2010年12月28日

河北の覇者・袁紹

1 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/01/05(金) 13:31:48 ID:r2t43b9l0
河北の雄、袁紹、字は本初。

堂々とした威厳のある風貌で、
名門なのにも関わらず身分にこだわらず下手に出たので大勢の人間が彼の下に集まってきた。
官渡で敗れたものの、四州を支配したその実力は本物。
また彼の治世は後世にいたるまで領民に称えられた。
漢と長年敵対していた匈奴や烏丸の異民族を見事に手なずけた外交手腕も持つ。

三国志前半の最大の実力者であり、中華統一への可能性が最も高いであろう英雄。
最近、評価されつつあるとはいえ、その評判は以前、芳しくない。
ここで彼のことを大いに論議し、その価値を高めていこうではないか!


2 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/01/05(金) 13:44:42 ID:kUQs2Tdn0
 後漢時代に四代に渡って三公を輩出した名門袁家の出身であり、その存在自体が周囲に影響力を持って
いた。
 袁術は袁逢の子で、袁紹はその兄(袁成)の子とされるが、『魏書』(王沈撰)や『後漢書』(袁山松撰)によ
れば袁紹は袁術の異母兄弟であるという。
 王沈らの説に基づけば袁紹は袁逢の庶子で、伯父の袁成の養子となって後を継いだ。袁逢・袁隗の次の
世代の袁氏宗族の長は袁紹と袁術の何れか(あるいは袁基)であると思われており、都に居た地方の豪族
子弟はこぞって両家に赴いたが、袁紹が袁術よりも名望高く、例えば何伯求や許子遠の如きは袁術の門に
赴かず、袁術はこれが面白くなかったようで、袁紹を嫌っていた。
 叔父に袁隗がおり、異母兄には袁基(袁術と同母兄弟)がいる。
4 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/01/05(金) 15:10:41 ID:qdnyFtU70
袁紹のここがスゴイ!

・何進が十常侍に殺害されたときに宮廷に乗り込んで宦官の粛正を行った決断力。
・董卓が献帝廃立をほのめかした時に毅然と立ち向かった度胸、
・ほぼ無血で冀州を得た謀略。
・戦略に優れ、圧倒的機動力と武力を誇る白馬義従による戦術を得意とした
公孫サンを滅ぼす。
・不落の城、易京城を落とす。
・領地を荒廃させることなく戦力を増大させた。
その結果、大戦に際し大軍と膨大な物資を用意することが出来た。
曹操は血で血を洗う戦を重ね、領地が荒廃し、領民に恨みを買い、準備できた軍事力と物資もすくなかった。
・天子奉戴をした曹操は宮廷内の陰謀に悩まされたが、袁紹にはそのようなことはなかった。
・外交に優れ、曹操陣営を次々切り崩し、包囲網形成。おかげで
曹操は軍の大半を官渡に振り向けられなかった。
・官渡後、領土に起こった反乱を粘り強く鎮圧(その直後病死)。
・後世にいたるまでその政治を領民に称えられる(袁譚の治めていた青州は別)。
・イケメン
6 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/01/06(土) 14:07:54 ID:17GBGVst0
四代に渡って三公を輩出した名門袁家ということだけど、
この袁氏の隆盛は、後漢代に入ってからだよね。
それ以前も、地方の豪族として存在していたのかな?
7 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/01/07(日) 23:46:32 ID:oC9Op4Pf0
袁氏の祖先はどのへんまでたどれるのかな
8 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/01/09(火) 16:09:09 ID:4+a9Ykwc0
 中国の全ての袁氏の遠祖は五帝のひとり、舜に遡るとされる。歴史書に伝えられる伝説によれば、舜
の子孫である胡公満という人物が周の武王によって河南に封建されて成立した陳国の公族、轅濤塗が陽
夏(現在の太康)に領土を与えられ、その子孫が祖にちなんで袁を姓としたのに始まるという。轅濤塗
以来の由来を誇る袁氏は、発祥地の陽夏が陳郡に属したことから普通には陳郡袁氏と呼ばれる。

 袁姓の人々が歴史上で数多く活躍し始めるのは前漢の頃からである。前漢の袁盎は名丞相として諸国を
周り、後に起きた呉楚七国の乱の鎮圧に一役買った。漢代には、陳郡の隣の汝南郡を本拠地とし、陳郡袁
氏の同族を称する汝南袁氏が台頭する。汝南袁氏は中央政界の名門として4世代で5人の三公を輩出したが、
後漢末の動乱で一族の高官が次々に非業の死を遂げ、さらに地方で群雄として台頭していた袁紹、袁術が
相次いで没落するに及んで歴史の表舞台から姿を消した(但し、袁術の子孫は孫権に仕えた)。一方の陳
郡袁氏は陽夏、扶楽など複数の家々に分かれて有力な貴族家門として着実に成長し、六朝時代から唐代末
の9世紀頃まで名門貴族として繁栄した。

 その後も宋代の記録で約26万人、明代の記録で約53万人と着実に拡大し、現在では台湾まで含めて中国
の各地に広がっている。
10 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/01/10(水) 16:07:44 ID:tu5YB08B0
>>8
>六朝時代から唐代末の9世紀頃まで名門貴族として繁栄した。

