続なぜ秀吉は嫌われるのか伊達政宗 VS 真田幸村 VS 立花宗茂

2010年12月27日

日本の戦国時代 合戦の虚像と真実

1 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/06/20(火) 14:29:28 ID:9OLkB/Ei
日本の戦国時代の合戦の虚像と真実について語るスレ
煽り誹謗中傷抜きで大人の議論をしましょう


3 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/06/20(火) 14:42:42 ID:9q77r4Fb
センセイ!質問!!

戦国時代の戦場って、街道沿いとか河川敷、田畑みたいなところになるの?
雑草生い茂ったところじゃ戦闘どころじゃないよね。

素人でスマンです・・・教えていただければありがたい。
4 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/06/20(火) 14:56:34 ID:YqF7QtWp
開けているならところ構わずってイメージはあるけど、どうなんでしょうね?
5 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/06/20(火) 15:33:58 ID:YqF7QtWp
どう考えても 原野 で合戦しているイメージがあるので
少し考えたが、ちょいと仮説
当時の雑草は今ほど背丈が高くない
何故って、セイタカアワダチソウは戦後に入ってきた植物
ススキくらいでしょ、背が高いのは

仮説ですが
6 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/06/20(火) 15:36:50 ID:9q77r4Fb
ありがとうございます。
騎馬隊のスレを見てて、日本の戦場で騎馬が活躍出来たのかなとおもったもので。
7 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/06/20(火) 15:54:09 ID:GSH7nv1u
山城での攻防戦がほとんどだな、残念ながら。
大軍での野戦は数えるほどしかない。
9 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/06/20(火) 20:39:14 ID:nlCxe46N
有名な長篠も川中島も桶狭間も関ヶ原も説得力のある新説が次々と出されてるし
多くの合戦は相当脚色してあるんだろうなあ。
10 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/06/20(火) 20:55:31 ID:BbrEmIyc
基本的に開けてるところには集落と田んぼがあるはずだから、
とりあえず、ほんとの平原みたいなものは余程の僻地で無い限りありえないと思う。
わからんが。
あとは、今の山は江戸期に植林でできたもんの筈だから、
当時の山は原生林みたいなものだったと予想。
11 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/06/21(水) 09:20:05 ID:Z6XlPt5e
>>10
そうかも知れないし、違うかもしれない

漠然としたイメージなんだけど、江戸期以前って日本全国に原野広がっていたような
内藤新宿の話なんかを参考にすると、そう思ってしまう
当然関東平野と濃尾平野、それから山がちな地形はまた違うでしょうが
14 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/06/28(水) 07:09:01 ID:DTSdoVrv
関ケ原の合戰は日本全國で東西それぞれ弐拾萬超の大軍勢が競ひ合つた一大決戰。
那古屋の邊りにのみ視點を奪はれると全體を見誤る。
15 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/06/28(水) 21:51:35 ID:IXCgASv2
>>10
当時は都市人口率が非常に低く人口が分散していたため、都市部でも原野があった。
原野は至る所に広がっていたよ。草原というより、ススキ野原といったところ。
今の山や森はそれまで広葉樹林主体だったところに杉を植林したもの。
16 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/06/29(木) 07:52:47 ID:XpzNe0Ff
品種改良される前の稲って、ほんと場所選んだからねえ。
今の米の名産地なんて、当時は米は駄目ぽってとこ多いし。
当時でも肥沃だった筈の美濃、尾張、近江ですら原野は多かった。
穀物は寒さだけがクローズアップされがちだけど、何気に水はけが結構問題なんだよね。
17 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/06/29(木) 14:10:06 ID:c8YDLsMo
>>15-16
ありがとうございます
>>3が解決したような
18 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/06/29(木) 23:50:17 ID:jOhDEbRq
>16
その辺は当時の治水能力というのも無視できない。
雨が降ると直ぐ洪水になるので平野部に田畑を作ることが出来なかったんだよ。
だから戦国以前は水の便のいい丘陵地帯が耕地として利用されたんだな。

うちの田舎はひどい土地で明治に入るまで平野部に田畑なんか作れなかった。
置県後、交通事業を優先するか治水事業を優先するかでもめて、分離しちゃったくらいだし。
19 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/06/30(金) 14:55:46 ID:UsGnX1W8
>>18は、いったい、、、おいくつなんだろふ???

20 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/06/30(金) 15:41:32 ID:AtgfdWEb
ちなみにオレの家は、明治末年は丘沿いの薄暗い湿地だった

って知ってるの、意外と明治の話とか江戸末の話は
21 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/02(日) 05:38:08 ID:UUOiOjNX
江戸以前は関東平野もかなり湿地が多かったみたいだな。
今は郊外ならどこいってもたんぼばっかりで、
それを基準に見ると相当な人口養えたんじゃないかなと思うけど、
関東が乾いたのは江戸幕府が利根川を太平洋に注ぐそうにしてからっぽい。
それ以前は常陸の南部、下野の南部、下総から武蔵の江戸付近まで
ちょっと多く雨が降ればすぐに水浸しになったようだ。
香澄浦、香取浦から今の利根川に沿って下妻付近まで沼と湿地で
ちょっと大げさに言えば半島状の地形といってもいいくらいだった。
22 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/02(日) 06:44:17 ID:GhosFfZq
>>6
武士ってのは元々騎馬武者のことだよ。
馬上戦闘できてあたりまえの連中のことだ。
騎馬の集団突撃も源平合戦、元寇、戦国期(信長公記等)の史料に残っている。
23 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/02(日) 11:05:02 ID:6UqqmhEi
『信長公記』 太田牛一


一番に山県三郎兵衛、推太鼓を打つて懸り来り供鉄炮を以て散々に打立てられ引退。

二番に正用軒、入替、かゝればのき、退ば引付、御下知のごとく鉄炮にて過半人数うたれては其時引入るなり。

三番に西上野小幡一党、赤武者にて入替り懸り来る。
関東衆馬上の巧者にて、是又馬入るべき行にて、推太鼓を打つて懸り来る。
人数を備へ候身がくしをして、鉄炮にて待請けうたせられ候へば、過半打倒され無人になつて引退く。

四番に典厩一党黒武者にて懸り来り候。
かくのごとく、御敵入替へ侯へども、御人数一首も御出しなく、鉄炮ばかりを相加へ、
足軽にて会釈、ねり倒され、人数をうたせ引入るなり。

五番に馬場美濃守、推太鼓推にてかゝり来り、人数を備へ、右同前に勢衆うたれ引退く。
24 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/02(日) 11:34:44 ID:hwk+kZ70
きちんとはなしするなら、ちゃんと言葉の定義をある程度決めておいたほうがいいんじゃねえの?

