細川幽斎(藤孝)・忠興父子を語るスレ【紹運】戦国のサラブレッド立花宗茂総合スレ3【道雪】

2010年12月27日

【智・勇魚の如き】黒田孝高総合スレ【縦横無尽】

1 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/28(金) 17:21:50 ID:ItJwvL2z
秀吉の天下取りを補佐した超名軍師、黒田官兵衛を語りましょう!(*・ヮ・*)
その知略、勇武は大海を泳ぐ魚の如き自由自在、変幻自在であり、
彼がいなければ秀吉も天下は統一できなかったとも言われます。
秀吉死後、関が原のどさくさに紛れて九州を支配し、天下を狙おうとしたのも
実は野心家である彼のみが成せる所業です。
官兵衛自身はもちろん、その功績、周りの人物、事象などでもおkです!


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2 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/28(金) 17:23:15 ID:ItJwvL2z
74 名前: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日: 2006/07/19(水) 19:46:07 ID:kmd/Tkpd
如水との関係

如水と半兵衛が初めて顔を合わせたのは、秀吉の中国征伐軍が播州に差し掛かった頃だから、だいたい一五七五年頃だと思われる。
よく、如水と半兵衛を秀吉の二大軍師などと呼ぶが、半兵衛の生没年を見ればわかるように、如水との出会いからわずか四年でこの世を去ってしまっているため、実際に二人同時に秀吉に仕えていたのは本当にわずかな時間であった。
しかしこのわずかな時間の中で、如水は半兵衛から多くの事を学び取ったと考えられる。
4 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/28(金) 23:13:39 ID:sHYbBSI4
黒田のかかわった播州諸豪攻略の一つ一つが知りたい。こんな渋いところにこ
5 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/28(金) 23:15:27 ID:97rq7+Bw
関が原があんな早く終わんなきゃね
6 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/28(金) 23:24:34 ID:RE88ppEN
小寺政職の子供を食わしてやってたのには感心した。自分を窮地に追いやった奴の子供なのに。
7 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/28(金) 23:50:23 ID:sHYbBSI4
>6
でも如水をほんとに評価してたのも籐兵衛さんだよ、筑前じゃないよ。
身内同然の思い入れあがったんだよ。
9 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/28(金) 23:54:35 ID:suy0O7J5
>>5
息子すら思い通りに動かせないんじゃ、天下は厳しいだろ。
10 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/28(金) 23:56:41 ID:sHYbBSI4
息子もなまじ才能があるだけにねえ・・・。
11 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/28(金) 23:57:34 ID:suy0O7J5
>>10
でも、家康は長政使いまくったからねえ。
12 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/28(金) 23:59:21 ID:sHYbBSI4
家康は使いどころわきまえてるからねえ。
今酔ってるから理性的なレスできねえす。ちなみに家は小寺の縁者。恥ずかしながら・・。
13 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/29(土) 00:00:12 ID:sHYbBSI4
酒飲んでレスすると後悔するからこの辺で御免。
14 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/29(土) 00:21:50 ID:rvTmIcyn
>>13
なかなか面白い黒田評を展開していたと思いきや…
ID同様シャイな奴だ
15 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/29(土) 00:24:14 ID:k/u4tvKA
まぁ、参謀長としては最高レベルだろな。
ただ、最高の参謀長≠最高の司令官じゃないわけなんで。
17 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/29(土) 00:48:20 ID:rvTmIcyn
>>15
つまり軍師で留まっておけと?
18 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/29(土) 01:15:58 ID:eFnBGpkH
どうみても

息子>>>>>>>>>>こいつ

だろ息子のほうが優秀だよ
20 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/30(日) 05:58:36 ID:Lm7Mxf6g
似てるところもあるか。
結局、父子ともに天下分け目の戦いに、キーパーソンとして参加してるしな。
というか長政も凄く優秀だと思うけど…
21 :黒田節 2006/07/30(日) 06:27:55 ID:xzPlal09
関が原において有名な石垣原?豊後で僅かな寡兵(農兵)で大友義統らの軍2000人相手に、
勝利し、その後も肥後国境付近の城を開城(降服)させた。 さあ薩摩盗り目前にしてその野望ついえる、、、、、、
24 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/30(日) 13:29:26 ID:yuxdlXQQ
>>21
石垣原は双方寄せ集めではあったけど黒田軍の方が何倍か多かったはずだよ。
大友方千を最初3千で攻めて負けて、次に本隊8千で潰したって内容だったような。
25 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/30(日) 15:40:27 ID:BiH0wCbC
大友を降したあとの北九州の西軍諸城が降伏したのは、時間的には、
関ヶ原の勝敗が決まったあとではないの?
黒田家が東軍だから交戦を避けただけで、別に如水の外交力でも神算鬼謀のせいでもないと
思うんだけど。
26 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/30(日) 16:18:11 ID:srmz+7gP
>25
大友義統の降伏が関ヶ原と同日だから、時間的にはその通り。
西軍敗北の知らせを受け取った如水が、その情報を使って開城させていっただけだろうね。
27 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/30(日) 17:03:15 ID:HFb7/lcl
【清正三成】新世代武将を語るスレ【長政家政】
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1153116825/

実は息子の方が器量人?
28 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/30(日) 17:24:33 ID:1W9XEiQg
>>27
親父は参謀タイプ、長政はどっちかっていうと政治家だな。
戦闘指揮は息子の方がうまいが、作戦能力は親父が上。
親子逆転していると、かなり大勢力になったかと思う。
29 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/30(日) 17:29:31 ID:HFb7/lcl
>>28
関ヶ原のコーディネートも殆ど長政がやっているわけですが?
立場の違いと能力の違いは区別しないと。
30 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/30(日) 18:19:22 ID:1W9XEiQg
>>29
よーわからんが、それと27で書いた内容は全然矛盾しないと思うがな。
長政がやった関が原のの功績は、政治的なもので、主たる豊臣系大名を
家康方につけた。これは、政治的な業績だわな。
31 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/30(日) 19:50:58 ID:gQR4wsxZ
自分に向かってずけずけと物を言う小姓に、
「主君に対する物言いが不遜である」として斬ろうとした。
すると小姓は「主のことを思うからこそ直さいな物言いを
心がけているのです」と言った。
それを聞いて「己の身にまで思いが及ばない者は要らぬ」と斬った。
32 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/30(日) 20:18:42 ID:JP9319Ji
自己の保身や利益のために動く人間のほうが配下としては使いやすいからな
33 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/30(日) 20:50:17 ID:I39YlLix
>>2
>しかしこのわずかな時間の中で、如水は半兵衛から多くの事を学び取ったと考えられる。
何この脳内妄想。
大した実績も無いくせにゲームではやたら過大評価されてるだけの
半兵衛なんか官兵衛の足元にもおよばねーよ。
34 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/31(月) 19:08:14 ID:TB3A1XRC
黒田スレは、どの板でもよく立つ。
でも、毎回わりとあっさり落ちるんだよね…。
35 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/07/31(月) 23:12:57 ID:zqwZ8iOG
官兵衛って別に秀吉傘下に入る前にも活躍してるのに
何の実績も無い半兵衛より下の扱いにしてるレベル低い奴がいるからな。
相手にするのも疲れるんだよ。
36 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/01(火) 02:48:17 ID:TnfgsWFi
官兵衛は幽閉後はビジュアルに問題があるから、損してる
髪の毛ないし、足悪いし、頭巾かぶるだろ。杖ついてるし、馬にも乗れん
アクションゲーにはメインで登場できない属性だからな

