2010年12月28日

雑兵足軽の実状

1 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/06/14(水) 18:05:19 ID:m+g8ZAaG
戦場の主役、雑兵足軽についてなんでも語れ!!


4 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/06/14(水) 22:25:07 ID:c4L26ie0
例外を除いて、当時衆道は武家上層部に限られていたはず。
下層にまで広がるのは江戸期から。
5 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/06/14(水) 23:42:11 ID:pDfMrxKY
戦国期は流民も多かったから、全国渡り歩いてた奴とかいたかな?
武士じゃなく雑兵で。
7 :中野区民憲章 ◆ORWyV99u2Y 2006/06/16(金) 15:38:24 ID:x63nWvTJ
雑賀・根来寺がそうだね。鉄砲を肩に担いで歩き回ったんだろうか
30年戦争時の傭兵団みたいだw
8 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/06/16(金) 16:17:50 ID:/GvMRQfg
雑兵だから従軍したら飯と給料もらえる。
勝ち戦なら強盗、恩賞もらえる。
負けそうになったら一目散に逃げる。
これだろ。
11 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/06/16(金) 20:28:28 ID:oAHdNpor
徴集農民兵の足軽と違って真面目に戦わないイメージがある雑兵
12 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/06/16(金) 21:10:58 ID:9pkOEvmT
略奪、強姦が目的で戦に出ている印象がある
13 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/06/17(土) 17:40:13 ID:D0NaUdfd
一両具足みたいな事をやってたのって長宗我部以外にいないの?
16 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/06/17(土) 23:04:12 ID:LIKXVlNG
武士が農民していたんでしょ?
17 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/06/18(日) 04:18:09 ID:pYTCa2j2
>>16
逆。農民を最下級の武士に取り立てて一領具足というステータスを与えた。
通常の農民動員兵と違い、自主性や積極性が見られる。
そのことは後の浦戸一揆や山内家の対応などからも窺える。
18 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/06/18(日) 05:45:01 ID:uZXvImrC
制度的には珍しいものじゃないというのを前提に、
当の足軽達の忠誠心が特徴的だったという見解と、
後世の書物で有名になっただけという見解を見たことがあるなあ。
20 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/06/18(日) 11:54:14 ID:qh0Opq5u
おそらく、今でもそうだが、日本人は土地にかなり執着する。
今より稀薄だったかもしれないがその地域を支配してる支配者と土地を同一視してたのじゃないか?
だから最下層の足軽が「われらが親分」と言う気持ちで忠誠が高かったんじゃないのかな?
21 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/06/18(日) 15:23:35 ID:MMeDcOlX
>>12
藤木の微弱電波に浸かりすぎ
22 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/06/19(月) 14:15:06 ID:aIpZzP2q
>>20
「一所懸命」という言葉が有るくらいだからな。
ただし、村の欠け落ちとかもあるくらいだから一概には言えないんじゃないか?
村の生活を保障してくれればこそ、支配者が忠誠の対象になると思うが。
23 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/06/20(火) 22:21:38 ID:nlCxe46N
北条は雑兵足軽の略奪を一切禁止していたらしい。
24 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/06/20(火) 22:27:35 ID:hKv4saih
「甲州人が歩いた後はペンペン草一本も生えていない」という諺が残っているということは
武田軍は略奪しまくりだったのかな?
25 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/06/20(火) 23:04:59 ID:3/b582Vy
>>23
あまり信用できないな。
26 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/06/21(水) 14:38:37 ID:lRI3KuWX
板違いかも知れんが、俺の先祖はチョン女を豊臣秀吉の時代に犯してたかも。
28 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/06/21(水) 18:32:15 ID:e6yxeetr
>>23
禁止したのは自国内の略奪だけどな
29 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/06/22(木) 12:06:38 ID:FVIsLBOW
俺のイメージはワイワイ、ガヤガヤ言いながら行軍。
親分にどやされなが、陣作り。
交替で見張りやりなが、ちんちろりん。
兵士当て込んで来る。行商人の物売りの声。
タバコ屋から買ったタバコを煙管で回し吸い。
お茶や酒の行商人を捜し回る。
こんな感じ
30 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/06/22(木) 13:31:42 ID:EY9i46Kt
>>29
最初にして唯一の打ち首対象者乙
32 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/06/22(木) 18:41:50 ID:f69IL14w
「軍勢の甲乙人、妄りに声高し、或いは行軍の序次を失う者、これを斬るべし」
>>29は処刑だな。
33 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/06/22(木) 22:44:47 ID:skbLiEun
戦国大名:大手ゼネコンの社長。侍大将:1級建築士。 足軽大将:現場監督
鉄砲足軽:鳶。 雑兵:DQNの土方。
34 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. 2006/06/22(木) 22:50:20 ID:EfeDfBsa
地方ゼネコンが国持大名クラスなんだろうな。
信長の場合なら地元大手土建屋の三代目といったところか。
35 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/06/24(土) 22:11:55 ID:RRkh3DAO
やっぱり兵の強さは地域によって違うのかね?
それとも江戸時代の俗説?
38 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/01(土) 03:20:43 ID:39hW9wBK
兵が強い=勢いがある
だと思う。
長篠後の武田勢の弱さ。
謙信没後の越後勢を考えたら、そう感じる。
39 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/01(土) 04:46:01 ID:Pzwl7L6D
それだと特定の時代や時期ではなく、大まかな地域で兵の強弱が評される理由にならないような。
現代でもグルカ兵の評判が良い事などからして個々の戦闘力よりも多くは兵士としてのメンタル面を指してると思われ。
40 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/01(土) 12:43:26 ID:trHm5phl
貧しい土地の雑兵は強かったんじゃない?
勝てば略奪し放題だしな
と言っても実際戦う人間なんて全体の3〜5割程度だけどね
41 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/01(土) 16:43:29 ID:39hW9wBK
グルカ兵はまぁ神話見たいなものだけどな。
軍板の話では、実際たたかったったり、共闘した旧日本軍人のじいさん達は、
はっきり弱いと言ってたみたいだから。
42 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/01(土) 21:17:16 ID:iSwTDBlH
戦闘技能より忍耐強さの評価なのだろう。
数年前テレビで「グルカ兵は足腰が丈夫で上の者に従順だから集団行動させやすい」とイギリス人士官が語っていた。
ネパールでの生活環境自体貧しくて厳しいから過酷な作戦任務でも不平不満が出にくいのだろう。
43 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/02(日) 01:04:08 ID:Q6lolQrK
それなら納得するが、それは兵の強弱じゃなくて、
兵の全体的な資質、性質的な物なんじゃね?
44 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/02(日) 02:43:14 ID:nFOB2irv
うむ、だから兵質というのは兵士の勇猛さより集団として機能させる場合のメンタル面のことでしょ。
戦国期でも、上の命令に忠実に従い勝手に崩れたり浮き足立ったりしないというのが評価の対象に
なるんじゃないかね。
個々の徴集兵に強弱があるとすれば装備と編成と指揮する者に起因するような。
尾張兵についても三河駿河美濃伊勢といった隣国と互角以上に渡り合ってる事跡から見て特別
劣っていたとは思えない。
45 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/02(日) 03:35:52 ID:Q6lolQrK
実際は兵に強弱は無いし、
それは戦局を変える要素は無い。
って結論でいいよね。
46 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/02(日) 03:57:33 ID:ShIbxOKA
日本の戦国時代の合戦はちょっと特殊だからね
積極的に戦う兵って結局は大名の直臣連中の侍がほとんどだし
地方による足軽の強弱は無いと思うが
下級武士や豪族の強弱はやっぱあるんじゃないか?
47 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/02(日) 06:43:16 ID:Q6lolQrK
それは強弱より、常備軍の量や割合の方が影響するんじゃないかな?
48 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/02(日) 06:53:30 ID:Q6lolQrK
重要な要素忘れてた。
やっぱり経験でしょ?これは常備の武士になればなるほど重要になると思うよ。
戦術行なう、うえでもやっぱり理解度とか違ってくるし。
49 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/02(日) 13:14:41 ID:Yw29XvtN
人間の筋肉って学童期に9割以上出来上がるんだよ 成人してからつけた筋肉は落ちるのも早い
だから生まれ育った環境が過酷な自然の人種は強健な筋肉束をもってる
50 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/02(日) 13:56:28 ID:SRra7rmr
過酷すぎて栄養タリナス、場合も潜在的な筋力はつくのん?
なんか適度には環境整ってないと駄目な感じがする怠け者の俺
51 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/02(日) 14:21:40 ID:drO/0ZoI
戦国時代は食料の供給不足でみんな栄養失調気味だったと思うぞ
52 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/02(日) 15:59:32 ID:Q6lolQrK
たしかに、過酷な状況なら。
流民最強、洛中にあふれかえっていた浮浪者最強になる。
53 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/02(日) 19:30:17 ID:Yw29XvtN
甲信越や三河の兵が強がったのは山野の山猿状態で育ったから