騎馬突撃つーのは、従者は伴わず、純粋に馬に乗った兵だけでたくさん集まって突撃したってことなの?
あと馬上戦闘って言うのは、馬の上で弓を撃つのまで含めるの?
28 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/02(日) 12:40:44 ID:GhosFfZq
>>24
何言ってんだ全く。鎌倉時代は従者も騎馬だっつーの。
29 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/02(日) 14:31:55 ID:hwk+kZ70
>騎馬の集団突撃も源平合戦、元寇、戦国期(信長公記等)の史料に残っている。
>>28
自分の発言で鎌倉時代も戦国時代も一緒くたにして扱ってるじゃん。
個人の感覚で言葉の使い方に齟齬が出るから、そうならないように
詳しく書いたほうがいいといっているんだけどね。

あと、所謂騎馬軍団については>>23がよく引き合いに出されるけど、
馬を入れたと書いてあるだけで、どういう状態で馬を入れたのかは書いてないんだよね。
オイラの感覚では、戦場には馬を連れてこないのが通例なのに馬に乗って戦場入り
(無論たくさんの徒歩武者をや足軽も伴って)した奴がいたので
まあまあ珍しくて書いたという風に思うんだけれども。

疑問があるんだが、鎌倉時代の馬上戦闘っていうのはほとんど騎射だよね。
突撃という言葉の使い方としては、おっかない棒とか槍とかを持って
密集して敵陣に突っ込んでいく姿をイメージするんだよね。
例えばこの↓のページのAね。
ttp://miraikoro.3.pro.tok2.com/study/mekarauroko/jyuhou_to_rekishi02-03.htm
鎌倉時代の戦闘について詳しく研究した書籍があったら教えて欲しいのう。
30 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/02(日) 14:47:20 ID:/DnAYfS7
勘違いしている奴多そうだけど、騎馬兵だけの部隊ってそれほど強くないぞ。
弱いとは言わないが、数が同じなら騎馬兵と歩兵をミックスした部隊の方が
むしろ強いくらい。騎馬兵だけだと、馬の弱点を補えないんだよな。

現在で言えば、騎馬兵・歩兵をミックスした部隊ってのは、機甲師団にあた
る。戦車を中心に歩兵がサポートして、敵をつぶしてゆく戦い方だな。
騎馬兵だけで構成した場合の最大の利点は、攻撃力よりも移動力の方。今
でいえば、空挺団にあたるが、空挺団がそうであるように基本的に奇襲に
つかう。
31 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/02(日) 14:47:40 ID:b8zcQ4kl
まあ、上の「信長公記」の記述から、長篠で騎馬はほとんど使われてないってことがわかる。
実際問題、武田家の陸運法が騎馬を用いた物なワケだから、
その騎馬を戦闘で失うことは、かなり痛手だと思うわけで。
長篠と武田家に限ればね。
32 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/02(日) 22:06:54 ID:Jmbh1akz
>>29
神戸市文書館(近藤好和)
ttp://www.city.kobe.jp/cityoffice/06/014/genpei/bugu/bugu.html

『源義経』
ミネルバ書房(2005年)

『騎兵と歩兵の中世史』
吉川弘文館(2005年)
33 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/02(日) 22:13:51 ID:XvcSLH10
>>30
ミックスはしないほうがいいんじゃないか。
最大の利点である機動力を削ぐことになる。
騎兵は騎兵として独立運用し、
なおかつ周囲の歩兵や砲兵の支援を受けるという形が望ましいと思う。
34 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/02(日) 22:14:54 ID:XvcSLH10
24 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/20(火) 09:09:04 ID:bQZ2Z3RZ
グスタフアドルフのスウェーデン軍は騎兵の長剣突撃で有名だが、
そのスウェーデン軍の装備目録によると、騎兵用軍馬の体高は112〜133cmと日本馬より体格が小さいそうだ。
前列が短銃で斉射したあと、長剣を振りかざして突撃するという戦法で活躍した。
(昭和28年に、新田義貞の鎌倉攻めの戦死者と共に出土した128体の馬の平均体高は129.5cm)
これほど体格の小さい馬でも突撃は十分可能である。

また、モンゴル軍の軍用馬の平均体高は120〜130cm程度で、
モンゴル人はこの小型馬に乗り戦闘を行なったわけだ。


25 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/20(火) 09:16:22 ID:bQZ2Z3RZ
>>10
スウェーデン馬ほど小さくないとはいえ、
中世ヨーロッパの馬もせいぜい130cm台で、max142cmといったところ。
>>24で言った鎌倉攻めの戦没者遺跡からは140cmの馬も出土している。
出土した中でもっとも分布数が多かったのは126〜136cmだった。

34 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/20(火) 21:24:54 ID:bQZ2Z3RZ
西洋みたいに突撃で中央突破して指揮系統を分断したり、
側背を包囲して包囲を完成させる、なんて用兵はしてなかったかもね。
日本でも集団で乗り入れて敵の陣形を崩すことはしていたようだ。

長槍には「槍衾(やりぶすま)」という騎馬への防御戦法もある。
文字通り密集した数列の横隊で槍を隙間なく並べるわけだ。
騎馬が近づいてきたら、槍の柄で地面をバンバン叩いて脅す。これは動物に非常に効果的なのだそうだ。
そして膝をついた姿勢で槍の尾部に付いている、石突という尖った金具を地面に突き刺し、槍先を敵に向ける。
突き刺さる馬の衝撃は人間で受け止められるものではないので、こうするわけだ。
敵の騎馬が突っ込んできたら串刺しになる。
35 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/03(月) 00:25:00 ID:i1Cj6cBO
>>33
それは、封建制領主の軍隊では無理なんじゃない?
封建制の軍隊は粒の大きさがまちまちの葡萄の房に例えられるように、質・量のいずれも均一ではない。
当時の騎兵は兵科として存在するのではなく身分として存在している。
領主だけ騎兵として再編しちゃったら、あとの足軽(大名からすれば陪臣)は誰が指揮するの?
36 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/03(月) 12:58:29 ID:KdxafpSb
某HPからのコピペっす
でも単一兵科はあんま聞いたことないなあ

しかし時代が下り中世も後期になると、武将・大名が軍団の装具や資材を一括して集めたり、
動員された兵士全員の装備の内容に注文が入ったりする様になる。
組織としても動員した兵士を中央に一度集めてから再編成したり、
武将・侍を指揮官として各部隊に配属するという、中央集権的組織に変わっていく。
(これは各武将の独立・在地性が、著しく低下して行く社会的・政治的傾向と連動していると思われる。例えば寄子寄親制。)また武将・大名直属の兵士の数も増える。
つまり寄せ集めの度合いが減っていくという事である。
37 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/03(月) 13:02:53 ID:KdxafpSb
戦国時代の戦術とかはどうだったんだろか
ヨーロッパはギリシャ・ローマの時代から単一兵科で
高度な戦術をもっていたけど
戦国時代はとりあえずごっちゃで殴り合いって感じ?
ハンニバルみたいな采配の芸術は無いの?
鉄砲取ったらアレクサンダー大王や古代ローマ軍にも負けそうなんだけど>戦国軍団
38 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/03(月) 13:24:44 ID:t0AN7IGK
近世日本の城郭は世界でも有数のレベルって言われてるぐらいだから
それを攻め寄せる技術(そこまで行く戦術も含めて)ってのも、それなりに高いんじゃないかと愚考。
まあ俺は戦術はよく知らないんで、あくまで愚考だけど。
でも城(というか縄張りね)は、ほんと調べれば調べる程レベル高いよ。
39 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/03(月) 13:32:58 ID:4lAXkW2O
>>36
それは、地方知行制の形骸化・廃止による家臣持ちの陪臣の減少及び大名直臣の増加を俟つ必要があるよね。
現代の組織で言うと広域暴力団型から自衛隊型の組織、つまり武士限定だけど国民軍に近い形。
江戸時代では幕末各藩で見られた農兵隊、幕府歩兵隊などがそれに近いかも。
?隊も意図としては近いけど、地域・職域から自発的に編成されたものが多く、規模が均一でないという面で広域
暴力団型の尻尾を残している。
幕末頃の兵学思想になると、三兵戦術とか導入されてるのでそろそろ机上の学問としては騎兵・歩兵・砲兵という
区分が志向されてきていると思われ。その実態は別として。
40 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/03(月) 13:38:59 ID:4lAXkW2O
>>37
> 戦国時代の戦術とかはどうだったんだろか
> ヨーロッパはギリシャ・ローマの時代から単一兵科で
> 高度な戦術をもっていたけど