あと、小説でも大体中国大返しくらいまでしかちゃんと書かれない
んで、そのあといきなり関ヶ原までワープ
だから、有岡城幽閉と半兵衛の美談(長政を助けるやつ)が、
どうしてもメイン扱いで、半兵衛が目立つ結果になってるんではないか

半兵衛がなぜか美形扱いされてるのは、よくわからんが
37 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/01(火) 05:22:08 ID:2NTV3aD3
>>36
ミーハー人気では損してるよな。半兵衛の美形は早死にのせいでしょ。
38 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/01(火) 07:43:18 ID:qlsFE+aU
半兵衛ほどではないけど官のほうも相当過大にみられてるよなあ。
上のほうにある関が原のことなんかもその1例だわな。
39 :魔玉砲 ◆RX/MoGZ9xs 2006/08/01(火) 12:09:06 ID:adYEPKNQ
竹中の美形補正は龍興が女みたいな奴とからかったからじゃない?


…まぁどうでもいう事だが
40 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/01(火) 16:53:58 ID:y14AkgXq
>>38
>官のほうも相当過大にみられてるよなあ。
お前が無知なだけ。
知りもしないで馬鹿にするなよ。
41 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/01(火) 19:48:27 ID:uymmSuIJ
>>26
「同日に」降伏して「時間的にはその通り」とすると一体
どうやってその情報を得たのかが気になる……

当時24時間以内で関ヶ原から北九州まで勝敗だけでも
伝える手段て何だろう? 狼煙とか?
42 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/01(火) 23:17:44 ID:nUQT8uRc
>41
大友を降したあとの北九州の西軍諸城が降伏したのは関ヶ原の勝敗が決まったあと、
というのが「時間的にはその通り」ということ。
43 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/02(水) 21:40:20 ID:u+bGw9H7
>>42
それは大友だけがまともに武力で降伏させられて、それ以外の北九州の西軍諸城は西軍敗退が理由で降伏したってこと?
44 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/02(水) 22:35:53 ID:kLNeoYb2
>43
安岐城は亀甲車とか使って攻撃して、9/19に開城させてるけどね。
それ以降は西軍敗北の情報をうまく使って開城させているものと思われ。
45 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/03(木) 01:51:36 ID:4Byl+LWq
まあ、大友を降したっていっても、主体が即席の傭兵だからやっぱり弱兵で、
黒田家の古参の家来が、その分過剰に奮闘せざるを得なかった。
だから、如水は結果的に古参の重臣をかなり戦死させちゃったんだけどな。
47 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/03(木) 02:55:20 ID:AJCiuQDm
領国経営としては、そういう考えもありだろうけど、
戦術的には明らかな失敗でしょうね。
この人は一応戦上手という評価が高いわけだから。
48 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/03(木) 14:22:09 ID:AaPi2qR1
>>47
>この人は一応戦上手という評価が高いわけだから。
評価もなにも実績あるから。
寡兵で大軍を4度破ってる。
その内2つは規模が300対1000とかで小さいから有名じゃないのかもしれないが
後の2回は毛利戦で10倍の相手に勝ってる。
もちろん黒田隊のみで。
49 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/04(金) 22:28:06 ID:RDJ5t4Dm
だいぶ前に読んだ「カルテ拝見 武将の死因」(杉浦守邦)という本では
如水の死因を若い頃(おそらく小寺時代京で遊んだ時)罹った梅毒とし、
如水に関するいくつかの謎を梅毒の症状や進行過程によって推測している。
今手元にないのでうろ覚えなのだが

有岡城監禁について
→梅毒が進行すると、いきなり四肢に瘤ができて痛むことがある。
有岡城に使者としてやってきた官兵衛がいきなり昏倒して歩行が困難な状態になったとしたら?
荒木村重は使者である官兵衛をぞんざいに扱うわけに行かず
かといって既に篭城臨戦体勢の中、自力で歩けない官兵衛を丁重に敵方に引き渡す手間を掛けられず
結果的に干殺しのさなか敵方の官兵衛を生かし続けるという変な事になった。
監禁は嘘。脚の障害や脱毛は梅毒の症状。

次男についての記録が極端に少ないことについて
→如水には子がたった二人しかいないのに、その片方である次男についての史料がほとんどなく、
生まれ年と慶長の役での夭折したことしかほとんど触れられていない。
梅毒に罹ると生殖能力が衰え、また薄弱児が生まれやすくなる。
次男は薄弱児でとうてい黒田家を支えるには足りないと早くから思われていたのではないか。
長政は梅毒に罹る前にできた子である。

関ヶ原時の行動、晩年の奇行について
→梅毒が生き延び末期になると、脳神経がやられて妄言奇行が多くなる。
関ヶ原役の九州における如水の軍事行動は、普通ならあまりにも非常識であり
これが失敗しなかったのはひとえにそれまでに如水が築いてきた名声と
家臣団の錬度によるところがおおきい。
如水の妄言はその後も酷くなっていき、それはちゃんと記録にも残っている。
50 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/04(金) 23:58:27 ID:MASsMJtz
>>39
マジで?ちょっとショックだな
どんな妄言してたの?
51 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/05(土) 00:39:53 ID:XgJ8xUHX
<瘡あたま>っていうあだなは、明らかに梅毒もちっぽいね。
ただ、如水は長政と死んだ次男の他にも、もうひとり庶子の男の子いるけどな。
確かかなり年取ってからの子で、正室の侍女に手をつけて(あらら)
男の子が生まれたんだけど、生まれてすぐ家臣に養子に出したから黒田姓じゃない。

3代目藩主忠之の黒田騒動の時、家老の栗山大膳が、家康が長政に与えた感状を
万が一の時に備えて預けたのが、この如水の庶子。
52 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/05(土) 23:34:31 ID:TB8bypXn
如水は小早川隆景の評が実に言い得て妙
53 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/09(水) 04:57:22 ID:jjmIjDi1
>>52
これ?

