【異聞】 AKABOSHI vs 月の蛇 【水滸伝】【隋唐演義】 田中芳樹 【徳間書店】

2010年12月28日

項羽と劉邦 その2

1 :名無しさん@お腹いっぱい。2008/08/24(日) 13:27:55 ID:n4P+Ebun0
基本的には、項羽と劉邦、楚漢戦争メインで語るスレですが
周辺人物、秦の治世、前漢建国後の事象など、語りたいことが
あるならば、何でもありで存分に語り明かすスレです

前スレ:▲▲   項羽と劉邦   ▲▲
http://hobby11.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1161621239/


2 :名無しさん@お腹いっぱい。2008/08/24(日) 13:30:43 ID:i7S5s5x80
まずは魯侯奚涓って何者よ?ってことから
5 :名無しさん@お腹いっぱい。2008/08/24(日) 23:29:47 ID:kU7/gcOf0
>>2
どうにも謎な人

しかも列侯に封ぜられた漢の功臣の序列では、蕭何、曹参、張敖、周勃、樊カイ、
レキ商 に次いで七番目というからますます謎

その下にやっと夏侯嬰や灌嬰、傅?、キン歙、王陵らがくるといふ
6 :名無しさん@お腹いっぱい。2008/08/24(日) 23:49:47 ID:j3nHL+250
魯侯奚涓という人物の具体的な事跡ってどれくらい分かってるんでしょうか。
史記にも漢書にも列伝は立てられてないですよね?
7 :名無しさん@お腹いっぱい。2008/08/25(月) 00:06:12 ID:aeI6lkIY0
>>5
あるとしたら、樅公の本名かもしれない、ってくらいか
8 :名無しさん@お腹いっぱい。2008/08/25(月) 00:24:16 ID:oD/jxDLQ0
訳せる人頼む

劉疵墓
開放分類:旅遊、山東、名勝古蹟、古墓
位於山東省臨沂市城北南坊鎮洪家店村西北隅。 1978年5月臨沂市廣物組對該墓進行發掘。出土一套包括頭、手、足5個部位的金鏤玉衣。
玉衣由1140塊玉片組成,從頭罩到?套長1.8米。是我國迄今發現的唯一的西漢早期金鏤玉衣。
墓主人劉疵身著玉衣,有瑪瑙印章一枚,3把隨葬的鐵劍和兩件銅弩機,?明當系漢宗室成員或有功之臣。

《史記・高祖功臣侯者年表》和《漢書・高惠高後文功臣表》記載:奚涓為漢高祖劉邦舍入,隨劉邦起兵於沛,入咸陽後,官拜郎中。
劉邦封漢王后,他為將軍。漢高帝六年(前201年),以軍功封魯侯,食邑4800?,功比舞陽侯(樊?)。
奚涓死後,因無子,封其母疵為侯。疵在位10年,呂后五年(前183年)薨,封除。

墓主人劉疵,很可能就是奚涓之母“疵”(《漢書》作底)。
9 :名無しさん@お腹いっぱい。2008/08/25(月) 00:25:39 ID:oD/jxDLQ0
奚涓その2

魯侯奚涓以舍人從起沛,至咸陽為郎,入漢,以將軍定諸侯,四千八百?,功比舞陽侯,死軍事。
重平六年,侯涓亡子,封母底為侯,十九年薨。
10 :名無しさん@お腹いっぱい。2008/08/25(月) 00:43:44 ID:aeI6lkIY0
>>8
山東省臨沂で見つかった墓の主が劉疵
これが奚涓の母で実際に侯位を継いだ疵じゃないか、っていうことだな

もしそうだとすると、その姓から考えて奚涓の母は劉邦の一族である可能性があるわけだ
それならこの厚遇も納得できる
ただ、魯侯が臨沂に葬られているというのはありうるのかどうかだなあ
11 :名無しさん@お腹いっぱい。2008/08/25(月) 00:45:12 ID:oD/jxDLQ0
高祖六年,?侯奚涓薨,封其母疵代??侯。其后?元公主得?沐邑于?。盖因此而?封母疵?重平侯。
12 :名無しさん@お腹いっぱい。2008/08/25(月) 00:50:40 ID:aeI6lkIY0
>>11
漢書功臣表から、母は魯侯から重平侯に国替えになったことを指摘してるね
でも重平って県は渤海郡になるから、臨沂というのがちょっと微妙になるんだよな

出土品の瑪瑙印章一枚になんて書いてあるのか気になるなあ
13 :名無しさん@お腹いっぱい。2008/08/25(月) 01:01:53 ID:oD/jxDLQ0
中国語訳せる方どうぞ

奚氏の源流について
http://www.10000xing.cn/x045/bbs/show.asp?id=4
劉疵の墓 (>>8のソース元)
http://baike.baidu.com/view/1497099.htm

>>11はミスです
14 :名無しさん@お腹いっぱい。2008/08/25(月) 01:12:15 ID:oD/jxDLQ0
>>12
魯元公主と魯国絡みの資料を探してみました
奚涓の名前もほんの少し記されているようですが参考になるでしょうか?

・魯元公主小考 (中文)
http://www.bsm.org.cn/forum/viewtopic.php?p=7176
15 :名無しさん@お腹いっぱい。2008/08/25(月) 22:24:35 ID:aeI6lkIY0
>>14
これはどっちかというと魯元公主の称号とかの考証が主のようだね
奚涓関係では、「呂后時代に魯は公主のものになってるから、それまでに奚涓の母は重平に国替えされたんだね」みたいなことが書いてあるくらいか?
18 :名無しさん@お腹いっぱい。2008/09/11(木) 20:43:00 ID:Q+KAabgn0
項羽は侠と芸術家肌の香りがするから困る
北方謙三節がハマると思うぞ【妓女に逢え=ソープに行け】
19 :名無しさん@お腹いっぱい。2008/09/12(金) 15:42:10 ID:UMvs9W2q0
韓信てヒッキー気質があるけど、その時何やってたんだろ
情勢判断や戦術を練っていたのかな
20 :名無しさん@お腹いっぱい。2008/09/12(金) 23:48:52 ID:Gr3hlhGA0
>>19
韓信はヒッキーじゃないぞ。
亭長の家に居候したり、往来で股をくぐったり、
いろいろアクティブに行動してる。
21 :名無しさん@お腹いっぱい。2008/09/14(日) 15:06:06 ID:D6X2r8S90
───アタシの名前は項羽。心に傷を負った武将。コワモテマッスルで好戦体質の愛され覇王♪
アタシがつるんでる友達は楚の軍師をやってる范増、秦王朝にナイショで楚で働いてる鍾離昧。訳あって額にイレズミをいれてる英布。
友達がいてもやっぱり楚はタイクツ。今日も亜父とちょっとしたことで口喧嘩になった。
ジジイ相手だとこんなこともあるからストレスが溜まるよね☆そんな時アタシは一人で漢軍を蹴散らすことにしている。
がんばった自分へのご褒美ってやつ?自分らしさの演出とも言うかな!
「あームカツク」・・。そんなことをつぶやきながらしつこい彭越を軽くあしらう。
「項羽ー、ちょっと和睦してくれない?」どいつもこいつも同じようなセリフしか言わない。
漢の武将はカッコイイけどなんか薄っぺらくてキライだ。もっと等身大のアタシを見て欲しい。
「すいません・・。」・・・またか、と国士無双なアタシは思った。皆殺しするつもりだったけど、
チラっと漢の武将の顔を見た。
「・・!!」
 ・・・チガウ・・・今までの武将とはなにかが決定的に違う。陰陽太極な感覚がアタシのカラダを
駆け巡った・・。「・・(カッコイイ・・!!・・これって運命・・?)」
男は劉邦だった。連れていかれて和睦した。「キャーやめて!」後背を突かれた。
「ガッシ!ボカッ!」アタシは死んだ。四面楚歌(笑)
23 :名無しさん@お腹いっぱい。2008/10/12(日) 00:14:35 ID:Z80d89ed0
項羽は、いくら何でも殺しすぎ。
秦兵虐殺や関中での暴挙は、秦への憎しみの表れとも言えるが・・・・
その後も、皆殺し路線から離れなかったのは致命的だろう。
項羽に対して意見を言える人間が、范増以外ロクにいなかったのも話にならんな。
24 :名無しさん@お腹いっぱい。2008/10/12(日) 16:44:36 ID:jZrl/DvT0
>>23
新安の秦兵虐殺や咸陽焼き討ちの時には范増いたのに止めなかっただろ。
むしろ范増がいなくなってからの方が人の意見聞いてるような気がするぞ。
広武山で劉太公を殺そうとした時は項伯に諫められて止めたし、外黄を落とした時には
少年に説得されて皆殺し命令撤回してるしな。