最期は、黄河の濁流に消えたのかな。
12 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/01/16(火) 23:53:41 ID:bfRcKxn80
袁世凱も清朝において高官や将軍を輩出した、わりと名門の家の出身。
古代の袁氏と関係あるのかは知らないけど。
13 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/01/19(金) 15:08:07 ID:/dny6RAj0
袁紹と劉表がしっかりと連携を取って、曹操を挟み撃ちにできていれば、
曹操を打ち破り、覇権を打ち立てることができたかな。
14 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/01/20(土) 15:30:26 ID:3U9AujMN0
敵の背後の勢力と手を結んで、挟み撃ちって、
理屈では分かりやすいけど、
実際に緊密に連携してやるのって結構大変だよ。
16 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/01/22(月) 23:58:12 ID:eGqDZe1f0
袁紹と袁術が仲良しだったらどうかな?
17 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/01/24(水) 22:29:35 ID:dbFG1Tvc0
>>16
一番ドラスティックな分岐としては
孫堅を先頭に洛陽に突入した連合軍は献帝を奪還!
だろうね
18 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/01/27(土) 14:33:08 ID:gbUr/f3P0
献帝を無事に救出し、董卓を討ったとなると、
やっぱり袁紹の功績が一番ということになるのかな。
19 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/01/29(月) 23:49:10 ID:MqGkT5ux0
袁紹だけもてはやされても、戦いに参加した他の武将たちが納得しない。
曹操だって、おとなしく袁紹に従うような男じゃないし。
結局、ごたごたは続く。
21 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/02/03(土) 14:09:35 ID:V8ym/v3J0
>>19
反董卓連合の前後からして大人しく袁紹のパシリをしていたんだが。>曹操
運命とでも言うべき怒涛の連戦に勝ち抜き、天下を狙える位置に来たからこそ
袁紹と戦う決意をしたんだろう。
22 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/02/04(日) 11:31:34 ID:OEelsb+50
袁術も劉虞(或いは他の誰か)擁立路線だったなら、というIFは駄目なんだろうか。
袁氏によるもう一人の劉性の皇帝を東に立てて、董卓with献帝に対抗する。
まあ曹操とかにきっぱり拒否の手紙を送られたり、劉虞自身に拒否されてたいるけど。
23 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/02/04(日) 15:48:38 ID:0qadWPfZ0
もう一人皇帝を立てて、東漢と西漢に分裂したりなんかしたら、
面白いことになったかもね。

25 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/02/05(月) 16:50:55 ID:RV485A5a0
もし劉虞が即位したら袁術、公孫サン、陶謙あたりは董卓に着きそうだな。
27 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/02/07(水) 20:27:49 ID:Zl3lejos0
いいんじゃね?
袁紹の栄枯盛衰を語る上で家臣団というか従った人間たちの内訌は外す事が出来ないし
28 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/02/12(月) 09:06:54 ID:PAvX4eiH0
田豊:時代を見据えた名宰相
沮授:執政の神
法逢:主君を立てる名士

審配:世が世なら周瑜に匹敵する軍師

顔良:闇討ちで死んだ当代最強武将の一人
文醜:顔良と同じく当代最強武将の一人
張合β:兵を率いれば敵なしの名武将
淳于瓊:酒を愛するムードメーカー

29 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/02/12(月) 10:16:22 ID:dN02ELam0
サルという字が「猿」とか「猴」とかあるけど
名門袁家がいたから遠慮して「猿」の字は使いにくかったんだろうな
30 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/02/12(月) 18:40:33 ID:Kez+90Og0
麹義の演義での扱いは酷いな
正史では袁紹軍で随一の武将なのに
35 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/02/19(月) 21:01:15 ID:SSFIMzvM0
田豊にせよ沮授にせよ当時第一級の智謀の持ち主だから先は見えていたはずだ。
なのにさっさと袁紹を見限った荀?や郭嘉と違い袁家に殉じたのはなぜだろう?
郷土愛ゆえか、あるいは袁紹個人にそれだけの魅力があったのか?
37 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/02/20(火) 03:13:07 ID:SVanGlJW0
荀?の袁紹軍の人材をけなした文にも入ってないしね
けちの付け所がなかったということにしておこう
38 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/02/22(木) 16:10:19 ID:8/r9TOOJ0
確か遣隋使だか遣唐使の時代に日本に帰化した袁姓の人も居るね。
40 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/02/24(土) 00:39:52 ID:iKQ4D+ac0
そう言われると咄嗟に反論できないのが痛いところだw
しかも、両者を比較すると、
義元には「その後」はなかったが、
袁紹はチャンスがあったのに倉亭でも負けてるからなあ。
俺はよく知らんのだが、史実の倉亭の戦いってどんな感じだったのかな?
41 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/02/24(土) 18:06:48 ID:Z8+/XHRm0
倉亭の戦いの存在自体が怪しい
44 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/02/27(火) 22:39:03 ID:m1u0cA5R0
>>35
先が見えていたから袁紹に付いたんだよ。
荀?は妻が宦官の娘だか何だかで立場的に袁紹は登用し辛いし、
郭嘉は素行が悪いから人材豊富な袁紹陣営で冷や飯食わせられるのがオチ。
結果、最後の最後で曹操が勝ったとは言え、最後の最後になるまでは負け必至だったから
(田豊らが)見る目がないなんてとても言えんよ。
45 :352007/02/28(水) 01:41:03 ID:dX1KCHJt0
>>44
荀?の妻が宦官なのは初耳だけど、言われてみればその通りだな。
自分は袁紹も家臣団も好きなんだけど、袁紹の評価は一般的には
高いとはいえないから、こういう書き方をしてしまった。
申し訳ない。
たぶん、当時の下馬評も圧倒的に袁紹のほうに傾いていただろうしな。

また、その視点で見ると、袁家の内紛が理解しやすくなるかもな、て思う。
外敵そっちのけで内輪揉めなんて客観的に見たら愚行でしかないが、
「自分たちは圧倒的強者の家に仕えている」
という意識が強ければ、その中でいかに権勢を高めるかが
最重要課題となり、結果的に外敵を軽んじてしまうのかもしれないな。
ちょっと違うかも知れんが蒋介石の内憂外患論みたいなもんか。
ただ、田豊、沮授に関しては決してその種の視野狭窄に陥るような人物ではなかった
ろう。審配は個人的に好きだが「独断的で計画性がない」という荀?の
指摘どおりの欠点を持っていた。王修はなんとか内紛を収めようとしたけど
どうにもならかった。
古今東西どこにでもよくある話だと言ってしまえばそれまでだが、
袁家には名門の光と影が端的に表れているな。
47 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/03/10(土) 06:25:15 ID:Pz5RiZmF0
袁紹の圧倒的物量を生かした厚みのある官渡の城攻めは
負けはしたが美しくすらある。