> ある時、黒田如水が隆景に質問した。
> 「私は勘によって物事を判断するため、間違いを起こすことがある。私に比べ、小早川殿の
>判断には狂いはない。何か秘訣があるのでしょうか。」
> 隆景はこれに答えて
> 「おっしゃるほどのことではありません。私は黒田殿ほど鋭くありません。物事を考えに
>考え抜いたあげく結論を出すしかありません。黒田殿は頭が良いため、素早く決断なさる。
>そのために情報に誤りがあった場合に判断が狂われることがあるのでしょう。」
54 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/09(水) 05:03:30 ID:jjmIjDi1
これもいい言葉だな。隆景というのは偉い人だ。

 如水の子である長政も「分別」について隆景に教えを乞うた。
 「分別に肝要であるのは仁愛です。仁愛により分別すれば万が一、理に当たらないことが
 あっても、そう大きな誤りにはならない。逆に才智が巧みでも仁愛のない分別は正しいとは
 言えないでしょう。」と答えたという。
55 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/13(日) 22:53:13 ID:eNpKMU6j
如水は、諸大名との交友関係は異常に広いね。
小早川とも毛利とも鍋島とも細川とも、黒田家は如水の代は仲がいい。
細川とは長政の代で天敵になり、鍋島とは忠之の代で険悪になったけどな。
56 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/14(月) 15:45:16 ID:yTXspYwI
妄言の件ですが、確か、家臣団が、如水から、長政へ心が移るように、敢えて自分から悪者になったのと違うかった?
58 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/14(月) 18:23:24 ID:Hs28zfof
でも小早川隆景は如水の事を信用してないんじゃなかったっけ?
61 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/16(水) 03:48:28 ID:WQ36qg1o
>輝元領内の船着場に、筑紫大名より屋敷を建て、茶屋作り、
>上方往還の休み等に、、宅地を所望されることありとして、貸し給うべからず。

根本的な疑問として、隆景存命中は黒田家は豊前中津12万石で筑紫大名じゃないんだが。

そりゃ、筑前はどの大名家であっても、地理的に毛利にとっては潜在敵国だから
警戒して断るだろう。
実際に長政の時代に、参勤交代のために毛利領内に休憩所をお願いして
この遺言によって断られてる話と如水の話がごっちゃになってると思われ。
仲が悪かったらそんなお願い自体できないけどな。
62 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/16(水) 09:22:22 ID:fNhTFi5r
>61
筑紫とは九州全般(あるいは北部九州全般)のことでは?

筑紫大名を筑前筑後に限定すると、
小早川家か立花家になってしまうぞ。
63 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/16(水) 10:15:40 ID:O2Ubz6bY
>>58
お前知らんの?
隆景と官兵衛はまぶダチだよ。
いやネタじゃなくてほんとだから。
広島に築城した時も官兵衛に土地の鑑定してもらってるし、
九州征伐でも一緒に鍋島調略してるし
朝鮮でも隆景と小西が意見食い違ったときも官兵衛は隆景と同じ発言してる。
秀吉の次に認めてたと思うよ。
64 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/16(水) 19:47:32 ID:h5lzV7nq
広島城築城の件は、策士同士の腹の読みあいってかんじだけどな

如水と長政は、豊臣政権で対毛利家の外交窓口である
取次って職についてたから、毛利家と縁が深いのはそのせいだろう
吉川広家が家督継ぐとき後押ししたのも、婚姻の世話もしたのも如水
結局、黒田親子が政権内で失脚して、あとは三成が取次ぎになったけど、
長政の関ヶ原の時の工作が成功したのは、毛利家との2代にわたる
信頼関係があったからでしょうね
65 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/17(木) 01:16:27 ID:Ab6eLxD8
親父黒田より息子黒田の方が実は大物なんじゃない?
如水も長政本人も周囲の人間も、なぜか父の方が偉大だと思いこんでるのが
何か不思議な気さえする。
戦場で槍働きさせてよし、策士としてもここ一番での大寝技も決められ、
武断から文治の転換期に近世大名として領国経営もこなし…
というのをひとりの人間がこなしたのは、凄いことだと思う。

どうでもいいが、過去スレを検索したら
「黒田長政だけど何か質問ある?」という大昔のスレが14レスで落ちてた。
おそらく短命な黒田スレの中でも最短記録。
66 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/17(木) 03:42:13 ID:p9skGuvF
>>65
>親父黒田より息子黒田の方が実は大物なんじゃない?
それは君が無知だからだよ。
黒田家譜15冊読んでから書き込もうねボクちゃん。
67 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/17(木) 06:13:07 ID:BuwBUBr2
又兵衛との確執や再仕官にしつこく横槍いれたりと、長政は小人物の印象
68 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/17(木) 07:43:25 ID:a5F+H9mx
親父の秀吉の天下取りへの貢献と息子の関が原での活躍のどちらにより信憑性があるかといえば
あきらかに後者だろうに。そのへんから息子の方がすごいという意見があってもおかしくないと思う。
69 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/17(木) 15:03:27 ID:Ab6eLxD8
>>68
長政の関ヶ原での活躍は確かにすごいね
というか、東軍は長政の切り崩しと懐柔工作で勝ったようなものだし、
上手い形で家康に恩を売ったものだと思う
秀吉の中国大返しは、如水がいなくても起っただろうけど
70 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/17(木) 17:39:37 ID:p9skGuvF
>>69
もうお前のレベルわかったからこれ以上書くな雑魚。
しったか野郎が偉そうに書いてるの見てるとむかついてくる。
頼むから知りもしないで偉そうに書かないでくれ。
71 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/17(木) 17:48:23 ID:p9skGuvF
軍事板は知識もってる奴が多いのに何でここはろくに
資料も読んだこと無い、しったか君がえらそうに語ってるんだろ。
どうせお前ら雑魚の頭の中では官兵衛なんて
大返しでちょこっと献策したぐらいにしか思ってないんだろ?
んで指揮官として部隊を率いる能力は無いと。
72 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/17(木) 18:13:24 ID:W75o/9oV
また香ばしい奴がでてきたな。
久兵衛の書は16冊ではなかったかい。
いずれにしてもとるに足らない史料だけどね。
73 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/17(木) 19:06:18 ID:mSMUSHpx
どっちのほうが史料を読み込めてないのやら。
家譜なんてもんは事績を誇張して書いてる部分があるものとして読み取るのがあたりまえなんじゃ。
だからこそ様々な史料からその事績の信頼性がより高い長政のほうを評価するという考えのほうが
よっぽどオトナというもんだ。
74 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/17(木) 19:08:08 ID:cyljvvOn
>>68

長政の懐柔は如水の布石と信頼があったから行えたんだってばよ。

・小早川秀秋→秀頼誕生の時に立場が危うくなった秀秋を小早川家の養子に斡旋、付け家老を黒田家から2人出す事に成功。

・吉川広家→広家は嫡子では無いが、元長死後に如水に吉川家の相続を根回ししてもらう、如水を師父と敬慕。

・武断派七将→戦場の生き字引として深く尊敬される、清正に至っては関ヶ原の九州戦線で如水に従うと言う手紙さえ送っている。

これだけの下地を作ってたからこそ、長政の工作が実を結んだのだよ。
そして長政しか離反工作を行う事が出来なかったのは、如水の信用がバックにあったから。
高虎でも藤孝でも忠興でもなく、長政でなければ対毛利の工作はできなかったんだね。
75 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/17(木) 19:15:39 ID:p9skGuvF
>>72
>いずれにしてもとるに足らない史料だけどね。
お前が思ってるだけな。雑魚すけ。
こういう逃げ文句いう奴多いよな。
てかお前も読んだことないんだろ?そうなんだろ?
76 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/17(木) 19:22:28 ID:W75o/9oV
>>75
>てかお前も読んだことないんだろ?そうなんだろ?
お前「も」・・・・・

爆笑!!!