時代によって違うのでは? 皇帝専制・絶対王政時代であればそういう編成・運用ができていたと思うけど、小諸侯
が乱立し、皇帝・王と言いながらも単なる盟主的存在だった時代には日本の戦国時代に近い形だったと思うが。
兵制が我々に馴染み深い国民軍形式になったのはナポレオン以降順次各国に普及した結果でしょ。
それ以前の封建軍だったら、旅順も陥落しなかったし第一次大戦の西部戦線が塹壕戦主体の消耗戦になるはずも
なかったと思われ。
41 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/03(月) 16:41:37 ID:KdxafpSb
>>40
用兵戦術の知識はローマが滅んでから一旦衰退してるんだよね
中世の暗黒時代なんかそう
ルネサンスを経て15〜16世紀前半にやっと古代ローマに並んだって感じ
兵器はずっと進歩してるけど
44 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/03(月) 19:04:37 ID:JXyJKvfv
>42
 マケドニアファランクスの弱点は密集陣形故の機動力の低さにある。
 初期ローマの槍兵密集陣が蛮族に敗れたのはこのあたりにある。
 そこから機動力重視の盾に小剣、投槍を装備したおなじみの編制となる。
 戦国軍がその点に気づけば戦い様が有ると思う。

 うーん、マケドニア軍と戦国軍が同数の場合はマケドニア軍のほうが包囲されそうです。
 マケドニア軍は方陣の上に密集しているので正面戦力が少なくなるのに対して、
 戦国軍は飛び道具による攻撃から戦闘に入るゆえに横隊陣が基本となるので正面戦力が広くなります。
 マケドニア軍の正面に対峙した部隊は簡単に蹴散らされそうですが、残った部隊は左右から包囲攻撃ということになりそうです。
45 :名無しの雑兵2006/07/03(月) 21:19:47 ID:pVZRtQ6Y
>>44
マケドニア軍ではアレなので同時代のテルシオ〜マウリッツ〜グスタフ・アドルフの軍隊
と較べると・・・
正面から戦えば戦国期軍隊の必敗、但し機動戦、伏撃、奇襲、急襲、夜襲といった不意
を付く形なら戦国期軍隊が優勢
後、地形にも大きく左右され、起伏の多い地なら日本、平原なら欧州の軍隊が有利
46 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/04(火) 04:34:46 ID:ylN1xemo
>>44
脆弱なファランクスの側面を包囲される危険を防ぐための、両翼の騎兵ですが
マケドニアの騎兵が充実していなければ
ローマにやられたときと同様、日本側の側面攻撃を支えきれないでしょうね

日本の正面戦力が広いと、戦列がその分薄くなり突破される危険はありますが、
両翼の幅が広がり側面攻撃に割ける部隊の数は増える
鈍いファランクスを正面に拘束し騎兵を撃破できれば・・・
それまでに日本側の正面がどれだけ持ちこたえるかにかかっていそうですね
日本側にローマの大盾があれば、正面からでもファランクスに肉薄して刀で攻撃できるんですが
47 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/04(火) 05:22:10 ID:tkI229Rv
>日本側にローマの大盾があれば、正面からでもファランクスに肉薄して刀で攻撃できるんですが

起伏や障害物の多い地形に誘い込むというのも手ですね。
方陣を崩したがらないがゆえに、ちょっとした障害物で直ぐ止まってしまうんですよ。
そして足の止まったファランクスはそれほど怖くない。
戦場が日本なら・・・って戦国日本軍は日本の環境に適応した軍だからちょっと卑怯か。
48 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/05(水) 22:03:25 ID:LHadkzVR
そんなことを言ったら、欧州の環境に適応したマケドニア軍のホームグラウンドで戦うのは卑怯という事にもなる。

まあ、環境があまりにも違うから単純な比較は無理だろうしな。
49 :今更だけど2006/07/06(木) 00:46:03 ID:lW1M/Ai7
>>34 中世ヨーロッパの馬もせいぜい130cm台で、max142cmといったところ。
現存している騎馬用甲冑の大きさから中世ヨーロッパの騎士用軍馬は相当大きかった模様。
デストリアと呼ばれる軍馬は170cm前後あった。
かつて軍馬として使われたシャイア種もそれくらいある。
50 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/06(木) 07:27:39 ID:50hBr9VY
>>49
デストリアとは騎士が用いる軍馬のことで種類じゃないよ。
オランダ産のフリージア種のことだと言われているね。一旦廃れ、近代に交配による大型化を経て復活してる。
シャイアー種は19世紀の種だよ。先祖はイギリス軍馬グレートホースだが、近代的改良を受けている。
51 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/06(木) 14:07:15 ID:HPo1UOz5
日本の戦国時代!合戦の虚像と真実3!!!!
http://hobby7.2ch.net/test/read.cgi/army/1151860317/
53 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/06(木) 19:41:44 ID:WWFGfYGQ
>>51
そこ「少佐」なるコテハン持ちが暴れてるから、立ち寄らないのが吉
54 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/06(木) 21:08:24 ID:7wIqplqw
>>53
少佐は有名なネタ職人だよ。最近捻りが無くてつまらないが。
55 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/06(木) 22:37:49 ID:lW1M/Ai7
>>50
>>デストリアとは騎士が用いる軍馬のことで種類じゃないよ。
これはわかってるよ。馬の種類ではなくて軍馬の種類てことは。

>>オランダ産のフリージア種のことだと言われているね。
これは知らなかった。シャイア種の祖先か何かだと思ってたよ
56 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/07(金) 21:56:09 ID:H/WyLtV+
>>51
本スレ荒れてますね
いくら少佐とはいえ、書き込み量が尋常じゃない・・・
57 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/14(金) 03:09:48 ID:tpdskg7A
戦国時代に動員された兵力の実数ってどの程度なんだろね?
関ヶ原なんか1万石当たり300人で計算して数えられているけど実際はそんな都合よくは行かなかったと思うのだけど。

