【写写】◇用漢語談英雄◇【中文】また騙されて中国英雄板まで飛ばされたわけだが

2010年12月27日

天正10年の武田攻めを語るスレ

1 :人間七七四年2007/10/12(金) 14:18:39 ID:zirZdG8N
2万の軍勢を率いて新府城を出陣した武田勝頼が1ヶ月後には
わずか40人とともに山中を彷徨うことになった、日本史上でも
稀に見る裏切り劇について語ろう。


2 :人間七七四年2007/10/12(金) 14:37:17 ID:cRAP0BJS
総大将の織田信忠が傑出していたからだろう
あの信長でさえ嬉しい大誤算だったからな
4 :人間七七四年2007/10/12(金) 17:48:13 ID:vgVIDTt9
新府築城を進言した穴山梅雪と岩殿籠城を進言した小山田信茂
5 :人間七七四年2007/10/12(金) 17:58:37 ID:8EyFPD+j
武田を滅ぼしたのは信長でも家康でも滝川鉄砲隊でもなく

「織田信忠」という事でよろしいか?
6 :人間七七四年2007/10/12(金) 18:01:44 ID:kVOvZ6A0
長篠の戦いやら徳川・北条との同時侵攻やらで実際詰め将棋の状態だったとしても
通常十数手かかって詰ますところを数手で詰ませたようなもんだからな 信忠が凄いことに変わりは無い 城攻めとか上手すぎ
8 :人間七七四年2007/10/12(金) 18:14:30 ID:ajWNfy9c
高遠城で織田の大軍を阻止するのはムリすぎる。
10 :人間七七四年2007/10/12(金) 19:04:32 ID:21mWaDxU
>>8
高遠ほどの堅城が何で一日で落ちちゃったんだろう?
11 :人間七七四年2007/10/12(金) 19:23:48 ID:kTkgHtb8
>>6
どう上手いか説明しろw
ただの力押しなのにw
12 :人間七七四年2007/10/12(金) 19:26:42 ID:zhIzlAsn
何でこんなところに信忠厨がわいてるんだ?信忠の人生唯一の見せ場だからか?
13 :人間七七四年2007/10/12(金) 20:05:54 ID:j5aFBG7A
高遠城に行ったことがあるがあれは天然の要塞だろ。
山に囲まれてるし十分山城として活用できるはずなのに何ですぐ落城したんだろ。
14 :人間七七四年2007/10/12(金) 20:16:49 ID:zhIzlAsn
城っつーものはどんな要害でも孤立しては長く持たない。
小田原城や大阪城なんかはスペックとしては10年でも篭城できるほどのものがあっただろうけど
孤城と貸しては1年も持たなかった。
15 :名無し野電車区2007/10/12(金) 21:23:34 ID:bOTqSANz
長篠でかつて武田軍団を支えた屈強な人材が戦死してしまい
武田討伐戦のときは未熟な若造しか残ってなかったんだろうな
16 :人間七七四年2007/10/12(金) 21:51:28 ID:kVOvZ6A0
>>14
細川藤孝は500人で15000人に取り囲まれて2ヶ月ぐらい耐えていたが…
17 :人間七七四年2007/10/12(金) 23:15:16 ID:O1h4fGAD
>>16
孤立してないから。
18 :人間七七四年2007/10/12(金) 23:35:12 ID:k2k+hDkQ
つか橋を落として敵が攻められなくしたんじゃなかったか?うろ覚えだが。
19 :人間七七四年2007/10/13(土) 07:55:15 ID:UEmwim7M
武田の支配の実態が露呈したわな。
恐怖で押さえこんでいただけってこと。
信忠の軍団は解放軍だったってことだ。

悪の巣窟である甲斐、これは信濃や駿河と
同じという分けにはいくまい。
武田の親類衆や旧臣を引きずり出して誅殺
するのは政治的に妥当な処置だろな。
20 :人間七七四年2007/10/13(土) 10:45:04 ID:iQdvWXZL
アホ信玄が1生涯かけて、やっとこさ信濃統一したのに対し
信忠はたった一ヶ月たらずで、信濃のみか甲斐をも征服した
両者の隔絶した差は埋めがたいな
21 :人間七七四年2007/10/13(土) 10:50:09 ID:JTBWhC4A
>>19
つかあの状況では大抵裏切りに走るだろ。
三方向から織田・徳川・北条に攻め込まれるという絶望的状況だし。
不利になれば裏切られるのは織田系列も同じ。