続きの部分をウプしてあげるから
一部でいいから書き込んでみな!
77 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/17(木) 19:25:30 ID:p9skGuvF
凄いな。
宇喜多引き込み、毛利との合戦、四国征伐、九州征伐、北条降伏
などの官兵衛の活躍が捏造扱いされちゃったよ。
褒美もらったりしてるのはどういう事になるんだろ。
なんにもしてないのに賞賛の言葉や褒美が残ってるのだろうか。
78 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/17(木) 19:28:43 ID:guHsD29U
否定してるんじゃくて誇張されてるところがあるのでは、といいたいだけなんですが・・・。
それぐらいも読み取れないのかな?
79 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/17(木) 19:30:48 ID:p9skGuvF
>>76
なんか勘違いしてるなこの馬鹿。
こんな匿名掲示板で誰が誰かなんかわからんからね。
日付かわればID変わるし。
だから複数の人間をさして「も」にしたんだよばぁ〜か。
80 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/17(木) 19:32:18 ID:p9skGuvF
>>78
誇張で城が落ちるのか?降伏するか?味方につくか?
この雑魚すけが。
81 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/17(木) 19:37:41 ID:Hn30KhpC
ID:p9skGuvF

ムキになりすぎ
82 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/17(木) 19:38:40 ID:p9skGuvF
>>81
スマン。
ちょっとカッとなってしまった。反省してる。
83 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/17(木) 19:43:46 ID:Hn30KhpC
自分も如水にはロマンを持ってるけど、こういう声が出るのもある意味自然だと思うよ。
如水は実績がいまいち不透明(半兵衛ほどではないが)なのに対して
長政は関が原での工作を始め、立派な業績があるからなあ。
84 :722006/08/17(木) 20:10:49 ID:W75o/9oV
少し解説しとくと72でとるに足らないといった真意は
黒田家譜には偽書説があるってこと。
それを踏まえて議論して欲しいわけ。
如水自体を否定しているわけではないし、
個人的には長政より如水が好きだけどな。
85 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/17(木) 20:32:33 ID:W75o/9oV
>>83
如水に関しては信頼できる1次資料が少ないからね。
長政以降はそこそこ資料があるんだけど。
幕府成立以前で信頼できる資料があるといいんだけど。
黒田にかかわらず、他の資料も同様。
86 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/17(木) 20:52:42 ID:5HnfBEAd
ID:p9skGuvF

馬鹿さらしあげ
夏休みだからか。おまえこそ知ったか君のくせにw
87 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/17(木) 21:11:44 ID:p9skGuvF
>>86
何だ?
以前馬鹿にされてくやしくて
チャンスとばかりにシャシャリ出てきたのか?
よっぽど馬鹿にされたのが悔しかったのか?
馬鹿だなぁ。
ageたきゃ勝手に上げろ。
88 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/17(木) 21:25:05 ID:5HnfBEAd
スレを見てると、お前が浅はかに罵倒してる喧嘩売ってるようにしか見えん。
でも自分が馬鹿にされるとむきになるのな。アホかと。
おれは如水厨だと自分では思うけど、長政はやや過小評価されてると思う。
というか、お前以外はそう冷静に言ってるだけだ。
お前みたいに贔屓の引き倒しで、他人を馬鹿馬鹿と言い募るのだけではなー

お言葉に甘えて馬鹿さらしageとくぜ。
89 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/17(木) 21:30:21 ID:p9skGuvF
>>88
お前みたいな厨房愛用のWikiには官兵衛の合戦やら織田と関わる前の話なんか
載ってないもんなw
そんな奴が過大評価とか言ってればむかつくよ。
90 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/17(木) 21:35:55 ID:5HnfBEAd
よくわからんが、勝手に判断されてもな。
で、お前が正統に評価できると言う妄想の根拠は
ただ黒田家譜を鵜呑みしてそのままよんだってことがあるってことなわけ??
字が読めてえらいね、とでも言えばいいのか?


馬 鹿 だ ろ、お 前。
91 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/17(木) 22:04:08 ID:T3EaXsVc
>51
梶原景尚は長政の庶子じゃなかったっけ?
92 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/17(木) 22:04:28 ID:cR/qS+HG
珍しく黒田スレにレスが進んでると思ったら、あらら…
何か黒田家譜を読んだことを自慢する変な信者がいるみたいだけど、

>家譜なんてもんは事績を誇張して書いてる部分があるものとして読み取るのがあたりまえなんじゃ。
>だからこそ様々な史料からその事績の信頼性がより高い長政のほうを評価するという考えのほうが
>よっぽどオトナというもんだ。

これに尽きると思うけどな
如水の名声の根拠となる事績や逸話は黒田家譜にしか書かれていないのも
多く、如水が参加した戦いで、如水がどこまで家譜に書かれたほど
活躍したか貢献したかについてはいまいち信憑性がないってことでしょう
どこの大名家でも家譜は多かれ少なかれ自家の誇大宣伝になるけれどね
ちなみに黒田家譜は身びいきはわりと激しい方で、史料的価値はちょっと?と言われています
93 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/17(木) 22:19:10 ID:p9skGuvF
青山合戦 ○黒田300 VS 赤松政秀1000
土器山合戦 ○黒田300 VS 赤松政秀3000
英賀村の戦い ○黒田500 VS 浦宗勝5000
阿閉城篭城戦 ○黒田500 VS 宇喜多軍8000
三木城攻め ○黒田隊500 VS 別所勢700
○黒田隊500 VS 別所勢1000
94 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/17(木) 22:24:50 ID:p9skGuvF
>>92
いや別に自慢してるわけじゃないよ。
そこんとこ誤解しないでくれ。
ただあんまりかんべえの事過小評価してる人いるから
これ読めと書いただけ。

>ちなみに黒田家譜は身びいきはわりと激しい方で、史料的価値はちょっと?と言われています
これはちょっとひどいんじゃないの?
武田の例の奴とか信長公記も三国志正史もみんなそうなるじゃん。
やっぱり自分の使えた家の事良く書くでしょ。
95 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/17(木) 22:34:34 ID:W75o/9oV
>>94
いいからお前は黒田家譜の中身をウプしろ
お前が言い出したことだぞ。
ちゃんと続きをウプできるように説明文も書けよ。

口語のテキスト文は不可。
96 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/17(木) 22:34:41 ID:p9skGuvF
しかし2ちゃんて資料の名前出せば馬鹿されるのな。
島津家文書は馬鹿にされるは信長公記は馬鹿にされるはで。
疲れる…
97 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/17(木) 22:36:29 ID:R68SaYqn
えっ、信長公記ですら、そうなのか。
そしたら、武功夜話なんてのは・・・・・・
98 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/17(木) 22:38:40 ID:W75o/9oV
>>96
島津家文書は別にいいんでないの。
信長公記は・・・・1.5次資料っていう解釈かもしれんけど。
99 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/17(木) 22:43:51 ID:cR/qS+HG
>しかし2ちゃんて資料の名前出せば馬鹿されるのな。