項羽だって話せば分かるw
25 :名無しさん@お腹いっぱい。2008/10/12(日) 17:28:15 ID:BoNXbVwh0
>>24
関中までの道程で、楚軍の虐殺行為を范増に咎められてた気が。
秦兵虐殺や阿房宮放火、子嬰や民の処刑の時には、もう范増も強くは
止められなかったのだろうか・・・・・
将兵は、項羽に意見など出来なかった様だが。
太公に関しては、人質としての戦略的価値を優先した様な感じだ。
項羽は、確かに理を説けば応じる事も少なくなかっただろうが、一時の
感情や雰囲気で簡単に殺す奴だったと思うよ。
外黄も、相手が子供だったから納得した様なものだろう。
26 :名無しさん@お腹いっぱい。2008/10/12(日) 17:44:19 ID:YJ1kZ1CQ0
そもそも項羽なんて天才だから見落としがちだけど死んだ時まだ30もいかねえ若造だったんだぜ?

そんな若いのに冷静になって先見を利かせて大局を見渡せなんていうほうがあんまり酷だ
27 :名無しさん@お腹いっぱい。2008/10/12(日) 18:21:30 ID:H1KKdGjZ0
なんで項羽が死ななきゃならなかったの?
項羽は何度も劉邦を助けてあげたのに
項羽の方が実力あったのに
何で?なんで劉邦は項羽を助けなかったの!?
劉邦なら項羽を助けられたのに
二回りも年下の男を不意打ちで殺してまで自分が大切なの?
28 :名無しさん@お腹いっぱい。2008/10/12(日) 21:08:59 ID:8414zY4YO
車から自分の子供を放り出してまで助かろうとするような男ですから、二回り年下の他人なぞ、自分のためなら殺せます。
29 :名無しさん@お腹いっぱい。2008/10/12(日) 21:24:00 ID:Z/7oyHP10
項羽は自分が劉邦よりはるかにすぐれていると思ったから余裕こいて何度も劉邦を見逃した。
劉邦は項羽にはかなわないと思っていたから一度だけのチャンスでしゃにむに項羽を滅ぼした。
30 :名無しさん@お腹いっぱい。2008/10/12(日) 23:17:40 ID:xyZREx6c0
劉あにい「俺は自分のおやぢでもスープにして食っちまえる人間なんだぜ」
31 :名無しさん@お腹いっぱい。2008/10/13(月) 00:39:20 ID:K7qqrS5s0
劉邦:勝利の為なら、親父もスープにする漢。
自分が助かる為に子供も捨てるが、身代わりになって死地へと赴く
部下の為に泣ける漢でもある。
酒好き、女好きでサプライズ好き。
人の意見をよく聞き、来る者は拒まない。

項羽:容赦しない男。
攻めた城は必ず落とし、倍の敵にも勝利を掴む誇り高き戦の天才。
征服して焼き滅ぼし、降伏させて埋め殺す。
自分の気に入った者を愛し、気に入らない者を疎む。
人の意見よりも己の感情のままに動き、亜父すらも疑う。
33 :名無しさん@お腹いっぱい。2008/10/13(月) 07:35:24 ID:H4zSQQBW0
父に対し 平然と煮込みスープ分配をねだる
子に対し 馬車から何度も捨てる
長兄に対し 父から早死にした長兄の子を侯にするように言われると「あの兄嫁の子だから」と拒否
次兄に対し 諸侯があつまる宴席で父に「父上はかつて次兄が働き者で私がろくでなしだと言われましたが、今でもそう言えますか」といい笑いものにする

劉邦は家にいたころは家族からよほど悪い扱いを受けていて、自分の一族が大嫌いだっただろうな。項羽と正反対だ。
34 :名無しさん@お腹いっぱい。2008/10/13(月) 10:13:14 ID:DYdWxi2h0
当時の絶世の美女は項羽を選びました
最期の最期まで項羽について行きました
それは項羽のうちに秘めた優しさに気付いてたからです
それに比べて劉邦を愛したのは糞ビッチ
37 :名無しさん@お腹いっぱい。2008/10/13(月) 19:10:42 ID:jrwb7wa30
>それに比べて劉邦を愛したのは糞ビッチ

なに言ってんのこいつ
38 :名無しさん@お腹いっぱい。2008/10/13(月) 19:34:27 ID:pIYwG6AN0
>>37
呂后のことじゃないか?
あの、人豚やった人。
39 :名無しさん@お腹いっぱい。2008/10/18(土) 01:22:42 ID:WnX6aseBO
呂后も結構苦労してるな
ろくでなしの劉邦に嫁いだせいで若い頃は貧乏暮し
戦場をたらい回しにされるわ項羽に人質にされるわ
漸く天下が治まったと思ったら旦那は若い愛人いっぱい囲むわ
さらに自分が腹痛めて生んだ子をけなされ、愛人の子の方が優遇される
人豚はやりすぎだと思うが、ビッチだとは思わん
40 :名無しさん@お腹いっぱい。2008/10/18(土) 22:35:31 ID:V6aLYgtG0
確かにドス黒い面はあったと思うが、呂后は女性にして結構優秀な
政治手腕だったと思う。
苦労したから処世術に長けたのだろうか・・・

とにかく、項羽はやり方が乱暴過ぎた。
よく天命とか言うけど、これだけ滅茶苦茶やれば滅亡するだろ。
41 :名無しさん@お腹いっぱい。2008/10/22(水) 00:10:01 ID:nl90OFEz0
呂后の時代は民衆にとっては穏やかに暮らせたいい時代だったそうだよ。
宮中での権力争いに目が向いてただけで、呂后が何かしたわけではないけど。
42 :名無しさん@お腹いっぱい。2008/10/23(木) 00:18:17 ID:SgruAds1O
>>41
煩雑な法律や手続きを改正して分かりやすくしたんじゃなかったっけ?>呂后

戚夫人もなー、宮中の権力争いで負けたら死は普通にありえることだから仕方がない
もし呂后が何もしてなかったら死んでたのは呂后とその息子だったかもしれないわけだし
43 :名無しさん@お腹いっぱい。2008/10/23(木) 22:12:43 ID:vLdn4ktg0
>>42
でも人豚はかわいそうすぎる。首刎ねるだけにしとけば良いのに。塩漬けだか干物にされた彭越もかわいそう。
44 :名無しさん@お腹いっぱい。2008/10/23(木) 22:51:24 ID:XYxMzkYp0
わざわざそれを息子の孝恵帝に見せるのが悪趣味だよな。
それを見た孝恵帝は叫び声を上げて「これは人間のすることではありません」って言ってトラウマになり、以後政治を放棄して早死にしたというし。
45 :名無しさん@お腹いっぱい。2008/10/23(木) 23:29:04 ID:vLdn4ktg0
>>44
そんな母に自分を文字通り投げ捨てた父。よくまともに育ったなぁ。誰のおかげだろ?
46 :名無しさん@お腹いっぱい。2008/10/23(木) 23:51:56 ID:YzAeAjXv0
家臣たちががんばったんじゃないか。