ヨーロッパのスキー選手はトンパみたいな例外除いて貧困層出身だぞ
テレビもみたことないような山で育ってる
日本のような学生スキーが主流じゃないからな
54 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/06(木) 15:36:17 ID:tf39Nwiy
【郷土食が支えた最強の島津軍団】

戦国時代、勇猛で強い軍団といえば、武田信玄の甲州軍団、上杉謙信の越後軍団、三河武士(徳川軍団)があげられるが
忘れてはならないのは命知らずの島津軍団である。秀吉、家康でさえ島津と戦う事を避けたほどだった。

島津一族を強力な戦闘軍団につくりあげたのが、島津中興の祖、島津日新斎忠良である。
日新斎は、古代国家の頃、その荒々しさで都人に恐れられた熊襲の子孫、隼人族(猛人ともいう)
を家臣としてとり立てて、軍団の核としていた。

この島津軍団の兵糧のひとつに「ちまき」がある。ちまきは本来保存食で、兵糧などの携帯食料として使用されていたが
薩摩のちまきは一風変わっていた。
(中略)
薩摩のちまきは、灰汁でつくることから「あくまき」呼ばれる。ゆうに二,三ヶ月はもち、しかも高カロリーなのだから、理想的な食料だったのだ。

また鹿児島の特産品「かつお節」も高タンパク、ビタミンB郡を多く含み、保存性の高さはピカ一。「武教全書詳解」にも
「かつお節は、薬にあらずといえども、時にして飢えに及ぶときには、これを噛めば性気を助け、気力を増し、飢えをしのぐのみならず、役に立つものなれば
必ず用意すべき事なり」とある。