いや、誰も史料を馬鹿にしてるのではなく、
頑なに黒田家譜だけを持ち上げるあなたが馬鹿にされてるだけですよ?
そこのところ、自分に都合よく誤解しないでください。
>だからこそ様々な史料からその事績の信頼性がより高い長政のほうを
>評価するという考えのほうがよっぽどオトナというもんだ
オトナかどうかはともかく史料的には一理あるし、
こういう史料の相対化こそ、史料を読むという態度だと思うけどね

馬鹿の相手は疲れる…
100 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/17(木) 22:45:54 ID:R68SaYqn
>>98
>信長公記は・・・・1.5次資料っていう解釈かもしれんけど。

これって、信長について書きにくいことを
一部書いていないからってこと?
101 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/17(木) 23:02:30 ID:W75o/9oV
>>100
いや、そこまではいかないと思う。
文句いう人間はいるけど、太田 牛一は確かにその時代にいた人間だし、
嘘を書いている証拠はない。
ただ、当時の情報伝達事情から、必ずしも正しい情報かどうかに議論の余地が残る。
そういったら文句言えばきりがないので、一応、正しいことを前提としていいんじゃないかと
思います。
武功夜話は・・・・・まあ正しくないとは言い切れないという程度でしょうか。
103 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/17(木) 23:49:23 ID:zElJePwR
>>91
梶原景尚は孝高の庶子。
忠之の家臣として仕えているけど、血脈的には忠之の伯父にあたるので
栗山大膳が黒田家お取りつぶしの危機の際には、
家康の書きつけ(黒田家は御子孫永く疎略の儀これあるまじく候)
をもって老中に訴え出るように渡した。
104 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/18(金) 00:39:48 ID:NxrB39Mo
長政は、むしろ江戸時代になってからの業績をもっと評価されても
いいような気がする。
領国経営も及第点だし、外交的にもこまめに幕閣の有力者の情報収集をし、
見舞いに行ったり姻戚関係を結んだりと、外様大名としての生き残りを
かけて、こちらの方面でも最後までよく働いてると思う。

しかし、細川家はこういう情報戦や外交の領域は抜群に上手いな…。
あそこは幕府の対朝廷の儀礼指南という特技もあったけど、
対幕府の気遣いと戦略が見事に実って、外様の中では藤堂とともに別格の厚遇されて
気がつけば薩摩の抑えの要地・肥後54万石与えられてるし。
細川家は、三代目も名君だったっていうのも大きいが。
105 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/18(金) 18:26:47 ID:Y6wp1EAf
長政「家康殿は、それがしの手を三度も押し頂かれました」
如水「…で、手を握られたのはどちらの手か」
長政「右手でございました」
如水「すると、そちの左手はいったい何をしていた」
長政「……(父さん、脳梅毒にかかって…)」
106 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/18(金) 18:43:13 ID:5gkrRmgu
如水「すると、そちの左手はいったい何をしていた」
長政「……(つか、おれが死んだら黒田家継ぐやついないじゃん!)」
107 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/18(金) 19:06:36 ID:YLO+y8Pc
如水「すると、そちの左手はいったい何をしていた」
長政「……(いま、左手で父上を殴りたくなりました…)」

これ、かっこいい台詞だけど、確かに如水が無茶苦茶言ってるな。
黒田家が天下取るのは現実的には無理だとは思うんだけど、
座視できずに動いちゃうところが見果てぬ夢という感じで、好きだったりする。
火事場泥棒ともいうけどw
108 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/18(金) 23:53:29 ID:QGLK+z9p
>>107
その話って後の世の創作でないの?
109 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/19(土) 01:08:21 ID:r239pqpn
関ヶ原のときの如水の行動は、目の前に手頃な草刈場があったので、
思わずどさくさにまぎれて刈っちゃったよーって感じだろうな
伊達政宗とかと同じでさ 
110 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/19(土) 01:12:55 ID:r239pqpn
>>108
確かに、この逸話の元々の出典はどこなんだろうね?
111 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/19(土) 19:49:02 ID:3SN7QaeQ
何このスレw
黒田家譜出したとたんボコボコに叩かれてるw
黒田スレなのにそりゃないだろw
黒田家譜を知らずに一体何をかたるんだw
112 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/19(土) 20:08:10 ID:p3WxxxvE
>>111
108の逸話が載ってる黒田家譜の部分を原文でうpしてみな?
話はそれから、な。
114 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/19(土) 21:57:06 ID:CllW2DEV
そうですよ?うpできるわけないじゃん。
で、どれが出典か知ってるかい?
115 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/20(日) 00:25:50 ID:WDFivYr1
キチガイの集まりかここはw
>108の逸話が載ってる黒田家譜の部分を原文でうpしてみな?
と墓穴ほっといて黒田家譜じゃないよと教えてあげたら
>そうですよ?うpできるわけないじゃん。どれが出典か知ってるかい?
だってw
病院いけよおまえwww
116 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/20(日) 02:24:14 ID:n2rhRm/j
>>115
つか、荒らし目的で書き込んでいるお前が痛いよ
ま、ストレス溜まってんのかも知れんがw
117 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/20(日) 06:18:45 ID:4mV6j2Xt
ID:p9skGuvF=WDFivYr1はここ数日殴られすぎて、
心が折れてしまったようなのでそっと無視してやってください。

近世の家譜は、大学の文学部の国史か国文学専攻で訓練しない限り
原文でそうそう簡単に読みこなせるものではないです。
口語訳の一部抜粋を読んで、読んだと言い張ってるだけでしょう。
つか、お前の引用は司馬遼の播磨灘かせいぜい名将言行録からしかないじゃんよ?
118 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/20(日) 06:58:54 ID:v+n7EJ8g
毛利家というかこの一族ってさ、如水と関わってよかったことより
迷惑を掛けられたことのほうが多いんじゃなかろうか…
吉川元春に膾を勧めて、結果的に寿命を縮めさせたのは、この人。
嫌がる毛利領でのキリスト教布教を、輝元に取り付けて支援したのも、この人。
(んでその直後に禁教令がでて、如水はあっさり棄教。毛利領内の切支丹は弾圧)
秀秋の養子先に、最初に毛利家を打診して小早川家が絶えたのも、この人のせい。
関ヶ原で、吉川広家に結果的に空証文つかませたのは、息子。