少し時代を遡った英仏百年戦争あたりだとかなり細かい兵数までわかってるようで例えば1428年のオルレアン包囲の際、
ソールズベリー伯が率いたのは装甲兵444人、射手2250人(ブルゴーニュの援軍などは含まない)
1441年のヨーク公の遠征は装甲兵801人、射手2997人
など
58 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/18(火) 04:51:19 ID:zb2GuJkF
当時の資料だと、単純な石高計算より多い兵力を動員しているね。
桶狭間の今川なんか好例。
59 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/18(火) 20:28:59 ID:OVOXh9vJ
>>58
桶狭間の今川軍だって総兵力は25000と言われてるけどそれ自体が正しいのかも疑問なんだよ。
大阪夏の陣の伊達軍なんかはかなり詳しい兵数が残ってたはずだけど・・・

ヨーロッパでも年代記なんかの記述そのまま引用するとバノックバーンなんかで30万も動員されたことになってて
当てにならない。
60 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/28(金) 00:01:42 ID:75f6s29+
潜水艦のようなものが大坂冬の陣で使われたらしい
62 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/28(金) 21:45:15 ID:Qmob1k6F
>>60じゃないけど「続武将感状記」の九鬼水軍の盲船の事だろう。
真偽はかなり不明ですが。
63 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/30(日) 01:17:50 ID:spDMsuVy
大黒柱の働き手が怪我したら、一家壊滅なので兵士はまともに戦って無いよな。
西洋医学の到来以前は、怪我したら終わりだから、兵士は逃げまくっていたよな。
64 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/31(月) 03:14:13 ID:UsfwHhgZ
>>63
逃げてばかりでは、出世も出来ないからいい暮らしも出来ない。だから戦うだろ。
雑兵レベルでは家庭も持てない、次男坊以下が多いだろうし。
66 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/26(土) 02:27:41 ID:Bs+kHsdA
戦国時代の戦における傷の原因の比率
http://www.kurokichi.net/inside/up/src/up1165.jpg
67 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/26(土) 09:09:55 ID:EaLE8DXU
>>66
藪の中での擦り傷とか蛇にかまれたとか、
あと虫刺されなんかもすごそう。
68 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/26(土) 09:20:44 ID:4tuytOvZ
>>66
やはり遠距離武器が強いか
70 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/26(土) 15:33:28 ID:MLuv/7UO
で、双方崩れなかったら槍の叩き合いだからな。
近接戦のメインウェポンはそもそも槍だし。
71 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/26(土) 16:34:35 ID:S61rJ8Sz
天正4年(1576) 天王寺砦の戦い ダイジェスト

4月3日 信長、石山本願寺を攻撃中の明智光秀・細川藤孝へ
全ての麦の刈り取りと「大坂籠城候男女」へ赦免するので早々に
退去することを促す旨を表示した「立札」を諸口に立てることを命令。
また「坊主」以下の再起を期そうとする連中は「不可赦免」を命令。
──『細川家文書』

4月5日 信長、摂津国平野庄惣中へ石山本願寺に兵粮を運搬
することは「曲事」であるので厳禁すること、もし違反者が発生した
場合は「成敗」することを通達。──『末吉文書』

4月14日 信長、明智光秀・細川藤孝・荒木村重・塙直政らに、
摂津国大坂の石山本願寺を攻撃させる。──『信長公記』

4月29日 信長、近江国安土城より上洛し、京都二条妙覚寺に
寄宿す。──『信長公記』
72 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/26(土) 16:35:14 ID:S61rJ8Sz
5月3日 石山本願寺一揆勢、数千挺の「鉄炮」を以て織田軍を
攻撃、敗走させる。一揆勢の追撃を阻止した原田備中(塙直政)
・塙安弘・塙小七郎・蓑浦無右衛門・丹羽小四郎らが討死。
──『信長公記』

5月4日 石山本願寺一揆勢、天王寺砦を守備する佐久間信栄
・明智光秀・猪子高就・大津長昌ら織田軍を攻囲。
──『信長公記』

5月5日 信長、100騎ばかりの手勢を率いて京より出陣、摂津国
大坂に向かう。河内国若江城に到着。──『信長公記』

5月7日 信長、自らの陣頭指揮により3千ばかりの軍勢を率い
「三段に御備」て石山本願寺一揆勢1万5千に攻撃を仕掛ける。
先ず住吉口より攻め込み、戸口まで進撃。信長は先手の足軽
と共に攻撃に参加し的確に指令を発していたが、足に鉄炮疵を
負うなど負傷するも一揆勢を撃破し天王寺砦に入る。
敵首2700余を獲る。──『信長公記』
75 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/31(木) 23:29:45 ID:m3EOUA+J
>>71-72
すごいゴールデンウィークのすごし方だな。
77 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/01(金) 01:32:18 ID:dYjOUIcN
>>75
 確かに出発がみどりの日か
78 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/01(金) 05:24:48 ID:oP9Qvu2O
9

確かに脚色されてるかも!
討ち取った首は首桶にいれて持ち帰り、それに化粧して少しでも位の高い兵に見せかけてたっての聞いたことある
79 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/17(日) 20:44:14 ID:oxmR6Jfu
日本の戦国時代 合戦の虚像と実像
http://hobby7.2ch.net/test/read.cgi/army/1128176890/
日本の戦国時代 合戦の虚像と真実2
http://hobby7.2ch.net/test/read.cgi/army/1147453486/
日本の戦国時代の合戦の虚像と真実3
http://hobby7.2ch.net/test/read.cgi/army/1152990829/
日本の戦国時代!合戦の虚像と真実3!!!!
http://hobby7.2ch.net/test/read.cgi/army/1151860317/
81 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/27(月) 19:30:10 ID:GpPKvLrI

足軽は本人の希望で槍隊とか弓隊とか鉄砲隊に入りたいとか選べたのかな?
82 :名無しの雑兵2006/11/27(月) 20:48:49 ID:CoiT4noC
>>81
弓・鉄砲は技量が必須
83 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/11/28(火) 01:04:42 ID:jIlGhsZd
>>82
ただし修得難度は、弓>>|越えられない壁|>>鉄砲 な。
85 :名無し2007/02/10(土) 20:23:58 ID:J5lRtZwR
大河みたいに敵味方入り乱れての戦いなんてほとんど
なかっただろうな
あんな激しい戦いをしていたら侍なんて怖くてやってられないよ
最前列の方だけチョコチョコやって陣が崩れた方が負け
だから関が原でも死傷者が少なかったんだと思うよ
86 :にゃんこ2007/02/10(土) 21:11:35 ID:4E92lMkV
85氏に一票。