名門とはいえたいした地盤をもっていなかったのを
地道に時をかけて大勢力を練り上げた袁紹の
人格をあらわしているような気がするな。

それに対する曹操の大逆転も、阿瞞と呼ばれた曹操らしい
戦いぶりで興味深い。
48 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/03/10(土) 22:31:21 ID:1CxXHcLm0
袁紹は袁紹らしく、曹操は曹操らしく戦った上での決着だから、まああれでいいんではないかな。
ただ、袁紹陣営が烏巣急襲に際して正攻法的な対処をとらなかったのが惜しい。
せっかく真っ当な正攻法に徹して後一歩というところまで曹操を追い詰めていたのに。
50 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/03/13(火) 23:11:20 ID:LkTD/Fea0
官渡の戦い、許攸の進言したキ許都急襲を採用していれば
どうなっていたかな?
51 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/03/14(水) 01:01:48 ID:F8OedlFx0
黄河の北岸から許昌までは結構、距離あるぞ。
どれほどの防備があったか記録からはわからんのだが、
然るべき拠点も無しに無茶はしないだろう。
で、然るべき拠点となると南では汝南で、
つまり劉備を派遣してるから、強襲ではないが
同様のことをやって失敗したと見て良いと思うのだが。
52 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/03/14(水) 02:25:38 ID:Q9v0aX9LO
まぁ成功するかどうかは置いといて、許攸が離反する可能性は低くなるよな。
となれば烏巣襲撃も無くなるから曹操は戦争継続が不可能になるだろう。

結果論だが許攸さえ寝返らせなければ袁紹の勝利は確実だったと思う。
53 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/03/17(土) 01:13:32 ID:eYprflML0
歴史ってのは英雄が一人でどうにかできるほど安っぽくもなければ
凡人の行動で大きく流転したりするものだな……。
54 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/03/28(水) 19:30:30 ID:uGNYAR/I0
献帝奉戴に関しては、結果的には曹操の先見の明すげー
てことになるんだろうけど、あの時点での袁紹陣営での判断としては、
決して間違ってはいなかったと思うがどうだろう?
それに劉グ擁立という策も帝位の価値を相対化することのできるなかなかの
良策だったと思うが。劉グは評判もよく、人格的にも高潔なため、
この策がうまくいっていたら献帝は誰からも見向きもされなくなっていたかも
しれないな
55 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/03/31(土) 23:38:02 ID:xGzfb26L0
袁紹ってもし皇帝になるとしたら、国号は何にしたんだろうか?
56 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/03/31(土) 23:59:20 ID:3tfBqVXV0
袁氏の本拠って鄴だろ?
だったら曹操と同じ魏なんじゃないの
57 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/04/01(日) 20:59:58 ID:TDiGAKe30
袁紹ってそれなりに魅力あったのかな?
張コウだの沮授だの中々有力な部下が多くて意外に思ってたんだけど・・

>>56
何か袁紹で魏ってのも面白いなw
58 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/04/01(日) 21:43:40 ID:gNVRXXPnO
次男の袁熙が後を継ぎ、皇帝に・・・甄氏を皇后に・・・もう最高!!
60 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/04/02(月) 10:27:53 ID:LDLh3wiz0
袁熙…物凄い勝手な個人的見解だが、とっても気の良さそうな人に感じる。
何故だ。
61 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/04/02(月) 15:28:20 ID:qP2KjsPjO
>>60
同意。
あと、
首斬られる時の言動が格好良い。袁熙の首が曹操の元へ贈られた時の甄氏の心中はいかに・・・OTL
62 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/04/02(月) 19:29:16 ID:2gRjAVGv0
>>57
もともと清流派士大夫からの支持も強く
(中常寺連中に恐れられるほど)、
つい先だってまで西園八校尉や司隷校尉の職にあって
中央軍を指揮する立場にあり、
大将軍の幕僚として中央政界の世論をリードし、
一方の状況を作り上げていた
というのが、その頃までの袁紹の評価。

董卓は首都圏を制圧したものの、自身が任命した地方官の多くが
後に反董卓の側に附いたように、士大夫連中からの支持は
あまり得られなかったと思われる。

この状況で袁紹に期待する人は少ないということはないと思います。
が、なんだかんだ言って、その後、勢力を確立するまで苦労をしてる
というのもまた事実ですが。
63 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/04/03(火) 11:10:48 ID:i7JLTXfF0
>>62
なるほど。袁紹に決断力と行動力があったら曹操にも負けてなかったかなぁ。

まぁあれだ、公孫賛打ち破ってくれたからいいべw
64 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/04/03(火) 18:28:24 ID:qzGUIFRRO
袁煕さん。譚や尚のようにへたな自己アピールはせず、それでも本初さんの危機にはいち早く駆け付ける… 慎みの深い仁者だったのかな?それとも単に次男キャラ?
65 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/04/03(火) 18:41:58 ID:m26eVHKO0
袁氏の本領を引き継いだのは袁術なんだよね。
袁紹は董卓と敵対して、僻地の渤海に左遷されるも
そこから自力で領土拡大
最大勢力に躍り出た。
66 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/04/03(火) 18:44:02 ID:m26eVHKO0
界橋の戦いって赤壁や官渡並みの大勝利ですよね
当時の公孫瓚は幽州、冀州、青州、徐州を傘下に収める大勢力。