ここぞ、というところで悪意のない働きかけをされた結果、
す ご く迷惑してる気がする。毛利の人々はそれでよかったのか…。
120 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/20(日) 08:28:19 ID:MM6+EZLp
こうしてみると、黒田も毛利にいろいろ余計なことやってるもんだなw
関ヶ原後、毛利家が防長2国になって家臣の家禄も払えず、新領主からは
年貢の返米も迫られ窮地に陥ったとき、輝元は領地を返上して
いっそ大名を辞めようかどうか如水に相談してる
如水が、辞めないでとりあえず頑張りましょう、そのうちいいこともあるかもよ
とか慰めて止めたはず
だから、信頼関係は(なぜか)ずっとあるみたいなんだけどな
121 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/20(日) 11:32:07 ID:g2csi57v
なんつうか、スレタイみるたびに「知勇が魚並み」なんだと思って
しまう癖がついてしまったよ。
124 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/22(火) 05:18:30 ID:JsJ69WsP
長政以降の黒田家は、ぱっとしないまま惰性で幕末まで続いた感じだな・・・
石高的にも地理的にも、うまく藩政改革できてれば
薩長土肥のような西国雄藩になれそうなポジションなのにさ
4代目あたりから、黒田は財政がずっとガタガタなのはなんでなんだ?
直系も絶えちゃうし、他家からの養子で何とかつないだようなようなもん
125 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/25(金) 00:49:32 ID:jWvwbAsU
如水について、坂口安吾の言った「二流の人」というのはすごい評価だと思う。
信長、秀吉、家康を一流として、そこまでたどり着けなかった武将。
三流ではないが、運かなにかが欠けていたんだろうな。
でも、長政が主人公の小説より、如水が主人公の方が多い。
やっぱり俺は息子よりは親が好きだな。
126 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/25(金) 01:07:36 ID:a467UOEj
自分の受ける感じ、
長政は「かなり仕える部下」、如水は「仕える部下」からはみだしている。
どっちが上かは考えてもわからないけど、あの時代(天下二分)に主体的に動けるのはすごいと思う。
小説になりやすいのも、秀吉が警戒したかもしれないのも、そこだと思う。
127 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/26(土) 08:44:10 ID:ZuXyrt7n
如水は主君から信頼が全然ないのが致命的だな
小寺、豊臣、徳川と立て続けに不信がられてるのはな
才気煥発すぎる秀吉にしても信長には部下として信頼されたし、
家康にしたって一応は律儀者だと評判もあったのに、なんでなのか
なんか事を起こす前に、余計な言動であっさり警戒されてるのは
人がいいというか、うっかりしてるというか・・・
130 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/27(日) 00:30:52 ID:tG9h8j4V
慶長の役で如水が碁を打って三成待たせたのは、まあただの意地っ張りだけど
そこでいきなり無断で日本に帰ってくるのは、何考えてるのかわからんな
まだ軍監を解任されてもないのに。秀吉もこの時点では許してやれって言ってるのに
ふつう職投げ出して遠征先から帰るか?
関ヶ原の時より、このとき何を考えてたのか謎
131 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/27(日) 09:18:09 ID:a9yJVVmi
なんとなくむしゃくしゃしていた
日本に帰れるなら理由はどうでも良かった
今は反省している

この人、結構ノリというか思いつきで行動してるとこ多いと思うけどな。
でも、頭はいいからあとからそれなりに理屈をつけるというか、
周りが深読みして深謀があるように見えるっていうか…。
132 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/27(日) 20:00:36 ID:m3Zq/EOG
なんとなくむしゃくしゃしてやった。
本気で天下とろうとは思ってなかった。
今は反省している。(息子にも迷惑かけたし…)

っつーか、死ぬまで変わらんな。
133 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/28(月) 23:08:07 ID:VQFvcrhe
まあ、関ヶ原の如水の行動には、豊後の細川家の飛び領地(6万石)を、
大友の軍勢が攻めたから救援を頼まれたっていう理由があるけどな。
細川忠興は、城代の松井康之に開戦したら周りの西軍に攻められるから、
そのときは黒田如水と連携して戦えって伝えてる。
数少ない九州東軍勢として、両家の間にあらかじめ協力体制をとる約束があった。
実際、細川の城は如水の救援が到着した時に、本丸まで攻められ落城寸前だったし。
134 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/30(水) 08:20:16 ID:80nX2dvO
戦国で家臣をひとりも切腹させも手討にもせず、「仕えやすきこと類なし」
と書いてもらえたんだから、珍しい殿様ではある
135 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/30(水) 16:24:40 ID:SM+HnVrs
「仕え易いこと類ない」殿様は世代交代したときガクブルだったりして
それはそれで問題あるようなないような。
136 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/08/31(木) 12:21:11 ID:Y8LlqIsy
その結果、晩年の家臣をてこずらせる気難しい爺さんのふりをして、
「長政よ!これはお前のためにやっておるんじゃ!」に繋がるわけで。
そこまで気配りされると、息子としてはありがたいけど立つ瀬がない気もするが、
主君として仕えるなら、おれはやっぱり親父の方がいいな。
137 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/01(金) 19:01:48 ID:IeWRC6QP
関ヶ原の時の九州でちょっと暴れてみましたという一件がなければ、
如水はいまのような人気はなかった気はする。
実際のところ天下取るつもりはなかっただろうし、現実的にも無理だし、
黒田家にとっても如水にとっても何にもならなかったわけなんだけどさ。
ずっと韜晦しつづけた「二流の人」が最後に狂い咲きした感じで、
また、あっけなく息子の活躍で終ってしまった幕切れも含めて、
ロマンだなと思わせるんじゃないか。
関ヶ原を、一番楽しんで戦った人だと思う。
138 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/02(土) 08:28:22 ID:vf73w2c/
>関ヶ原を、一番楽しんで戦った人だと思う。

まあ、如水は太閤の死後、関ヶ原のずっと前に、これから起る天下大乱を予感して
わくわくして待ってるという意味の短歌を詠んでたりするからなw
最後の最後に夢のある戦さができて、いい晩年だな・・・
140 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/02(土) 22:27:50 ID:cuY39ZGB
330:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2006/08/19(土) 18:44:11.19 ID:jTJGNPaHO
おまえら正しい呪文を唱えないと
ttp://s.pic.to/5cy6n
が毎晩夢に出てくるぞ


俺は忠告したからな。


おまいら真面目に唱えろwwwwwwww
141 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/04(月) 12:36:35 ID:5j8/O32N
【お国自慢】47都道府県のお札【有名人】
福岡 :2006/09/01(金) 13:20:24 ID:dYjOUIcN
一万円:菅原道真
五千円:広田弘毅
一千円:母里(黒田親子はビジュアルに難がある)


お膝元の住民に、顔が悪いっていわれるよ!www
しかし黒田親子の肖像画は、なんであんなにリアルに書かせたんだろうな
他の大名の絵とか、変に紙芝居タッチで嘘くさいのも多いのに
142 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/04(月) 18:55:21 ID:Of3oprq1
ゲームではわりと悪くない顔だけどね。
長政の肖像画とか逆にインパクトあっていいじゃんw
息子の忠之(3代目)も、似たような顔だからああいう顔の血筋なんだよ。
144 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/04(月) 22:34:23 ID:t+f8JIjz
あれだけ眉を寄せて八の字に下げて、しかも口を極端にへの字にするのって
物理的にすごく難しくない??
長政の肖像画の真似をやってみたけど、全然できないぞ・・・
への字にして眉を寄せると、ふつう眉が上に上がらないか?