当時の戦争は近代戦とヤクザの出入りの中間だろう。
戦いの中心は、大ボスの「顔」で行う多数派工作。合戦はその多数派工作の
再確認の場。
関ヶ原みたいのが特殊なのではなくて、あれが普通なんだろう。
87 :人間七七四年2007/02/13(火) 22:14:16 ID:o+L9Y4Bx
他スレでのレスを見ると>>86の言葉には微かな説得力も感じられないのであった。
88 :人間七七四年2007/02/13(火) 23:11:51 ID:Y69GaKJL
>>58
たしか、朝鮮出兵のときには西国の大名は1万石につき500人動員するよう
命が下っているはず。たぶんこれくらいが限界値だと思う。
90 :名無し2007/02/28(水) 20:48:17 ID:qFpb8ts2
>>88
それだと50万石で2万5千人か
根こそぎ出陣になるのかな?
91 :にゃんこ2007/02/28(水) 22:19:38 ID:eKzyPVor
豊臣政権の検地は、実際はいい加減なとこがあったらしい。朝鮮の役も北条攻め
も、エエ加減な検地を見越した動員数の割り当てなので、地域や大名によって、
1万石あたりの動員割り当てもバラツキが大きいらしい。
 結局、ちゃんとした検地をするためには、かなり強力な政権が成立する必要が
あるんだな。2代で潰れるような政権ではダメなのさ。
92 :にゃんこ2007/02/28(水) 22:24:09 ID:eKzyPVor
89>

そうだね。惣村の協力の得やすい防衛戦と、嫌がられる遠征とでは、分けて
考えないとね。

ちなみに、100石7人なら、
100石は、不正確な検地に依っており、実際はプラス数十石。で、実際は
100石あたり、4人〜5人くらい? もっと少ないかな?
93 :名無し2007/03/03(土) 10:57:28 ID:gCgY9+OE
100石4人だと50万石で2万人か
2万人もいれば誰が相手でも1戦やってみたくなるかも
将棋じゃないから負けたら重大だがな
94 :人間七七四年2007/03/27(火) 13:04:57 ID:Y5kSxSDz
軍忠状(恩賞のため主君に差し出した戦功と損害の報告書)から見た戦傷比較
(1333〜1387年。いわゆる南北朝期)


矢傷 86.4% (462)
切傷 9.2% (53)
石傷 2.8% (16)
鑓傷 1.4% (8)
その他 0.2% (1)

()内は人数

南北朝期にはすでに刀槍併用時代が始まっていたとされていますが、接戦派の
主張する切傷は全体の一割にも満たないようです。  


軍板のスレが某研の連投で機能不全に陥っているのでageておきます。
95 :人間七七四年2007/04/03(火) 09:14:25 ID:DZ0oHFcZ
そだね〜あっちはもう機能してないし
こっちに退避しましょうか

じゃあ、あっちのスレの続きで

備えの編成の話から?
参考はコレ?
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%82%99
96 :人間七七四年2007/04/03(火) 09:21:11 ID:DZ0oHFcZ
一応張っておきますね

軍板の姉妹スレ
日本の戦国時代の合戦の虚像と真実5
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/army/1174502072/

過去ログ
日本の戦国時代 合戦の虚像と実像
http://hobby7.2ch.net/test/read.cgi/army/1128176890/
日本の戦国時代 合戦の虚像と真実2
http://hobby7.2ch.net/test/read.cgi/army/1147453486/
日本の戦国時代の合戦の虚像と真実3
http://hobby7.2ch.net/test/read.cgi/army/1152990829/
日本の戦国時代!合戦の虚像と真実3!!!!
http://hobby7.2ch.net/test/read.cgi/army/1151860317/
日本の戦国時代の合戦の虚像と真実4
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/army/1167608720/
97 :人間七七四年2007/04/03(火) 09:28:14 ID:DZ0oHFcZ
>>94
戦傷者の傷だけ?
思うに接近戦だと死亡率高いんじゃない?
遠距離・矢戦だと怪我しても仲間が治療してくれるが
接近戦・乱戦だと負傷>戦闘力低下>そのまま討ち取られるってのも多そう

まあ、遠距離戦が中心だったのは間違ってないけど
結局最後の白兵戦って重要だったのでは?
最後には相手を潰走させなければならないわけで
その為に遠距離戦>時期を見て白兵戦に移行はあったのでは?
白兵戦に移行した段階でほとんど勝負は決まってるから
死傷者は白兵戦では少なかったのかな?
98 :人間七七四年2007/04/03(火) 09:35:38 ID:GYNVFmEI
「首とってなんぼ」の世界だからな。
弓鉄砲だけじゃ首とれんからな。
100 :人間七七四年2007/04/03(火) 19:45:11 ID:zufrLwAv
>>97
治療ってw
傷→破風症等のコンボでの死者数>>>>>討ち死数
101 :人間七七四年2007/04/03(火) 19:54:26 ID:acMOetiC
小規模な合戦(野戦)では、20%弱が石つぶてで死ぬような合戦もあったって聞いたんだけど。
攻城戦はどうだったのだろう?

102 :人間七七四年2007/04/03(火) 21:17:11 ID:u4BSwd2q
小規模合戦だったら死者11名のうち2名が投石で死んだ、
っていうことなんじゃないか? いや、マジで。
103 :人間七七四年2007/04/03(火) 22:38:12 ID:UoKKfB3A
>>100
そうね〜当時の医療だと
傷は軽度でも感染症なんかはヤバイね

>>102
ありそうだ・・・参加兵力300前後とかの合戦だと
104 :人間七七四年2007/04/04(水) 13:59:24 ID:c0aw3GqN
>>100
>>94
さんの資料には戦闘後しばらく経ってから
感染症で亡くなった人の数は入っているのだろうか?
それとも、集計外なのだろうか?
確かに感染症は当時としては重要な問題ではあるが
感染症にかかる可能性があるからといって
治療しない(負傷者を見捨てる)などという行為を行ったとは考えにくく
そうなると戦闘直後にはそのような人はまだ生きているわけで

>>94の集計時が何時であるのか
どのような人を対象に集計したのか重要と思う

あと、負傷者の感染症の発症率
また感染症にかかっても100%死ぬわけでは無いのだから
その死亡率などはどのような感じだったのだろうか?
105 :人間七七四年2007/04/04(水) 14:04:35 ID:b7faHp7X
>>47
でもマケドニア〜ギリシャも日本列島も起伏の激しさではどっこいだと思うん
だけどなあ。むしろ平地の比率は日本の方が高い。

日本の地形が複雑といっても、ある程度(数百人レベル)以上の規模の戦いは、
兵を展開できるだけの広さを持つ平地で行ってたのが普通なんじゃない?
106 :名無しの雑兵2007/04/04(水) 21:29:53 ID:Kgq5QOgJ
>>105
ギリシャは乾燥してますから
107 :人間七七四年2007/04/05(木) 07:09:26 ID:wA0QEEE5
ローマとの戦争では、起伏のある土地でファランクスの隊列が乱れたのが(ギリシア側の)敗因のひとつとされていたような。
108 :人間七七四年2007/04/05(木) 12:58:47 ID:QPJKQHUJ
紀元前ギリシャのファランクス>戦国時代の軍団
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1153279518/