漢の初期って宦官はすでに沢山採用されてたのかな?
47 :名無しさん@お腹いっぱい。2008/10/24(金) 00:46:02 ID:/RBtg+f+O
呂后も劉邦に嫁いだ当初は妻は自分一人だし、貧乏にも堪え忍んでいたわけだし、
その頃は普通に良妻賢母やってたんじゃ?
人豚なんて権力もってないとできないことだし、富や権力持つと人は変わるというしな
48 :名無しさん@お腹いっぱい。2008/10/25(土) 15:11:37 ID:KDzcJ6Po0
劉邦も統一後は変わったからな・・・・
韓信や英布、彭越と優秀な将軍がいれば、北方異民族にも負けない強い国に
なっていた気がする。
中央集権の弊害かも知れんし、韓信や彭越は弱味に付け込んで領土得た様な
もんだがね。
彼らに互いを監視させつつ、統治するくらい出来た気もするが。
張良も保身や謀略に長けてる割に、肝心の政治手腕は不得手だったのか?
さっさとトンズラしないで、国作りにも尽力して欲しかった。
50 :名無しさん@お腹いっぱい。2008/10/25(土) 19:21:35 ID:h1uy3kP50
>>48
そんな簡単にはいかないもんだよ。
だから粛清が起こる。
51 :名無しさん@お腹いっぱい。2008/10/25(土) 23:09:24 ID:rXKPRLZK0
張良は太子問題で呂后に恩も売ったし、政界にいても粛清は免れそうだけどな
案外本気で仙人目指してたりして
52 :名無しさん@お腹いっぱい。2008/10/26(日) 17:01:50 ID:cgXKx+qC0
しかし呂后の大きなお世話のせいで仙人になりそこなったw
さすがの張良もそこまでは読めなかったか。
53 :名無しさん@お腹いっぱい。2008/10/27(月) 00:11:41 ID:gU9meghQ0
実際晩年の劉邦に何が期待できるのかって所も…
トチ狂いの域じゃん
54 :名無しさん@お腹いっぱい。2008/10/27(月) 21:00:19 ID:+hAELMNy0
項羽と劉邦読み始めました
それまで堅い文章ばかり読んでたんで面食らうけど、痛快です
56 :名無しさん@お腹いっぱい。2008/10/28(火) 16:47:56 ID:GEG9cUlB0
>>48
高祖と呂后がそいつらを始末したのは正しい判断だろ
57 :名無しさん@お腹いっぱい。2008/10/29(水) 00:55:31 ID:xybExq/80
>>56
確かに帝国維持の為には、反乱分子を未然に消した事になる。
だが、特に韓信は軍事能力は、後の北方民族の侵略などの際には
大きな損失だったと思い返せる気がする。
英布の反乱も韓信、彭越と続く粛清に怯えたからで、仮に英布が
それ以前に反乱していても、韓信存命なら鎮圧は容易だったはず。
結局、劉邦が出て寿命を縮める羽目になったわけで・・・・。
さらに言えば、韓信も格下げにしたのが反乱の芽に繋がった。
確かに反乱未遂の事実はあったが、それも劉邦の猜疑心によって
結果的に追い詰めた気がする。
59 :名無しさん@お腹いっぱい。2008/10/29(水) 01:18:00 ID:KrV90igM0
統一前に自分の主に対して「褒美くれないと兵出さないよ」って公然と駆け引きしちゃってるからな韓信
劉邦の警戒も当然だと思う
60 :名無しさん@お腹いっぱい。2008/10/29(水) 01:32:54 ID:723RJWBo0
結局、呉楚七国の乱が起こってるわけで
王を身内に挿げ替えたのもあんまり効果なし

まあ、身内じゃなかったら呂后死亡後の文帝即位前後の辺りがヤバそうだが
61 :名無しさん@お腹いっぱい。2008/10/29(水) 01:43:00 ID:KrV90igM0
>>60
実際に乱が起こるまで数十年かかったんだから、効果はあったということだよ
62 :名無しさん@お腹いっぱい。2008/10/29(水) 22:48:54 ID:NdoTtVOW0
もし自分が劉邦だったら韓信は警戒するな。
命が危ないときに中々援軍出してくれなかったってのは、後々までしこりになる。
何かあるたびに「そういやあいつ、中々援軍出してくれなかったな」って思い出す。
反乱を起こすまでは行かなくても、いざという時に助けてくれなさそうな奴が
膨大な兵権持って地方にいるのは正直怖い。
韓信は「反乱起こすかも」よりも「いざという時に見殺しにされるかも」の心配がある
63 :名無しさん@お腹いっぱい。2008/10/30(木) 00:03:44 ID:N4lYr4jd0
>>62
韓信は若いし、野心あっても不思議じゃないからな・・・・
やはり、斉攻略の時点で韓信は、劉邦旗下で生きるか天下を目指すかを
明確に決断しておくべきだった。
楚討伐後に劉邦を討つにしても、漢楚斉の三国鼎立にするにしても。
中途半端な態度の臣下を、疑うなと言う方が無理だろう。
統一国家の主となれば、尚更に警戒する。
64 :名無しさん@お腹いっぱい。2008/10/30(木) 00:57:49 ID:OGjUmwcL0
多くの連中は群雄割拠を経験してる荒くれ揃いだし、
劉邦自身が地方の木っ端役人から成り上がってきたからな
第二の劉邦が現れる可能性と危機感は本人が一番感じてたろうね
韓信はともかく、ショウカやハンカイまで疑ったのはやりすぎだと思うけど
65 :名無しさん@お腹いっぱい。2008/10/30(木) 18:13:37 ID:vfzjvWmH0
韓信は確かに優秀だけど信用の置けるタイプではないからな…
扱いには困るかもな。
でも劉邦の粛清は明らかにやりすぎでしょう。
66 :名無しさん@お腹いっぱい。2008/10/30(木) 21:59:06 ID:mzGaIySA0
いや、目の黒いうちに危ない奴は全部消しておくというのは、
権力者としては間違っていない。
67 :名無しさん@お腹いっぱい。2008/10/30(木) 22:27:32 ID:pygM2Pzi0
問題は自分に非が無いようにどう粛清するかだね。
彭越みたいに呂后の告げ口から粛清された者も少なくないけど、
呂后がいなければ命を永らえた者もいたかな?
68 :名無しさん@お腹いっぱい。2008/10/30(木) 22:28:38 ID:Reab4jzz0
>>67
それは呂公に聞いてみないとw
69 :名無しさん@お腹いっぱい。2008/10/30(木) 22:54:53 ID:+simOMTe0
>>66
だが信用は失墜する
70 :名無しさん@お腹いっぱい。2008/10/31(金) 01:16:16 ID:ZS54X+Y+O
天下が安泰になれば(自分に逆らえる奴がいないという意味で)多少の信用失墜なんて
どうということもないだろう。
不安要素の多い部下に兵権持たしたままだと、信用如何に拘らず
攻められる可能性があるから問題だったわけで
71 :名無しさん@お腹いっぱい。2008/10/31(金) 08:55:27 ID:Ls6O08Uv0
>>70
ま、北宋のようにはいかないか。
あの政権は信頼… というか同情に近いもので、不安要素の部下を
封じ込めた、歴史上稀有すぎる例だから。
しかし、どんな理由でも粛清は、武臣を不安にさせるので、混乱と動揺は
長引くことが多い。
本当に危険なのか、単なる猜疑なのか、その辺が問題だと思うな。
権力者側の言い分を書くなら、もう一方、武臣の側の言い分も書いてみて
それで比較してみればおもしろいのではないかな。
まぁ韓信は前歴があるから、言い訳は難しいと思うけどね。
72 :名無しさん@お腹いっぱい。2008/10/31(金) 10:12:43 ID:5z/030uF0
>>71
周勃は身に覚えは無いけど誅殺されるって恐れてたみたいだね。高祖の時代じゃないけど。
73 :名無しさん@お腹いっぱい。2008/10/31(金) 10:24:25 ID:s3dyXdKrO
功十分でそれなりの権限を有し、軍事手腕も折り紙つき
それでいて疑惑・粛清の網に殆ど縁のなかった潅嬰って何気に凄い気がする

