2010年12月27日

蜀将討議スレッド18

1 :依頼2007/12/17(月) 20:36:52
蜀における武将、人材に関して総合的に語り合うスレ
とりあえずただの煽り合いは抜きの方向で。
正史・演義どちらか一方を正統とする発言は極力避ける事。

<前スレ>
蜀将討議スレッド17
http://ex21.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1180446435/
蜀将討議スレッド16
http://ex21.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1164728089/
蜀将討議スレッド14(実質15)
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1159019664/
蜀将討議スレッド14
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1142693255/
蜀将討議スレッド13
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1131372256/
蜀将討議スレッド12
http://hobby8.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1115889844/


2 :無名武将@お腹せっぷく2007/12/17(月) 20:50:40
4 :無名武将@お腹せっぷく2007/12/18(火) 10:13:46
もともと劉表を見限って呉に行こうとしたけど黄祖が夏口にいたから通過できず、
やむなく滞在してわけだし、心は呉にあったわけだから、
可能性はゼロに近いんじゃないかな。
5 :無名武将@お腹せっぷく2007/12/18(火) 23:53:38
八戸のぶなが公が蜀の征服に乗り出される。


心せよ。
7 :無名武将@お腹せっぷく2007/12/19(水) 12:33:02
>>5

学徒出陣公が迎え撃つ。
8 :無名武将@お腹せっぷく2007/12/19(水) 18:20:10
李厳が北伐の時になんで後方の兵糧輸送係にされていたのかわからん
兵糧輸送係は諸葛亮的に他に適任者がいなかったから、やむなく一番政治的な実績のある李厳に任せたのかな?
9 :無名武将@お腹せっぷく2007/12/19(水) 18:25:27
兵站管理が漢中からの北上で重要な責務だったから
あまり実戦的な兵権を与えると危険だから
10 :無名武将@お腹せっぷく2007/12/19(水) 19:50:40
李厳には独立の意志でもあったの?
諸葛亮を唆すそぶりはあったけど
13 :無名武将@お腹せっぷく2007/12/19(水) 21:52:32
地方の一太守に過ぎなかった李厳を尚書令に取り立てたのは劉備。
14 :無名武将@お腹せっぷく2007/12/19(水) 22:09:56
少なくとも軍の指揮において李厳が非凡だったのは反乱平定の手腕を見ても間違いない
ただ一方で史書を見ると野心家なのも又事実のようで。まあそういうことだな
15 :無名武将@お腹せっぷく2007/12/19(水) 22:24:52
ふーふー
17 :無名武将@お腹せっぷく2007/12/20(木) 09:52:34
李厳の出世の仕方は物凄いけどよほど名門の生まれなんだろうか
19 :無名武将@お腹せっぷく2007/12/20(木) 17:09:19
>>17
南陽は豪族の多い土地だから彼の家もそれなりに豊かだったのかもしれない
21 :無名武将@お腹せっぷく2007/12/21(金) 15:05:19
>3-4 そのものずばり「蜀の甘寧」という漫画が始まりました
http://comics.yahoo.co.jp/magazine/sangokushi/sixyokun02_0001.html
24 :無名武将@お腹せっぷく2007/12/23(日) 00:11:22
個人的にショクの人材は防衛戦が少なかったから評価が低いんだと思う。
どの国も、荊州奪還以降の勝ち戦は基本的に防衛戦だから、攻める側に回ることが多かったので将軍たちが目立つ活躍が少なかった。
27 :無名武将@お腹せっぷく2007/12/24(月) 15:40:53
法正「私は 童貞だ。
知らなかったか 私が愛するのは市民と革命だ。誰かではない。」

