地形でもないので動員数に大差があるだろうか。
>>82-87のように動員力を何とか上に見積もりたいなら、
男児は二番目以降婚姻せず、女児は二番目以降間引く合掌造りの風俗に頼って
1戸あたりの動員数は多かったという見方もできなくはない。
それでも飛騨兵3000はもう講談やゲームに毒され無理ありすぎだけれど。
93 :人間七七四年2009/12/15(火) 22:06:50 ID:zxsfjaSK
桶狭間合戦の兵力がいつもありえないと思う。大概は織田約3000に対して今川約25000と。尾張の石高は今川の三ヵ国の
総石高の四分の三に匹敵する。確かに尾張の一部は今川領であるが逆に、三河には織田領が存在し今川が織田を戦力的に
圧倒するとはとても思えない。あの戦いはどちらかの兵力がおかしいと見て間違いない
94 :奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM 2009/12/15(火) 22:21:01 ID:A2oaFkCa
今川が25000動員した場合、遠江は武田・駿河以東は北条に獲られて終了。

講談に則って考えても守将がいないからわかりそうなもんですきゅ。
98 :人間七七四年2009/12/16(水) 01:16:49 ID:fOZAD7Yr
軍役状、着到状から正規軍の規模は大体推定できる。一部の大名のみだが
99 :人間七七四年2009/12/16(水) 09:44:37 ID:Xb7Hv32R
>>98
軍記物がダメならそこでストップだな
100 :人間七七四年2009/12/16(水) 10:03:41 ID:Z6Ki26bv
正確にわからないまでもこのスレを見るだけで
武田三万だ今川四万だ果ては上杉十万などと語られる兵力は
十倍近い誇称だとわかるな
101 :人間七七四年2009/12/16(水) 10:13:43 ID:ORt1OHN8
十倍は無いわ。
つーかこのスレ見ただけで解った気になるってのは、酷い知識レベルだとしか言いようが無い。
102 :人間七七四年2009/12/16(水) 10:17:47 ID:Xb7Hv32R
>>100
どこを読んだらそんな答えになるんだw
103 :人間七七四年2009/12/16(水) 10:46:16 ID:Z6Ki26bv
>>102
>>74から今まで見て、兵力を上に見積もる人たちが書いているのは
数字や史料の裏付けがない個人の思い込みだけ。
この人たちにとって兵力は兵農分離どころか金で雇える派遣みたいなインフラが
整備されていて湧いてくるモノでしかないんだよな。

十分の一くらいに考えたら自分の中で整合が取れたから>>100を書いただけ。
知識レベルの高い>>101様あたりに納得できる落としどころを
お教え願いたいものです。
104 :人間七七四年2009/12/16(水) 11:00:55 ID:Xb7Hv32R
2500人対800人の三方ヶ原、3500人対1500人の長篠・・
105 :人間七七四年2009/12/16(水) 11:09:46 ID:qmhQEVJR
>>103
そりゃあ、当時の兵力はインフラ関係込みの人数だし
106 :人間七七四年2009/12/16(水) 11:16:34 ID:Z6Ki26bv
>>105
タイムリーな口入れ屋込みか。これは不勉強だった。
107 :人間七七四年2009/12/16(水) 11:53:54 ID:qmhQEVJR
当時の西洋は傭兵制なので、給料を払う戦闘員のみを数える
一方、日本は米を配らなければならない全員の数を数える必要がある
108 :人間七七四年2009/12/16(水) 13:53:43 ID:B5/5AIFu
思い込みばかりとか愚痴るくらいなら自分の意見と根拠を言えよ。
批判するだけなら猿でもできるだろ。と横から言ってみる。
まあ、それなら先に俺なりに大雑把な数字を出そう。