昔軍板で似たようなスレが盛り上がってたような気がする
109 :人間七七四年2007/04/05(木) 21:08:55 ID:wA0QEEE5
ハリウッド映画の「独立戦争モノ」とか「南北戦争モノ」なんかだと、敵の白目
が見える距離まで近寄ってマスケットやらライフルやら撃ち合っているけど、
戦国日本の場合、どの程度の距離で弓とか鉄砲とか撃ち合っていたんだろ?
110 :人間七七四年2007/04/06(金) 05:04:08 ID:WToX/319
敵に近寄られた場合は、
敵の槍の間合いの内側に入って急所を狙って射ろ、と雑兵物語にはある
これがもっとも短い距離での射撃
111 :人間七七四年2007/04/08(日) 15:46:47 ID:xXM1V+z8
2メートルくらいか?ほとんどゼロ距離射撃だな。
114 :人間七七四年2007/05/22(火) 00:04:39 ID:40SLmv/Q
>>110
多分に心理的なものも含んでいる教えだから。

どうしても興奮し、恐怖に負けると、遠い間合いで射てしまう。
それで外すと。
115 :人間七七四年2007/05/22(火) 17:05:32 ID:habLOl8W
話の筋が違う。
確かに仇矢疎かにするな、とは言っているが、
それとは別に、敵に近接されたときの心得も解いている。
114のは前者の話、110のは後者の話。
117 :人間七七四年2007/08/05(日) 21:45:34 ID:aTVRh6O9
矢が目にあたった場合ってどうしてたの?
118 :人間七七四年2007/08/06(月) 21:39:35 ID:h33HeXGk
>>117
「よし、俺が引っこ抜いてやろう」と、足をかけて抜こうとすると
「男の顔を足蹴にするんじゃねえ」と切りつけられる。
120 :人間七七四年2007/08/12(日) 09:53:06 ID:RPAC0W0j
>>111
たぶん長柄槍のことだろうから6〜7mでは?
122 :こんな名無しでは、どうしようもないよ。2007/08/14(火) 22:18:43 ID:uOJwUte8
所詮歴史なんて憶測にすぎない・・・なんて事を言ったら身も蓋もなくなってしまうのだが
大河ドラマのように全体の流れはともかく、詳細の部分に至ってはどこまでが事実かなんて
誰もわかりはしない。
もちろん残された資料や発掘調査などから精度は高くはなっているものの、それでもやはり
想像の域を出ないことには間違いないだろう。
例えばテレビ・ラジオ・ネットなど、情報収集の手段は今までにないほど充実した現代でさえ
我々は自身が生きている現在の世の中で起きている出来事をどれだけ正確に把握できてるだろうか?
それを考えると、信憑性の高い資料が皆無に近い歴史は想像の産物と言っても過言ではないだろう。
それゆえ、誰がどのような見解をしてもまた許されるともいえる。
125 :人間七七四年2007/12/12(水) 12:42:12 ID:5z9fFzOG
朝鮮人は日本の戦い方の特徴として2点をあげてるよな。
1.初っ端は鉄砲乱射
2.槍がやたら長い
3.刀がめちゃ切れる

やっぱそういうことなんじゃない?
126 :人間七七四年2007/12/12(水) 13:23:22 ID:L0XH3BUV
3点あるんだが・・・気のせいかな・・・オレ疲れてんのかな。。
127 :人間七七四年2007/12/12(水) 20:56:53 ID:8CmWnPor
3点あるけれど2点て見えるけれど、きっと気のせいだろう。

……そういうつっこみはともかくとして、やっぱりそうなんだろうな。

鉄砲射撃で敵が怖気ついたら長槍で突撃。
白兵戦に持ち込んだら刀剣類で滅多切り。

あれだね。映画で日露戦争の陸戦を描いた名作に二百三高知ってあったけれど、
ほぼ、あのまんまかもな。
そうすると当時の日本は三百年後にも通用する完成度の高い戦法を使っていたことになる。
128 :人間七七四年2007/12/13(木) 20:31:13 ID:qoUaxlBN
ツッコミいらないところにツッコミが入りそうな誤字が多いよな。>2ちゃん
129 :人間七七四年2007/12/16(日) 11:09:02 ID:9aqf3wxZ
>>127
逆に言えば三百年も進歩して無(ry

まあ、今日定石とされてる戦術はアレキサンダーの時代に既に完成されてたって説もあるからな。
まあそう簡単に進歩するもんでも無いだろうけど
130 :人間七七四年2007/12/16(日) 17:58:49 ID:SQYu0wIu
完成された戦法などなく
ベストの戦法は戦況に臨機応変に応じるものであり
何をもってベストというかは戦局によって変わる。
131 :人間七七四年2007/12/18(火) 00:28:38 ID:UhuD6EkD
首とってる時って敵は何やってるの?

かかってこないの??
133 :人間七七四年2007/12/19(水) 14:21:00 ID:E0ZR31B/
まあ、基本的に一人で行動しないでしょ。
郎党が付いてきて、露払いから護衛までやる。
134 :人間七七四年2007/12/22(土) 18:16:09 ID:OFql61Df
悲しいパターンとしては、