こういう余計な自己主張がほぼなくて有能な存在が一番なのかもしれん
74 :名無しさん@お腹いっぱい。2008/11/01(土) 00:29:48 ID:17YBq7tI0
垓下の時項羽追撃を任されたくらいだから漢軍最強部隊だったんだろうな>潅嬰の軍
75 :名無しさん@お腹いっぱい。2008/11/01(土) 01:44:52 ID:vMTrBbBB0
>>71
韓信は危なかったかも知れんが、ショウカを投獄したあたりは完全に単なる猜疑だろうな
76 :名無しさん@お腹いっぱい。2008/11/04(火) 23:18:52 ID:KtZqaJez0
生き延びた蕭何の処世術は、半端じゃなかったんだろうなぁ。
しかし、楚漢戦争で一丸となった漢軍同士の宮廷闘争ってのは、一段と
ドロドロしてて嫌だね。
そりゃ、戦に明け暮れた無骨者じゃ泥沼の権力争いには向かないよ。
77 :名無しさん@お腹いっぱい。2008/11/04(火) 23:21:18 ID:G8E8c9Kf0
>>74
最強というか騎兵の部隊だから追撃を任されたんだよ
有名な項羽を引き裂いた5人もみんな騎兵
78 :名無しさん@お腹いっぱい。2008/11/04(火) 23:32:21 ID:NwVPB8gh0
なんだかんだ言って、ハイ出身組はほとんど天寿を全うしてるんだよな
ロワンは匈奴まで逃げる羽目になったが
なまじ王になんてなったばかりに・・・
81 :名無しさん@お腹いっぱい。2008/11/07(金) 15:59:50 ID:AUg3+QvC0
陳平に才能があったのは、まぁ確かだろうけどね。
「自分は謀略に生きたからロクな死に方しない」とか言ってた辺り、
性格も悪そうには思えない。

しかし、陳平も韓信も項羽幕下にいたってのに・・・・
人材登用も戦略もダメで、平気で帝すら殺す強いだけの項羽が劉邦と
渡り合ったのは、ある意味すごいな。
「強さ」だけなんだが、そのレベルが違うんだろうなぁ。
82 :名無しさん@お腹いっぱい。2008/11/09(日) 00:28:14 ID:fpclV5XOO
司馬遼太郎の項羽と劉邦を読んでいます。
今、項羽が虞を拾ったところまで読んだのですが本当に面白いですね!
後少しで読み終えてしまうかと思うと勿体ないと思ってしまいます…
みなさんの項羽や劉邦関連のおすすめの本を教えて頂けませんか?
84 :名無しさん@お腹いっぱい。2008/11/09(日) 13:54:16 ID:zV4uKH/v0
>>82
本じゃなくてドラマだけど「大漢風」

【楚漢】大漢風〜項羽と劉邦〜二巻目【風流】
http://mamono.2ch.net/test/read.cgi/tv2/1192856892/
85 :名無しさん@お腹いっぱい。2008/11/10(月) 21:11:29 ID:Mo3GKRrm0
>>84
項羽がおっさんくさいよなw
86 :名無しさん@お腹いっぱい。2008/11/11(火) 17:06:40 ID:9v3JYNHq0
>>81
率いてた兵もメチャクチャ強かったんだろうねえ
87 :名無しさん@お腹いっぱい。2008/11/21(金) 02:15:10 ID:jhY4rI8E0
だって確か最後は200人くらいで何万って敵に切り込んだんじゃなかったっけ?
89 :名無しさん@お腹いっぱい。2008/12/22(月) 21:38:42 ID:C6mvd+pE0
>>41
そのとおり。呂后は宮廷抗争を全国に波及させなかっただけ立派。
李氏朝鮮末期の皇后某は食い散らかすだけ食い散らかして後始末は知らん顔だったから
90 :名無しさん@お腹いっぱい。2008/12/29(月) 08:10:47 ID:8NHw3fZY0
ギャオで「漢劉邦」やってる。
91 :名無しさん@お腹いっぱい。2008/12/31(水) 13:15:46 ID:wJ4/fOCC0
欲で人を釣るだけで後は使い捨てるじじぃ皇帝よりも
30代の若く力のある皇帝の方がいいわ
93 :名無しさん@お腹いっぱい。2008/12/31(水) 15:16:16 ID:ROKnC7ZQ0
>>87
項羽の部下、東城で追っ手を蹴散らした時点で残ってたのは26騎。
烏江までの間に更に減ってる可能性あるから最後は20騎くらいか。
追撃してきた漢軍は最初5千騎だったが東城で大損害蒙ってるし
途中で馬がついていけなくて脱落した奴もかなりいるだろうから
烏江で項羽と戦ったのは千〜2千騎くらいじゃないかと。
94 :名無しさん@お腹いっぱい。2009/01/03(土) 05:40:15 ID:kt9/JDyN0
池◆◆◆田◆◆◆大◆◆◆作の本名はソ◆◆◆ン・テ◆◆チ◆◆◆ャク。
小◆◆泉◆◆純◆◆一◆◆郎、小◆◆沢◆◆◆一◆◆朗は朝◆◆◆◆鮮◆◆◆人。
9◆◆◆11では小◆◆◆型の水◆◆◆爆が使用されている。
http://r◆◆◆i■ch◆◆◆ardk◆◆◆osh■im◆◆◆izu.at.we◆br◆y.in◆f◆o/
創◆◆◆価の◆◆保◆◆◆険金殺◆◆◆人事◆◆◆件。
オ◆◆◆ウ◆◆◆ム事◆◆◆件は、統◆◆◆◆一・創◆◆◆◆価.北◆◆◆朝◆◆鮮の共◆同犯行である。
C◆◆◆I◆◆Aが監◆◆修している。
http://www15.o◆◆cn.ne.jp/~oy■◆◆ako■◆◆don/kok_web■site/ir■ig◆◆◆uc■hi.h◆◆◆tm
与◆◆◆◆党も野◆◆◆◆党もメ◆デ◆◆◆ィ◆◆アも全◆◆部朝◆◆◆鮮◆◆◆人だった。
http://jb■bs.li■vedo■or.jp/b■◆◆bs/read.c◆gi/ne◆◆◆ws/20■◆◆92/11◆◆57◆94◆■13◆◆06/

2◆◆チ◆◆◆ャ◆ン寝るは「■とう◆◆◆◆一■教■■会■」が 運◆◆◆営して「個◆◆◆人じ◆◆ョ◆う◆ホ◆◆う」を収集してる。
駅◆◆前で「■手◆◆◆◆◆相を見せてください」 と「カ◆ン◆ゆう」してるのが「■と◆う◆◆◆一◆◆■教■■会■」。(カ◆◆◆◆ルト宗■教)
ユ◆ダ◆ヤ権◆力の◆子◆分→2◆ち◆ゃ◆ん運◆◆◆◆営=「とう◆◆◆一◆教◆会」上層部=層◆化◆上◆層◆部=自■民党清■和会=野党の朝■鮮■人ハーフの政治家=
与党の朝◆鮮◆人ハーフの政治家=金◆正■■日(キ◆ム・ジ◆ョン◆◆◆イル )=読◆◆売サ◆ン◆ケ◆イ=小◆◆◆沢◆十◆朗。
毎◆日■■■新聞◆◆◆スレを荒◆◆◆らしてる◆奴◆◆らも「◆とう■■■一■教■■■会◆」。
荒らしは洗◆◆◆脳するために「ネ◆ト◆ウ◆◆◆ヨ」などのレ◆◆ッテ◆ル◆付◆けレ◆スを何◆千◆◆回もする。
現◆◆◆実には「ネ◆ト◆ウ◆◆◆ヨ」などは存◆◆在し◆◆ない。
http://c◆ha◆ng◆◆◆i.2ch.net/te◆◆st/r◆ea◆d.cg◆i/m◆◆s/12◆30◆36◆◆◆33◆8◆5/
97 :名無しさん@お腹いっぱい。2009/01/06(火) 06:49:28 ID:IV43FiGn0
「勘違いです、勘違いです、確かに私は在日朝鮮人で家族全員創価学会員ですけど
パトロール隊に入ったんだからもう創価学会は関係ありません」が合い言葉のw
創価学会員が通り魔から子供を守るパトロールだといって集団でうろついてるんですが
創価学会員がいつカマを持った通り魔に変身しないかとかえって怖いんですけどwww
なんでも通行人をつかまえての誹謗中傷行為や人権侵害行為も
生活安全課の創価警官の●お願い●でやってあげてるんだとか言ってますけどwwwww