北条氏は大体永7貫あたり一人。北条氏の当納法ならば永一貫あたり一石四斗。
7貫なら手取り9石1斗、馴染み深い江戸期の表記に直せば四公六民で22.75石に一人。
大体100石あたり4.4人役。
ただし、足軽隊に対しては3貫1人の割合で軍役を課しているなど例外事項は多い。
しかし、7貫1人役以下の事例は鉄砲(10貫1人)などを除けば少ないので
平均すれば4.4人よりも多いことになるだろう。
加えて北条氏はイザというときに農村から臨時に兵を集める事があった。
これは城を空にするほど(実際に空にしたとまでは思えないが)の兵力を動員したときに
城の留守を守る非常設部隊。
この臨時徴兵は上記の軍役義務の範囲外。

以上から、北条氏は100石あたり低く見ても4.4人程度の動員が可能であると判断する。
しかもいざと言うときはその大半を一戦場に動員できた。

武田二万五千は上洛スレみてもわかるとおり決して非現実的な数字ではないし
(あそこは100石あたり2.5人計算)、北条氏の事例に照らし合わせても現実的な数字。
三千というのはどの辺で整合性が取れたのだろうかね。
講談が正しいとは決して言わないが、十分の一は無茶がありすぎる。
109 :人間七七四年2009/12/16(水) 14:51:12 ID:qmhQEVJR
特定個人に向けたものではないが、講談と軍記物語(軍記物)と戦記・軍記は
それぞれ別物と認識しなければならない
111 :人間七七四年2009/12/16(水) 15:44:38 ID:laR0XUKU
上杉十万は永禄四年の小田原城戦を言ってるんだと思うが、
軍役帳だと上杉だけで五千人(農兵含まず)は下らないから、関東勢をあわせたら数万は余裕で超える。
なんで十分の一だと思ったのか、根拠が知りたい。
113 :人間七七四年2009/12/17(木) 03:36:28 ID:tRMQsACC
十分の一説によれば300人で飛騨や東濃は切り取られていったのかぁ。
遠山十八子城やべーな。一城あたり10人とかしかいないんじゃね?
114 :人間七七四年2009/12/17(木) 06:26:47 ID:aTk9LKkw
日本は狭くて人口多いから短い期間の戦争がやれて沢山動員できるんだろうな
115 : ◆uGKMKNYQ3g 2009/12/17(木) 07:04:45 ID:fct2CYea
(極論を挙げているのは承知なので引受用にトリップ付けます)
一律に十分の一ではないだろうが東濃にあるような山城は小城ばかりで
要害として機能するほどの大きさがない館規模、100人も籠もれば満員御礼。
山城の全てが岩屋城のような要害ではない。
江戸時代の城は役所機能を持ち収容力を必要とするから構えが大きいが
小田原姫路と岩村苗木を一緒くたにできるものではない。

二百五十騎持の秋山信友がその与力を複数引き連れても三千は明らかな誇称。
(伊那谷が傭兵の一大拠点だとしたなら納得できなくもないが)
恵那郡の小城はそれこそ多くても50人くらいしか集められないだろうな。
もとから人口がないのだから。
116 : ◆uGKMKNYQ3g 2009/12/17(木) 07:21:53 ID:fct2CYea
>>111
>なぜ思ったのか根拠が知りたい

十万どころか三万でも越後から南関東に押し寄せたときの疑問。
・越中や下越、北信ガン無視。誰もいないのだろうか
・荷駄を運ぶ街道をいつの間に整備したのか。
・食糧を現地調達したなら北条氏は翌年免税でもしたのだろうか
・武蔵は無人の平野か領主のいない農民の楽園だったのだろうか
117 :人間七七四年2009/12/17(木) 07:22:46 ID:WKfhg8Bs
別に住民だけが兵になるわけじゃない。戦国期には渡りの足軽集団が多く存在していた。
戦国期は大名がそういった傭兵を一括して大量に雇い入れそれを必要に応じて
配下に振り分けている。