袁紹は韓馥からなんとか領地を奪ったばかりで地盤が磐石でなく
さらに董卓からの妨害を受けまくっていた
67 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/04/04(水) 10:25:25 ID:4YMPFf4T0
>>61
おお、どんな事を言ってたのですか?よければ教えてください。
69 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/04/04(水) 19:37:46 ID:2Ns7fSNd0
>>66
うんうん。
騎馬の利を殺す辺り当時の人間としては中々妙策ですな。
白馬大好きっ子な公孫瓚ざまぁっすw
70 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/04/04(水) 21:26:19 ID:9dfRWpgCO
公孫康へ訪れた熙・尚は凍った地面に連座させられ、
袁尚が蓆(むしろ)を求めた時、袁熙は尚をたしなめて、
袁熙「わが首がまさに万里の旅に出ようという時に、何をいまさら蓆などいるものか」
と言い・・・OTL
73 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/04/04(水) 23:33:12 ID:QeWtMT8h0
袁紹って演義だと結構酷い扱いだよな
良い所が全部省かれてる
74 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/04/05(木) 18:37:37 ID:zA3ZxK2w0
曹操や孫堅は攻めの人、袁紹は孫権や劉表のように守りの人だったのだと思う。
国力は曹操よりはるかにあったし領地もしっかり治めてた、異民族とも良好だったしね。
でも戦に限って見てみると配下の活躍は目覚ましいが本人が指揮した戦は少ない、ましてや官渡では今までにない大軍を繰り出した訳だしね。
官渡や倉亭での戦いに負けたとしても領土は失わなっかたし反乱した豪族の討伐とか往年の決断力を取り戻して素早く動いた。
袁紹は鄴と黎陽、そして遊軍の三角関係の防衛線を引いたと言われてる(もっともこれは黎陽の袁譚がおとりにはまり戦わずして落城、これが原因で袁紹の病に止めをさしたとも。)
袁紹が負けた最大の理由はすべてが予定通りに進んできたからではないだろうか?一度でも完敗していればもっと用心深くなっていたと思う。

>>56
鄴なら司馬氏と同じ晋では?
75 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/04/05(木) 19:07:18 ID:Vet7iZ4RO
この人って

過小評価されてるだろ!って言われて過大評価される人物だよね
76 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/04/05(木) 20:40:05 ID:1GdeZQGs0
>>75
それだけファンの多い、魅力溢れる人物ともいえる。

>>70
で、そのあと曹操軍に引き渡されたと…あれ、意外と剛の人だな。
77 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/04/05(木) 21:06:12 ID:3VrpTrw60
南北朝期の高歓が袁紹、宇文泰が曹操に例えられることがある。
この場合、比較の理由は国力や軍事力が
袁紹・高歓>曹操・宇文泰 ってことなんだけど。

もう一個、似てると思ったのが、曹(夏侯)氏と宇文氏は有能な人が多く、
彼ら皇族・皇族縁者が軍事を担ってる部分が大きいんだな。
一方、袁紹軍閥と高歓軍閥(その後の北斉朝)は
重臣達の押さえが利かない傾向がある。

これは曹家と宇文家のDNAの話じゃなくて、皇族が前線に立たざるを得ない
皇族以外の有力者が少ない状況が両者に長く続いたことによると思うんだな。
ただし、曹操や宇文泰が独断で手広くいろいろと行動できた。
一方、袁紹と高歓は有力者である仲間・同志を引き連れて行動してたから、
彼らを含めた政府機構というものが早くに確立してしまった。
袁家や高家の人間だけでは国家運営を独占できないことになった。
袁紹の優柔不断(曹操と比べて)の原因はこういうことじゃないかと思ったりして。

曹家と宇文家、袁家と高家の滅亡の理由もなんか似てるしな。
78 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/04/05(木) 21:22:58 ID:rdz/CtzoO
>>76
そうなんですよ。袁熙の首が・・・甄氏は本当に強い御方ですね。
曹丕の野郎、簡単に甄氏に死を賜るとは許せんな・・・OTL

格好良さは断然、
袁熙>>超えられない壁>>曹丕の野郎
なんだか。
79 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/04/05(木) 21:23:21 ID:XArJ+6cH0
袁一門は袁紹と袁術との間でバラバラになってる(むしろ袁術が一門を抱え込んでる)からな。
身一つで渤海へ飛ばされた為に名士らの力無しでは勢力を築く事ができず、
結果彼らの発言力を強化させてしまった。

こんな例を出すとまた三戦板へ帰れとか言われるが、
有力豪族からなる合議制により無用な戦ばかり強いられた武田家と似たようなもんだね。
81 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/04/05(木) 23:51:21 ID:c7Rcs4L/0
袁術が大人しく袁紹に従っていれば・・・
って無理な話しか。。
82 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/04/06(金) 22:20:33 ID:S6qZDH9s0
>>81
でももし二人が協力できていたら、曹操やら孫権やら劉備の出る幕は皆無だったろうね。
83 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/04/08(日) 00:23:55 ID:tDiWoUYZ0
光栄によって出れば負け軍師などと不名誉な言われ方をする郭図。
(表に出ている)採用された策がことごとくはずれたから、と言われているが

実は却下されたとはいえ曹操と同じ頃かむしろ早い時期に献帝奉戴を進言していたらしい。
ところが袁紹はこれを退けた。
珍しく、郭図の意見が採用されなかったが為に結果損をした事柄である。

ちなみに郭図って穎川の出で、荀?と同郷。なにか妄想のネタになりそうです。
85 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/04/08(日) 11:14:21 ID:l0M7pGjZ0
>>83
献帝推戴を進言したのは田豊じゃなかったっけ?
86 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/04/08(日) 16:24:54 ID:M760p9Z60
>>83
>>85
資料によって異なるが、
確か沮授は一貫して献帝奉戴を主張している。
一方郭図は資料によって奉戴に賛成したり、淳ウケイとともに反対したり。
真相はどちらなんだろうね。
88 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/04/09(月) 15:30:22 ID:wVDyjaAi0
>>83
献帝推戴を進言したのは田豊じゃないか?
90 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/04/09(月) 17:39:53 ID:1sjY2uS70
袁紹も名門意識さえなければ油断せずに天下取れたのかもしれないのにね。
張郃を重用しなかったことが悔やまれるな、顔良と文醜の上にまとめ役として置いておけば良かったのだが。
91 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/04/10(火) 00:28:36 ID:LiQYUd2s0
張癰を顔良・文醜の上に置いたら、
内部分裂で崩壊しそう。
92 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/04/10(火) 21:14:28 ID:sho163sz0
張郃もその頃は若かったんじゃ?二人と肩を並べるには経験が足りない気がする。
93 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/04/10(火) 22:00:50 ID:XwCEjoKe0
とりあえずあれだな。
関羽強い。
94 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/04/10(火) 22:29:06 ID:DoqCcg2b0
>>93
たしかに強いが顔良の件を言っているなら分らんぞ?
一刀のもとに切り倒したってのは演義の話だからな。
事実は不意打ちの可能性もあるからな、劉備が味方にいるのだから関羽を見かけたら勘違いもするだろうさ。
95 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/04/10(火) 22:48:39 ID:S/5f4AyQ0
>>劉備が味方にいるのだから関羽を見かけたら勘違いもするだろうさ