熊本隆談www
98 :名無しさん@お腹いっぱい。2009/01/12(月) 02:52:42 ID:pwtoVNgkO
>>90
それってあれか?
劉邦がピザオヤジで項羽は品性のかけらもない面で字幕が糞のやつ?
効果音が変な
99 :名無しさん@お腹いっぱい。2009/01/12(月) 06:35:56 ID:K6ST3c0r0
100 :名無しさん@お腹いっぱい。2009/01/12(月) 20:07:24 ID:aA1111qY0
項羽の統治って、どうだったんだろうか。
褒賞の不公平は置いといて、実際に民の生活レベルでの統治の実態も
悪かったのかな。
漢の民は随分と平和だったらしいが。
101 :名無しさん@お腹いっぱい。2009/01/12(月) 21:26:18 ID:N063ytZh0
>>100
「兵の親兄弟に合わせる顔がない」って自害するような奴が民衆を大事にしないわけがない
103 :名無しさん@お腹いっぱい。2009/01/12(月) 22:19:09 ID:MYvomn2P0
>>101
言い換えると、親友との商売で儲けを独り占めしたり
臣下にあるまじき奢侈な暮らしをしていたという
管仲のごとき小人は民衆を大事にするわけがないという事ですね
104 :名無しさん@お腹いっぱい。2009/01/12(月) 22:58:54 ID:N063ytZh0
>>103
実際、管仲は民衆は大事にしとらんのだよ
彼がやった事は戸籍へ編入して税金絞る事だし
商人を誘致したってことは、それまでの商売人達はワリ食ったって事
国で塩を作って売るって事は民間の塩製造業者との競合になりこちらでも損をする人は出てくる
105 :名無しさん@お腹いっぱい。2009/01/12(月) 23:15:33 ID:MYvomn2P0
価格の安定は業界団体の保護よりは勝ると思うよ
106 :名無しさん@お腹いっぱい。2009/01/12(月) 23:22:01 ID:N063ytZh0
>>105
安定?
市場原理優先すると価格は不安定になるんだが
108 :名無しさん@お腹いっぱい。2009/01/12(月) 23:43:42 ID:gFmaM8dN0
>>101
再起を願う臣下の声を無視して自分勝手に自殺する奴が民衆を大事にするわけがない
109 :名無しさん@お腹いっぱい。2009/01/13(火) 00:08:42 ID:MggOCyoH0
>>108
いや、再起して長い戦乱を招くよりも、自分が死んで平和になることを願ったんだよ。
立派な男だ。
110 :名無しさん@お腹いっぱい。2009/01/13(火) 00:11:16 ID:YEedKWP50
しかし凄い男だな項羽は
いい大人の欲深いじじぃどもが、形振り構わずよってたかって倒そうとして
結局、奴らでは直接倒せなかったんだし
112 :名無しさん@お腹いっぱい。2009/01/13(火) 00:43:40 ID:LRphSTRi0
>>109
それ言っちゃうと、なんで最初から関中を劉邦に渡して劉邦に下らなかったのか、って話になっちゃうぞ
113 :名無しさん@お腹いっぱい。2009/01/13(火) 08:27:47 ID:MggOCyoH0
>>112
そのときはまだ、自分に天命があると信じて疑わなかったからでしょ。
あなたも、いずれ死ぬからといって、今死のうとは思わないでしょ?
114 :名無しさん@お腹いっぱい。2009/01/13(火) 14:30:23 ID:NhbykC4M0
つうかさ、項羽って死んだ時まだ30にも満たない若造だったんだぜ?
冷静に再起を狙おうとかまで考えてられるほど老獪じゃないんだよ
115 :名無しさん@お腹いっぱい。2009/01/14(水) 01:01:28 ID:ATdTuycq0
項羽にしてみれば、秦討伐の段取りを整えたのは自分の叔父なわけで、
劉邦は単なる客将。
しかも、自分は秦軍とガチで連戦しながら辿り着いたのに、劉邦は特に
戦らしい戦もせずに関中に着いている。
卑怯とは言わないが、このままだと劉邦が項羽を踏み台にして関中王に
なるような印象しかなかったんだろうな。

劉邦を関中王にしないなら、さっさと殺すべきだった。
その中途半端な対応と先見性のなさが項羽の敗因だろう。
「范増すらも使いこなせなかった」というけど、ホントその通り。
116 :名無しさん@お腹いっぱい。2009/01/14(水) 12:06:56 ID:jjGDGgfJ0
>>114
若造が天下とったのを欲深いおっさんどもは気に食わなかった
だからよってたかって殺した訳か。

でもそのおっさん連中もその頭に殆ど殺されたのは皮肉だな
118 :名無しさん@お腹いっぱい。2009/01/14(水) 21:51:22 ID:JSGqWsQS0
項羽には華があるからねぇ
119 :名無しさん@お腹いっぱい。2009/01/14(水) 21:53:19 ID:j6zkhFVL0
>>115
項羽視点ではそうだろうな

でも、項羽は叔父が立てた楚懐王(義帝)の臣下だった
劉邦は客将ではなく項羽と同格の楚懐王の将の一人
更に、項羽は楚懐王が指名した司令である宋義を殺して軍権を奪っているし、
関中に入った者を王にするというこれまた楚懐王の約束も反故にし、
極めつけに義帝を自ら殺してしまっている
これはある意味では楚の復興を目指し懐王を立てた叔父の業績を否定するにも似た行為だ

項羽以外の将や各地の王から見ると、項羽は始皇帝に匹敵する不義と暴虐の人に見えたのかもしれない
項羽がフルボッコになるにもそれなりの理由がある
120 :名無しさん@お腹いっぱい。2009/01/15(木) 07:52:26 ID:CbRsGXzI0
>>118
つーか、日本人は未完の英雄が好きだよね。
義経しかり、坂本龍馬(は、一応完成かな?)しかり。
121 :名無しさん@お腹いっぱい。2009/01/16(金) 10:25:24 ID:mAK1bkB/0
劉邦が完膚なきまでに大敗した彭城の戦いの時、漢軍には三傑のうち張良と韓信の二人、あと陳平もいたはずだが、
彼らほどの人物がいても項羽の電撃的な作戦行動は、予測も対処のしようもなかったのかな。
あそこで失敗しなければ、もうちょっと早く戦乱は終わってた気がするんだけど。
122 :名無しさん@お腹いっぱい。2009/01/16(金) 11:58:19 ID:/S/3ZlnK0
そもそも三傑、覇王って持ち上げ過ぎな気もするけど
そりゃ項羽はばけもんだし三傑も有能だが俺らと同じ人間だよ
ミスはするさ
123 :名無しさん@お腹いっぱい。2009/01/17(土) 04:53:15 ID:jDzr8bSo0
>>121
韓信は大元帥を返上して後方待機、張良も彭城には行かなかったと思ったが。
項羽の奇襲が成功したのは、漢軍が烏合の衆で軍も統率されていなかったから。
まぁ、項羽が化け物みたいに強かったのもあるが。
劉邦が大軍に慢心した結果みたいなもんだから、そこは三傑でも仕方ないね。
125 :名無しさん@お腹いっぱい。2009/01/17(土) 15:08:53 ID:3xrzRul80
>>123
史記には、張良は漢王に従って東進し、楚を撃って彭城にいたったとあるし、
韓信が職を辞したという記述はないけど…。横山漫画の内容とごっちゃになってない?