強力な戦国大名なら地域性に係わり無い兵の運用が可能であり、
「人口が少ないから」と言うのは、あまり理由にはならない。
118 :人間七七四年2009/12/17(木) 07:24:50 ID:WKfhg8Bs
>>116
> 十万どころか三万でも越後から南関東に
この時点で何もわかって無い。小田原攻めの上杉は関東諸勢力との連合
だっつーの。上杉軍の兵糧はそういった関東の協力勢力から賄われている。
119 : ◆uGKMKNYQ3g 2009/12/17(木) 07:30:37 ID:fct2CYea
合わせると万単位の渡りの傭兵集団?
上手く組織したならちょっとした大名家を乗っ取るくらい余裕だね。
便利なモブもいるんだな。
120 : ◆uGKMKNYQ3g 2009/12/17(木) 08:07:52 ID:fct2CYea
上から目線さんだったのか。

>>118
なるほど関東の諸勢力が弁当を用意してくれているなら理屈は通るかな。
合わせて三百〜四百万石の大名連合軍の大行進は壮観だな。
その組織力を以てすれば小田原どころか朝鮮までノンストップで制圧できそうだが
なぜ小田原ごときが落とせなかったのだろう。
121 :人間七七四年2009/12/17(木) 08:13:57 ID:feBDXi4F
>>115
騎乗侍に十掛けが総数の一つの基準、この場合は二千五百となり近似はする
もっとも騎乗侍の直接の従者は五倍ほどで、残りは大名に直接雇用・動員される
足軽や陣夫といった者達
122 :人間七七四年2009/12/17(木) 08:29:47 ID:a701n243
>>120
小田原を落とすことより、鎌倉で関東管領の就任式を行うことが目的だったから。
北信濃は当時越後に真田を含む国衆が忠誠を誓っており、越中も前年に平定済み。
兵糧は越後からも大量に送り届けられていた。上野までの糧道は以前より謙信の指示で整備されている。
上野以南は新たに開拓しなくても北条が使っていたものを逆利用できた。
しかし、ある時期より兵糧が不足するようになり、謙信は本国に「もっと真面目に兵糧を送れ」と指令。
関東勢の参加で兵糧不足が生じたのか、北条の妨害工作で糧道が絶たれたのかは不明。
十万人も兵力がいたとは思えないが、総勢一万程度はありえない。数万程度で北条を小田原に押し込めたとしていいだろう。
123 :人間七七四年2009/12/17(木) 09:25:27 ID:dQAER7/+
1/10氏の意見は極論だがそれに対する ID:WKfhg8Bs氏は「何もわかってない」というわりには
史料を挙げるでもなく説明に全く説得力がない。
話半分という言葉もあるから半数くらいに思っていればいいみたいだね。
124 :人間七七四年2009/12/17(木) 12:37:57 ID:wJnYIDkt
まあ、俺としてはまず>>108に返答が欲しいところだが、それよりかは今の話にのってみようか。

例えば上杉侵攻時に北条から家臣の大藤やその与力に対して兵を出せという命令書がある。
彼らは足軽隊500人ほど出兵する義務を負っている。軍役に足りない数字であったら当然咎められる。
このときも500人ほどの出兵があったと考えてよいだろう。

さて、十分の一原則であれば北条氏は上杉一万に対して篭城を強いられている。
つまり、北条氏の戦力はそれ以下と考えてよい。
仮に5000人としてその中で500人というのは巨大な部分を占めたわけだ。
だが、北条氏の家臣の所領全体で72668貫のうち彼らの所領は合計で2120貫。
ちなみにこの72668貫には北条氏直轄領、養子戦略で実質的に乗っ取っている家、
従属している国人の一部等が含まれていない。
奉行衆などの軍役免除されてる人達を含めて考えても彼らの領地の割合は小さい。
少なくとも総兵力の十分の一には到底届かない。
これはおかしいよね。
総兵力の十分の一の軍役を担っておきながら、
領地は軍役全体の三十五分の一以下なんて。

つまり、結論として以下の二つがあげられる。
まず、十分の一説に固執するなら軍役状の数字自体が『嘘』であること。
これの最大の問題点は北条氏と大藤その他与力の間で嘘のやり取りをする理由がないこと。
この文書は命令書で、外部への宣伝効果も全く無い内部文書だから。