是非、やってみてくれ。謎だ・・・
145 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/05(火) 07:52:40 ID:jwKSZ52p
>一千円:母里(黒田親子はビジュアルに難がある)

福岡の日本号と杯を抱えた母里太兵衛の像は、確かに男前
官兵衛は顔悪いか?とぼけたおっさん風で味があるし、
長政はごつめの武断派って感じで、男くさくて悪くない
まあ女から見れば、織田信長みたいなのがいいのかもしれんけどな
147 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/07(木) 10:24:19 ID:KdwXKu+u
ごめん。
小学生の頃、兄と歴ゲーするとき、官兵衛は頭巾かぶってて、
なんとなく憎たらしそうな顔グラだったから、毎回見つけては斬ってたわw
「頭巾狩りー!」とか言ってた。
能力が高すぎるのも子ども心に怖くてさ。
148 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/07(木) 11:06:51 ID:pT5K/5aE
>>145
女から見れば
舅にするなら如水、息子にするなら長政
結婚するなら栗山善助
恋に落ちるのは後藤又兵衛、ってところじゃないか。
カトリスのCMのじじいが晩年の如水に見えて仕方がない。
149 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/07(木) 23:12:22 ID:tvpi0t02
信長や秀吉が名古屋弁で会話したり、島津が薩摩弁で喋る小説や
ドラマは結構あるけど、如水にもドラマで播州弁を喋らせれば、
かなりイメージが変わると思う。

ドスの利いた方に。
151 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/09(土) 14:06:33 ID:baTkC3Xl
自分が好きになった理由の一つが、あれだけ腹黒のイメージ有るのに、晩年、城下で町人の子供達とかと仲良くしてたとか、遠山の金さんや黄門様みたいに、町人の話を政治に生かしたって読んだ事で好きになりました。
152 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/09(土) 14:20:25 ID:C2qGYRfV
ID:p9skGuvFみたいな燃料きぼんぬ
えらく白熱してるなと思えば一ヶ月近く前だしorz
153 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/09(土) 14:35:28 ID:6Nx75JHH
じゃあ「黒田所水は関ヶ原の混乱の時、九州に密かにキリシタン王国を作ろうとしていた」とでも主張してみるか。

あながち無くもない。
154 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/10(日) 14:24:38 ID:yQwCWU/v
如水が正式にキリシタンだったのは、でも時間的には短いんだよな。
洗礼を受けてから、1587年の棄教令で棄教するまでの3年間だけ。
この間は、遠征の陣中にも修道士を連れてったり、イエズス会の布教を支援したり
かなり熱心に活動してる。
棄教してからも、イエズス会とはずっと付合いがあったみたい。
155 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/10(日) 17:45:14 ID:vtlEc7Ke
>>154
「棄教は表向きの偽装だった」「イエズス会を通して密かに南蛮勢力との交渉を持っていた」
関ヶ原にルソンからの艦隊が間に合っていれば…!

という架空戦記がたちどころに作れますなあw
156 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/10(日) 23:22:46 ID:+15n11ta
大河ドラマの孝高は滑舌が酷すぎて、台詞が聞き取れん。
演技か素で下手なのかもわからん。
ドラマでは、幽閉中に舌まで麻痺したっていう設定なのか??
157 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/11(月) 01:21:56 ID:6TqsilRI
>>156
齋藤さんは滑舌が悪い人だよ
158 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/11(月) 05:43:24 ID:+kgVp5de
今年は、出番はかなり多いのにな
関ヶ原までの経緯を、かなり回数かけて詳しくやるみたいだから
長政の活躍に期待するか
160 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/12(火) 10:38:49 ID:7GG9H8w4
大河ドラマの番組宣伝HPで、武田鉄也が如水の九州戦について
やけに熱く語ってるからやるかもな。
ただ武田の語ってる内容は、如水が好きすぎて贔屓の引き倒しというか
ほとんど電波みたいなんだが・・・
161 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/12(火) 21:58:50 ID:3/1hlErG
>>160
武田鉄也は司馬遼太郎の影響を受けすぎているからね。司馬の好みを自分の好みに
転化しちゃってる。「司馬信者」というと真っ先に武田鉄也の顔が思い浮かぶよ、オレは。
162 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/13(水) 04:23:35 ID:2uPMekr7
武田鉄也は、黒田のお膝元の福岡出身だしな
地元の大殿だから思い入れが深いんだろう
163 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/13(水) 05:08:53 ID:tA/4K2Bm
愛川欽也
武田鉄矢
164 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/13(水) 20:25:21 ID:WkPhpoov
>>163
とりあえずこのスレには、武田鉄矢のファンがいないことが判明したな
165 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/13(水) 20:57:37 ID:x45m8IUc
>>164
合戦で捕虜にしたら、とりあえず斬りたくなると思う。
166 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/13(水) 22:28:26 ID:puB20sU9
>その知略、勇武は大海を泳ぐ魚の如き自由自在
あ、スレタイはそう読むのか!

「智、勇魚いさな(=鯨)の如き」だと思い込んでたわ・・
167 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/14(木) 21:18:18 ID:LCa+rqRH
>150
如水「つまらん! お前の軍略はつまらん!」
長政「………」
168 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/16(土) 06:31:20 ID:cKuAT223
文禄・慶長の役と出兵させられ、戦争のないときにも上方にいる期間の
長かった西国大名は、どこも領国経営が大変だった
長政はその点恵まれてた
凄腕の隠居が国許にいてくれたんだから
169 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/16(土) 08:50:30 ID:lkHjDQgh
>>168
戦争に凄腕の人間が領国経営でも凄腕と思うなかれ。
170 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/16(土) 09:02:05 ID:tsMKjeCL
>>169
検地では石高を実高よりかなり低く申告し、名より実を取ったし
関ヶ原では、長政が5000人ほど動員した上で、まだ傭兵を9000人ほど
即座に雇える黄金を中津城に溜め込んでたんだから、
財政的には十分有能に切り盛りしていると思うが?
171 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/16(土) 09:13:09 ID:FifCsxSX
>>170
そりゃ、長政が溜め込んでたんだろ。
実際、関が原前の黒田家の方針はほとんど長政が立案しているんだから、
内政指示も長政から出ていたと考える方が普通だわな。
如水は、息子が溜めた貯金を勝手に引き出して、道楽に使ったのさ。
173 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/16(土) 09:26:54 ID:n71Tdf/g
領国での大名の親族のサポートは結構重要なんだがな。
近距離に領国がある石田三成でさえ、領国経営は実質的に
父と親族に任せていたわけで。
黒田は当主の長政が唐入りで長期に渡って不在だし、別に親父に
任せてても不思議ではない。
174 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/16(土) 09:34:09 ID:n71Tdf/g
それから長政は筑前入封後の検地で、如水が豊前貰った時とは逆に、
実高よりかなり多めに表高を申告して実より名を取ったんだよ。
江戸時代の黒田家の、実高と表高の差が他の大名家より
あまり離れていないのはそのせい。
175 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/16(土) 09:58:57 ID:/NBakZYA
如水が倹約家というか、ぶっちゃけケチで蓄財上手だった逸話は多い
むしろ、こんなに経済感覚のある藩祖から、なんで後年の財政音痴な
福岡藩が誕生するのか謎なくらい
176 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/16(土) 11:07:28 ID:QwqcZbgc
福岡藩の経済感覚は、だめだめ。如水の興した家だとは到底思えん。
お隣の毛利を見習え。