孟達「や は り !」
28 :無名武将@お腹せっぷく2007/12/24(月) 18:18:16
童貞

包茎

陳固

中国人の名前としては普通にあり得るな
30 :無名武将@お腹せっぷく2007/12/24(月) 22:13:57
陳[示古](ちんこ、?−263年)
陳祗の子。
幼少の頃から武勇に優れ、若くして将軍に取り立てられる。
建興11年、馬忠に従い反乱鎮圧に従軍して功を挙げ、その功により胤猛将軍に任ぜられた。
平定後は南中に留まり行政面において大いに功績を立てた。
やがて父が死に劉禅が黄皓を重用し始めると、姜維と共に黄皓を除くよう劉禅に嘆願したが聞き入られず罷免され成都に留め置かれた。
263年、魏が攻め入ってくると再び将軍に任ぜられ諸葛瞻らと共に綿竹に立てこもり奮戦した。
諸葛瞻らが討ち死ぬと敗残兵を纏め成都に撤退させようとするが恐慌状態の軍を纏めきることができず乱戦の最中戦死した。

法景(ほうけい、198−222年)
法正の子。
智術に明るかったが規律に疎く、度々軍令を破るようなことがあった。しかし才を見込んだ劉備の取立てにより事なきを得た。
221年、劉備が戦を起こすと馮習の副将として従い李異らを破った。
翌222年、劉備が水軍の後退を命ずると法景は脆弱な兵站線を指摘し、水軍の維持を進言するが聞き入れられなかった。
しかし法景は備えを怠らなかったため水上からの陸遜の奇襲にも動じず鉄壁の守備を見せた。
だが、やがて味方軍営の陥落により兵が四散し始め、敗北を悟った法景は自害した。
白帝で法景の死を知らされた劉備は「朕が(諌言に注意を)むけていれば」ともらしたと言う。
33 :無名武将@お腹せっぷく2007/12/24(月) 23:54:34
>>28-29
童貞、包茎はどちらかと言うと女の名前だな。

貞淑とか、草冠の字は、女の名前に使うことが多い。
35 :無名武将@お腹せっぷく2007/12/27(木) 13:44:21
法正が謀殺した人物って具体的に誰かとか分かりますか?
37 :無名武将@お腹せっぷく2007/12/27(木) 14:19:27
>>35
全玄、毛雄、楊憲、紀嬰、文亭、劉玉、張寛
39 :無名武将@お腹せっぷく2007/12/27(木) 14:26:51
しかし法正も国内の馬鹿ドモを粛清してる暇があったら、
同数の敵国名士を殺してくれればよかったのに。
40 :無名武将@お腹せっぷく2007/12/27(木) 17:18:22
すれ違いなのはわかっている
三国知識は漫画とゲームだけなのもわかっている
ぶっちゃけ2chは素人といってもいいぐらいのレベルだ
それをふんできいてくれ
 過去すれってどうやってみんの?
42 :無名武将@お腹せっぷく2007/12/27(木) 17:58:49
>>40
なんか好感持てた
43 :無名武将@お腹せっぷく2007/12/27(木) 18:00:42
>>40
マジレスすると金払わないと見れない
46 :無名武将@お腹せっぷく2007/12/27(木) 22:48:30
40です
すごい!!当初の予想はすれ違いだバ〜カ自分で調べろとかスる〜
などと予想していました。5件の返信様感激です。
書き込んでからずっとつけッパで陸遜のシナリオをクリアしてレアアイテム
2つとって待った甲斐がありました
このスレの過去すれがみたかったんです。
おやおや、少々長く書き込んで島しました。
ありがとうございました!!
52 :無名武将@お腹せっぷく2007/12/29(土) 02:15:45
    /    ||    :ヽ
   ┌|(⌒ヽ :|| ..:⌒: |┐   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
   |::|::ヽ.__:):||(___ノ ::|::|  │
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    :|: ..   ||    ..|| <   ジュワ!
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53 :無名武将@お腹せっぷく2007/12/30(日) 09:58:41
>>52
正義の蜀に天下を取らせてください
54 :無名武将@お腹せっぷく2007/12/30(日) 23:44:16
スイーツな蜀将
56 :無名武将@お腹せっぷく2007/12/31(月) 09:14:26
>54
蜀にあたる四川省の人々は、
凄く辛党だと言いますが
58 :無名武将@お腹せっぷく2008/01/01(火) 17:58:44
>>37 そういうのって、どこに載っているんでしょうか?
蜀志?
59 :無名武将@お腹せっぷく2008/01/01(火) 21:25:45
>>58
華陽国志
60 :無名武将@お腹せっぷく2008/01/01(火) 22:22:53
>>59
そういう遊びは有害なだけで面白くない。
62 :無名武将@お腹せっぷく2008/01/02(水) 13:18:19
夷陵の戦いで戦死した都督2人って誰ですか?
63 :無名武将@お腹せっぷく2008/01/02(水) 13:24:55
>>62
馮習と張南でないかい?
65 :無名武将@お腹せっぷく2008/01/02(水) 14:01:37
ケータイ小説を書いていそうな蜀将は誰だ?
67 :無名武将@お腹せっぷく2008/01/02(水) 14:38:47
>>63
ありがとうございます
68 :無名武将@お腹せっぷく2008/01/02(水) 23:16:39
>>65
ハイブリッド龐統
70 :無名武将@お腹せっぷく2008/01/03(木) 16:43:46
職場の中国人に三国志について語ろうと思ったが、俺より知らなかった件。