二行目以下は全くその通りだと思うが、そういう状況だからこそ
項羽の人となりを知っている彼らには、手を拱いてないで何らかの手を打ってほしかった。
本拠地を落としたとはいえ、楚の本隊は健在なんだから。全体の統率が取れないのは仕方ないとしても、
張良なら楚軍の動向を探るとか、韓信なら漢軍本隊だけでも手綱を引き締めるとか警戒に当たらせるとかできなかったのかな。

まあでも確かに俺は>>122氏の言うように彼らを買い被り過ぎてる面はあるかもしれない。
彼らにしても単に見通しが甘かっただけなのかもしれないし。
128 :名無しさん@お腹いっぱい。2009/01/21(水) 21:58:02 ID:8Or0aezw0
>>120
上杉謙信、武田信玄、織田信長、小泉純一郎、・・・

日本の戦国武将って春秋秦漢の武将のこと知ってたのかな

信長「ワシは項羽萌え」
秀吉「さようでございますか。サルめは劉邦のファンにございます」
とか
129 :名無しさん@お腹いっぱい。2009/01/21(水) 22:47:08 ID:Nd/JEyl80
>>128
秦漢はどうか知らんが、南北朝期や唐とかなら知ってたようだ。
あと三国時代か?
130 :名無しさん@お腹いっぱい。2009/01/22(木) 17:39:11 ID:uMDC25X40
項羽>>英布>王陵>ハンカイ=灌嬰
一騎打ちだとこんな感じ
132 :名無しさん@お腹いっぱい。2009/01/22(木) 18:32:32 ID:pOgQ9lA40
>>130は最近流行のコピペ

>>128>>129
姉川の戦いで信長が家康に出した感状に「十高祖、百張良にも勝る武勇」とかいう文句が出てくる
『東照宮御実記』や『武徳大成記』に載ってる
『信長記』でも信長が桶狭間を進軍する様子は「十高祖、百張良が怒を発せし勢も
是にいかで勝るべき」とよく分らんが凄そうな描写がされてる
信長のセリフじゃないが十高祖百張良は当時の常套句だったんだろう
天保年間に書かれた(らしい)文献だが『三河後風土記正説大全』には
清洲同盟のときに家康の従者の植村家存が警備をハネつけて
信長から「鴻門の樊噲の如し」と賞賛された事が書いてある

こういう例をみると戦国期や江戸初期に楚漢の話が一通り知られていて
武将たちも話のネタにしていたとは言えるよね
そもそも『史記』から『晋書』までの歴代正史は奈良時代には日本に来てたし
『平家物語』にも朝敵の例えで趙高だ王莽だ安禄山だとか出てきたり
『将門記』でも平将門が耶律阿保機にならって挙兵したというし
『太平記』にも春秋戦国秦漢の話が流れぶった切って長文で挿入されたりする
伊達政宗の独眼竜も李克用にちなんだらしいし
むかしの日本人はけっこう中国史に造詣が深かったと思うよ

ただ三国ネタは案外少ないようで、『太平記』で五丈原が出てきたり
『豊鑑』で竹中半兵衛の孔明が出てくるぐらい
信長が本多忠勝を張飛の如しとたたえたとか
よく言われる割には戦国無双のデモ画面以外に元ネタがわからんのよ
133 :名無しさん@お腹いっぱい。2009/01/22(木) 18:41:20 ID:pOgQ9lA40
あ〜「樊噲の如し」ってのはもっと古い文献にさかのぼれるかも知れんわ
134 :名無しさん@お腹いっぱい。2009/01/22(木) 19:28:06 ID:4lDjlHsm0
>>竹中半兵衛の孔明が出てくるぐらい
>>信長が本多忠勝を張飛の如しとたたえたとか

これだけでも十分な気もするが。
『常山記談』だったかには、上杉謙信を南朝梁の韋叡になぞらえてるのもあった
…という話を聞いた記憶が。
135 :名無しさん@お腹いっぱい。2009/01/22(木) 20:31:27 ID:uiKTLQho0
中国の古典ってあまり流通してなくて寺とか武家とかじゃないと読む機会なかったらしいね
136 :元 ◆0xx883A8LE 2009/01/25(日) 03:11:58 ID:5R31hj3SO
ちょっとかじっただけだけど
韓信でバランスが崩れて
劉邦が勝った感じ。
統一したら恐れられて殺された・・・
韓信の政治力の無さは致命的。
137 :名無しさん@お腹いっぱい。2009/01/25(日) 09:19:04 ID:1SMT/FVL0
ギャオの無料動画の「劉邦と項羽」を先週見終わりました。
皆さんは見てましたか?
呂后役の女優さん、美人だったけど、
人豚事件を想像すると同情できないです。
138 :名無しさん@お腹いっぱい。2009/01/25(日) 21:46:47 ID:uv2ubBjO0
>>132
高祖が武勇のたとえになるということはキャラ萌えしていたかにはむしろ疑問符をつけるが
少なくとも知識の射程に入ってはいたと ご教示ありがとー by128
139 :名無しさん@お腹いっぱい。2009/01/26(月) 00:01:51 ID:2SF3LouK0
>>137
人豚は確かにむごいけど、戚夫人だって正妻でもないくせに
自分の息子を太子にしようとしたんだから殺されて当然だろう
呂后だって自分の子が廃嫡されれば後ろ盾を失って
逆に殺される可能性だってあったんだし
140 :名無しさん@お腹いっぱい。2009/01/26(月) 02:41:05 ID:qS0Gp6BJ0
庶民の頃に結婚して自分はいやな兄嫁とともに家にいて夫ははいの町にいきっぱなし。
そのうち夫は盗賊となりどこへ行ったかもわからない。
夫ははい公となり漢王になるが項羽に大敗北し、呂后は混乱の中項羽に捕らえられてしまう。
数年のあいだ捕らわれの身でいるうちに、夫は違う女をはべらせていた。
戦乱が終わったあと夫にはめったに会うこともままならず、自分は年を取っていき夫は若い女にべったり。
そのうち戚夫人の子を太子にするという噂が聞こえてくる。

呂后は若い頃からずーっと苦労続きで、しかも報われないままで、ノイローゼのようになっていたと思う。
141 :名無しさん@お腹いっぱい。2009/01/26(月) 21:02:36 ID:LFWpTxM10
>呂后は若い頃からずーっと苦労続きで、
 しかも報われないままで、ノイローゼのようになっていたと思う。

最近死んだ俺の母親の事かと思った。
142 :名無しさん@お腹いっぱい。2009/01/26(月) 22:57:05 ID:QJdB5aQJ0
人豚なんて創作だろ。そんな状態で生きていられるわけがない
143 :名無しさん@お腹いっぱい。2009/01/26(月) 22:59:55 ID:CCPitytf0
「そこまでされて生きていた」とは史書の中に書いてないんじゃないかな
死んだとも書いてないけど
145 :名無しさん@お腹いっぱい。2009/01/30(金) 21:36:48 ID:sGx7bUNV0
>>125
彭城の戦いの時韓信がどこにいたかは史記にはまったく記述がないけど
あの時点では章邯はまだ生きて廃丘に篭城中で
彭城戦後に“水攻め”で落城してから自殺したわけだから
韓信が攻城側にいて彭城戦に参加してない可能性は考えられると思うな
大軍を彭城に動員するから関中は手薄になるし
そうなったら章邯ほどの将を韓信以外に任せるのも危険だし

小説や漫画とかだと章邯は彭城戦の前にあっさり死なせるパターンは多いけど
実際は結構粘ってるんだよな
146 :名無しさん@お腹いっぱい。2009/02/01(日) 20:16:39 ID:w1fMylCW0
項羽、韓信、張良ってすげーな。
劉邦は人間のクズだな。
147 :名無しさん@お腹いっぱい。2009/02/03(火) 03:27:23 ID:0FGtx7Bn0
>>121
張良・陳平はあくまで謀臣であって戦術は得意ジャンルとはいえないし
あんな風に直接軍事力を行使される場面では無力だろうな
実際その後も劉邦の傍にいたけど直接戦闘では項羽に負け続けたわけだし

韓信に関しては>>145でも言ってるように彭城に居合わせたか不明
淮陰侯列伝ではなぜかこの時期(別働隊率いて北伐に乗り出すまで)の韓信の動向を一切伝えてないし
他の人の伝によれば韓信が指揮を取ったはずの京・索間の戦いすら本人の伝には記載なし
148 :名無しさん@お腹いっぱい。2009/02/07(土) 06:17:13 ID:ietU/Dbm0
学研の歴史群像シリーズに彭城の戦いの時の漢軍の陣容が結構具体的に載っていた
それによると

北路軍 曹参・樊カイ・周勃・酈商  陳余(別働隊)
中路軍 劉邦・張良(軍師)・陳平(参乗)・夏侯嬰・盧綰・司馬欣・董翳・司馬卬・張耳
     申陽・魏豹・韓王信  彭越(別働隊)
南路軍 王及・王陵