前々から思ってたんだけど、関羽と顔良って面識あるんだろうか?
衣装や馬に「関羽」とか書いてあるわけないだろうし。
高級指揮官の一人だとはわかるかもしれないけど、
誰かまでは、ちょっと「?」な感じ。
ヒゲは生やすのが当然の時代だしなあ
96 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/04/11(水) 00:02:12 ID:iL2e3hOX0
不意打ちだからとかそういう問題じゃないでしょ。強い弱いったって、鉄の体をもつワケじゃあるまいし
そんなのはどうでもいいというか。ようするに胆力が凄いって話で
97 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/04/11(水) 00:03:19 ID:9KYrRIMk0
>>95
不意打ちの話には続きがあって劉備は袁紹軍の武将たちに関羽の情報があったら自分に伝えてほしいって言って回ったらしい。
そのとき何らかの特徴を教えたんじゃないか?それに昔の武将は他とは違う鎧や服装をしてて戦う前に名乗りあいそれから正々堂々勝負するってのがあったからな武将たちの間だけで。
98 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/04/11(水) 11:03:42 ID:VbWB9jFo0
馬鹿でかい青龍円月刀持ってたんじゃないの?
正史だと青龍円月等も無し??
99 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/04/11(水) 15:55:29 ID:Mm08oETXO
>>98
正史だと、ってか当時そんな武器を製造する技術がないはず。
100 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/04/11(水) 16:17:27 ID:YT5LphXb0
確か宋代の武器だっけか。
槍は三国時代だっけ?最初に作ったのは例の人という説もあるが。
103 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/04/13(金) 02:31:51 ID:cFB8ik510
中松は発明よりもプレゼン上手。
105 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/04/13(金) 17:21:38 ID:GyvOKFBbO
>>103
いやいや、ドクターのことだ、きっとプレゼン上手になる発明をしたんだよ
だからやっぱり発明上手

んで発明上手になる発明もしたんだろう






あれ?
106 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/04/13(金) 18:40:40 ID:49zpbT5g0
>>95
高級指揮官?
偏将軍でか?
そんなバナナ
偏将軍は高級指揮官どころか現場監督ですらないぞ
107 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/04/14(土) 10:50:33 ID:/qjavTvr0
兵馬の権限のない名誉職らしいな。
しかし身なりはキチっとしてただろう、って事を言いたいのでは?
109 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/04/23(月) 19:32:45 ID:wTYsmcgZ0
袁紹は好きな武将の一人。横光でもゲームでも顔もカッコいいし。
でも無双では微妙に黄色い衣装で敵と見分けがつかない。
111 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/04/23(月) 20:05:23 ID:XP0MM5oG0
でもイメージは豪華な色だから黄色以外あまり思い浮かばないんだが。
119 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/04/27(金) 11:53:53 ID:T35um6Hm0
サムライブルー・・・
思わずドイツ大会の惨敗を思い出しちまったよ。
121 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/04/28(土) 06:09:21 ID:C/pxkiN70
無双の袁紹は、百式みたいに戦場でキラキラてかってても良いと思うんだ。
無双モードになると、黄金のオーラで周囲にフィールドを作るとかさ。
そんなんだったら爆笑する。
122 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/05/16(水) 01:47:47 ID:+q5rYEU+0
曹操は攻め、つまり積極的だったのに対して、
袁紹は守り、つまり消極的だったように思う。
123 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/05/16(水) 09:32:48 ID:H8bDMueA0
>>122
攻めたのは袁紹じゃないのか?
曹操が攻めに転じることができたのは、袁紹が死んだからだと思うな。
124 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/05/16(水) 20:31:21 ID:K8teGEVe0
曹操と袁紹の力関係そのものが官渡まで歴然たる差があるしな。

袁紹

・ほぼ無傷の状態の華北を抑えている。善政と名士の協力で支配も安定
・鳥桓も従え、後顧の憂い無し。安心して黄河を渡河出来る。華北を抑え然る後に南下するのは戦略の王道である
・更に強兵産地の二つ(幽州騎兵と冀州強弩)を握っている圧倒的勢力
・軍団の戦闘力だけなら最強の公孫瓚を最終的に撃破した軍事・戦略の才
・曹操があそこまで台頭しなければ、困難はあれども(袁家は漢室の栄光によって成り立つ名家の為)新たな統一王朝を築けたであろう第一級の英雄
・馬鹿な長男と野心的な三男が悩みの種

曹操

・一応献帝を擁しては居る
・でも徐州虐殺やら何やらで名士どもは彼に面従腹背している状況。民心も不安定。劉備(漢の御輿になり得る男)にもソッポを向かれた
・後ろに劉表と孫策が居る。降伏した張繍も前科があるので信用出来ない。よって全兵力を袁紹に向けられない
・屯田制である程度の財源を確保したが、本来豊かな中原は戦争の連続で疲弊している
・孫子の兵法を完成させ、青州黄巾・呂布・袁術らとの血みどろの戦いを制した当代最高の兵法家、苦労を重ねた不世出の英雄
125 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/05/16(水) 21:20:17 ID:H8bDMueA0
袁紹にしろ、劉表にしろ、当時の最大軍閥を曹操が打倒したのは後継争いにつけこんでのことで、その死後だったというのが、なんかラッキーさを印象付ける。
127 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/05/19(土) 17:38:20 ID:RGAjykif0
生年は兎も角、月日は記録には載っていないだろうな。
当時は数え年で、生まれた年の1月1日を誕生日にしていたからな。
128 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/05/21(月) 17:40:53 ID:wpgDuemV0
袁紹は、曹操がいなければ天下統一していた。
ただ曹操が化け物だったから負けただけ。
129 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/05/21(月) 19:14:04 ID:UIzURTIe0
>>127
そうですか。残念です。宿曜とかで見れば袁紹と曹操の関係で
面白い結果になりそうな予感がしたのですが。