鹿児島県では、豚や鶏は、歩く野菜といって食べてきた。これら古代以来の野趣に富んだ郷土食が、薩摩武士の体力を強靭にし、最強の島津軍団を支えたのだ。
55 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/07(金) 21:50:32 ID:TMi+GXaN
督戦隊の有無は影響あるんじゃないか?戦国時代にあったかは知らんけが。
よく、逃げると切るぞーみたいな言葉を、武将が叫んでる場面は小説ドラマ等でよく見るけどな。
矢を恐れて進まないんじゃ話にならないし、極限状態に追い込んで突撃させるのは、
鉄砲が主力になる前なら十分効果あると思うけど。
56 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/08(土) 01:50:50 ID:eOlUNRLX
残念、鉄砲が主力になる前にも後にも白兵戦は極力行われないのが戦国時代
だから応援部隊はあっても無理矢理突撃させる督戦隊なんてのはない
何故なら実際に戦闘する連中は半農半士の豪族か大名の直臣達
武将の意地があるので戦うのが当たり前
逃げる奴も確かに居たがそういう奴は戦闘が始まる前に逃げる
57 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/08(土) 19:27:42 ID:jIbFn34L
どうでもいいが「とくせんたい」と聞くとどうしてもあれを思い出してしまう
58 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/09(日) 18:23:51 ID:4Rs9TRw6
>>56
そのための訓練を受けた武士ならそうだろうけど、あくまで「雑兵足軽」の話だろ、スレタイ嫁。
数をそろえるのに集めたのにみすみす逃がしはしないだろ、家族の命でも盾にとってたんじゃないの?
ろくに訓練も受けてない雑兵に、弓や鉄砲が扱えるとも思えんし、
使い道は追い立てて突撃させるか肉の壁にするぐらいしかないだろ。
59 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/09(日) 23:33:17 ID:r0ApY67D
>>58
お前こそ戦国時代の合戦の事が何もわかってないだろw
そうやって徴収された農民兵の多くは後方の雑役に回されるんだよ
実際に戦闘するのは3〜5割程度
しかも合戦の前には「陣触れ」という自主参加を促す宣伝で地侍を徴収するんだよ
そうやって集まった地侍や直臣の侍の従者が雑兵となり戦うんだから逃げねーよw
直臣なら妻を人質にも取ってるが、農民から人質とって突撃って…超バカw
欧州とかの戦争と勘違いしてんじゃねーの?マジ笑える

ルイスフロイスの著書にもあるが日本の戦国時代の合戦は
なるべく人が死なない様に考えられた「のどかな戦争」なんだよw
農民を戦死させて自国の国力やら産業力を低下させない目的のな
だから肉の壁なんてありえねーアホ過ぎる〜wwwwwwwwwwwwwwww

これじゃあ出陣の日を占いで決めてたとか農民=野武士や強盗がほとんど
なんて事実を書いても理解出来ないんだろうな ぷっ
60 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/10(月) 19:36:19 ID:DiBqQ/wE
>wwwwwwwwwwwwwwww

とか

>ぷっ

とか、傍目に見ててもこいつの痛さも同様
いちいち「w」つけなきゃレスできないキチガイって可哀相でならんわ
61 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/10(月) 20:58:43 ID:bgSgamm9
たしかにキチガイっぽいが、
内容は58と比べるまでもなく、まともだけどな。

総兵力=戦闘員ではないし、
戦闘要員は半農だろうが武士とそれに仕える連中が基本。

まあ、農兵は「村」という人質がいる事はいるけどな。
62 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/11(火) 23:41:06 ID:3mIznFPi
>>60
おいおい、そんな事書くなよ
それじゃそんなイタイ奴より知識の低い>>58がなおさら憐れじゃないか
63 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/12(水) 23:19:58 ID:y1uQPTH4
>>62
本人乙
66 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/14(金) 21:42:12 ID:ZlDAl+jN
実は>>1が必死に自演しながら保守してるだけだったりしてwww
67 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/18(火) 14:36:27 ID:zb2GuJkF
>>4
その土地の生活習慣とか食物とかで決まるんじゃないの?
68 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/21(金) 19:38:42 ID:UOcw4u8p
雑兵といっても
1600年頃と1550年頃とでは
混乱の度合いが違うので
質が違うだろな

一貫しているのは山間部の兵は負けたら行く所が無い必死さがあった。
尾張など平野で育った人間は流民を見慣れているから
弱かったと考えられる。
70 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/21(金) 19:58:18 ID:3AUYBY2D
平野というか商工業の発展した地域の人間は土地や地縁にしがみ付く感覚が希薄で能動的だったのだろう。
71 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/21(金) 20:35:39 ID:UOcw4u8p
島津が強かったイメージがあるが
兵の使い方に因っていたのが実像

少人数の囮の部隊を使って敵を誘いだして
そこを襲うのが島津流だから。
囮の部隊は命がけだったが一族のために
捨て身を厭わない者たちが居てはじめてできる戦術を
実行できたから名を残せた。