法正とか知らないんだぜ?

中国では三国志ってあんまり教わらないのかなぁ
71 :無名武将@お腹せっぷく2008/01/03(木) 16:45:46
>>70
歴史の一部だからな〜〜
日本くらいだろ
三国志は
72 :無名武将@お腹せっぷく2008/01/03(木) 18:48:42
中国人だからってみんなが知ってるとは限らないよ。
日本人だって赤橋守時とか熊谷直実とか言われたら大抵はきょとんとするだろ?
73 :無名武将@お腹せっぷく2008/01/04(金) 00:10:23
中国では、

紅楼夢ヲタ、金庸の武侠小説ヲタ >> (超えられない壁) >> 三国志ヲタ、水滸伝ヲタ

紅迷と金迷は狂気に包まれている。
 
74 :無名武将@お腹せっぷく2008/01/04(金) 09:36:55
陳?とか、法景とかいたのね
知らなかったw
ところで最近、董卓が童貞に見えてしまう件
76 :無名武将@お腹せっぷく2008/01/04(金) 19:37:52
>>74
お前のせいで童貞に見えるようになったじゃねーか
80 :無名武将@お腹せっぷく2008/01/07(月) 14:24:37
>>59-60 つまりは嘘?
81 :無名武将@お腹せっぷく2008/01/07(月) 21:45:18
>>80
そうだよ。ここに華陽国志あるから検索してみ。
ttp://ef.cdpa.nsysu.edu.tw/ccw/02/index.htm
82 :無名武将@お腹せっぷく2008/01/08(火) 02:18:24
素人童貞が集まるスレはここですか?
84 :無名武将@お腹せっぷく2008/01/09(水) 11:02:09
>>82
ざけんな玄人とも経験ねーよ!
85 :無名武将@お腹せっぷく2008/01/10(木) 20:20:30
>>21-23 その漫画は法正や張松も出て来たね。
87 :無名武将@お腹せっぷく2008/01/11(金) 13:35:37
お前らのおかずって何?
94 :無名武将@お腹せっぷく2008/01/13(日) 09:57:36
綾波レイ
95 :陳登2008/01/13(日) 11:40:38
>>94
エヴァ板に帰れ
96 :無名武将@お腹せっぷく2008/01/22(火) 01:30:11
魏延って本当は義陽出身じゃなくて南陽出身なんだよね。黄忠と同郷じゃん。
101 :無名武将@お腹せっぷく2008/01/29(火) 00:22:40
貧しい所からのし上がった人に評価された
貧しい所からのし上がった人には
夢があるんジャマイカ
102 :無名武将@お腹せっぷく2008/01/29(火) 18:54:41
>100 むしろおかげで魏の北伐への対抗者が過大評価される傾向にあるな
103 :無名武将@お腹せっぷく2008/01/30(水) 01:33:44
色々三国志の本読んでみたけど、全部大体孔明が死ぬまでなのな。