とこの中には韓信の名前はない(韓王信の方はあるけど)
出典資料は分からんが、これが正しいなら参加してないと考えて良さそうだな
149 :名無しさん@お腹いっぱい。2009/02/07(土) 10:41:28 ID:E3UpXie50
向こうの維基百科(笑)だと韓信を廃丘攻めに残して
その他で彭城攻めを行ったとある
何か史料があるのだろうか
150 :名無しさん@お腹いっぱい。2009/02/21(土) 06:34:21 ID:k5iJ2O3F0
廃丘の水攻めが後の濰水の戦いの戦術の習作となったと考えた方が
話としては面白いかもな
151 :名無しさん@お腹いっぱい。2009/04/14(火) 19:11:55 ID:Ixz195dN0
>>147
京・索間の戦いは本人の伝に記述がある
垓下の方は淮陰侯列伝ではほとんどスルーで
何もしてない高祖の本紀に詳細が載ってるけど
152 :名無しさん@お腹いっぱい。2009/04/14(火) 21:39:41 ID:ijgLQzTw0
>>151
何もしてないといっても劉邦が陣に臨んでたんだから、垓下は劉邦中心に記録されて当然じゃないかな
153 :名無しさん@お腹いっぱい。2009/04/15(水) 23:04:52 ID:1WfAemst0
>>128
>日本の戦国武将って春秋秦漢の武将のこと知ってたのかな

厳密に戦国武将じゃないかも知れないけど徳川秀忠は
黒田如水(官兵衛)のことを「今世の張良なるべし」と言ったらしいね
(名将言行録に載ってるんだったっけか?)
154 :名無しさん@お腹いっぱい。2009/04/16(木) 01:56:30 ID:DDnT/A6+O
>>148
その本もう絶版なんだよな
5000円ぐらい出してなんとかそろえたぜ
155 :名無しさん@お腹いっぱい。2009/04/16(木) 17:58:26 ID:bpeEcB0Y0
大漢風、観終わったわ、趙高に鬚があるのと、
胡亥が三村にそっくりだったのが気になったわ
157 :名無しさん@お腹いっぱい。2009/04/18(土) 21:28:40 ID:Gr3hNrjK0
>>155
三村って、さまぁ〜ずの三村?
「次の皇帝俺かよ!」とか言いそうだな。
159 :名無しさん@お腹いっぱい。2009/04/29(水) 07:22:32 ID:xvvhnEcpO
>>155
三村っていうかあのボンクラ皇帝、アゴないよなwww
161 :名無しさん@お腹いっぱい。2009/05/05(火) 10:54:08 ID:WXcHV8geO
とりあえずなんだまとめてみると
彭城での大敗の時、韓信は廃丘で戦ってたと。
それから北伐でOK?
従軍してたけど大敗、まともにやっちゃ勝てない…手駒の中では一番使える武将を別動隊長として北伐させよう、そこではじめて白羽の矢がたったのが韓信ではないんだな
162 :名無しさん@お腹いっぱい。2009/05/07(木) 23:17:49 ID:3aTUQGbC0
そこら辺はあくまで可能性もあるという程度で、もちろん同行した可能性もある
件の学研歴史群像シリーズの主要合戦図では彭城の戦いのとき
韓信が廃丘攻めしていたとあるけど根拠となる史料があるかは不明
なにしろ「史記・淮陰侯列伝」では

八月,漢王舉兵東出陳倉,定三秦。漢二年,出關,收魏、河南,韓、殷王皆降。合齊、趙共擊楚。
四月,至彭城,漢兵敗散而還。信復收兵與漢王會滎陽,復擊破楚京、索之?,以故楚兵卒不能西。

(大意)
漢王は八月に挙兵すると東進を開始し陳倉に出て三秦を平定した。漢の二年に関中を出て魏・河南を手中に収め
韓王・殷王を降伏させた。斉・趙と連合し楚を攻撃した。四月に彭城に進撃した漢軍は大敗し散り散りになり帰ってきた。
韓信はまた兵を集めると漢王と滎陽で合流し滎陽の南の京と索の間で楚軍を撃破した。
このため楚軍は滎陽を越え西に進むことはできなかった。

とこれだけ
廃丘陥落は高祖本紀に載っているが主語が漢王もしくは漢軍で誰が指揮を執っていたとも書いていない
韓信が関中に残っていたなら他にやることもないので、廃丘攻めしてたと考えるのが自然かもしれんが
単に“水攻め”から韓信を連想しただけの憶測かもしれない

かといって三秦平定から彭城戦までは多分ずっと主語が漢王のままで
(斉・趙との連合などの外交分野は明らかに大将軍の権限を越えていて韓信が主語とは思えない)
「“從”東擊楚。至彭城,(張良)」「“從”擊項籍。至彭城(夏侯嬰 )」「遂“從”擊楚於彭城(魏豹)」
「以中尉“從”漢王出臨晉關。至河內,下脩武,渡圍津,東擊龍且、項他定陶,破之。東取碭、蕭、彭城(曹参)」
などのように漢王に“従い”彭城まで行ったという記述があるわけでもなく(曹参はいったん別ルート取ってるみたいだが)
劉邦に同行していたともまた断言できない

ちなみにこの京・索の間の戦いに関してはここでは楚軍としか書いてないが
他の記述も見ると項羽が直接出張ってきて韓信に敗れたっぽい
だから韓信に限れば漢軍がどん底にあった当時の状況にあっても、項羽相手にまともに勝てないと言うわけではなかったが
(実際項羽もこの後しばらくおとなしくなり、滎陽に再び攻勢をかけたのは韓信が北伐に出て趙を攻略した辺り)
彭城の大敗で諸侯がすべて楚につき漢が孤立状態になったため
中央戦線が戦術的に苦しくなるリスクは覚悟の上で、韓信を北伐に出して戦略的苦境の打開を図ったんだと思う。
163 :名無しさん@お腹いっぱい。2009/05/08(金) 00:58:23 ID:vaPnJ3Fi0
>他の記述も見るとここで項羽が直接出張ってきて韓信に敗れたっぽい

これについては

楚起於彭城,常乘勝逐北,與漢戰滎陽南京、索?,漢敗楚,楚以故不能過滎陽而西。
項王之救彭城,追漢王至滎陽,田?亦得收齊,立田榮子廣為齊王。(史記・項羽本紀)

(大意)
楚は彭城を起点に常に勝ちに乗じて逃げる敵を追い、再結集した漢軍と滎陽の南の京と索の間で戦った。
今度は漢が楚を破った。このため楚は滎陽を越えて西には進めなかった。
“項王が彭城を救うと漢王を追って滎陽まで進んだため”田横もまた斉を手中に収め、田栄の子の広を斉王に立てた

楚人起彭城,轉鬥逐北,至於滎陽,乘利席卷,威震天下。然兵困於京、索之?,
迫西山而不能進者,三年於此矣。漢王將數十萬之眾,距鞏、雒,阻山河之險,
一日數戰,無尺寸之功,折北不救,敗滎陽,傷成皋,遂走宛,葉之?,此所謂智勇俱困者也。
(史記・淮陰侯列伝)

(大意)
“項羽は彭城を起点に転戦して逃げる敵を追って滎陽に迫り、勝ちに乗じて席巻しその勢威は天下を震撼させました
しかし京・索間の戦で苦しめられ、”また西の山に阻まれ進むことができず三年がたちました。
漢王は数十万の兵を率い鞏・雒で防戦に努めましたが、山河の険を頼りに一日に数戦してもわずかの戦果もなく
挫折・敗北を繰り返し救いようがありません。滎陽で敗れ成皋で傷つき、ついには宛・葉に逃走しました。
これぞいわゆる智者(劉邦)・勇者(項羽) ともに苦しむというところです。