>>20
相手が疲弊してたのとパパに超優位な戦略状況つくってもらえて大軍与えてもらって
良かったね。
22 :人間七七四年2007/10/13(土) 11:17:10 ID:rEtBobdE
つか高遠城跡に実際に行って見た事あって言ってるの?
高遠城下まで攻め寄せられたらもう終了だよあそこ。
籠城には不向きなので支城網を駆使して高遠に向かう街道筋で積極的迎撃するしかない道はないよ。
あそこは下伊那から東海地方への南進用の補給拠点だから。地盤が堅く城を加工するのに不向きだし高遠湖から離れすぎて海上補給も難しいからね。
24 :人間七七四年2007/10/13(土) 12:56:16 ID:2BVeALIX
信玄もまさか高遠城が防御用の城になるとは思ってなかったのだろう
25 :人間七七四年2007/10/13(土) 13:05:37 ID:q1M+oOAV
尼子の月山富田城は孤立無縁で数年持ったがな。
本能寺があったとは言え、武田より、上杉はもうちょとマシだったような
26 :人間七七四年2007/10/13(土) 13:38:26 ID:rEtBobdE
高遠城は上伊那郡を南北に貫く杖突街道の諏訪湖の背後に抜ける街道の入口を守る城なんでここを突破されると甲斐信濃連絡線が切られ信濃失陥確定の要地なのが悲しいところ。
諏訪に戻っても意味はないから仁科はあそこで死ぬしかなかったんだろうね。
高遠落城で事実上武田滅亡確定。
27 :人間七七四年2007/10/14(日) 00:27:47 ID:R3Gdx1L+
>>20
保てなかったけどな。
28 :人間七七四年2007/10/14(日) 08:51:17 ID:e8h9F+PX
木曽氏が武田に人質を預けたまま謀反したくらいだから相当な決意だったろう。人質を密かに奪回したって説もあるけど。
木曽氏は必死だろうが…織田信忠の能力とか関係ねーだろう。
29 :人間七七四年2007/10/14(日) 10:02:23 ID:yXHuq6Lh
上杉憲政でも1551年の平井城落城から
利根・吾妻地方に逃げ込んで1557年の沼田城落城までもっている。
岩櫃城なら勝頼もある程度もったかもしれない。
真田が裏切らなければの話だけどね。
30 :人間七七四年2007/10/14(日) 10:59:47 ID:AHWzIySa
>>28
当時は人質預けたまま謀反とかよくあること
滝川や河尻も全然やる気無くて、途中までは信忠の軍勢だけで戦ってたんだぞ
32 :人間七七四年2007/10/14(日) 11:55:27 ID:X9THgHZ6
宿将らの尻叩いて速攻したために、武田の残存防御ラインはほとんど機能できなかったからな
高遠城戦でも、自身が陣頭に立って味方を鼓舞している
戦術的には森勢が屋根の上にあがって銃撃とかやってたりもするがw
信忠は少なくとも重臣連中相手にリーダーシップ取るぐらいの力はあったからな
信長のように化け物じみた戦術能力はないにしろ、水準はクリアしていただろう
33 :人間七七四年2007/10/14(日) 12:15:21 ID:kmGZACyd
>>22
てか仁科盛信だけががんばってて
戦う当初から離反者続出だったわな
34 :人間七七四年2007/10/14(日) 12:31:39 ID:EJzXwBi1
鳥居峠合戦での大敗がなければまだ持ちこたえられたかもしれんがね
大勢では、織田信忠軍だけでも手に余るのに徳川や北条まで進軍してきている
これに信長本隊が加わったら防御はほぼ不可能
どのみち詰みでしょ
36 :人間七七四年2007/10/14(日) 19:48:28 ID:e8h9F+PX
有楽斎は脱出してるのに討死した信忠は弟以下のアホ
信雄や信孝が大将でも武田は滅亡。武田はすでに詰み確定。
37 :人間七七四年2007/10/14(日) 19:50:09 ID:AHWzIySa
>>36
信忠が奮戦したから逃げれたのにお前という奴は本当にアホ
相手が明智じゃなかったら逃げてたかもしれんがな
38 :人間七七四年2007/10/14(日) 19:53:07 ID:LdQ/eKHh
まあ戦国大名である以上、能力があろうがなかろうが、死んだらそれまでだ。
実力も器量も「その程度」と判断されても、仕方が無い。
39 :人間七七四年2007/10/14(日) 21:28:06 ID:Xy+gODIJ
まあ信長も家康も逃げる時は必死になって逃げたからな
40 :人間七七四年2007/10/15(月) 12:50:18 ID:XJbzc3Tw
そのアホにやられた武田その他の立場もすこしは考えてやれw
42 :人間七七四年2007/10/15(月) 15:00:20 ID:B7Z52neQ
>>36
なんだ
結局、信長も最期は逃げてないじゃん
100%逃げられないって状況でもないし
43 :人間七七四年2007/10/15(月) 15:03:26 ID:ENykeMCX
勝頼には逃げる先さえない
周辺は全て敵
唯一の味方は皮肉にも父の代の宿敵上杉家のみだが、これも織田軍に攻められて余裕無し
武田家が滅ぼされかけて再興した縁起のよい天目山を最後に選んだのは、もう他にすがるものが無くなった悲劇だろう
44 :人間七七四年2007/10/15(月) 15:28:33 ID:TkMo/4j5
>>16
スレ違いだがあれはヤオ
45 :人間七七四年2007/10/15(月) 15:33:51 ID:XDwaQUdK
真田を頼ったとしても、
真田が織田・徳川・北条から勝頼を守りきれるとは思えないしなあ・・・。
なんてったってあの昌幸だからな、いざとなったら織田に引き渡されそうだぜ。

悲劇とは勝頼のために有るような言葉だな
46 :人間七七四年2007/10/15(月) 15:41:20 ID:nQAuZoxk
>>45
真田は勝頼を北条に逃がすのも視野にいれてた。
北条氏政の正室が信玄の娘だからね。
47 :人間七七四年2007/10/15(月) 15:43:11 ID:pedS40VW
>>46
その北条が既に敵なんだけどもねぇ。
しかも真田はこの時点で既に織田と通じてるし。
勝頼のような爆弾を抱え込んだら、次に信長に潰してくださいとお願いしてるようなもの。
49 :人間七七四年2007/10/15(月) 16:43:19 ID:XDwaQUdK
そもそも甲相同盟破綻の直接の原因は、勝頼にあるからな・・・。
妹はともかく、北条が勝頼を保護する理由が全くない。
むしろ当時の情勢から考えれば、
織田政権での関東太守になるために、勝頼の首を自らの手柄にするだろうね。

>>43の言うとおり逃げ場は上杉しかない、しかしこの当時の上杉は風前の灯火。
真田が保護しようがすまいが、勝頼に逃げ場はない。
50 :人間七七四年2007/10/15(月) 18:07:41 ID:gPSXc6lf
まあ攻め込まれる前に降伏すべき戦争だよな。大阪の陣の豊臣家と変わらん。
51 :名無し野電車区2007/10/15(月) 18:49:17 ID:iWDJlW1E
逃亡先としての真田と小山田の違いはその上杉をバックにできるか
どうかだね。
岩櫃城は隣国の上杉をバックにできるが、岩殿は完全は織田・北条勢力の中で
完全に孤立してるからね。東隣りの上野原主ですら北条に武蔵まで追われて
滅びてるし。
しかし勝頼が越後に落ち延びたら歴史の皮肉だよなあ。
52 :人間七七四年2007/10/15(月) 19:55:21 ID:gPSXc6lf
勝頼が越後に逃げても、上杉も程なく滅びただろうから共倒れだわな。
53 :人間七七四年2007/10/15(月) 20:09:16 ID:LCSv9ObA
>>51
血だらけ・土だらけに汚れた甲冑を着た武者が1人、疲れきった表情で大広間の下座に座っていた。
やがて戸に年若い小姓が現れた
小姓「御屋形様のお出ましでござる」
その武者はひれ伏した。すると遠く足音が聞こえ、どんどん近くなる。衣が擦れあう音が聞こえたかと思うと声がした。
上杉景勝「義兄上殿、誠にご無事で何よりでござった。ささ、面をお上げくだされ」
武田勝頼「ありがたきお言葉、かたじけのう存ずる」
武者は、緊張した面持ちで頭をあげる。
勝頼「お恥ずかしい限りでござるが、謙信公以来の義を重んじられる上杉殿を頼って参上いたした。」
肩を落としていう勝頼。
景勝「武田殿は、わが兄弟。悪いようにはいたしませぬゆえ安心めされよ」
武田勝頼が礼を述べようとすると、勝頼の背後の廊下でドカドカ大きな音がした。複数の人間がこちらへ向かっているようだ。
何やら怒っているような足音である。
村上「ほ、ほう。武田家の当主がのう、どの面さげて越後へ身を寄せに参ったのやらハハハ」
倉賀野「まことに。武田に追われた我らからすれば、胸がすく思いじゃ」
惣社長尾「愉快愉快!!憎き武田が、われらと同じ立場になるとはのう」
三人「ハハハハハハハハ」
拳をつくるも言い返せず歯噛みする勝頼。景勝が憐れみの目で勝頼を見ながら言った
景勝「だまらっしゃい。武田殿はわが兄弟ぞ。武田殿を愚弄するは我を愚弄するも同じなり」
三人「はは〜〜〜」