もう一つが前提条件としての北条氏の総兵力5000(別に一万以下ならいくらでも良いが)
間違っていること。ひいては上杉軍総兵力1万というのが間違っている事。
これが一番無難な考え方じゃないかな?
125 :人間七七四年2009/12/17(木) 12:44:38 ID:US0PThFO
十分の一はもういいじゃねえか
本人も極論と言ってるし
その検証でスレが進んだらすげーつまらん
126 :人間七七四年2009/12/17(木) 12:57:06 ID:wJnYIDkt
動員兵力について語るスレなので実数について話してるだけなのだけれど。
十分の一についての検証に終始するつもりはないし、
実数を把握する上で参考になる数字と根拠は出せていると自負してる。
それに極論が間違っていると決まっているものではない。
何についてスレを進めたいのかがわからん。それなら話題を出してよ。
127 :仙台藩百姓2009/12/17(木) 13:42:23 ID:CYbBMUsn
結論からいくと今更兵数を導き出すのは不可能だお( ^ω^)
そもそも大名自身実数を把握していなかった可能性が高いお( ^ω^)
僅か60数年前の戦争ですら身元の知れない兵員がたくさんいるのだお( ^ω^)
128 :人間七七四年2009/12/17(木) 13:44:41 ID:lWGDpT3N
60年前どころか今のアメリカの、イラクやアフガンへの派兵だって、
アメリカ自身も全貌を把握しているとは言いがたい。
129 :人間七七四年2009/12/17(木) 14:15:43 ID:wJnYIDkt
>>127
それは当たり前だろ。言い出せばキリが無いし話にもならない。
400年前の正確な兵数なんて今更誰も知るわけが無い。
その上で研究してるんだから。
軍役の概念はミニマム。最小限の概念。大名自身が把握していた戦力。
それが厳密に実数でなくとも、両者の戦力を考える上で役立つ。
少なくとも分からないと結論だけ言い立てる無意味な思考停止よりはマシだと思うが。
結論だけ言い立てるのは全くの無意味。
130 : ◆uGKMKNYQ3g 2009/12/17(木) 16:48:07 ID:fct2CYea
>>124
真摯に付き合ってくれて有難う。
正直この強弁もネタ切れかけてきて苦しいけれど1点だけ難癖を。

命令書は内部文書であるという前提はどうだろうか。
本領安堵に対して軍役を以て仕えるのが当時の主従関係であり、
勢力同士の境界に近い国人が背反常ないのは当時の世相。
命令書とはいえ誇張した数字が記されても不思議ではない。

杜撰かもしれないが太閤検地で上杉方越後39万石、上野49万石、武蔵半国33万石。
北条方武蔵半国33万石、相模は19万石。
攻勢総動員は理屈で5万人、守勢総動員としても2万人が限界の数値、
さらにその他の前線を全て放棄した状態。これはいかにも無理がある。
1/10は確かに極論だけど、公式発表値と実数値の差よりは近い結果が導けるのではないかな。
132 :人間七七四年2009/12/18(金) 03:09:18 ID:/1CIalhN
島原の乱の時の小倉藩が15万石で6000人動員(8000人って記述も福岡県史にあった記憶もあるが)ってあるので
100石あたり2〜5人が動員の幅って感じかね?
133 :人間七七四年2009/12/18(金) 03:17:48 ID:yodNXNPe
>>130
太閤検地ってことはその石高はその国の農業生産力分だけよね
「金さえあれば兵が揃う」時代(大内なんてそうだよね)で商業の分を考慮しないのは、
ちょっと規模を小さく見積もってしまうことにならないかな?