孔明死んでから、蜀滅亡までを描いたオヌヌメの本とかない??
キョウイとかリクコウとかかっこいいー
104 :無名武将@お腹せっぷく2008/01/30(水) 07:47:01
三国志ものの原作の演義読んでないの?晋の統一まで書いてるよ。
あと柴田錬三郎の『英雄生きるべきか死すべきか』が『英雄ここにあり』の続編で
姜維が主役。俺は読んでないけど。
105 :無名武将@お腹せっぷく2008/01/30(水) 09:51:09
>>104
柴錬のは活劇としてなら良いかもしれないけど、
かなり創作が入ってるから好みはわかれると思う。
106 :無名武将@お腹せっぷく2008/01/30(水) 11:44:27
>>103
ちくまの正史訳
107 :無名武将@お腹せっぷく2008/01/30(水) 23:05:59
>>103
陸抗の活躍は蜀滅亡後だぞ
108 :無名武将@お腹せっぷく2008/01/30(水) 23:11:04
二宮事件を面白く書いてくれる人がいないかねえ
太子派と魯王派の陰湿な足の引っ張り合い!
孫魯班の跳梁跋扈!
拷問されながら嘘をつく陸胤!
巻き添え食って散々言われて自殺する陸遜!
面白い政治ドラマになるよ
109 :無名武将@お腹せっぷく2008/01/31(木) 00:15:36
>>108
暗い話になりそうだな。
110 :無名武将@お腹せっぷく2008/01/31(木) 07:58:36
>>108
どう面白く書いても読者が限定されそうな話題だなw
111 :無名武将@お腹せっぷく2008/01/31(木) 13:13:15
二宮(金次郎)事件を面白く書いてくれる人がいないかねえ
金次郎と校長の陰湿な足の引っ張り合い!
人体模型の跳梁跋扈!
拷問されながら嘘をつく薔薇乙女!
巻き添え食って散々言われて自殺する笠地蔵!
面白い人形劇になるよ
114 :無名武将@お腹せっぷく2008/01/31(木) 15:18:45
>>108
昼メロっぽいねw
118 :無名武将@お腹せっぷく2008/02/01(金) 01:13:15
ヒイとかショウエンって軍師としての才能はどうだったんだろう??

文官としての能力と戦略を考える能力が全く別なのは当然だけど、ジュンイク・ジュンユウはどっちも揃えてそう。
後蜀では、戦略的に全体を見える人はいなかったのかな。
キョウイは戦術に固着しすぎに思うし。
119 :無名武将@お腹せっぷく2008/02/01(金) 01:20:53
ジュンイク・ジュンユウ
クラスの文官なんてそうはいないだろう。
122 :無名武将@お腹せっぷく2008/02/01(金) 02:58:41
ショウエンって普通に魏だか呉だかの討伐計画練ってたでしょ
内部に反対の意見が多く実行されないまま病死したが
ヒイも魏が攻めてきたとき平然と碁だかしながら援軍を送り撃退した
123 :無名武将@お腹せっぷく2008/02/01(金) 11:01:16
積極的な北伐を行わなかった(行えなかった)間は、国力の衰退が目立たなかった。
いざ積極的に撃って出てみたら、やはり彼我の国力差がありすぎてジリ貧に陥った。
すると今まで表に出てこなかった不満が一気に噴出しだして、
戦争を知らない世代が増えたこともあり厭戦感が蔓延して下り坂をローリングストーン…。

てな感じ?
127 :無名武将@お腹せっぷく2008/02/03(日) 02:09:07
魏延が見直されれば見直されるほど楊儀の評価が落ちるな
何か功績あったっけ
128 :無名武将@お腹せっぷく2008/02/03(日) 03:30:03
>>127
コツコツと手紙を書く事が出来る根気と執念は尊敬に値する
功績に関しては一番大きなもので諸葛亮の死後全軍を無事に退却させたというのがある
129 :無名武将@お腹せっぷく2008/02/03(日) 04:25:34
>>127
陣立と物資分配(計算)にかけては天才的だったらしい。
130 :無名武将@お腹せっぷく2008/02/03(日) 09:21:43
マネージャーとしては超優秀。
リーダーとしては二流。
それが楊儀。
131 :無名武将@お腹せっぷく2008/02/03(日) 13:20:30
中間管理職としては優秀って評価だよな>楊儀
古今問わず、「出世したことが身の破滅につながった」というタイプは後を絶たんねぇ。