54 :人間七七四年2007/10/15(月) 20:42:00 ID:NKEypE/n
北条夫人の嘆願書が未だに涙をさそうよ
これほどの悲劇はないよ
55 :人間七七四年2007/10/15(月) 21:24:40 ID:WQJnNMee
真田でも上杉でも良い、生き延びてさえいれば再起を図ることも出来たかもしれない…そう思うのは現代に生きてる人間の結果論なんだよな。

>>54
そこら辺含めた武田家の最期の様子はあまりに悲しいな。俺の中で勝頼は悲劇の戦国武将部門No.1だ。
57 :人間七七四年2007/10/15(月) 21:53:58 ID:mbz+q++1
長篠の戦いの敗北で完全に詰み
その後いくら挽回活動してもな…木曽は相当な圧迫を受けていただろうよ。織田の木曽への神経が磨減るくらいの圧力を遠く離れた甲斐にいる勝頼は鈍感過ぎたな。
武田の死命を決する位置にいるにも関わらず。長篠後にはもう諏訪くらい与えて軍事力を増強させるくらいの厚遇でも与えなきゃ離反は避けようがないな。
金山も採掘量減ってるしな。
59 :人間七七四年2007/10/16(火) 07:16:18 ID:9K166k41
あの当時だと、上総の分家筋、真理谷に逃げ込むのも一つの手段だったかも。
そう考えれば、小山田頼ったのも選択肢としてはありえなくもない。

自称分家筋頼って蝦夷に逃げてたらどうなったか、それはそれで興味はあるが。
60 :人間七七四年2007/10/16(火) 08:49:09 ID:dFQnI3i2
もう織田の一地方軍団=その地方を代表する大名の兵力
ぐらいに格差がついてたからな……
どの道終りは見えていたんだが
何しろ父親の信玄が、信長の足元見ての同盟破りから戦闘開始というこじれた関係だから
妥協して権利主張しつつ傘下におさまる、という手段もとりにくかっただろう
ってか信長は勿論、武田家臣団もそんなの納得せんだろうし
61 :人間七七四年2007/10/16(火) 16:55:05 ID:PPE24f2M
>>57
木曽は信濃衆の中で武田に降伏するのが一番遅く、
裏切るのは一番早かったな。
信濃がまた戦場になるとはな。
62 :人間七七四年2007/10/16(火) 17:00:37 ID:PPE24f2M
材木を木曽から調達して新府城つくったものの
木曽が裏切って新府を焼き払ったのだから皮肉なものだな
64 :人間七七四年2007/10/16(火) 17:09:20 ID:odEJuNwm
対武田討伐は木曽・穴山と親族衆が離反だもん瓦解するよね。
対上杉討伐は新発田。これがまた本能寺の変のあとも景勝は討たれる寸前になったり、兼続も大敗したりしても長期に渡り頑強に抵抗するんだよな。
毛利は宇喜多…は家臣ではないね。
65 :人間七七四年2007/10/16(火) 18:39:25 ID:yPWRqwGN
上杉・毛利は本能寺に救われた面が強いけどな。
無かったら滅亡か降伏かだろうなあ。
66 :人間七七四年2007/10/16(火) 19:17:12 ID:exU9UYkD
>>64-65
改めて当時の織田家のバケモノっぷりを痛感するな…
67 :人間七七四年2007/10/16(火) 19:32:23 ID:H5iE+ood
俺は別に痛感まではしないけどな。 
結果論からならなんとでも言える罠。
68 :人間七七四年2007/10/16(火) 19:39:47 ID:9K166k41
>>66
それまで武田が攻撃されなかったのだって、わざわざ攻撃しなくても
ほとんど無害とみなされていたからだものな。
その間に本願寺を降して、畿内に余裕ができたから一気に武田を攻め滅ぼした。
本願寺の石山退去の時点で詰んでいたと言えるだろうよ。
69 :人間七七四年2007/10/16(火) 21:36:13 ID:yPWRqwGN
>>67
毛利はまだ辛うじて余力はあるだろうが、
上杉は詰み。
御館の傷は未だ癒えず、越中はほぼ失陥、武田が滅んだことによって
信濃・上野からの侵攻にも備えねばならない中、佐竹・葦名らも滝川一益を通して織田に服属しつつある状況で、
何が出来るというのか。
70 :人間七七四年2007/10/16(火) 21:38:38 ID:fcDXI7Cp
長篠以降の織田家の対武田軍事行動って岩村だけで、美濃を完全支配したら
以後はもう武田は徳川に一任状態だからな。

美濃尾張の支配者である信忠は謹慎くらったり、軍団は大和だ播磨だと西方
に転用されるか飛騨経由で北陸に派遣されたり。まったく相手にされていない。
71 :名無し野電車区2007/10/17(水) 00:16:42 ID:tlNt3xu4
勝頼のほうも美濃はおろか三河には一度も入ってないんだよね<長篠後。
西進から東進に変わった。
長篠後に武田が城を新たに取ったことあるのかな?
72 :人間七七四年2007/10/17(水) 07:54:20 ID:GE0OytDP
>>71
滅亡寸前に真田が沼田に進出したことで名目上、沼田を取ったといえるかも
73 :人間七七四年2007/10/17(水) 08:30:39 ID:wAF8EG8G
>>42
信忠はともかく信長は100%逃げられなかったろう。
74 :人間七七四年2007/10/17(水) 19:44:02 ID:MZltP/pa
>>54
北条夫人も滅亡確定の家によく嫁いだものだな。
しかも嫁いだ後に北条と敵対状態になったし。
75 :人間七七四年2007/10/17(水) 19:49:46 ID:aXBgFT/Z
全くだ
同盟破棄となったのだから、実家へ帰せばよかったのに…
勝頼もむごい男だ
77 :人間七七四年2007/10/17(水) 21:07:37 ID:2jARq528
>>71
伊豆や上野で、北条と戦っている。勝頼は北条相手に有利に戦っていて、上野金山城下や伊豆三島にも火を放っている。
勝頼の膳城素肌攻めとか有名。
79 :人間七七四年2007/10/17(水) 23:40:38 ID:Tr8TTZWn
4カ国の太守の正室が山奥で自害というのがダイナミックだよね
81 :人間七七四年2007/10/18(木) 00:22:30 ID:c+jmFhUD
>>54
柴辻があの嘆願書は後世の改作なんじゃないかって書いてたね
あまりにも表現が感情的だからって
82 :Y ◆VqSh5C7CR6 2007/10/18(木) 00:34:25 ID:JIpzBbvE
>>70
岩村に籠もる秋山を倒してから、織田は天目山まで完全に武田スルー路線だからな。
せいぜい噛ませ犬に徳川を置いておいたっていう程度だろうし。