当時の経済活動は記録が殆ど残ってないから、その分を推測することが難しい、
ってのはまぁ置いといて……
134 : ◆uGKMKNYQ3g 2009/12/18(金) 07:08:39 ID:k5VnTuhj
>>133
太閤検地は戦国期に最も近く、ある程度信用おける
統一指標の石高として例に挙げてみた。
「金さえあれば兵が揃う」時代の商業分で生じる誤差については
統一検地前に各勢力領内を統制できていなかった
(絶対的な仕置が不可能で両属や独立した小領主が多く組織化が不充分)
あたりで相殺できると仮定して考えた。

ざっくり過ぎるかな?
135 :人間七七四年2009/12/18(金) 09:07:02 ID:7ByVxqGw
お前らみたいな糞ニートが10万集まっても加藤神1人に勝てないからどうでもいいだろカスども
137 :人間七七四年2009/12/18(金) 14:53:33 ID:+KnLqQFE
10万人とすると、合戦で1日当たり一人に供給される米を五合として、
1日あたり兵糧だけで最低500石。
例えば関ヶ原が三成挙兵から決戦までおよそ100日なので、それと同じ期間
雇われると50万石

3ヶ月で清正の領地熊本の石高を食いつぶす。
139 :人間七七四年2009/12/18(金) 18:02:40 ID:yodNXNPe
>>134
もちろん石高=経済力(金)ですから、その計算値は重要な判断材料とは思いますが
それ以外の”金の力”を無視してしまうのはちょっと、、、と私は思いますね

例えば秀吉の北条攻めの忍城ですら(北条の総動員令あとでも)”金”で土木工事を済ませています
この労働力のもとは、その国だけではなく広範囲に人が戦地に集まってきた結果じゃないでしょうか

それゆえ「金さえあれば兵が揃う」という表現をしたのですが、
そういう時代に土地生産だけを見て「兵数の限界」を決めてしまうのはいかがなものでしょう??
140 :奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM 2009/12/18(金) 20:26:21 ID:/VJP60tm
秀吉の金の力っていうのに小田原を持ち出すのは、ほぼ全国制覇できる算段がついてから
北条氏を贄にして最大級の宣伝効果を狙っているから時期的には参考にできないんじゃないか。
141 :人間七七四年2009/12/18(金) 21:27:34 ID:6hc6ZMdT
>>137
勝ったら、それくらいペイ出来る算段だったんでしょ。
ここで大きく張らなくていつ張る!
143 :人間七七四年2009/12/18(金) 22:18:32 ID:q1/7DwVd
越後一国で5500人。国外出張組等あわせても面子的に2割増える程度。
太閤検地40万石+貿易金山でこんなもんだしなぁ
145 :人間七七四年2009/12/18(金) 23:24:16 ID:Zc+WxALV
>>115
岩屋城は要害じゃなく正しく小城なんだが・・・
147 :人間七七四年2009/12/19(土) 19:49:59 ID:M+tTd7tL
室町末期の大大名って広域の版図を築いていたと思います。
最大でどのあたりまで支配していたのでしょうか?

以下勝手な予想

細川
山城・摂津・河内・和泉・大和・丹波・讃岐・阿波・土佐・淡路

大内
安芸・備後・長門・周防・石見・筑前・筑後・豊前・肥前

尼子
出雲・石見・隠岐・備前・備中・安芸・備後・美作・因幡・伯耆
148 :奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM 2009/12/19(土) 19:54:47 ID:LY3rFlON
支配体系が複雑になった室町末期を謳っておいて、細川大内尼子ってのはどんな取り合わせなんだ。
149 :人間七七四年2009/12/19(土) 20:34:26 ID:M+tTd7tL
よくしらない西国の大名の版図ってどんな感じだったか知りたかったもんで
152 :人間七七四年2009/12/21(月) 18:08:16 ID:TPZqXCPf
戦国時代に比べて幕末期の動員兵力の少なさといったら無いな
153 :人間七七四年2009/12/21(月) 18:14:33 ID:3QHMS5cS
武器が揃わないと人数だけ出してもしょうがないからな。幕末期は既に。
154 :人間七七四年2009/12/22(火) 04:18:22 ID:hhpfYZVN
抜刀隊は残って居るけど
戦国期に大勢いた長槍と弓は絶滅種だもんな
155 :人間七七四年2009/12/22(火) 11:25:27 ID:2AYe1zoY
>>154
一応、組織としてはあるけどな、弓矢槍奉行・先手弓組・槍組など
156 :人間七七四年2009/12/23(水) 02:26:43 ID:UIWaCq+M
>>152
兵農分離してるからね
武士だけの動員だと大した数がいないんだよな
江戸時代で財政難で軍縮やった可能性はあるけど