・長政が実際の石高より多めに表高を申告したので、もともと財政が困窮しやすい
 体質。軍役でも、参勤交代でも、お手伝い普請でも過重な負担に苦しむ。
・長崎警備や島原の乱もあって、3代目の忠之の末期からいきなり財政難に。
・藩札を発行する時2回連続して騙したので、最後には領民に信用がなくなり、
 3回目に発行した時には藩札が流通しなかった。
・当然財政は借金まみれだが、その借金を踏み倒すのさえ下手くそ…
 何の考えもなく大坂商人の借金を踏み倒し、報復として大坂の米市場で
 筑前米を取引から締め出される。現金収入の道を絶たれてさらに困窮。
 あわてて殿さま自ら手をついて、謝ってなんとか許してもらう破目に。
・バブルな開発計画ばかりたて、他藩から財政再建のエキスパートを
 雇っても、まったく倹約できない放漫財政を続ける。
・維新のときは財政難で大変困る。そこで藩ぐるみで偽の太政官札を刷ってみた。
 藩士がそれを使って、必要物資を購入する末期状態。

 それが新政府にばれて、倒幕藩なのに廃藩置県の前に取り潰された唯一の藩になった…
177 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/16(土) 14:12:53 ID:Szh3rPFl
本当に駄目駄目だなwww
根本的に経済における<信用>の意味が分かってないものと思われ
如水の名誉のためにせめて、黒田家直系は7代目で絶えてしまい、
福岡藩は以降関係のない他家の養子がずっと藩主だから、と言っておく
178 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/16(土) 19:59:45 ID:PnhC3czB
黒田は如水と長政以降、急速にダメになってゆく感じ
4代目がややましで、そのあとはすぐ血筋が絶えてしまった
池田や細川は、初代藩主以降むしろ人間ができて名君が多くなってゆくのに・・・
179 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/17(日) 01:49:02 ID:FNqKgXCN
やはり黒田の直系が絶えたのは
伝承のとおり、城井鎮房とその一族の呪いだろうか


ありゃ黒田親子のやり口が酷すぎるだろ
180 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/17(日) 05:31:25 ID:/6R5L1kO
まあ殺る気満々で、端から騙して政略結婚して、舅とその家臣を騙し討ちでヌッ殺し
14歳の嫁を磔にした長政はかなりな鬼畜ではある。
181 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/17(日) 06:45:56 ID:ZYd1iF1+
素朴な疑問。
初代藩主以降ダメになった藩と、名君を増やす藩とだったらどっちが多いものなの?
182 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/17(日) 07:27:08 ID:aDA5S9kE
>>181
何を持って名君とするかも難しい問題だが…

あくまで一般論として、政治的、経済的、軍事的に難しい所に領地を持った大名は
必然的に頭を使わざるを得ないから、藩主、藩士に有能なのが出て来やすい。
逆にそれらの条件に恵まれた領地の大名は、特に頭を使う必要も無いので、名君を
排出する理由が無い。

どっちが多いかなんて、何を名君の基準にするかによって全然違ってくるので
統計の取り様が無い。って感じかな。
183 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/17(日) 07:53:53 ID:DMbMEzFA
島津家はなぜかコンスタントに名君だして「島津に暗君なし」と言われた。
福岡藩11代目藩主で藩政の近代化を進め開国論を唱えた
わりと名君だった長溥は島津重豪の9男だったし。
細川家の歴代の殿さまも、財政はガタガタで貧乏細川呼ばわりされたが
領国経営が上手かったし幕府との付き合いも上手かった。
あそこは年貢が軽く善政で、肥後ではほとんど一揆がなかった。
184 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/17(日) 08:36:29 ID:aO85NWkJ
明治新政府が人材登用を目的に各藩を調査した際に、松方正義に
「筑前福岡藩、人物一人もなし。」
と断言されてるんで、まぁね
幕末は、殿も藩士もみんな微妙にダメな藩だったのは確かです
明治も後期になって、元福岡藩士・金子堅太郎がちょっと活躍したのが
まだ救いっていうか・・・
ちなみに金子は黒田如水の熱烈なファンで、分厚い如水伝を書いてますよ
185 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/17(日) 08:57:53 ID:s//kLE7m
>>184

福岡藩は尊攘派を大弾圧してしまってますからね。
186 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/17(日) 10:48:22 ID:hBiPMaDU
>まあ殺る気満々で、端から騙して政略結婚して、舅とその家臣を騙し討ちでヌッ殺し
>14歳の嫁を磔にした長政はかなりな鬼畜ではある。

これマジ?それとも伝承か講談ネタか何か?
187 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/17(日) 14:02:27 ID:04udyDvf
>>186
これは残念ながらマジ。
亀姫の年齢は諸説あるし、自害させたとも磔にしたともあるが、
長政が舅の城井鎮房ともども中津城の宴に呼んで殺しています。
肥後遠征中に如水も連携して、鎮房の幼い嫡男を家臣ともども
館ごと火をつけて焼殺してる。
九州遠征や豊前切取りの時は、この他にも降した城の女子どもや
兵を磔にしたりと黒田親子も一通りの残虐行為はしている。
188 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/17(日) 22:29:45 ID:2JcTl5wf
つか孝高に城井の娘と長政を結婚させて、一時停戦して謀略で一族を殺して
しまえと命じたのは秀吉だけどな
肥後が一揆で混乱している時に、豊前まで豪族の反乱が長引いて不安定になると
厄介なので、早いとこかたをつけたかったから
189 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/18(月) 13:06:38 ID:vzdsA/hE
豊前の城井攻めでは長政は負けっぱなしだな
黒田・吉川・毛利の連合軍1万2000を率いて、城井1500に滅茶苦茶に負けて
ほとんど壊滅状態。影武者が代わりに死んでたりする
190 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/18(月) 13:56:55 ID:/C5GZuFZ
いきなり良スレになってる

江戸時代や幕末の黒田家に詳しい人に感心した
191 :ダミアン長政2006/09/18(月) 14:13:11 ID:G+5L1cE5
>>190
ありがとう。
頑張ってかなり自演した甲斐があったよ!
192 :シメオン如水2006/09/18(月) 14:27:39 ID:xPYZo5AY
「ところで自演したのは右手であったか、それとも左手であったか?」
197 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/19(火) 01:35:02 ID:MawCjN1c
内府を刺したのはわたしの影武者>>189でした!
198 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/19(火) 01:50:38 ID:EBTD5NL7
「こんなこともあろうかと…」
影武者黒田長政に影武者徳川家康で対抗。難を逃れた家康であった
199 :名無しさん@お腹いっぱい。2006/09/19(火) 02:38:59 ID:yuvTByxF
こりゃ長政も親父も切腹させられるな

黒 田 家 は 改 易、断 絶 し ま し た
『架空戦記:黒田家の野望 その時、お前の左手は?』(完)
200 :ダミアン長政2006/09/19(火) 15:27:35 ID:ZCzznYig
おかしい・・・
父上のご希望どおり、わたしが内府を刺したら
あっという間に黒田家が滅んでしまいましたよ?


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