天目山は裏切りはもちろんのこと、傑出していないとはいえ優秀であった信忠の器量も多少は影響しただろうな。
83 :奇矯屋onぷらっと ◆/6/o/w/o/6 2007/10/18(木) 01:07:02 ID:R0ApOSvi
岩村は砦の街であって実際の支配権は大したことないけどね。
84 :Y ◆VqSh5C7CR6 2007/10/18(木) 01:30:50 ID:JIpzBbvE
確か美濃でもかなり辺境だったよね?
信ヤボだと岐阜、岩村、桜洞くらいしか城がないから、始めて知った時は驚いた記憶がある。
85 :奇矯屋onぷらっと ◆/6/o/w/o/6 2007/10/18(木) 01:34:24 ID:R0ApOSvi
何せ地元だし。今でも旧岩村町は8000人いないし、オレがいたころからさほど変わってない。
人口=石高を力説する人には申し訳ないが。
87 :人間七七四年2007/10/18(木) 08:31:50 ID:v8xqzh4M
信長と家康が書状で示し合わせて、高天神城を勝頼が見捨てた形にしたのが効いたのかな
実際には信長も家康も都合で後詰だせないことはままあったんだが(勝頼が高天神取ったときなんかまさにそれ。間にあわなかった)
このとき、武田方の篭城組からも「見込みないから援軍無用」という報告が入ったともいわれているんだけど
88 :人間七七四年2007/10/18(木) 17:30:17 ID:O7pbKeL3
守将としての仁科盛信の手腕もそろそろ再検討されるかもな
一日で落城などそうあることではない
90 :人間七七四年2007/10/18(木) 20:01:40 ID:VM7JZnZU
>>88
一日?
半日だよ。

二次くらいには信忠の見聞も終わったという記述があるし。
91 :人間七七四年2007/10/18(木) 21:23:33 ID:VjDAQETk
高遠はどう見ても仁科の玉砕戦のようなものでしょ。
高遠城は上にもあるように城下までこられたらもうおしまい。
それで武田勢は明け方大手口から打って出て何時間も戦って多勢に無勢で
大部分が討ち取られた。残って城に入ったのを数でつぶしたわけで
仁科の手腕を問うのは違う気がする。仁科は勝てぬまでも最後に華々しく
戦ったんでしょ。
92 :人間七七四年2007/10/18(木) 23:10:24 ID:if9/6yw5
>>91
城側から積極的に打って出ないと、1日で落城ってありえないからな・
93 :人間七七四年2007/10/19(金) 00:34:52 ID:qixkaBeK
籠ったからといってどうにもならないし。
抑えの人数残して本体は甲斐に向かえばいいから
時間稼ぎにもならないしなぁ。
94 :Y ◆VqSh5C7CR6 2007/10/19(金) 00:35:37 ID:JtkbK2pw
でも仁科が打って出たのは最初だけで後は籠城してたんじゃなかった?

95 :人間七七四年2007/10/19(金) 01:05:49 ID:JNpkzVTs
>>94
信長公記見てみ。
「大手口へ切りて出で、数刻に渡って相戦い数多討ち取り、残党は城に逃げ入った」
という意味の記述があるから。一刻が約2時間だから数刻というと何時間も戦ってた
事になる。残党が逃げ入った後に城が程なく信忠勢に踏み込まれるし、
城で討ち取られた首が400余りでしかなかった事からも大半はこの出撃した数刻に
消耗したんでしょ。
96 :人間七七四年2007/10/19(金) 10:50:10 ID:MDYLWF9T
どうせ勝てない、しかし降伏は甲斐源氏という名門だからできない
結論は華々しい最期と……
97 :人間七七四年2007/10/19(金) 19:04:52 ID:zSBaJyTJ
高遠攻城軍は5万いたというのは本当なんだろうか
信忠軍団+滝川で尾張・美濃・北伊勢だけで5万にもなる?
でもこれって織田の上洛軍とほぼかぶる動員なんだよね
98 :人間七七四年2007/10/19(金) 19:06:56 ID:gCeuCxvE
信忠軍団は尾張と美濃 本体が後ろにいたからせいぜい2万ぐらいだろ
まぁ信濃の連中も裏切ったし、それ以外も与力として加わってるから3万ぐらいはいたかもしれない
100 :人間七七四年2007/10/19(金) 20:00:52 ID:9vug4CYm
北条、上杉、織田、徳川、合計1000万石に攻められて
たった100万石ぽっちの武田はなす術なし。
裏切りの嵐
102 :人間七七四年2007/10/20(土) 00:11:26 ID:FNwmVUMA
武田攻めに動員された兵力は大阪の陣、関ヶ原、小田原攻めに次ぐだろう。
尾張、美濃、伊勢、近江、若狭、摂津、大和、丹波、丹後のほぼ総勢が
武田領に乱入したと思われる。
104 :奇矯屋onぷらっと ◆/6/o/w/o/6 2007/10/20(土) 00:51:47 ID:o2SitoBf
長篠の敗者が息子からオヤジに変わるだけじゃないの?
んで武田信玄の名は六角承禎とセットで語られるようになる。
105 :人間七七四年2007/10/20(土) 01:53:43 ID:1UNWkHkk
>>104
どこの誤爆?
107 :人間七七四年2007/10/20(土) 19:01:33 ID:Y5Bxe8G3
信忠軍が信濃を歩いているときに、勝頼が越中で「信長・信忠を討ち取った」
という噂を流させ、それを信じた一揆が富山城を占領したらしい
109 :人間七七四年2007/10/20(土) 22:02:34 ID:4FTKE4xJ
巨城たる七尾城とか大坂城とかなら籠城策もいいが高遠城下まで大軍がきたらもうムリ。
物量と離反により親族扱いだった木曽の道案内があれば別に信忠の能力とか関係ない。
木曽は高遠城の備えも全部知ってるんだからオワタ。
関ヶ原前哨戦の西軍の大津城籠城の京極氏や細川幽斎の宮津城籠城・関ヶ原敗戦後の石田氏の佐和山城籠城並みにムリで完全に詰み。
110 :Y ◆VqSh5C7CR6 2007/10/20(土) 23:13:12 ID:KESV9DDc
>>95
情報サンクス。でも信長公記手元にないんだよな・・・
受験終わったら現代語訳版買おうかな。
111 :人間七七四年2007/10/20(土) 23:48:10 ID:rBVUkSS0
勝頼じゃなくて毛利元就や吉川元春なら信長に勝てたのに
112 :人間七七四年2007/10/20(土) 23:53:32 ID:dE3PCjJ/
毛利元就が生きてたとしても勝率は10%ぐらいだろ 経済力的に考えて
115 :人間七七四年2007/10/21(日) 05:38:42 ID:RNtUPH3s
>>110
暇人之間か信長公記(原文)でぐぐるのが吉
116 :人間七七四年2007/10/21(日) 09:14:00 ID:EFBwXwp8
>>110
出来るだけ原文で読むのが吉
117 :人間七七四年2007/10/21(日) 14:39:13 ID:fh+r7cRV
>>111
元就って信長と親交を持ってなかったっけ?道三とか宗滴とか信長って上の世代からは好意的に見られてるよね
信長自身もお爺ちゃん子ぽいw
118 :人間七七四年2007/10/21(日) 15:26:40 ID:DbuBnDPz
>>117
そう。
毛利自体、元就が生きているうちは信長包囲網に参加していない。
しても境を接してないから意味がなかったという面も当然あるだろうが。
119 :人間七七四年2007/10/21(日) 19:35:21 ID:EFBwXwp8
というか元就自体が信長包囲網に参加するどころじゃない状況だったような。
元就死んだ時、まだ尼子再興軍の最後の拠点である新山城が攻略されてないでしょ。
毛利と結んでいた三村に対して浦上・宇喜多は対抗してて、そっちとの抗争もまだ泥沼だった
わけだし。
120 :人間七七四年2007/10/21(日) 21:13:17 ID:NN4tQK8r
そのためか1572年ごろ毛利は織田に播磨へ出兵して浦上宇喜多を牽制してくれと頼み
織田は毛利に東瀬戸内に出兵して三好を牽制してくれと頼むような状況。
121 :人間七七四年2007/10/22(月) 08:13:04 ID:uz1ReNdy
他の大名の親交やへりくだった態度は外交とかリップサービスというのに
信長と元就のそれは>>117や>>118みたいに言われるのが非常に不思議。というか気持ち悪い。
122 :人間七七四年2007/10/22(月) 09:03:37 ID:BcbKv9wb
>>121
一部の信長厨は頭がお花畑だからな。
124 :人間七七四年2007/10/22(月) 17:11:42 ID:qZCVSuV8
宗滴のはリップサービスって感じがしないな、道三元就は当時信長と仲良くする必要があったけど
宗滴は信長とはほぼ無関係なんだし。
ただ本当に史実かって問題はあるだろうけど。
125 :人間七七四年2007/10/22(月) 19:36:16 ID:DpSczkJq
だいたい宗滴が尾張半国時代の信長を知っていたんだろうか。
織田軍が一乗谷に乱入したときに改ざんされたのでは。
127 :人間七七四年2007/10/22(月) 21:39:47 ID:uz1ReNdy
そんな戦国時代じゃほぼ意味の無いつながりで気にするもんかね。
朝倉氏が他ならぬ斯波氏から越前を奪ったのは宗滴の時代からずっと前だろうに。
128 :人間七七四年2007/10/22(月) 21:45:01 ID:eVy3rmxx
多少は気にするでしょ
尾張の隣国の美濃土岐氏が亡命してくるくらいの縁は有る訳だし
129 :人間七七四年2007/10/22(月) 21:49:24 ID:IQ7D9DaG
朝倉宗滴話記の著者は教景自身ではなく家臣の萩原宗俊で
織田方との争いで戦死するけど織田方が改竄って…
朝倉宗滴は弘治元年1555の9月8日に79歳で病没するけど
8月には敷地や菅生で一揆勢を破っていて耄碌してるとは考え辛い。
朝倉宗滴話記では小田原の伊勢氏隆盛を分析などあり
当時今川家の隆盛は三好家に迫る勢いでその動向は畿内周辺が警戒していて
信長との尾張での攻防は4年目になり宗滴が知っていても特に不思議じゃない。
3年後の件は桶狭間を指しているのか解釈は様々だろうけど。
130 :人間七七四年2007/10/22(月) 22:02:14 ID:uz1ReNdy
>>129
>>当時今川家の隆盛は三好家に迫る勢いでその動向は畿内周辺が警戒していて