農兵は奇兵隊とかいたようだが
157 :人間七七四年2009/12/23(水) 08:03:51 ID:VvkfHFlh
>>156
長州は奇兵隊を入れても石高あたりの兵数は少ない。
158 :人間七七四年2009/12/23(水) 20:35:58 ID:PyScCNed
兵農分離すれば常備兵ができて兵の動員が容易になると思っていたけど
このスレを見て考え違いをしていたことに気がつきました
161 :人間七七四年2009/12/24(木) 04:32:58 ID:I2I6tv1T
その非戦闘員というのは荷駄車曳いてる奴とか、旗持ちとか馬引きとか、伝令とか
ゴミ糞尿処理をする人とか、小間使いとか、ただの見物に来た奴とか色々な人が居るわけでしょ

そういう人達も竹槍持たせば一応は戦闘員になる訳で

戦闘員と非戦闘員の境界は曖昧で、簡単に変動するもんじゃないのかな
実際に会戦すればそれなりにはっきりするだろうけど
戦闘中に非戦闘員とされる人はいったい何をしてるんだろ
162 :人間七七四年2009/12/24(木) 08:36:52 ID:brbFMUlH
>>161
戦国時代の小荷駄は別に非戦闘員でもなかっただろうな
163 :人間七七四年2009/12/24(木) 10:35:13 ID:C/k2ORiu
陣夫、軍夫は基本戦闘に参加することはない。
戦闘に参加しない代わりに、敵の方も攻撃を邪魔しない限り
彼らを攻撃しない不文律のようなものが有ったらしい。
165 :人間七七四年2009/12/24(木) 10:56:34 ID:qwxbmc+1
合戦の給料ってどのタイミングで支給されていたのだろうか?
前払いだと逃げるやつでそうだし、後払いだと敗走したらただ働きになるし
166 :人間七七四年2009/12/24(木) 13:09:30 ID:z26RTbUi
>>165
基本は前払い。

うろ覚えだが、関が原の直前、黒田家が傭兵を募集した時、
集まった数百を越える浪人や百姓が並んで金を受け取ったが、ズルをして2回3回と並ぶ者がいた。
金を渡す役人は怒り捕らえたが、如水はその者の名を聞くと「よし覚えたぞ、おまえには3人分の働きを期待している」
と言って許した。
167 :人間七七四年2009/12/24(木) 13:15:06 ID:qwxbmc+1
>>166
サンクス
ワロタ
168 :人間七七四年2009/12/24(木) 13:16:50 ID:C/k2ORiu
>>166
関ヶ原の黒田の例はかなり特殊なものだよ。
それにその逸話で支給されたのは給金そのものと言うより、支度金の性格が強かったと思われ。
171 : ◆uGKMKNYQ3g 2009/12/24(木) 16:14:06 ID:fl2zrlJC
江戸時代は兵農分離どころか士農工商が布かれた後だから、百姓が挙げた
長州や加賀百万石のように兵力を把握しやすい。

で、蒸し返す。
兵農分離さえまともにできていない戦国時代中期までに
江戸時代並みの動員が可能と考えるのは明らかに不自然。
両時代には人口にも大きな隔たりがあるし、
最も大きな外様でさえ加越能三国の二万が限界。
いよいよ十万だ六万だの数字は疑わざるを得ない。