それにしても袁紹って、不思議な魅力があります。憎めないし、
記述でも横山でも無双でもかっこいいという貴重な人物だと思います。
130 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/05/21(月) 23:44:03 ID:wpnb0huo0
曹操どころか魏だって統一できなかったのに、そう簡単にいくのか?
131 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/05/22(火) 00:01:30 ID:OBdRl8j9O
予州の名士達や朱霊やらに見限られた袁紹がそんな簡単に天下統一出来るとは思えない。
132 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/05/22(火) 00:13:54 ID:e89HN2570
曹操陣営から袁紹陣営に下った人って有名どころではいないよね。
これは実際にいなかったのではなく、書かれていないだけという妄想もとい推察は可能?
135 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/05/22(火) 20:54:27 ID:pES7f5PKO
>>132
官渡後に袁紹陣営への内通文書がたくさん出てきたってのは演義の話だっけ?自分は、袁紹は結果的に負けたから史書にかかれていないだけで、袁紹陣営に寝返った人間は結構いると思う。
136 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/05/23(水) 14:06:30 ID:WLaYqyx20
内通文書を読まずにすべて焼却して赦した話は史料にも書かれているよ。
あんまり指摘されないんだけど
このエピソードは曹操陣営の機密情報は袁紹陣営にだだ漏れだったことを示しているんだな。
137 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/05/23(水) 16:01:24 ID:+mCN+aB00
>>136
でも袁紹陣営から寝返った奴が重大機密もって投降したんじゃなかったっけ?
つまりどっちの陣営からも寝返った奴が居て、どっちの情報も漏洩してたってことかい?
139 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/05/23(水) 23:01:08 ID:+mCN+aB00
なるほど。長期戦なんかにはよくありそうだね。
戦のはじめは情報戦かっ。
140 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/05/23(水) 23:46:19 ID:5nf7n0cq0
お互い漏れてた情報を曹操のほうが上手く拾い上げて利用し
紙一重の勝利を掴んだ、というところだな

袁紹ってケチをつけるがそんなにないけど、歴史の変革を自らリードする
みたいな印象があんまりないな
エキセントリックな公孫賛や曹操と対照的に
141 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/05/23(水) 23:50:34 ID:qTj1eE+nO
>>140
宦官を殺したり漢の皇帝の権威を否定したり当時最大の過激派
143 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/06/06(水) 23:00:46 ID:QXYmkP8U0
黄巾の乱の起こったところって、袁氏の本拠地あたりじゃないの?
144 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/06/07(木) 02:05:14 ID:a5+e2Mbz0
袁氏の本拠地は汝南だろ。黄巾いたっけ?
146 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/06/07(木) 16:51:44 ID:EA5OeueVO
>>144
何故、汝南が出てきたのか知りたい…
袁紹の根拠地は冀州(ギョウ)
その前は渤海。
黄巾の乱は、河北から河南は長江辺りまで紛争がおきているので、汝南ももちろん含まれているけど。
反乱の拠点は河北。
147 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/06/07(木) 19:04:56 ID:AMj0We8w0
>>146
>>144は「袁氏」の本拠地って言ってるよ。
>>143が勘違いしてるんだと思われ。
148 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/06/07(木) 20:16:00 ID:EA5OeueVO
>>147
ありがとう、自分も勘違いしてた。
袁氏は汝南だ…
149 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/06/08(金) 18:43:12 ID:n5uyeExAO
官渡時にその本拠に劉備を派遣した袁紹の思惑はいかに?凡将には任せられない気がする。あるいは親袁勢力の力が強いから凡将でも十分と考えたのか?

150 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/06/08(金) 20:03:05 ID:DtzqtOhsO
>>149
劉備が豫州牧だから
151 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/06/08(金) 22:30:41 ID:Axm1JnBb0
汝南も元黄巾の劉壁が劉備を逃がすために篭城して曹操に殺されてなかったっけ
篭城できるってことはそれなりに地盤あったんじゃね
152 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/06/08(金) 23:05:30 ID:DtzqtOhsO
劉備を逃がすためは物語なので根拠にならないけど、劉備は曹操自ら攻めてくるまでは曹操派遣の将を破ってるし、袁氏にくみする奴も多かったんだろう
155 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/06/19(火) 23:43:45 ID:XZd57zT30
袁術が滅びた後、その配下で袁紹の下へ行ったのっている?
156 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/07/09(月) 10:52:43 ID:UqzWgn9j0
>>155
袁術本人が行こうとしてた
157 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/07/26(木) 10:38:12 ID:Qrncy8dn0
>>83
そもそも、郭図の進言は結構成功してるんだが……。
例えば緒戦に白馬津を攻めた時は、
顔良こそ討たれたが、郭図・淳于瓊が関羽・張遼を破って白馬津を奪取してる。
そこで延津を渡っていた曹操軍は孤立を恐れて引き上げるハメに。
追撃に出た文醜こそ死んだが、袁紹軍はその後も勝利を重ねて官渡に曹操を追い詰めてる。