せめて蒋エンが楊儀より年上だったら、もう少しマシな晩節を送れたのかも。
……楊儀の暴走が後送りになるだけか。
132 :無名武将@お腹せっぷく2008/02/03(日) 14:30:21
どうあっても結局は費イに嵌められるだけだな。
費イだけが魏延と楊儀の間を取り持てたのに、本人からその気が失せてるから如何ともしがたい。
まぁ、諸葛亮という重石が抜けた後での両巨頭の決戦には巻き込まれたくないよな。
133 :無名武将@お腹せっぷく2008/02/05(火) 00:40:51
蜀末期について凄く疎いので、申し訳ないが知りたいんだけど
260年から261年にかけて建国時の主だった武将達に諡号を送ったのはどうしてなんだろか
134 :無名武将@お腹せっぷく2008/02/05(火) 01:05:24
>>133
段谷の大敗で滅亡にもいよいよ王手がかかったんで、
そこらへん誤魔化すために英霊祭って士気高揚はかったんじゃないかね。
135 :Jominian ◆Henri9gNlM 2008/02/05(火) 01:11:22
>>133
理由が史書に書かれているわけではないので、推測でしか言えないのだけれど、
まず以って挙げられるのが、陳祗の死以降急速に朝廷内に広がっていった厭戦気分を打ち消すためという事。
武を以って建国を大いに助けた人物を称揚する事で、
北伐の意義を再確認させる必要があったんではなかろうか。

とするならば、姜維が主導した事である可能性が高いと思う。
関羽らの翌年に行われた趙雲への諡号追贈は、趙雲別伝に拠れば姜維が深く関わってるしね。
136 :無名武将@お腹せっぷく2008/02/05(火) 01:14:45
魏が青龍元年と正始四年に功臣を太祖廟に合祀したのと同じ理由なんじゃないかな。
137 :無名武将@お腹せっぷく2008/02/05(火) 23:24:55
姜維にとって、唯一生でお目にかかった五虎将だからな>趙雲
趙雲に対する世の中の評価はともかく、思い入れも違っただろう。
138 :無名武将@お腹せっぷく2008/02/06(水) 00:10:15
今でもあるな
有名人が「生前の○○にお会いしました」といって
イデオロギー操作するっていうの
139 :無名武将@お腹せっぷく2008/02/14(木) 18:46:57
>>137
分からんぞ、案外馬超に会ったことあったかも
140 :無名武将@お腹せっぷく2008/02/16(土) 00:47:33
五虎将なんてもんには、姜維以外の蜀の人間も
見たことも聞いたこともないだろ。
141 :無名武将@お腹せっぷく2008/02/16(土) 01:17:08
むしろ姜維への当時においての世評が気になる
142 :無名武将@お腹せっぷく2008/02/16(土) 01:29:54
>>141
兵士「生姜うぜぇ」
下級官吏「生姜うぜぇ」
金持ち「生姜うぜぇ」
貧民「生姜うめぇwww」
143 :無名武将@お腹せっぷく2008/02/16(土) 02:10:22
付き従っていた将兵の間では最後まで士気旺盛だったようだが
144 :無名武将@お腹せっぷく2008/02/16(土) 14:11:52
じじいには評判悪くて若者に人気があったのかな?
でもじじいでも東芝さんとかには好かれてたんだよな
145 :無名武将@お腹せっぷく2008/02/16(土) 14:23:42
>>142
日本語を勉強しなおしてからまたどうぞ
146 :無名武将@お腹せっぷく2008/02/16(土) 21:51:56
>>145
明らかなネタレスに日本語もくそも無さそうな気がする
つーか短すぎて日本語もクソもない
147 :無名武将@お腹せっぷく2008/02/17(日) 14:02:33
145が思ってる正しい日本語ってのが分かんない。添削するとしたらどうなんの?w
151 :無名武将@お腹せっぷく2008/02/21(木) 14:05:51
無いだろ、関羽は蜀入りしてないし
ただ、馬超の勇名を気にした関羽が孔明に
「馬超はどれほどの武将なのだろうか」と手紙を出したはず
152 :無名武将@お腹せっぷく2008/02/21(木) 19:47:46
関羽って成都入ったことないの?
153 :無名武将@お腹せっぷく2008/02/21(木) 19:53:57
>>152
おそらくは。
ただ馬超は劉備に臣従した時に臨沮を任されてるんだよね。
これって襄陽の臨沮?それともどっか別の臨沮?陽平関近くの沮県周辺?
154 :無名武将@お腹せっぷく2008/02/22(金) 00:20:30
蜀とった時点で呉は「新しい領地手に入れたんだから荊州返せや」って
行ってくるのは目に見えてたからな
そんな状態で荊州の最高指揮官が現場を離れるとは思えん
156 :無名武将@お腹せっぷく2008/02/22(金) 01:32:51
荊州で守ってるとき関羽陣営に居たのって
関羽関平王甫趙累廖化周倉だっけ?
ホウトウでも生きてて一緒に守ってたら話は変わってたかもなぁ
157 :無名武将@お腹せっぷく2008/02/22(金) 01:41:43
ホウ統が生きてたら劉備と一緒に漢中に行ってるんじゃないの?
159 :無名武将@お腹せっぷく2008/02/22(金) 02:16:42
周倉は一応()つけようと思ったけどめんどいからそのまま
ホウトウが漢中行ってたらそれはそれで諸葛が荊州に残ったかもしれないっていうのもある
160 :無名武将@お腹せっぷく2008/02/22(金) 08:01:37
>>156
潘濬、郝普、郭陸、?晏、陳鳳、?凱、?輔、樊友、文布