これ本当なん?今川上洛説が否定されてる根拠の一つが今川の出陣に対して畿内の
動揺が見られず、今川自身も特に畿内に工作を行ってない所じゃなかったっけ。
いくら隆盛といっても京都から遠い地方の大名の動向をそこまで気にするの?
教えてくれい。
131 :人間七七四年2007/10/22(月) 22:33:31 ID:IQ7D9DaG
義元の上洛否定説は義元自身周辺大名に根回しをしていないのが根拠であって
簡単な確認方法は近くの本屋で歴群に伊勢に今川の隆盛を恐れる書状が記載されてるよ。
個人的にも義元の大動員での侵攻時は、尾張侵攻が遅々として進まず
信長打倒が主目的であわよくば南尾張併合辺りが妥当に感じる。
132 :人間七七四年2007/10/22(月) 22:50:47 ID:6Dbpunka
ただ尾張の部分的割譲が目的の割には動員が大規模すぎる感あり。
織田家滅亡が目的だったんじゃないだろうか。

ところで桶狭間での信長と
天正10年の勝頼はどっちがヤバイのだろうか。
133 :人間七七四年2007/10/22(月) 22:52:19 ID:uz1ReNdy
>>131
重ねて悪いが伊勢は尾張に近いからねえ。織田がやられりゃ次は攻められる可能性高い。
越前の朝倉を始めとする畿内周辺勢力が
今川を警戒していた根拠とするのはやや足りないんじゃ。
個人的にも〜以降の部分はほぼ同意。あれは信長打倒が主目的だろうと思う。
134 :人間七七四年2007/10/22(月) 22:59:00 ID:eVy3rmxx
打倒なのかな?
服属もしくは、非主流派を信長の代わりに取り立てるくらいな気がする
135 :人間七七四年2007/10/22(月) 23:03:13 ID:lXOy+a0Z
>>129
現代人の我々は信長のその後の躍進を知っているので、宗滴のエピも信長の才能を
見抜いていたという風に解釈されてますが、実際はどうだったかしれたもんじゃあ
ないと思いますよ。

悪意を持った解釈をすれば
「あんな独断専行で家臣に配慮しないヤツは長生きできんだろ。どんな無様な死に様を
さらすか拝んでみたいのう」
な興味だったのかもしれない。
137 :人間七七四年2007/10/22(月) 23:09:13 ID:/pGo02Eb
>>132
そりゃ勝頼
桶狭間当時でたとえるなら、今川の侵入に呼応して斉藤も攻め込んでくるような状況。
138 :人間七七四年2007/10/22(月) 23:15:19 ID:uz1ReNdy
ついでに伊勢の連中も攻めてくるようなもんだね。
しかも国力疲弊。
139 :人間七七四年2007/10/22(月) 23:54:46 ID:IQ7D9DaG
>>133
今川上洛に対してかと思ったら畿内を重視してなのね。
桶狭間を自分なりに調べた時にこれらに関しても
幾つかあったと思うけど明確な資料名がわからないや。ゴメンね。