武士A「Bの首とったりぃぃぃぃ!!」
B家来「Aの首とったりぃぃぃぃ!!」
A家来「A様の仇討ったりぃぃぃ!!」

以下エンドレス、という事もあったらしいので、
割と入り乱れて互いの主従同士が殺しあっていた
ようだな。
135 :人間七七四年2008/02/21(木) 23:57:04 ID:8ynTMOVi
>>85一番隊ってこわいね。ごちゃごちゃやってなかったのかな。だとしたら、一番後ろの隊長は長生きで、不死身、無敵なんて言われてたんだろうか。
136 :人間七七四年2008/02/22(金) 02:20:38 ID:pWjgDA9c
>>134
それなんて第四次川中島?
139 :人間七七四年2008/02/29(金) 15:11:03 ID:adQIVFhV
さすがに酒は配ってくれないと思うが、下っ端は与えられた米を使って自分達で作ったそうです。
140 :人間七七四年2008/02/29(金) 15:40:14 ID:p13IYNYK
関が原の戦いって西軍東軍というけど、実はその日、関が原だけではなく全国で西軍と東軍が戦っていたらしい。
関が原の日に日本全土で決戦が繰り広げられていたというよ。
学校で習った。テレビとは違うんだなと実感した。ドラマにすると大きすぎて無理なんだろうけどさ。
全国で参戦した人は1億近いとの事。戦死者は実に8000万近い。
鉄砲の出現が戦死者を増やしたとの事。
141 :人間七七四年2008/02/29(金) 15:53:58 ID:Il7YETaB
おいおい学校で習ったって・・・・・。
関ヶ原に関連した全国規模の戦いは当日だけでなく、
その前後に繰り広げられていたんだよ。
しかし、参戦「1億」で戦死者「8000万」って・・・・・。
当時の日本の推定人口より多いじゃないのよ。
教えた教師は間違いなくクビだな、こりゃ。
君も学校だけが勉強じゃない事を「勉強」しなさいね。
142 :人間七七四年2008/02/29(金) 16:07:58 ID:p13IYNYK
お前馬鹿だろ。
先生の言いたいことはさ、数字の大きさでつまり「日本全国民が参加していたようなもの」と言いたいと俺は理解してる。
俺としては半分の5000万参戦、3000万死亡と考えてる。
全国規模で考えれば妥当な数字。
144 :人間七七四年2008/02/29(金) 17:21:35 ID:Il7YETaB
>>142
いきなり失敬な物言いですな。
もしその方が歴史の教師であるならば、もう少し妥当な数値なり例えをするではと
述べたまで。言葉足らずは認めるが。
君の「5000万」というのもどうかとは思うが、それだと武家のみならず下層民に至るまで
「参戦」した事になるよね。
当時の風潮において、合戦で戦うのは当事者同士のみで、足軽等に徴用されていない
一般民衆は傍観者がほとんどだったんだよ。
もう少し「勉強」されてからの反論をお願いいたす次第。
145 :人間七七四年2008/02/29(金) 17:26:20 ID:p13IYNYK
>>144
すみませんでした。言葉が過ぎました。
でも関が原は日本最大の戦い。日本全国が戦となった。
武士のみならず、農民や女子供まで参戦している。隣の家同士でどちらに味方するかで
全国で殺し合いもあったと言う。
5000万や1億は決して大げさじゃない。
日本の人口は1億6千万くらいのはず。そのうち1億が戦ったとしてもありえる話ですよ。
関が原は何度も言いますが全国規模のとてつもない戦いだった。
146 :人間七七四年2008/02/29(金) 17:31:36 ID:Il7YETaB
>>145
こちらこそ、気が立ってしまって申し訳なかったよ。
もちろん関ヶ原は東北から九州まで全国規模の戦いとも言えるよね。
例え話とするならば、その先生と君のいう事はわかるよ。
これで歴史に更に興味を持って楽しんで下さいね。
148 :人間七七四年2008/02/29(金) 18:53:59 ID:KzROYBEj
>>145
関ヶ原以前にそりゃもう地獄だろ。
全国で戦い、隣人も殺し合い、女子供も徴兵・・・地獄以外の何ものでもない。
しかもその凄まじいまでの死亡率。
生きる事は殺すことである、と教えられそうな世の中だな。恐ろしい世界だ。
1600年前後に生まれて無くて良かったよ。
149 :人間七七四年2008/02/29(金) 19:27:00 ID:p0sfHYtN
関ケ原の戦いで、そんなに亡くなったの?1000人くらいじゃなかったの?
そもそも、創造や時代劇とは違って、敵、味方、入り交じって、戦ってなかったんでしょ?
150 :人間七七四年2008/02/29(金) 19:32:26 ID:3J+boOKj
俺もそれ学校で習ったなぁ

なんでも当時の文献によると、隣近所どころか家畜や自然の動物達も殺し合いをしていたという記述があったらしい

152 :人間七七四年2008/02/29(金) 19:47:27 ID:XtTUReJw
・・・…
就労人口の一割がいなくなると経済が破綻し国家が崩壊するといわれているのに
全人口の6〜8割が死亡ですか……
関が原以降、戦闘がなくなるのはもちろん技術や文化も退行。日本という国そのものが消えうせそうですね
「参加した軍隊の損耗率」と考えても死にすぎです。
損耗率3割で軍としての機能が喪失します。6割を超えた場合は殲滅。軍そのものが消滅したとみなされます。
敗北した側の損耗率が6割を超える事例は無きにしも非ずですが、
それはかなり特殊な条件がそろわないと発生しません。

関が原の戦いにおける実際はの損耗率は5パーセントほどです。
関が原の戦いに関連する戦闘が日本各地で行われたのは確かですが。
全国の大名が参加した戦いで死傷率という点なら大阪の陣のほうが高いよ
153 :名無し三等兵2008/02/29(金) 20:31:18 ID:9QAx0MxJ
たしかに関ヶ原の合戦では、関ヶ原以外でも戦闘はあったんだけどね。
九州では黒田如水が浪人者集めて小西領に攻め込んで大暴れしてるし、
伏見では鳥居以下の三河武士が1500人ほど篭城し、西軍に殲滅された。
細川(親父)も西軍に城を包囲されたが、歌人を惜しむ勅命で生き延びた。
おあむ物語で述べられているように武家の妻女も兵糧の炊き出しから
敵の首の化粧までいろいろとやってるんだけどね。

それでも戦闘に参加した人間は全人口の1割もいないだろう。
武家人口はどう考えても全体の1割そこそこ。
一旗上げるために参加した連中や陣夫で徴収された農民なんかを
含めるにせよ、全ての武家階級が戦争に従事していたわけでは
ないんだから。
少なくとも江戸城の留守部隊とその家族、大阪城のみなさんなんかは
戦争に参加していない。
154 :人間七七四年2008/02/29(金) 22:30:03 ID:adQIVFhV
日本の人口が一億に達したのが昭和になってからだもんね。
日本の平地をすべて農地にしても4千万人を食べさせることが出来るかどうか、はなはだ疑問。
それも、治水をして、農業用水路を作って、農地に向かない土壌を改良する技術が出来て、さらに戦国時代に無かった農産物があっての現代の話。
155 :人間七七四年2008/03/01(土) 01:13:42 ID:pcm1VXZU
教師の法螺話を真に受けて嬉しそうに掲示板で披露するゆとり学生
のスレはここですか?
156 :人間七七四年2008/03/01(土) 04:42:38 ID:CjPftiuy
>>154
江戸時代で3400万養えたんだから、現代ならば8000万くらい養えるよ。
利水事業の進行具合が違いすぎるし、品種改良により日中戦争頃になりやっとこさ北日本での稲作が容易になっているのがあるからね。
人口比食料自給率の過去のデータからも、8000万くらいは間違いなく養える。
157 :人間七七四年2008/03/01(土) 21:08:40 ID:yS32P3dg
>>156
自給できる(必要なカロリーなどが確保できる)ってのと、国民が満足する食事を与えられるのかってのは別問題だけどね。
昔みたいに米食いまくっておかずは漬物と味噌汁だけみたいな感じで自給してもねえ。
158 :人間七七四年2008/03/01(土) 21:48:45 ID:H5JrIcT+
自給出来るような収量を毎年達成する為には、当然、化学肥料・農薬・機械化が前提となる。
それらの原料や燃料を輸入する金、機械の部品、工場を操業する為の電力・燃料をどう調達するか?
159 :人間七七四年2008/03/04(火) 07:01:10 ID:3sTNOmZu
>>140
さらに住宅地も人力にしなければならないとすると農地の近い場所にしなければいけないのであまり削れないし、不作の年のことも考えないといけないし…
となると…現代の知識技術を持っていったとしても関ヶ原の時代可能な農業では…
先生がどれだけいい加減なことを言ったか、分かった?