下の方は蒯通の台詞
原文では“楚人”だが史記のなかでは項羽個人のことを“楚人”とか表現することもある
(「楚人は沐猴にして冠するのみ」「義帝を殺せし楚の者を撃たん」等)
漢王個人と対比して語ってる文脈や、「智者・勇者」という表現からも
ここでは項羽個人のことを言ってると考えて間違いないと思う
164 :名無しさん@お腹いっぱい。2009/05/11(月) 21:43:56 ID:gUjtlfS50
漢統一後の韓信の生き様を漫画にしてほしい。
165 :名無しさん@お腹いっぱい。2009/05/13(水) 19:24:22 ID:Hi8wGi0j0
項羽と劉邦ってなんだYo
っていうか、後漢のはなしかかYo
>>164そんなマイナーな奴らが本ましては、マンガになるわけねぇよ横山光輝も困っているZe
って言うか貴様がかけYo
っていうか韓信ってなにもんYo
166 :名無しさん@お腹いっぱい。2009/05/14(木) 09:01:42 ID:kSDxm3TYO
列侯序列わかる人いる?
>>5 の続きです
167 :名無しさん@お腹いっぱい。2009/05/15(金) 07:37:35 ID:y6TdKbkF0
>165
韓信を知らないって、三国志で孔明を知らないと一緒。
この板に参加する前に勉強したら。
168 :名無しさん@お腹いっぱい。2009/05/15(金) 08:10:27 ID:y6TdKbkF0
例えば、韓信が小国の王となっていれば政権を握ることはできたのだろうか?
彼は自分は完璧みたいな自己表現しているみたいだけど、性格に大きな欠点があると思う。
もし彼が優秀であれば、早々に大元帥だった事を捨てて国策に走るか、漢を捨てて匈奴に身売りするべきではなかったのか?
当時、漢国平定後、匈奴に平城で大敗していることを考えると、韓信の政権奪取も考えられた。
170 :名無しさん@お腹いっぱい。2009/05/15(金) 11:47:50 ID:7c++gseT0
横山ではそのとおり

ところで左丞相となったら
ショウ何は右丞相になんのかな?
171 :名無しさん@お腹いっぱい。2009/05/15(金) 15:20:08 ID:sCo4kEYx0
漢の大将軍で充分だったと思うんだが、王侯なんて面倒なだけだろ。
後、不思議だったのは処刑された時に、身よりがいないはずの韓信に三族がいたことか。
172 :名無しさん@お腹いっぱい。2009/05/15(金) 19:40:35 ID:gx3HwuHA0
>>171
妻子とその一族じゃね?
王ともなれば結婚ぐらいするだろ。
173 :名無しさん@お腹いっぱい。2009/05/15(金) 23:06:55 ID:Xaui8s7X0
>>170
どうも、漢初の諸将は漢の丞相とは別に丞相や相国になってる
地位だけで権力のない仮のものか、あるいはどこかの諸侯の丞相なのだろう
174 :名無しさん@お腹いっぱい。2009/05/17(日) 10:33:55 ID:fcvWem2A0
今の会社でも、有資格者が不在で、片っ端から声かけて来てもらったまではいいけれど、
会社の風向きが変わったら邪魔者扱い。
韓信の気持ちもわかる。
公共工事がなくなったら道路工事等の資格なんて飾りだもんね。
逆に、コンビニで薬の販売が解禁になればその方面の有資格者の株が上がる。
まあ、先見の目が必要だね。
175 :名無しさん@お腹いっぱい。2009/05/17(日) 11:26:10 ID:fcvWem2A0
>>165そんなのって、庶民(韓信)と小沢(孔明)くらいの知名度じゃNe?
孔明は三国志知らなくても知っている人もいるし。
だが、韓信は項羽と劉邦しらねぇとわかんねぇんだRo
だから、そんなマイナーな奴知らなくてもいいんだYo

176 :名無しさん@お腹いっぱい。2009/05/17(日) 13:11:54 ID:2WOGKAomO
楚漢戦争の話を知らなくても軍事本にはまず出てくる>韓信
逆に三国時代はまずほとんど出てこない。
178 :名無しさん@お腹いっぱい。2009/05/17(日) 13:56:15 ID:T3ovPvzU0
項羽と劉邦も子孫は置いといて、当人同士で見ると統治に大差ないように見えるけどな。
どっちも反乱起こされて鎮圧に明け暮れてる。

180 :名無しさん@お腹いっぱい。2009/05/17(日) 18:28:04 ID:NIkMJzzl0
>>178
論功行賞直後に各地で反乱が同時多発して結局収め切れなかったのと、一人ずつしか反乱起こさずに全て鎮圧しているのとでは大きく違うよ
181 :背水の陣2009/05/20(水) 23:43:16 ID:Q8G8s+2yO
韓信は背水の陣で1万の自軍で20万の敵軍をやぶった戦術の天才、正攻法と奇攻を組み合わせて少兵力自軍を死地に置き兵に死力をださせ敵の背後に伏兵をおき敵の空陣地の挙を突き、占領し包囲したと思わせ、自壊させた。
182 :名無しさん@お腹いっぱい。2009/05/21(木) 01:54:45 ID:X2HoHVvC0
井陘のときは数万だったと思う(先陣が一万だから全軍で三万程度?)
両軍とも「号して」と言われてたから水増しだろうけど

>>166
1蕭何 2曹参 3張敖 4周勃 5樊噲 6酈商 7奚涓 8夏侯嬰 9灌嬰 10傅寛
11靳歙 12王陵 13陳武 14王汲 15薛歐 16周昌 17丁復 18蟲達

以上十八侯

将相名臣年表見ると盧綰が漢の二年(つまり楚漢戦争二年目)の段階で大尉になっているけど
大尉と大将軍ってどっちが上だっけ?
183 :名無しさん@お腹いっぱい。2009/05/21(木) 02:31:29 ID:dSjreERB0
>>182
大将軍。当時の大尉にはこれと言った権限がない。
184 :名無しさん@お腹いっぱい。2009/05/21(木) 21:42:09 ID:GSvGtU/S0
>>182
これ功績順?
周勃高すぎね? 樊噲より上とか
185 :名無しさん@お腹いっぱい。2009/05/21(木) 21:46:39 ID:n0KmNnY80
>>184
これはそもそも朝廷での席次らしい
120番目まで決まってる

功績だけでも領地の多さだけでもなく、おそらく功績、高祖の信頼や縁戚、年齢やもともとの地位など、さまざまな要素を加味して決まってるんだと思われる
逆に樊噲の方が本来の功績に比して高すぎるのかもしれないよ
呂后の親族補正がかかってるのではないかと
186 :名無しさん@お腹いっぱい。2009/05/22(金) 01:24:11 ID:dLMP0fwO0
張敖って趙王を廃された後でも席次3位か。
魯元公主の婿だったおかげだろうな。

謀反の疑いかけられた時、あの呂后が「魯元の夫が謀反を起こすはずがありません」
って弁護してたのが何か笑えた。
188 :名無しさん@お腹いっぱい。2009/05/23(土) 21:11:07 ID:9w7k106E0
誰かいないと思ったら陳平か
漢の要職(相国・丞相・大尉)の人事について劉邦の遺言で指名された
面々は陳平以外みんな上の十八侯の中に入ってるのに

高祖の信頼厚い重鎮ではあってもそれほど席次は高くないということか
193 :名無しさん@お腹いっぱい。2009/06/04(木) 22:27:34 ID:9uAvwdpj0
中華人民共和国建国60周年記念事業
京劇「覇王別姫〜漢楚の戦い〜」
6月4日(木)〜6月20日(土)
東京・福岡・名古屋・大阪
ttp://www.nikkei-events.jp/concert/con090604.html
194 :名無しさん@お腹いっぱい。2009/06/14(日) 02:41:57 ID:eDI/WmZd0
本屋で項羽と劉邦っていうタイトルの文庫本を見かけたんだが誰か詳細知らない?
絵はかなりリアルで李〜何とかって人が書いてるやつ
195 :名無しさん@お腹いっぱい。2009/06/27(土) 23:29:55 ID:HsSNnsGL0
1990年の西楚覇王の項羽像が好きだ
映画自体はけっこう良い出来だが、評判はイマイチなのが残念
196 :名無しさん@お腹いっぱい。2009/06/30(火) 02:56:42 ID:NY8a5GGk0
>>194
李志清の「項羽と劉邦・運命の出会い」だな。
寺島優原作なので、それなりに期待しても良いかと。
「雷火」の原作者ね。
198 :名無しさん@お腹いっぱい。2009/06/30(火) 23:23:39 ID:AFizaiq80
石ノ森章太郎も楚漢戦争の漫画描いてたね
項羽中心に、虞姫との悲恋を題材にしてる感じだった
横山版の項羽よりもオッサン臭かったな
200 :名無しさん@お腹いっぱい。2009/07/03(金) 03:56:41 ID:l2LSZp+Z0
赤龍王はストーリー滅茶苦茶だったけど、キャラクターは良かったな。
天地を喰らうに比べれば、遥かにまともな展開だったがw


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