>>135
朝倉宗滴話記で桶狭間を指しているのかという疑問には賛同できても
戦国板で最近、織田関連の資料を歪曲して過小評価や批判する意見が目立つし
余り調べもせず悪意ある解釈は容認できないし好ましくないと思うよ。
140 :人間七七四年2007/10/23(火) 02:02:33 ID:H0rZtkPT
>>139
何言ってんだw
信長過大評価されすぎだっつーのw
141 :人間七七四年2007/10/23(火) 02:09:42 ID:VgTutwJ+
信長は10年前のブームの時やたら持ち上げられ過ぎた評価が、最近ようやく修正され始めたって感じだな。
142 :人間七七四年2007/10/23(火) 08:37:20 ID:lHT7w5nx
勝頼の再評価も一部の話
信長の持ち上げ・叩き落としも一部の話
むしろ信玄神格化批判がやたら少ないのが問題
軍鑑が勝頼とその側近のせいにしている失政なんざ、大抵が信玄以来のものだぜ
143 :人間七七四年2007/10/23(火) 09:05:29 ID:VgTutwJ+
>>142
信玄が生きていた時問題になったものでない以上、それは運用する勝頼たちの問題だわな。
144 :人間七七四年2007/10/23(火) 13:21:40 ID:gSz0AmKk
>>143
それはさあ、バブル時代に散々やらかして発つ鳥跡を濁しまくったまま退職。
後任の時期にバブルが弾けて、でも後任に責任を追及するようなもんじゃね?
145 :人間七七四年2007/10/23(火) 13:31:55 ID:TmON2Sxk
>>143
お前は何を言っているんだ?
148 :人間七七四年2007/10/23(火) 16:22:23 ID:VgTutwJ+
>>144
んだからさあ、破綻するにしても『破綻の仕方』ってのがあるわけで。
穏便なソフトランディングも十二分に可能でしょ?
なのにこれ以上ないハードランディングですっ飛んでしまった訳で。
それは「経営方針」を間違えた勝頼たちの責任だよ。
149 :人間七七四年2007/10/23(火) 18:12:32 ID:28iWWw+B
長篠ほど家老が一度に死んだ戦は珍しいからなあ
152 :人間七七四年2007/10/23(火) 18:45:08 ID:XHjQkQEo
>>102
飛騨飛騨

>>149
信玄の砥石攻めでも結構重臣死んだけどね。
154 :人間七七四年2007/10/23(火) 21:34:44 ID:bo++sy86
>>149
つ村上義清
http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1161169429/335

335 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2007/10/21(日) 00:07:49 ID:QM3D0lCB
確かに二十四将の戦死率高いなあ

「討死又は敵軍による刑死」 16名(内刑死3名)
上田原(48年)
 甘利虎泰・板垣信方
砥石崩れ(50年)
 横田高松
第四次川中島(61年)
 武田信繁・山本勘助
長篠(75年)
 三枝守友・真田信綱・土屋昌次・内藤昌豊・馬場信春・原昌胤・山県昌景
岩村城(75年)
 秋山信友
甲州崩れ(82年 武田滅亡時)
 一条信龍・小山田信茂・武田信廉

「病死」 6名
小幡虎盛・小幡昌盛・高坂昌信・真田幸隆・多田満頼・原虎胤

「その他」 2名
義信謀反の疑惑により自害
 飯富虎昌
織田へ内応後、本能寺の変にて畿内の土民に襲われ死亡
 穴山信君


156 :人間七七四年2007/10/23(火) 23:28:02 ID:ngx/IJgg
代替りなんてどこの大名だって苦労してる。
うまくいった家自体ほとんどない。
信玄叩くのはお門違い。


157 :人間七七四年2007/10/23(火) 23:58:16 ID:cn9HcWHb
確かに代替わりが火種になる事が多いが、
だからといって上手く言った家自体ほとんど無いとは言い過ぎだぜ。

父親がある程度まで嫡男を後見できれば割とスムーズに行われる。
この原則が破られるとき、内乱の危機。
例えば嫡男が嫡子を生まず亡くなったときや、父親が嫡男を廃して別のモノを取り立てようとしたときなど。
伊達は、まあ趣味で親子争っているようにしか見えないけどな。
158 :人間七七四年2007/10/24(水) 00:15:12 ID:QWhFdUJZ
とはいえ織田自体、本能寺で信忠が生きてたって承継は難しかっただろうね。
下克上の時代なんだからそれが当たり前。
戦国時代でなくとも現代ですら事業承継は難しい。
実力がないとリーダーは務まらない。
159 :人間七七四年2007/10/24(水) 00:26:07 ID:MaA18SIv
>>148
じゃぁどうすれば良かったの?
160 :人間七七四年2007/10/24(水) 00:40:39 ID:eNQraLT2
>>158
ちょっと論点ずれてるぜ。
代替わりのいざこざと、後継者としての能力が不足していざこざがおこる、というのは別問題。

継承自体は、信長の嫡男という事実と、武田攻めの総大将という実績があるから、
本能寺の時点では何の問題もない。
161 :人間七七四年2007/10/24(水) 00:55:15 ID:PyFIAXyM
織田家自体はとっくに継承しとる
162 :人間七七四年2007/10/24(水) 01:00:03 ID:mb+ZkL+k
>>161
このイビツ状態の方が
かえって危ない状態でしょ
163 :人間七七四年2007/10/24(水) 01:11:12 ID:dc5q3zZt
>>158
信忠は織田家の家督を天正四年(1576年)に継承してるし、領土は尾張・美濃で
家中最大の領土+甲信の武将も与力で家中最大勢力で本能寺がなければ更に勢力は拡大するはず。
次男・三男は他家の養子に出されてるから家督継承の権利を主張できない。
戦国時代の実力とは国力がかなりの割合を占める中で家中最大勢力の信忠がリーダーが務まらないとかないない。
信雄・信孝辺りが各方面の司令官のいずれかとつるんで家督争いを起こそうにも、
柴田・明智・羽柴・滝川(信忠の与力でもあるから離反は無いはず)らの所領はそれぞれ50万石前後にしかすぎず、
それぞれの与力大名が全て信忠から離反する可能性も低く成功の見込みが低い家督争いは起きない可能性大。


164 :人間七七四年2007/10/24(水) 01:20:08 ID:dc5q3zZt
>>162
どこが危ない状態なんだ?詳しく解説してくれ。

信長存命中は相続争いなんてまず起きないだろうし、
信長死後も>>163でも書いたが家中最大勢力の信忠(近江安土城も継承)に逆らえる奴なんているか?
各方面の総大将が一致団結して他の継承者を擁立すれば可能性は無くはないが、
信忠には武田家討伐など各地を転戦した功績はあっても家督相続を否定される様な落ち度は無いんだぞ。
大義名分も無く家督相続を主張する奴はいないだろうし、それを擁立する奴もいないはずだ。
165 :人間七七四年2007/10/24(水) 07:47:42 ID:VWIrmVUi
>>164