体力的強さとかでなく
犠牲になる 捨て駒になる事にたいしての気持ちの問題である。

秀吉はそういうタイプの奴らと闘うことの怖さを知ってたんだろ。
勝ち方が悪いと 後々の統治に影響してきてしまう。
圧倒的に勝つことが条件だったから。
72 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/31(月) 16:45:10 ID:IIQGMnyI
俺、この戦で手柄を立てたら故郷に帰ってあいつに結婚を申し込むんだ
74 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/31(月) 17:44:26 ID:A2X+2fCX
>>70
だいたい俺もそう思うがそこまで端的じゃないと思う。
明治よりはるかに昔の戦国時代は典型的な農本国家だし、貫高制はその農業社会に基づいた徴兵制度
っていう面も持ってたから、商業発展地域も主要産業はやはり農業だった。
75 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/05(土) 03:34:25 ID:FC5Ojv7f
まぁそうだろう。
商業が発展してるような所は、大概農業も先進地だろうよ。
非農業人口を養えるんだからな、当時の貧弱な輸送能力で。
76 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/14(月) 17:35:06 ID:5FP8RCqz
>>74
重商が確立される以前であるのだから仰るとおり当時の社会が第一次産業ベースであるというのは否定しない。
発展地域には人が集まり流通も活発になる、当然職業種と求人量は田舎の農村とは比較にならなかったことだろう。
つまり、生まれ育った地域の“近辺”で職が得られるのであれば次男や三男は兵役賦役のリスクを負ってまで土地に
しがみ付くという意識と概念が薄れていくと。引いてはそれが戦場に於ける足軽の精神面での脆さに繋がるのではないかと。
また、田舎から発展地域に出て職を得るということも不可能ではないにしても、情報の乏しい時代に何の当てもなく
勝手の分からない土地に浮浪者覚悟で乗り出すというのは相当な理由でもないと難しかったのでは。
78 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/02(土) 18:33:43 ID:COFjrJVU
情報が乏しいだけじゃないの?雑兵物語という本を読んだ人はいる?
79 :朝倉渦中feat.パストマスターズ ◆0Uj4ASAQRA 2006/09/03(日) 23:04:48 ID:ZOSVJIZa
「雑兵物語」は面白いすね。
内容は弓足軽・鉄炮足軽・鎗担・馬標持・旗差・持筒・持弓・草履取・挟箱持・馬取・沓持・矢箱持
・玉箱持・荷宰料・夫丸・若党・中間らいわゆる軽輩雑兵の教練書ですが、
それぞれの経験談を口述手記の形を取ってるとこが面白い。
当時の雑兵らの口語が書かれてるので読みものとしても楽しめます。
80 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/24(日) 22:06:10 ID:XvmCCjqE
「手明」は抜刀兵みたいな存在だったら格好良かったのにただの馬の世話係なんだよな
81 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/26(火) 01:23:30 ID:2rUoBR9G
「旗持ち」ってのは、どんな奴らがなったのかな。
足が速いのは当然として、敵陣に突っ込む勇気も必要だよね。
目印として倒れない体力も必須。でも、首取りとかの功名とは縁が薄い。
とても名誉な役職だけど、家中では「縁の下の力持ち」的な存在?
83 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/03(火) 11:10:10 ID:fXlBKabm
>>78
足軽マニアとしては『雑兵物語』と雄山閣出版『下級武士足軽の生活』は押さえておきたいところ。
84 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/03(火) 13:23:53 ID:fSr9h210
>>71
それ、強い兵の条件じゃん
引くなと言われたら骨になっても引かず
進めといわれたらわき目も振らずに突撃する
結局、薩摩兵が強かった事にかわりは無い
85 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/03(火) 17:05:28 ID:jpdG5q8s
足軽って自衛隊の兵卒みたいなもんだな。
歩兵=鉄砲足軽
屋敷の警備要員=若党(江戸時代には口入屋を通して雇われたにわか侍)
86 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/03(火) 17:13:52 ID:Qdm5vo4J
当時の戦って、実際は槍や刀より

石を投げ合って相手を負傷させてたんでしょ?
87 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/03(火) 17:15:38 ID:Qdm5vo4J
あと、兵糧って兵士1人1人が持ち寄って食べてたんでしょ?

本格的な兵糧荷駄隊を編成したのは石田三成が最初だと聞いたんだが

あいつ、やっぱ偉いよな
88 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/03(火) 18:09:59 ID:OFH9yTbP
>>86
陣笠と胴丸つけただけで、ほとんど無力化すると思うが。
89 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/03(火) 18:41:30 ID:jpdG5q8s
>>86
刀は藩によっては貸与されないところもあったらしい。
93 :白馬青牛2006/10/03(火) 22:33:40 ID:ocZpPCrC
>>71-84
琉球兵に苦戦した薩摩兵が強いんかねえ。薩摩の釣り野伏り戦法の
主力は、戦場で強盗行為もする家族単位で移動する野郎部隊じゃないんか。
遊撃戦は得意じゃろう。九州征伐の黒田勢が「近国の野郎のたねを断つ」
為、野郎の妻子も惨殺したんじゃろう。薩摩正規軍も長宗我部相手に
正面激突で苦戦しつつ退却した処を野郎軍団の遊撃側面攻撃にまかす戦法。
(薩摩人は遁走を恥とせん柔軟性があったことは長所じゃが、)
薩摩の戦法も長宗我部ら四国勢に通用しても、毛利、黒田勢には
通用せんね。
薩摩軍が蛮行で名を成したことは認めるよ。大友城下の者を売り飛ばし、
朝鮮出兵でも、テルマ・カクセイ(高麗おごじょ)を拉致したことも。
戦国期の南九州の伝統は近代熊本兵団(熊本・鹿児島・宮崎・大分の
壮丁で構成。)に受け継がれ、熊本師団は、女子挺身隊(慰安婦)を連れて
いるのに(中国姑娘)強姦すると悪名があり、占領地には、都城(宮崎)の
部隊を進駐させるよう苦慮したようじゃ。宮崎や大分なら兎も角、熊本や
鹿児島じゃあ、占領地の婦女子にとって恐怖じゃったろうね。
95 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/04(水) 01:21:47 ID:RFEp8Rb2
>>87
初めの数日間は、各人で持ち寄った腰兵糧で賄います。
その後は、部隊に付属する手明(小荷駄)から3〜4日の単位で支給されます。
出兵が長引くと、現地の商人から高値で購入することもあったようですね。
96 :白馬青牛2006/10/06(金) 01:04:28 ID:e6vunr3j
折口信夫氏の文から「たとえば、合戦になると、百姓が竹槍を持って
出て来て落人を殺してものとりをしたりしますが、同時に頼まれて
戦いにも行き、都合が悪ければ盗人もやります。道徳などは、それは
団体の道徳であって、団体を離れれば道徳などはありません。その村
だけの、村と言うよりは永住の地を持たない一部の人々の団体の道徳を
守り、一致した行動をとります。そんな連衆が巡っていて、時代が
変わってもいます。応仁の乱等があると、それがどこからともなく、
どかどかとやって来ます。大阪の冬の陣・夏の陣などにも寄り集まって
やって来ます。(中略)移動村落です。」(「無頼の徒の芸術」、
昭和11年、1936年)。
永住の地を持たない集団とは、焼畑民や漁民、被差別民等、移動性の強い
集団のことであろう。戦国時代が終わり江戸初期に近世領主による紀州や
四国の山岳民狩りは激しく、人質を取り、一村皆殺しの悲劇もあった
ことは、宮本常一氏も述べておられる。足軽の構成要素には、これら
移動性の強い集団の考察も重要じゃと思う。
97 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/12(木) 20:45:57 ID:mrbMryfk
>>86
いや、弓が一番死傷者多いし、基本
98 :ななしさん2006/10/12(木) 20:49:53 ID:BcUHAVQz
日当が米5〜6合なんだろう
99 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/12(木) 23:44:30 ID:kwD6jutT
>>98
それプラス給金が出る。
足軽組毎に数十貫文ほどでて組で山分けにする。