分限帳なり何らかの記録に残る数字にしても、これには
非戦闘要員が含まれていないと言えるのだろうか。
まあそれも含めて戦力という定義なら大した問題でもないが。
172 :人間七七四年2009/12/24(木) 16:19:31 ID:CVv6LmVG
自領の食糧減らさないための戦さ(略奪)だったら非戦闘員も連れていくよなぁ
173 :人間七七四年2009/12/24(木) 16:33:55 ID:siN6pDDJ
現地調達つっても代金は払う建前だから、非戦闘員増えても困るんじゃない?
174 :人間七七四年2009/12/24(木) 16:42:42 ID:Zj5RVv8k
他国から兵糧を略奪させるというけど、不確定な兵站を頼りに戦略を立てることは不可能だよな。
中国や西アジアなら敵は城壁に囲まれた一箇所に物資が山積される。でも、日本だと寺や各地の要害に分散するからねえ。
175 :人間七七四年2009/12/24(木) 21:21:04 ID:s6zGeQzd
>>166
それは逸話だからなあ
まあ急遽集めないといけないから多目には払っているかもしれんがの
普通は支度金と働きによって報酬じゃないの
178 :人間七七四年2009/12/24(木) 23:46:34 ID:RFEjUpAD
>>171
兵農分離すると動員数が増えるという根拠が欲しい。
理論的に。
179 :奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM 2009/12/24(木) 23:50:42 ID:cvdMh247
主がはっきりしていない土豪だらけの戦国期と、全て藩主に帰属させられている江戸時代。
どう考えても動員率は江戸期のほうが高いだろ。
180 :人間七七四年2009/12/24(木) 23:59:16 ID:RFEjUpAD
>>179
主がはっきりしていないような土地に検地できたのか?
石高に含まれるのか?
181 :人間七七四年2009/12/25(金) 00:49:51 ID:xv8XEHlA
石高(土地の生産力)の把握での推定動員数は「その土地の生み出す金なら兵何人出せるよね?」という数字
けっして”その土地で徴兵できる限界数”とかそういうものじゃない
つまり「人がいれば兵隊にできる”必要”条件満たす」わけだから、”動員率”とはちと意味合いが異なる

たとえば戦国時代には成人男性全員の”根こそぎ動員”の例は北条島津かなりあるけど、
そういう場合の考慮は↑の推定じゃしてないよね??
兵農分離がはっきりなされていない時代こそ農民(土豪層)がねこそぎ戦場に出る(その年の生産を無視して)ことも考えられるわけで
江戸時代みたいに兵農分離どころか「農民は農業だけしないとだめよ?」なんて時代とは事情もちがうと思うよ
182 :人間七七四年2009/12/25(金) 01:04:18 ID:TtScnEBK
つーか、江戸期にも農村に軍役は普通にかかっていたわけで、「農民は農業だけしていれば」なんて
時代ではない。ただ銭納によって農村の住民を出さなくてよくなっただけの話で。