そういう形や大義名分の問題じゃないでしょ。
例えば明智を討つのが信忠でなく羽柴であればそれだけで織田家の権力は落ちる。
順調に家督継いでも次第に実力のある家臣に傀儡化されるなんてよくある話だよ。
羽柴が信長の子に何したか考えればすぐ分かる話。
166 :人間七七四年2007/10/24(水) 08:55:34 ID:jezWwWUV
だがなあ。
義信は駿河侵攻に反対して謀反起こそうとしたって言われてるが、
あの時期に武田が駿河侵攻しないのは、それはそれで後のこと考えると問題だったと思われ。
先に喧嘩を売ったのは今川が塩留めしたこと。
そのせいで越後の高い塩を買わなければいけなくなった武田は経済的打撃を受けた。
しかも北条駿河侵攻の構えを見せていたから、今攻めないと北条に東と南から囲まれることになった。
あれは、駿河侵攻以外の選択肢がない状況だったのに、反対する奴は冷遇されて当然。
義信が家督継承してれば、長篠もなかっただろ?
167 :人間七七四年2007/10/24(水) 09:04:32 ID:dc5q3zZt
>>165
それから明智を討つのがryって本能寺で信忠だけが助かるパターンの場合?
もしそうなら論功行賞で秀吉の織田家家中での勢力は拡大するだろうけど、
=織田家の権力低下なんて起きる筈がない。
信忠の勢力だけでも尾張・美濃・甲信・近江(信長領相続によるもの)
秀吉の加増は史実通り30万石程あって配下の与力大名がそのまま秀吉についたとしても信忠の勢力には劣る。

さらに史実で秀吉に味方した池田等の諸武将が信忠を見限って秀吉を支持するとは考えられないし、
柴田・丹羽・滝川とその与力大名も信忠を支持するだろう。

家中の大半からの支持、あるいは家中で突出した実力が必要なわけだけど、
秀吉が織田家家中で突出した勢力になれる訳がない。
それでどの様にして織田家の権力が落ちるんだ?

>>順調に家督継いでも次第に実力のある家臣に傀儡化されるなんてよくある話
信忠自身が一番実力を持つのにどの家臣に傀儡にされるというんだ?
暗愚な武将なら可能性はあるだろうけど、信忠は傀儡にされる心配が無いくらいの能力はあったんじゃないか?

>>羽柴が信長の子に何したか考えればすぐ分かる話。
全然分からないから解説してくれ。
秀吉が織田家を傀儡にできたのは根回しで織田家武将の支持を多く得て、
反目する信雄・信孝両人に織田家領土の大半を振り分けて織田本家の実力を削ぎ落とす事に成功したからだろ?
織田家当主の信忠が存命すれば誰が織田家の領土を他家に養子に出た弟達に振り分けて織田家の実力を削ぐなんて荒業ができるんだ?

168 :人間七七四年2007/10/24(水) 09:28:11 ID:Wr+cWvWk
>>166
いや、喧嘩はじめは義元死後に信玄が早速今川家中に調略かけはじめたこと
これに娘婿謀殺が重なった。信玄から背信した報いが塩止め
169 :人間七七四年2007/10/24(水) 10:32:49 ID:l3uebDGH
>>168
その調略って遠州騒乱への介入の事?
あれって江戸時代の浜松御在城記が元じゃなかった?当てにならんのでは?
今川と仲が険悪になり始めたのは、武田と織田が美濃国境で偶発的に
衝突した結果、双方がそれぞれ西上野と美濃を目的としていた事から戦いを避け
和睦・同盟に至ったことじゃないのか?
その後も信玄が三河攻略とか持ちかけてる事から
信玄にしてみれば背信という感じは薄かったのではと思うが。
170 :人間七七四年2007/10/24(水) 10:54:49 ID:VoyTTCJa
>>169
信玄が氏真に一緒に三河攻撃しよう、と誘った時
氏真からの返書で武田の背信の数々を書き連ねて断わっているよ
中には今川家家宝の伊勢物語を酔ったふりして盗んで返さないというのもあるw
171 :人間七七四年2007/10/24(水) 11:06:49 ID:l3uebDGH
>>170
甲陽軍鑑は江戸時代資料だしな。
伊勢物語のお話なんていつそんな事があったのか
さっぱりわからんし。脚色も入ってるんじゃないのか?
軍鑑の中でさえ織田との縁談は主要な問題とされてたはずでは。
172 :人間七七四年2007/10/24(水) 11:57:18 ID:mBIAYZTF
武田に不利なことは全て脚色って
脳内信玄ならいらんよw
173 :人間七七四年2007/10/24(水) 12:18:44 ID:l3uebDGH
いや、だからさ。甲陽軍鑑の脚色を認めないというなら信玄が川中島で謙信に勝ちまくったり
村上に砥石でも上田原でも勝ったりしてるのも正しい事になるだろ。
実際伊勢物語の話がいつあったかなんてわからんし。
織田の縁談が問題になってることは俺否定してないだろ。
174 :人間七七四年2007/10/24(水) 12:21:58 ID:JFDgoFKI
日本語でおk
175 :人間七七四年2007/10/24(水) 12:31:27 ID:l3uebDGH
>>174
いや、日本語だってば。
甲陽軍鑑は結構脚色もある資料だ。
完全に従うなら武田は砥石でも上田原でも村上に大勝利した事になる。
謙信が八幡原に向かって山を降りて決戦する前に「今まで武田と10数回にわたって
戦ってきたけど全て自分が負けてきたように思う。今度こそ勝利したい。」と
述べたりしてる事にもなる。さらに平賀源心を海野口城で討ち取ってる事にもなる。
これらの事は現在史学では皆否定されていることだ。
176 :人間七七四年2007/10/24(水) 12:45:51 ID:X71doUGX
やっぱ織田との婚姻と義信の幽閉が原因じゃないの?
1566年には駿河との国境を固めろって指示が出ているし
ソースは勝頼書状
177 :人間七七四年2007/10/24(水) 12:59:35 ID:oCkWLZWc
武田=北朝鮮
北条=シナ
徳川=南朝鮮
織田=アメリカ
明智=日本
178 :人間七七四年2007/10/24(水) 14:44:36 ID:oNa8aKp+
氏真と信玄の三河共同出兵が実現していたら日本の歴史は大きく
変わっていただろうね。武田が天下取ったかは知らんけど
徳川幕府はなかっただろう。
179 :人間七七四年2007/10/24(水) 19:35:36 ID:795iI8WQ
信玄の負の遺産というのも大局的な話であって
長篠は勝頼の戦術ミスだろうな。
桶狭間の今川みたいに大魚を狙って結果的にやられたのでもなく
長篠という小城を攻めるのに後ろ巻きされて大負けしたのだから
どうしても戦術の不味さを感じる。
まだ上洛しようとして美濃ででも大敗していたほうが後世の評価は
上だったでしょうね。
180 :人間七七四年2007/10/24(水) 19:49:07 ID:mb+ZkL+k
信玄の負の遺産っていうか
川中島の後遺症でしょ
事実上、第4四次でダメージで上洛は挫折してる
あとは国の疲弊を取り返すための戦
181 :人間七七四年2007/10/24(水) 21:54:02 ID:7tWHmlWT
勝頼の代になると、信玄時代の多正面の陽動
作戦が影を潜めてアプローチが単純になる。
主力の位置が捕らえどころ無く、一方で敵状
は専門の情報機関で確実に捕らえ、各軍団
を有能な使番で連携行動させるのが武田の
作戦上の優位点だったはず。
182 :人間七七四年2007/10/24(水) 23:52:00 ID:8BAzXo3l
>>179
負の遺産が大局的だったからこそ問題なんじゃ