江戸期でもちゃんと給金が出る。
町奉行所の同心が足軽身分だけど、年収30俵2人扶持
中間クラスだと、年収3両1人扶持。
下級武士のことを「3ピン」というけどこれは「3両1人扶持」の事を指している。

>日当が米5〜6合なんだろう
これがいわゆる扶持米のことで「〜扶持」に対応。
102 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/20(金) 22:57:19 ID:jTLdM9fx
>>99
中間の給金では、2両とかいうのもある。
それじゃ食えんので、多分一人扶持はついているんだろうけれど。
103 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/20(金) 23:32:47 ID:k9JJTV2m
>>88
投石してきた相手が松坂クラスの兵で腕や足に当たったらどう?
104 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/20(金) 23:47:50 ID:6TdKJFL3
【ネット】佐賀県庁が監視との報道で、2ちゃんねるでは「佐賀」が爆発的に流行 現在1万以上のスレッドに「佐賀」の文字が
http://news19.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1161353273/
106 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/21(土) 06:40:51 ID:5q0QBe3o
>>103
当時から松坂クラスのピッチャーがゴロゴロいたのか
凄いな日本!
でもコントロールはよくないからな、松坂は
108 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/21(土) 12:19:27 ID:2jhFcuOS
松坂が10人いて150キロ半ばのストレートを投げ込んできたら面で制圧できる。
112 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/21(土) 23:48:07 ID:5HCSM4xE
平地はともかく山地で守勢の場合はかなり有効な武器だけどな
113 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/22(日) 00:57:21 ID:Hla0hIQN
古代オリエントの投石器は射程400m 初速100km/hだったらしいが
これ使って松坂が投げたら何?でるんだろうな
114 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/22(日) 12:55:37 ID:ApbycqrD
>>113
人が投げるタイプは、400mも飛ばないだろ
115 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/22(日) 13:51:44 ID:RTBfy9za
組み合わせるんじゃね?
投石器で松坂を飛ばす→飛んでる松坂が石を投げる
脅威の飛び道具誕生の予感
116 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/22(日) 16:27:04 ID:s5N2PRDr
>>115
空中じゃ踏ん張りきかないから投げられないだろw
117 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/22(日) 17:37:45 ID:FfAYjZqo
じゃあれだ
松坂よりウデの振りの割合が多そうなヤクルトの五十嵐あたりなら120はでるんじゃね
合わせて220km/h!
ただ松坂以上にコントロールが悪い
118 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/22(日) 17:37:48 ID:+bjb9lzH
>>115
その場合、松阪は使い捨てかw?
119 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/22(日) 18:25:26 ID:EBo2oYmx
逆に考えるんだ。
松坂が投げた投石機から石を発射するんだ。
投石機の重量>>石の重量なので、踏ん張りが効かなくても影響は薄い。
120 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/22(日) 23:10:55 ID:VYvAaOTM
>>99
若党(奉公人の屋敷の門番侍)も、3両一人扶持。同心は普通の足軽より少し
上の身分だと思う。
121 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/24(火) 21:17:57 ID:mZXWpz/i
(幕府の)同心=(諸藩の)足軽
って感じで本に書いてあることも多いけれど、
収入なんかでみると、同心の地位が高そう。
ところで先日加賀にいって足軽資料館に行ったんだが、
考えていたよりも待遇が良かった記憶がある。
確か3〜4部屋+台所etcだったかな。
長屋作りでなく、一軒一軒独立していた(なぜか庭は小さいけれど)。
収入など知っている人いる?
122 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/25(水) 05:14:45 ID:t2s/Fj23
>>121
ちと調べてみた。
ある御徒並(足軽よりちょっと上の身分)は11人扶持の切り米をもらっていた。
約40俵。

収入的には町奉行所同心と大体同じ。
足軽の収入はちょっと見当たらない。
123 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/25(水) 07:57:16 ID:s8MHcKrA
>>122
それは7人扶持に加増されたものですね。
医師給人組に入れられて7人扶持をもらっている模様。
7人扶持なら13石ですね。32俵。加賀の俵(0.5石)だと26俵ほど。
11人扶持なら、50俵。加賀の俵なら40俵。

暮らし向きのほうは加賀藩足軽の方が楽そうですね。物価も安いでしょうし。
124 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/28(土) 03:47:14 ID:qUhh+pri
情報ありがとうございます。
聞いてばかりでは何なんで、こちらからも情報を。
佐賀鍋島家では、弘化年間で、足軽の切米が最高で5石5斗だとか。
扶持が付くか知らないが、一人扶持がついても8石足らず。
ざっと20俵ほど。
本当に食うだけだな…。
125 :名無しさん2006/10/28(土) 03:51:51 ID:VB+rObzE
当時の1俵の目方は知らないが20俵だと1家族は
飢えなかったんじゃないかな?
貧しくても百姓と比べたらはるかに生活が楽だろうな
127 :1242006/10/28(土) 18:50:35 ID:/mXzYU7p
「最高で」ですので、ほかの足軽はもう少し大変なんだとは思います。
それでも、一般的な農民よりは楽でしょうけれど。
佐賀の下級武士だと、農業をやっている場合も多いですし。
128 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/29(日) 12:39:12 ID:cqag+tic
>>125
多分、50kg弱