219年の呉の荊州侵攻時に荊州にいた面々。劉備に通じていた豪族含む。
162 :無名武将@お腹せっぷく2008/02/22(金) 14:22:04
>>160
行政スタッフの潘濬を含むなら、別駕従事の殷観は?
163 :無名武将@お腹せっぷく2008/02/22(金) 14:51:41
>>162
季漢輔臣賛で一緒に名前を上げられてる不明の衛文経、韓士元と当の殷観以外の馬良、張存、習禎は益州入りしてるんだよね。
断定は当然できるものではないが、殷観も益州入りしてるんじゃないかなあ?推測(妄想?)の部分が大きいかな?w
164 :無名武将@お腹せっぷく2008/02/22(金) 21:14:07
その中で戦略練ってたのって結局誰?
関羽の勝手な暴走なの?
168 :無名武将@お腹せっぷく2008/02/23(土) 01:08:30
潘濬をどうしてもっと上手く使えなかったかな?
はっきりモノを言うタイプだから関羽とは合わないのはわかるが・・。
169 :無名武将@お腹せっぷく2008/02/23(土) 02:32:09
>160 所で、?凱、?輔らは
?芝や?艾とは何か血縁関係とかある?
後者二人は出身地が近かったよね
174 :無名武将@お腹せっぷく2008/03/19(水) 11:28:48
周倉ってのはひょっとしてモデルになった人物がいるような希ガス
176 :無名武将@お腹せっぷく2008/03/19(水) 16:13:37
現在の成都

【中国】「お帰りなさい、ご主人様」!中国の若者に浸透する「萌え」文化、「メイド喫茶」潜入記―四川省成都市 [03/19]
http://news24.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1205897755/
177 :無名武将@お腹せっぷく2008/03/19(水) 16:16:14
俺は
関羽「お帰りなさいませ!兄者!」
張飛「兄者!今日は元気そうだな!」っていわれる」
三国志喫茶のほうがいいや
178 :無名武将@お腹せっぷく2008/03/19(水) 20:39:02
>176-177
北方三国志の趙雲の最期の言葉が頭に思い浮かんだ
180 :無名武将@お腹せっぷく2008/03/26(水) 19:37:30
魏延と王平って役割は似ていたんでしょうか。
役職も似ていますし
でも王平は節は仮されていないのは、単純に
権限が小さかっただけという事ですかね。
魏延は軍師の役職にも付いていますから
181 :無名武将@お腹せっぷく2008/03/26(水) 20:03:01
>>180
王平の役割は、劉備時代の魏延の役割と似ているのではなかろうか。
単なる漢中防衛軍司令官。