郭図は短期決戦を勧めただけじゃなくて、それで勝つための策もちゃんと用意していたようだ。
158 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/07/30(月) 12:12:22 ID:m2qnapye0
もし袁紹が勝利して政権を樹立していたら、
劉備はちゃっかりその幹部に収まっていたんだろうか?
160 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/07/30(月) 12:46:32 ID:ztmNXIOC0
命綱の烏巣が切れかかってるのに、
落とせるかわからん官渡を無理攻めするセンスが理解できん。
拙速にもほどがあるよなあ。
161 :草中の豎子2007/07/30(月) 13:24:43 ID:A06jMSzE0
>>160
一応、郭図の進言で烏巣にも軽装騎兵を援軍として向かわせたよ。
官渡の無理攻めを執拗に進言してたのも郭図だけど
163 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/07/31(火) 01:59:16 ID:suR8iouT0
張コウ・高覧が自発的に裏切ったから袁紹軍が負けたっぽいのだが。

そうなると郭図がホントに讒言してたかはビミョー。
164 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/07/31(火) 23:24:51 ID:QVK6oC/50
袁紹はかなりできる男だぞ。
官渡も許攸というドブネズミが不幸にも自軍内に居たため敗戦。
このドブネズミのお陰で、統一が長引き多くの民が戦火に喘いだ。

名門といえど、冀州領有までは身一つ。が冀州豪族、沮授のような
曹操における荀?以上の同盟者(沮授は唯一後漢の官位を持つ袁紹軍豪族)
を従える事に成功。 名門といっても汝南の袁氏はせいぜい3代程度で
浅い家柄なので、乱世になり強力な軍事能力を発揮できるほど熟成期間
がなかった。 

袁紹は貴族と親交をもつより、豪族や能力ある人間と親交を持った。

戦争屋の公孫瓚を、外交を駆使し破ったのは決して幸運ではなく、彼の
軍事能力と外交手腕を物語っている。袁煕は外交をやったらしい。

本家の本拠汝南に居る袁術が袁紹よりはるかに優位にも関わらず袁紹ほど
強大な勢力を築けなかった事を見ても、4州を自力で獲得した袁紹・・
並の男じゃねぇ。 イケメン といっても過言ではない。

200年地点では、彼の能力は、劉備、孫策以上と言える。対等なのは
曹操だけだっただろう。

郭図は中央サイドの人間だから、豪族系とは思考の系列が違う。
これが軋轢を生んだんだろう。
165 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/08/01(水) 00:13:06 ID:eYZeOu4U0
郭図が讒言は捏造じゃないかと思うぜ。郭図は中央寄り、言ってみれば
荀?のような系列と言えるかもしれない。そういう人間が魏書の側から
見て袁紹の配下にいる事の不具合。
袁紹関係への偏った評価は当時からあったのかもしれない。
自称作家孫盛以前に。
 
同じような荀?の一族荀?に至っては、存在そのものがオミットされて
いる。 郭図の最後や行動を見ると比較的正統的な考えをもつ人間だった
ことが想像できる。 
連投スマン。もう書きません>Q<
166 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/08/01(水) 00:20:49 ID:5Oq2HY+90
>>165
そもそも、讒言っていっても沮授の件と張コウの件だけだしな。
しかも「(冀州豪族の)沮授が軍権を独占してるのは危険です」ってのは
正当な進言だから讒言とは言えないだろうし、
張コウの件については存在したのかすら怪しい。
俺も郭図は讒言なんかしてないと思うぜ。
167 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/08/12(日) 11:41:47 ID:fscLEIf10
つか張コウも張繍も自分を売り込むタイミングが凄すぎるんだよ
168 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/08/12(日) 12:25:45 ID:/N51pFqp0
勝ち組てことなんだろうな。 沮授に関しても袁紹軍団で異質の存在
だから、軍の権力関係で袁紹との間に軋轢が存在してても不思議
じゃない。沮授個人との問題である証拠に沮授の一族はその後も
城主等重用されている。  

袁紹は歴史の敗者だからしかたないが、官渡も長期戦に持ち込む必要は
なく許攸が裏切らなければ勝っていたのでif論としてじゃなく戦術面では
曹操軍の兵站などから見ても正しかった。

袁紹としては自身の寿命と後継者という問題がある以上、勝算が立つなら
早期に決着をつける必要があったんだろう。

ただ運も実力、結果が全てなので敗者の袁紹は曹操には及ばないとは
言うしかない。
169 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/08/17(金) 06:00:18 ID:3zaXxjrC0
張コウなんか、どう考えてもやった事は小早川秀秋と同じ穴の狢なのに、そういう評価は無いよな。
演義や正史で「郭図に讒言された」とあるのが免罪符となっている。

張繍は一代の梟雄として凄まじいので、あんまり非難する気持ちはおきねぇなぁ。
劉表が本気で助けに来たなら裏切らなかったと思うし。
172 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/08/19(日) 18:16:24 ID:4qBQgpQw0
袁紹軍の崩壊を象徴する人物だからってのもあるだろうな、こいつだけならともかく
一連の戦闘で離脱した奴が多すぎた。
しかも旧袁家の人材は優秀な奴が多かったのも大きい。
173 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/08/31(金) 23:18:43 ID:PRiP/qaE0
何気に光武帝劉秀と同じような地域に勢力を張ったんだな、袁紹って。
ちょっと目標とか、参考として意識していたかな。
174 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/08/31(金) 23:57:14 ID:Ul5OtoKiO
もしかしたら、官渡で曹操を破った暁には、味方の内応文書を読みもせず焼くつもりだったかもしれない、って、そんな分けないか。
175 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/09/01(土) 08:46:56 ID:wJ/ZFy/a0
劉秀はいろんな意味で、後代の群雄の指標だったみたいね。
袁紹は知らんが、曹操も諸葛亮も、はたまたハカイダー朱温も。
176 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/09/01(土) 23:10:48 ID:nRxV66/60
少なくとも三国志の時代の群雄にとっては、
一番直接的に参考になるね、光武帝の天下統一の過程は。
177 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/09/02(日) 23:01:25 ID:a6Wt6TFa0
なんで対曹操戦では焦ってたんだろ。
やっぱ献帝擁立されて、逆賊扱いされるのが嫌だったんかな?
荀?が離れて行かなければなぁ。
178 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/09/02(日) 23:40:40 ID:TSf6JEZC0
子供の頃からの知り合いらしいし、途中までは部下のような
感じ。それがいつの間にか自分に挑もうという勢力になり、
皇帝まで抱え込んでいる。
公孫サンとかには抱かないような感情があってもおかしくはない。
179 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/09/03(月) 11:46:45 ID:w1R2efXV0
>>164
名門袁氏というものが強調されすぎているきらいがあるね。
180 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/09/07(金) 04:36:18 ID:NMFeSnxh0
なんか誤解してる人が多いと思うんだけど、
烏巣の戦いは官渡の勝敗と全然関係ないよ。
官渡で勝敗を決めたのは張高の寝返り。
181 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/09/07(金) 05:02:33 ID:NMFeSnxh0
と思ったけど俺の脳内資料だったかもしれん。忘れてくれww
183 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/09/12(水) 01:25:43 ID:WFEuRny00
>>180
そこで張コウのせいにするような集団だから負けた。
てことなんじゃね?
184 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/09/12(水) 10:56:21 ID:Kfrtre2q0
曹操と比べて部下の統率・扱いが下手だったのが敗因ってよく書かれるよな。
実際は知らんが。
185 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/09/12(水) 11:55:06 ID:zbYh5XhV0
とある論文では、袁紹の君主権力は弱く、曹操の君主権力は強かったから負けたのだ。
と説明されてるわけだが、
186 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/09/12(水) 12:32:31 ID:d2EY/LPc0
袁紹の君主権力が弱かったのは事実だが、
同様に君主権力が弱い孫権が赤壁で勝ってるんだから勝敗とは無関係だと思う。