http://www.naozane.co.jp/okome/tani.htm

戦国末期の1升枡は、現在の8合前後とのこと。
130 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/10/31(火) 00:40:58 ID:/5rfLIYy
江戸幕府の規定だと、
一人扶持(一日米五合)=知行取五石で、知行取一石=蔵米取一俵(三斗五升)。
三十俵二人扶持なら、知行四十石に相当することになる。
131 :名無しさん2006/11/05(日) 21:10:08 ID:Z4sKPzab
50キロかける20は1トン
5人で一人200キロ
1日600グラムもなしか
生きてはいけるけどぎりぎりだろうな
おかずがないから米だけで食べると5合近くは
いるだろうから
133 :奇矯屋onぷらっと ◆O.K.H.I.T. 2006/11/13(月) 22:58:03 ID:gVrlBz6/
現在の米屋の単位は10kg=7升≒1.4kgね。

ついでに現在、3人核家族の米の消費量目安が10kg。
134 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/18(土) 02:41:02 ID:QaCyeVqO
>>133
なんちゅう米消費量の少なさよ。
俺一人の消費量と一緒…。
135 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/18(土) 10:19:14 ID:RQmr22EV
頭部に鉢巻、畳具足、手には素槍を引っさげた足軽がかっこいい
138 :名無しさん2006/11/19(日) 03:23:03 ID:E6nsN5qK
>>134
みんなおかずで脂物を結構食べるから米はあんまり食べないだろう
あんた炭水化物の取りすぎだぞ 糖尿の予備軍だから注意すれ
140 :1342006/11/19(日) 15:16:23 ID:SHm8SHwp
一ヶ月の話だろう?
一食1合として、一日400グラム以上、一月だと12キログラムぐらいは食うと思うが。
中高生のころは一食で2合は食っていたらしいし。
141 :名無しさん2006/11/19(日) 15:23:57 ID:CHKK18v/
>>140
俺も若い頃はそのくらい食べてたがおっさんになって感じるのは
どんなに腹が減っても米があれほどおいしく食べられないって事だ
米なんて味がないって思ってる奴は多いが実際はすごくうまいんだよな
142 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/19(日) 21:07:45 ID:SHm8SHwp
うまい!
江戸時代の漂流の話を見ると、飢餓状態で、やたらと米飯の妄想・幻覚をもつそうな…。

雑兵の話。
兵糧がなくなったとき、稲刈り後に残っている株を掘って、その根を食用にするとか。
栄養分はあるのかなあ?
143 :名無しさん2006/11/21(火) 00:41:52 ID:FdhA9qbL
2ちゃんネラーが漂流すると得ろ動画を見ている幻覚に襲われるんだろうな
146 :名無しさん2006/12/18(月) 19:11:44 ID:0at/CO4u
オニギリがご馳走だったってなんかの本で見た事あるが普段は雑穀混ざりの
米しか食えなかったんだろうな
おかずも大陸のように肉食の楽しみはなかったようだしいつ死ぬかわからないし
今のサラリーマンは天国だ
148 :名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/18(月) 22:09:05 ID:OB/EbWio
大陸の庶民はその日のパンかスープがあれば良いレベルの生活だよ。
肉は、冬場は家畜にやる飼料も無い為に殺して干したり塩漬けにして保存できるようにして食うだけ。
149 :名無し議論スレにて投票方法審議中2006/12/19(火) 02:40:52 ID:3TCmBxzV
平安時代から地方に豪族ができ武士になり土地を巡り戦になった!


歴史では基礎中の基礎です。

織田信長が登場するまで80%が(半農 半武士)で生活をしていた。


徳川幕府になり約300年の間 武士や役人が位をつくるようになった。


結局、貴族社会が崩壊し
武士が中心の世界になった。
150 :名無しさん2006/12/26(火) 02:19:33 ID:V35S/0l/
徳川後期の無能役人の伝統を今も引継いでいる
金の値打ちもわからない役人や政治家が国家財政を
手のつけられないほど食いつぶしやがった
151 :名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/04(木) 13:46:46 ID:6IoyQ4th
同じ足軽でも袖(肩部のプロテクター)が付くのと付かないケースがあるね。
それと陣笠被ってるのと鉢巻だけのケース。
153 :名無し議論スレにて投票方法審議中2007/01/22(月) 01:27:36 ID:XCNB5TRn
手柄立てて出世してやると
夢を見て戦場に散っていったんだろうな
156 :名無し議論スレにて投票方法審議中2007/02/03(土) 05:51:33 ID:pyyXkepw
「かかれ!」っていう命令下や、乱戦時の雰囲気は、なんとなく
校内のマラソン大会に似てると思う。
自信あるやつは、本気になる。晴れ舞台の大会で上位入賞の名誉と
成績upという恩賞目当てに。
大多数は、まあ入賞できないし、やれって言われたから無理なく
そこそこのペースで走る。キツくなったらペースダウンすればいいし。
やる気ない人は、無理矢理走らされて疲れるだけだから、適当に参加。
むしろ歩く。先生(隊長)が見てる所だけ走ってるフリしてりゃいいや。
無理に疲れる事しなくたって害はないし(食ってはいけるし)。