まあ江戸期は住民の把握がそれ以前の時代とは段違いなので(幕府なんて全国の家屋の一軒一軒まで
間取りがどうなってて家主は誰で家族構成は、なんて事まで把握している)、動員効率と言う面でも、
それこそ戦国期とは段違いだったと言っていいでしょ。
183 :人間七七四年2009/12/25(金) 01:45:35 ID:zPm/QRXz
100石2.5人はあくまで100石の石高で2.5人の『専業』の『常備』兵を作ることが出来るという基準。
戦国時代だと村に住んでる地主が自分の村で働いている活きのいい農民に槍と鎧持たせればそのまま兵になる。
ところが、城下町に住んでて領主から給料貰うだけの武士にそんなことは無理。
彼らは村とのかかわりがあんまりないから。精々年に一回か二回名主が挨拶にくるだけ。
納税効率は上がっただろうけど、動員の効率は上がったとはいえなさそう。
兵農分離とは兵を(基本的に)常備するという非常に非効率なことをするやり方なのだから。
184 :人間七七四年2009/12/25(金) 04:03:06 ID:TtScnEBK
長州征伐の時に幕府が動員した兵は、第一次、第二次とも約15万。
財政負担はともかく、基本かなりスムーズかつシステマチックにこれを集めている。
このあたりを見ても、江戸期の動員効率はかなり高かったと考えていいんじゃないかな?
185 :人間七七四年2009/12/25(金) 04:32:51 ID:zPm/QRXz
日本一国を統治する幕府の動員で、二ヶ月も総督が決まらずにぐずぐずしてたっぷり準備期間が
与えられた上で15万程度を集められないようでは困る。
もちろん、これは必要十分な兵力であったのだろうが、少なくとも多いとは言えない兵力。
戦国時代が終ってすぐに長州藩より遥かに小地域である島原の乱にも12万以上の動員があった。
それもだけで九州だけでこれだけ動員してる。
関が原の戦いの折にも一戦場に18万から集まってたわけだ。
もちろん他の奥州やら九州やらの戦線で戦っていた人数は含まずにね。
186 :人間七七四年2009/12/25(金) 08:18:55 ID:5X6qny4H
禁門の変・下関戦争で敗戦した長州は疲弊しており
戦わずに降伏すると思ったんじゃなかろうか?
187 :人間七七四年2009/12/25(金) 13:37:26 ID:m5DbuCdY
十河城攻撃の時、長曾我部は三万五千動員したらしいが、十万石あたり一万人相当?
多すぎやしないかな。
ただ、土佐の百姓は農作業行く時、いつも武器、武具持って行って畦に置いて起きて
出陣となったら家に帰らず、そのまま戦争へ行ったらしいから、通常よりはかなり動員率
高かったんだろうけどね。
188 :人間七七四年2009/12/25(金) 13:39:06 ID:eKjEcT1z
海外から新装備を揃えておいて
戦わずに降伏なんてするのか?
189 :人間七七四年2009/12/25(金) 18:27:22 ID:Mt1qbh+M
長州は表向きは恭順の意を示し、その隙に亀山社中や薩摩に依頼して密に武器を集めたから幕閣は知らなかったんじゃ
190 :奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM 2009/12/25(金) 19:37:42 ID:H/+IOYZJ
>>180に意味を間違えて取られているようなので>>179を書き直し。

主である大名がはっきりしていない土豪だらけの戦国期と、全て藩主大名に帰属させられている江戸時代。
領内に非帰属勢力がないぶんどう考えても動員率は江戸期のほうが高いだろ。
191 :人間七七四年2009/12/25(金) 20:02:08 ID:x5Jc3zzs
書き直しても>>183や>>185に較べると説得力ない
193 :人間七七四年2009/12/25(金) 21:10:25 ID:Qa8FcBlz
>>187長曽我部の半農半兵は屯田兵と微妙には違うが、イメージ的には屯田兵と考えておいて問題ないと思う。
だから普段は農民として活動するが、戦となれば兵力として集まる。
35000の兵力は更に若年の者や老年の普段の戦では召集しない者たちを召集したとかだろう。
兵糧やお金に余裕があり、短期的だったから問題なかったのだろう。
他の大名も似たようなもんだろうけど、それ以上に常備兵力を用意出来ない四国の土地柄を示している感じだな。
194 :奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM 2009/12/25(金) 21:24:41 ID:H/+IOYZJ
直臣に餅も買えないヤツが混じる土佐だからなあ。
196 :人間七七四年2009/12/26(土) 01:28:33 ID:Pe3BUAY4
>>194
あんた何を根拠にそんなこというとるの?
200 :奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM 2009/12/26(土) 15:03:15 ID:h0hgLeVL
突っかかってくるのは構わんが、ある程度の下地がないと話が通じないので困る。


vip_2ch_news at 01:50│Comments(1)TrackBack(0)戦国時代 

トラックバックURL

この記事へのコメント

1. Posted by A   2011年11月16日 15:03
>>66>>69は珍だな

コメントする

名前
URL
 
  絵文字