孫権が赤壁で魯粛と結託して君主権力を取り戻したのと同じように、
袁紹は官渡で郭図と結託して君主権力を取り戻してるよね。
187 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/09/12(水) 19:52:18 ID:Q6P6SAof0
その意見は妥当ではない。官渡と赤壁では状況等がまるで違う。
官渡と赤壁での人物構成、軍隊構成、地形等を詳細に調べ上げて、比較検討した上でじゃないと。
自分が読んだ論文ではあくまでカントの戦いについてだけ。
189 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/09/13(木) 11:29:01 ID:VuST+g590
確かに官渡以前の袁紹は君主権力が弱かったけど、
官渡大戦は郭図のおかげで君主権力を取り戻してるだろ。

いままで要職を占領していた田豊・沮授らの豪族を追い落とし、
淳于瓊・郭図ら袁紹が呼び寄せた名士が大活躍する戦だった。
君主権力が弱かったから負けたってのは妥当ではないと思う。
190 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/09/13(木) 12:18:37 ID:e8u8hoCY0
>>185のレスだけじゃ、はしょられすぎて判断が出来ないな
191 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/09/13(木) 12:31:05 ID:Uq7dPAKG0
185ですが、私が読んだ論文というのはこれ。
渡邉義浩『三国政権前史―袁紹と公孫サン―』

192 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/09/13(木) 12:40:24 ID:7LzcQhVM0
>>187
その論文のタイトルか、要旨くらいでも紹介してくれないと、
こっちの論文に書いてるから、だけじゃ対話にならないよ。
内容を全く知らされてないのに、その意見は不当と言われる身にもなってよ。
別に反駁するわけじゃないから、せめて手順くらいは踏んで。
193 :1922007/09/13(木) 12:41:06 ID:7LzcQhVM0
うえ、行きちがいだったか。>>191乙。
194 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/09/15(土) 03:34:42 ID:+UvLZgUN0
まあ研究者はあれやこれやと理由を付けたがるけど、実際には運と計略によって勝てたってのが実際だろう。
先に挙げた君主権力云々も、史料上から伺えることに過ぎないわけだし。
195 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/09/19(水) 21:34:03 ID:0aYV/JU60
>>189
ただ、いかにもタイミングが悪かったかもね。
河北平定までは今までの体制でうまくいってたのに、官渡前に
がらりと変えてしまった。その結果敗北。
でも、体制を変えずに戦いに臨み、
それで負けたら負けたで、「袁紹は旧体制に固執するあまり、
組織改革を怠ったので負けた」とか言われそうだし。
難しいところだ
196 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/09/19(水) 23:20:54 ID:09hLZNXC0
>>195
郭図や淳于瓊は闇雲に短期決戦論を主張していたわけじゃなくて、
白馬津で関羽・張遼を敗走させて渡河拠点奪取したり、
曹操軍のゲリラ戦を虱潰しにして官渡まで追い込んだりと、
勝算を持って短期決戦に挑んでいたようだったけどね。

駄目を打ち続けて負けたようなイメージだけど、
顔良・文醜のような小粒の将が落命してるだけで
全体的に袁紹軍のイケイケムードだったはず。
198 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/09/20(木) 16:58:00 ID:8ZZ0+gIi0
武帝紀や荀イク伝によると顔文には名将の誉れがあったそうだが、
現存する史料にそれを裏付ける記録はないよ。麹義程度の記録すらない。
曹操や荀イクを称揚するために好敵手として理想化されている疑いもあるね。
どっちにしても本陣付きの中堅部将で、曹操軍でいうと于禁クラスだよ。
199 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/09/20(木) 19:45:22 ID:KovWsCYz0
于禁が落ち目となるのは10年以上後の話で、
官渡の頃の于禁は敵兵数万を投降させ敵将42、3人を捕縛するなど神がかってるからなぁ。

顔文を曹操軍の人となぞらえるなら朱霊とか牛金あたりじゃないかね。
200 :名無しさん@お腹いっぱい。2007/09/20(木) 22:44:42 ID:XzFwBkbj0
朱霊は張遼・徐晃・張コウと同格だし実績もあるからなあ。

董卓軍の華雄とか、曹操軍の(曹操の時代じゃないが)王双あたりじゃないか?
実績ないけど、演義のイメージのまま強将の印象が抜け切ってない。


vip_2ch_news at 01:38│Comments(0)TrackBack(0)中国英雄 

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