>>180
その数ヶ月後には上野に出兵してるしなー

>>181
そんな優位点なんてあったか?具体的にどの戦で
183 :Y ◆VqSh5C7CR6 2007/10/25(木) 00:25:16 ID:dUvKrDlT
かなり亀だが・・・

>>115>>116
重ね重ね情報サンクス、早速検索してみる。
184 :人間七七四年2007/10/25(木) 01:33:23 ID:sEt5ohrc
>>167
なんか戦国時代理解してないみたいだね。
何万石持っていようと、信長のように畏怖・尊敬される存在でなければ
次第に実力のある家臣が権力増やすってこと言ってるんでしょ。
本能寺前後の織田家が江戸時代のように楽な時代って言うなら話は別だが。
185 :人間七七四年2007/10/25(木) 01:56:29 ID:mVYSJ6Ww
乗っ取られた可能性もあるだろうが
乗っ取られなかった可能性だって十分にある
一方的に戦国時代を理解してないなんて酷い言い草だね
186 :人間七七四年2007/10/25(木) 02:06:26 ID:PBuecnkC
江戸時代でさえ
将軍はお飾りで実権は他にあったわけだからな
乗っ取りは十分あり得るね

信忠がしっぽり信長のポストに収まるとは到底思えない
187 :人間七七四年2007/10/25(木) 02:30:51 ID:5PyZ8xJb
>>184
お前こそ戦国時代を理解してないんじゃないのか?
戦国時代だからこそ畏怖される要素の大半が当主の実力=当主の軍事力なんだろ。
実力ある当主である限り多少家臣が権力増そうが傀儡かされないと思うんだがね。

>>186
>信忠がしっぽり信長のポストに収まるとは到底思えない
なんで思えないんだ?理由は何だ?

経験も無い嫡子がいきなり家督を継承した場合ならまだしも、
信長存命中に既に家督を相続して武将としての経験も順調に積みつつある信忠の場合、
織田家を乗っ取られる、傀儡にされる心配なんて無い可能性のほうが遥かに高いと思うんだがな。
188 :人間七七四年2007/10/25(木) 02:40:11 ID:CLOCpMyO
>>187
この場合はお前に同意する
189 :人間七七四年2007/10/25(木) 03:44:40 ID:qkOCYHZ/
だね秀吉の出る目は無いだろうな
190 :人間七七四年 2007/10/25(木) 04:05:49 ID:GqKcNiER
>>189
信長の敵である光秀を秀吉が討てば、秀吉の発言力は高まるだろう。
そして秀吉は柴田勝家と激しく対立するだろうけど、信忠がどう対処するかは気になる。
192 :人間七七四年2007/10/25(木) 04:19:26 ID:qkOCYHZ/
召し上げまではいかないにしても不利にはなるだろうな
毛利が潰れたら即隠居とかなりそう
193 :人間七七四年2007/10/25(木) 04:21:59 ID:qkOCYHZ/
あと光秀を討ったというのも秀吉になるか怪しいな
194 :人間七七四年2007/10/25(木) 04:28:43 ID:5PyZ8xJb
>>190
仮に本能寺が起き信忠のみが生き残って秀吉が光秀を討伐して領土加増と織田家内での立場が多少強くなっても、
織田家中枢で政権運営に携わるのは信忠側近の美濃衆ほか滝川・河尻・森等の与力武将たちの可能性が高いだろうな。
勿論織田家がどの様な政権運営方法を用いるかによるだろうけどね。

秀吉と勝家が激しく対立したらこれ幸いと原因があるほう、あるいは両者の領土を没収して
自身の立場、織田家を更に強化するんじゃないかな。
まあ対立といってもどのような中身の対立かによって対処もいろいろと違ってくるだろうけどね。
195 :人間七七四年2007/10/25(木) 04:40:41 ID:5PyZ8xJb
>>193
信忠が脱出後本領の岐阜かあるいは安土城に向かえば、混乱した中で軍備を整えるのに手間取り、
その間に中国から帰還した秀吉が光秀と戦うという史実どおりの展開になる可能性が高いと思う。

信忠が信孝・丹羽らの四国方面軍のいる大坂に向かえば秀吉との合流も可能となり、
光秀討伐の総大将として仇討ちの面目躍如となるだろうね。
ただし予想外の謀反で誰が敵か味方か判別しにくい状況で、
光秀と結託してる可能性もある信孝の陣地に身一つで逃げ込む可能性は少ない気がする。

やはり脱出できた場合は本領の岐阜に向かう可能性大かな?
196 :人間七七四年2007/10/25(木) 04:51:18 ID:o3V2SFN9
>>182
とりあえず西上作戦や西上野侵攻作戦、北条との戦いでは主力の他に
主力軍と複数の支隊による多方面での作戦をやっているな。
勝頼になるとなんかこういうのがなくなるなあ、とは俺は>>181ではないが思う。
197 :人間七七四年2007/10/25(木) 08:51:55 ID:RUUldrtC
武田が対織田徳川に集中できる戦力が減少してたからな
ある程度纏まった数ならともかく、少数を分散しても半端に終わるだけ
原因は重臣間の路線対立だろう
西進で干されていた重臣が、再び北進や東進を画策したとか
直接的な原因は外交の変化だろうが
198 :人間七七四年2007/10/25(木) 09:55:09 ID:0KYIBzpS
>>187
信長が畏怖・尊敬されてたのはその性格や個人的な能力でしょう?
あなたは会社の社長・学校の先生という地位にいるだけでその人を畏怖・尊敬するんですか?
現実社会でも上の人間に能力・カリスマ性がなければ下の人間は勝手なことをし始める。
天下統一した豊臣ですら家臣に乗っ取られてるんだから、本能寺前後の織田ぐらいだと、
家臣が権力争いしてどうなるか分からんよ。
199 :人間七七四年2007/10/25(木) 09:58:24 ID:dFrBWzPt
>>198
組織の中の地位って、「権限を持っている」って事だよ?
権限がなけりゃいくら能力持ってても何も出来ないんだよ?

わかる?
200 :人間七七四年2007/10/25(木) 10:31:57 ID:vpgV2uK0
下の人間に権力や基盤が在れば勝手な事も出来ますが
残念ながら織田の家臣団にそのような力は御座いません


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【写写】◇用漢語談英雄◇【中文】また騙されて中国英雄板まで飛ばされたわけだが