>>156
言葉が足りなかった。
すまない
160 :人間七七四年2008/03/05(水) 16:15:32 ID:yVqxKLAM
これ釣りじゃないの?
本物のゆとりってヤツか・・・?
はじめて見た
161 :人間七七四年2008/03/05(水) 18:21:04 ID:QZVCGIn6
子供叱るな来た道だもの 年寄り笑うな行く道だもの  永六輔

傍から見るといい大人が小学生をイジメてるようにしか見えんぞw
釣りで無けりゃな。
162 :人間七七四年2008/03/06(木) 01:19:14 ID:n3OcD1Gm
>隣近所どころか家畜や自然の動物達も殺し合いをしていたという記述があったらしい

なんだか神話的で面白いなぁw
163 :人間七七四年2008/03/06(木) 14:13:35 ID:tPKTXCrp
関が原の頃の日本の人口は多く見積もっても三千万もいない。
せいぜい二千万。
165 :人間七七四年2008/03/07(金) 08:54:54 ID:7bIph/SI
そもそも戦国の合戦で人が一番死んだのは関が原ではなく、川中島の戦いですよ。
両群合わせて5回の戦いで10万死んだと言うし。

戦国の合戦ってのはそんなに人は死なない。
万単位で合戦しても数百人程度だったりする。
みんな死にたくないからね。必死には守るが戦いたがらない。
166 :人間七七四年2008/03/07(金) 09:56:53 ID:yuGvT8v1
>>165
>そもそも戦国の合戦で人が一番死んだのは関が原ではなく、川中島の戦いですよ。
>両群合わせて5回の戦いで10万死んだと言うし。
斬新な説ですね!
両軍とも3回くらい構成員が丸々入れ替わっていることになりますが。
168 :人間七七四年2008/03/07(金) 21:03:51 ID:ra/Yvs33
wikiより、参考までに。
第一次、8000:10000
第二次、8000:12000
第三次、10000:23000
第四次、13000:20000
第五次、?
仮に第五次は各々の最高値を取るとして、13000:23000。
計52000:88000、両軍合わせて140000。

戦死率70%超えましたww
170 :人間七七四年2008/03/08(土) 00:35:19 ID:WOxp1kCP
さすが戦国最強を誇る両軍だな。日系442連隊も吃驚だな。
172 :人間七七四年2008/03/08(土) 03:08:15 ID:kcdc9EgF
>>165
死にたくないというよりも犬死にしたくないという意識が強かったんではないか。
手柄で恩賞も月とスッポン!
戦の恩賞を生活の糧としていた浪人もいただろうし、
自身の死に様も残った親族のことを考えて戦ったんだと思う。
戦場から逃亡しようものなら親族皆殺しになることも現実にあった訳だし、
多くは腹をくくってただろうな。
173 :人間七七四年2008/03/08(土) 21:40:18 ID:Dp1G0tkx
>162
それどころかね、妖怪も殺し合をしていましたよ。
それを近江の琵琶湖岸・蓬莱寺の八百比丘尼という偉い方が治療なすってた、という記述があるんですよ。
174 :人間七七四年2008/03/08(土) 23:01:16 ID:Me1oMP+C
そういえば、四国では狸同士が戦争したとかいう話があったな。
176 :人間七七四年2008/03/14(金) 00:42:40 ID:EWxM/1Ew
戦死者なら長篠の戦いが一番多いんじゃない?
177 :人間七七四年2008/03/14(金) 06:32:44 ID:kagAcCr+
>>176
天王寺・岡山の戦い
178 :人間七七四年2008/03/14(金) 12:26:30 ID:d41FzgYA
学校の先生の話マジワロタwww
電車の中で1人で笑みがでちまった…
つか1億以上の人口ってのがもうウケるし8000万死ぬとかアッハッハッハって話www
誇張って言うよりマジアホだろw
その先生は中国の歴史読みすぎて誇張癖でもついたのかw
それとも左翼の日教祖どもの知的水準とゆとり教育から導きだされる良識かwww
死んだ方が日本の為だwww
180 :人間七七四年2008/03/14(金) 21:10:47 ID:uT8ZMUXP
>>140
無知にも程がある

まあ俺が授業受けてた社会の担任も
「日本に原爆が落とされてドイツには使われなかったのは人種差別が原因だ」
って言ってたが無知な子供は信じるわな

「第二次世界大戦でイギリスが疲弊したのはドイツからのロケット弾攻撃による被害のせい」
とか出鱈目ばっかり

教師の話は疑うが吉
182 :人間七七四年2008/03/14(金) 21:21:33 ID:cugaNDPF
攻城戦だと激しい戦としては、1586年の筑前の岩屋城攻防戦かな。
現在の福岡県太宰府市。

両軍あわせて死者4000近くいってるし。(ひょっとしたら越えてる?)
負傷者も加えたら5000は越えるか……。2週間の間に声がやまなかったって
どんだけだ……名将の山田有信が気が滅入るくらいキツイ戦だったらしい。
183 :人間七七四年2008/03/14(金) 22:11:18 ID:mMdfXMMG
まあ守将が優秀だったというのもあるし、
籠城側も陥落(玉砕)前提での時間稼ぎだったからなあ。

硫黄島で米軍が大損害を出して、タイムスケジュールが狂ったような感じ。
184 :人間七七四年2008/05/05(月) 02:19:41 ID:FOc/XIWT
敗れた武将や、嫡男などをなぜ京都のなんとか川原で、決まって処刑、晒し首にしたの?
188 :人間七七四年2008/05/05(月) 16:51:54 ID:q1Z+pjnF
>>182
そんなに死者は出ない。
それに負傷者は死者の三倍出るという、
負傷者三倍の法則がある。
190 :人間七七四年2008/05/05(月) 20:21:33 ID:4JmCYidm
>>182
死傷者4千〜6千じゃな(島津側損害)
大友側の岩屋城は全員討ち死か自害(763人)
島津側の動員数は5万ほどだから、大損害だね。
191 :人間七七四年2008/08/01(金) 10:13:27 ID:3P4gzojs
>>139
米があればみんな酒にしてしまうから
だから、余分な米はやらず、必要最小限だけ配ったそうだ。
みんな昔からお酒は大好きなんだよw
192 :人間七七四年2008/10/14(火) 17:53:04 ID:KQ32uPK3
>>191
戦場だから、酒はある意味必需品
193 :人間七七四年2008/10/19(日) 11:36:17 ID:mqqu3zGi
陣立てとか戦いの手順とか(よくわからないけど鉄砲で撃ちあった後に足軽がぶつかるみたいな)
槍の長さとかが史実に一番忠実な映画って何ですか?
194 :人間七七四年2008/10/19(日) 11:45:34 ID:14eHSeUh
>>193
「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ アッパレ!戦国大合戦」
196 :人間七七四年2008/10/19(日) 12:04:40 ID:DrgsQ658
市民の娯楽にリアリィなんか追及したら本末転倒になるからな
198 :人間七七四年2008/10/19(日) 13:22:00 ID:14eHSeUh
黒澤のは基本的に、時代考証も含めておとぎ話と考えるべき。
199 :人間七七四年2008/10/20(月) 09:47:03 ID:NY7mpTiS
七人の侍は、あれは結構リアルじゃないかな。
戦争体験が生きているし。
200 :人間七七四年2008/10/20(月) 10:11:35 ID:zp09bmjb
農村の武装が描かれてないのが残念かな。
もっともらしいけど、あくまでお話。


vip_2ch_news at 11:02│Comments(1)TrackBack(0) 戦国時代 

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この記事へのコメント

1. Posted by エロ萌えっ!抜けるエロアニメ   2011年10月31日 09:50
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