魏延が節を与えられたり、軍師の役職に就いたりしているのは、
諸葛亮時代になって北伐の中心戦力となり、
漢中防衛の任から外れたからだと思われる。
184 :無名武将@お腹せっぷく2008/04/05(土) 09:08:15
魏延が殺されなかったら蜀はどうなってたんだろう?
185 :無名武将@お腹せっぷく2008/04/05(土) 10:28:18
>>184
もうあの時点で魏延が生きていてもごっそり兵を持っていかれて
滅亡が早まるだけだったんじゃね?
186 :無名武将@お腹せっぷく2008/04/05(土) 23:12:14
キョウイは名将なのか?
187 :無名武将@お腹せっぷく2008/04/05(土) 23:24:47
>>186
それなりに名将ではあると思う。
北伐では郭淮・陳泰・?艾と相手が名将揃いながらも、
そこそこの戦果は挙げてるし、、
魏が侵攻してきた時も、
素早く軍を動かして剣閣に立てこもり、
鐘会の軍十万を釘付けにしている。
?艾の山越えがなかったら、
タイムオーバーで遠征軍を撤退に追い込んでいた公算が強い。
188 :無名武将@お腹せっぷく2008/04/06(日) 12:03:31
>そこそこの戦果

戦果を挙げたのは郭淮・陳泰・?艾以外の相手と戦った時でしょ
190 :無名武将@お腹せっぷく2008/04/07(月) 10:48:35
戦力の差を考えるとよくやったと言えると思う。
KYな感じだけど…
192 :無名武将@お腹せっぷく2008/04/08(火) 16:57:54
灰焼死さんも生姜気に入ってたみたいだしね
わざわざ孫盛の批判的な長文を引用した後それを批判するツンデレっぷり
193 :無名武将@お腹せっぷく2008/04/08(火) 18:44:23
しかしその一方で「姜維ごときは天水の一男児に過ぎん
彼を失ったところで魏に損害はほとんどない」と酷評していたりもする
まあ孔明も酷評されたこともあるくらいだから好き嫌いにはあんま関係無いかもしれんけど
194 :無名武将@お腹せっぷく2008/04/08(火) 23:23:01
実際、大勢を揺るがすような
大きな損害は無かったからなぁ。
195 :Jominian ◆Henri9gNlM 2008/04/09(水) 02:00:52
そもそも裴松之は、孫盛の行き過ぎた批判を批判しているだけで、
「姜維は凄い人物だ」みたいな事は言ってないしね。
姜維を擁護しているし、気には入ってただろうけど、
「姜維は大勢を覆す事のできる程の人間だ」などと嘘をつく必要は無かったろうね。
196 :無名武将@お腹せっぷく2008/04/09(水) 12:07:51
王経に勝って数万人の首取ったのに致命的な損害じゃなかったのか…
197 :無名武将@お腹せっぷく2008/04/09(水) 19:51:31
自軍の100倍の打撃を与え続けてやっとこさ何とかなるレベルだからな。
198 :Jominian ◆Henri9gNlM 2008/04/09(水) 22:37:52
>>196
あれはあれで相当なものだけど、流石に致命的と呼べるほどじゃない。
まぁ、あれが短期間にもう一回起これば、隴西ぐらいは一時的に領有できたと思うけど。

>>197
100倍は言いすぎじゃないか?
5,6倍の戦闘効率で戦い続けられれば、或いは何とかなったかもしれない。
199 :無名武将@お腹せっぷく2008/04/10(木) 00:06:27
実際蜀と魏は2、3倍ぐらいの戦闘効率とも言われてるが。

蜀は兵器開発重視の重装歩兵で、魏は数の力。
200 :無名武将@お腹せっぷく2008/04/10(木) 00:08:16
魏は武器が粗末だったり、実は兵士の強さはそれほどではない


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