みたいな。人数の割合も似てると思う。
「参加しなくてすむなら、したくない」ってシチュエーションも似てるし。
俺なんかは中盤〜後方集団にいて、周り見ながらタラタラ戦ってたんだろなw
159 :名無し議論スレにて投票方法審議中2007/02/10(土) 16:19:29 ID:+zhogUZ7
>>156
自身の命を懸ける合戦とマラソン大会ではさすがに比較はできないと思われ。。。
160 :名無し議論スレにて投票方法審議中2007/02/10(土) 16:31:29 ID:mefk8OP4
信長に履物貰った逸話のある兼松正吉みたいに武功を立てて足軽から馬廻に出世した例もあるけど
基本的にどれだけ頑張っても下っ端どまりだと頑張る気が起こらない
副業の略奪に目がいっちゃいそうだ
161 :名無し議論スレにて投票方法審議中2007/02/10(土) 17:17:29 ID:+zhogUZ7
>>160
正吉って足軽だったの?
親父の諱も伝わってるみたいだけど
162 :名無し議論スレにて投票方法審議中2007/02/10(土) 17:53:46 ID:DbPktg18
>>160
どこかの農村・漁村の次男坊・三男坊が侍になれる「可能性」があるというのはそれなりにやる気が出るかと
163 :名無し議論スレにて投票方法審議中2007/02/11(日) 15:57:47 ID:S0jXtqB6
関ヶ原後に大幅に領地を削られた毛利家では家臣たちに食えるだけの碌を与えるのに
開墾して石高を大幅に増やした。
それが可能だったら、なぜ戦争なんかして他国の領地を取っていたんだ?
最初から自領を開墾して石高増やせよなw
ちょっと不思議じゃないか?
164 :名無し議論スレにて投票方法審議中2007/02/11(日) 16:31:33 ID:h1jGAwf8
>>163
・敵が攻めてくる=自衛の究極形としての戦争
・武士階級の領土拡大に対する固定観念
・灌漑技術が向上して平野部を耕地化できるようになるのは戦国末〜江戸期
165 :名無し議論スレにて投票方法審議中2007/02/11(日) 18:49:34 ID:JbNwRFW9
>>163
積極防衛にもなり手っ取り早く領地も得られるから一挙両得。
166 :人間七七四年2007/02/14(水) 09:36:26 ID:zz/jVT+Y
信長公記を著する太田牛一も足軽→信長馬廻(弓衆)と出世していったクチ
足軽でも弓の技能とか文筆の才があれば取り立てられる可能性は極小ながらあった
……ってまた織田家の例だな
167 :人間七七四年2007/02/16(金) 11:45:17 ID:EidaDHtH
織田家以外で足軽からそれなりの身分にのし上った人がいる大名家ってある?
168 :人間七七四年2007/02/16(金) 14:37:39 ID:5eNgiTJa
>>167
三好家、土岐家、武田家
169 :人間七七四年2007/02/17(土) 12:05:58 ID:lS9zlgCm
>>168
具体的な人名は?
170 :人間七七四年2007/02/17(土) 13:53:53 ID:u3lc33hd
>>169
有名所じゃん
松永・道三・高坂あたりでそ?(勘助はナシw)
171 :人間七七四年2007/02/18(日) 00:17:34 ID:vaIFt3UK
>>170
大名にお尻貸して、成り上がったのかな?
今の時代に「部長は、社長とホモ関係で出世した」なんて言われると恥だけど。
戦国時代は、別に恥かしくなかったのかね?
172 :人間七七四年2007/02/18(日) 02:09:09 ID:SLOg00M5
>>170
足軽じゃねえだろw
元は卑賎でもデビューは士分だ。
足軽=バイト
士分=正規雇用
173 :人間七七四年2007/02/18(日) 07:37:01 ID:FGG06ZRg
>>171
久秀と道三は純粋に才能でしょ。
174 :人間七七四年2007/02/19(月) 13:57:35 ID:AxcFZDp+
>>169
三好、土岐、武田は全部源氏の出、ただし三好は他説有
そもそも織田氏は守護代(信長は傍流だが)で足軽には程遠い身分
ちょっと調べれば分るだろうに

>>170
斉藤道三は北面の武士の家柄だろ
高坂は富農→近習、松永は不詳
全部足軽とはいえない
175 :人間七七四年2007/02/19(月) 16:39:33 ID:7an3F4so
>>174
まさか、海洋民族久米一族というんじゃないだろうな?
176 :人間七七四年2007/02/19(月) 21:32:54 ID:qV7FqVJ0
厳密に言えば違うけど、下級な士分は足軽と変わらないでしょ。
特に兵農分離がロクにできてない1500年代前半は。
177 :人間七七四年2007/02/19(月) 21:40:54 ID:SKj/t0Gx
>>174
>そもそも織田氏は守護代(信長は傍流だが)で足軽には程遠い身分

お前も読解力ない奴だな。
織田が足軽出身と言っているのではなくて、織田家で足軽出身者が出世している。
織田家の他の大名家で足軽出身者が出世しているところはあるの?
   ↓
三好家、土岐家、武田家

という流れだろが?
アホかw
178 :人間七七四年2007/02/19(月) 23:50:10 ID:HVm54PTT
>>176
「厳密に」いえば、姓の有無で決まるのかな?
当時も庶民は正式には姓がなかったような気がするというか、
兵役がらみでそんなことを推測できる文書があった気がする。
179 :人間七七四年2007/02/20(火) 00:39:03 ID:HhSvRYbI
>>178
姓はあまり関係ない
必要なら自分か主人が勝手に付けりゃいいし。
「厳密に」というなら被官関係だろう。
出世したくて多少知恵の回る奴は最初から自称浪人で士分として売り込む。
秀吉は知恵が回らんとは思わんが、それすら出来ないくらいツテも元手も無かったんだろう。

被官関係としても流動性高いから「厳密」てのはそもそも無理だろ。
>>176の言う通りハッキリクラス分けも出来ないし。
180 :人間七七四年2007/02/20(火) 09:38:44 ID:O9KJtHzL
>>177
ほんとだ・・・orz
スマン
181 :人間七七四年2007/02/20(火) 09:42:47 ID:Ha8kScsD
当時は百姓も苗字が禁止じゃなかったからな
大抵、出身地の地名をそのまま持ってきた
逆にそういうのと縁が無いのなら出自がそれこそかなり低い傍証になる
182 :人間七七四年2007/02/20(火) 14:15:02 ID:FbfIi03/
ところで、秀吉が貧農ではなくクラークだったって聞いたけど、
本当なのかな?
183 :人間七七四年2007/02/20(火) 19:39:58 ID:nOou6GTX
どちらにしても尾張中村出身で初め松下家に仕えたってのは真実なのでは。
184 :人間七七四年2007/02/20(火) 23:31:06 ID:SYG+Y6Q5
>>182
おかんが茶坊主と再婚しているところを考えると底辺層ではないかもね
185 :人間七七四年2007/02/21(水) 08:52:20 ID:KQ/mkJ/l
当時の、しかも信秀クラスの茶坊主や同朋衆が、
どの程度の地位があったのか・・・
茶坊主や同朋衆のもピンキリだろうし。
織田家の弓衆の養女と結婚したのも、逆玉の輿というより
そんなに秀吉との地位に大差はなかった(地位が低かった)
と見てもいいんじゃないかな?
186 :人間七七四年2007/02/21(水) 21:44:58 ID:4pRz6uSd
うーむ、、、
嫁の実家の木下姓を名乗ってることから見ても、やっぱり立場関係は嫁の方が上なのかとも思うけど。
187 :にゃんこ2007/02/21(水) 22:48:37 ID:ls2XEL4X
有力諸侯に功を立てさせると、中央集権から遠のくし、最悪、主家を乗っ取られて
しまう。

だから、君主は、なるべく身分の低い者を取り立てて功を上げさせる。報酬が
少なくて済むし、いざとなったら粛正しやすい。

わりと君主一般にある普遍的なことなんだな。
188 :人間七七四年2007/02/22(木) 01:23:21 ID:LR4sGpMX
「有力諸侯」「中央集権」っていう言葉を使うほどの勢力なら、
すでに大勢は決まってるから、それほどの事はもう起きんだろうw
それ以前の勢力だとしても、寝返ったりする大多数は、小城主なり
小領主なりの身分の低い者たちなんだがw
むしろ自分にとって有利なヤツ(有能な者・忠誠心のある者など)を
増やしておきたいからじゃない?
189 :名無し2007/02/22(木) 20:31:04 ID:drSSI2/2
>>153
それほどけなげには戦わなかったと思うが
だいたい戦争に負けても生き残れば勝った軍団に
編入されるわけだからそこそこ戦って危ないと思えば
すぐ退却しただろうし相手が強ければ近づかないで
逃げ回っててもOKだったんじゃないかな
1日米5〜6合じゃあ本気で戦うのあほらしいだろう
190 :人間七七四年2007/02/22(木) 21:15:58 ID:aZjZrCkj
>>187
正社員を出来るかぎり雇わずバイトやパートや派遣社員で済ませるのは今も昔も同じか
192 :人間七七四年2007/03/02(金) 11:36:00 ID:1+tHHPkS
いや、完全に農民だよ。
半農半士でもない完全な農民。
少しでも士の要素があれば、どんな力業でも家の元を源平藤橘とかこじつけて出生を明らかにするって。清正みたいにね。
でないから、天皇落胤だの、あちこち養子依頼だのしたんでしょ。
193 :名無し2007/03/03(土) 10:53:16 ID:gCgY9+OE
当時は寒かっただろうに防寒なんてどうしていたんだろうな
鎧の下に毛皮でも着てたんだろうか?
194 :人間七七四年2007/03/03(土) 11:37:08 ID:lAGuU3qD
>>192
その加藤家や福島家と縁続きだったわけだ。
完全に農民でもないだろう、秀吉のオヤジは戦闘に参加して負傷しているのだから。


あと、藤原や足利への養子依頼は、摂政関白や将軍への就任する目的があり、その筋の宗家の承継者になる必要があったからだよ。
傍系でも血統さえ引いていればいいとうわけではなかったので、系図捏造では対応不能。


系図でっち上げしないで新たに豊臣姓ゲットしたのは、自分が若い子ころから自分は貧農出身でと触れ回り自分で既成事実を作ってしまっていたからでは?

195 :人間七七四年2007/03/03(土) 12:40:21 ID:0fF/urlq
>>108 松坂がゴロゴロ居るなら古田や城島もゴロゴロ居るわけで。

しかもランナーが居たら振りかぶれないし、イチローもゴロゴロ。

投石の有効性は疑問でありんす。
196 :人間七七四年2007/03/04(日) 00:57:06 ID:YbX7XFH/
>>194
農民だって、兵役はあるんだしなあ。
どっちかというと、耕作して得たものを、貢租として治めるか否かで
武士か庶民か判断すべきだと思う。
197 :人間七七四年2007/03/04(日) 15:34:08 ID:Gs9TlTMU
>>193
人の体質は3世代で変わるから、今の人とは体質が違う
体力や抵抗力、筋力や骨格とかが違うわけだ
今ですら、南極観測に行ってた人は、日本の真冬でもそんなに
寒く感じないって事だからね
すきま風が吹く家で、藁にくるまって寝てても風邪を引かない体質を
考えれば、多少の暑さ寒さは耐えられるって事かな
199 :人間七七四年2007/03/04(日) 18:27:04 ID:bWRHD4gc
>人の体質は3世代で変わる

ルイセンコ主義??
つか>197の使ってる体質ってどういう意味かわからん…
200 :1972007/03/04(日) 20:53:29 ID:Gs9TlTMU
ルイセンコとかじゃないよ
食事や生活環境が変われば、3世代で体質が変わるって事
体質ってまとめちゃったけど、体力や抵抗力、筋力や骨格、体格とかの事だよ
そんくらいで変わっちゃうんだから、現代人とはかなり違うよって言いたかったんだけど・・・


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